【元朝日記者問題】
2/13「朝鮮日報」は元「朝日」記者で、札幌の北星学園大・非常勤講師の植村隆記者に対するインタビュー記事を載せている。
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/12/13/2014121300645.html
先日はNYTが彼の取材を行った上で、「朝日バッシング」の不当性を伝える記事を載せたという。記者は戦前の「東大矢内原事件」と今の「植村事件」を同列に扱っている!
(北大準教授中嶋岳志(政治学)による、これと同じ趣旨の書評(中公新書「言論抑圧:矢内原事件の構図」)を12/14「毎日」が書評欄トップに載せていてあきれた。
やっぱり川村二郎「毎晩になる前に、だから毎日は嫌われる」という本が出るな…。)
矢内原(やないはら)忠雄(東大経済学部教授)は、1937(昭和12)年「中央公論」9月号の、日本の中国での侵略行動を批判した論文「国家の理想」が問題となり、文部大臣の圧力と学部内の反矢内原派教授の批判を受けた総長長与又郎(東大病理学教授)が、それらに屈するかたちで辞職を促した。矢内原は同年12月、東大に辞表を提出し依願退職した。最終講義で、
「身体ばかり太って、魂がやせた人を軽蔑する。諸君はそういう人になるな」
と述べたとされる。時流に迎合して利得を得る人たちを批判したのだ。
8年のブランクを置いて戦後45年11月、彼は東大経済学部に復職し、学部長などをへて1951年に東大総長に選ばれた。退任後の1957年、名誉教授になっている。
戦後、教授から東大総長になった大河内は、1964年(矢内原の死去は1961年)の卒業式で
「諸君は太った豚になるよりも、やせたソクラテスになれ」
、と訓示した(少なくもメディアはそう報道した)。
〔関連文献〕1) 竹内洋『大学という病』(中公文庫)、 2) J.S. ミル『大学教育について』(岩波文庫):竹内洋による「解説」
これは矢内原のことばを大河内がパラフレーズしたのではない。ふたりとも英語の次の文章を言い替えたのだ。
<It is better to be a human being dissatisfied than a pig satisfied; better to be Socrates dissatisfied than a fool satisfied.> (J.S. ミル「功利主義」第2章6:40 =下線は引用者による。)
J.S. ミル(1806〜は「満足せる豚」に「満足せぬソクラテス(人間)」が優る理由として、満足しても豚は豚で、自分の意見(立場)しか理解しないが、人間は相手の意見(立場)を理解することができ、ふたつの立場を比較できる。まして不満足な人間なら、さらなる完成を求めて努力することができる、としている。
「最大多数の最大幸福」を唱えたベンサムの友人だった父親ジョンが、息子のジョン・スチュアートに対して、自らが教師になって英才教育を行い、学校には行かせなかった(もちろん大学にも)。が、その著書『論理学体系(1843)』は当時、オックスフォード大学の論理学教科書として用いられ、「功利主義(Utilitarianism)」(1861)は、現在もオックスォード大の哲学教科書のひとつとなっている。(引用文はR.Crisp編の教科書版「J.S. Mill:Utilitarianism」, Oxford Univ. Press, 1998による。)
有名な『自由論(On Liberty)』の出版は1859年である。
(それにしてもこのオックスォード大の教科書はよくできていると思う。解説、注釈、索引がしっかりしており、文献目録には古代から現代まで、善の効用について哲学者たちがどう考えてきたか、代表的な著書の現行版がずらっと並べられており、学生が自修できるようになっている。外国語辞書や用語集の紹介まである。)
植村氏は、
<「一部では、慰安婦問題を『強制連行の証拠』くらいの小さな問題にしようとしている。だが、慰安婦問題の本質は、自身の意思に反し慰安婦としての生活を強要された女性の人権問題だ。国連も米国も人権問題の視点からアプローチしている。文書として残されている証拠の有無を問う主張は、世界的にも通用しない」>と話したそうだ。だが、彼は日本のメディアに対しては「朝日広報部を通してくれ」というだけで、8月の「朝日<吉田証言>記事取り消し」以来、いっさい取材・会見に応じていない。
<自身の意思に反して強要された女性の人権問題だ>というのなら、太平洋戦争中の徴兵制はどうなる?あの戦争を煽った戦中の「朝日」の報道はどうなる?日本には欧米にある「良心的徴兵拒否」制度がない。そのことを新聞は報じたことがあるのか。
私には、ミルが『自由論』や『代議政治論』や『功利主義』で述べたことは、「朝日慰安婦報道問題」とは何の関係もないと思われる。
植村記者には、ちゃんと出てきて釈明してもらいたいものだ。
2/13「朝鮮日報」は元「朝日」記者で、札幌の北星学園大・非常勤講師の植村隆記者に対するインタビュー記事を載せている。
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/12/13/2014121300645.html
先日はNYTが彼の取材を行った上で、「朝日バッシング」の不当性を伝える記事を載せたという。記者は戦前の「東大矢内原事件」と今の「植村事件」を同列に扱っている!
(北大準教授中嶋岳志(政治学)による、これと同じ趣旨の書評(中公新書「言論抑圧:矢内原事件の構図」)を12/14「毎日」が書評欄トップに載せていてあきれた。
やっぱり川村二郎「毎晩になる前に、だから毎日は嫌われる」という本が出るな…。)
矢内原(やないはら)忠雄(東大経済学部教授)は、1937(昭和12)年「中央公論」9月号の、日本の中国での侵略行動を批判した論文「国家の理想」が問題となり、文部大臣の圧力と学部内の反矢内原派教授の批判を受けた総長長与又郎(東大病理学教授)が、それらに屈するかたちで辞職を促した。矢内原は同年12月、東大に辞表を提出し依願退職した。最終講義で、
「身体ばかり太って、魂がやせた人を軽蔑する。諸君はそういう人になるな」
と述べたとされる。時流に迎合して利得を得る人たちを批判したのだ。
8年のブランクを置いて戦後45年11月、彼は東大経済学部に復職し、学部長などをへて1951年に東大総長に選ばれた。退任後の1957年、名誉教授になっている。
戦後、教授から東大総長になった大河内は、1964年(矢内原の死去は1961年)の卒業式で
「諸君は太った豚になるよりも、やせたソクラテスになれ」
、と訓示した(少なくもメディアはそう報道した)。
〔関連文献〕1) 竹内洋『大学という病』(中公文庫)、 2) J.S. ミル『大学教育について』(岩波文庫):竹内洋による「解説」
これは矢内原のことばを大河内がパラフレーズしたのではない。ふたりとも英語の次の文章を言い替えたのだ。
<It is better to be a human being dissatisfied than a pig satisfied; better to be Socrates dissatisfied than a fool satisfied.> (J.S. ミル「功利主義」第2章6:40 =下線は引用者による。)
J.S. ミル(1806〜は「満足せる豚」に「満足せぬソクラテス(人間)」が優る理由として、満足しても豚は豚で、自分の意見(立場)しか理解しないが、人間は相手の意見(立場)を理解することができ、ふたつの立場を比較できる。まして不満足な人間なら、さらなる完成を求めて努力することができる、としている。
「最大多数の最大幸福」を唱えたベンサムの友人だった父親ジョンが、息子のジョン・スチュアートに対して、自らが教師になって英才教育を行い、学校には行かせなかった(もちろん大学にも)。が、その著書『論理学体系(1843)』は当時、オックスフォード大学の論理学教科書として用いられ、「功利主義(Utilitarianism)」(1861)は、現在もオックスォード大の哲学教科書のひとつとなっている。(引用文はR.Crisp編の教科書版「J.S. Mill:Utilitarianism」, Oxford Univ. Press, 1998による。)
有名な『自由論(On Liberty)』の出版は1859年である。
(それにしてもこのオックスォード大の教科書はよくできていると思う。解説、注釈、索引がしっかりしており、文献目録には古代から現代まで、善の効用について哲学者たちがどう考えてきたか、代表的な著書の現行版がずらっと並べられており、学生が自修できるようになっている。外国語辞書や用語集の紹介まである。)
植村氏は、
<「一部では、慰安婦問題を『強制連行の証拠』くらいの小さな問題にしようとしている。だが、慰安婦問題の本質は、自身の意思に反し慰安婦としての生活を強要された女性の人権問題だ。国連も米国も人権問題の視点からアプローチしている。文書として残されている証拠の有無を問う主張は、世界的にも通用しない」>と話したそうだ。だが、彼は日本のメディアに対しては「朝日広報部を通してくれ」というだけで、8月の「朝日<吉田証言>記事取り消し」以来、いっさい取材・会見に応じていない。
<自身の意思に反して強要された女性の人権問題だ>というのなら、太平洋戦争中の徴兵制はどうなる?あの戦争を煽った戦中の「朝日」の報道はどうなる?日本には欧米にある「良心的徴兵拒否」制度がない。そのことを新聞は報じたことがあるのか。
私には、ミルが『自由論』や『代議政治論』や『功利主義』で述べたことは、「朝日慰安婦報道問題」とは何の関係もないと思われる。
植村記者には、ちゃんと出てきて釈明してもらいたいものだ。
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