【AO入試】
小保方本がらみの「武田ブログ」への書き込みが【ティチャーズ・ペット】へのものを合わせて130件近くに達した。
早稲田の第1回AO入試(応用化学科)について、①小保方が事前にエステル合成の練習を高校の化学室でやれたのはなぜか?②応用化学科の受験に生物学は必須でなかったのか?という基本的問題がある。
後者については科学ジャーナリスト賞を受賞した須田桃子記者が、著書で解明しておかなければいけない大問題だった。なぜならSTAP細胞事件を起こした中心人物は中学生の生物学しか知らず、ハーバードでバカンティの妄説に引き込まれ、過去100年間の生物学論文を勝手に読み、ひたすら「妄想」を膨らませたと考えられるからだ。
①については、「早稲田 創生入試 2003」でネット検索したら、以下の年表に行き当たった。小保方晴子関連の年表だ。ゴチック体は小保方個人にかかわる出来事。
<26 : エリート街道さん2015/11/23(月) 19:34:37.45 ID:10T1mf9I
小5 1995年(地下鉄サリン事件)
小6 1996年
中1 1997年(バブル崩壊・大学任期制導入)
中2 1998年
中3 1999年(2chねる開設、厨房として荒らす)
高1 2000年
高2 2001年(アメリカ同時多発テロ)
高3 2002年
大1 2003年(早稲田理工AO入試1期生)
大2 2004年
大3 2005年
大4 2006年
修1 2007年 (女子医大大和研に国内留学)
修2 2008年(リーマンショック、早稲田応用化学会「特別給付奨学生」に、9月ハーバードへ留学)
博1 2009年 (学振特別奨学生D1に、9月帰国)
博2 2010年 (7月、小保方、大和、小島、常田が理研神戸CDBの若山へ共同研究申し入れ)
博3 2011年(1/4博士論文を早稲田に提出。東日本大震災、神戸理研CDC若山研に)
PD 2012年 (3/22植物学の本で「カルス」という概念を知る。10月iPS細胞にノーベル賞。
12/21:理研CDBでPI採用試験を受ける。笹井が論文執筆者に加わる。
12/26笹井が「STAP細胞」という名称を考案する)
PD 2013年(3月若山の山梨大転任に伴い「若山研」解散。「小保方研」を立ち上げる。
3/11NATUREへ最初の論文投稿。12/16三度目の修正論文投稿。
これが受理され以後、STAP騒動が発生)
小畑峰太郎「STAP細胞に群がった悪いヤツら」(新潮社)に掲載の年表は、小保方に関しては2006NENN 12月以降のものしかなく、小保方の「あの日」とも照合した上、正確だと考えるので転載しておく。
2014/2は「小保方フィーバー」の最中で、小保方に関する早稲田常田教授の以下のコメントが見つかった。
http://benesse.jp/kyouiku/201402/20140221-4.html
常田氏の記者会見を引用して、執筆者渡辺敦司がこう書いている。
<AO入試は学力不問入試などと批判されることも多いのですが、やり方によっては「とんがった学生」(学部時代の指導教員だった常田聡教授)を選抜できる入試改革であることの証明でもある。>
<(小保方さん)窮地に対して、そのつど国内外のトップ科学者から支援があったのは「人間力の高さがあったからではないか」と常田教授は評しています。>
「早稲田応用化学会(応化会)・特別給付奨学生からのメッセージ」というURLには、写真なしで小保方晴子のメッセージが寄せられている。
http://www.waseda-oukakai.gr.jp/gakusei/shougakukin/2007message.html#obokata
「小保方 晴子(常田研 M2)
小保方晴子私は幼き頃より、研究者を志し、特に再生医療に強い興味を持っておりました。また、早稲田大学応用化学科にはAO入試と言う特別入試枠で入学いたしました。そのときの面接において応用化学科の先生方が私の夢に真剣に耳を傾けてくださったことに感激し、これまで目標を見失わず大学生活を過ごすことができました。今回の面接においても、応化会OBの代表である選考委員のみなさまが私の未熟な考えを温かく受け入れてくださったこと、このご恩を忘れず、日々の研究に更に精進してまいりたいと考えております。
現在、応用化学科のOBである東京女子医科大学岡野光夫教授との共同研究の下、かねてから希望していた再生医療の研究を行っています。日々の研究生活は非常に充実しており、このような環境を与えてくださったOBのみなさまには感謝の気持ちが募る一方でございます。
博士後期過程進学後は、応援してくださるみなさまのお心に応えるべく、また応用化学会の更なる発展に少しでも寄与できるよう日々努力してまいります。このたびは本当にありがとうございました。」
ここには応用化学修士課程2年生4人が書いているが、そのなかに、「AO入試と言う特別入試枠で入学いたしました」と書いている人物は小保方だけである。
また「NAVERまとめ」というサイトには若山研に出入りを始めた頃の、まだあどけなさが残る小保方の写真が掲載されている。
http://matome.naver.jp/odai/2139083497943141501
「武田ブログ」に以下の書き込みがあった。(2003年度「創成入試」 〜2002年度からの変更点<要旨>〜)についてだ。
<Unknown (Unknown)=2016-02-17 11:38:
早稲田応用化学科
・ 実験室にて実験を行い、レポートを作成する(実験内容*は事前に指示する)。その後、面接審査。
*[2002年度は一次合格発表時、合格者に実験内容を指示。]
http://web.archive.org/web/20020606042326/http://www.sci.waseda.ac.jp/admission/AO/contents.html
AO入試において不正はなかったと思います。難波氏の誤りです。
「不正」と言ったことを謝罪するべきです。>
<Unknown (謝れ)=2016-02-17 20:13:
>元もと、STAP細胞事件での発言は、「修復腎移植」についても私が述べていることがウソではないことのPRだったので、STAP問題を深追いする気はない。もうこの話題も終りにしたい。
小保方さんのAO入試の事情がわかって逃げるんだな。
本当に卑怯な奴だ。「不正」と言ったことを謝れ。>
Unknown (Unknown)=2016-02-17 11:38氏のいうことが、小保方が受験した2002年度入試の要項に書いてあれば、事実関係は確定する。しかし事実はそうでない。
2001年秋に実施された第1回早稲田理工学部AO入試のうち「応用化学科」関係の部を、ここに抜粋する。できるだけ原資料をそのままカット&ペースとして、JPEG画像にした。
この画像を見れば、上記の疑問点は解決するだろう。(表1)これが2002年度AO入試の要綱だ。もとのURL、http://www.waseda.jp/jp/journal/2001/0105-1.pdf
(表1)
このように一次試験(筆記試験)は全国4会場で9月9日に行われ、小保方は東京で受験した。その合格発表は9月17日に行われ、9月30日に第二次試験が早稲田大で行われている。
二次試験については「実験室にて実験を行い、レポートを作成する(実験内容は事前に指示する)。その後、面接。」としか書いてない。
ところが、第2回AO入試にあたる「2003年度AO入試要項」には「2002年度は一次合格発表時、合格者に実験内容を指示」という、注記がわざわざ加えられている。
以下に早稲田2003年度AO入試の「応用化学科」の募集要項画像を示す。(表2)

(表2)
これは小保方が受験した、02年度応用化学科AO入試の二次試験に、何か問題があったこと認めているとしか思えない。
一次試験の合格発表後、13日後の9/30に二次試験行われた。02年度の試験要綱には「実験室にて実験を行い、レポートを作成する(実験内容は事前に指示する)。その後、面接審査。」とのみある。定員10名のAO入試枠に何人の一次試験合格者があったのかが不明だが、実習室を使うとなると、スペースや器具類の用意など試験者側に負担がかかるので、定員すれすれのところまで絞り込んでいたと見るのが妥当だろう。
二次試験は1日だから、午前中が実験とレポート作成提出、午後が面接だったと見てよいだろう。問題の箇所「実験内容は事前に指示する」だが、「エステル合成」は応用化学の実技としては基礎的なものだから、当日に問題を出されてもできる程度の問題だろう。よって「募集要綱」を素直に読むかぎり、「試験直前の問題提示」と理解するのが、日本語として妥当だろう。
従って私は、小保方手記(p.8)にある「二次試験はエステルという化合物を合成する実技の試験だった。高校3年生の時の担任が化学の先生だったこともあり、二次試験の前には高校の理科室でエステル合成の実験の練習をさせてもらった。」という記載を読んで、彼女が試験前に問題を把握し、練習していたと理解した。
仮に百歩ゆずって、表1の「実施要綱」と異なり、表2の注にある「2002年度は一次合格発表時に、合格者に実験内容を指示。」というのが事実だとしよう。すると他の合格者も同じように行動するだろう。受験生がみな実技練習して、レポートを用意してくれば、試験会場での実技試験に意味はなく、面接だけが受験者の判別に役立つ、ということになる。まさか早稲田大ともあろうものが、そんな無駄でずさんな入試をするとは思えない。それに実施要綱と異なる方法で入試を行うのは、ルール違反である。
これについては「一次合格発表時に、合格者に実験内容を指示。」ということが、2001年秋の入試で行われたことの、確固とした証拠または証言を提出してもらいたいものだ。
なおこの場合でも、担任の教師が化学担当であり、化学実験室で予習ができた小保方が、抜群に優位な立場にあったことは争うまでもない。
この要綱のうち応用化学科には「学科独自の提出書類」というのがあり、「志願者の学業条項をよく知る人で、大学から問い合わせのできる紹介者リスト(2名以上)」というのがある。
これがクサイのである。この「紹介者リスト(2名以上)」に担任の化学教師が入っていたのは間違いないだろう。すると担任教師を通じれば、逆ルートの問い合わせも可能だったはずだ。
入試要項にある「実験室にて実験を行い、レポートを作成する(試験内容は事前に指示する)。その後、面接審査。」という文言を拡大解釈して、実験課題を「事前に伝えてもよい」、と誤読した早稲田の教員がいても不思議でない。
小保方の高校3年の担任教師が化学担当であり、勉強嫌いの小保方が「推薦入試」でランクの高い大学への進学を希望していると聞いたら、まずここを推薦するのは当然だろう。それに「出願資格」に生物学履修が入っていない。
小保方手記(p.8)から抜粋すると、
「…応用化学科への進学を希望していた。しかし、その年に私が希望するランクの大学の推薦枠の中に、希望にそった進路先を見つけることができず、担任の先生に進路相談…」とある。
小保方から相談を受けた担任教師は「早稲田の応用化学科が今年からAO入試をやるみたいだから、受けてみたらどうか」と指導している。
「やるみたい」と教師がいったのが事実とすれば、担任が口コミか何かで情報を知っていて、手元にはまだ「早稲田AO入試」の募集要項がなかったことを示す。この年の「出願期間(郵送受付)」は2001/7/30〜8/10のたった12日間だった。
小保方の「担任」が3年間一貫していた可能性もあるが、担任教師の話は「手記」ではここしか出て来ないので、年度替わりだったと仮定する。すると「その年に」という文言は2001年の4月以後のことを指している。早稲田の出願受付開始まで3ヶ月しかない。(ぎりぎりになって行動を起こすというパターンは小保方の人生に何度も繰り返される。)仮に担任が持ち上がりとしたら、1月から3月までの期間も含まれるだけのことだ。
だが、「楽をしてよい地位に行きたい」という発想をする小保方の性格を考えると、生物学を履修していない分、数学、物理、化学の基礎点がよいから、「生物学」が必要でない早稲田応用化学科は、それだけ有利になると考えるのは当然だろう。
これで小保方「早稲田応用化学科・AO入試受験」の謎は解けたと思う。エステル合成を事前練習していたとすれば、抜群のレポートが書けたはずだ。後は熱意や、やる気をお得意の演技で試験委員に披露すればよい。
要するに努力しないで「早稲田大学」というブランドが欲しかったのだ。それに「東京女子医大・医学博士」よりも「早稲田大・工学博士」の方が、上位ランクだと考えていただけだろう。ハーバードへの押しかけ留学も理研CDBへの潜入もすべて「自己顕示欲」の結果だろう。崇高な理想とか人類への奉仕とかは、すべて後付けの理屈だと私は思う。
2003年度のAO入試要綱に「2002年度は一次合格発表時、合格者に実験内容を指示」とわざわざ書かれていたことは、早稲田大の組織防衛のための「後付け」説明の可能性もある。一種の「アリバイ工作」だという可能性だ。実態はどうだったのか、2002年度AO入試で、小保方と同期に早稲田応用化学科に入学した、他の人の証言が必要だ。
間違っていれば謝罪する、という私のスタンスに変化はない。私は一次疑惑を指摘するだけで「屋上屋を架す」ような、推論は展開していない。小保方の「悪意」は認めるが、他の人については、陰謀説などは否認している。小保方が大学入試で「えこひいき」を教師から受けたという事実がないことが、早稲田の同期生からちゃんと証言されれば、私はいつでも謝罪する。
AO(アドミッション・オフィス)入試とは、一斉試験によらないで、優れた受験生を大学に入学させる方法として、米国などでは普及している。日本では1990年頃に、一部の大学で導入が始まった。近年、若者数の減少が目立ち、私学が入学定員の事前確保に利用するようになって、制度の頽廃が進んだ。
フランス・パリ大学医学部は他学部卒業生で入学希望者は全員入れるという。ただし途中で何度も試験があり、出来の悪いのをふるい分けるので、卒業できるのは10人にひとりと聞いた。
AO入試は試験官が少なく、その合議で決まるので、とかくコネや贈賄など不正がはびこりやすい、悪い制度だと思う。パリ大学のようなシステムと連動すれば別だが、「入学させた学生は卒業させるべき」という世論の圧力があると、かつての「売官制度」のようなものに転化しかねないと思う。
小保方は高校で生物学を履修していないだろう、従って彼女の生物学理解は中学生のレベルだったのではないか?というのが当初からの疑問だったが、早稲田応用化学科が生物学履修を求めていなかったことから間接的なエビデンスが固まった。
小保方は「手記」(p.8)で「応用化学科・志望理由書」に「私たちが生きている生命の本質を見つめる新たな観点を提案できるような研究者になりたい」と書いたと述べている。高校で生物学を履修していないで、こういう志望理由書を書く受験生を合格させた「応用化学科」というところも、摩訶不思議な学科である。
これでサイエンス誌の審査員から、なぜ小保方の投稿論文が「近代生物学の歴史を愚弄している」とまで酷評されたのか、その意味がわかった。
なぜメディアはこの重大な矛盾点を報道しなかったのだろう?そこがきちんと報道されていれば、「中学生物学の知識でノーベル賞級の発見?なんかおかしい…」と一般市民にもひろく疑念が生まれたはずなのに…
<2/18追記= 2/17配信のMRIC に元虎の門病院の小松秀樹先生が、「電子カルテ改ざん」について、こう書いておられる。
「嘘をつきとおすのは、不慣れな者には容易なことではない。紙カルテの場合、記載内容以外に、紙質、字体、紙の余白、インクなどさまざまなアナログ情報が残るので、改ざんは発覚しやすい。」
STAP論文の場合、まさに「紙カルテ」であり、改ざんは容易に発覚した。
だが小保方は、「改ざん」を不作為のミスとか他人のせいにして、「嘘を突きとおそう」としているように見うけられる。そして「あの日」で読む限り、それに自信があるように見える。
ということは、「不慣れな者」ではない、ということだろう。>
<2/20付記=「まいじつ」という「ネット情報サイト」によると、
http://myjitsu.jp/archives/4310/3
TV局と関係のある芸能プロダクションが小保方契約しようといろいろ動いている、という。
<出演料も別格の扱いだという。「情報系番組や報道番組なら、お車代として3~5万円前後の出演料だが、バラエティーなら1本あたり最低で10万円。視聴率が上がれば、ギャラはグーンとUPする」(編成担当)>とある。
手記「あの日」に「もう一度、最初から人生をやり直すことができたとしても、私はやはり研究者の道を選ぶだろう」と書いたばかりの人が、テレビ芸能番組に出てくるとは思えないが、「捏造犯が手記を公刊する」というありえないことが起こった後なので、これも「起こりえること」の一つか、と思う。>
小保方本がらみの「武田ブログ」への書き込みが【ティチャーズ・ペット】へのものを合わせて130件近くに達した。
早稲田の第1回AO入試(応用化学科)について、①小保方が事前にエステル合成の練習を高校の化学室でやれたのはなぜか?②応用化学科の受験に生物学は必須でなかったのか?という基本的問題がある。
後者については科学ジャーナリスト賞を受賞した須田桃子記者が、著書で解明しておかなければいけない大問題だった。なぜならSTAP細胞事件を起こした中心人物は中学生の生物学しか知らず、ハーバードでバカンティの妄説に引き込まれ、過去100年間の生物学論文を勝手に読み、ひたすら「妄想」を膨らませたと考えられるからだ。
①については、「早稲田 創生入試 2003」でネット検索したら、以下の年表に行き当たった。小保方晴子関連の年表だ。ゴチック体は小保方個人にかかわる出来事。
<26 : エリート街道さん2015/11/23(月) 19:34:37.45 ID:10T1mf9I
小5 1995年(地下鉄サリン事件)
小6 1996年
中1 1997年(バブル崩壊・大学任期制導入)
中2 1998年
中3 1999年(2chねる開設、厨房として荒らす)
高1 2000年
高2 2001年(アメリカ同時多発テロ)
高3 2002年
大1 2003年(早稲田理工AO入試1期生)
大2 2004年
大3 2005年
大4 2006年
修1 2007年 (女子医大大和研に国内留学)
修2 2008年(リーマンショック、早稲田応用化学会「特別給付奨学生」に、9月ハーバードへ留学)
博1 2009年 (学振特別奨学生D1に、9月帰国)
博2 2010年 (7月、小保方、大和、小島、常田が理研神戸CDBの若山へ共同研究申し入れ)
博3 2011年(1/4博士論文を早稲田に提出。東日本大震災、神戸理研CDC若山研に)
PD 2012年 (3/22植物学の本で「カルス」という概念を知る。10月iPS細胞にノーベル賞。
12/21:理研CDBでPI採用試験を受ける。笹井が論文執筆者に加わる。
12/26笹井が「STAP細胞」という名称を考案する)
PD 2013年(3月若山の山梨大転任に伴い「若山研」解散。「小保方研」を立ち上げる。
3/11NATUREへ最初の論文投稿。12/16三度目の修正論文投稿。
これが受理され以後、STAP騒動が発生)
小畑峰太郎「STAP細胞に群がった悪いヤツら」(新潮社)に掲載の年表は、小保方に関しては2006NENN 12月以降のものしかなく、小保方の「あの日」とも照合した上、正確だと考えるので転載しておく。
2014/2は「小保方フィーバー」の最中で、小保方に関する早稲田常田教授の以下のコメントが見つかった。
http://benesse.jp/kyouiku/201402/20140221-4.html
常田氏の記者会見を引用して、執筆者渡辺敦司がこう書いている。
<AO入試は学力不問入試などと批判されることも多いのですが、やり方によっては「とんがった学生」(学部時代の指導教員だった常田聡教授)を選抜できる入試改革であることの証明でもある。>
<(小保方さん)窮地に対して、そのつど国内外のトップ科学者から支援があったのは「人間力の高さがあったからではないか」と常田教授は評しています。>
「早稲田応用化学会(応化会)・特別給付奨学生からのメッセージ」というURLには、写真なしで小保方晴子のメッセージが寄せられている。
http://www.waseda-oukakai.gr.jp/gakusei/shougakukin/2007message.html#obokata
「小保方 晴子(常田研 M2)
小保方晴子私は幼き頃より、研究者を志し、特に再生医療に強い興味を持っておりました。また、早稲田大学応用化学科にはAO入試と言う特別入試枠で入学いたしました。そのときの面接において応用化学科の先生方が私の夢に真剣に耳を傾けてくださったことに感激し、これまで目標を見失わず大学生活を過ごすことができました。今回の面接においても、応化会OBの代表である選考委員のみなさまが私の未熟な考えを温かく受け入れてくださったこと、このご恩を忘れず、日々の研究に更に精進してまいりたいと考えております。
現在、応用化学科のOBである東京女子医科大学岡野光夫教授との共同研究の下、かねてから希望していた再生医療の研究を行っています。日々の研究生活は非常に充実しており、このような環境を与えてくださったOBのみなさまには感謝の気持ちが募る一方でございます。
博士後期過程進学後は、応援してくださるみなさまのお心に応えるべく、また応用化学会の更なる発展に少しでも寄与できるよう日々努力してまいります。このたびは本当にありがとうございました。」
ここには応用化学修士課程2年生4人が書いているが、そのなかに、「AO入試と言う特別入試枠で入学いたしました」と書いている人物は小保方だけである。
また「NAVERまとめ」というサイトには若山研に出入りを始めた頃の、まだあどけなさが残る小保方の写真が掲載されている。
http://matome.naver.jp/odai/2139083497943141501
「武田ブログ」に以下の書き込みがあった。(2003年度「創成入試」 〜2002年度からの変更点<要旨>〜)についてだ。
<Unknown (Unknown)=2016-02-17 11:38:
早稲田応用化学科
・ 実験室にて実験を行い、レポートを作成する(実験内容*は事前に指示する)。その後、面接審査。
*[2002年度は一次合格発表時、合格者に実験内容を指示。]
http://web.archive.org/web/20020606042326/http://www.sci.waseda.ac.jp/admission/AO/contents.html
AO入試において不正はなかったと思います。難波氏の誤りです。
「不正」と言ったことを謝罪するべきです。>
<Unknown (謝れ)=2016-02-17 20:13:
>元もと、STAP細胞事件での発言は、「修復腎移植」についても私が述べていることがウソではないことのPRだったので、STAP問題を深追いする気はない。もうこの話題も終りにしたい。
小保方さんのAO入試の事情がわかって逃げるんだな。
本当に卑怯な奴だ。「不正」と言ったことを謝れ。>
Unknown (Unknown)=2016-02-17 11:38氏のいうことが、小保方が受験した2002年度入試の要項に書いてあれば、事実関係は確定する。しかし事実はそうでない。
2001年秋に実施された第1回早稲田理工学部AO入試のうち「応用化学科」関係の部を、ここに抜粋する。できるだけ原資料をそのままカット&ペースとして、JPEG画像にした。
この画像を見れば、上記の疑問点は解決するだろう。(表1)これが2002年度AO入試の要綱だ。もとのURL、http://www.waseda.jp/jp/journal/2001/0105-1.pdf

(表1)
このように一次試験(筆記試験)は全国4会場で9月9日に行われ、小保方は東京で受験した。その合格発表は9月17日に行われ、9月30日に第二次試験が早稲田大で行われている。
二次試験については「実験室にて実験を行い、レポートを作成する(実験内容は事前に指示する)。その後、面接。」としか書いてない。
ところが、第2回AO入試にあたる「2003年度AO入試要項」には「2002年度は一次合格発表時、合格者に実験内容を指示」という、注記がわざわざ加えられている。
以下に早稲田2003年度AO入試の「応用化学科」の募集要項画像を示す。(表2)

(表2)
これは小保方が受験した、02年度応用化学科AO入試の二次試験に、何か問題があったこと認めているとしか思えない。
一次試験の合格発表後、13日後の9/30に二次試験行われた。02年度の試験要綱には「実験室にて実験を行い、レポートを作成する(実験内容は事前に指示する)。その後、面接審査。」とのみある。定員10名のAO入試枠に何人の一次試験合格者があったのかが不明だが、実習室を使うとなると、スペースや器具類の用意など試験者側に負担がかかるので、定員すれすれのところまで絞り込んでいたと見るのが妥当だろう。
二次試験は1日だから、午前中が実験とレポート作成提出、午後が面接だったと見てよいだろう。問題の箇所「実験内容は事前に指示する」だが、「エステル合成」は応用化学の実技としては基礎的なものだから、当日に問題を出されてもできる程度の問題だろう。よって「募集要綱」を素直に読むかぎり、「試験直前の問題提示」と理解するのが、日本語として妥当だろう。
従って私は、小保方手記(p.8)にある「二次試験はエステルという化合物を合成する実技の試験だった。高校3年生の時の担任が化学の先生だったこともあり、二次試験の前には高校の理科室でエステル合成の実験の練習をさせてもらった。」という記載を読んで、彼女が試験前に問題を把握し、練習していたと理解した。
仮に百歩ゆずって、表1の「実施要綱」と異なり、表2の注にある「2002年度は一次合格発表時に、合格者に実験内容を指示。」というのが事実だとしよう。すると他の合格者も同じように行動するだろう。受験生がみな実技練習して、レポートを用意してくれば、試験会場での実技試験に意味はなく、面接だけが受験者の判別に役立つ、ということになる。まさか早稲田大ともあろうものが、そんな無駄でずさんな入試をするとは思えない。それに実施要綱と異なる方法で入試を行うのは、ルール違反である。
これについては「一次合格発表時に、合格者に実験内容を指示。」ということが、2001年秋の入試で行われたことの、確固とした証拠または証言を提出してもらいたいものだ。
なおこの場合でも、担任の教師が化学担当であり、化学実験室で予習ができた小保方が、抜群に優位な立場にあったことは争うまでもない。
この要綱のうち応用化学科には「学科独自の提出書類」というのがあり、「志願者の学業条項をよく知る人で、大学から問い合わせのできる紹介者リスト(2名以上)」というのがある。
これがクサイのである。この「紹介者リスト(2名以上)」に担任の化学教師が入っていたのは間違いないだろう。すると担任教師を通じれば、逆ルートの問い合わせも可能だったはずだ。
入試要項にある「実験室にて実験を行い、レポートを作成する(試験内容は事前に指示する)。その後、面接審査。」という文言を拡大解釈して、実験課題を「事前に伝えてもよい」、と誤読した早稲田の教員がいても不思議でない。
小保方の高校3年の担任教師が化学担当であり、勉強嫌いの小保方が「推薦入試」でランクの高い大学への進学を希望していると聞いたら、まずここを推薦するのは当然だろう。それに「出願資格」に生物学履修が入っていない。
小保方手記(p.8)から抜粋すると、
「…応用化学科への進学を希望していた。しかし、その年に私が希望するランクの大学の推薦枠の中に、希望にそった進路先を見つけることができず、担任の先生に進路相談…」とある。
小保方から相談を受けた担任教師は「早稲田の応用化学科が今年からAO入試をやるみたいだから、受けてみたらどうか」と指導している。
「やるみたい」と教師がいったのが事実とすれば、担任が口コミか何かで情報を知っていて、手元にはまだ「早稲田AO入試」の募集要項がなかったことを示す。この年の「出願期間(郵送受付)」は2001/7/30〜8/10のたった12日間だった。
小保方の「担任」が3年間一貫していた可能性もあるが、担任教師の話は「手記」ではここしか出て来ないので、年度替わりだったと仮定する。すると「その年に」という文言は2001年の4月以後のことを指している。早稲田の出願受付開始まで3ヶ月しかない。(ぎりぎりになって行動を起こすというパターンは小保方の人生に何度も繰り返される。)仮に担任が持ち上がりとしたら、1月から3月までの期間も含まれるだけのことだ。
だが、「楽をしてよい地位に行きたい」という発想をする小保方の性格を考えると、生物学を履修していない分、数学、物理、化学の基礎点がよいから、「生物学」が必要でない早稲田応用化学科は、それだけ有利になると考えるのは当然だろう。
これで小保方「早稲田応用化学科・AO入試受験」の謎は解けたと思う。エステル合成を事前練習していたとすれば、抜群のレポートが書けたはずだ。後は熱意や、やる気をお得意の演技で試験委員に披露すればよい。
要するに努力しないで「早稲田大学」というブランドが欲しかったのだ。それに「東京女子医大・医学博士」よりも「早稲田大・工学博士」の方が、上位ランクだと考えていただけだろう。ハーバードへの押しかけ留学も理研CDBへの潜入もすべて「自己顕示欲」の結果だろう。崇高な理想とか人類への奉仕とかは、すべて後付けの理屈だと私は思う。
2003年度のAO入試要綱に「2002年度は一次合格発表時、合格者に実験内容を指示」とわざわざ書かれていたことは、早稲田大の組織防衛のための「後付け」説明の可能性もある。一種の「アリバイ工作」だという可能性だ。実態はどうだったのか、2002年度AO入試で、小保方と同期に早稲田応用化学科に入学した、他の人の証言が必要だ。
間違っていれば謝罪する、という私のスタンスに変化はない。私は一次疑惑を指摘するだけで「屋上屋を架す」ような、推論は展開していない。小保方の「悪意」は認めるが、他の人については、陰謀説などは否認している。小保方が大学入試で「えこひいき」を教師から受けたという事実がないことが、早稲田の同期生からちゃんと証言されれば、私はいつでも謝罪する。
AO(アドミッション・オフィス)入試とは、一斉試験によらないで、優れた受験生を大学に入学させる方法として、米国などでは普及している。日本では1990年頃に、一部の大学で導入が始まった。近年、若者数の減少が目立ち、私学が入学定員の事前確保に利用するようになって、制度の頽廃が進んだ。
フランス・パリ大学医学部は他学部卒業生で入学希望者は全員入れるという。ただし途中で何度も試験があり、出来の悪いのをふるい分けるので、卒業できるのは10人にひとりと聞いた。
AO入試は試験官が少なく、その合議で決まるので、とかくコネや贈賄など不正がはびこりやすい、悪い制度だと思う。パリ大学のようなシステムと連動すれば別だが、「入学させた学生は卒業させるべき」という世論の圧力があると、かつての「売官制度」のようなものに転化しかねないと思う。
小保方は高校で生物学を履修していないだろう、従って彼女の生物学理解は中学生のレベルだったのではないか?というのが当初からの疑問だったが、早稲田応用化学科が生物学履修を求めていなかったことから間接的なエビデンスが固まった。
小保方は「手記」(p.8)で「応用化学科・志望理由書」に「私たちが生きている生命の本質を見つめる新たな観点を提案できるような研究者になりたい」と書いたと述べている。高校で生物学を履修していないで、こういう志望理由書を書く受験生を合格させた「応用化学科」というところも、摩訶不思議な学科である。
これでサイエンス誌の審査員から、なぜ小保方の投稿論文が「近代生物学の歴史を愚弄している」とまで酷評されたのか、その意味がわかった。
なぜメディアはこの重大な矛盾点を報道しなかったのだろう?そこがきちんと報道されていれば、「中学生物学の知識でノーベル賞級の発見?なんかおかしい…」と一般市民にもひろく疑念が生まれたはずなのに…
<2/18追記= 2/17配信のMRIC に元虎の門病院の小松秀樹先生が、「電子カルテ改ざん」について、こう書いておられる。
「嘘をつきとおすのは、不慣れな者には容易なことではない。紙カルテの場合、記載内容以外に、紙質、字体、紙の余白、インクなどさまざまなアナログ情報が残るので、改ざんは発覚しやすい。」
STAP論文の場合、まさに「紙カルテ」であり、改ざんは容易に発覚した。
だが小保方は、「改ざん」を不作為のミスとか他人のせいにして、「嘘を突きとおそう」としているように見うけられる。そして「あの日」で読む限り、それに自信があるように見える。
ということは、「不慣れな者」ではない、ということだろう。>
<2/20付記=「まいじつ」という「ネット情報サイト」によると、
http://myjitsu.jp/archives/4310/3
TV局と関係のある芸能プロダクションが小保方契約しようといろいろ動いている、という。
<出演料も別格の扱いだという。「情報系番組や報道番組なら、お車代として3~5万円前後の出演料だが、バラエティーなら1本あたり最低で10万円。視聴率が上がれば、ギャラはグーンとUPする」(編成担当)>とある。
手記「あの日」に「もう一度、最初から人生をやり直すことができたとしても、私はやはり研究者の道を選ぶだろう」と書いたばかりの人が、テレビ芸能番組に出てくるとは思えないが、「捏造犯が手記を公刊する」というありえないことが起こった後なので、これも「起こりえること」の一つか、と思う。>
以前は写真も掲載されていたようですが、不正騒ぎが大きくなってきて削除されたようです。
>受験生がみな実技練習して、レポートを用意してくれば、試験会場での実技試験に意味はなく、面接だけが受験者の判別に役立つ、ということになる。
この件は、当時の創生入試の正確な情報が入ってくればいいのですが。
ただ、難波先生がおっしゃるように、大学が受験生全員に前もって実験内容を通達していたら、素で高い能力を持った人材を選抜することが難しくなると思います。
みーんな、前もって高校の教師や塾に頼んで合格できそうな対策をしてくるでしょうからね。
それでは本人の素の能力ではなく、教師や塾の能力や対策力が反映されることになるだけです。
さらに言えば、指導力のある教師や実験練習できる学校施設や対策してくれる塾の乏しい地域の生徒は、前もって対策できる生徒と比べたら、大幅に不利になるでしょうね。
楽して良い地位を目指す
自己顕示欲が大きい
上記は「捏造犯が手記を書いた」 ことにより、改めて確認された点ですね。
小保方氏は手記で一見自己弁護している様で、上記を露わにして悔い改めているのか とも感じます。
似た感覚として
スタップ論文の会見で小保方氏が「レフリーからリジェクトのコメントで 生命科学を愚弄した と言われた」
と話していましたが、その様なコメントをしたレフリーはいなかったとの事。
小保方氏の中にジキル博士とハイド氏 の様に、小保方氏の奥にある良心が、「科学を愚弄している」 と言わしたのかなと。
小保方氏の心の中には大きな闇があると感じます。
(略)
> これについては「一次合格発表時に、合格者に実験内容を指示。」ということが、2001年秋の入試で行われたことの、確固とした証拠または証言を提出してもらいたいものだ。
ちょっと、言い逃れが酷いように感じました。早稲田のウェブページの記述を否定する証拠がないなら、それを素直に解釈すべきでしょう。むしろ、「何か問題があったこと」の、確固とした証拠または証言を提出するのは、難波さんのほうではないですか? 人を疑うなら、疑うほうに立証責任があると考えるのが普通です。また、当時の二次試験に関係した少数の人たちの証言が得られると思われますか? そのような人がここを見ていることなど希でしょう。また、そのような人を誰が苦労して探し出すのでしょう? 早稲田大学に問い合わせることも可能です。しかし、早稲田側がウェブページの内容を肯定したとして、それを信用するなら、もともとウェブページの内容を信じれば良い話です。要するに、もともとほぼ不可能な立証を要求し、その要求がかなわなければ自分の推測が正しいという姿勢です。ちょっと感心できません。
> 受験生がみな実技練習して、レポートを用意してくれば、試験会場での実技試験に意味はなく、
「レポートを作成する(実験内容は事前に指示する)」は、「実験内容は」事前に伝えるとあるが、レポートの中心課題は事前に伝えるとはありません。その場合、実験は単に実験者としての手技を確認する前提部分にすぎず、「レポートを作成する」というところにひねりがあり、そここそが試験の肝である可能性もあります。その場合、実験を練習してきたら試験の意味がなくなるとは言い切れません。
同意します。下記の他学科の要項見れば、「実験内容は事前に指示する」応用化学科との、違いは明らかだと思います。
www.waseda.jp/jp/journal/2001/0105-1.pdf
「理工学部 2002 年度より 「創成入試(AO方式)」を導入 」
●化学科(5名) ②実験室にて実験を行い、レポートを作成する。その後、実験についてのプレゼンテーションおよび質疑応答。
●情報学科(6名) ②当日出題される課題の中から1題を選択し、その課題に対するプログラムをコンピュータ室にて作成する。その後、面接審査(当日作成した プログラム、および「私の自慢するプログラム」の説明と質疑応答)。
早稲田の第1回目のAO入試はほぼ出来レースです。
大学側も高校(小保方の担任)側も実績が欲しいのでタッグ組みますよね。
紹介者リストは、担任と小保方の母親でしょうか?
Bさんがそれを読んで変じゃねーよ.素直じゃねーな.信じるものが救われんじゃと言いました.
Cさんが出てきてそーだそーだと言いました.
一次合格発表時に合格者に配布(送付)された印刷物は残っていないのでしょうか、、まさか、一次合格者に口頭で実験課題内容を伝えたのでしょうか?
指示って、、口頭での指示なんですか? 大学入試としてそれどうなんですか?
記念すべき第1回AO入試なのだから早稲田大学に残っているでしょうね?
どうしても、小保方の単独犯で終了したいのかな。
(略)
> 実験課題を「事前に伝えてもよい」、と誤読した早稲田の教員がいても不思議でない。
ここを見ている、早稲田大学内部の方、AO入試の同期生の方、もしいらっしゃったら、早稲田大学の名誉のために証言してください。難波氏は、早稲田大学がAO入試の内容を事前に受験者の関係者に漏らし、結果的にAO入試に不正があったと主張しています。最低限必要な証言は、「第1回AO入試・応用化学科の二次試験の実験内容が、いつ、合格者に伝えられたか?」です。