ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【稲生妖怪・その後】難波先生より

2017-09-11 22:09:18 | 難波紘二先生
【稲生妖怪・その後】8/2「中国」県北版に、三次市が「妖怪博物館」を建設し、来春にオープンするという記事が載ったのに驚いた。そこで8/14鹿鳴荘便りで、「稲生物怪」の正体についての全面的懐疑論を展開した。

 その後、8月中旬から同市で博物館の建設中断を求める市民運動が起こったようで、山中千鶴子代表(83)ら市民団体11人が、同市の市会議長に有権者の約15%にあたる6752名の反対署名と博物館中断の陳述書を提出したと、9/7同紙が報じた。三次市の有権者数は4万5,105人だから1/3の15,035人(あと8,283人)が応じれば、現市長のリコールが成立する。いざとなればそういう「老人パワー」を発揮できなければ、高齢化が進む備後地区の町おこしなどおぼつかないだろう。
 翌9/9「中国」県北版に続報が載っているが、各種団体が意見交換する「市民委員会」が7日夜に開かれ、「妖怪博物館建設中断・見直し」という署名活動についても「市民への周知がなっていないからこうなる」という容認的な発言があったとしている。来年1月に「魅力ある観光」「文化の伝承・発信」「魅力ある施設・その他」の3テーマについて市に提言するという。事実なら来春の博物館オープンは、御破算になったも同然だろう。

 三次稲生家で起こった怪事件の物証とされているのが、最後の晩に妖怪「山本五郎左衛門」が妖怪の証しとして残して行ったとされる「木槌」である。頭の部分が3寸(約18cm)、柄の長さが1尺(約30cm)で、元三次・妙栄寺にあったが、後に広島の国前寺に移されたという。妖怪が証拠に残したこの木槌を発見して、科学鑑定するがよいだろう。
 炭素の同位元素量を量るC14法では年代が新しくて無理だが、「年輪年代学」を応用した手法を用いれば、木槌の木が伐採された年を割り出すことができる。これを作る動機があったのは、当事者の稲生平太郎だけだから、作られたのは平太郎生存中のことという結果が出るだろう。「自作自演」は稲生物怪録の特徴である。


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