【袴田事件】
この事件についての新聞(毎日、中国、産経)3紙の報道を読んだが、事件の概要と静岡地裁一審判決(1968年)の問題点がさっぱり読めない。おまけに何面にも亘って断片的な記事が散らばっているから、読むのが大変だ。こういう場合、読者の便宜を考えて面をまとめてほしいものだ。
主な疑問は以下の3点だ。
1. 事件発生は6月30日(味噌会社の専務一家5人のうち、離れで寝ていた長女以外の4人が刃物で殺され焼死体となって発見された)で、
7月4日、警察が工場とその従業員寮を家宅捜査、袴田巌(元プロボクサー)の部屋から微量の血痕がついたパジャマを押収。
8月18日、袴田を「強盗殺人、放火、窃盗」容疑で逮捕、
9月9日、静岡地検が起訴、
11月15日、静岡地裁第1回公判
この時検察側は、「血染めのパジャマ」を犯行時の着衣と主張し、血痕がB型であることを「犯人である証拠」としていた。
ところが取り調べ段階では「自白」していた被告は裁判になると全面否認した。
このため裁判は暗礁に乗り上げたが、67年8月31日、従業員が味噌を搬出中に、工場内の「味噌のタンク」のなかから、布袋に入った「着衣5点セット(長袖スポーツ、半袖シャツ、半袖シャツ、ステテコ、パンツ、ズボン)」が味噌に漬かった状態で発見された。さらに9月12日、捜査により、袴田の実家からズボンの布地の端切れが発見された。
このうち「血痕のある半袖シャツ」の写真が公開されている。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/photos/140327/trl14032722240011-p1.htm
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/69/fe/3037debd9ba50f8dfb638242a5878915_s.jpg)
右袖に黒く凝固した血痕が付着しており、ここからは容疑者と同じB型血液型が検出されている。前胸部に三つの血染めの手形があるが、これは非B型だそうで、被害者のものだという。
が、この左胸の血痕部分を拡大してよく見ればわかるように、血のついた掌を押しつけて作成されたものだ。取っ組み合いでついたものなら、跡がかすれていなければいけない。それに掌と指の間に布地のヒダがあって、ここでは指跡が途絶えている。このシャツを実際に着用していて、被害者がつかみかかった際にできたものとすれば、ヒダ部分は掌にたくし込まれるから、ここも血染めになるはず。これはシワになってままのシャツに、血染めの手形を押しつけたために生じたもの、と考えるのが妥当だろう。
ことに左胸上にある、上側から押しつけられた手形はまことに不自然だ。被害者とどういう位置関係になったら、犯行時にこういう右手の手形がつくのか。
どうしてこんな簡単な「証拠捏造」を一審裁判官(1968/9:死刑判決)も、東京高裁控訴審(1976/5:控訴棄却)も気づかず、最高裁の上告棄却(1980/11)にまで至ったのであろうか?
判事にきちんとした「証拠認定能力」があれば、別にDNA鑑定の時代まで待たなくても、一審判決を覆す機会は何度でもあった。
なぜそうならなかったのか?これが疑問の第一。
2.検察側は1967年9月13日(端切れが発見された翌日)、第17回公判で、「血染めのパジャマ」を犯行衣とする冒頭陳述の変更と「着衣五点セット」の証拠調べを申請している。
およそ起訴というものは、公判維持するに堪える、十分な証拠を固めてから行うものだと思うが、とりあえず起訴しておいて、公判になってからあくまで有罪とするための証拠を集めて出すという審理が許されるのか?これだと「見込み捜査」を助長するだけではないか? これが第2の疑問。
3. 4人が殺され、自宅が放火され、金が盗まれたという事件で、袴田元死刑囚が犯人でなければ真犯人が別にいるに決まっている。それは誰なのか?
思想事件がらみの冤罪なら大きく扱うのに、なぜメディはこの事件の問題点を分かりやすく報道しないのか?
元死刑囚の血液型がB型と書いているのは2紙だけだった。「半袖シャツの右肩の血痕」から検出されたとある。ABO式型物質は単純な糖鎖だから、植物にもある。衣類は味噌の中に1年以上浸けられていたので、ひょっとするとB型物質はそれがしみ込んだものか?と思ったが、味噌の種類まで書いた新聞はなかった。
1960年代というと「血液型万能主義」の東大古畑種基教授の著書、
「法医学の話」(岩波新書, 1958)、
「血液型の話」(岩波新書, 1962)
がまだはばを効かせていて、その誤鑑定の問題はまだ表に出ていなかった。恐らく当時の裁判官は「血液型が被告のものと一致」というところで、検察の主張を信じこんだのであろうが、裁判官が科学に対する正しい知識をもつことは、きわめて重要だ。
DNA検査も決して万能ではない。あくまでジグソーパズルのひとつとして、全体が腑に落ちる公判をしないと、やはり冤罪事件は再発するだろう。
この事件についての新聞(毎日、中国、産経)3紙の報道を読んだが、事件の概要と静岡地裁一審判決(1968年)の問題点がさっぱり読めない。おまけに何面にも亘って断片的な記事が散らばっているから、読むのが大変だ。こういう場合、読者の便宜を考えて面をまとめてほしいものだ。
主な疑問は以下の3点だ。
1. 事件発生は6月30日(味噌会社の専務一家5人のうち、離れで寝ていた長女以外の4人が刃物で殺され焼死体となって発見された)で、
7月4日、警察が工場とその従業員寮を家宅捜査、袴田巌(元プロボクサー)の部屋から微量の血痕がついたパジャマを押収。
8月18日、袴田を「強盗殺人、放火、窃盗」容疑で逮捕、
9月9日、静岡地検が起訴、
11月15日、静岡地裁第1回公判
この時検察側は、「血染めのパジャマ」を犯行時の着衣と主張し、血痕がB型であることを「犯人である証拠」としていた。
ところが取り調べ段階では「自白」していた被告は裁判になると全面否認した。
このため裁判は暗礁に乗り上げたが、67年8月31日、従業員が味噌を搬出中に、工場内の「味噌のタンク」のなかから、布袋に入った「着衣5点セット(長袖スポーツ、半袖シャツ、半袖シャツ、ステテコ、パンツ、ズボン)」が味噌に漬かった状態で発見された。さらに9月12日、捜査により、袴田の実家からズボンの布地の端切れが発見された。
このうち「血痕のある半袖シャツ」の写真が公開されている。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/photos/140327/trl14032722240011-p1.htm
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/69/fe/3037debd9ba50f8dfb638242a5878915_s.jpg)
右袖に黒く凝固した血痕が付着しており、ここからは容疑者と同じB型血液型が検出されている。前胸部に三つの血染めの手形があるが、これは非B型だそうで、被害者のものだという。
が、この左胸の血痕部分を拡大してよく見ればわかるように、血のついた掌を押しつけて作成されたものだ。取っ組み合いでついたものなら、跡がかすれていなければいけない。それに掌と指の間に布地のヒダがあって、ここでは指跡が途絶えている。このシャツを実際に着用していて、被害者がつかみかかった際にできたものとすれば、ヒダ部分は掌にたくし込まれるから、ここも血染めになるはず。これはシワになってままのシャツに、血染めの手形を押しつけたために生じたもの、と考えるのが妥当だろう。
ことに左胸上にある、上側から押しつけられた手形はまことに不自然だ。被害者とどういう位置関係になったら、犯行時にこういう右手の手形がつくのか。
どうしてこんな簡単な「証拠捏造」を一審裁判官(1968/9:死刑判決)も、東京高裁控訴審(1976/5:控訴棄却)も気づかず、最高裁の上告棄却(1980/11)にまで至ったのであろうか?
判事にきちんとした「証拠認定能力」があれば、別にDNA鑑定の時代まで待たなくても、一審判決を覆す機会は何度でもあった。
なぜそうならなかったのか?これが疑問の第一。
2.検察側は1967年9月13日(端切れが発見された翌日)、第17回公判で、「血染めのパジャマ」を犯行衣とする冒頭陳述の変更と「着衣五点セット」の証拠調べを申請している。
およそ起訴というものは、公判維持するに堪える、十分な証拠を固めてから行うものだと思うが、とりあえず起訴しておいて、公判になってからあくまで有罪とするための証拠を集めて出すという審理が許されるのか?これだと「見込み捜査」を助長するだけではないか? これが第2の疑問。
3. 4人が殺され、自宅が放火され、金が盗まれたという事件で、袴田元死刑囚が犯人でなければ真犯人が別にいるに決まっている。それは誰なのか?
思想事件がらみの冤罪なら大きく扱うのに、なぜメディはこの事件の問題点を分かりやすく報道しないのか?
元死刑囚の血液型がB型と書いているのは2紙だけだった。「半袖シャツの右肩の血痕」から検出されたとある。ABO式型物質は単純な糖鎖だから、植物にもある。衣類は味噌の中に1年以上浸けられていたので、ひょっとするとB型物質はそれがしみ込んだものか?と思ったが、味噌の種類まで書いた新聞はなかった。
1960年代というと「血液型万能主義」の東大古畑種基教授の著書、
「法医学の話」(岩波新書, 1958)、
「血液型の話」(岩波新書, 1962)
がまだはばを効かせていて、その誤鑑定の問題はまだ表に出ていなかった。恐らく当時の裁判官は「血液型が被告のものと一致」というところで、検察の主張を信じこんだのであろうが、裁判官が科学に対する正しい知識をもつことは、きわめて重要だ。
DNA検査も決して万能ではない。あくまでジグソーパズルのひとつとして、全体が腑に落ちる公判をしないと、やはり冤罪事件は再発するだろう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます