ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

3-26-2018鹿鳴荘便り【修復腎移植アップデート:NHKテレビ放送】難波先生より

2018-03-24 08:27:52 | 修復腎移植
やっと春らしくなってきた。今日は裏庭の隅で餌をついばんでいる山鳩を見かけた。

20日(火)は三次ー江津間を結ぶJR三江線が三月いっぱいで廃線になるというので、三次駅からこの路線に乗る予定だった。だが、朝起きると三次ー式敷間で落石があり運行停止と知り、トリップを中止した。
天候は曇で、小雨が降っており、遠景の展望も利かない。おまけに100キロちょっとの距離なのに、片道4時間近くかかる。内心ホッとした。
江の川水系にそって走る路線なので、廃線後に車で一般国道を走って、河口の町江津までのんびりドライブしたいと思っている。

【修復腎移植アップデート】
3/28(水)夜のNHKテレビ放送に合わせて、事前に鹿鳴荘便りを発行します。
放送は担当ディレクターの情報によると、以下のとおりです。
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/92257/2257017/index.html
「ノーナレ」というのはナレーションなしで、映像と音声、音楽以外の情報は短いテロップで流すという意味だそうです。

<番組名 :ノーナレ「“悪魔の医師”か”赤ひげ”か」
放送日時:3月28日(水)22:55~23:15

番組概要:宇和島市の万波誠医師は2006年、日本初の臓器売買事件で身に覚えのない関与を疑われた。さらに腎臓の病変を取り除き移植する修復腎移植を行っていたことでマスコミや学会から「人体実験」と猛烈なバッシングを受けた。
一方、患者たちは万波医師の活動継続を訴え続け、国は修復腎移植を条件付きで認める方向に転換するまでに。
医療の最前線で揺れ動く正義とは?万波医師、批判の急先ぽうにたった医師、雑誌記者などの証言で描く>
だそうです。ぜひ多くの方にご覧頂きたいと思います。

ETV特集については、<正式に発表されている訳ではないので「6月下旬に放送を検討しているそうです」という程度>としかまだ言えないそうだ。
<ETV特集の方では、もう少し医学的な側面や世界の動きなども含めてお伝えできたらと考えています>とのこと。これもぜひ実現を願いたい。正式の情報を入手したら、またこのメルマガでお知らせします。

余談:黒沢明の名作「赤ひげ」を知らない世代が増えていると知り驚いた。原作の山本周五郎『赤ひげ診療譚』(新潮文庫)は容易に手に入るのに…

西光雄先生がポスターを作って患者さんや付近の医院に配布中だそうで、「すでに5000枚配った」とのこと、許可を得て配布担当者のメモを添付します。

<(放送の)タイトルビラ(の束)を吉田先生(付近の医院)に持って行きました。お兄さん先生が知り合いと近隣へ、ご自分で配って歩くと、それはもう嬉しそうにしておられました。弟先生は、看護師と事務員に配り終わると、待合室の机の上の、誰でも手が届くように、一番手前に置いて、お兄さん先生と「そこが、いい。そこが、いい」と二人で笑っておられました。>
西光雄さんの周囲への感化力にはいつも圧倒される。
     
高橋幸春さんの「潮」4月号の記事や「日経メディカル」2/28号の<医師4371人に聞く「病気腎移植に賛成ですか、反対ですか」:病気腎移植、泌尿器科医では賛否が拮抗>という記事
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/series/1000research/201802/554960.html

を読んでも、もう勝負の行方は見えたも同然だと思った。

私は2007年にドイツ・エッセンでの国際会議で、サンフランシスコ大移植外科のバーバラ・アッシャー教授にいわれた「日本の移植医は<内なるパターナリズム>を捨てていないのではないか?」という質問をいつも反芻している。
「日経メディカル」2/28の相川インタビュー
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/opinion/orgnl/201802/554958.html

を読んでつくづくそれを思った。
患者に手術や治療の選択肢を示し、そのなかから患者が自分にとって最良のものを選ぶのが、いわゆる「インフォームド・コンセント」の根本だ。医者が自分が最良と思う方法を選び、それに合わせて患者を説得するのがパターナリズムだ。

「小径腎がんは内視鏡で部分切除すればよい。移植用の腎摘出は動静脈の結紮・切断が後になるのでがん細胞をまき散らす恐れがある」という主張など相川厚氏(東邦大名誉教授)のドグマにすぎない。最新の「がん幹細胞理論」などまったく知らないようだ。

アッシャー教授のいう「内心のパターナリズム」が期せずして、彼の発言に出ていると思った。つまり「日本の移植医療が進まないのは、医師が内心のパターナリズムを捨てていないからではないか」という彼女の指摘はその通りなのだ。

ドイツ・ハイデルベルグ大の移植免疫学のオペルツ教授からは「日本は最初の心臓移植が殺人だったから、移植医療が進まないのだろう」といわれて、和田心臓移植の国際的評価を初めて知った。正直にいうと、返す言葉がなかった。

相川氏には「修復腎移植」禁止が「ジハードだ」と唱えた以上、生体腎移植を減らし、かつドナー数を増やす有効な対案を示す義務があると思う。「対案なしの反対」を反対のための反対という。

以下は私的な回想になる。
1974年、米NCIに留学した頃、米国の血液病理学は進んでいて、病理医が臨床に治療法をアドバイスするほどだった。同時期に留学していた森茂郎(東大卒)、渡辺昌(慶応卒)の3人で話しあい、「帰国したら日本の悪性リンパ腫分類を変え、米国並みの治療成績が出るように働きかけよう」という話をした。(後に「病理学会の三悪人」と呼ばれた。)

1976年、2年間の血液病理の研鑽を終えて帰国した頃、日本では「がん病名の告知も行われていなかった。がんセンターの湊さんという若い血液内科の医師とがん告知の話をしたら、「告知などとんでもない。だからわれわれは患者が脱毛を気にしないですむように、丸刈りに近く髪を短くしている」といわれたものだ。

また「日本人は白人と違い、つよい抗がん剤に耐えられない」という説が主流で、白血病や悪性リンパ腫に国際的な標準治療法が実施されていなかった。

国立がんセンターの副院長で腫瘍内科部長だった 木村禧代二先生と「日本人が特殊ということはない。日本の悪性リンパ腫分類の病型が生物学的特性を反映していないのです。同じ型の悪性リンパ腫なら人種と関係なく、同じ抗がん剤が効きます。日本に欠けているのは無菌室や他の補助療法です。そこをちゃんとし、抗がん剤を薬理学的に白人の場合と同じ血中濃度にすれば、同じ治療成績になるはずです」という議論したことがある。
当時は病名告知もされておらず、それによる患者の懊悩も治療効果に影響していたと思う。

1980年頃には、新しい「悪性リンパ腫分類」も作成でき、これが契機となって日本の腫瘍内科にパラダイム・シフトが起こり、欧米と同じ治療に変わった。
血液病理医の診断は患者の治療法とひいては生命を左右する。
木村先生(のち国立名古屋病院長)は心の広い方で、青二才のわれわれの意見をちゃんと受けとめて下さった。木村先生は血液腫瘍学の大ボスだったから、がんセンターが変わると、日本の血液腫瘍内科が変わった。

このパラダイム変化には血液病理学の仲間の運動が大きなインパクトとなったので、臨床側の理解も素早かった。「革命」に要した期間は5年程度である。学会(病理学会、血液学会、日本リンパ網内系学会など)からの圧力は一切なかった。
今、日本の血液病理学者は「WHO分類」に基づいて「血液のがん」の病理診断を行っている。

日本病理学会が理事会決議により2007/3/31のいわゆる「4学会共同声明」(修復腎移植を悪い医療として糾弾)に参加しなかったのは、日本移植医療史の二度目の汚点となるこの声明に関与したくなかったからだ、と受け取ってもらいたいものだ。

それに比べると、泌尿器科医は石頭が多い。
アメリカでは移植希望者/ドナー数の比(R/D比)が3.0を超えた時に「使える腎臓なら移植に使おう」(エキスパンデッド・ドナーの利用)という意見が米UNOSから学会誌に公表された。(カウフマンら、1997)
アメリカや他の先進国では、日本と違い移植医は必至になってドナーの拡大に努めた。
この機運があったから、ブエルの「小径腎がん切除後に腎移植を受けた14例の追跡調査論文」(2005)もニコルの「小径腎がんを利用した43例の腎移植」(2008)論文も何の問題も起こさず国際誌に掲載された。

しかし、日本では2017年の統計で、12,434人の腎移植希望者に対して141個の死体腎ドナーしかいない。R/D比は実に88.2である。(臓器移植ネットワークの数値)
人工透析患者にとってはまさに地獄というほかない。

しかし、上記「日経メディカル」2/28号の修復腎移植に対する医師アンケートによると、
全回答者(泌尿器科を含む)4371人のうち、
修復腎移植賛成=1535人(35%)
修復腎移植反対= 566人(13%)
分からない=  2270人(52%)
と、反対よりも賛成が多い。

他方、泌尿器科医(110人)について見ると、
賛成=39人(35%)、
反対=39人(35%)
分からない=32人(29%)
と「分からない」が減少し、賛否が同数となっている。
これは臨床腎移植学会が、「病気腎移植事件」(2007)後に急きょ「腎移植専門医」制度を設立し、会員でなければ専門医になれない、修復腎移植は認めないなどの締め付けを行っているせいであろう。

皮肉なことに「修復腎移植」に反対した人物の多くが、定年退職後(中には名誉毀損罪で免職になった人物もいる)は透析病院に再就職するか、自分で透析施設を開業している。
これでは透析患者を増やすために修復腎移植に反対した、といわれても仕方あるまい。

私の対案の第一は、移植学会と臨床腎移植学会の若手が、修復腎移植について理解を深め、学会の内部から改革を推進することだ。われわれはかつて血液病理学でそれをやった。要するに世代交番を進めることだ。

第二は一刻も早く「修復腎移植」を保険診療として認め、普及させることだ。
ドナーもレシピエントも生きていて、自分の体験を何らやましい気持ちなく、第三者に語ることができる。いわゆる「歩く広告塔が二人誕生する」という持論だが、身近に移植者がいることで、移植医療に対する理解は急速に深まるはずだ。

家康の言葉とされるものに「百里の道は九十九里をもって、半ばとす」がある。
最後まで気を弛めないで頑張りましょう。
(他にも書きたいことがあるが、長くなるので今回はこれで終わります。)

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