【ノウゼンカズラ】
毎年、梅雨明け時期になると庭先や道路脇の小屋脇などに、赤や橙色をした大輪の朝顔に似た派手な花を咲かせる低木がある。子どもの頃から植物には関心がなかったので、今でも毎年家内に名前を聞いてはまたすぐに忘れる。
先日、隣町のコンビニに行くときに満開なのを認めたので、帰りに車を止めて、2箇所で撮影した。
行くときは名前が思い出せず、「1分以内に想起できなければ、認知症のはじまりかも…」と不安に駆られたが、コンビニから出て一服吸ったら思い出した。その思い出し方が変わっている。
ふと、「待ーてば来る来る、愛染かつらー」という「旅の夜風」の一節が頭に浮かんだ。歌謡曲だから歌詞と曲がいっしょに浮かんでくる。そのとたんに花の名が「ノウゼンカズラ」だと思い出した。この二つの言葉は7音のうち4音が一致していて、しかも順序が同じだ。私は丸暗記が昔からからきしダメで、いまはもっとダメになっている。
苧阪(おさか)満里子『もの忘れの脳科学』(講談社ブルーバックス)によると、「短期記憶」(機械的な一時記憶)はリハーサルしないと20秒間に90%が失われるという。記憶を長期記憶に変えたり、逆に長期記憶から必要な情報を引き出したりするのに「音韻ループ」(語呂合わせ)が重要な役割を果たしていることが最近あきらかになってきたそうだ。「いよー、国(1492)が見えた」でコロンブスのアメリカ発見の年を記憶するのは、脳科学の理にかなっているというわけだ。
たぶん私のばあいは、「ノウゼン」と「アイゼン」が音韻学的にジャミングを起こして、記憶の再生を妨げているか、それとも脳の回路が回り道をして、「愛染かつら」経由で「ノウゼンカズラ」にたどり着いたのであろう。
子規の句に「家毎(いえごと)に凌霄(のうぜん)咲ける温泉(いでゆ)かな」(明治28=1895年夏作)があるそうだ。
http://reservata.s123.coreserver.jp/poem-masaoka/00-haiku-kyosi1.htm
郷里の道後温泉のことか、播磨の有馬温泉のことか、よくは知らない。これで明治時代には「ノウゼン」だけで意味が通じていたことがわかる。
川口松太郎の小説「愛染かつら」も同名の映画も、戦前のものだから見ていないが、主人公の病院長の息子の青年医師と病院の看護婦とのラブロマンスで、二人が幹に手を触れて、愛を誓った桂の樹が「愛を成就する」という伝説のある神社の樹木だそうだ。今度調べてやっとわかった。「愛染桂」という種があるわけでない。
他方、手許の『原色植物百科図鑑』(集英社)には、どうしたわけかノウゼンカズラが載っていない。
馬場多久男『花実でわかる樹木』(信濃毎日)にはちゃんとノウゼンカズラ科植物として、アメリカノウゼンカズラと共に載っているが、「岩波生物学辞典」の類には載っていない。
ノウゼンは「陵苕(ノウセウ)」という古代中国音が日本語でなまってノウゼンになったと、「広辞苑」には説明されている。「凌胥」とも書くそうだ。子規の句もこの漢字を用いている。
「愛染かつら」の「愛染」の方は「愛染明王」の略で、ヒンズー教の「愛欲煩悩」がそのまま悟りであることを示す明王(大日如来の家来)だそうだ。「恋愛成就の願いをかなえる明王として、水商売の女性などの信仰対象となった」と広辞苑にある。
ここまで断片情報が集まると、「愛染(あいぜん)明王」、ポルノ女優の「愛染(あいぞめ)恭子」、平安末期に現れ鎌倉時代に弾圧されて土俗化した、真言密教の一派「立川流」との関係性が浮かび上がって来る。
「真言立川流」は平安末期に武蔵の国立川の陰陽師集団を母体として発生した真言密教の一派で、男女のセックスによる極地を「即身成仏」と見なす特異な一派で、愛染明王を賛美した1)。始祖仁寛は京都の醍醐寺にあって天皇暗殺計画に加わったとされ、伊豆に流され憤死した。のち建武の中興の後で、この流派の僧文観は後醍醐帝に重用されている。
1)真鍋俊照:「邪教・立川流」(ちくま学芸文庫)
WIKIの説明によると樹としての「愛染かつら」は、長野県上田市の別所温泉にある「北向観音」の境内に生えており、傍に「愛染明王堂」があるそうだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E6%9F%93%E3%82%AB%E3%83%84%E3%83%A9_(%E6%9C%A8)
仏教に「縁結びの仏」がいるというのも可笑しいが、インド、チベット、モンゴルの密教では生殖力の崇拝が中心で、確かガンダーラ(カンダハル)の石仏にも「歓喜仏」の像がある。土俗化した真言密教では、むしろこの本筋が「愛染明王信仰」として受け継がれたというわけだろう。
意味論的に関連付けて覚えると忘れないので、つい回り道をした。

これは国道に接するように建っている古い民家(無住)の脇庭にあったもので、前に何度も見かけている。つる性なのに支柱になる樹木がなく自立しているので、不思議に思い近くまで寄ってみた。根元に太い松の切り株があり、前はこれに巻き付いていたらしい。裏に廻ってみると、ノウゼンカズラの幹が、人の前腕の太さほどにも達し、立派に自立していた。フジのつるが成長し、樹木が枯死して倒れた後も、部分的に自立しているのを見かけることがあるが、このカズラは低木になっている。
この木の向こうにある小屋はドアが開いていて、トイレと風呂場があった。無住の民家は商家風のつくりなので、恐らく戦前に建てられたものだろう。昔の民家にはトイレと風呂場が別棟になったものが普通だったし、風呂がなく盥で行水をする家も多かった。トイレが屋外なので、冬場の寒い夜トイレで脳卒中(脳梗塞、脳出血)の発作を起こす老人も多かった。
2箇所で撮影したが、どちらも家は無住だった。しかしまだノウゼンカズラが壁を這う家は見たことがない。
7/21火曜日、西高屋の本屋に行く途中で、国道脇に、高いシュロの木に巻き付いて花を咲かせているノウゼンカズラがあるのを見かけた。ここはちゃんと人が居住している家だったが、50メートルほど離れた造賀商店街にある、ノウゼンカズラの花が咲いた家は無住で、庭に草が生い茂っていた。

このカズラは実がならず、株分けか挿し木で増えるので、人為的にしか増えない。子どもの頃、花を見た記憶がないので、かつて街場で園芸種として流行したことがあり、その名残がこの辺の古い民家脇に認められるのかな、とも思う。
ノウゼンカズラの毒々しいともいえる橙色の花が散ると、やがて彼岸花の季節になる。あれはこのあたりでは「盆花」ともいう。これも橙色あるいは赤色だ。
毎年、梅雨明け時期になると庭先や道路脇の小屋脇などに、赤や橙色をした大輪の朝顔に似た派手な花を咲かせる低木がある。子どもの頃から植物には関心がなかったので、今でも毎年家内に名前を聞いてはまたすぐに忘れる。
先日、隣町のコンビニに行くときに満開なのを認めたので、帰りに車を止めて、2箇所で撮影した。
行くときは名前が思い出せず、「1分以内に想起できなければ、認知症のはじまりかも…」と不安に駆られたが、コンビニから出て一服吸ったら思い出した。その思い出し方が変わっている。
ふと、「待ーてば来る来る、愛染かつらー」という「旅の夜風」の一節が頭に浮かんだ。歌謡曲だから歌詞と曲がいっしょに浮かんでくる。そのとたんに花の名が「ノウゼンカズラ」だと思い出した。この二つの言葉は7音のうち4音が一致していて、しかも順序が同じだ。私は丸暗記が昔からからきしダメで、いまはもっとダメになっている。
苧阪(おさか)満里子『もの忘れの脳科学』(講談社ブルーバックス)によると、「短期記憶」(機械的な一時記憶)はリハーサルしないと20秒間に90%が失われるという。記憶を長期記憶に変えたり、逆に長期記憶から必要な情報を引き出したりするのに「音韻ループ」(語呂合わせ)が重要な役割を果たしていることが最近あきらかになってきたそうだ。「いよー、国(1492)が見えた」でコロンブスのアメリカ発見の年を記憶するのは、脳科学の理にかなっているというわけだ。
たぶん私のばあいは、「ノウゼン」と「アイゼン」が音韻学的にジャミングを起こして、記憶の再生を妨げているか、それとも脳の回路が回り道をして、「愛染かつら」経由で「ノウゼンカズラ」にたどり着いたのであろう。
子規の句に「家毎(いえごと)に凌霄(のうぜん)咲ける温泉(いでゆ)かな」(明治28=1895年夏作)があるそうだ。
http://reservata.s123.coreserver.jp/poem-masaoka/00-haiku-kyosi1.htm
郷里の道後温泉のことか、播磨の有馬温泉のことか、よくは知らない。これで明治時代には「ノウゼン」だけで意味が通じていたことがわかる。
川口松太郎の小説「愛染かつら」も同名の映画も、戦前のものだから見ていないが、主人公の病院長の息子の青年医師と病院の看護婦とのラブロマンスで、二人が幹に手を触れて、愛を誓った桂の樹が「愛を成就する」という伝説のある神社の樹木だそうだ。今度調べてやっとわかった。「愛染桂」という種があるわけでない。
他方、手許の『原色植物百科図鑑』(集英社)には、どうしたわけかノウゼンカズラが載っていない。
馬場多久男『花実でわかる樹木』(信濃毎日)にはちゃんとノウゼンカズラ科植物として、アメリカノウゼンカズラと共に載っているが、「岩波生物学辞典」の類には載っていない。
ノウゼンは「陵苕(ノウセウ)」という古代中国音が日本語でなまってノウゼンになったと、「広辞苑」には説明されている。「凌胥」とも書くそうだ。子規の句もこの漢字を用いている。
「愛染かつら」の「愛染」の方は「愛染明王」の略で、ヒンズー教の「愛欲煩悩」がそのまま悟りであることを示す明王(大日如来の家来)だそうだ。「恋愛成就の願いをかなえる明王として、水商売の女性などの信仰対象となった」と広辞苑にある。
ここまで断片情報が集まると、「愛染(あいぜん)明王」、ポルノ女優の「愛染(あいぞめ)恭子」、平安末期に現れ鎌倉時代に弾圧されて土俗化した、真言密教の一派「立川流」との関係性が浮かび上がって来る。
「真言立川流」は平安末期に武蔵の国立川の陰陽師集団を母体として発生した真言密教の一派で、男女のセックスによる極地を「即身成仏」と見なす特異な一派で、愛染明王を賛美した1)。始祖仁寛は京都の醍醐寺にあって天皇暗殺計画に加わったとされ、伊豆に流され憤死した。のち建武の中興の後で、この流派の僧文観は後醍醐帝に重用されている。
1)真鍋俊照:「邪教・立川流」(ちくま学芸文庫)
WIKIの説明によると樹としての「愛染かつら」は、長野県上田市の別所温泉にある「北向観音」の境内に生えており、傍に「愛染明王堂」があるそうだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E6%9F%93%E3%82%AB%E3%83%84%E3%83%A9_(%E6%9C%A8)
仏教に「縁結びの仏」がいるというのも可笑しいが、インド、チベット、モンゴルの密教では生殖力の崇拝が中心で、確かガンダーラ(カンダハル)の石仏にも「歓喜仏」の像がある。土俗化した真言密教では、むしろこの本筋が「愛染明王信仰」として受け継がれたというわけだろう。
意味論的に関連付けて覚えると忘れないので、つい回り道をした。

これは国道に接するように建っている古い民家(無住)の脇庭にあったもので、前に何度も見かけている。つる性なのに支柱になる樹木がなく自立しているので、不思議に思い近くまで寄ってみた。根元に太い松の切り株があり、前はこれに巻き付いていたらしい。裏に廻ってみると、ノウゼンカズラの幹が、人の前腕の太さほどにも達し、立派に自立していた。フジのつるが成長し、樹木が枯死して倒れた後も、部分的に自立しているのを見かけることがあるが、このカズラは低木になっている。
この木の向こうにある小屋はドアが開いていて、トイレと風呂場があった。無住の民家は商家風のつくりなので、恐らく戦前に建てられたものだろう。昔の民家にはトイレと風呂場が別棟になったものが普通だったし、風呂がなく盥で行水をする家も多かった。トイレが屋外なので、冬場の寒い夜トイレで脳卒中(脳梗塞、脳出血)の発作を起こす老人も多かった。
2箇所で撮影したが、どちらも家は無住だった。しかしまだノウゼンカズラが壁を這う家は見たことがない。
7/21火曜日、西高屋の本屋に行く途中で、国道脇に、高いシュロの木に巻き付いて花を咲かせているノウゼンカズラがあるのを見かけた。ここはちゃんと人が居住している家だったが、50メートルほど離れた造賀商店街にある、ノウゼンカズラの花が咲いた家は無住で、庭に草が生い茂っていた。

このカズラは実がならず、株分けか挿し木で増えるので、人為的にしか増えない。子どもの頃、花を見た記憶がないので、かつて街場で園芸種として流行したことがあり、その名残がこの辺の古い民家脇に認められるのかな、とも思う。
ノウゼンカズラの毒々しいともいえる橙色の花が散ると、やがて彼岸花の季節になる。あれはこのあたりでは「盆花」ともいう。これも橙色あるいは赤色だ。
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