ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【読書日記より12】難波先生より

2015-02-11 09:13:04 | 難波紘二先生
【読書日記より12】
 1)モンゴメリー・ワット:『ムハンマド:預言者と政治家』(みすず書房, 1970)
 イスラム学における腐朽の名著という名があるが、未読だった。書棚から引っぱり出して、邦訳コーランと英語・アラビア語辞書を並べて読み始めた。
 ワットはスコットランド生まれで、エジンバラ大神学部教授で、イスラム史研究に科学的分析法を導入した人である。
 「最初期のモハメッドの教説は、どのようものであったか?」
 は重要な問題だが、コーランの章・節は年代順に配列されていないから、最初期の文言をコーランから見つけ出す必要がある。そのために彼が採用した方法は、
1)先行研究者であるネルデケとベルの双方が「初期章句」と見なしたもののうち、
2)敵対者からの批判に答えた内容をもつものは、除外する。
という2条件を満足する章句を選び、主題別に分類した。
 
 すると以下の5つの主題が浮かび上がるという。
1. 神の恩寵と権能=
 面白いのは、モハメッドは人間が神により「一滴の精子から凝血(胎児)を経て母の体内で作られる」という発生過程に神の最大の御わざを認めていることだ。
2. 終末の日に最後の審判があり、そのために死者は復活する。=
 面白いのは、神により右手に帳簿を渡されたものはこの世に戻れ、背中に帳簿を負わされたものは永遠の劫火に焼かれるという発想だ。これはモハメッドの住んでいたメッカが商業都市であったところから来ている。
3. 神への感謝と礼拝=
 信者は神に感謝し、感謝の心を礼拝という行為により公的に表明しなければならない。「神に感謝しないもの」は礼拝をしないから、「感謝しないもの」を意味する「カーフィル(Karfir)」という言葉は後に「不信心者」を意味するようになった。
 集団礼拝と特異な祈祷形式は当初からイスラム教の特徴であったとする。
 4.慈善と一夫多妻主義=
 孤児をいじめるな、乞食の物乞いの邪魔をするな、金持ちは施しをなせ、という教説は初期からみられる。征服戦争が相継ぎ、多数の死者が出た。その社会的救済が大問題となった。そこで孤児を助け、寡婦を妻として娶ることが許容された。これはマホメッドの「4人までは妻を持ってよい」という言葉が、後に「イスラム法」の中に組み込まれたものだという。
 「イスラム法」というのは、宗教法、刑法、民法、商法などがごちゃまぜに「慣習法」に組み込まれているもので、イスラム教徒が従わなければならない「スンナ(共同体慣習)」の本体である。
  5.マホメットの使命=
 初期の「神の啓示」に「起きて、警告せよ」というのがあることを指摘し、最初は神のメッセージが信者にとって伝え手よりも重要であったが、やがて信者グループが形成されると「伝え手」が指導者の地位につき「預言者」と呼ばれるようになった。
 アラブ社会は個人の家族が血縁により集合した「氏族(Clan)」、氏族が集合した「部族(Tribe)」から成り立っている。
 後にマホメットが信者を率いてメディナに遷都した際に、この町では二つの派閥が争っていた。預言者は非血縁者からなる宗教グループを率いていた故に、両派から不偏不党とみなされ、調停者として機能することが可能となった。
 …とまあ、こんな感じで冒頭50ページほど読んだら「初期イスラーム教」がなんとなく腑に落ちた。

 それにしても「アラビア語/英語・絵入り辞書」を見ると、実に多くのアラビア語が英語や日本語に入っている。特に鉱物に多い。クワルツ(水晶)、マイカ、マラカイト、グラファイト、ニッケル、アルミニウム、ジンク(亜鉛)、プラチナ。動物にも結構ある。ただアラビア文字は読めないから閉口する。
 2)バーナード・ルイス:『アラブの歴史』(みすず書房、1967/11)
 原著はBernard Lewis: ”Arabs in History, 4th ed.”(1966, Oxford UP)。マホメッド登場以前のアラビア半島の民族、社会、宗教の状態の記述から始まり、教祖にして政治家マホメッドの事跡と彼の死後のイスラム帝国の拡張とヨーロッパとの交渉、産業革命を経験したヨーロッパの発展拡張に対して、アラブ国家が衰亡の一途をたどり、植民地にされてしまうまでの歴史が、実証史学の方法を用いて、手堅く記述してあり、中東・アフリカの植民地が独立する1960年代までを扱う。
 索引は日本語、アラビア語のカタカナ、英語が併記してあり便利。年表もある。参考文献は編集部の手抜きで、60年当時の英語本がコピーしてあるだけ。2000年再版時には英語本の邦訳もいろいろ出ていたはずなのに…。

 以後、55年が経っているわけだが、大枠の説明は今回読み返してみても、古くなっていない。
ただ第一次大戦以後、第二次大戦にいたる戦争期、戦間期におけるアラブ世界の記述は不完全で、第一次大戦後のオスマン帝国の中東領土の分割を取り決めた英仏「サイクス・ピコ協定」や、大戦中にオスマンからのアラブ独立運動を扇動した(反オスマン運動を仕掛けた)「アラビアのロレンス」の話が全く出て来ない。英国陸軍のトマス E.ロレンス大佐は「砂漠の叛乱」、「智恵の七柱」という著作でも有名なのに…。
 
 面白いのは「マホメッドは文盲で、聖書を読んでいない。旧約、新約の聖書知識や旧約外典の知識は、ユダヤ教徒やキリスト教徒の商人から聞いた話に依拠している」という指摘があることだ(p.39)。
 私は、これはあり得ることだと思う。哲学の元祖みたいな扱いを受けているソクラテスも、自筆の原稿を残していないだけでなく、読書に関するエピソードは、「いま読んだところを、もう一度読んでくれたまえ」という話だけだ。(プラトン『カルミデス』)つまり彼も文盲だった。
 アウグスティヌスが、ミラノに出てきた時、ミラノ司教アンブロシウスが「黙読の技術」で本を読むのに驚いている。(アウグスティヌス『告白』)
 「黙読の技術」の歴史についての本がないが、恐らく4世紀に北イタリアで始まり、それからカトリック教会に広まり、やがてアラブ世界にも波及したのだと思う。

 <付記>その後、ロジェ・シャルティエ他編『読むことの歴史:ヨーロッパ読書史』(大修館, 2000)に目を通したが、古代ギリシアの書物には単語の「わかち書き」がなく、「,」「.」もなかったから、黙読はまず不可能で、図書館ができて複数の人間が同時に書物を読むという段階で「声を最小にして読み上げる」という読書法が出現したという。
 古代アテネで最初に図書館を設置したのはアリストテレスの学園「リュケイオン」である。エジプトのアレクサンドリア図書館は、アリストテレスの高弟が招かれて初代の図書館長になって設立されたものだ。音読の普及はやはり中世修道院でのスコラ学に始まるようだ。
 この本は世界一流の文献学者が分担執筆し、フランス語で「Histoire de la Lecture」というタイトルで出されたものだが、アウグスティヌス『告白(上)』(岩波文庫)、第6巻第3章(p.168)にある、アンブロシウスが黙読で本を読んでいるのを見て仰天するエピソードがまったく引用されていない。明らかに彼らの学問には欠落がある。
 こうしてみると、いわゆる「アナール派」の「読書史」学というのも、大した学問でない。

 ルーマニアというちっぽけな国が生んだ偉大な比較宗教学者ミルチア・エリアーデは、『世界宗教史5(ムハンマドから宗教改革まで上)』(ちくま学芸文庫, 2000)で、第33章「ムハンマドと イスラームの展開」を記述している。
 「宗教の歴史あるいは全歴史を通じて、ムハンマドの業績に匹敵する事例は見あたらない。メッカ征服やイスラーム神政国家の創設は、この預言者(ムハンマド)の政治的天才が、その宗教的天才にいささかもひけをとるものではなかったことを示している」(p.135)とまで書いている。
 政治的天才と軍事的天才の結合は、信長やナポレオンに見ることができるが、宗教的天才と政治的天才の体現者は、確かに世界史上マホメットしかいないだろう。
 ワットの『ムハンマド』は、多神教の物神崇拝だったアラビア半島のベドウィン族の間に、抽象的な「神(アル・ラー)」という概念を吹き込み、カーバの神殿から石の偶像を取り去り、民族統合の象徴・祈りの場として転用したマホメッドの事跡を描いている。こうして偶像崇拝を禁止し、預言者マホメットを絵に描くことすら禁忌とするイスラーム教が誕生したのである。

 そういう歴史を知ってみると、「偉大なる預言者」を風刺漫画にしたり、『悪魔の詩』というような本にしたりすると、イスラム原理主義者が激怒するのは当たり前だろう。仮に、イエスを愚弄した漫画や小説を発表したら、キリスト教徒はどう反応するだろう。
 日本では天皇家を風刺した深沢七郎の『風流夢譚』で、殺人事件が起きているではないか。

 私は病理学者だから「がん」という敵を憎めば、がんが治るとも痛みが消えるとも思っていない。がんはなぜ発生するのか、どのようにして全身に広がるのか、それらを理解することによってしか、がんの克服はできないと考える。
 同じようにISISも、研究対象として取り扱いたい思っている。
 3)ロレッタ・ナポリオーニ:『イスラム国:テロリストが国家をつくる時』(文藝春秋、2015/1)
 Amazonから届いたのでさっそく読んだ。
 ひでえ本だなあ、イスラム国賛美の本としか思えない。池上彰が2014/12付で「<過激テロ国家>という認識の思い込みの修正を迫る本」という推薦と解説の一文をよせ、帯にも「池上彰渾身の解説」とあり、彼の写真が載っているが、1/10/2015付で初版を出した文藝春秋ともども、今頃困ったと思っているのではないか。

 著者は1955年、ローマ生まれだそうで、初めNapolitanaと誤解してナポリと関係あるのかと思っていたが、Napoleoniだそうでナポレオンと関係があるかも知れない。(訳者は「ナポリオーニ」と訳しているが、イタリア名だから「ナポレオーニ」と訳さないと誤訳だ。)
 ジョンズ・ホプキンスで国際関係論・経済学の、ロンドン大で経済学の修士号をもらったとあるが、Ph.D.は持たない。友人がイタリアのテロ組織「赤い旅団」の幹部だったそうで、その支援活動に関与している。いわばシンパだ。
 最初の出版は2003/9の「Modern Jihad: Tracing the Dollars Behind the Terror Networks(現代のジハード:テロ・ネットワークの背後資金を追う)」(Pluto Pr.)

 英語アマゾンのトップレビューは、まさに私の読後感と一致している。
<It is sloppy in execution. She cites 100s of newspaper articles, with no effort to assess their accuracy or reliability. She also uses some academic papers and books, again uncritically. Her account has a breathless tonality - the activities of terrorists are reported with insufficient attention to balancing forces.>
 「スロッピー」というのは、英語では「怠惰、とんま、バカ」を意味する最大級の侮蔑語である。
 一方的に「イスラム国」を賛美するばかりで、反対意見の紹介がまったくないし、依拠している資料はほとんどが新聞記事かネット記事。121個の引用文献/原注があるが、まともな文献は以下のたった3冊しかない。
 Paul Gilbert: Terrorism, Security and Nationality. Routledge, London, 1994
 Albert Hourani: A History of the Arab Peoples. Harvard UP, 2003
Mark Kador: New and Old Wars: Organized Violence in a Global Era. Polity Pr., Malden, MA
著者が得た直接のデータは、イタリア人女性ジャーナリストの証言だけである。

 用語解説はあるが索引はない。肝心の「現代のカリフ」バクル・バクダディについては用語解説がない。(アルはアラビア語の定冠詞で、アラビア語では固有名詞にも定冠詞をつける。名前は個人識別のためのもので、私はアルを省略し「アル・バグダディ」とか「アルラー」(アラー)と書かない。)
 2012年にはナポレオーニの評伝のような批判本も出ている。
  Hardmod Carlyle Nicolao:Loretta Napoleoni. Crypt Pub. 2012

 面白い記述もあった。
 「自爆テロ願望者は殉教に憧れ、天国で72人の処女と時を過ごすことを切望する。」
 12世紀、イスマイリ派の「山の長老」がアサッシンを養成したのと同じ「楽園と美女」がジハードための洗脳に採用されていることを示唆する。

 ナポレオーニは「イスラエル建国」と「イスラーム国建国」をアナロジーでとらえているが、大きな間違いだ。論理が支離滅裂だ。
 ユダヤ人はローマ帝国によって祖国イスラエルの地から追放され(ディアスポラ)、キリスト教徒から迫害され、土地所有を禁じられ、学問と金融業しか進む道がなかったのである。
 1916年の英仏秘密条約「サイクス・ピコ協定」はフランスによるシリア支配を、英国によるイラク支配を認めていた。他方1917年の「バルフォア宣言」はユダヤ人によるパレスチナ建国を約束していた。これを餌に英仏は、ユダヤ系財閥に第一次大戦での資金協力を求めたのだ。
 ホロコーストに生き残ったユダヤ人たちが、世界中からパレスチナに集まり、実力で建国したのが現代のイスラエル国家である。これと「イスラム国」は比較にならない。

 13世紀にイスラームのカリフ制国家を倒したのは、東ではモンゴル帝国であり、西ではセルジュク族のトルコであった。つまり今のイラクを支配したのはモンゴル族であり、シリアはトルコ人により支配された。
 後にスレイマン二世のとき、オスマン・トルコはモンゴル人のイラクをも併合した。セルジュク朝もオスマン朝も、国教はイスラムである。
 民族的にはイスラム教徒は多様で、アフリカ人、エジプト人、イラン人、トルコ人、マレー人、インドネシア人が多く、むしろ純粋のアラブ人は少数派である。ユダヤ人のように迫害された歴史もなければ、学問や芸術で世界を主導し、金融で世界をコントロールするという実績もない。唯一、近代的な国民国家らしきものを建設したのは、日露戦争における日本の勝利に力をえた、ケマル・アタチュルクに指導されたトルコだけである。

 「イスラム国」はアナトリア(小アジア)南部、シリア北部、イラク北部にまたがる地域を自国の「領土」と考え、ここにスンニ派原理主義を国教とする「カリフ国家」を再現するのが目標だとしている。
 だがこれは経済活動のグローバル化(グローバリズム)による格差の拡大とIT革命が進行して情報が無料で世界中に伝達されるようになった結果生じた、一時的現象だ。
 産業革命がラダイツ(打ち壊し運動)をもたらしたように、貧者の憤懣を煽り立て、理想の国家「カリフ制」樹立をスローガンとして掲げ、すべてがシーア派である既存の57のイスラーム国家を打倒する聖戦=テロ活動に、彼ら駆りたてるものだ。
 この本は多分に「イスラム国」に同情的である。池上がなぜ「解説」を書いたのか理解に苦しむ。訳は一見平易だが、代名詞をそのまま「彼」、「彼ら」と翻訳しており、意味不明な箇所がある。訳者「村井章子」についての経歴や既翻訳書について、まったく記載がない。

 アメリカは2014年秋から、「3年計画」での「イスラーム国壊滅」の作戦を実施すると発表している。事前警告の上「戦略無差別爆撃」を首都に実施し、ついで主たる拠点都市に実施すれば、「イスラーム国」は壊滅するだろう。戦後復興を考えるなら、建造物等を破壊しない「中性子爆弾」がもっとも効果的だが、核兵器の一種だからたぶん他国の反撥がつよく、使えないだろう。
 4)島崎晋:『目からウロコの中東史』(PHP研究所, 2005/9)
 ちょっと古い本だが、書棚に積んどくになっていたのを読んでみた。入門、紛争、歴史、宗教、風俗、地理、人物の7編に分けて、51の質問に分かりやすく解答・解説したなかなか良い本である。
 索引がしっかりしており、定評のある文献54点が掲げてあり、参考書としても有用だ。アラビアのロレンスのことも、「サイクス・ピコ協定」のこともちゃんと書いてある。
 著者は1963年生まれで、出版社の編集者を勤めた後、フリーになったとある。毎年中東を取材に訪れるとか。そのせいか、この本は索引がしっかりしており、参考書も重要なものが54点掲げてある。文系のへなちょこ教授の著書より、よほど学術的である。新版が出ているかもしれないが、なければAmazon古書で一読をお奨めする。
 残念ながら、この人は「イスラム神秘主義」とイスラーム原理主義のことは詳しくないらしく、それについては書いてない。
 5)井筒俊彦:『イスラーム思想史』(中公文庫, 1991/3)
 これは基本的には思想書だから、ギリシア哲学と旧訳・新約聖書の思想を知っていないと、ちょっとむつかしい書だ。
 だが、文盲のマホメットが耳学問で旧訳・新約の思想を受けつぎ、イスラーム教を創始したこと、その死後にイスラーム帝国が出現し、そこでギリシア哲学の影響を受けて「イスラーム神学」が生まれたこと、そこにプラトン主義とアリストテレス主義が入り、プラトン主義が後にシーア派イスマイリ派に受け継がれ、異端に対するジハードの概念が生まれ、手段を選ばない「原理主義」の分派「ニザリ教団」が誕生したことを述べている。
 これが現在の「イスラーム国(ISIS)」の元祖である。
 イスラーム神秘主義はイスマイリ派の哲学だが、「忘我静観」という境地は、面白いことに「禅の極意」と同じである。キリスト教のシリア異端派「ネストリウム教」は、中国に波及して「景教」と呼ばれたくらいだから、イスラーム神秘主義と禅宗の間に関係があっても何ら不思議でない。中国から日本に輸入された仏教では禅宗が最後のもので、浄土教は日本固有のものだと私は理解している。
 6)リチャード・ベル:『コーラン入門』(ちくま学芸文庫、2003/9)
 英国エジンバラ大の神学者でコーラン研究を専門とした学者の本で、コーランの成立年代、各章の「執筆(口述)」年代やコーラン全体の構造を明らかにしているのが面白い。
 コーランが聖書から受け継いだ物語も全部解明されている。
 コーランを構成するストーリーでは「神の唯一性」と「最後の審判」がもっとも重要だが、コーランは前者を「旧約聖書」から、後者を「新約聖書」、なかでも「ヨハネ黙示録」から受け継いでいる。
 キリスト教では天国と地獄の間に、中間の「煉獄」を認める立場もあるが、これは12世紀キリスト教に生まれた概念で、7世紀のマホメッドは知る立場になかった。だからイスラーム教では二分法で、天国と地獄しなかく、灰色の中間域「煉獄」がないのである。
 この本の英語原本は1953年刊「Introduction to the Qur’an」だが、邦訳では索引の外に、原本参考文献以外に34点の参考文献が訳者により付加され、合計89点の文献が挙げられている。この本は、今日でも「コーラン」を読む際に、十分参考書として役立つであろう。

 こういう本を読むとアラビア語がしょっちゅう出てくるから、Collins’ 「Pocket Arabic Dictionary」を開いているが、元はフェニキア・アルファベットなのに、アラビア語アルファベットは「アリフ、バー、ター、ツァー、ジーム、ハー、カー、 etc.」とギリシア語アルファベットとも配列がまったく違い、この歳だもの、覚えるのに難儀する。
 せめて名詞の単数と複数の違い、定冠詞の使い方、接続詞や助詞の種類などくらいは、勉強しておきたいと思う。英語の文法書がよいか、日本語にするか目下思案中だ。
 7)国枝昌樹:『イスラム国の正体』(朝日新聞出版社, 2015/1)
 1946年生まれで、一橋大卒後に外務省に入り、中東畑を専門に外交に携わり、2006年シリア大使となり2010年に退官した人だ。私の「象牙海岸日記」(未公刊)によると、1993年2月に象牙海岸共和国の日本大使館で「国枝」という一等書記官に会っているが、その人とは別人のようだ。
 この本は、急ぐのでAmazonからキンドルにダウンロードして読んだ。非常に専門的知識が深く、かつそれを実に分かりやすく説明した、とても良い本だ。
 第1章=急速に勢力を拡大する「イスラム国」
 第2章=イスラム国の正体
 第3章=なぜ、欧米人の首を切り落とすのか?
 第4章=なぜ、世界中の若者たちを惹きつけるのか?
 第5章=際限なく続くイスラム過激派の系譜
 第6章=同時多発テロは再び起こるのか
 という章タイトルは、あたかも表層的な時事問題を論じているように思えるが(こういうタイトルは編集者が「主導で」というか「勝手に」つける)、実際は7世紀のイスラム教出現から、シーア派の誕生と「不信仰者に対するジハード」という思想の誕生、それが増幅されたものが「イスラム国」の理論の根底にあることを見事に説明している。これはイスラム思想史をきちんと踏まえ、現実の政治社会状況をきちと理解した見事な著作である。

 ことに、13世紀のダマスカスに、アハマド・イブン・タイミーヤ(1263-1328)という生涯に300冊以上の著作をおこなった「イスラム思想史上、もっとも偉大な人物」といわれるイスラム法学者が出現し、「シャーリア(イスラム法)から逸脱した<不信仰者>は<ジハード>の対象である」と宣言したことが、イスラム過激派の理論的支柱になっていることは、私がこれまで読んだ本には指摘されていなかった。
 さらに、サイイド・クトゥブ(1906-1966)という、エジプトの教育省に勤め、同時に小説家・詩人でもあった思想家がいて、この人物が「タイミーヤ理論」を現代の「革命理論」として復活・発展させ、それが「ムスリム同胞団」のイデオロギーとなり、1952年の「ナセル大統領暗殺未遂事件」を引き起こしたこと。クトゥブは1966年、死刑になったが、「クトゥブ主義」は生き残り、強化されて「アルカイダ」やその他のイスラム過激派に受け継がれたこと。
 これらが実にうまく説明され、いま現実に起こっている事態が「なるほど」と得心できるように解き明かされている。

 <「7世紀のカリフ国をいまに」という極端で勇ましい理想を掲げた、「イスラム国」はいずれは消えていくだろうが、その思想と信念を受け継いだ人たちは、アラブ世界に点在していくことだろう。そのこころを持った人たちが、社会のほころびの中で、またぽっと出てくるかもしれない。
 そのとき、どうするか。
 あえていえば、よりマシな「独裁政権」とつき合う現実的な覚悟が、当面、国際社会には必要というべきかもしれない。> 
 と述べている。つまりブッシュが「イラク戦争」でサダム・フセインという独裁政権を倒したことが、今日の中東混乱の原因だというわけだろう。
 この本は安易な「理想主義」に組みしていない。「現実主義」、リアル・ポリティクスに基づいて書かれた本だ。
 彼のインタビューはここにある。
 http://iwj.co.jp/wj/open/archives/226684
 「イスラム国」問題について、1冊だけ本を読むとしたら、私はこれをまず推薦したい。
 8)21世紀研究会編『イスラームの世界地図』(文春新書、2002)=
 これは9/11事件の後に出たもので、もう中身が古く、巻末の「アラブ過激派組織」一覧説明には「アルカイダ」までしか載っていない。ぜひ改訂新版を出してほしいものだ。
 世界規模でのイスラム教の実態とその中のシーア派過激団体の歴史と信条、それらが引き起こしている紛争が要領よく説明されており、用語解説と索引がしっかりしており、ハンディな辞書としても使える。

 米映画「キングダム・オブ・ヘブン」(2005)は十字軍の武将が、イスラエルの地でアラブの英雄サラディンと戦う物語だ。多くの十字軍映画があるなかで、これではサラディンがまともに扱われていた。
 このサラディンは、12世紀にシリア・エジプトにまたがる「アイユーブ王朝」を建国したが、彼はいま、「イスラム国」と懸命に戦っているクルド族の出身で、スンニ派のイスラム教徒だったことを、この本で初めて知った。

 クルド族の集中地域「クルディスタン(Kurdistan)」は地政学的には地中海、黒海、カスピ海に囲まれ、南からアラビア・プレートがユーラシア・プレートに衝突する場所なので、山岳地帯となっており、住民の多数は山岳遊牧民族である。「クルド(Kurd)」という名前は「強靱な」という意味だという。
 旧約聖書に出て来るノアの方舟が漂着したアララット山(5165m)は、この山岳地帯(トルコ、イラン、アルメニア)の三国国境地帯にある。このあたりは、高山と盆地が錯綜しており、ヴァン湖、サルミーエ湖などの巨大湖水もいくつかある。水が豊富で、砂漠地帯のアラビア半島とは大違いである。

 クルド族の居住地帯を見れば分かるように、ここは歴史的には「オスマン・トルコ帝国」の一部で、彼らはトルコ人と融和していた。宗教が同じくスンニ派イスラムであり、政府でも軍隊でも出世することができた。
 ところが第一次大戦終結後に、オスマン帝国が崩壊し、クルディスタンはトルコ、イラン、イラク、シリアなどに分割されてしまった。
 クルド族の人口は1500〜2000万人といわれており(日本語WIKIによれば「独自の国家を持たない世界最大の民族集団。人口は2,500万~3,000万人」)、アルメニア 310万、レバノン 414万、シリア 618万、イスラエル 745万人よりも、よほど多い。
 クルド共和国が挫折したのは、トルコの初代大統領ケマル・アタチュルクがその独立に強硬に反対したせいだが、恐らくクルド族が国民国家を形成したら、トルコにとって脅威となると考えたのではないか。

 クルドはフセインの時代には、毒ガスで多くが殺害されているし、トルコ政府からも迫害されてきた。今、彼らはシーア派原理主義の「イスラム国」に迫害されていて、彼らと苛烈な戦争を行っている。「ニューズウィーク日本語版」2/10号は、激しい戦闘の末、シリア北部のクルド族の町コバニを奪還した状況をレポートしているが、3〜4階建ての建物が並ぶ市街地は無惨ながれきの山になっている。再建には大変な費用を必要とするだろう。

 「イスラム国(ISIS)」がシリアのコバニからイラクのモスルまで、クルド族の住む町をターゲットにしているのは、彼らが国家をもたず、中央政府から十分に保護されていないことと、異教徒スンニ派イスラムであり「ジハード」であるという口実が成立するからだ。「タイミーヤ=クトゥブ理論」によれば、彼ら異教徒だから殺しても構わないのである。

 長期的な展望でみれば「クルディスタン」を独立国家として、クルド人に与え、自治政府を樹立させ、武器援助などによりここに「過激派シーア派テロ集団」に対する防波堤を築くことが必要かつ不可欠であろう。2000万人の民族が「国民国家」を持たないという例が、他にあるだろうか…。
 一国が独立するためには、すぐれた指導者の養成が欠かせない。それには教育が必要だし、素質のある若者を海外に留学させることも大切だ。日本の中東への援助は、まず大きな地政学的問題を解決することに平和的な手段で貢献することを、中心にすえるべきだろう。
 集団安保の適応だの、自衛隊の人質救出活動への出動だのと、安倍内閣の政策はいかにも近視眼的だ。
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