【レトリック】修辞ともいう。表現上の技巧のことだ。5/4付「産経」の憲法93条(改憲手続き)を改正して、改憲をしやすくしようという主張の、レトリックの杜撰さにあきれて、文藝春秋編集部編『昭和二十年の「文藝春秋」』(文春新書)を読んだ。敗戦の年、1945年にどういう言論が行われていたか調べた。「文藝春秋」はこの年、1~3月号と10~12月号の6冊しか出ていない。この本は、それらに掲載された主な評論・短編などと「編集後記」を抄録したものだ。
同じ文春新書に、菊池信平編『昭和十二年の「週刊文春」』というのもある。これは「2/26事件」と満州事変が起きた年の「週刊文春」から、主な記事を再録したものだ。あと一冊『復録版・昭和大雑誌:戦中篇』(流動出版社)をもっている。これは昭和12年8月から20年8月までの主な雑誌の記事を復刻して1冊の本にしたものだ。当時の雑誌広告がそのまま載っているから、見ているだけで楽しい。
中野好夫など戦中は「文学報国会」の役員として威張った文章を書いていたが、戦後は健忘症にかかって、左翼的な文藝評論家になった。が、底の浅いのはみえみえだった。その証拠がそのまま、この「復録版」にはある。
面白いのは、昭和16年1月、野村吉三郎駐米大使が発令された直後の、「文藝春秋」の世論調査。「日米戦は避けられると思うか?」という問に対する回答が、回答者の職業、月収、年齢と見事に相関している。「避けられない」とする意見は、職業では「記者・著述業」と「官公吏」に、月収では最上位とそれにつぐ階層に、年齢では40歳以上に多い。他は「避けられる」が多数派である。実際に戰争はこの年12月に始まった。「情報ギャップ」というのは、すでにこの頃からあったことがわかる。
『昭和二十年の…』には、昭和元年から20年までと昭和64(平成元)年から20年までの年表が上下対照式でついている。これを見ていて、パターンがよく似ているのに気づいた。それは後で述べるとして、平成11(1999)年の欄に、12月21日、「強制わいせつ容疑で告訴されていた横山ノック大阪府知事が辞任」という項目を認めた。
山田風太郎は「人は死んで三日したら忘れられる」と述べた。実体の有無と関係なく世代を超えて伝達される文化的単位を、英国オックスフォード大の生物学者リチャード・ドーキンスは「ミーム」と呼んだ。ミーム概念はもう定着したように思う。釈迦も孔子もイエスも、ミームとして継承されている。そういうのは例外中の例外で、普通の人は風太郎のいうようになる。
が、恥ずかしながら、この記事を読むまで、昨日読んだ『橋下徹現象と差別』の以下の文言の意味がわからなかった。出身のライター上原善広を批判した箇所である。
「では聞くが、上原自身がつねづねその人との親密さを自慢してはばからない、大物芸人で政治家でもあった大阪の著名人について、なぜ、その著名人が某県の被差別出身であることを晒(さら)し。その性格と『血脈』との関連性を追求し、<表だって議論>するためにレポートしないのか。」
これは解放同盟の役員で出版社の社長でもある小林健治の発言だが、「大阪」という土地を手がかりに、読んだときに該当者を思い浮かべようとしたが2分間のタイムリミットでは、誰のことか思い出せなかった。(2分で思い出せないと、私の場合はダメなのである。)
が、年表を見ていて、名前にぶち当たり、ああそうかと、昨日分からなかった箇所の意味がわかった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/横山ノック
これで「神戸市長田区」がどういう意味をもっているのかわかったし、1995年の阪神大震災でこの地区だけがなぜあんなに燃えて、多くの犠牲者を出したのかもわかった。メディアはそういう情報はまったく伝えなかった。(皮革製造加工業が多いことは伝えたように思う。)
要するに橋下の性格や政治手法を出身で説明するよりも、ノックの強姦事件を「血脈」で、つまり彼の出自との関係で説明する方が、より合理的で説得力があるだろう、と小林はいっていたわけである。ノックの件はたぶん関係の人には「周知の事実」だったのであろうが、少なくとも私にはそうでなかった。で、もうそんな人がいたことも、そんな事件があったことも忘れていた。だから名前が思い出せず、文意不明だったのだ。
「昭和」と「平成」の類似性は、どちらも好景気の後にバブルがはじけ、不況に突入したところから始まったという点にある。
昭和の場合は、昭和2年(元年は12月末から始まったから、実質この年が始まり)は、第一次大戦で空前の好景気を経験した後のバブルがはじけ、鈴木商店が倒産、銀行の取り付け騒ぎ(金融恐慌)が全国に広がるところから始まった。
平成も2年(1990)末にバブルが崩壊している。平成の場合は、これにIT革命が重なり、時代に合わせた産業構造の変換ができないまま、ダラダラと20年近く不況が続いた。
昭和の場合は、昭和4年に世界大恐慌が発生して追い打ちをかけられたが、「高橋リフレ」で赤字国債を発行し、軍事費を増額させることで不況を乗り切った。(これはロンドン軍縮条約に違反しており、かつ後に軍事費削減を行おうとして、2/26事件で高橋が暗殺される遠因となった。)
昭和は軍人によるテロと「満州事変」のような軍閥独走が生じ、昭和8年の国際連盟脱退により世界から孤立し、獨伊のファシズム国家と同盟を結ぶ方向に流されて行き、結局英米との全面戦争に突入した。
平成は18(2006)に北海道夕張市が放漫な財政により、経営破綻し、財政再建団体に転落した。破綻一歩手前の自治体は他にも沢山ある。何よりも長年の赤字国債の発行で、国家そのものが破綻寸前にある。日銀総裁のクビをすげ替え、政府はインフレムードを演出しようとしているが、円安と株高までは行ったが、国民の消費の伸びや賃金の上昇という実態経済の改善に結びついていない。これに改憲の動きが出て来て、国民は「時代閉塞」の感情につよくとらわれている。
まあ、こんなところだろうか。
同じ文春新書に、菊池信平編『昭和十二年の「週刊文春」』というのもある。これは「2/26事件」と満州事変が起きた年の「週刊文春」から、主な記事を再録したものだ。あと一冊『復録版・昭和大雑誌:戦中篇』(流動出版社)をもっている。これは昭和12年8月から20年8月までの主な雑誌の記事を復刻して1冊の本にしたものだ。当時の雑誌広告がそのまま載っているから、見ているだけで楽しい。
中野好夫など戦中は「文学報国会」の役員として威張った文章を書いていたが、戦後は健忘症にかかって、左翼的な文藝評論家になった。が、底の浅いのはみえみえだった。その証拠がそのまま、この「復録版」にはある。
面白いのは、昭和16年1月、野村吉三郎駐米大使が発令された直後の、「文藝春秋」の世論調査。「日米戦は避けられると思うか?」という問に対する回答が、回答者の職業、月収、年齢と見事に相関している。「避けられない」とする意見は、職業では「記者・著述業」と「官公吏」に、月収では最上位とそれにつぐ階層に、年齢では40歳以上に多い。他は「避けられる」が多数派である。実際に戰争はこの年12月に始まった。「情報ギャップ」というのは、すでにこの頃からあったことがわかる。
『昭和二十年の…』には、昭和元年から20年までと昭和64(平成元)年から20年までの年表が上下対照式でついている。これを見ていて、パターンがよく似ているのに気づいた。それは後で述べるとして、平成11(1999)年の欄に、12月21日、「強制わいせつ容疑で告訴されていた横山ノック大阪府知事が辞任」という項目を認めた。
山田風太郎は「人は死んで三日したら忘れられる」と述べた。実体の有無と関係なく世代を超えて伝達される文化的単位を、英国オックスフォード大の生物学者リチャード・ドーキンスは「ミーム」と呼んだ。ミーム概念はもう定着したように思う。釈迦も孔子もイエスも、ミームとして継承されている。そういうのは例外中の例外で、普通の人は風太郎のいうようになる。
が、恥ずかしながら、この記事を読むまで、昨日読んだ『橋下徹現象と差別』の以下の文言の意味がわからなかった。出身のライター上原善広を批判した箇所である。
「では聞くが、上原自身がつねづねその人との親密さを自慢してはばからない、大物芸人で政治家でもあった大阪の著名人について、なぜ、その著名人が某県の被差別出身であることを晒(さら)し。その性格と『血脈』との関連性を追求し、<表だって議論>するためにレポートしないのか。」
これは解放同盟の役員で出版社の社長でもある小林健治の発言だが、「大阪」という土地を手がかりに、読んだときに該当者を思い浮かべようとしたが2分間のタイムリミットでは、誰のことか思い出せなかった。(2分で思い出せないと、私の場合はダメなのである。)
が、年表を見ていて、名前にぶち当たり、ああそうかと、昨日分からなかった箇所の意味がわかった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/横山ノック
これで「神戸市長田区」がどういう意味をもっているのかわかったし、1995年の阪神大震災でこの地区だけがなぜあんなに燃えて、多くの犠牲者を出したのかもわかった。メディアはそういう情報はまったく伝えなかった。(皮革製造加工業が多いことは伝えたように思う。)
要するに橋下の性格や政治手法を出身で説明するよりも、ノックの強姦事件を「血脈」で、つまり彼の出自との関係で説明する方が、より合理的で説得力があるだろう、と小林はいっていたわけである。ノックの件はたぶん関係の人には「周知の事実」だったのであろうが、少なくとも私にはそうでなかった。で、もうそんな人がいたことも、そんな事件があったことも忘れていた。だから名前が思い出せず、文意不明だったのだ。
「昭和」と「平成」の類似性は、どちらも好景気の後にバブルがはじけ、不況に突入したところから始まったという点にある。
昭和の場合は、昭和2年(元年は12月末から始まったから、実質この年が始まり)は、第一次大戦で空前の好景気を経験した後のバブルがはじけ、鈴木商店が倒産、銀行の取り付け騒ぎ(金融恐慌)が全国に広がるところから始まった。
平成も2年(1990)末にバブルが崩壊している。平成の場合は、これにIT革命が重なり、時代に合わせた産業構造の変換ができないまま、ダラダラと20年近く不況が続いた。
昭和の場合は、昭和4年に世界大恐慌が発生して追い打ちをかけられたが、「高橋リフレ」で赤字国債を発行し、軍事費を増額させることで不況を乗り切った。(これはロンドン軍縮条約に違反しており、かつ後に軍事費削減を行おうとして、2/26事件で高橋が暗殺される遠因となった。)
昭和は軍人によるテロと「満州事変」のような軍閥独走が生じ、昭和8年の国際連盟脱退により世界から孤立し、獨伊のファシズム国家と同盟を結ぶ方向に流されて行き、結局英米との全面戦争に突入した。
平成は18(2006)に北海道夕張市が放漫な財政により、経営破綻し、財政再建団体に転落した。破綻一歩手前の自治体は他にも沢山ある。何よりも長年の赤字国債の発行で、国家そのものが破綻寸前にある。日銀総裁のクビをすげ替え、政府はインフレムードを演出しようとしているが、円安と株高までは行ったが、国民の消費の伸びや賃金の上昇という実態経済の改善に結びついていない。これに改憲の動きが出て来て、国民は「時代閉塞」の感情につよくとらわれている。
まあ、こんなところだろうか。
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