【サイコパス】
古い記事を見ていて、以下の書き込みを認めた。
http://blog.goo.ne.jp/motosuke_t/e/7ce2a110de2dee5470d6c0eb1e2c92a0#comment-list
<Unknown (Mr.S):2014-12-23 12:30=
単なる妄想ではないような気がする。
2ch情報だが、小保方氏の記者会見を視聴していた複数の精神科医達は「サイコパス」と認定したというのだ。>
米語では「精神異常者」のことを「サイコパス(Psychopath)」という。Psycho=「精神」+Path=「異常」という造語法だ。昔、ヒッチコック監督の「サイコ(Psycho)」という映画があった。これは、私が知りかぎり「精神異常者」の世界を初めてまともに描いた作品だと思う。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%B3_(1960%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB)
この後すぐに、若い女を「蝶々」と同じように収集、地下室で「飼育」するサイコパスを描いたウィリアム・ワイラーの「コレクター」という映画が作られた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%BC_(1965%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB)
しかし、1970年代以後になるとアメリカでは「ポリティカル・コレクトネス(PC)」の風潮が高まり、精神障害者を「サイコパス」としてネガティブに扱うことに対する社会的タブーが広まった。B.レヴィンソンの映画「レインマン」における、サヴァン症候群の青年(ダスティン・ホフマン)の扱い方を見れば、それが明瞭だ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%B3#.E3.82.AD.E3.83.A3.E3.82.B9.E3.83.88
これもサイコパスが主人公になっている映画だ。
精神分裂病の大学教授を主人公にした映画「ビューティフル・マインド」というのもある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89
こういう人たちをひとまとめにして、俗に「サイコパス」という。
STAP事件に際して、小保方晴子にサイコパスというレッテルを貼ることで、何か真相が明らかになり、問題が解決するのなら別だが、一部の精神科医と異なり、私にはそうは思えないから「サイコパス」という決めつけは避けてきた。ただ、彼女が「精神を深いところで病んでいる。よってカウンセラーが必要だ」という意見には同意する。
「サイコパス」という言葉は、小畑峰太郎「STAP細胞に群がった悪いヤツら」(新潮社)
でも用いられている。(2014/4/9の「小保方記者会見」を見た小畑はこう書いている。)
「私は、一瞬<サイコパス>という言葉が頭に浮かんだほどだ。彼女は、心を病んでいるのではないか。私には、小保方が過剰な承認要求と自己顕示的な自己愛を持つ人間に思えてならない。…その欲求のつよさが特徴的なパーソナリティ障害の可能性がありはしないか。パーソナリティ障害の中でも演技性人格障害が顕著なのではないか。」(p.72)
「STAP事件」における小保方の役割を理解するために、私はずっと「旧石器遺跡捏造」事件における藤村新一との比較をおこなって来た。小畑のいう「演技性人格障害」という言葉は、藤村新一を評する鎌田俊昭(当時「東北旧石器文化研究所」理事長・僧侶)の口からも出る。
鎌田は最も藤村に近い人物だったので、特に藤村との共犯を疑われた。
「共犯なんてとんでもない。だいたい私たちには捏造する動機がない。ただ近くにいたのに捏造を見抜けなかっただけ。…
最初の頃は藤村が自殺すると思ったので、必死にかばった。病院も紹介し、寺にかくまったこともある。…しかし、いま思うと、自殺するようなタマじゃない。
詐欺師には<良心がとがめる奴>と<自分で思い込んでしまう奴>がいるけど、藤村は<思い込む>タイプなんだろう。…とにかく思い込みが激しい奴だった。もし本当に病気だとしたら、あれは<演技性人格障害>だよ。」(上原善広「石の虚塔」、新潮社、P.251)
ヒンクリーという若者がレーガン大統領を狙撃して、大統領護衛官が死んだ事件では、両親が記者会見し「犯行は憎むべきだが、息子は立派な成人であり、われわれ親には何の責任もない」と弁明した。アメリカ社会はそれを容認した。小保方についても、両親は責任の有無を社会に弁明すべきだろう。ヒンクリーの親と同じ弁明をするなら、私はそれを容認したい。
古い記事を見ていて、以下の書き込みを認めた。
http://blog.goo.ne.jp/motosuke_t/e/7ce2a110de2dee5470d6c0eb1e2c92a0#comment-list
<Unknown (Mr.S):2014-12-23 12:30=
単なる妄想ではないような気がする。
2ch情報だが、小保方氏の記者会見を視聴していた複数の精神科医達は「サイコパス」と認定したというのだ。>
米語では「精神異常者」のことを「サイコパス(Psychopath)」という。Psycho=「精神」+Path=「異常」という造語法だ。昔、ヒッチコック監督の「サイコ(Psycho)」という映画があった。これは、私が知りかぎり「精神異常者」の世界を初めてまともに描いた作品だと思う。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%B3_(1960%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB)
この後すぐに、若い女を「蝶々」と同じように収集、地下室で「飼育」するサイコパスを描いたウィリアム・ワイラーの「コレクター」という映画が作られた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%BC_(1965%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%98%A0%E7%94%BB)
しかし、1970年代以後になるとアメリカでは「ポリティカル・コレクトネス(PC)」の風潮が高まり、精神障害者を「サイコパス」としてネガティブに扱うことに対する社会的タブーが広まった。B.レヴィンソンの映画「レインマン」における、サヴァン症候群の青年(ダスティン・ホフマン)の扱い方を見れば、それが明瞭だ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%B3#.E3.82.AD.E3.83.A3.E3.82.B9.E3.83.88
これもサイコパスが主人公になっている映画だ。
精神分裂病の大学教授を主人公にした映画「ビューティフル・マインド」というのもある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89
こういう人たちをひとまとめにして、俗に「サイコパス」という。
STAP事件に際して、小保方晴子にサイコパスというレッテルを貼ることで、何か真相が明らかになり、問題が解決するのなら別だが、一部の精神科医と異なり、私にはそうは思えないから「サイコパス」という決めつけは避けてきた。ただ、彼女が「精神を深いところで病んでいる。よってカウンセラーが必要だ」という意見には同意する。
「サイコパス」という言葉は、小畑峰太郎「STAP細胞に群がった悪いヤツら」(新潮社)
でも用いられている。(2014/4/9の「小保方記者会見」を見た小畑はこう書いている。)
「私は、一瞬<サイコパス>という言葉が頭に浮かんだほどだ。彼女は、心を病んでいるのではないか。私には、小保方が過剰な承認要求と自己顕示的な自己愛を持つ人間に思えてならない。…その欲求のつよさが特徴的なパーソナリティ障害の可能性がありはしないか。パーソナリティ障害の中でも演技性人格障害が顕著なのではないか。」(p.72)
「STAP事件」における小保方の役割を理解するために、私はずっと「旧石器遺跡捏造」事件における藤村新一との比較をおこなって来た。小畑のいう「演技性人格障害」という言葉は、藤村新一を評する鎌田俊昭(当時「東北旧石器文化研究所」理事長・僧侶)の口からも出る。
鎌田は最も藤村に近い人物だったので、特に藤村との共犯を疑われた。
「共犯なんてとんでもない。だいたい私たちには捏造する動機がない。ただ近くにいたのに捏造を見抜けなかっただけ。…
最初の頃は藤村が自殺すると思ったので、必死にかばった。病院も紹介し、寺にかくまったこともある。…しかし、いま思うと、自殺するようなタマじゃない。
詐欺師には<良心がとがめる奴>と<自分で思い込んでしまう奴>がいるけど、藤村は<思い込む>タイプなんだろう。…とにかく思い込みが激しい奴だった。もし本当に病気だとしたら、あれは<演技性人格障害>だよ。」(上原善広「石の虚塔」、新潮社、P.251)
ヒンクリーという若者がレーガン大統領を狙撃して、大統領護衛官が死んだ事件では、両親が記者会見し「犯行は憎むべきだが、息子は立派な成人であり、われわれ親には何の責任もない」と弁明した。アメリカ社会はそれを容認した。小保方についても、両親は責任の有無を社会に弁明すべきだろう。ヒンクリーの親と同じ弁明をするなら、私はそれを容認したい。
ある程度の知能を高度なレベルに見せる術を持っているので、周囲の人々に懐疑心を持たせない。
そのために実験ノートの確認も怠らせてしまうので、似非実験はどんどんと進められていったのだ。
ハッとしました。それは小保方嬢を思い起こさせました。
笹井氏が自殺された後、後を追わないか小保方嬢の心配をしました。
理研もそれを心配して調査委員会で研究不正が確定した後、懲戒解雇処分を行う前に小保方嬢の辞職を認めたのかと思います。
その後小保方嬢が手記を出し、自己正当化し他人に罪をなすり付ける行為や笹井氏の遺族に一切挨拶がないとの状況を伺い、「後になって思うが、あれは自殺するようなタマじゃない」と感じました。
小保方晴子はまず親や姉に自身の凄さを認めさせたいんでしょう。小保方晴子の小学校中学校の宿題に親や姉が手を加えていますね。
小保方晴子が好きなことはファッション・ファンシー・ファンタジーであるにもかかわらず、家族の嗜好に合わせようと適性の無い方を目指すために演技をする必要が出てきたんでしょう。小保方晴子の親や姉が自分達に責任は無いと考えるなら、法的に責任は無くとも道義的にはやはり家族のあり方に原因があると思います。そして小保方晴子は絵を描き続けようとするでしょう。。
上村遼太君を殺害した18歳の少年も親の接し方が苛烈でしたね。年齢で責任の所在を決めるのはあまり良くない。
どんな家庭も基本は家族の嗜好に合わせようと子供を育て、子供はそれに添うように生きていくもんです。
親に好かれようとする事を悪しきこととする風潮が最近ありますが、どこぞの医学者か心理学者が宣ったことを、有難く信じてしまう一般人が悲しいですよ。
子供は親好かれようと、良い子を演じながら世間の色に染まって成長していくという、当たり前の事を批判するバカ学者が多いですな。
取材を受けたが、後のことを考えて断ったと思われます。
小さい頃からウソ&捏造に手を染めている事を熟知していたのでしょう。
スタップ論文のみならず、ネイチャープロトコルの論文、博論で小保方氏の担当部分は捏造だらけであった事は調査委員会及び指導者が認めています。
いまこそ、
小保方稔子(帝京平成大学臨床心理学専攻の教授)のコメントが必要では?
彼女自身は、自分が病んでいることに気づけないから、家族が事態の解決をはかるしかないのですが。家族が医療機関やカウンセリングに彼女が繋がるようにしないと、彼女の状態は悪化するばかりだと心配になります。
その「性格」を誰が矯正できるというのでしょう。
強引に矯正する事即ちロボトミー手術と何ら変わりないと思います。
もう彼女に対する世間の評価は定まっています。
彼女の性質を利用して何らかの稼ぎを得ようとする輩が存在するだけの話では無いでしょうか?
彼女の家族も被害者です。
心理学教授という肩書きは、人間の性格を分析出来てベストな対応をする人格者のように思いがちですが、世間の考えるようないい人ではないです。弁護士・医師・僧侶・何らかの先生は、演技性人格障害を酷く病んでいる自己中心的人物が多いです。宗教や僧侶は人の心の拠り所になるので信用しやすいですが、仕立ての良い綺麗な服を着て理想を説いている奴は疑うべきです(笑)。人間は皆、病んでいる部分があるのですが、越えてはならない線を易々と越えるか自制できるかでしょうか…。