ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【初心忘るべからず】難波先生より

2013-01-22 12:07:09 | 難波紘二先生
【初心忘るべからず】は世阿弥の言葉で『風姿花伝(花伝書)』にあるとばかり思っていたが、あれは父観阿弥の口伝を書き写したものだった。 書中に「初心を忘れず」とはあるが、文字どおりの言葉はない。「広辞苑」によると世阿弥著『花鏡(かきょう)』に出てくる言葉だそうだ。この本は書棚にない。ついでに、各種ことわざ・名言辞典にもない。「広辞苑」にはある。(「秘すれば花」はそのまま『風姿花伝』にある。)


 私が1960年頃、学生運動に熱中していたとき、父から諭されたのがこの言葉でだった。「医者になるのをやめて文学部にでも行け」とあの温厚な父が声を荒げたのに驚いた。いずれは文を書くつもりだったが、それは医者の体験をしてから、という長期計画をもっていたので、それは拒否した。で、学生運動をやめた。


 1/18の「産経抄」が23歳、戦後最年少の直木賞受賞者、浅井リョウと
 75歳、史上最年長の芥川賞受賞者、黒田夏子をとりあげている。


 浅井は、幼稚園の頃から物語を書きはじめ、早大時代にデビュー、わずか6作目で受賞というスピードぶり。
 黒田は、5歳で作家を志し、30代から10年に1作の割で長編を書いてきたという。一人暮らしとはあるが、未婚か離婚歴があるのかは報道されていない。校正の仕事で生活費を稼ぐという、経済的にはかなり苦しいが、それなりに楽しい生活を送ってきたようだ。
 やはり私がにらんだように、「横書き、固有名詞と片仮名を使わず、平仮名を多用する独自のスタイル」つまり新文学空間の開発が、「評論家を仰天させ、そのまま今回の受賞につながった」という。


 「死ぬまでに自分の作品を1冊でもよいから本として出したい」と昨日の新聞で述べていた。謙虚な人だ。


 「栴檀は双葉より芳し」は、浅井さんに当てはまる言葉だろう。
 黒田さんには「初心を忘れないこと」の重要性を強調した観阿弥・世阿弥の言葉がふさわしい。


 しかし「初心忘るべからず」で一生努力すれば報われるかというと、そういうことはない。
 芥川賞受賞なんて、ベンチャー企業(成功率1%)が成功するよりも難しい。
 アフガニスタンやイラクやマリやアルジェリアの貧乏人が大金持ちになるのは、もっと難しい。


 彼らがイスラム原理主義に走り、死を怖れない理由について、かつてこう書いた。
<世の中は結果において不平等で、悪人が栄え善人が苦しむこともある。一生、医者知らずの健康に恵まれる人もいれば、終生を病苦に悩む人もいる。生が一回きりしかないとはあまりにも不公平であり、この世で苦しんだ代わりにあの世があって、敗者復活戦ができるとよいと誰でも思う。この願望が生んだ妄想が「死後の世界」や「死後の審判」である。>(『覚悟としての死生学』)


 「ジハード(聖戦)で倒れても天国に行ける」と本気で信じているから、ああしたテロ行為がやれるのだ。
 その後、キリスト教文化圏ではJ.ジェインズ『神々の沈黙』、R.ドーキンス『神は妄想である』、J.ブロックマン『インテリジェントな思想(Intelligent Thought)』など、神と宗教を否定する名著が出ているが、イスラム文化圏ではそんなもの出したら殺されるだろう。


 あの世はない。しかしその有無に関わらず、「初心を貫く」努力が必要だ。敗者復活戦はないけれど、自分が満足できる人生が送れたらそれでよいのだ。
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