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ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

2017/12/29鹿鳴荘便り 序/難波先生より

2017-12-31 14:11:49 | 難波紘二先生
あっという間に、年の瀬も押し迫ってきた。
歳を取ると、一年が過ぎるのが主観的にぐんと早くなる。

「逝くものかかくのごときか、昼夜をおかず」(「論語」)
今日はこれから通夜に出かけなければならない。自殺とか安楽死を別として、死は意外な時にやって来るから、致し方ない。
<12/30付記:通夜には親族が20人強あつまったが、僧侶の読経がひどかった。浄土真宗では「浄土三部経(「仏説無量寿経」、「仏説観無量寿経」、「阿弥陀経」)が基本経だが、いきなり「仏説無量寿経」を読み始めたのには驚いた。
 どうしてわかったかというと、漢訳の「仏説観無量寿経」と「阿弥陀経」は、どちらも冒頭が「如是我聞」となっており、僧侶は「ニョゼーガーモン」と読み上げる。これに対して「仏説無量寿経」では「我聞如是」(ガーモンニョーゼー)となり、「我」という主語が前にくる。

 このお経は岩波文庫で100ページもある。全部読み上げたらとても1時間では終わらない。「弱ったな…」と思っていたら、読経と並行して焼香などの葬儀礼が行われほっとした。その上、僧侶が「仏説無量寿経(上)」の終りで読経を止めてしまった。
 「漢文読み下し調」がいきなり、変な和語の読経に変わったのは、おそらく僧侶用の経典テキストには、時間調節のため、上巻で終える場合の適当な和語がついているのであろう。

 ついで蓮如『御文書』からの一文の朗読があった。蓮如が書いた短文は77本が岩波文庫『蓮如文集』に収録されているが、一番有名なのは「白骨の御文章」だろう。ことに「二つのまなこたちまちに閉じ、紅顔むなしく変じて、桃李のよそおいを失いぬる時には、六親眷属集まりて、嘆き悲しめども、さらにその甲斐あるべからず」のくだりは、医学的に見ても、
★二つのまなこ閉じ=脳の機能停止
★紅顔、桃李のよそおいを失う=呼吸・循環機能の停止
を意味しており、「死の三徴候」を適切に捉えているといえよう。

 この僧から御文章の朗読を聞くのは2度目だが、いずれも「白骨の御文章」は取り上げず、全巻を読破している私にとっても、まったく記憶にない箇所を読み上げた。これじゃ「葬式仏教」としても落第だな、と思った。
 終了後、久しぶりに息子夫婦と広島市内のレストランで夕食を共にできたのが唯一の収穫だった。帰宅は23時頃になった。

今回は今年最後の「鹿鳴荘便り」です。
どうぞ皆さま良いお年をお迎え下さい。

12月の初めから「うつ」状態が悪化し、キーボードを触るのも嫌になり、すべての原稿執筆が中断していました。
「ああこれはうつの谷間に入ったな…」と思い、新聞とマウスで操作できるネットニュースを読むだけにしていました。
このため「お布施」やお歳暮を頂いた方へのお礼もストップしてしまい、申し訳ありません。
「入院した方がよいかな?」とも思いましたが、何とか主治医からもらった飲み薬で持ち直したようです。
「双極性障害」はときどき、ウェーブ状に落ち込みが来るのでやっかいです。

今回は、休止期が入ったので話題が12にも上りあいすみません。
1.【訂正とお詫び】
2.【ご質問へ】
3.【献本などお礼】
4.【書評など】
5.【ヒマラヤの雪男】
6.【オニヤンマ】
7.【古雑誌の効用1】
8.【来年のこと】
9.【不思議な新聞記事】
10.【古雑誌の効用2】
11.【教生】
12.【献体】

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