【大規模書店】12/14(土)は寒い日だった。15:15の路線バスで西条駅まで出て、JRで広島に出た。19:00からの病理学教室の忘年会に出席するためだ。
駅の構内にあるトイレに行ったら、寒いので尿意を催した人が多いと見えて、長い行列が出来ていた。待てずに大の方の便器に向かう人もいる。JRのトイレはいまだにトイレットペーパーがなく、片方は和式だからきっと的を外して汚れるだろう。
それに「ヒートドライヤー」もない。待つ間に観察していると、手を洗った後、ハンカチで拭う人がいない。手を振って水滴を飛ばしているから、はた迷惑だ。若い人に多いが、初老のオジンにもそういうのがいる。これなら手を洗わない方がましだろう。
私の師匠は小用の時は、手を洗わなかった。トイレで並んで用を足した後、それに気づいた。後でその理由を聞いたら、「おれの一物は毎晩、風呂場でちゃんと洗っていて、手より清潔だ。その清潔なものを不潔な手で触って、何で手を洗う必要がある!」と切り返された。それも一理ある、と妙に感心した記憶がある。
少し早めに家を出たのは、八丁堀の「丸善・ジュンク堂」で本を買うためだ。予算5万円で30冊ばかりリストアップして来たのだが、何しろ売場が広く、150万冊もあるから、探すのが大変だ。カートに籠を載せて、まず「東洋文庫」の棚に向かう。
いま、朝鮮関係の記録を集めている。
金九「白凡逸志」があった。これは上海の「朝鮮臨時政府」代表だった金九の自伝で、多くの対日テロの首謀者である。日本の降伏後は米国から帰国した李承晩に主導権を奪われ、暗殺された。
金仁謙「日東壮遊歌」は前から探しているが、見つからなかった。朝鮮通信使として日本に来た金が、江戸時代初期の大阪を見て、都市構築の壮大さと貨幣経済の発展ぶりを見た驚きを歌ったもので、「野蛮人の日本が…」と対日差別意識が丸出しになった書として知られる。まあ、古本屋を探すしかなかろう。
柳成竜「懲録(ちょうひろく)」もなかった。秀吉の朝鮮出兵の際、李王朝は明軍の救援に頼らざるをえなかった。李舜臣の水軍の活躍ばかりが喧伝されるが、朝鮮には独力で日本軍を撃退するだけの実力はなかった。結局、宗主国明の大軍により、助けられたのは、1950年の「朝鮮戦争」と同じである。
が、その後、明軍の横暴と無能な王室の間で、折衝にあたった柳成竜は苦労することになる。これも読んでおきたい本だ。
姜「看羊録」は秀吉軍の捕虜になり、日本に抑留された朱子学者の手記で、日本の朱子学は彼から始まるといわれているが、これもなかった。
仕方ないから、玄奘三蔵「大唐西域記」全3冊を買った。伝、吾承恩作の「西遊記」の種本とされ、後者は読んでいるが、元本は未読だ。
「文庫」という名称はついているが、東洋文庫は専門書でレベルも高いし、お値段も高い。4冊買えば1万2000円位になる。
あと岩波新書、津田敏秀「医学的根拠とは何か」を買った。伝統ある岡山大医学部公衆衛生学の教授によるもので、きっと読み応えがあるだろう。新聞書評にあったちくまプリマー新書、根井雅弘「経済学の3つの基本」があったが、手にとって見ると100ページ程度のパンフレットみたいな本だった。根井は「経済学の歴史」(講談社学術文庫)で、ケネーの「経済表」からガルブレイスまでを扱った名著を書いているが、今回の本はミーハー向けと思ったので「書棚のゴミ」になると思い敬遠する。
多くの客が座り込んで「立ち読み」している。あれを子供がまねするから、漫画本を店頭で読んでしまうのだな、と思う。「修身」を復活させると安倍総理はいっているが、どの社会でも子供は大人の行動を見て、道徳規範を学ぶ。道徳やマナーは学校で教えられるものではない。(全寮制の学校なら別だが…)
「坐り読み」されると、表紙は汚れる、カバーはずれたり、曲がったりする。カートを押して歩くのに邪魔になる。何とかならないかと思う。
M.バーンバウム「アノスミア」(勁草書房)を買った。これはタイトルの間違いで、Anosomiaはラテン語だから「アノソミア」と発音する。「無嗅覚症」のことだ。
マルセル・プルーストに全7巻の大作「失われた時を求めて」という小説がある。マルタン・デュガールの「チボー家の人々」よりも長く、無内容で世界一長い小説かもしれない。
この第1巻「スワン家の方へ」には、主人公が実家で母の入れてくれた紅茶にマドレーヌ菓子を浸して口に入れた時の匂いと味から、突如、幼い時の叔母の家での想い出が浮かんでくる、という有名なシーンがある。これは味と匂いが記憶を呼び覚ます例だが、プルーストはそのどっちかを突き詰めてはいない。
アノソミアには「全嗅覚盲」と部分嗅覚盲とがある。前者は例えば脳手術で、両側の嗅神経を切断すると起こる。私の母は前頭葉の脳底動脈瘤を手術したので、その時に嗅神経を傷つけたらしく、「匂いがわからなくなった」とこぼしていた。
部分嗅覚欠損は「嗅盲(Olfactory Blindness)」ともいい、青酸、酪酸、スカトールなどのある特定の化学物質に対する匂いが感じられなくなる。スカトールに対して嗅盲となり、便臭がしなくなるのは、良いのか悪いのか…。青酸のあるウメやスモモ、酪酸のあるチーズやバターの匂いがしないのは味気ないだろう。
バーンバウムの本は小説で、匂いと記憶との関連を主題にしているようだ。左翼出版の勁草書房がなんでこんな本を出したのか不思議だ…。
A.F.バートレット「本を愛しすぎた男」(原書房)を買った。稀覯書専門の古書どろぼうをそれを追跡する古書店主の実話だそうだ。探偵ものと思ったので、「推理する医学」の著者バートン・ルーチェと勘違いしていた。いま見るとこれは原題が「Medical Detective」となっていて、東大公衆衛生学の教授だった山本俊一東大名誉教授訳で1985年に、西村書店から出ている。
何回か通ううちに、この書店の欠点がわかってきた。売場が広すぎて、本がどこにあるかわからないこと。新刊書だけの平台がなくて、分野別に縦の書架におかれていることだ。買う方からすると、まず新刊書を平台で買い、半年以上前の刊本は縦の棚で見つけるようにしてくれているとありがたいのだが、書架の配列が「日本十進分類法」になっているらしく、分類のプリンシプルがだめだ。
私が店長なら、「辞書・事典・レファレンス本」、「フィクション」、「ノンフィクション」という3大分類を行い、その下に例えば「フィクション」なら、国別にわけ、マイナーな国は「その他」にいれる。
後、発売5ヶ月までの新刊は、別コーナーにして平台を広くする。それとは別にベストセラー、新聞書評本のコーナーを置き、店員・店長のお薦め本もそこにスティックを立てて並べる。
この店はいたずらに「在庫店数」を誇っていて、「文庫」、「新書」、「一般書」、「大型図鑑、学術書」と区分けしている。それは本棚の都合、店の都合だ。客の都合ではない。
可動式の棚板をもつ本棚を用意すれば、文庫、新書、一般書、専門書を分野別に一箇所に並べられる。それが出来ないのは、恐らくバーコードがそのように印刷されていないのであろう。
よって、ハッピー「福島第一原発収束日記」, 河出書房新社という新刊本が、社会系の事件・報道の棚にあるのか理工系工学書原発の棚にあるのかわからない。両者はフロアーの反対側に遠く離れている。
困って店員に依頼し、リストを渡して本を揃えてもらった。パソコン検索して本の位置を確かめ、あとは理系と文系で本探し係に電話してとりだして貰うのだそうだ。10分もしないで残りの本が全部そろった。
前は確か新刊書やベストセラーのコーナーがあったように記憶するが、方針が変わったのかも知れない。カウンターで待っている間にも、他の客が勘定に来るが、店員の声を聞いていると客単価は1,000~3,000円の間だ。旧市内に自宅がある客は少ないから、JRや電車やバスを利用して本だけ買いに来ると、往復の運賃が1000円以上かかるだろうに、と思う。「調達コスト」というコンセプトがないのであろう。
それと本はまとめて宅配にしてもらったが、ここは「5,000円以上は宅配無料」の方針で、それとは別に「1万円でコーヒー券1枚」をサービスしてくれていた。コーヒーは250円の券だから大したことがないが、喫煙室でコーヒーを飲みながら買ったばかりの本を読むという楽しみがあった。
ところが、3万円ちょと買ったのに、券を2枚しかくれない。理由を聞くと「宅配料金を券の分から差し引いて、お渡しします」と店員がいう。見たことのない顔だ。宅配料金は850円だから、券1枚の額面250円では勘定が合わない。店長を呼んで、この矛盾を追及しようかと思ったが、きっと腹が立つに決まっているから、忘年会の前だし、今日はやめた。
恐らく経営状態が良くなくて、つまらぬところでケチっているのだろう。これだけ広い店舗で、隠しカメラはあっても、この冬場だ。みな客はジャンパーやオーバーを着ているから、抜いた本を書棚にくっつくようにして背を丸め、コートの内ポケットかバッグに落とし込めば、容易に万引きできるだろう。だいたいどの店でも、売り上げの5%相当の万引きがある。客は多いし店は広いし、カウンターに長くいるのが普通だから、これまでに一人くらいは現行犯がつかまるところに遭遇するはずなのに、それがない。
警察庁の統計によると、万引きの多くは年寄りだそうだ。
喫茶店の方は、喫煙室が「平日終日禁煙、土日 9時~18時禁煙」とルールが変わっていた。これでは何のために喫煙室があるのだろうか。で、普通の喫茶テーブルはガラガラで、喫煙室がほぼ満席。「変った人たちだな…」と思って、熱いコーヒーを載せたトレイを手にしているうちに、18時になった。すると客がいっせいに灰皿を取りに行き、タバコを吸い始めた。時間待ちをしていたのである。
駅の構内にあるトイレに行ったら、寒いので尿意を催した人が多いと見えて、長い行列が出来ていた。待てずに大の方の便器に向かう人もいる。JRのトイレはいまだにトイレットペーパーがなく、片方は和式だからきっと的を外して汚れるだろう。
それに「ヒートドライヤー」もない。待つ間に観察していると、手を洗った後、ハンカチで拭う人がいない。手を振って水滴を飛ばしているから、はた迷惑だ。若い人に多いが、初老のオジンにもそういうのがいる。これなら手を洗わない方がましだろう。
私の師匠は小用の時は、手を洗わなかった。トイレで並んで用を足した後、それに気づいた。後でその理由を聞いたら、「おれの一物は毎晩、風呂場でちゃんと洗っていて、手より清潔だ。その清潔なものを不潔な手で触って、何で手を洗う必要がある!」と切り返された。それも一理ある、と妙に感心した記憶がある。
少し早めに家を出たのは、八丁堀の「丸善・ジュンク堂」で本を買うためだ。予算5万円で30冊ばかりリストアップして来たのだが、何しろ売場が広く、150万冊もあるから、探すのが大変だ。カートに籠を載せて、まず「東洋文庫」の棚に向かう。
いま、朝鮮関係の記録を集めている。
金九「白凡逸志」があった。これは上海の「朝鮮臨時政府」代表だった金九の自伝で、多くの対日テロの首謀者である。日本の降伏後は米国から帰国した李承晩に主導権を奪われ、暗殺された。
金仁謙「日東壮遊歌」は前から探しているが、見つからなかった。朝鮮通信使として日本に来た金が、江戸時代初期の大阪を見て、都市構築の壮大さと貨幣経済の発展ぶりを見た驚きを歌ったもので、「野蛮人の日本が…」と対日差別意識が丸出しになった書として知られる。まあ、古本屋を探すしかなかろう。
柳成竜「懲録(ちょうひろく)」もなかった。秀吉の朝鮮出兵の際、李王朝は明軍の救援に頼らざるをえなかった。李舜臣の水軍の活躍ばかりが喧伝されるが、朝鮮には独力で日本軍を撃退するだけの実力はなかった。結局、宗主国明の大軍により、助けられたのは、1950年の「朝鮮戦争」と同じである。
が、その後、明軍の横暴と無能な王室の間で、折衝にあたった柳成竜は苦労することになる。これも読んでおきたい本だ。
姜「看羊録」は秀吉軍の捕虜になり、日本に抑留された朱子学者の手記で、日本の朱子学は彼から始まるといわれているが、これもなかった。
仕方ないから、玄奘三蔵「大唐西域記」全3冊を買った。伝、吾承恩作の「西遊記」の種本とされ、後者は読んでいるが、元本は未読だ。
「文庫」という名称はついているが、東洋文庫は専門書でレベルも高いし、お値段も高い。4冊買えば1万2000円位になる。
あと岩波新書、津田敏秀「医学的根拠とは何か」を買った。伝統ある岡山大医学部公衆衛生学の教授によるもので、きっと読み応えがあるだろう。新聞書評にあったちくまプリマー新書、根井雅弘「経済学の3つの基本」があったが、手にとって見ると100ページ程度のパンフレットみたいな本だった。根井は「経済学の歴史」(講談社学術文庫)で、ケネーの「経済表」からガルブレイスまでを扱った名著を書いているが、今回の本はミーハー向けと思ったので「書棚のゴミ」になると思い敬遠する。
多くの客が座り込んで「立ち読み」している。あれを子供がまねするから、漫画本を店頭で読んでしまうのだな、と思う。「修身」を復活させると安倍総理はいっているが、どの社会でも子供は大人の行動を見て、道徳規範を学ぶ。道徳やマナーは学校で教えられるものではない。(全寮制の学校なら別だが…)
「坐り読み」されると、表紙は汚れる、カバーはずれたり、曲がったりする。カートを押して歩くのに邪魔になる。何とかならないかと思う。
M.バーンバウム「アノスミア」(勁草書房)を買った。これはタイトルの間違いで、Anosomiaはラテン語だから「アノソミア」と発音する。「無嗅覚症」のことだ。
マルセル・プルーストに全7巻の大作「失われた時を求めて」という小説がある。マルタン・デュガールの「チボー家の人々」よりも長く、無内容で世界一長い小説かもしれない。
この第1巻「スワン家の方へ」には、主人公が実家で母の入れてくれた紅茶にマドレーヌ菓子を浸して口に入れた時の匂いと味から、突如、幼い時の叔母の家での想い出が浮かんでくる、という有名なシーンがある。これは味と匂いが記憶を呼び覚ます例だが、プルーストはそのどっちかを突き詰めてはいない。
アノソミアには「全嗅覚盲」と部分嗅覚盲とがある。前者は例えば脳手術で、両側の嗅神経を切断すると起こる。私の母は前頭葉の脳底動脈瘤を手術したので、その時に嗅神経を傷つけたらしく、「匂いがわからなくなった」とこぼしていた。
部分嗅覚欠損は「嗅盲(Olfactory Blindness)」ともいい、青酸、酪酸、スカトールなどのある特定の化学物質に対する匂いが感じられなくなる。スカトールに対して嗅盲となり、便臭がしなくなるのは、良いのか悪いのか…。青酸のあるウメやスモモ、酪酸のあるチーズやバターの匂いがしないのは味気ないだろう。
バーンバウムの本は小説で、匂いと記憶との関連を主題にしているようだ。左翼出版の勁草書房がなんでこんな本を出したのか不思議だ…。
A.F.バートレット「本を愛しすぎた男」(原書房)を買った。稀覯書専門の古書どろぼうをそれを追跡する古書店主の実話だそうだ。探偵ものと思ったので、「推理する医学」の著者バートン・ルーチェと勘違いしていた。いま見るとこれは原題が「Medical Detective」となっていて、東大公衆衛生学の教授だった山本俊一東大名誉教授訳で1985年に、西村書店から出ている。
何回か通ううちに、この書店の欠点がわかってきた。売場が広すぎて、本がどこにあるかわからないこと。新刊書だけの平台がなくて、分野別に縦の書架におかれていることだ。買う方からすると、まず新刊書を平台で買い、半年以上前の刊本は縦の棚で見つけるようにしてくれているとありがたいのだが、書架の配列が「日本十進分類法」になっているらしく、分類のプリンシプルがだめだ。
私が店長なら、「辞書・事典・レファレンス本」、「フィクション」、「ノンフィクション」という3大分類を行い、その下に例えば「フィクション」なら、国別にわけ、マイナーな国は「その他」にいれる。
後、発売5ヶ月までの新刊は、別コーナーにして平台を広くする。それとは別にベストセラー、新聞書評本のコーナーを置き、店員・店長のお薦め本もそこにスティックを立てて並べる。
この店はいたずらに「在庫店数」を誇っていて、「文庫」、「新書」、「一般書」、「大型図鑑、学術書」と区分けしている。それは本棚の都合、店の都合だ。客の都合ではない。
可動式の棚板をもつ本棚を用意すれば、文庫、新書、一般書、専門書を分野別に一箇所に並べられる。それが出来ないのは、恐らくバーコードがそのように印刷されていないのであろう。
よって、ハッピー「福島第一原発収束日記」, 河出書房新社という新刊本が、社会系の事件・報道の棚にあるのか理工系工学書原発の棚にあるのかわからない。両者はフロアーの反対側に遠く離れている。
困って店員に依頼し、リストを渡して本を揃えてもらった。パソコン検索して本の位置を確かめ、あとは理系と文系で本探し係に電話してとりだして貰うのだそうだ。10分もしないで残りの本が全部そろった。
前は確か新刊書やベストセラーのコーナーがあったように記憶するが、方針が変わったのかも知れない。カウンターで待っている間にも、他の客が勘定に来るが、店員の声を聞いていると客単価は1,000~3,000円の間だ。旧市内に自宅がある客は少ないから、JRや電車やバスを利用して本だけ買いに来ると、往復の運賃が1000円以上かかるだろうに、と思う。「調達コスト」というコンセプトがないのであろう。
それと本はまとめて宅配にしてもらったが、ここは「5,000円以上は宅配無料」の方針で、それとは別に「1万円でコーヒー券1枚」をサービスしてくれていた。コーヒーは250円の券だから大したことがないが、喫煙室でコーヒーを飲みながら買ったばかりの本を読むという楽しみがあった。
ところが、3万円ちょと買ったのに、券を2枚しかくれない。理由を聞くと「宅配料金を券の分から差し引いて、お渡しします」と店員がいう。見たことのない顔だ。宅配料金は850円だから、券1枚の額面250円では勘定が合わない。店長を呼んで、この矛盾を追及しようかと思ったが、きっと腹が立つに決まっているから、忘年会の前だし、今日はやめた。
恐らく経営状態が良くなくて、つまらぬところでケチっているのだろう。これだけ広い店舗で、隠しカメラはあっても、この冬場だ。みな客はジャンパーやオーバーを着ているから、抜いた本を書棚にくっつくようにして背を丸め、コートの内ポケットかバッグに落とし込めば、容易に万引きできるだろう。だいたいどの店でも、売り上げの5%相当の万引きがある。客は多いし店は広いし、カウンターに長くいるのが普通だから、これまでに一人くらいは現行犯がつかまるところに遭遇するはずなのに、それがない。
警察庁の統計によると、万引きの多くは年寄りだそうだ。
喫茶店の方は、喫煙室が「平日終日禁煙、土日 9時~18時禁煙」とルールが変わっていた。これでは何のために喫煙室があるのだろうか。で、普通の喫茶テーブルはガラガラで、喫煙室がほぼ満席。「変った人たちだな…」と思って、熱いコーヒーを載せたトレイを手にしているうちに、18時になった。すると客がいっせいに灰皿を取りに行き、タバコを吸い始めた。時間待ちをしていたのである。
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