【東京物語】
11/27の新聞を開いて驚いた。四紙全部が原節子出演の映画「東京物語」(松竹, 1951/11)を取りあげていたからだ。「春秋」(日経)、「産経抄」(産経)、「余録」(毎日)、「天風録」(中国)とも書き手の個性があふれていたが、中でも愛惜の念がこもった「春秋」の筆力には感服した。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO94475500X21C15A1MM8000/
出だしの「わたくし、ずるいんです」という、戦死した次男の嫁(原節子)の台詞の引用がよかった。「封切りのスクリーンで彼女を見たファンはもはや少なかろう」と書いていて、この人は1951年封切りの映画をリアルタイムで見たのだろうか?と思った。だとしたら80歳前後のはずだ。
私は1951年には小学3年生だった。むろん村に映画館などない。広島県尾道市が一方の舞台なのに、周囲にはこの映画を話題にする大人がだれもいなかった。広島の高校では美術・工作の教師に細井道雄という丸太の油絵ばかり描く変わった人がいて、寮の当直舎監の一人でもあり、映画の話をした。よく付近の「出汐大劇」という映画館(三番館)に許可をえて、夜映画を観に行った。(これで門限を守らなくても叱られないのだ。)「日のあたる坂道」「七人の侍」などはそこで見た記憶があるが、高校・大学時代に「東京物語」は見ていない。
この映画の存在を初めて知ったのは、「1946〜1996キネマ旬報ベストテン全史」という「キネマ旬報」の特集MOOKによってで、そこに「オールタイム・ベストテン(世界映画編)」という113人の選考委員の投票により選ばれたトップ100の映画タイトルが載っていた。
その5位までの順は
1. 七人の侍
2. 市民ケーン(米)
3. 2001年宇宙の旅(米)
4. 東京物語
5. 天井桟敷の人々(仏)
だった。
このうち観たことがないのが、「東京物語」だった。早速ビデオを買ってきて視聴した。見終えて「ああ、これは人口の東京への移動と家族関係の崩壊を予見した映画だな」と思った。最近は下重暁子「家族という病」がベストセラーになるなど、3世帯同居はおろか核家族も消失し、夫婦もしくは単身世帯が増えている。
夫婦で初めて上京したのに、医師の長男(山村総)も理容師の長女(杉村春子)も、ろくに東京見物にも連れて行ってくれない。邪魔者扱いされて、熱海の温泉宿に行かされ、隣の宴会客のバカ騒ぎのため、夜ろくに睡眠もとれない。
唯一心にかけてくれ、親身なもてなしをしてくれたのが、戦死した次男の嫁「紀子」(原節子)だった。旅の疲れもあり、妻「とみ」(東山千枝子)は尾道に帰ると間もなく脳溢血を起こして危篤状態となる。看病は教師をしている次女「京子」(香川京子)の仕事となる。今度は東京と大阪にいる子供たちが尾道の実家に駆けつけるが、意識不明のまま、とみは死去しすぐに葬儀になる。形見分けでトラブルが起きるが、もらうものをもらうと、子供たちはすぐに東京と大阪に去る。残ったのは次男の嫁の紀子だけ。義父「周平」(笠智衆)は隠しておいた形見の腕時計を取りだし、それを紀子に渡そうとする。
それを見て号泣しながら、紀子が口にする言葉が「わたくし、ずるいんです」という、自分を責める言葉だった。ここまで淡々と平凡な庶民の生活を描いて進んできた映画が、戦争未亡人で元は赤の他人だが、平山家と精神的に一体化した亡き息子の嫁をクローズアップさせ、全体のクライマックスとなる。
この映画自体は、「明日は来たらず(Make Way for Tomorrow)」(米、1937)という映画の翻案らしい(WIKIによる)。「家族の崩壊」という現象がアメリカではすでに1930年代に発生していたのだろう。「東京物語」ファンが増えたのは、その後日本では、60年代の高度経済成長と段階の世代の成長につれ、大都市への人口移動と一極集中がつよまり、家族制度の崩壊が進んだからだろう。
同じ現象は昔の「発展途上国」にも起こっており、世界的な「東京物語」が進行中だ。
だからこの映画が海外で「映画批評家が選ぶベストテン2012」の第3位、「映画監督が選ぶベストテン2012」第1位に評価される、という状況になったのであろう(WIKI「東京物語」)。
ともかくよい映画は何度見なおしても、新たな発見がある。DVDを買い換えるのも面倒なので、しまってあるビデオプレイヤーをパソコンにつないで、もう一度プレイバックしたいと思っている。
11/27の新聞を開いて驚いた。四紙全部が原節子出演の映画「東京物語」(松竹, 1951/11)を取りあげていたからだ。「春秋」(日経)、「産経抄」(産経)、「余録」(毎日)、「天風録」(中国)とも書き手の個性があふれていたが、中でも愛惜の念がこもった「春秋」の筆力には感服した。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO94475500X21C15A1MM8000/
出だしの「わたくし、ずるいんです」という、戦死した次男の嫁(原節子)の台詞の引用がよかった。「封切りのスクリーンで彼女を見たファンはもはや少なかろう」と書いていて、この人は1951年封切りの映画をリアルタイムで見たのだろうか?と思った。だとしたら80歳前後のはずだ。
私は1951年には小学3年生だった。むろん村に映画館などない。広島県尾道市が一方の舞台なのに、周囲にはこの映画を話題にする大人がだれもいなかった。広島の高校では美術・工作の教師に細井道雄という丸太の油絵ばかり描く変わった人がいて、寮の当直舎監の一人でもあり、映画の話をした。よく付近の「出汐大劇」という映画館(三番館)に許可をえて、夜映画を観に行った。(これで門限を守らなくても叱られないのだ。)「日のあたる坂道」「七人の侍」などはそこで見た記憶があるが、高校・大学時代に「東京物語」は見ていない。
この映画の存在を初めて知ったのは、「1946〜1996キネマ旬報ベストテン全史」という「キネマ旬報」の特集MOOKによってで、そこに「オールタイム・ベストテン(世界映画編)」という113人の選考委員の投票により選ばれたトップ100の映画タイトルが載っていた。
その5位までの順は
1. 七人の侍
2. 市民ケーン(米)
3. 2001年宇宙の旅(米)
4. 東京物語
5. 天井桟敷の人々(仏)
だった。
このうち観たことがないのが、「東京物語」だった。早速ビデオを買ってきて視聴した。見終えて「ああ、これは人口の東京への移動と家族関係の崩壊を予見した映画だな」と思った。最近は下重暁子「家族という病」がベストセラーになるなど、3世帯同居はおろか核家族も消失し、夫婦もしくは単身世帯が増えている。
夫婦で初めて上京したのに、医師の長男(山村総)も理容師の長女(杉村春子)も、ろくに東京見物にも連れて行ってくれない。邪魔者扱いされて、熱海の温泉宿に行かされ、隣の宴会客のバカ騒ぎのため、夜ろくに睡眠もとれない。
唯一心にかけてくれ、親身なもてなしをしてくれたのが、戦死した次男の嫁「紀子」(原節子)だった。旅の疲れもあり、妻「とみ」(東山千枝子)は尾道に帰ると間もなく脳溢血を起こして危篤状態となる。看病は教師をしている次女「京子」(香川京子)の仕事となる。今度は東京と大阪にいる子供たちが尾道の実家に駆けつけるが、意識不明のまま、とみは死去しすぐに葬儀になる。形見分けでトラブルが起きるが、もらうものをもらうと、子供たちはすぐに東京と大阪に去る。残ったのは次男の嫁の紀子だけ。義父「周平」(笠智衆)は隠しておいた形見の腕時計を取りだし、それを紀子に渡そうとする。
それを見て号泣しながら、紀子が口にする言葉が「わたくし、ずるいんです」という、自分を責める言葉だった。ここまで淡々と平凡な庶民の生活を描いて進んできた映画が、戦争未亡人で元は赤の他人だが、平山家と精神的に一体化した亡き息子の嫁をクローズアップさせ、全体のクライマックスとなる。
この映画自体は、「明日は来たらず(Make Way for Tomorrow)」(米、1937)という映画の翻案らしい(WIKIによる)。「家族の崩壊」という現象がアメリカではすでに1930年代に発生していたのだろう。「東京物語」ファンが増えたのは、その後日本では、60年代の高度経済成長と段階の世代の成長につれ、大都市への人口移動と一極集中がつよまり、家族制度の崩壊が進んだからだろう。
同じ現象は昔の「発展途上国」にも起こっており、世界的な「東京物語」が進行中だ。
だからこの映画が海外で「映画批評家が選ぶベストテン2012」の第3位、「映画監督が選ぶベストテン2012」第1位に評価される、という状況になったのであろう(WIKI「東京物語」)。
ともかくよい映画は何度見なおしても、新たな発見がある。DVDを買い換えるのも面倒なので、しまってあるビデオプレイヤーをパソコンにつないで、もう一度プレイバックしたいと思っている。
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