【里山の探検】
10時過ぎからは「里山の探検」に出かけた。16:00時に戻って食事するまでに車で100キロ以上移動し5,000歩以上を歩いた。
「探検」だからリスクを評価し、それをミニマムにする努力が必要となる。「冒険」と「探検」はそこが違う。登山靴を履き、頭には厚めの登山帽を被り、手には滑り止めのついた運転用手袋をはめた。ベストには、サバイバルナイフ、コンパス、予備の小型カメラ、眼を保護する眼鏡、黒のマジックを入れ、車には標本袋(雨の日の新聞を包装してあるポリ袋のリサイクル)、剪定用の棒状スライド式摘果装置を積んだ。肩掛けバッグには植物鑑定マニュアルを容れた。
11時頃に隣地境界にある「ヤマボウシのようなもの」を検証に行った。高さ10mくらいの斜面の上にあり、境界に小川が流れている。これを渡り斜面を登るのはすこぶる難業だ。
何しろ猪除けの柵があり、倒木もある。それをかいくぐるように前進するしかない。こういう筋肉作業をするとすぐに疲労困憊することに気づいた。筋肉のグリコーゲン・グルコース貯蔵量が少ないから、すぐにガス欠になるのだ。頭脳労働はケトン体エネルギーで動いているので、いまでも「6時間のぶっ続け作業」なんて、なんともないのに。
せっかく斜面を登り、樹木の撮影とサンプルの採取を果たしたものの、疲労困憊したので、サンプルを入れたポリ袋を置き忘れてしまった。それで一旦書斎にもどり、コーヒーを飲んで休養・休息後、再び現場に取りに戻った。結局2往復した。「最小抵抗点」を選んで移動するので、自分の「けもの道」ができてしまった。これは調べたところ、「コブシ」だった。(写真1)
(写真1:コブシ)
理由は6枚の花弁の下に小さな葉が付着していることだ。タムシバなら別名を「サトウシバ」というように葉を噛めば甘くないといけない。だが苦いだけだった。
その後、自宅裏山に「ヤマボウシ(と私が信じていた樹木)」の探検に出かけた。これも里山は今、倒木により荒れ放題になっているから、被写体として適切な樹木を探り当てるのは難行軍だった。ことに私は「サンプル採取」のため、スライド式の長さ3mの「枝きり・摘果ポール」(写真2,左)を持参したので難儀した。今どきの里山は簡単に歩ける場所でない。
(写真2:倒木)
つるつる滑る赤松の丸太の上に乗り、5メートル上方の花枝を切り取るのは恐かった。これには6枚の花弁の付け根に小葉がなく「タムシバ」と思われた。(写真3)
(写真3:タムシバ)
幸い、登山靴、眼を防御する眼鏡、ビニールの運転用手袋を用意していたので、転倒・転落事故は防げた。私見によれば、筋肉に蓄えられているグリコーゲン燃料のエンジンはせいぜい1時間で枯渇する。そこでまた仕事場に戻って休息した。
後は「ケトン体エンジン」の出番である。昨夜午後8時から何も食べていない、私の思考力と好奇心を支えたのは、脳の「ケトン体エンジン」である。今朝は6時に起きて以来、「パルスィート入りネスカフェ・コーヒー」以外に水分を一切摂取していない
それで3度目の休息のあと、12時過ぎに、東広島市西高屋の街路樹とブールバール(西条駅から広島大学につながる片側2車線の大通り)の街路樹を視察に出かけた。まだ昨夜から何も食っていない。まず西高屋SC脇の街路樹を調べ、脱水症予防に食料品スーパーで「微糖入コーヒー」ペットボトル900mlを買った。これは80円位である。 西高屋の街路樹の白い花は6弁あり「コブシ」だと判明した。萼(がく)の下には小葉があった。(写真4)
(写真4:コブシ)
それから西条駅前に抜け、ブールバールを広島大学まで走ったが、街路樹には花の咲いた木が一本もなかった。殺風景な町だ。わずかに「鏡山公園」に桜が満開で、大勢の花見客がいた。そばに「植物公園」なるものがあり、そこに「こぶし」の汚れた貧相な看板がついた樹があった。(写真5)「学園文化都市」の名前が泣こうというものだ…。
(写真5:汚れた名札)
ブールバール沿いに大学のキャンパスを一周した。下見大池の向こうの山は全山白い花木に被われていた。一瞬「積雪か?」と錯覚した。これはコブシとタムシバか?(写真6)
(写真6:下見大池の向こうの山)
大学の農場脇を抜けて、375号線バイパスに入り、自宅に戻った。
付近の志和原池を探検にゆくと、山際の岸に白い花をつけた木々があった。(写真7)
このブッシュの先端に花が咲いているのがタムシバであることを付近の別の樹で確認した。コブシなら太い一本の幹がある。
(写真7:タムシバ)
このタムシバの生え方は下見大池から遠望した「積雪かと見まがう」山裾の白い花木の生え方とよく似ている。よって山の白い花の樹の多くがタムシバと推定される。
戻ってこの日の食事をしたのが、16:00。20時間絶食していたことになる。西高屋SCで買った「微糖入り900mlコーヒー」が46Kcalあり、水分補給とエネルギー補給に役だったのか、あまり疲労感はなかった。
なぜこういう探検をしたのか?実は畏友井藤壮太郎君から「ヤマボウシではない」というメールが寄せられたからだ。
10時過ぎからは「里山の探検」に出かけた。16:00時に戻って食事するまでに車で100キロ以上移動し5,000歩以上を歩いた。
「探検」だからリスクを評価し、それをミニマムにする努力が必要となる。「冒険」と「探検」はそこが違う。登山靴を履き、頭には厚めの登山帽を被り、手には滑り止めのついた運転用手袋をはめた。ベストには、サバイバルナイフ、コンパス、予備の小型カメラ、眼を保護する眼鏡、黒のマジックを入れ、車には標本袋(雨の日の新聞を包装してあるポリ袋のリサイクル)、剪定用の棒状スライド式摘果装置を積んだ。肩掛けバッグには植物鑑定マニュアルを容れた。
11時頃に隣地境界にある「ヤマボウシのようなもの」を検証に行った。高さ10mくらいの斜面の上にあり、境界に小川が流れている。これを渡り斜面を登るのはすこぶる難業だ。
何しろ猪除けの柵があり、倒木もある。それをかいくぐるように前進するしかない。こういう筋肉作業をするとすぐに疲労困憊することに気づいた。筋肉のグリコーゲン・グルコース貯蔵量が少ないから、すぐにガス欠になるのだ。頭脳労働はケトン体エネルギーで動いているので、いまでも「6時間のぶっ続け作業」なんて、なんともないのに。
せっかく斜面を登り、樹木の撮影とサンプルの採取を果たしたものの、疲労困憊したので、サンプルを入れたポリ袋を置き忘れてしまった。それで一旦書斎にもどり、コーヒーを飲んで休養・休息後、再び現場に取りに戻った。結局2往復した。「最小抵抗点」を選んで移動するので、自分の「けもの道」ができてしまった。これは調べたところ、「コブシ」だった。(写真1)

理由は6枚の花弁の下に小さな葉が付着していることだ。タムシバなら別名を「サトウシバ」というように葉を噛めば甘くないといけない。だが苦いだけだった。
その後、自宅裏山に「ヤマボウシ(と私が信じていた樹木)」の探検に出かけた。これも里山は今、倒木により荒れ放題になっているから、被写体として適切な樹木を探り当てるのは難行軍だった。ことに私は「サンプル採取」のため、スライド式の長さ3mの「枝きり・摘果ポール」(写真2,左)を持参したので難儀した。今どきの里山は簡単に歩ける場所でない。

つるつる滑る赤松の丸太の上に乗り、5メートル上方の花枝を切り取るのは恐かった。これには6枚の花弁の付け根に小葉がなく「タムシバ」と思われた。(写真3)

幸い、登山靴、眼を防御する眼鏡、ビニールの運転用手袋を用意していたので、転倒・転落事故は防げた。私見によれば、筋肉に蓄えられているグリコーゲン燃料のエンジンはせいぜい1時間で枯渇する。そこでまた仕事場に戻って休息した。
後は「ケトン体エンジン」の出番である。昨夜午後8時から何も食べていない、私の思考力と好奇心を支えたのは、脳の「ケトン体エンジン」である。今朝は6時に起きて以来、「パルスィート入りネスカフェ・コーヒー」以外に水分を一切摂取していない
それで3度目の休息のあと、12時過ぎに、東広島市西高屋の街路樹とブールバール(西条駅から広島大学につながる片側2車線の大通り)の街路樹を視察に出かけた。まだ昨夜から何も食っていない。まず西高屋SC脇の街路樹を調べ、脱水症予防に食料品スーパーで「微糖入コーヒー」ペットボトル900mlを買った。これは80円位である。 西高屋の街路樹の白い花は6弁あり「コブシ」だと判明した。萼(がく)の下には小葉があった。(写真4)

それから西条駅前に抜け、ブールバールを広島大学まで走ったが、街路樹には花の咲いた木が一本もなかった。殺風景な町だ。わずかに「鏡山公園」に桜が満開で、大勢の花見客がいた。そばに「植物公園」なるものがあり、そこに「こぶし」の汚れた貧相な看板がついた樹があった。(写真5)「学園文化都市」の名前が泣こうというものだ…。

ブールバール沿いに大学のキャンパスを一周した。下見大池の向こうの山は全山白い花木に被われていた。一瞬「積雪か?」と錯覚した。これはコブシとタムシバか?(写真6)

大学の農場脇を抜けて、375号線バイパスに入り、自宅に戻った。
付近の志和原池を探検にゆくと、山際の岸に白い花をつけた木々があった。(写真7)
このブッシュの先端に花が咲いているのがタムシバであることを付近の別の樹で確認した。コブシなら太い一本の幹がある。

このタムシバの生え方は下見大池から遠望した「積雪かと見まがう」山裾の白い花木の生え方とよく似ている。よって山の白い花の樹の多くがタムシバと推定される。
戻ってこの日の食事をしたのが、16:00。20時間絶食していたことになる。西高屋SCで買った「微糖入り900mlコーヒー」が46Kcalあり、水分補給とエネルギー補給に役だったのか、あまり疲労感はなかった。
なぜこういう探検をしたのか?実は畏友井藤壮太郎君から「ヤマボウシではない」というメールが寄せられたからだ。
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