【反証可能性】ジョロウグモが夜を過ごす姿勢は、一種類でないことがわかった。
<それで夜、仕事場に戻る途中にまた観察した。肉眼ではよく見えないので、勝手口の電灯を背景にシルエットを望遠撮影した。撮影した画像をよく見ると、頭が見えず、腹部が曲がって下に垂れているのがわかる。太い脚は第1肢である。つまり午後11時には、「霜よけ」体勢に入っている。(添付5)>
と前便で書きました。(再添付1)![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/77/5a/3339c5106fbf9ff3382a72a5f2c422d0_s.jpg)
念のため最終的に母屋に帰る時に、LEDランプを当ててて再撮影しました。ちとバッテリーが弱くなっており、ISOを3000に上げたのですが、それでも光量不足でした。少しブレがあります。(添付2)
何だか後の2本脚で糸をつかみ、頭を下げているようです。
12/6、金曜日の朝みると、同じクモは横からみるとこんな姿勢でいました。(添付3)![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/39/45/2fed6101f28a36dd31c1c3ba4182ec07_s.jpg)
背中を上に、赤い模様のある腹を下にしており、頭胸部が腹節の部分で直角に折れ曲がっています。ネットを保持しているのは、後の2対の脚で、前の2対は空中に浮遊しています。その分だけ、後の脚に体重がかかるので、糸が極端にたわんでいます。胴体の縁と頭胸部の背面に溶けかかった霜による水滴が目立ちます。
それで昼間14時頃、また観察すると、今度は頭がちゃんと下を向いていて、腹をネットの側に向けています。(添付4)![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/7e/82/d825c1136b8898bb549913ce1b35e33e_s.jpg)
12/5の朝は、頭=尻という体軸は曲げないで、2本の後脚によりネットにぶら下がっていたのですが、今朝は頭=尻という体軸を頭胸部・腹部間で腹側に折り曲げ、かつ背中をネットに向けた姿勢になっており、両者に明らかな違いがあります。つまり、日によって姿勢が変わるということです。
これがクモの「意思」によるランダムな動きなのか、あるいはどちらをネット側に向けるか、それを決定する外部要因があるのか、わかりません。ともかく、「1例観察」で帰納的に一般化をしてはいけないことを学びました。この分では、まだ当分、観察を続ける必要がありそうです。
医学も同じで「最初の1例報告」が、本当に中核的な病変を把握しているかどうか、つねに問題があります。報告症例数を重ねないと、はっきりしたことはいえないのです。
権威のある人が言ったから正しいのではなく、個別データと臨床研究の積み重ねにより、真実に近づくのです。
科学的仮説で重要なことは、「反証可能性(refutability)」を含んでいることです。反証可能性とは、その仮説ないし理論は、「どのような事実が出てきたら、誤りと証明できるか」ということを内部に含んでいるか、または理論的に演繹できるということです。
この前、大学で買った文庫本を整理していて、アリス・アンブローズ編「ウィトゲンシュタインの講義」、講談社学術文庫, 2013/10刊 が含まれているのを見つけました。彼の著書はバートランド・ラッセルが長い序文を書いた「論理哲学論考」だけで、著書を残さなかった言語学者のソシュールよりはマシですが、1931~35年にケンブリッジ大学で行われた、彼の講義の筆記ノートを元におこした「講義録」というのは、貴重なものです。
訳者は日本の論理学、論理哲学ではトップクラスの野矢茂樹。
余談ですが、この本は文庫なのに定価が1,500円。しかし決して高くない。546頁もあり、詳細な訳注と索引が52頁もある。「文庫版あとがき」を読むと、岩波文庫にある「四苦八苦」の訳ではなく、余裕をもって冗談をまじえながら訳している。索引の人名をみると、カタカナに英語綴りが並記されている。
「こういう手もあったな」と参考になりました。いま書いている本はこの手で行きましょう。
「反証可能性」ということは、科学哲学者のカール・ポパーが「科学的発見の論理」で、科学理論ないし仮説のもっとも重要な要件として提唱したものだ。野矢はウィトゲンシュタインの著作にアインシュタインのそれと並んで、もっとも多く言及している。
<それで夜、仕事場に戻る途中にまた観察した。肉眼ではよく見えないので、勝手口の電灯を背景にシルエットを望遠撮影した。撮影した画像をよく見ると、頭が見えず、腹部が曲がって下に垂れているのがわかる。太い脚は第1肢である。つまり午後11時には、「霜よけ」体勢に入っている。(添付5)>
と前便で書きました。(再添付1)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/77/5a/3339c5106fbf9ff3382a72a5f2c422d0_s.jpg)
念のため最終的に母屋に帰る時に、LEDランプを当ててて再撮影しました。ちとバッテリーが弱くなっており、ISOを3000に上げたのですが、それでも光量不足でした。少しブレがあります。(添付2)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6b/24/4907908732129653f2887b575bae372e_s.jpg)
12/6、金曜日の朝みると、同じクモは横からみるとこんな姿勢でいました。(添付3)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/39/45/2fed6101f28a36dd31c1c3ba4182ec07_s.jpg)
背中を上に、赤い模様のある腹を下にしており、頭胸部が腹節の部分で直角に折れ曲がっています。ネットを保持しているのは、後の2対の脚で、前の2対は空中に浮遊しています。その分だけ、後の脚に体重がかかるので、糸が極端にたわんでいます。胴体の縁と頭胸部の背面に溶けかかった霜による水滴が目立ちます。
それで昼間14時頃、また観察すると、今度は頭がちゃんと下を向いていて、腹をネットの側に向けています。(添付4)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/7e/82/d825c1136b8898bb549913ce1b35e33e_s.jpg)
12/5の朝は、頭=尻という体軸は曲げないで、2本の後脚によりネットにぶら下がっていたのですが、今朝は頭=尻という体軸を頭胸部・腹部間で腹側に折り曲げ、かつ背中をネットに向けた姿勢になっており、両者に明らかな違いがあります。つまり、日によって姿勢が変わるということです。
これがクモの「意思」によるランダムな動きなのか、あるいはどちらをネット側に向けるか、それを決定する外部要因があるのか、わかりません。ともかく、「1例観察」で帰納的に一般化をしてはいけないことを学びました。この分では、まだ当分、観察を続ける必要がありそうです。
医学も同じで「最初の1例報告」が、本当に中核的な病変を把握しているかどうか、つねに問題があります。報告症例数を重ねないと、はっきりしたことはいえないのです。
権威のある人が言ったから正しいのではなく、個別データと臨床研究の積み重ねにより、真実に近づくのです。
科学的仮説で重要なことは、「反証可能性(refutability)」を含んでいることです。反証可能性とは、その仮説ないし理論は、「どのような事実が出てきたら、誤りと証明できるか」ということを内部に含んでいるか、または理論的に演繹できるということです。
この前、大学で買った文庫本を整理していて、アリス・アンブローズ編「ウィトゲンシュタインの講義」、講談社学術文庫, 2013/10刊 が含まれているのを見つけました。彼の著書はバートランド・ラッセルが長い序文を書いた「論理哲学論考」だけで、著書を残さなかった言語学者のソシュールよりはマシですが、1931~35年にケンブリッジ大学で行われた、彼の講義の筆記ノートを元におこした「講義録」というのは、貴重なものです。
訳者は日本の論理学、論理哲学ではトップクラスの野矢茂樹。
余談ですが、この本は文庫なのに定価が1,500円。しかし決して高くない。546頁もあり、詳細な訳注と索引が52頁もある。「文庫版あとがき」を読むと、岩波文庫にある「四苦八苦」の訳ではなく、余裕をもって冗談をまじえながら訳している。索引の人名をみると、カタカナに英語綴りが並記されている。
「こういう手もあったな」と参考になりました。いま書いている本はこの手で行きましょう。
「反証可能性」ということは、科学哲学者のカール・ポパーが「科学的発見の論理」で、科学理論ないし仮説のもっとも重要な要件として提唱したものだ。野矢はウィトゲンシュタインの著作にアインシュタインのそれと並んで、もっとも多く言及している。
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