ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【2019-2-11鹿鳴荘便り 序】難波先生より

2019-02-14 07:41:36 | 難波紘二先生
皆さん、お変わりありませんか。
立春(2月4日、月)は過ぎたとはいえ、全国的に寒い日が続いているようです。
現在正午なのに、戸外温は5℃です。
やはり「寒中お見舞い」申し上げます。

私のうつ病は峠を越えたのですが、入眠障害は相変わらず続いており、昨夜は実験的に入浴前に睡眠持続剤「リーマス(炭酸リチウム)」2錠を飲み、風呂から出て入眠剤「マイスリー(酒石酸ゾルピデム)」2錠を飲んだのですが、事前にセットしたエアコンの1時間タイマーが作動しても眠れず、起きだしてふらふら1階の食堂に行き、例の「果実酒用焼酎の梅昆布茶・ポッカレモン」カクテルを一合ほど一気飲みして寝室に戻りました。
2度目にセットしたエアコンの1時間タイマーが作動しないうちに、愛する「入眠時幻覚」が出てきて、そのせいか今朝は10:00にシャキッと起きることが出来ました。

「入眠時幻覚」、「白日夢」「明晰夢」などの面白い夢については、神経科学の大家アントニオ・ダマシオの新著『進化の意外な順序』(白楊社)が出たので、これを読んで別の機会に書きます。

 昨土曜日は、500頁もある百田尚樹「日本国紀」を読み終え、「買いたい新書」の書評を書いたので、脳はかなり疲労していたはずなのに、それでも不眠症になるとは意外でした。幸い主治医の箱守医師は「病気の治癒は本人の自然快復力が主体で、医療はそれを補助するにすぎない」という私の持論と同じ考えをしておられるので、「医者を選ぶのも寿命のうち」と安心しています。
後は箱守先生と相談して、「減薬・断薬」に取り組みたいと思っています。

1月の下旬、今冬初の大雪が降った。2階の窓から見た前庭は一面真っ白で、この葉が散らばった芝生が一変していた。(写真1)


この雪は裏の「おっぱい山」の樹木にも積もったが、雪のおかげでツインになっている後側の山の「三角ハゲ」と私が命名した細長い三角形の土砂崩落部の位置と形状を確認できた。(写真2)

後方の山の中央部に頂上から真下に向けて、雪の積もっていない急な谷が認められるが、これは20余年前ここに移住した時には、樹木のない三角な禿げ山だった。地層がむき出しになり、痛々しかったが、20年あまりのうちに樹木が生長して地肌を被ってしまい、普段はそれと気づかない。

友人の地理学者N君が「ここは扇状地で土砂崩れが危ない」と心配してくれるが、私は仮に三角ハゲ山の土砂崩れが起こっても、左側の「おっぱい山」の山稜でせき止められ、土石流は右に曲がり、いまコンクリートのヒューム管製造工場がある「ランデス」の敷地方向に向かうと考えている。
実際ここから山中に入り林道があり、右手には谷川が流れている。
三角ハゲを生じた山崩れは戦後のことだが、ランデスの創業以前、およそ50年以上前のことだろう。
中学の同級生で県JAの組合長をつとめたM君によると、「このあたりには昔、養鶏場があった」というが、恐らくそれは道路沿いにあるランデスの製品置き場の位置だろうと思っている。
山沿いの緩斜面はたいてい山崩れと谷川の水が作った扇状地だが、わが家の西の小川は単なる溝で、庭の西脇を走り細いヒューム管で国道371号線の地下を走り、国道南側の用水路(狭いコンクリー性の排水路)に注いでいる。万一土石流がここを塞いだら、国道は通行不能になる。
残念ながら今の県知事にも、東広島市長にも、「国土強靱化」の発想がない。すべて後手に回るだけだ。

国道375線は、家内のレストラン「サンサーラ」の両脇でS字形のカーブになっている。カーブに入る前が直線道路なので、スピード違反して事故を起こす車が多い。たいていは局所地理に不案内な車だ。2月8日(金)の午後3時頃、救急車か消防車のサイレンがかすかに聞こえた。仕事場は防音室になっているから、エアコンの音とPCのハードディスクの音しか耳に入らない。

母屋の食堂で、新聞を読みながら遅い昼食をしていると、町内のお巡りさんが訪ねてきた。話を聞くと、「上り車線で4トントラックが運転を誤り、サンサーラ土地の南西隅にある電柱に衝突大破した」という。こちらは衝突音も聞いていない、というと驚いていた。ともかく現場を見なければと思い、軽いサンダルを履いたまま、玄関から出て、警官と一緒に前庭から林とサンサーラの庭を突っ切り、現場に行った。
運転席がNTTの電柱に激突し、途中で折れている。前輪が上述の小川にはまって止まっているから、電柱が完全には折れなかったのだろう。運転席は大破している。(写真3)


家内にケータイで連絡すると東広島の市街地のモールにおり、戻るには50分くらいかかるという。
仕方ないので、現場に立ち会い写真撮影などをした。
運送会社は三次市に本社があり、負傷した運転手は三次中央病院に運ばれたという。
いま、運送業は人手不足で困っているから、道路に不案内な新米運転手ではなかったのか?と思っている。
戻って来た家内に立ち会いを引き継ぎ、仕事場に復帰したが、後で聞くと「サンサーラのイノシシ除けフェンスと看板が破損。NTTの電柱は今週中にも立て替える」そうだ。ここは国道北側にNTTの通信回線、南側に中国電力の電線が通っているので、電柱交換に伴う停電や通信断絶の心配はない。(幸い通信線の破断はなかった。)
まあ、こんな具合にいろいろな事が起きるものだ。

今回は
1.【修復腎移植、厚労省が正式承認】、
2.【村上春樹とノーベル文学賞】、
3 .【保護されていない通信】、
4.【夜郎自大】、
5. 【消渇(しょうかつ)】、
6.【朝鮮メディアへの読者反応】、
7.【「日本海」か「東海」か】、
8.【医師過剰時代の到来】
と話題が多くなり、A4で枚数が20枚になりました。

医師不足か医師の地域偏在かという問題はよく論じられますが、私は「地域偏在」が本質だと思っています。
私が育った広島県北の「双三郡敷名村」という集落の人口は1000人位でした。小学校 の一学年が約40人で、人数としては最適だった。
村には内科医が2名、外科医が1名いていづれも開業していた。
右手を怪我した時に8針ほど縫ってもらったことがあるが、医学校を出たのが明治時代と知り、
「そんな古い知識で今の医学について行けるのだろうか?」と
子供心にも不安に思ったことを憶えている。幸い縫合により傷はすぐ治ったが、刃物で切られた瘢痕は今も右手外側に残っている。

その後「団塊の世代」の多出生があり一時は広島県の全人口より多い、年間270万人が生まれていた。
保育所、幼稚園、学校の不足はこの世代の成長につれて起こった。
堺屋太一「団塊の世代」がいうように、この世代が後期高齢者になり、健康寿命を保てなくなると、当然、医師不足が生じるが、これは一過性のもので、その後は第2次ベビーブームに生まれた人口の小ピークが来るまで、「医師数過剰」の時代になるだろう。
いま、医師専用サイトM3では「開業医と勤務医の年収はどっちが多いか」という議論さえ行われている。

高校時代にはまだ「国民皆保険」の制度がなく、医師は社会的に尊敬されていたが、決してリッチでなかった。
クラスでトップファイブにはいる優秀な級友は、みな東大の工学部や法科・経済学部に進学した。
私はあまり志望者のいない医学に興味があり、地元の大学の医学部に入り、基礎医学(病理学)の道に進んだが、
学問の間口が広く、多くの優れた恩師に遭遇することができて、幸せだったと思っている。
ことに飯島宗一先生が講義で、「金を稼ぎたいのなら医者にならず、トラックの運転手になれ!」と一喝されたのには参った。

1962年頃、クラブのホステス、トラックの運転手は高給で、広大の学長の月給が約20万円の頃、彼らの月給はそれに匹敵するほどあった。
時代は高度成長期のまっただ中だったが、「明治一代女」二番の歌詞にあるように「浮世は仕掛け花火のように、燃えて散る間に時代が変わる」ものだ。
Youtubeに美空ひばりの歌がある。
https://www.uta-net.com/movie/99551/
その後、成績が良く偏差値の高い生徒ほど、医学部に集中するようになったが、どの産業でも永遠に成長するものはない。ピークは約1世代30年間だろう。今、カメラ用フィルムから化粧品業に上手く方向転換した「富士フイルム」をNF小説にした、江上剛「奇跡の改革」(PHP文庫)を読んでいるところだ。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2月6日(水)のつぶやき | トップ | 【修復腎移植、厚労省が正式... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

難波紘二先生」カテゴリの最新記事