ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【ラジオ文芸館】難波先生より

2014-12-03 18:44:43 | 難波紘二先生
【ラジオ文芸館】
 11/29(土)朝8時頃に仕事場で携帯ラジオをつけたら「NHKラジオ文芸館」というのが始まった。原作「ふじわらしんや」語り「しみずのぶお」という。「尾瀬に死す」という「自死と他死」をテーマにしたミステリー風の短編小説だった。
 「昔、似たような名前の小説家がいたな。藤原審哉だったか?」と思いながら聴いた。
 終わって「ふじわらしんや」で検索したら、すでに今年の1/11に放送されYOUTUBEに「耳で聴く短編小説」としてアップされていた。
 https://www.youtube.com/watch?v=Pq6iVbamDrM

 これは「藤原新也」で
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E6%96%B0%E4%B9%9F

 覚えていた昔の小説家は「藤原審爾」だった。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%AF%A9%E7%88%BE

 私より20歳も年上の作家だ。映画「秋津温泉」が彼の原作だとは知らなかった。小説は一作も読んでいないが、数少ない日本映画ビデオのコレクションとして、これは持っている。
 経歴を読むと岡山県の閑谷(しずたに)中学を卒業したとあり、岡山市が空襲でやられた後、吉備津に疎開したという。だから「秋津温泉」が書けたのか…。
荷風の日記「摘録・断腸亭日乗」(岩波文庫)に、岡山空襲の時に岡山市にいたこと、谷崎潤一もいたことが出てくる。
 「尾瀬に死す」で検索すると「平野長靖、現代教養文庫(1995)」というのが出てくる。これはノンフィクションのようだ。この人は、これ一作しかないようだ。

 藤原新也の方は1944年生まれだから、私より3歳若い。が、まったく知らないし、著作を読んだこともない。Mimento mori(死を忘れるな)、「沈思彷徨」(沈思黙考のパクリ)、「末法眼蔵」(道元「正法眼蔵」のパクリ)、朗読中に「死が人を捉えるのではなく、人の生命が死をとらえる」というセリフが出てくるが、これもセネカか誰かの文言からのパクリだ。
 乳がんの末期で余命三ヶ月と宣告された妻が、若い頃の想い出の地「尾瀬に行きたい」といい、夫二人で出かけるが、山小屋で急死し、殺人の疑惑がもたれ、司法解剖もしないまま、起訴され、最高裁まで争うという話で、中学の同級生だった「私」が事件の解決に強力する、という話だが、筋の粗さが目立った(いや、耳障りだった)。

 警察が正当な手続きを踏んで「異状死」と判定すれば、遺族の同意がなくても司法解剖はできる。「死体解剖保存法」をちゃんと読んでくれ。広島大学部長殺し事件は、遺族の反対を押し切って司法解剖したから早期解決ができた。筆名を海堂尊という病理医作家のおかげで、『死因不明社会』(講談社ブルーバックス, 2007)が指摘した問題点が明らかになり、社会の理解が進んだと思っていた。
 これが藤原審爾の時代ならともかく、現存作家の作品なら病理学的に問題が多すぎる。この作家は人間の臨終や病理解剖・司法解剖を実際に見たことがない人だろうな。
 昔、「日曜名作座」というNHKラジオ番組があり、森繁久彌と加藤道子で山本周五郎「虚空遍歴」をやっていた。放送では一度聴いただけだが、忘れられず、結局、小説とCD版を入手した。NHKにはもう少し良質の作品を選ぶように望みたい。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 【STAP実験終了】難波先生より | トップ | 【「複雑系」の話】難波先生より »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

難波紘二先生」カテゴリの最新記事