【アルジェリア】
1) WSJによると犯行グループを除き、人質事件の死者は少なくとも外国人37名(うち日本人7名)、アルジェリア人警備員1名だという。遺体身元確認が進むにつれ数はもっと増えるのではないか。
http://jp.wsj.com/article/SB10001424127887324439704578256332971165900.html
「日揮」と政府は生存者、死者ともに氏名は公開しない方針だという。おかしな話だ。会社は公表するといろいろやましい点が出てくるからだろうが、それを容認する政府もおかしい。早くも安倍政権は馬脚を顕したかたちだ。
メディアは「アベミノックス」と騒いでいるが、あれはレーガン大統領の「小さな政府、政府支出の増大、富裕層の減税」により景気を浮揚させるという政策を、ReaganとEconomics(経済学)と掛けて"Reagan-omics"と呼んだことによる。大量に発行した国債のツケが回って、来月には米政府は「支払い不能」になる可能性が高い。
「安倍Abe」には"n"がないからeconomicsとは連結不能だ。
英語の造語法も知らない日本のバカマスコミ。
連結できないアベノミックスがうまく行くはずもない。
それにしても、政府の危機管理はお粗末ですな。
これは福島原発事故での対応と合わせて考えると、「官僚システム」の制度疲労が原因だろうと思う。政治家なんて、官僚が動かなければ何もできないに決まっている。外務省はいったいどう動いたのか、説明責任があろう。
2)8時前、ハワイの娘と孫からスカイプが架かってきた。ハワイは21日(月)のお昼頃。
「幼稚園に行かないの?」とたずねたら、「今日はマルティン・ルーサー・キング牧師の記念日で、休日だ」とのこと。
今日、メンフィスで暗殺されたのかと思ったら、
http://ja.wikipedia.org/wiki/マーティン・ルーサー・キング・ジュニア
彼の誕生日に近い、「1月の第3月曜日」をレーガン大統領の時代に「休日」と定めたのだそうだ。
「I have a dream…、いつの日か黒人と白人が分けへだてなく、肩を並べて友人となれる日が来る…」と彼の有名な演説を、「朝日ソノラマ」で聴いて身震いするような感動を覚えた。テネシー州メンフィスにある彼が暗殺されたモーテルにも行った。
ノーベル平和賞受賞者は、狂信的白人優位主義者の凶弾に倒れた。まるでアウンサン・スーチーが暗殺されるような話だ。
しかしキング牧師の夢は実現した。
オバマ大統領は昨日二度目の就任式を行った。
アメリカの黒人差別は今も残るが、それは貧困や教育レベルの差に起因するもので、皮膚の色による差別はほぼ消えた。
「黄禍論」もなくなった。もう「イエロー・モンキー」とは呼ばせない。
ケネディ大統領の暗殺以来、60年代の米国では暗殺やテロが横行した。大統領暗殺未遂事件も多発している。
日本でも社会党の党首浅沼稲次郎がテレビ中継中に、「日本愛国党」の少年により演壇で刺殺された。
昭和の初めから大政翼賛会が発足するまでは、右翼や軍人によるテロが多発し、政治家や財界人が凶刃や凶弾に倒れた。
こうしてみると、テロが起こるのが普通で、起こらない今の日本の方が「異常」なのだ。
世界はテロに満ちている。
海外に進出する個人や企業には、それなりの覚悟が必要だろう。
3) 昨年に書いた机上のメモが何十枚も溜まったので整理した。私は印刷に使用した紙で裏が使えるものは保存し、カッターで4つに切り、端をのり付けしてメモ帳を製作する。なに糊付けした箇所をマグリップで挿んで、乾くまで鉄製のキャビネネットの壁に吊しておくだけだ。
メモの方は、書籍注文に関するものは、別のA4台紙に貼り付け、「書籍目録」というクリアフォルダに整理した。
もう一種は同じように貼りつけ、「修復腎移植」というフォルダに整理した。これは「第三の移植」を執筆する際の資料になる。
そしたら、そこにこんな歌のメモがあった。
「アダムに知恵を与えたリンゴ
いくらで買ってもらえますか?
禁断の果実をひとかじりしたその夜
新たな楽園を見つけた
毎日リンゴを食べれば医者はいらない
「医者はいらない」と医者は妻にも捨てられる
妻は肉屋やパン屋や職人たちと情事を重ねる
このリンゴいくらで買ってもらえますか?」
さっぱりわからなかった。自分のメモなのに。ところがそばに「アマルファ峠」と書き込みがあり、Amalfi passと添え書きがあった。「20フラン、半月分」ともメモがある。
これで思い出した。映画「モロッコ」(1930)で、旅芸人アミー(マレーネ・デートリッヒ)が外人部隊の兵士トム(ゲイリー・クーパー)が観客にいる劇場で歌う歌だ。リンゴを入れた籠を下げて、歌いながら観客席を廻る。リンゴも売るのだ。
1個20フランである。トムは隣にいた友人から金を借りてリンゴを買う。その時の友人の台詞が、
「お前の給料の半月分だぞ」。
このシーンを見れば、トムがアミーに一目惚れしたこと、その後のストーリーが検討つく。
灼熱の恋、熱砂に消え行く外人部隊、裸足で後を追う女。いや、名画でした。
「面白い歌だ」とDVDを繰り返して再生しながら、メモしたらしい。
初めこれはアルジェリアの話と憶えていたが、仏領モロッコの話だった。
「アマルファ峠」というのは、モロッコの西のアルジェリア寄りにある峠だ。
「カスバの女」という歌は、「「ここは地の果てアルジェリア」という歌詞が出てくるから、「望郷」(1937)か「カサブランカ」(1942) に曲想を得たのかと思っていたら、1955年に公開された日本映画「深夜の女」の主題歌で、エト邦枝が歌ったのだそうだ。
「明日はチュニスかモロッコか」という一節もあるから、「東か西か」という意味で、場所がアルジェのカスバであることは間違いない。カスバが出てくるのは「望郷(ペペル・モコ)」だ。ジャン・ギャバンの演技がよかった。
しかし、この歌がひろく流行ったのは60年安保が挫折し、虚脱感が漂う1960年代だったと思う。
カラオケがいつ登場したのか憶えていないが、カラオケでよく歌い、歌われもしたのを憶えている。
いや、これはアルジェリアの日本人人質の運命もわからないのに、不謹慎な話でした。
しかし1960年代に公開された「アルジェの戦い」という、フランスからのアルジェリア独立戦争を描いた映画があった。凄まじいテロと戦闘場面の連続だった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/アルジェリア戦争
200年近くの植民地支配により、フランスにはアルジェを中心として確固とした権益があった。多数の定住者もいて、不動産や工場ももっていた。朝鮮での「日帝支配の30年」どころではない。
このアルジェリア支配層が、フランスの政治や軍部を動かして、50年代のフランスは大混乱に陥った。映画「ジャッカルの日」はこれを背景にしたものだ。
第二次大戦でのフランス解放の英雄、ドゴール元帥が大統領になり「第五共和制」を始めることで、この混乱は収拾に向かったのである。
この独立戦争での死者は、
アルジェリア解放軍(FLN)=13万人
仏軍=3万人
仏軍傭兵(アルジェリア人)=3~9万人
である。
これがオンリー・イェスタデ―なのだ。
アルジェリア政府が、50年前の独立戦争に比べれば、人質の生命数など大したことないと考えていても不思議ではない。
あれから50年経ってもちっともあの国は進歩していないと思う。
1) WSJによると犯行グループを除き、人質事件の死者は少なくとも外国人37名(うち日本人7名)、アルジェリア人警備員1名だという。遺体身元確認が進むにつれ数はもっと増えるのではないか。
http://jp.wsj.com/article/SB10001424127887324439704578256332971165900.html
「日揮」と政府は生存者、死者ともに氏名は公開しない方針だという。おかしな話だ。会社は公表するといろいろやましい点が出てくるからだろうが、それを容認する政府もおかしい。早くも安倍政権は馬脚を顕したかたちだ。
メディアは「アベミノックス」と騒いでいるが、あれはレーガン大統領の「小さな政府、政府支出の増大、富裕層の減税」により景気を浮揚させるという政策を、ReaganとEconomics(経済学)と掛けて"Reagan-omics"と呼んだことによる。大量に発行した国債のツケが回って、来月には米政府は「支払い不能」になる可能性が高い。
「安倍Abe」には"n"がないからeconomicsとは連結不能だ。
英語の造語法も知らない日本のバカマスコミ。
連結できないアベノミックスがうまく行くはずもない。
それにしても、政府の危機管理はお粗末ですな。
これは福島原発事故での対応と合わせて考えると、「官僚システム」の制度疲労が原因だろうと思う。政治家なんて、官僚が動かなければ何もできないに決まっている。外務省はいったいどう動いたのか、説明責任があろう。
2)8時前、ハワイの娘と孫からスカイプが架かってきた。ハワイは21日(月)のお昼頃。
「幼稚園に行かないの?」とたずねたら、「今日はマルティン・ルーサー・キング牧師の記念日で、休日だ」とのこと。
今日、メンフィスで暗殺されたのかと思ったら、
http://ja.wikipedia.org/wiki/マーティン・ルーサー・キング・ジュニア
彼の誕生日に近い、「1月の第3月曜日」をレーガン大統領の時代に「休日」と定めたのだそうだ。
「I have a dream…、いつの日か黒人と白人が分けへだてなく、肩を並べて友人となれる日が来る…」と彼の有名な演説を、「朝日ソノラマ」で聴いて身震いするような感動を覚えた。テネシー州メンフィスにある彼が暗殺されたモーテルにも行った。
ノーベル平和賞受賞者は、狂信的白人優位主義者の凶弾に倒れた。まるでアウンサン・スーチーが暗殺されるような話だ。
しかしキング牧師の夢は実現した。
オバマ大統領は昨日二度目の就任式を行った。
アメリカの黒人差別は今も残るが、それは貧困や教育レベルの差に起因するもので、皮膚の色による差別はほぼ消えた。
「黄禍論」もなくなった。もう「イエロー・モンキー」とは呼ばせない。
ケネディ大統領の暗殺以来、60年代の米国では暗殺やテロが横行した。大統領暗殺未遂事件も多発している。
日本でも社会党の党首浅沼稲次郎がテレビ中継中に、「日本愛国党」の少年により演壇で刺殺された。
昭和の初めから大政翼賛会が発足するまでは、右翼や軍人によるテロが多発し、政治家や財界人が凶刃や凶弾に倒れた。
こうしてみると、テロが起こるのが普通で、起こらない今の日本の方が「異常」なのだ。
世界はテロに満ちている。
海外に進出する個人や企業には、それなりの覚悟が必要だろう。
3) 昨年に書いた机上のメモが何十枚も溜まったので整理した。私は印刷に使用した紙で裏が使えるものは保存し、カッターで4つに切り、端をのり付けしてメモ帳を製作する。なに糊付けした箇所をマグリップで挿んで、乾くまで鉄製のキャビネネットの壁に吊しておくだけだ。
メモの方は、書籍注文に関するものは、別のA4台紙に貼り付け、「書籍目録」というクリアフォルダに整理した。
もう一種は同じように貼りつけ、「修復腎移植」というフォルダに整理した。これは「第三の移植」を執筆する際の資料になる。
そしたら、そこにこんな歌のメモがあった。
「アダムに知恵を与えたリンゴ
いくらで買ってもらえますか?
禁断の果実をひとかじりしたその夜
新たな楽園を見つけた
毎日リンゴを食べれば医者はいらない
「医者はいらない」と医者は妻にも捨てられる
妻は肉屋やパン屋や職人たちと情事を重ねる
このリンゴいくらで買ってもらえますか?」
さっぱりわからなかった。自分のメモなのに。ところがそばに「アマルファ峠」と書き込みがあり、Amalfi passと添え書きがあった。「20フラン、半月分」ともメモがある。
これで思い出した。映画「モロッコ」(1930)で、旅芸人アミー(マレーネ・デートリッヒ)が外人部隊の兵士トム(ゲイリー・クーパー)が観客にいる劇場で歌う歌だ。リンゴを入れた籠を下げて、歌いながら観客席を廻る。リンゴも売るのだ。
1個20フランである。トムは隣にいた友人から金を借りてリンゴを買う。その時の友人の台詞が、
「お前の給料の半月分だぞ」。
このシーンを見れば、トムがアミーに一目惚れしたこと、その後のストーリーが検討つく。
灼熱の恋、熱砂に消え行く外人部隊、裸足で後を追う女。いや、名画でした。
「面白い歌だ」とDVDを繰り返して再生しながら、メモしたらしい。
初めこれはアルジェリアの話と憶えていたが、仏領モロッコの話だった。
「アマルファ峠」というのは、モロッコの西のアルジェリア寄りにある峠だ。
「カスバの女」という歌は、「「ここは地の果てアルジェリア」という歌詞が出てくるから、「望郷」(1937)か「カサブランカ」(1942) に曲想を得たのかと思っていたら、1955年に公開された日本映画「深夜の女」の主題歌で、エト邦枝が歌ったのだそうだ。
「明日はチュニスかモロッコか」という一節もあるから、「東か西か」という意味で、場所がアルジェのカスバであることは間違いない。カスバが出てくるのは「望郷(ペペル・モコ)」だ。ジャン・ギャバンの演技がよかった。
しかし、この歌がひろく流行ったのは60年安保が挫折し、虚脱感が漂う1960年代だったと思う。
カラオケがいつ登場したのか憶えていないが、カラオケでよく歌い、歌われもしたのを憶えている。
いや、これはアルジェリアの日本人人質の運命もわからないのに、不謹慎な話でした。
しかし1960年代に公開された「アルジェの戦い」という、フランスからのアルジェリア独立戦争を描いた映画があった。凄まじいテロと戦闘場面の連続だった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/アルジェリア戦争
200年近くの植民地支配により、フランスにはアルジェを中心として確固とした権益があった。多数の定住者もいて、不動産や工場ももっていた。朝鮮での「日帝支配の30年」どころではない。
このアルジェリア支配層が、フランスの政治や軍部を動かして、50年代のフランスは大混乱に陥った。映画「ジャッカルの日」はこれを背景にしたものだ。
第二次大戦でのフランス解放の英雄、ドゴール元帥が大統領になり「第五共和制」を始めることで、この混乱は収拾に向かったのである。
この独立戦争での死者は、
アルジェリア解放軍(FLN)=13万人
仏軍=3万人
仏軍傭兵(アルジェリア人)=3~9万人
である。
これがオンリー・イェスタデ―なのだ。
アルジェリア政府が、50年前の独立戦争に比べれば、人質の生命数など大したことないと考えていても不思議ではない。
あれから50年経ってもちっともあの国は進歩していないと思う。
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