【瀬戸の渦潮】
11/1(日)に「広島ペンクラブ」の秋の旅行で、村上水軍の資料と瀬戸の渦潮の見物に行ってきた。大島にある「村上水軍博物館」は和田竜の小説「村上水軍の娘」以来、人気が高くなっているようだ。和田の小説の元になった山内譲「瀬戸内の海賊:村上武吉の戦い」(新潮選書)ともに、私は未読だ。
博物館を見物し、すぐそばの船着き場から高速遊覧船に乗って、実際の渦潮見物して、そのすごさがわかった。
瀬戸内海はもともと陸地だった。今の瀬戸内海は鳴門海峡、関門海峡、豊後水道の3箇所で外界につながっている。これは氷河期が終わった時に、ジブラルタル海峡が崩れて、地中海が出来たのと同様に、この3箇所が崩れて海水が進入したために出来た内海だと理解している。瀬戸内沿岸で貝塚遺跡がほとんど見つからないのは、すべて海底にあるからだ。
もともと海底が浅いから、凹凸のある場所では干満の交代に伴ってはげしい渦潮が生じる。
「鳴戸の渦潮」は淡路島と徳島の間に生じるし、伊予の大島と今治の間の「来島海峡」にも生じる。関門海峡にも生じるのであろう。大島の東側では典型的な渦潮が認められた。(Fig.1)
(Fig.1:海底から渦が湧いて来る)
これを見ただけでは、どうしてこんな渦が海底から湧いてくるのかわからなかったが、大島にすぐ接した能島(のしま)の端に島の裾があり、そこを海水が激流となって乗り越えるところをみて、得心がいった。(Fig.2)
(Fig.2:島影の海面に段差が出来て渦を巻いている。)
能島は小さな小島だが北側に入り江が二つあり、これを「舟隠し」場として島全体が海賊の城になっていた。写真奥の段丘は人工的に作られたもので、ここに城郭があった。
https://www.google.co.jp/maps/@34.1831639,133.0819862,634m/data=!3m1!1e3
不正三角形をした島の三隅は突き出していて、ここに日に4回の潮目変わりに、写真のような白波が形成されることは、Google Earthの航空写真からもわかる。
航空写真を見るかぎり、一番狭い関門海峡と豊後水道(愛媛県佐多岬と大分県佐賀関半島の間)の島々にはこういう白波が認められないので、伊予大島のあたりの水面下が浅くて、地形が独特なのであろう。
大三島にある「大山祇神社」の博物館には昭和天皇の「研究御用船」だけでなく、瀬戸内海の動植物や岩石の標本も陳列してある。その岩石をみると、「かんかん石」と呼ばれた、叩くと金属性の音を発する黒い「サヌカイト」という石が陳列してあった。黒曜石に似ているが、ガラス質の光沢はない。
瀬戸内海の地質については、
http://www.sanukite.com/sanukite/about-sanukite/post.html
を見ると、「約8000万年前に形成された白亜紀の花崗岩の上に、約1300万年前に瀬戸内地域の火山活動が激化して、噴出した特異な火山岩がサヌカイト」だとある。
<噴火当時、溶岩流は谷や低地を埋めて流れ冷え固まったと思われますが、溶岩は花崗岩に比ペ風化侵食に強いため、その後の地盤の隆起にともなう風化侵食により、周囲の高いところを作っていた花崗岩が選択的に侵食きれ、溶岩が台地や尾根などの高い箇所を構成するようになったと考えられます。>
とあるので、島々の尾根や海底には海水の浸食に強いサヌカイト層があり、これが残っているために狭い海域では潮の満ち引きに伴い、「渦潮」が発生するのであろう。
それは分かったが、では瀬戸内海の火山噴火は、いつどこで起こったのであろうか?
手元の斎藤靖二『日本列島の生い立ちを読む』(岩波書店, 2007/8)には記載がないので、ネットで調べ山口大のHPを見つけた。
http://volcano.instr.yamaguchi-u.ac.jp/seto.html
もともと西日本を構成する九州、四国、中国地方・近畿・東海地方の三つの地塊は一つの地塊で、朝鮮半島の東部と沿海州の大陸に付着していた。これが約2000万年前に切り離され、時計回りに45度回転して現在の西南日本の位置に来た。その後で四国が本州から切り離された。
この時に活動したのが「瀬戸内火山帯」で、これがマグネシウムに富むサヌカイトの分布と一致しているそうだ。(Fig.3)
(Fig.3:瀬戸内火山帯の位置、上記HPより引用)
この火山帯は「中央構造線」に沿っている。四国山脈の恐らく北側にあったのではなかろうか。
これで「瀬戸の渦潮」が発生する理由はおよそ理解できたが、この話と「来島海峡」近辺の水先案内人が生まれ、それが海賊となり「水軍」となって能島城を構え、大島、大三島に一大勢力を張る話とは時代も、社会経済的な事情も異なる。
それにしても「地質・岩石学」の日本語学術用語には手こずる。日本地質学会編『地質学用語集(和英/英和)』(共立出版, 2004/9)を見ると、
岩相=Lithofacies (地層断面のかたち・性質)
層理=Bedding (地層の境目)
葉理=Lamination(一つの地層の中にある薄い縞模様)
など、特殊な用語が多く、英語名がLitho=石、Facies=顔、Lamina=板、葉などラテン語を基盤としており理解しやすいのに対して、ちょっと難解すぎると思った。
11/1(日)に「広島ペンクラブ」の秋の旅行で、村上水軍の資料と瀬戸の渦潮の見物に行ってきた。大島にある「村上水軍博物館」は和田竜の小説「村上水軍の娘」以来、人気が高くなっているようだ。和田の小説の元になった山内譲「瀬戸内の海賊:村上武吉の戦い」(新潮選書)ともに、私は未読だ。
博物館を見物し、すぐそばの船着き場から高速遊覧船に乗って、実際の渦潮見物して、そのすごさがわかった。
瀬戸内海はもともと陸地だった。今の瀬戸内海は鳴門海峡、関門海峡、豊後水道の3箇所で外界につながっている。これは氷河期が終わった時に、ジブラルタル海峡が崩れて、地中海が出来たのと同様に、この3箇所が崩れて海水が進入したために出来た内海だと理解している。瀬戸内沿岸で貝塚遺跡がほとんど見つからないのは、すべて海底にあるからだ。
もともと海底が浅いから、凹凸のある場所では干満の交代に伴ってはげしい渦潮が生じる。
「鳴戸の渦潮」は淡路島と徳島の間に生じるし、伊予の大島と今治の間の「来島海峡」にも生じる。関門海峡にも生じるのであろう。大島の東側では典型的な渦潮が認められた。(Fig.1)
(Fig.1:海底から渦が湧いて来る)
これを見ただけでは、どうしてこんな渦が海底から湧いてくるのかわからなかったが、大島にすぐ接した能島(のしま)の端に島の裾があり、そこを海水が激流となって乗り越えるところをみて、得心がいった。(Fig.2)
(Fig.2:島影の海面に段差が出来て渦を巻いている。)
能島は小さな小島だが北側に入り江が二つあり、これを「舟隠し」場として島全体が海賊の城になっていた。写真奥の段丘は人工的に作られたもので、ここに城郭があった。
https://www.google.co.jp/maps/@34.1831639,133.0819862,634m/data=!3m1!1e3
不正三角形をした島の三隅は突き出していて、ここに日に4回の潮目変わりに、写真のような白波が形成されることは、Google Earthの航空写真からもわかる。
航空写真を見るかぎり、一番狭い関門海峡と豊後水道(愛媛県佐多岬と大分県佐賀関半島の間)の島々にはこういう白波が認められないので、伊予大島のあたりの水面下が浅くて、地形が独特なのであろう。
大三島にある「大山祇神社」の博物館には昭和天皇の「研究御用船」だけでなく、瀬戸内海の動植物や岩石の標本も陳列してある。その岩石をみると、「かんかん石」と呼ばれた、叩くと金属性の音を発する黒い「サヌカイト」という石が陳列してあった。黒曜石に似ているが、ガラス質の光沢はない。
瀬戸内海の地質については、
http://www.sanukite.com/sanukite/about-sanukite/post.html
を見ると、「約8000万年前に形成された白亜紀の花崗岩の上に、約1300万年前に瀬戸内地域の火山活動が激化して、噴出した特異な火山岩がサヌカイト」だとある。
<噴火当時、溶岩流は谷や低地を埋めて流れ冷え固まったと思われますが、溶岩は花崗岩に比ペ風化侵食に強いため、その後の地盤の隆起にともなう風化侵食により、周囲の高いところを作っていた花崗岩が選択的に侵食きれ、溶岩が台地や尾根などの高い箇所を構成するようになったと考えられます。>
とあるので、島々の尾根や海底には海水の浸食に強いサヌカイト層があり、これが残っているために狭い海域では潮の満ち引きに伴い、「渦潮」が発生するのであろう。
それは分かったが、では瀬戸内海の火山噴火は、いつどこで起こったのであろうか?
手元の斎藤靖二『日本列島の生い立ちを読む』(岩波書店, 2007/8)には記載がないので、ネットで調べ山口大のHPを見つけた。
http://volcano.instr.yamaguchi-u.ac.jp/seto.html
もともと西日本を構成する九州、四国、中国地方・近畿・東海地方の三つの地塊は一つの地塊で、朝鮮半島の東部と沿海州の大陸に付着していた。これが約2000万年前に切り離され、時計回りに45度回転して現在の西南日本の位置に来た。その後で四国が本州から切り離された。
この時に活動したのが「瀬戸内火山帯」で、これがマグネシウムに富むサヌカイトの分布と一致しているそうだ。(Fig.3)
(Fig.3:瀬戸内火山帯の位置、上記HPより引用)
この火山帯は「中央構造線」に沿っている。四国山脈の恐らく北側にあったのではなかろうか。
これで「瀬戸の渦潮」が発生する理由はおよそ理解できたが、この話と「来島海峡」近辺の水先案内人が生まれ、それが海賊となり「水軍」となって能島城を構え、大島、大三島に一大勢力を張る話とは時代も、社会経済的な事情も異なる。
それにしても「地質・岩石学」の日本語学術用語には手こずる。日本地質学会編『地質学用語集(和英/英和)』(共立出版, 2004/9)を見ると、
岩相=Lithofacies (地層断面のかたち・性質)
層理=Bedding (地層の境目)
葉理=Lamination(一つの地層の中にある薄い縞模様)
など、特殊な用語が多く、英語名がLitho=石、Facies=顔、Lamina=板、葉などラテン語を基盤としており理解しやすいのに対して、ちょっと難解すぎると思った。
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