ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【誤算】難波先生より

2013-08-16 13:17:43 | 修復腎移植
【誤算】(本作はフィクションであり、現実の事件とは何の関係もありません。)

 「わが社の名前はファルマ・ノヴァ、<新しい薬>という意味であります。しかし、せっかく開発した新薬の免疫抑制剤が日本市場ではほとんど売れていません。この国では臓器移植が圧倒的に少ないからです。これは早急に対策を考えなければなりません」。日産のゴーン社長を思わす顔をした社長の、ドイツ語なまりのある英語スピーチを日本語通訳により聞きながら、「チャンス到来」と密かに思った。

 国民的大論争の末、1997年に制定された「臓器移植法」は、期待に反して脳死体からの臓器移植を飛躍的に増やすことには繋がらなかった。これがわが社の免疫抑制剤の売り上げが伸びなかった最大の理由だ。この法律は10年後に見直すことになっていた。間もなくその年が来る。
 翌日私は部長に会って、ある提案をした。ひらの研究部員としては、出過ぎたまねだったが、利益率の高いわが社の免疫抑制剤の売り上げを伸ばすには、これしかないと思ったのだ。浪花大学医学部では、腎移植がほとんど行われていなかった。教授が内分泌専門、4級下の助教授は腫瘍専門、腎移植専門の講師はその2級下で、しかも3人いる講師の一人でしかなかった。このままでは万年講師だ。

 私の意図を部長はすぐに汲み取ってくれた。新年度になると、社長直属のプロジェクト・チームが立ち上げられ、浪花大学医学部に対して「寄付講座」の申し入れが行われた。寄付金総額は5年間で2億5000万円だ。法務部が調べてくれて、教授予定者を指名することも違法でないことがわかった。寄付申し込みは年末になされ、翌年1月には新講座が発足した。社としては5年くらい掛けて、じっくりと自社製品の売り込みを図る予定だった。

 が、思いがけないことが起こった。その翌年秋に四国の宇和島で日本初の腎臓売買事件が摘発されたのだ。教授になったばかりのあの男は、学会の理事でもないのに、積極的に調査委員を買って出て、万波とかいう田舎くさい医者の過去の診療の不備を摘発する役回りを演じたのだ。あの男は法改正を好機と捉え、「病気腎移植」などという、うさん臭い方法を葬り去り、それで一気に臓器移植件数を増やせると考えていた。
 学者先生の世界もしょせんは知名度が左右するらしい。あの男は一挙に「正義の味方」として登場した。これはものごとの本質がわからない、メディアのおかげでもあるがね。翌年の役員選挙では理事に、ついで退任した寺谷とかいう理事長の後任に選ばれてしまった。そこまで行くタマとは思っていなかったので、わが社の幹部も驚いたらしい。

 誤算はここから始まった。2007年に成立した「改正臓器移植法」で、本人がドナーカードに署名していなくても、家族の同意があれば臓器提供が可能になったのだが、期待に反していっこうに数が増えなかった。臓器移植の件数が増えないかぎり、わが社の免疫抑制剤の売り上げも伸びない。極端にいえば、学会のように「病腎移植」を真っ向から否定しなくても、わが社としては移植件数が増えてくれればよいのだ。社内からもそういうささやきが出始めた。私への風当たりも強くなった。

 間もなく、異動になった。降圧剤の臨床試験を担当する部局へ、だ。臨床の先生方は、統計学をご存じない。まあ、診療に忙しいのだろうが、「カプラン・マイヤー法」といっても意味が通じない。そこで3000例のデータを統計処理する仕事が私に廻ってきた。ここで点数を上げないと、前の失策を取り戻せない。私としては必死にデータ処理して、わが社の降圧剤には血圧を下げるだけでなく、心筋硬塞や脳梗塞を予防する効果もあるというデータをまとめた。幸い欧米の一流誌に論文が掲載になり、先生方もご満足だった。

 その後いろいろ事情があり、会社を辞めた。その後だ、降圧剤に関する論文にデータ操作があったという報道が流れたのは。論文が一流誌に掲載されたときは、あれほど喜んでいた先生方が、手のひらを返すように自分たちの責任を否定し、「統計学などまったく素人だ」と言っているのには驚いた。ちゃんと解析法を説明したのに。
 あれはまるで、むかし和田心臓移植が告発されたときに、脳波のモニターから心電図の管理まで、すべて死んだ助手の責任にして、罪を逃れようとした医師団と同じだと思った。部長に最初の献策をしてから9年になるか。早いものだ。データ操作?そんなことはやっていないよ。不都合なデータを使用しないとか、数値を丸めるとか、そんなことは臨床医学では当たり前にやられていることだろう。それを不正といってほしくない。

 「正義の味方」にしても厚労省での記者会見では「病気腎移植」の5年生存率が悪くなるように、追跡不能例を「死亡」とカウントして「4年間で半数が死亡」と発表したのだからね。もっとも相談を受けて、「そういう計算法もある」と教えたのは私だがね。あの時は「病気腎移植を否定することで、改正臓器移植法への信頼が高まり、臓器提供が増える」と関係者はみな考えていた。目的に合うように都合のよいデータを出すのは、この国では普通に行われている。間もなく「敗戦の日」がまた来るが、戦果を過大に発表し、いつの間にかウソの数値を自分たちが信じた「大本営発表」というのも、最大の誤算だね。 
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4 コメント

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Unknown (いつの世も)
2014-05-31 01:49:37
素晴らしいです。ぜひ小説化して下さい!
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Unknown (Unknown)
2014-05-31 02:12:46
これは「底意地の悪い」文章だなぁ。
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Unknown (Unknown)
2014-05-31 06:44:44
そうですね。難波先生がお好きな、正しい「底意地悪さ」ですね。
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Unknown (Unknown)
2014-05-31 06:50:58
科学者の冷徹な目で見るという先生のお考えがよく分かります。嫌がらせしか出来ない日本移植学会の( 底意地の悪さ )とは違います。
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