【書物離れ】
「ビジネス・ジャーナル」というネット誌に大宅健一郎という人物が、下劣な記事を書いている。http://biz-journal.jp/2016/02/post_13989.html
<STAP問題の元凶は若山教授だと判明…恣意的な研究を主導、全責任を小保方氏に背負わせ>
というもので、事件を発端からフォローしているものには「噴飯もの」としか受けとめられない内容だ。
「あの日」P.186に「なぜ私たちが毎週のようにSTAP騒動を取り上げてきたか。…読者の評判がよかったから、…STAPを書けば部数が伸びました」という週刊誌記者の小保方宛メールが引用されている。残念だが、ごく普通のジャーナリストの本音はそんなものだろう。
2/28NHKニュースが<読書しない大学生は45% 過去最高>と報じている。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160228/k10010424361000.html
<スマートフォンの1日の平均利用時間は155.9分で、なかには10時間以上利用していると答えた学生もいた>というから、紙本でなく液晶画面で文字を読むというのが主体になりつつあるのだろう。
「日経」には、「アラフィフ」の女性記者が、「スマホ老眼」になり老眼鏡を調達するという記事が連載されている。「眼鏡の里」といわれる福井県のある町まで出かけて自製の眼鏡フレームをつくるなど、面白く読んでいる。
スマホの使いすぎだと、紙本よりも近見視力を酷使するので、「眼精疲労」により遠見視力がてきめん落ちる。これは小学・中学時代の読書過多による「仮性近視」発生の仕組みと同じである。
私は最近では、PCの液晶画面は1メートル離れて読み、かつ操作している。だから、近見視力は新聞や紙本を読む時にしか使わない。もちろんスマホも利用しない。それでも終日、画面を読み、入力しているとやはり「眼精疲労」が生じるので、眼球マッサージをしている。
2/28「産経」、「時評文芸」欄で石原千秋(早稲田大教授)が「紙の本の終りが具体的に見えてきた」と書き、「出版界はこれから毎年100万人の購読者を失い続けることになる」と述べている。総人口の純減が毎年100万人という時代が来るから、読書率が飛躍的に向上しないかぎり、「読書人口の減少」はNHKの報道とあわせ解釈すれば、当然だろうと想う。
1905年に雑誌「ホトトギス」に発表された漱石の「吾輩は猫である」など、面白さ・滑稽さで読ませるものの、中身はそうとう難解である。英語、ドイツ語、フランス語の知識がないとわからないし、英文学の基礎知識が理解に必要だ。
これを流行小説にしたのだから、漱石の力量は大したものだったと思う。
「書物離れ」を防ぐには、願わくば、メディアがそういう作家を発掘・売り出すことだと思う。つまり読書の質を上げることだ。
「ビジネス・ジャーナル」というネット誌に大宅健一郎という人物が、下劣な記事を書いている。http://biz-journal.jp/2016/02/post_13989.html
<STAP問題の元凶は若山教授だと判明…恣意的な研究を主導、全責任を小保方氏に背負わせ>
というもので、事件を発端からフォローしているものには「噴飯もの」としか受けとめられない内容だ。
「あの日」P.186に「なぜ私たちが毎週のようにSTAP騒動を取り上げてきたか。…読者の評判がよかったから、…STAPを書けば部数が伸びました」という週刊誌記者の小保方宛メールが引用されている。残念だが、ごく普通のジャーナリストの本音はそんなものだろう。
2/28NHKニュースが<読書しない大学生は45% 過去最高>と報じている。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160228/k10010424361000.html
<スマートフォンの1日の平均利用時間は155.9分で、なかには10時間以上利用していると答えた学生もいた>というから、紙本でなく液晶画面で文字を読むというのが主体になりつつあるのだろう。
「日経」には、「アラフィフ」の女性記者が、「スマホ老眼」になり老眼鏡を調達するという記事が連載されている。「眼鏡の里」といわれる福井県のある町まで出かけて自製の眼鏡フレームをつくるなど、面白く読んでいる。
スマホの使いすぎだと、紙本よりも近見視力を酷使するので、「眼精疲労」により遠見視力がてきめん落ちる。これは小学・中学時代の読書過多による「仮性近視」発生の仕組みと同じである。
私は最近では、PCの液晶画面は1メートル離れて読み、かつ操作している。だから、近見視力は新聞や紙本を読む時にしか使わない。もちろんスマホも利用しない。それでも終日、画面を読み、入力しているとやはり「眼精疲労」が生じるので、眼球マッサージをしている。
2/28「産経」、「時評文芸」欄で石原千秋(早稲田大教授)が「紙の本の終りが具体的に見えてきた」と書き、「出版界はこれから毎年100万人の購読者を失い続けることになる」と述べている。総人口の純減が毎年100万人という時代が来るから、読書率が飛躍的に向上しないかぎり、「読書人口の減少」はNHKの報道とあわせ解釈すれば、当然だろうと想う。
1905年に雑誌「ホトトギス」に発表された漱石の「吾輩は猫である」など、面白さ・滑稽さで読ませるものの、中身はそうとう難解である。英語、ドイツ語、フランス語の知識がないとわからないし、英文学の基礎知識が理解に必要だ。
これを流行小説にしたのだから、漱石の力量は大したものだったと思う。
「書物離れ」を防ぐには、願わくば、メディアがそういう作家を発掘・売り出すことだと思う。つまり読書の質を上げることだ。
オタンチン・パレオロガスがコンスタンチン帝の洒落だったり、笑いすぎて死んだ人の話がディオゲネスに出典があったり、ドングリのstabilityがNewton力学のことだったりする。
三四郎にも光の圧力を測定している場面が出てきたりする。明治の知識人は本当に知識人だったのだ。