ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【自省録】難波先生より

2013-10-17 12:53:31 | 難波紘二先生
【自省録】ローマ皇帝の中にはネロやカリグラのように粗野で暴虐な人物も多いが、カエサルのように文武両道に優れ「ガリア戦記」のような著作を残した人もいる。なかでもストア哲学を深く研究し「自省録」12巻を記した2世紀の皇帝マルクス・アウレリウスは別格だろう。
 この頃、ローマ帝国はその最大版図に達しており、ブリテン島はその属州で「ハドリアヌスの長城」が築かれていた。広大な帝国の最辺境の地で戦い、あるいは国境警備隊を視察する巡行の旅で、彼はこの書を書いた。書き連ねられたこれらの省察には時空を超えて、ひとの心に訴えるものがある。


 前項で「ストーカー」について触れた。三鷹市のストーカー殺人の場合は、facebookで見知らぬ二人が知りあったのが、そもそものきっかけのようだ。漱石の場合は、朝日新聞により漱石の知名度が向上し、郵便制度により見知らぬ人物から葉書が届くようになったのがきっかけとなった。
 二つのストーカー事件はまったく違うように見えるが、未知の人物同士を結びつけたのが一方は郵便制度であり、他方はIT技術であるという違いがあるだけではないか。漱石は郵便の受け取り拒否をしたが、他方はメルアドやケータイの番号などを全部変えるというセキュリティが完全にできなかった点が違うだけだと思われる。


 IT社会ではみんなスマフォに夢中になっていて、周囲への目配りが欠落するという状況が危険をもたらす場合もある。
 「ニューズウィーク」日本語版が、SFの地下鉄内で起こった信じられない狙撃事件を紹介している。
 http://www.newsweekjapan.jp/stories/us/2013/10/post-3069.php
「テクノロジーが問題を悪化させている」と検察官が述べているが、そのとおりだろう。
 ITスキルはこれまでその便利さ、有利さが強調されてきたが、その危険さ落とし穴も同時にある。それは実際に起こってみるまで、それと分からない。



 大阪の橋下徹はTwitterを武器として「維新の会」ブームを巻き起こし、一時は政界再編のカギを握る人物と目されていた。が、堺市長選の惨敗に象徴される最近の低迷ぶりは、彼の得意とするツィッターでの数々の失言が主たる原因ではないかと感じられる。


 既存メディアに不信感を募らせ「脱ジャーナリスト宣言」をしていた上杉隆が、2年足らずで宣言撤回を表明したのも、「ツィッターの罠」にはまったためのようだ。
 http://uesugitakashi.com/?p=7373
 ツィッターは<Twitter(ツイッター)は、140文字以内の「ツイート」と称される短文を投稿できる情報サービス[1]で、ツイッター社によって提供されている。>とWIKIにある。



 英語だと280文字、40語くらいになるのだろうが、日本語だと新聞記事14行分しかない。乗り物の中や出先から、思いついた時にすぐに発信できるのは便利だが、その分だけ熟慮が足りない、舌足らずになる、短い文章だから誤解されやすい。生活費に窮した学生が「カネオクレタノム」と親元へ電報を打ったら「タレクレタノムナ」(誰呉れた、飲むな)と親から返電が来たという話のようなものだ。
 実際に山田風太郎は、「ソフシスカエルマツ」という電報を受け取り、敗戦記の混乱のなかをすし詰めの列車に乗って、東京から郷里の但馬に帰省したら祖父はピンピンしていた。発信人を見たら、千葉が故郷である友人の松野が山田宛に打ったもので「祖父死す、帰る、松(野)」の誤読だったという話を随筆に書いている。


 日垣隆がメルマガを始めてからあまり名前を見なくなったな、と思ったら「有料メルマガの罠」というのもあるようだ。Morimatsuという人物が上手くまとめている。
 http://togetter.com/li/299725
 彼の「売文生活」(ちくま新書, 2005)には、225点の参考書籍が挙げてあり、メルマガの「有料読者がいなければ、このような文献を短期間に購入し手元において書くことは不可能だった」とあとがきに書いてある。
 (これは日本の作家の原稿料と印税の歴史についての本だが、上滑りしていて、広津和郎の果たした役割について書いた保高徳藏「ある時代の広津和郎氏」という「日本文学大系46:宇野浩二・広津和郎」(筑摩書房)所収の重要な論考が落ちている。)


 では有料メルマガでどの程度年収があったか。日垣によると2005/1時点で
 原稿料:印税:有料メルマガ:その他=比率が各25% だという(p.18)。
 年収がどのくらいあるのかわかりませんが、「つながる読書術」(講談社現代新書, 2011)によると、「仕事場に蔵書が4万冊あり、あと2万冊はおけるスペースがある」が、「3年以内に、書斎を兼ねた巨大ライブラーを予算3億円で確保する」(p.221)と書いていますから、誇大妄想でなければ、年収5,000万円はあると思われます。
 この本には「読まずに死ねない厳選100冊」がリストアップされていますが、私が読んだのは1/3ちょっとです。レベルの低い本が多く、読まずに死んでも惜しいとは思わない。


 上記Morimatsu氏は、有料メルマガの罠として、「有料化するとネタ切れになり質が落ち、読者離れが起こり、これが捏造・盗作につながる」という悪循環の成立を指摘している。生活をメルマガ収入に依存してしまうことの怖さを衝いている。
 日垣がこの罠にはまったかどうかは必ずしも自明でないが、2000年頃に比べて仕事の質が落ちているとはいえるようだ。
 私の経験では、メルマガ原稿は雑誌や本の原稿と異なり編集者のチェックがかからないので、ミスや誤解があった場合に、それを未然に防ぐというのが難しいという弱点があると思う。活字文でも校閲部が見逃すエラーもあるが、頻度は少ない。
 メルマガの文章も変換ミスや文法上の単純ミスを避けるには、「校正」の時間を十分にとるしかない。そう思って、1節を書くごとに書棚の本を探しに行っている。


 この項の題をマルクス・アウレリウスから借りてきたのも、ITの「便利ツール」のもつ落とし穴についての自省の念からである。
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