ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【事典を読む】難波先生より

2013-05-27 12:55:48 | 難波紘二先生
【事典を読む】この2月に17年ぶりに改訂された『岩波生物学辞典 第5版』(¥1,3000)をついに買った。CD-ROM版が出そうにないし、手許にしっかりした生物学辞典がほしい。それに利用料を月1000円と考えれば、13ヶ月でもとが取れる。

 今朝、本屋から届いたので、上記を書いた後に、さっそく昆虫の変態ホルモンについて調べた。バックスバウムの本はよくできているのだが、1987年版なので生化学やホルモンの記載などは少し古い。




 手にとって驚いた。2,200ページ近くあり、辞書本文が約1500ページ。残りに付録として、分類階級表(いわゆる門・綱・目・科・属・種を詳しくした表)、ウイルス分類表、生物の新しい「ドメイン分類表」、が合計で約200ページついており、さらに索引は日本語索引と欧文索引の2種がついている。どちらも「語頭索引」でよくないが、英和辞典としても使える。

 本文中の用語で他に項目立てがあるものは、「*」が付けられているが、項目があるのに漏れているものが多い。またせっかく本文の項目にはページ単位で「313-b」のように項目番号が付けられているのだから、「*」の後ろにこの番号を載せてあれば、該当項目にすぐに飛べるので便利なのに…。(この方式だとクリック感覚で必要ページとべるが、五十音見出しを繰るのは、結構煩わしい。ちなみに「Oxford引用句辞典」はハイパーテキスト方式になっている。)




 見出し語、索引語の配列方式は、どの辞書も苦労している。英語辞書と異なり、漢字、ローマ字略語、頭にαー、βーなどギリシア語スペルがつく用語などがあるからだ。見出し語に関しては「読みのひらかな」をまず記し、そのあとに漢字または英語スペルを記載してあるとよかった。『三省堂・コンサイス日本人名事典』はこの方式である。(但し、外国人名が後ろに別枠になっているのがよくない。)




 索引語も同様で、2列組になっていて、右余白は十分あるのだから、五十音読み順にひら仮名でならべ、後に漢字またはローマ字が来ると使いやすいのに、と思った。

 それと「ピロリ菌」は載っているのに、「除虫菊」、その有効成分である「ピレトリン」あるいは総称の「ピレスロイド」が載っていない。(『岩波理化学事典 第5版』にはピレトリンが「除虫菊の有効成分」として載っている。なぜこれとの突き合わせをしなかったのだろう?)




 第1版序文には項目選定委員名とその分担分野が書かれているが、この第5版については誰がどの分野を担当したのかわからない。医歯薬出版『医学大辞典』では、項目末に番号がついており、冒頭にある執筆者一覧(専門分野記載あり)の著者番号と対応していて、記事の信頼性をチェックできるが、これにはない。




 昆虫の「変態」、「脱皮」関連の項目が10あり、付箋を付けながら、文庫本60頁分くらいの記載を読んだ。

 これを読むと(というのもこの辞書は言葉を引くというよりも、概念や研究史の記載まであり、むしろ「事典」といえる)、昆虫の変態はカエルやイモリの変態とよく似ていると思った。これら両生類の場合は、オタマジャクシから成体への変態には、甲状腺から分泌される甲状腺ホルモン=チロキシンが関係する。このチロキシンは、脳下垂体の甲状腺刺激ホルモンにより分泌が制御されており、さらに脳下垂体の活動は間脳により制御されている。



 蝶の場合は、甲状腺に相当するものが「前胸腺(Prothracic gland)」で、これは第1気門の内側に対になってある。写真1に一つながりになった、兜のような胸節背面が見えるが、三つある胸節の前側(頭のすぐ後ろ)に見られる、白く細長い斑点が「第1気門」である。他の気門は腹節に多く認められる。ここから「前胸腺ホルモン」、別名エクジソンが分泌される。

 昆虫には肺がないから、気門から入った空気は、気管が樹枝状に分岐し、毛細気管となり、毛細血管のそばまで到達する。




 「前胸腺」は「前・胸腺」という意味ではなく、「前胸・腺」という意味である。昆虫の胸部は、前胸・中胸・後胸の3節に分かれ、それぞれに脚が一対ある。だから6本脚になるのである。その前胸にある腺という意味で、哺乳類にある「胸腺(Thymus)」(T細胞リンパ球を賛成する器官)とは何の関係もない。




 面白いことに、エクジソンはヒトのステロイドホルモンと同様に、コレステロールから合成される。炭素27個をもつステロイドホルモンである。脂質ホルモンなので容易に細胞膜を通過し、細胞質中にある受容体と結合し、エクジソン=受容体の複合体(ヘテロダイマー)を形成する。このダイマーが核内に移動し、遺伝子DNAに結合することで遺伝子が活性化され、DNAの転写が促進され、脱皮、変態にかかわる分子の合成が促進される。またこのステロイドホルモンは、成虫の卵子や精子の成熟をうながす性ホルモンの機能ももっている。




 シカゴ大の教科書にいう、「脱皮ホルモンと幼若ホルモンのバランスで、脱皮するか変態するかが決まる」というのは、この事典の説明によると、「幼若ホルモンがあらかじめ作用していると、前胸腺ホルモンの作用により脱皮が生じるが、幼若ホルモンの前作用がないと、前胸腺ホルモンにより蛹化が起きる」ということらしい。




 植物の中には、この前胸腺ホルモン(エクジソン)類似のステロイドを含むものがあり、両者を総称して「エクジステロイド」と呼ぶようだ。若齢幼虫がうっかりこれを含む植物の葉を食うと、知らないうちに蛹化スイッチが入ってしまうわけだ。アルカロイドは虫を殺す毒だが、これは未熟幼虫のままで蛹にしてしまい、虫を「昇天」させる毒だ。植物もなかなかあじなことをやる。




 Buchsbaumの本(p.408)には、「この原理を応用して、幼若ホルモンの作用をブロックする薬品を開発すれば、新しいタイプの殺虫剤ができるだろう」と書いているが、「エクジステロイド型」農薬というのは開発されているのだろうか?

 インタープロテインの細田さんあるいは他の製薬関係の方、ご存じでしたらお教えくださいませんか?




 前胸腺のホルモン分泌活動は、脳のすぐ後ろに対になって存在する「アラタ体」から分泌されるホルモン、「前胸腺刺激ホルモン(PTTH)」により制御されている。アラタ体はちょうどヒトの場合の脳下垂体に相当する。

 PTTHはタンパク質で、分子量約3万D(ダルトン)。109個のアミノ酸からなるポリペプチドのサブユニット2本からなる。その一次構造は1990年に日本人研究者が解明したという。合成そのものは、脳で行われ、神経によりアラタ体に運ばれ、ここで血リンパ中に分泌(神経内分泌)される。前胸腺に到達すると、エクジソンの合成と分泌を刺激する。




 これはヒトの脳下垂体前葉から分泌される、副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)に類似した機能をもつが、ACTHの場合は、単鎖ポリペプチドで、アミノ酸数39個、分子量約4,500Dと、より小さく効率的になっている。ACTHはより上位の脳で産生されるACTH放出ホルモン(CRH)により制御されているので、アラタ体と同様に脳により支配されている。




アラタ体(Corpus allatum)という用語は、高校の生物学教科書にも載っている。最初に日本語訳語を作った生物学者は、「allatum」が「affero(運ぶ)」というラテン語の不規則動詞の過去完了形であることを知らず、Corpus allatumが「移動した小体」という意味なのを、allataが固有名詞であると勘違いして「アラタ体」としたようだ。(理学部生はラテン語が必修でないからな…)

 これは昆虫の背側にある大動脈の両脇に位置している。発生学的には表皮(外胚葉)の一部が陥入して、離断され、体軸中心部に移動したものだ。日本生物学会はなんで名称変更をしないのであろうか? 「離断体」とでもすればよかろうに。




 で、この脳下垂体に相同する器官であるアラタ体からは、上記のPTTH以外に、「幼若ホルモン」と「ボンビキシン」という2種のホルモンが分泌される。
 幼若ホルモンは、化学的には炭素数15個のテルペノイドの一種で、「血リンパ」(昆虫では血液とリンパ液が混じっている)中の酵素エステラーゼにより分解される。幼若ホルモンには同類が少なくとも6種あり、一番多いのがJH-Ⅲ(JHはJuvenile Hormoneの略号)で、幼虫期には脱皮の抑制および蛹化の抑制を行っている。エステラーゼの作用により、血リンパ中の濃度が低下すると、脱皮または蛹化がおこる。
 ボンビキシン(Bombyxin)は、カイコ(Bombyx)で見つかったので、ボンビキシンという名前があるが、ひろくガやチョウのアラタ体から分泌されるペプチドホルモンで、分子量は約5,000ダルトンあり、遺伝子はインスリン遺伝子と酷似している。


 またヒトのインスリンは、より分子量の大きい「プロインスリン」がまず合成され、これが切断されて分子量約5,800ダルトン(D)の機能性インスリンが作られるが、ボンビキシンも同様にプロボンビキシンがまず形成され、ここから分子量約5,000Dの機能性ボンビキシンが切り出される。


 昆虫の血リンパ中にはグルコースの代わりに、グルコースの2量体である「トレハロース」が存在しているが、ボンビキシンはこの吸収を促進し、血リンパ中の濃度を低下させる作用がある。
 つまりどこからみても、ボンビキシンはインシュリンと相同である。
 たぶん、アラタ体が哺乳類におけるランゲルハンス島の原型なのであろう。


 アラタ体は神経線維により大脳とつながっている。昆虫には脊椎がなく、脊髄に相当する神経は腹側を走っている。昆虫が前後ろ逆転すると、脊椎動物になる。だからアラタ体は実質、間脳の相同体で、前胸腺が脳下垂体に相当する。
 ヒトの脳下垂体は、前葉、中葉、後葉と三つの部分からなり、それぞれ発生学的に起源が異なるものが1個に合体している。昆虫の場合は、アラタ体の前に「側心体((Corpus cardiacumu)」という一対の小器官が、大動脈の前端に位置しており、前方では脳と、後方ではアラタ体と神経線維でつながっている。
 脳で合成されたホルモンは神経軸索により運ばれて、側心体で毛細血管中に放出される「神経内分泌」が起こっている。メラニン細胞中の色素胞を収縮/拡散させ、昆虫の体色を変えるホルモンなどはここから分泌される。


 脊椎動物に向かう系列と昆虫に向かう系列とが分岐したのが、およそ4億年前だから、昆虫の「脳ー側心体ーアラタ体」系をヒトの「間脳ー下垂体中間葉ー後葉ー前葉」系と完全に相同視することはできないが、それでも基本的な解剖学的位置と関与する遺伝子の基本構造には、類似性が認められる。


 つまり、昆虫の変態(脱皮・蛹化)には、大脳、側心体、アラタ体、前胸腺という4つの器官がかかわり、なかでもアラタ体が分泌する前胸腺刺激ホルモン(PTTH)と幼若ホルモン、それに前胸腺から分泌されるホルモン(エクジソン)が、重要な役割を果たしている。たかが虫けらだが、その成長、脱皮、蛹化、羽化には多数の神経細胞と内分泌器官が関与し、ホルモンの相互作用が必要であることは、人間さまとちっとも変わらない。
 ホモ・サピエンスは一属一種だが、昆虫は何万種もいて、種による内臓の変異もあり、作用するホルモンも違うから、ヒトにくらべて研究者が少なく、研究が追っついていないだけだな、と思った。すればするほど、ちょうど大腸菌の基本的つくりがヒトと変わらないように、虫けらも人間もおなじだとわかるだろう。


 というわけで「生物学辞典」を読むという、面白い体験を楽しみました。
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