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ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【村の医者】難波先生より

2013-11-23 09:59:54 | 難波紘二先生
【村の医者】秋田県に上小阿仁村というところがある。八郎潟の東にある秋田杉の山地の谷間だ。(添付1)

 人口3000人ほどのその村に医者が居つかないで困っているそうだ。人口はわが町と同じサイズだが、わが町には既存の診療所が2つある上に、今年の6月には新規開業があって、質はさておいて、医者には不自由していない。むしろ過当競争だろう。


 何でこの村に医者が居つかないのか、「ニュース・ポストセブン」がレポートしている。
 http://www.news-postseven.com/archives/20121125_156661.html


 昔、大学院生の頃、「孤島の太陽」という映画を観たことがある。デートによく映画を見に行ったから、その時に見たのだと思う。公開は1968年9月とある。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/孤島の太陽
 「沖ノ島」という島が高知県の足摺岬の西にあって、そこで働く保健婦が樫山文枝(NHK朝ドラ「おはなはん」の主役)、それに協力する獣医が宇野重吉だった。人間だって「獣」だから、獣医も医師なのだが、免許制度が違う。


 戦後の過渡期が終り、人間の医師免許の取得に失敗した宇野は島を去らなくてはならなくなる。その時に彼がいうセリフが印象的だった。
 「わしはニセ医者だ…」


 われわれ医学生は、その頃、「インターン制度」ボイコット、「国家試験受験拒否」という運動を行い、「無給インターン制度」廃止運動を行い、そのために医師免許取得拒否を運動として行っていた。それでいて、無免許のままアルバイト診療をしていたから、立派な「ニセ医者」だった。


 ただ当時の厚生省との力関係において、誰一人「医師法違反」で摘発されたものはいない。
 その経験があるだけに、ホンモノの医者以上に、「フィラリア症」についての診断技術も予防・治療法も心得ている、宇野重吉扮する獣医のセリフに心を打たれた。


 原作は戦記物に名を残す伊藤桂一の「沖ノ島よ、私の愛と献身を」(講談社, 1967) で、これも本を買って読んだ。新婚旅行には、四国を車で一周したが、足摺岬の次ぎに、「沖ノ島」が見える岬の突端まで行った。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/沖の島_(高知県)


 1月の初めだったが、宿毛まで行ったら大雪になり、宿毛街道が通行不能になり、海沿いの道を宇和島まで走った。しかし法華津峠も通れず、結局、八幡浜まで走り夜昼峠を越えて、松山まで帰り着いた記憶がある。
 途中で「おはなはん」の舞台、大洲を通過した。


 逆説的な表現になるが、医者の中で、もっとも医者らしい、患者に愛され信頼される医者は「ニセ医者」である。摘発されなければわかりようがないが、過去に摘発されたニセ医者の経歴を見ると、衛生兵だったとか、獣医だったとか、臨床検査技師だったとかが多くて、まったくの素人というのは少ない。多くは「名医」としてとおっていた。


 ではなぜ、ニセ医者がホンモノ以上に「名医」として通用するのか?
 喩えれば「ニューハーフ」がホンモノの女以上に女らしいのと同様である。
 ホンモノの女は生物学的に女であるから、それにあぐらをかいたところがあるが、ニセ者の女は負い目があるから、よく研究してホンモノ以上に女らしく見せようと努力するのである。そのことは、歌舞伎の女形を見ればよくわかる。


 小阿仁村もホンモノの医者が来てくれないのなら、いっそのこと「ニセ医者募集」とでもやったらどうか…。もちろん駐在さんもグルでね。
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