難波先生の少し前のご主張です。
是非お読みください。
政治だけではなく、科学もお金でゆがませてはならないと思います。
//ここから
【原発御用学者】今朝の「産経」に原子力安全委員会のデタラメ春樹委員長の「退任記者会見」のもようが報じられている。(添付1)「独断での退任は否定した」そうだから、他の4委員を道連れに辞める、ということだろう。
久住静代委員にもやめてもらいたい。広島の恥だ。
斑目氏のあだ名「デタラメ」は今回の事故でみながつけたのかと思っていたら、添付2(先日の書籍リストNo.16)のp.138にあるように、2007年2月、静岡地裁での「浜岡原発運転差し止め」裁判で、なんと中部電力の証人として出廷し、「地震が起こったときに、破断(冷却水のパイプ損傷)することまで考える必要はない」と述べた、輝かしい経歴の持ち主だそうだ。それで住民から「デタラメハルキ」という尊称を賜ったというわけ。
原発をめぐる産・官・学の利益複合体については、広瀬隆が非常に詳しい。上記「原発の闇を暴く」ではそれを「原発マフィア」と呼んでいる。
そこに御用学者の主な人物のリストが載っている。
医師の学閥とその弊害については、医師で政治学者のKさんが研究中だが、広島の放影硏と長崎大学医学部の人脈が突出している。広島大学原医硏も関係しており、先輩としても放影硏の学術顧問(名ばかりで何もしていない)としても、大変恥ずかしく思う。
上記の本の中で広瀬隆は、
「原子力の研究分野では、東大工学部、東工大原子炉工学研究所、京大原子炉実験所の研究者たちが原子力推進の三大勢力で、やたらテレビに出て安全デマをふりまいていたのも、ほとんどここの御用学者たちだった。
電力会社はこうした大学の研究者たちに共同研究や寄付講座といった名目で、うす汚れたカネを配るわけです。その見返りとして研究者たちは、いかに原発が安全かと遠吠えし、電力会社から毎日餌を与えられた飼い犬になってキャンペーンを張る。こういう譬えは犬に失礼なぐらいだ。」、と述べている。(p.99)
企業がカネを出す寄付講座については、まったくその通りでしょう。日本にはアンドルー・カーネギーみたいな金持ちはいませんから、企業が寄付する講座は紐付きです。下心あってのことです。広大にも寄付講座がいくつもあります。これは大学が法人化してから、非常に顕著になった。昔は、「産学協同」は学問の中立性、独立性をおかすとして犯罪視されていた。それが今では大学トップが奨励するあり様です。
学者もそれを当然と考えているから、製薬会社の寄付講座の教授である阪大の高原史氏を、日本移植学会は理事長に選んだのでしょうな。和田移植の頃の移植学会でも、こういう人事はありえなかった。
私は政府の方針が自分の学問的良心と合致する場合に、それを支持する学者は御用学者とは思いません。自分の信念も学問的根拠もなく、あっちのお座敷(審議会)、こっちのお座敷(委員会)と呼ばれればどこへでもホイホイと出かけ、嬉しげにそれを名刺の肩書に刷り、事務方が用意した審議予定に、深い考えもなく同意を与え、かくしてお役所のはくづけのために協力して、見返りに謝金や科学研究費の交付を受けている研究者のことを、「御用学者」と呼びます。政府の方針が変わって、自分が不利になっても、一貫した主張をすれば、それは御用学者ではありません。
デタラメハルキ氏が、「ごめんなさい」とあやまったのは、彼が御用学者であったことの証明です。信念がなかったのです。
私の記憶が正しければ、確かフランスは例の薬害エイズ事件の際に、加熱製剤への転換にストップをかけたフランス衛生省の担当局長を「殺人罪」で罰したはずです。ただしフランスは死刑を廃止していますから、死刑にはなりません。
私は原発事故は、「重過失致死罪」に相当すると思います。皆さんはどうお考えでしょうか、
是非お読みください。
政治だけではなく、科学もお金でゆがませてはならないと思います。
//ここから
【原発御用学者】今朝の「産経」に原子力安全委員会のデタラメ春樹委員長の「退任記者会見」のもようが報じられている。(添付1)「独断での退任は否定した」そうだから、他の4委員を道連れに辞める、ということだろう。
久住静代委員にもやめてもらいたい。広島の恥だ。
斑目氏のあだ名「デタラメ」は今回の事故でみながつけたのかと思っていたら、添付2(先日の書籍リストNo.16)のp.138にあるように、2007年2月、静岡地裁での「浜岡原発運転差し止め」裁判で、なんと中部電力の証人として出廷し、「地震が起こったときに、破断(冷却水のパイプ損傷)することまで考える必要はない」と述べた、輝かしい経歴の持ち主だそうだ。それで住民から「デタラメハルキ」という尊称を賜ったというわけ。
原発をめぐる産・官・学の利益複合体については、広瀬隆が非常に詳しい。上記「原発の闇を暴く」ではそれを「原発マフィア」と呼んでいる。
そこに御用学者の主な人物のリストが載っている。
医師の学閥とその弊害については、医師で政治学者のKさんが研究中だが、広島の放影硏と長崎大学医学部の人脈が突出している。広島大学原医硏も関係しており、先輩としても放影硏の学術顧問(名ばかりで何もしていない)としても、大変恥ずかしく思う。
上記の本の中で広瀬隆は、
「原子力の研究分野では、東大工学部、東工大原子炉工学研究所、京大原子炉実験所の研究者たちが原子力推進の三大勢力で、やたらテレビに出て安全デマをふりまいていたのも、ほとんどここの御用学者たちだった。
電力会社はこうした大学の研究者たちに共同研究や寄付講座といった名目で、うす汚れたカネを配るわけです。その見返りとして研究者たちは、いかに原発が安全かと遠吠えし、電力会社から毎日餌を与えられた飼い犬になってキャンペーンを張る。こういう譬えは犬に失礼なぐらいだ。」、と述べている。(p.99)
企業がカネを出す寄付講座については、まったくその通りでしょう。日本にはアンドルー・カーネギーみたいな金持ちはいませんから、企業が寄付する講座は紐付きです。下心あってのことです。広大にも寄付講座がいくつもあります。これは大学が法人化してから、非常に顕著になった。昔は、「産学協同」は学問の中立性、独立性をおかすとして犯罪視されていた。それが今では大学トップが奨励するあり様です。
学者もそれを当然と考えているから、製薬会社の寄付講座の教授である阪大の高原史氏を、日本移植学会は理事長に選んだのでしょうな。和田移植の頃の移植学会でも、こういう人事はありえなかった。
私は政府の方針が自分の学問的良心と合致する場合に、それを支持する学者は御用学者とは思いません。自分の信念も学問的根拠もなく、あっちのお座敷(審議会)、こっちのお座敷(委員会)と呼ばれればどこへでもホイホイと出かけ、嬉しげにそれを名刺の肩書に刷り、事務方が用意した審議予定に、深い考えもなく同意を与え、かくしてお役所のはくづけのために協力して、見返りに謝金や科学研究費の交付を受けている研究者のことを、「御用学者」と呼びます。政府の方針が変わって、自分が不利になっても、一貫した主張をすれば、それは御用学者ではありません。
デタラメハルキ氏が、「ごめんなさい」とあやまったのは、彼が御用学者であったことの証明です。信念がなかったのです。
私の記憶が正しければ、確かフランスは例の薬害エイズ事件の際に、加熱製剤への転換にストップをかけたフランス衛生省の担当局長を「殺人罪」で罰したはずです。ただしフランスは死刑を廃止していますから、死刑にはなりません。
私は原発事故は、「重過失致死罪」に相当すると思います。皆さんはどうお考えでしょうか、