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阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【書評など 】難波先生より

2013-11-26 12:44:52 | 難波紘二先生
【書評など 】エフロブ「買いたい新書」の書評にNo.192: 梶山季之「せどり男爵数奇譚」を取り上げました。古書の世界を扱った連作型短編小説集です。「せどり」、「ききめ」など古書業界の用語を散りばめ、この手の小説中の古典と言えるでしょう。
 http://www.frob.co.jp/kaitaishinsho/book_review.php?id=1385283979


 ぜひ一度、手にとってご覧ください。


 2)呉知泳「東学史」(東洋文庫, 1970)を読んだ。「東学」は「天道教」ともいい、19世紀末期の李氏朝鮮に起こった古来のシャーマニズムとキリスト教の影響を受けた「新興宗教」で、貧農の間に急速に広まり、農民一揆「東学党の乱」を引き起こすことで朝鮮近代史に大きな影響を与えた。


 (記載を読むと、天道教は「偶像全廃運動」を行っており、対馬で盗まれた仏像がもとあったという「浮石寺」は1873年、その拠点となっている。その住職「哲修」は教祖の思想に共鳴しているから、おおかた仏像はその頃、運動資金として売り飛ばされたのであろう。日本のメディアや「専門」学者は何をやっているのか…。)
 Cf. 金両基(監修):「図説韓国の歴史」, 河出書房新社, 1998, (p.77に寺及び仏像の写真あり)


 李氏朝鮮の「公認宗教」は朱子学を基盤とする儒教で、仏教、キリスト教などは厳しく弾圧されていたから、初代教祖「崔済愚」は「西学」(西洋の宗教・学問)と異なる「東学」と自称した。が、朝鮮政府は彼を処刑するという愚を犯した。
 新興宗教の教祖を処刑すれば、かえって信徒の団結は強化され、教祖が神格化されるのは、イエスの処刑や「日蓮宗」に対する鎌倉幕府や江戸幕府の弾圧を見れば明らかだ。だからオウムの麻原彰晃は死刑にしないほうがよいのである。


 その後、東学の徒は武装反乱を起こし、朝鮮政府がその鎮圧を清国に依頼したため、清国は「天津条約」(1885)に違反して、日本に事前通告することなく朝鮮に出兵。1894年、日清戦争が起こった。


 このように、天道教とそれが起こした持続的な武装反乱は、朝鮮近代史の重要な背景要因になっているのだが、ろくな一次資料がなく、天道教の側から書かれたものは、おそらくこの「東学史」が唯一のものだと思われる。


 刊行されたのは1939年、日本統治下の朝鮮に於いてだが、訳者「梶村秀樹」の解説が悪く、「呉知泳」なる人物の来歴、正体がさっぱりわからない。
 天道教の初代教祖は「水雲先生」あるいは「大先生」と呼ばれ、1864年処刑されて以後は、二代目教祖「崔時亭」が「海月先生」あるいは「先生」と記載されている。


  二代目教祖は貧農の子で、幼くして父母に死なれ孤児となり、各地を放浪した無学文盲の徒である。記憶力に優れ、天道教の教典を暗誦していたとされ、現存「天道教典」は彼の口述を筆記したものという。原教典は朝鮮政府により焼却された。


 しかるに「東学史」には、二代目が中国の「易経」からの引用を長々としゃべる箇所が出て来るから、そうとうインチキ本である。
 教祖が行ういろいろな「奇跡」の話が出て来る。「死者の復活」、「夫婦二人分の飯が客人十人が食べてもまだ余った」というような話は、「新約聖書」に出て来る話からのコピーである。
 
 著者「呉知泳」は、1892年、「全羅道茂長県・禅雲寺の石仏」から腹蔵の「秘宝」を盗み、強盗反逆罪で逮捕され、死刑判決を受けた3人の盗賊の一人として始めて名前が出て来る。(それなら「李王朝」の県役所の古文書を調べれば、氏名、戸籍、生年月日が確認できるはずだ。)
 ここで、奇跡が起きて、獄吏が囚人を自主的に放免する話が出て来る。


 こういうバカバカしい話が沢山あるので、これは全体としては「小説」であるが、要所要所に政府関係者でないと見ることの出来ない文書からの引用があり、安重根一家についての記載もある。そこで、朝鮮総督府にコネがあり、東学党関係資料を見ることができた、朝鮮人知識人が、1930年代に書いたものであることは間違いないだろう。
 「呉知泳」はペンネームであり、小説を書いた経験がない人物で、p.144-145に呉知泳のことを「私」という主語で平叙文を書いているのは、そのためであろう。


 それが見抜けぬような学者がいくら研究しても、「呉知泳」の正体がわかるはずがない。


 朝鮮のオリジナル古典は、岩波文庫、東洋文庫とも翻訳が少なく、合わせて20点もない。
 これらは、もうあらかた読んでしまった。もっとよい本はないものか…。


 3)新聞書評=日曜日の楽しみは3紙の読書欄を読み、下段の書籍広告を読むことにあるのだが、まず最近はめっきり読書広告が減った。あってもきわもの的出版社のものか、「文芸社」の大きな広告(そのくせ本そのものの説明は小さい字で書いてある)かだ。


 興味を惹かれる書評は切り抜くことにしているが、11/24の書評は「中国」、
 山田敏弘「ハリウッド検視ファイル」(新潮社)1本だけが、切り抜きに値した。


 これはロサンゼルス郡検視局にいたトマス・野口の評伝だ。彼は日本医大卒で戦後アメリカに渡り、法病理学者となり、マリリン・モンローやロバート・ケネディの法医解剖をしている。何冊か一般向けの本があり、邦訳もされている。


 これらの本で、余計なことを書いたのが祟って、白眼視され、1985年頃、南カリフォルニア大学病理学教室に移っていた。チェアーマンが、オックスフォード大のロブ=スミスの弟子で、クライヴ・テイラー。訪ねたら旧知のナソワニが教授の一人でいて、野口の部屋に連れて行ってくれた。
 老け込んでいて、暗い眼をしていたが、今も86歳で存命とは知らなかった。


 「毎日」は「この3冊」で、阿川弘之の娘「阿川佐和子」に父親の本を推薦させているが、これはやり過ぎではないか。
 阿川弘之は母校の先輩だが、この高校にはこういうやり方を「汚い」と見なす伝統がある。
 どうも「毎日」は、文化部長が論説委員に異動してから、書評者の質も書評のレベルも落ちたように思う。


 講談社の書籍広告で、
 立川昭二「明治医事往来」(学術文庫)、
 バルザック「役人の生理学」(同)、
 永田宏「血液型で分かる、なりやすい病気・なりにくい病気」(ブルーバックス)
 が出たことを知った。


 ピロリ菌の表面にはO型物資と反応する物質があるから、確かにO型の胃粘膜にはピロリ菌が接着しやすい。
 しかし、日本人の80%はピロリ菌陽性である。日本人でO型の人は30%しかいないから、O型以外でもピロリ菌に感染している。(現に私はAB型なのに、ピロリ菌陽性で胃潰瘍になり、除菌したらすぐに直った。)
 この手のトンデモ本を撲滅するために今、「血液型総めくり」の本を書いているので、ぜひ買って読まないと、擱筆にならないだろう。
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