【ショウジョウバエ】
娘はピッツバーグ大学でショウジョウバエを研究材料に使って、Ph.D.をもらったようだが、当方はキチンで時折見かけるくらいで、あまり関心がなかった。ところが10月16日、高松の裁判から戻った夕方に、仕事場キチネットの流しの中においたガラスコップに、吐き捨てた熟柿の滓にショウジョウバエが止まっているのを見つけた。それが10日後の25日には、十数匹に増えているので驚いた。
はじめ1匹しか見かけなかったので、「もしかして雌雄同体で処女生殖したのだろうか?」と思った。幸い16日(金)に撮影した写真があったので、それを調べた。(Fig.1)
(Fig.1:10/16写真)
コップの中の柿の実に1匹、左の無糖ビール缶にそったコップの縁に1匹、ちゃんとつがいがいた。
それでも10日後に、こうなるとは思わなかった。(Fig2)
(Fig.2:10/25写真)
写っているだけで15匹いる。日中はもっぱら、明るくて温かい窓際の方に寄っている。キチネットの右手前にはインスタント・コーヒーを入れるために電気ポットが置いてあり、98度の熱湯が入っている。夜間の戸外温度は15度以下であり、ハエは輻射熱を出すポットの方に寄って眠っている。
中には不眠症か体内時計の狂ったハエがいて、深夜に明るい仕事机の方に1匹か2匹が飛んでくる。止まったところをガムテープやスコッチテープで捕らえようとしたが上手く行かない。
で、10/27、一匹のハエがコップの水に落ちてもがいているところを、ピンセットでつまんで少量のエタノールを滴下した蓋付きのガラス小瓶に入れた。
(これはコメリで買った硝子製の醤油差しで、蓋に押しボタンがついていて、余滴が垂れないようになっている。よって密栓が可能だ。本来は例の岩かコンクリート塊か不明の物体を、希塩酸を用いて鑑別する実験で、試験官代わりに用いるために買ったのだが、こっちの試験はまだだ。)
何しろ小さい虫だから、先が尖った時計用ピンセットでは上手くいかず、先が円盤状になっている先平のピンセットが役に立った。
動かなくなったハエをピンセットでつまみ出し、紙タオルの上に置き体長を計測したら3.5mmあった。7倍のルーペで見ると、頭部が赤い。USB顕微鏡で観察すると(Fig.3)、
(Fig.3:ショウジョウバエ、USB顕微鏡写真)
頭部が赤いのは巨大な複眼のせいで、胸節は褐色、腹節には下端に黒い条がある。羽は全部で2枚しかなく「双翅目」に属する由縁だ。きわめて薄く透明で、虹色の干渉色を示している。
驚いたのは脚が8本あるように見えることで、これは「奇形」ではないか?あるいは後端のものは「平均棍」だろうか?たまたまこの個体がそうなのか、他にも8本脚がいるのかは、さらに別のハエを調べないといけない。
ところが「岩波・生物学辞典」に「ショウジョウバエ」の項目がない。「保育社・原色日本昆虫図鑑(下)」には「ショウジョウバエ科」に4種をあげているが、完全に合致するものがいない。WIKI「ショウジョウバエ」にある「キイロショウジョウバエ(Drosophila melanogaster)」とは腹節の黒い条紋が異なり、変種または亜種かもしれない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%A6%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%A6%E3%83%90%E3%82%A8
梶島孝雄『資料・日本動物史』(八坂書房, 2002/5)を読むと、「倭名類聚抄」(937)にすでに「この小虫を<猩々>というのは何故か。獣の猩々が酒を好むので、この小虫が酒の香りに惹かれて寄って来るところから、<猩々>というのであろう」と書かれているという。またすでに「蛆(うじ)」という言葉が採録されており、「倭名はえのこ、蠅子なり」とあるそうだ。
西洋の「生物学史」を読むと、昆虫やネズミなどの小動物は、17世紀にレーベンフックが顕微鏡により微生物を発見するまで、「自然に発生する」と考えられていた。19世紀の半ばにドイツのウイルヒョウが「すべての細胞は細胞から」と主張し、血液など体液からの細胞発生説は終わったが、細菌の自然発生説はパスツールの有名な実験まで待たなければならなかった。(パストゥール「自然発生説の検討」, 岩波文庫)
日本では「寛政の改革」(1789~95)を指揮した老中松平定信が、顕微鏡を用いて蛆からハエが発生するところを観察している。(上掲、梶島書)古河藩主から老中になった土井利位(としつら)は(恐らく)顕微鏡を用いて雪の結晶を観察し、『雪華図譜』(1832)を出版している。カナダのW.A.ベントレーが「雪の結晶」という写真集を出したのは1931年だ(中谷宇吉郎「雪」,岩波文庫)。こうしてみると、江戸期の学問水準は西欧に比べて、著しく遅れていたとは、かならずしもいえない面があるようだ。
定信が出した「寛政異学の禁」(1789)は「陽明学を禁止し、朱子学を幕府の正統な学問とする」ということだったようだが、「洋学の禁止」と受け取られた側面もあるようだ。
次はショウジョウバエが蛆から成長するところを追っかけてみたい。いや、金のかからない楽しみなどいくらでもあるものですな…
娘はピッツバーグ大学でショウジョウバエを研究材料に使って、Ph.D.をもらったようだが、当方はキチンで時折見かけるくらいで、あまり関心がなかった。ところが10月16日、高松の裁判から戻った夕方に、仕事場キチネットの流しの中においたガラスコップに、吐き捨てた熟柿の滓にショウジョウバエが止まっているのを見つけた。それが10日後の25日には、十数匹に増えているので驚いた。
はじめ1匹しか見かけなかったので、「もしかして雌雄同体で処女生殖したのだろうか?」と思った。幸い16日(金)に撮影した写真があったので、それを調べた。(Fig.1)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/0f/d6/20f40efe6546951071f9f839a86c1257_s.jpg)
コップの中の柿の実に1匹、左の無糖ビール缶にそったコップの縁に1匹、ちゃんとつがいがいた。
それでも10日後に、こうなるとは思わなかった。(Fig2)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/0d/b1/91ded062eca32bca2872aeb51a346c67_s.jpg)
写っているだけで15匹いる。日中はもっぱら、明るくて温かい窓際の方に寄っている。キチネットの右手前にはインスタント・コーヒーを入れるために電気ポットが置いてあり、98度の熱湯が入っている。夜間の戸外温度は15度以下であり、ハエは輻射熱を出すポットの方に寄って眠っている。
中には不眠症か体内時計の狂ったハエがいて、深夜に明るい仕事机の方に1匹か2匹が飛んでくる。止まったところをガムテープやスコッチテープで捕らえようとしたが上手く行かない。
で、10/27、一匹のハエがコップの水に落ちてもがいているところを、ピンセットでつまんで少量のエタノールを滴下した蓋付きのガラス小瓶に入れた。
(これはコメリで買った硝子製の醤油差しで、蓋に押しボタンがついていて、余滴が垂れないようになっている。よって密栓が可能だ。本来は例の岩かコンクリート塊か不明の物体を、希塩酸を用いて鑑別する実験で、試験官代わりに用いるために買ったのだが、こっちの試験はまだだ。)
何しろ小さい虫だから、先が尖った時計用ピンセットでは上手くいかず、先が円盤状になっている先平のピンセットが役に立った。
動かなくなったハエをピンセットでつまみ出し、紙タオルの上に置き体長を計測したら3.5mmあった。7倍のルーペで見ると、頭部が赤い。USB顕微鏡で観察すると(Fig.3)、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2c/19/0c8a5b71377ed7acdbdcd215da3d7aa2_s.jpg)
頭部が赤いのは巨大な複眼のせいで、胸節は褐色、腹節には下端に黒い条がある。羽は全部で2枚しかなく「双翅目」に属する由縁だ。きわめて薄く透明で、虹色の干渉色を示している。
驚いたのは脚が8本あるように見えることで、これは「奇形」ではないか?あるいは後端のものは「平均棍」だろうか?たまたまこの個体がそうなのか、他にも8本脚がいるのかは、さらに別のハエを調べないといけない。
ところが「岩波・生物学辞典」に「ショウジョウバエ」の項目がない。「保育社・原色日本昆虫図鑑(下)」には「ショウジョウバエ科」に4種をあげているが、完全に合致するものがいない。WIKI「ショウジョウバエ」にある「キイロショウジョウバエ(Drosophila melanogaster)」とは腹節の黒い条紋が異なり、変種または亜種かもしれない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%82%A6%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%A6%E3%83%90%E3%82%A8
梶島孝雄『資料・日本動物史』(八坂書房, 2002/5)を読むと、「倭名類聚抄」(937)にすでに「この小虫を<猩々>というのは何故か。獣の猩々が酒を好むので、この小虫が酒の香りに惹かれて寄って来るところから、<猩々>というのであろう」と書かれているという。またすでに「蛆(うじ)」という言葉が採録されており、「倭名はえのこ、蠅子なり」とあるそうだ。
西洋の「生物学史」を読むと、昆虫やネズミなどの小動物は、17世紀にレーベンフックが顕微鏡により微生物を発見するまで、「自然に発生する」と考えられていた。19世紀の半ばにドイツのウイルヒョウが「すべての細胞は細胞から」と主張し、血液など体液からの細胞発生説は終わったが、細菌の自然発生説はパスツールの有名な実験まで待たなければならなかった。(パストゥール「自然発生説の検討」, 岩波文庫)
日本では「寛政の改革」(1789~95)を指揮した老中松平定信が、顕微鏡を用いて蛆からハエが発生するところを観察している。(上掲、梶島書)古河藩主から老中になった土井利位(としつら)は(恐らく)顕微鏡を用いて雪の結晶を観察し、『雪華図譜』(1832)を出版している。カナダのW.A.ベントレーが「雪の結晶」という写真集を出したのは1931年だ(中谷宇吉郎「雪」,岩波文庫)。こうしてみると、江戸期の学問水準は西欧に比べて、著しく遅れていたとは、かならずしもいえない面があるようだ。
定信が出した「寛政異学の禁」(1789)は「陽明学を禁止し、朱子学を幕府の正統な学問とする」ということだったようだが、「洋学の禁止」と受け取られた側面もあるようだ。
次はショウジョウバエが蛆から成長するところを追っかけてみたい。いや、金のかからない楽しみなどいくらでもあるものですな…
Omnis cellula e cellulaは、1855年頃からフィルヒョウが提唱し始めた事。1858年出版のCellular Pathologyに書かれている。
かたや、パスツールの有名な実験は、1854年頃から始まり、1861年の「自然発生説の検討」で記載された。
「まで待たなければならなかった」とか大仰に書いてあるが、同時代の出来事である。
いつも100均で買ったような安物の実験道具を使ってらっしゃるが、折角やるならイノックスの鑷子等の正規の解剖用具とか、双眼実体顕微鏡を揃えられたらどうか? その方がずっと正確な解剖や詳細な観察が容易になると思う。
まるでストーカーだぞお前。
専門用具を揃えても結局身近な物の方が便利なことありますよ。
上の奴、反日だぞ。
でも、ピンセットとか顕微鏡とか、しっかりしたものを初めて使うと、小中学校で使っていたものがいかにオモチャであるかを実感するのですよ。使い心地も見え方も全然違うし、大学名誉教授ならその程度の器材を揃えるくらい簡単にできそうだから、ついつい進言してみただけ。まあ、元病理医なら、ずっといい顕微鏡を普段からお使いだったはずだけどね。
科学的な内容について間違った事が書いてあれば、それを正すのは悪い事だとは思わない。正されて不快に思うのは、科学の徒ではないと思う。俺のことばづかいは時々よくないと思うが、指摘は指摘として受け入れてほしいものだ。指摘が間違っていれば堂々と反論すれば宜しい。
そろそろ私もお布施でもするかな。名前も明かさずメルマガをずっと拝読させてもらっているし。名前を明かすと中共に通報されたりしないかな。
ねぇ?Mr.反日。
政党名「日本酒ワイン連合」
甘口のお酒がお好きなお方、地元で有名無名問わずおいしい甘口地酒の情報を持っている方。私とともに廃れ行く日本酒の復活を願って活動しませんか?