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阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【書評】清水勲「4コマ漫画:北斎から<萌え>まで」/難波先生より

2014-07-28 17:40:12 | 難波紘二先生
【書評】エフロブ「買いたい新書」の書評にNo.227:清水勲「4コマ漫画:北斎から<萌え>まで」(岩波新書)を取り上げました。
http://www.frob.co.jp/kaitaishinsho/book_review.php?id=1406252953
 読者が最初に読んだ漫画はなんだろう?答えは年代により異なるだろうが,評者の場合は昭和20年代の「フクチャン」,「サザエさん」,「ブロンディ」などがそれだ。
 「ブロンディ」に描かれた自動車,テレビ,冷蔵庫,電気洗濯機があるアメリカのサラリーマン家庭に憧れて、戦後日本の復興が始まったと言ってもよいだろう。
 前は新聞や雑誌の漫画欄を真っ先に読んで大笑いをしたものだが,今は読まない。読んでも可笑しくない。どうしてだろう…。漫画研究家の著者 (1939~)はこういう。「漫画はその国の大衆に受け入れられなくては『笑い』とならない。そのためにこそ真実を描かなくてはならない」。だから「笑いをとるために」描かれた漫画には,新聞記事や写真を超える真実がある,と。
 確かに長谷川町子の「いじわるばあさん」(1961/1~1971/7)には、痛烈な真実が含まれていて、そこから来る哄笑がたまらず、毎週のように掲載誌「サンデー毎日」を買うのは、山本夏彦の「写真コラム」が読みたくて「週刊新潮」を買うのと同様だった。

 ところで8月に取り上げる予定の中沢弘基『生命誕生:地球史から読み解く新しい生命像』(講談社現代新書)にも漫画の話が出て来る。手塚治虫「ジャングル大帝」(1977, 講談社, 第一巻)だ。引用された漫画の説明には「アルフレッド・ウェゲナー博士の大陸移動説」、「マントル対流」という言葉が認められ、手塚が大陸移動説とプレート・テクトニクスによる大陸移動のメカニズムを理解していたことがわかる。
 だが、この第一巻の雑誌連載は1950~54年であり、A.ウェゲナーの大陸移動説はまだひろく受け容れられていなかった。
 SF作家小松左京の『日本沈没』(1973)がベストセラーになり、映画化もされて、地球物理学的にみた日本列島の特性が世にひろく知られるようになった。その後、二人が雑誌対談を行い、小松が手塚に「ナショナル・ジオグラフィック」(当時は英語版のみ)を読むと地球科学の最新情報が載っているからよい、と薦めていたのを記憶している。だからこの時、ウェゲナーの説を手塚は知らなかったと思われる。
 東大を停年退官した地球物理学者竹内均が雑誌「ニュートン」を創刊したのが1981年で、その後、後追いで「ナショナル・ジオグラフィック」日本語版も創刊された。「日経サイエンス」(サイエンティフィック・アメリカンの日本語版)同じ頃に出たように思う。
 啄木は「茶わんの湯」を見て、「懐かしき冬の朝かな湯を飲めば、湯気やわらかに顔にかかれり」と詠った。寺田寅彦は「茶わんの湯」を観察して壮大な地球科学論を展開した。この科学随筆「茶わんの湯」(1922=大正11年発表)の存在を、私は理論経済学者のM先生から教わった。以下にあるが、
 http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/card2363.html
小宮豊隆編『寺田寅彦随筆集2』(岩波文庫)には含まれていない。(Amazon キンドル版にはある。)
 岩波版は1947/9初版で、1964/1に改版されているから、その際にカットされたのかもしれない。これは索引がないので、私もっぱらキンドル版の「索引機能」を利用している。例えば「関東大震災」という語句を含む寺彦随筆は4篇ある。

 寅彦は鈴木三重吉主宰の児童雑誌「赤い鳥」に掲載されたこの随筆で、茶わんの湯気と湯の表面の模様から、おぼろ月、虹、霧、突風、竜巻、雹、雷、陽炎、海陸風、山谷風、季節風、台風といった気象現象を説明し、いわゆる「ベナール対流」によって生じる湯の表面に生じる模様を論じている。
 恐るべき手際だが、地球のマントルも、茶わんの湯と同じく対流を生じている、従って地殻は地球表面の薄い痂皮であり、マグマの対流により地殻もまた動く、つまりウェゲナーのいう「大陸移動」が起こる、という考え方には達していなかったようだ。
 ルイセンコ学説に加担した異端の地質学者、井尻正二と湊正雄による『地球の歴史・改訂版』(岩波新書, 1965/3)では、ウェゲナーの大陸移動説も、その原動力としてのマントル対流説も信憑性のたかい説として紹介されている。「パンゲア大陸」とか「ゴンドワナ大陸」のような仮想古代大陸の名前も見える。
 いずれにせよ手塚治虫(1928~89)が雑誌連載で「ジャングル大帝」を描いたときには、この井尻らによる岩波新書もなかったから、恐らく1977年に単行本として出版されるときに、自らが「プレート・テクトニクス理論」に基づいて手直ししたのではなかろうか、と思う。
 私は1976年頃「ワシントン・ポスト」日曜版の見開き2頁を使った科学特集で大陸移動説によるプレート・テクトニクス理論の大筋を知った。
 ウェゲナーの主著『大陸と海洋の起源』が岩波文庫に入ったのが1981年である。
 ソルボンヌ大学(現パリ大学)の学生だったアンリ・ベナールが熱せられた液体中に多数の柱状「対流単位」(「ベナール・セル」)が形成されることを発見し、論文として発表したのが1900年である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%AB
鍋のスープ表面にできた「ベナール・セル」の変化については、ここに良い動画がある。
 http://en.wikipedia.org/wiki/B%C3%A9nard_convection
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