【やれやれ】やっと山口正介『江分利満家の崩壊』(新潮社, 2012/10)を読み終えた。昨年の秋、「産経」に小玉武(エッセイイスト)による書評が載っていて、年の暮れに取り寄せて読み始めた。作家山口瞳のひとり息子が書いた、84歳で亡くなる母の看病記に亡父の想い出などを付け加えた、ドキュメントとも随筆ともいえる内容だが、時系列で進む病状の変化に関する記述と、その間に挟まれる随筆風の些末記事の整合が悪く、読むのが嫌になり中断していた。
やたら人名や行きつけの店の名前や近所の地名が出てくるが、不必要なところでアルファベットの符牒になっている。予備知識がない読者には草臥れる。
著者にはちゃんとした職歴なし、結婚歴なし、親と同居で還暦を迎えているから、「パラサイト・シングル」のはしりみたいなものだろう。父親と母親に反発して、家から独立しようとしたが、何をやっても上手く行かず、結局、母親と同居し、母親の財産に依存して生きている。文章から見ると、親からの精神的自立ができていない。土居健郎のいう「あまえの構造」がみえみえだ。
広告雑誌に雑文を書いて、飲み代くらいは稼いでいるらしいが、文章は下手だ。ちゃんとした国語辞典や同義語辞典の使い方を知らないのだろうか。口語文のなかに文語がでてくるのもおかしい。日本人の英文みたいだ。編集者もちゃんとすべきだろう。
本文中に「…誰に聞いたのか地獄耳のツボヤンが見舞いに来ていた。父の作中、ツボヤンとして登場するT氏は、父が勤めていた洋酒会社でも、現役時代の父を知る数少ない一人になった。彼は僕より十歳ばかり年下で…」(p.18)とあるが、これは山口瞳と佐治敬三をネタに本を書いている、くだんの評者であろう。
http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss_1?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%8F%AC%8B%CA%95%90
真剣な書評だったからついだまされた。結局は「身内ぼめ」でしかなかった。
「三つに割れた膝のお皿を針金でかしめる」という表現が二箇所(p.16, 136)に出てくる。転倒して膝蓋骨がT字形に三つに割れ、膝関節を切開し、割れた骨片を針金で接合するという意味だが、「かしめる」という言葉をはじめて見た。
『小学館国語大辞典』には載っていない。『広辞苑』には「かしめ」=継ぎ手の部分の隙間をなくすために、たがねをあてて隙間をなくすこと。コーキング、とある。「かしめる」はその動詞で、継ぎ手を締めることである。『三省堂・大辞林』もほぼ同様の説明をしている。「かしめ」の語源は分からないが、要するに大工・左官の業界用語であろう。人体に使う言葉でない。
この世界には英語がとんでもなく、なまった用語ある。「ルヒング」と大工さんがいうので、意味を聞いたら「屋根ふき、あるいはその素材」のことだった。Roofingの「フィ」が「ヒ」に転訛したのである。
山口家の父方の祖父の生業を考えると、著者が幼少期にこの言葉を吸収したことは理解できるが、一般の読者には通じない言葉であることを、物書きとしては知っておくべきだろう。いわゆる「お里が知れる」言葉である。
「死の床にあった葛西善蔵に田山花袋が<どうだい死んでいくってのは、どんな気持ちだい>といった」(p.121)と書いているが、この有名な質問は島崎藤村が臨終の田山花袋に対して発したのであって、葛西善蔵は二間しかない長屋で、肺結核により死んでいる。(山田風太郎『人間臨終図鑑(上)』, 徳間書店, p.129-, p.329-)死ぬ二日前の善蔵に面会し、自分をモデルにした小説を全集に入れるなと申し入れたのは、広津和郎である。自然主義の藤村や花袋が私小説派の善蔵や嘉村磯多と交友があったかどうか…
ここは普通、校閲部で発見される初歩的な勘違いだが、この本はどうなっているのだろう?
本人もいろいろ持病があり、母親も右肺の末梢性腺がんか悪性中皮腫で積極的治療をせず、最後はホスピスに入院して5日目(それも東日本大震災で東京中がパニックになっている最中)に亡くなるのだが、医学的事項に関する記述がほとんどデタラメ。医学資料として少しは価値があるかと思ったが、だめだ。
家庭医を受診したら「お母さんは腹膜炎で肺に水が溜まり、もしかしたら悪性かもしれない」と言われたとある(p.48)。
著者は腹腔と胸腔の区別がついていないのである。たぶん「心囊腔」というのも知らないだろう。これが2009/7月のこと。
「良性の肉腫」(p.115)という自己矛盾した表現も出て来る。非上皮性の悪性腫瘍を「肉腫」というのである。
その母は、右胸腔の胸水貯留のため呼吸困難を来たし、入院して胸水を抜いてもらう。そのとき「肺がんか中皮腫」と医師からいわれるが、胸水の細胞診の話がぜんぜん書いてない。その後、水を抜くために背中に針を刺した跡に腫瘍の浸潤が及び、背中の皮下に腫瘤を形成するが、この部位の生検も行われていない。臨床はただ漫然と「腫瘍マーカー」(これもCEAなのか、ヒアルウロン酸なのか、書いてない)を測定して、「上昇しています」というだけである。この診断ステップをきちんと踏まなかった病院も「例の総合病院」としか書いてない。
胸水の細胞診材料か皮下の浸潤性腫瘍の生検材料があれば、分化型の末梢性腺がんの「胸水型」と「悪性中皮腫」を鑑別することは、免疫染色という手法を用いればさほど困難ではない。それもやらなかったこのお粗末病院の実名を知りたいものだ。
著者の説明でもう一つ不審な点がある。山口瞳の妻治子(著者の母)が亡夫のファンクラブに出席したところ、小料理屋かどこかで酔いの回った客が「山口瞳が一穴主義というのはウソだ。銀座のバーのホステスと浮気したことを小説に書いているじゃないか」といったという。
で、死期を知った著者の母は、この言葉への憤慨の念を思い出し、自分の日記や夫の随筆などを資料として、問題の小説『人殺し』に書かれてあることが、フィクションであることを証明する原稿を書きはじめたというのである。「なかったことの証明」をやろうというのだ。
これが可能であるためには、まず第一に小説に書かれてあることが、すべて事実であるという前提がいる。
第二に、小説に登場する場面の日時と場所を割り出し、その日時に山口瞳が別の場所にいたということの証明がいる。
しかし、もともと小説とは事実体験に基づいていても、日時や場所や人物は、適当に入れ替えたりデフォルメするものであるから、アリバイを証明しても、ベースとなる事実経験がなかったということの証明にはならない。
つまり、原理的に不可能なことをやろうとしているのだ。83歳のがん末期の老人に、それだけの体力、集中力はない。なのに、息子はなぜそれを止めさせないのか。
山口瞳は1926年生まれで大正の最後の世代だが、結婚して長男である著者が生まれたのは1950年だ。世代論的には「団塊の世代」の最後の年代当たりに相当するが、山口家の場合、大家族は瞳の時代に崩れて核家族に移行し、長男が成人する頃にはそれも崩れて「家族崩壊」が起きていたようだ。
流行作家という特異な職業にあった山口家の特殊な例かもしれないが、もし「家族崩壊」が団塊の世代の終りの方でもう始まっていたとするなら、これから待っている事態は大変深刻なものになるだろう。
それにしても人は日本では死んだら「仏」になるので、死者のよいイメージを伝える方がよくはないか…
なかにし礼『兄弟』(文藝春秋, 1998)は、直木賞受賞第一作ということで読んでみたが、死んだ兄に迷惑をかけられっぱなしだったという話が延々と書いてあって、読後感がよくなかった。
その点、石原慎太郎「弟」(幻冬社文庫, 1999)は死んだ弟裕次郎に対する愛情がしっかり感じられて、文学としての完成度も高かった。駐エジプト日本大使公邸での裕次郎のエピソードに、映画と同じ「祐ちゃん」を見て、胸がすかっとしたかつてのフアンも多いはずだ。
やたら人名や行きつけの店の名前や近所の地名が出てくるが、不必要なところでアルファベットの符牒になっている。予備知識がない読者には草臥れる。
著者にはちゃんとした職歴なし、結婚歴なし、親と同居で還暦を迎えているから、「パラサイト・シングル」のはしりみたいなものだろう。父親と母親に反発して、家から独立しようとしたが、何をやっても上手く行かず、結局、母親と同居し、母親の財産に依存して生きている。文章から見ると、親からの精神的自立ができていない。土居健郎のいう「あまえの構造」がみえみえだ。
広告雑誌に雑文を書いて、飲み代くらいは稼いでいるらしいが、文章は下手だ。ちゃんとした国語辞典や同義語辞典の使い方を知らないのだろうか。口語文のなかに文語がでてくるのもおかしい。日本人の英文みたいだ。編集者もちゃんとすべきだろう。
本文中に「…誰に聞いたのか地獄耳のツボヤンが見舞いに来ていた。父の作中、ツボヤンとして登場するT氏は、父が勤めていた洋酒会社でも、現役時代の父を知る数少ない一人になった。彼は僕より十歳ばかり年下で…」(p.18)とあるが、これは山口瞳と佐治敬三をネタに本を書いている、くだんの評者であろう。
http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss_1?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%8F%AC%8B%CA%95%90
真剣な書評だったからついだまされた。結局は「身内ぼめ」でしかなかった。
「三つに割れた膝のお皿を針金でかしめる」という表現が二箇所(p.16, 136)に出てくる。転倒して膝蓋骨がT字形に三つに割れ、膝関節を切開し、割れた骨片を針金で接合するという意味だが、「かしめる」という言葉をはじめて見た。
『小学館国語大辞典』には載っていない。『広辞苑』には「かしめ」=継ぎ手の部分の隙間をなくすために、たがねをあてて隙間をなくすこと。コーキング、とある。「かしめる」はその動詞で、継ぎ手を締めることである。『三省堂・大辞林』もほぼ同様の説明をしている。「かしめ」の語源は分からないが、要するに大工・左官の業界用語であろう。人体に使う言葉でない。
この世界には英語がとんでもなく、なまった用語ある。「ルヒング」と大工さんがいうので、意味を聞いたら「屋根ふき、あるいはその素材」のことだった。Roofingの「フィ」が「ヒ」に転訛したのである。
山口家の父方の祖父の生業を考えると、著者が幼少期にこの言葉を吸収したことは理解できるが、一般の読者には通じない言葉であることを、物書きとしては知っておくべきだろう。いわゆる「お里が知れる」言葉である。
「死の床にあった葛西善蔵に田山花袋が<どうだい死んでいくってのは、どんな気持ちだい>といった」(p.121)と書いているが、この有名な質問は島崎藤村が臨終の田山花袋に対して発したのであって、葛西善蔵は二間しかない長屋で、肺結核により死んでいる。(山田風太郎『人間臨終図鑑(上)』, 徳間書店, p.129-, p.329-)死ぬ二日前の善蔵に面会し、自分をモデルにした小説を全集に入れるなと申し入れたのは、広津和郎である。自然主義の藤村や花袋が私小説派の善蔵や嘉村磯多と交友があったかどうか…
ここは普通、校閲部で発見される初歩的な勘違いだが、この本はどうなっているのだろう?
本人もいろいろ持病があり、母親も右肺の末梢性腺がんか悪性中皮腫で積極的治療をせず、最後はホスピスに入院して5日目(それも東日本大震災で東京中がパニックになっている最中)に亡くなるのだが、医学的事項に関する記述がほとんどデタラメ。医学資料として少しは価値があるかと思ったが、だめだ。
家庭医を受診したら「お母さんは腹膜炎で肺に水が溜まり、もしかしたら悪性かもしれない」と言われたとある(p.48)。
著者は腹腔と胸腔の区別がついていないのである。たぶん「心囊腔」というのも知らないだろう。これが2009/7月のこと。
「良性の肉腫」(p.115)という自己矛盾した表現も出て来る。非上皮性の悪性腫瘍を「肉腫」というのである。
その母は、右胸腔の胸水貯留のため呼吸困難を来たし、入院して胸水を抜いてもらう。そのとき「肺がんか中皮腫」と医師からいわれるが、胸水の細胞診の話がぜんぜん書いてない。その後、水を抜くために背中に針を刺した跡に腫瘍の浸潤が及び、背中の皮下に腫瘤を形成するが、この部位の生検も行われていない。臨床はただ漫然と「腫瘍マーカー」(これもCEAなのか、ヒアルウロン酸なのか、書いてない)を測定して、「上昇しています」というだけである。この診断ステップをきちんと踏まなかった病院も「例の総合病院」としか書いてない。
胸水の細胞診材料か皮下の浸潤性腫瘍の生検材料があれば、分化型の末梢性腺がんの「胸水型」と「悪性中皮腫」を鑑別することは、免疫染色という手法を用いればさほど困難ではない。それもやらなかったこのお粗末病院の実名を知りたいものだ。
著者の説明でもう一つ不審な点がある。山口瞳の妻治子(著者の母)が亡夫のファンクラブに出席したところ、小料理屋かどこかで酔いの回った客が「山口瞳が一穴主義というのはウソだ。銀座のバーのホステスと浮気したことを小説に書いているじゃないか」といったという。
で、死期を知った著者の母は、この言葉への憤慨の念を思い出し、自分の日記や夫の随筆などを資料として、問題の小説『人殺し』に書かれてあることが、フィクションであることを証明する原稿を書きはじめたというのである。「なかったことの証明」をやろうというのだ。
これが可能であるためには、まず第一に小説に書かれてあることが、すべて事実であるという前提がいる。
第二に、小説に登場する場面の日時と場所を割り出し、その日時に山口瞳が別の場所にいたということの証明がいる。
しかし、もともと小説とは事実体験に基づいていても、日時や場所や人物は、適当に入れ替えたりデフォルメするものであるから、アリバイを証明しても、ベースとなる事実経験がなかったということの証明にはならない。
つまり、原理的に不可能なことをやろうとしているのだ。83歳のがん末期の老人に、それだけの体力、集中力はない。なのに、息子はなぜそれを止めさせないのか。
山口瞳は1926年生まれで大正の最後の世代だが、結婚して長男である著者が生まれたのは1950年だ。世代論的には「団塊の世代」の最後の年代当たりに相当するが、山口家の場合、大家族は瞳の時代に崩れて核家族に移行し、長男が成人する頃にはそれも崩れて「家族崩壊」が起きていたようだ。
流行作家という特異な職業にあった山口家の特殊な例かもしれないが、もし「家族崩壊」が団塊の世代の終りの方でもう始まっていたとするなら、これから待っている事態は大変深刻なものになるだろう。
それにしても人は日本では死んだら「仏」になるので、死者のよいイメージを伝える方がよくはないか…
なかにし礼『兄弟』(文藝春秋, 1998)は、直木賞受賞第一作ということで読んでみたが、死んだ兄に迷惑をかけられっぱなしだったという話が延々と書いてあって、読後感がよくなかった。
その点、石原慎太郎「弟」(幻冬社文庫, 1999)は死んだ弟裕次郎に対する愛情がしっかり感じられて、文学としての完成度も高かった。駐エジプト日本大使公邸での裕次郎のエピソードに、映画と同じ「祐ちゃん」を見て、胸がすかっとしたかつてのフアンも多いはずだ。
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