【カミカゼ】
パリの同時多発テロと自爆攻撃をフランスでは「Le kamikaze」と呼んでいる。たとえば11/21の「ルモンド」紙は<L’infirmier qui a soigné, sans le savoir, le kamikaze du Comptoir Voltaire>と見出しに掲げている(熟練の看護師、はからずも「バー・ヴォルテール」のカミカゼに遭う)。
http://www.lemonde.fr/attaques-a-paris/video/2015/11/21/l-infirmier-qui-a-soigne-sans-le-savoir-le-kamikaze-du-comptoir-voltaire_4814918_4809495.html
フランス語のWIKIには「kamikaze」に自爆テロのことは書いてないが、
https://fr.wikipedia.org/wiki/Kamikaze
ルモンド、リベラシオン紙ともに、この言葉をさかんに用いている。英字紙にはこの言葉は使われていない。(「週刊新潮」11/26号はこのことを報じているが、他の日本語メディアは報じていない)
前回のメルマガで「連合赤軍」について書いた。
1972/2/19〜28に連合赤軍(日本赤軍の一部と「京浜安保共闘」が合体したもの)による「あさま山荘事件」が起き、その後の捜査で14人の同志をリンチ殺人していたことが明るみに出た。
この事件は、当時パレスチナのPLOに合流していた日本赤軍の幹部にとっても、予想外のきわめてショッキングな事件だったろう。(警察は3月に供述通りの14遺体を発掘している。)
日本赤軍派の「兵士」3名がイスラエルのテルアビブ空港で銃の乱射事件を引き起こし、死者25名、重軽傷者80人を出し、実行犯のうち2名が自爆したのが、この年の5月31日だ。
この事件は日本国内にも世界にも大きな影響を与えた。74年8月には東京丸の内で、「東アジア反日武装戦線・狼」による「三菱重工本社ビル」爆破事件が起こり、死者8名、重軽傷者376人が出た。(この実行犯も逮捕直前に青酸カリ入りのカプセルを飲み自殺した。)
国外では同年2月に、パレスチナゲリラがクウェートの日本大使館を占拠し、日本政府に対してシンガポールの精油所を襲撃して捕まった犯人5人をアラブに行かせろと要求。政府が特別機を用意して、5人とクウェートのゲリラを、アデンに運んでいる。
同じ年の9月には日本赤軍3人が、オランダ・ハーグのフランス大使館を占拠し、パリに捕らわれている日本人同志の釈放を要求。事件はフランス政府が身代金の支払いを拒否、容疑者の釈放には応じた。結局身代金30万ドルはオランダ政府が支払い、釈放された容疑者と3人の犯人は移動先のシリアでシリア政府に投降した。
この1975年頃を境として、国内では「新左翼」各派の内ゲバが多発し、国外では身代金要求の「テロの威嚇」事件が増えていったように記憶する。「アラブ日本赤軍」の最高幹部だった重信房子が大阪で逮捕されたのは2000/11だから、それまでには「自爆テロ」という戦術がパレスチナのPLOやサウジアラビアのアルカイーダに受け容れられていた。2001/9/11のアメリカ同時多発テロは、アルカイーダの独自作戦で日本の過激派とは関係がない。
それにしても、「神風特攻隊」が日本赤軍のテロと同一視され、KAMIKAZEとして普通名詞に転化するとは思わなかった。
今1日に7000人の難民がEUに押し寄せているという。単純計算では年に255.5万人になる。これは「民族大移動」だ。ベルギーの人口が1100万人、ドイツが8200万人くらいだから、EU全体としても、とてもこれだけの難民を受け容れるキャパシティはないだろう。
古来「民族大移動」が歴史の変動をもたらしたことはよく知られている。EU創設時には「想定外」の事態がいま生じているわけで、これから何が起こるか、予測が困難な時代に入ったと思う。
パリの同時多発テロと自爆攻撃をフランスでは「Le kamikaze」と呼んでいる。たとえば11/21の「ルモンド」紙は<L’infirmier qui a soigné, sans le savoir, le kamikaze du Comptoir Voltaire>と見出しに掲げている(熟練の看護師、はからずも「バー・ヴォルテール」のカミカゼに遭う)。
http://www.lemonde.fr/attaques-a-paris/video/2015/11/21/l-infirmier-qui-a-soigne-sans-le-savoir-le-kamikaze-du-comptoir-voltaire_4814918_4809495.html
フランス語のWIKIには「kamikaze」に自爆テロのことは書いてないが、
https://fr.wikipedia.org/wiki/Kamikaze
ルモンド、リベラシオン紙ともに、この言葉をさかんに用いている。英字紙にはこの言葉は使われていない。(「週刊新潮」11/26号はこのことを報じているが、他の日本語メディアは報じていない)
前回のメルマガで「連合赤軍」について書いた。
1972/2/19〜28に連合赤軍(日本赤軍の一部と「京浜安保共闘」が合体したもの)による「あさま山荘事件」が起き、その後の捜査で14人の同志をリンチ殺人していたことが明るみに出た。
この事件は、当時パレスチナのPLOに合流していた日本赤軍の幹部にとっても、予想外のきわめてショッキングな事件だったろう。(警察は3月に供述通りの14遺体を発掘している。)
日本赤軍派の「兵士」3名がイスラエルのテルアビブ空港で銃の乱射事件を引き起こし、死者25名、重軽傷者80人を出し、実行犯のうち2名が自爆したのが、この年の5月31日だ。
この事件は日本国内にも世界にも大きな影響を与えた。74年8月には東京丸の内で、「東アジア反日武装戦線・狼」による「三菱重工本社ビル」爆破事件が起こり、死者8名、重軽傷者376人が出た。(この実行犯も逮捕直前に青酸カリ入りのカプセルを飲み自殺した。)
国外では同年2月に、パレスチナゲリラがクウェートの日本大使館を占拠し、日本政府に対してシンガポールの精油所を襲撃して捕まった犯人5人をアラブに行かせろと要求。政府が特別機を用意して、5人とクウェートのゲリラを、アデンに運んでいる。
同じ年の9月には日本赤軍3人が、オランダ・ハーグのフランス大使館を占拠し、パリに捕らわれている日本人同志の釈放を要求。事件はフランス政府が身代金の支払いを拒否、容疑者の釈放には応じた。結局身代金30万ドルはオランダ政府が支払い、釈放された容疑者と3人の犯人は移動先のシリアでシリア政府に投降した。
この1975年頃を境として、国内では「新左翼」各派の内ゲバが多発し、国外では身代金要求の「テロの威嚇」事件が増えていったように記憶する。「アラブ日本赤軍」の最高幹部だった重信房子が大阪で逮捕されたのは2000/11だから、それまでには「自爆テロ」という戦術がパレスチナのPLOやサウジアラビアのアルカイーダに受け容れられていた。2001/9/11のアメリカ同時多発テロは、アルカイーダの独自作戦で日本の過激派とは関係がない。
それにしても、「神風特攻隊」が日本赤軍のテロと同一視され、KAMIKAZEとして普通名詞に転化するとは思わなかった。
今1日に7000人の難民がEUに押し寄せているという。単純計算では年に255.5万人になる。これは「民族大移動」だ。ベルギーの人口が1100万人、ドイツが8200万人くらいだから、EU全体としても、とてもこれだけの難民を受け容れるキャパシティはないだろう。
古来「民族大移動」が歴史の変動をもたらしたことはよく知られている。EU創設時には「想定外」の事態がいま生じているわけで、これから何が起こるか、予測が困難な時代に入ったと思う。
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