6/15(木)の午後10時頃、書庫に行こうと勝手口のドアを開けたら、西の小川の上をヘイケボタルが2匹飛んでいるのを認めた。小さな灯りなのだが周囲が真っ暗闇なのでよく見える。ゆっくりと上下に揺らぐようにして飛んでいる。
卯の花、ホトトギスと自然は移ろい、蛍が出て来て「夏は来ぬ」となった。変わったのは人間がやる「田植え」の風景がなくなったことだけだ。もっともヘイケボタルも町の人のうわさでは、今年は天候不順のせいか、例年より数が少ないそうだ。
平家に続いてゲンジボタルが出現するのが通例だが、西の小川にはこの一角に住む人たち(我が家も含む)の生活排水(合併浄化槽を経由しての)が流れ込んでおり、綺麗な水でないと生息できないゲンジボタルが今年もまた出現するかどうかは、実物を見ないと安心できない。
ヘイケボタルの飛ぶ小川の岸には、アジサイに似た小さな花がたくさん咲いている。家内に聞くと「野生種のコアジサイ」だそうだ。
(コアジサイの花)
私は園芸用の花とか樹木があまり好きでないので、自然に生えてくる野生種の花木を楽しんでいる。
裏庭の西のはずれ、低い崖状になった部分に、白い4つの花弁からなる花を付けた低木がある。(写真)
前にはこんな木はなかったので、自生したのであろう。花弁の裏を見ると「ガク」がなく、花弁に見えるものがガクだとわかった。家内に聞くと「野生のヤマボウシで、種が落ちて自然に生えたでしょう」とのこと。
(ヤマボウシの花)
いつか西高屋の街路樹やブールバールの街路樹のコブシを間違えてヤマボウシと書いて、MさんやI君から誤りのご指摘を受けたことを思い出した。
今までは裏の林道を歩いて、山の中腹に咲いているヤマボウシの木しか見たことがなかった。枝が高い位置にあるので、近寄っても花の咲いている小枝を折り取ることができなかった。
こうやって庭の外れに自生してくれると、花が開くところから、葉の生え方まで近くから観察でき、花や葉の裏側まで調べることができるからありがたい。
ヤマボウシの花をひっくり返してみて、花の裏側付け根に小さな葉(コブシの特徴)と他に3枚のガク(タムシバの特徴)がないこと、花弁が4枚であることからヤマボウシであると得心した。
植物の鑑別も「顕微鏡による病理診断と同じだな…」と思った。病理組織標本はまず全体を低倍率で観察して、病変の有無と分布のパタンを確認する。局在性でなく全体に一様に病変があれば、その箇所を、次第に倍率を上げながら観察しする。場合によっては1000倍にまで拡大して観察を行う。これで細胞レベルの異常まで調べることができる。
山に生えている樹の花を遠くから見て木の種類を判断するのは、まるで総合倍率40倍の顕微鏡でがんかどうか、がんの種類は何かを診断するのと変わらないなと思った。
それにしても私は高校生物学と大学教養科目「生物学」しか習っていないから、植物に関してはほとんど無知だ。
「植物形態学」という日本語の入門書を開いても、同じ英語がまったく別の日本語になっているのに戸惑う。花びらが半開きの時に、「杯」状になるのでこれをカリクス(Calyx)という。医学では「腎杯」(renal calyx)というように使う。腎乳頭を取り囲み分泌される尿を受ける腎盂(腎盤)の袋状突出部のことだ。
ところが植物学ではカリクスを「ガク(萼)」という。これがどこから由来するのか分からない。漢和辞典を引くと「萼」には「うてな。はなぶさ」という意味があるという。「うてな」はものを載せる台のこと、「はなぶさ」は房になって咲く花のことだ。
医学にも「癌」、「躁欝」のように難しい漢字があるが、植物学にもあるなと思った。
動物学については、医学生の頃に「無脊椎動物の進化」と「脊椎動物とヒトの進化」について、ペンギンブックの英語本を読み込んだ。今も時折読んでいる。
あの頃に、ついでに英語で植物学の本を読んでいたら、いま日本語の植物学書で難渋しないでもすんだのに…、とちょっぴり後悔している。
「記事転載は事前にご連絡いただきますようお願いいたします」
卯の花、ホトトギスと自然は移ろい、蛍が出て来て「夏は来ぬ」となった。変わったのは人間がやる「田植え」の風景がなくなったことだけだ。もっともヘイケボタルも町の人のうわさでは、今年は天候不順のせいか、例年より数が少ないそうだ。
平家に続いてゲンジボタルが出現するのが通例だが、西の小川にはこの一角に住む人たち(我が家も含む)の生活排水(合併浄化槽を経由しての)が流れ込んでおり、綺麗な水でないと生息できないゲンジボタルが今年もまた出現するかどうかは、実物を見ないと安心できない。
ヘイケボタルの飛ぶ小川の岸には、アジサイに似た小さな花がたくさん咲いている。家内に聞くと「野生種のコアジサイ」だそうだ。
(コアジサイの花)
私は園芸用の花とか樹木があまり好きでないので、自然に生えてくる野生種の花木を楽しんでいる。
裏庭の西のはずれ、低い崖状になった部分に、白い4つの花弁からなる花を付けた低木がある。(写真)
前にはこんな木はなかったので、自生したのであろう。花弁の裏を見ると「ガク」がなく、花弁に見えるものがガクだとわかった。家内に聞くと「野生のヤマボウシで、種が落ちて自然に生えたでしょう」とのこと。
(ヤマボウシの花)
いつか西高屋の街路樹やブールバールの街路樹のコブシを間違えてヤマボウシと書いて、MさんやI君から誤りのご指摘を受けたことを思い出した。
今までは裏の林道を歩いて、山の中腹に咲いているヤマボウシの木しか見たことがなかった。枝が高い位置にあるので、近寄っても花の咲いている小枝を折り取ることができなかった。
こうやって庭の外れに自生してくれると、花が開くところから、葉の生え方まで近くから観察でき、花や葉の裏側まで調べることができるからありがたい。
ヤマボウシの花をひっくり返してみて、花の裏側付け根に小さな葉(コブシの特徴)と他に3枚のガク(タムシバの特徴)がないこと、花弁が4枚であることからヤマボウシであると得心した。
植物の鑑別も「顕微鏡による病理診断と同じだな…」と思った。病理組織標本はまず全体を低倍率で観察して、病変の有無と分布のパタンを確認する。局在性でなく全体に一様に病変があれば、その箇所を、次第に倍率を上げながら観察しする。場合によっては1000倍にまで拡大して観察を行う。これで細胞レベルの異常まで調べることができる。
山に生えている樹の花を遠くから見て木の種類を判断するのは、まるで総合倍率40倍の顕微鏡でがんかどうか、がんの種類は何かを診断するのと変わらないなと思った。
それにしても私は高校生物学と大学教養科目「生物学」しか習っていないから、植物に関してはほとんど無知だ。
「植物形態学」という日本語の入門書を開いても、同じ英語がまったく別の日本語になっているのに戸惑う。花びらが半開きの時に、「杯」状になるのでこれをカリクス(Calyx)という。医学では「腎杯」(renal calyx)というように使う。腎乳頭を取り囲み分泌される尿を受ける腎盂(腎盤)の袋状突出部のことだ。
ところが植物学ではカリクスを「ガク(萼)」という。これがどこから由来するのか分からない。漢和辞典を引くと「萼」には「うてな。はなぶさ」という意味があるという。「うてな」はものを載せる台のこと、「はなぶさ」は房になって咲く花のことだ。
医学にも「癌」、「躁欝」のように難しい漢字があるが、植物学にもあるなと思った。
動物学については、医学生の頃に「無脊椎動物の進化」と「脊椎動物とヒトの進化」について、ペンギンブックの英語本を読み込んだ。今も時折読んでいる。
あの頃に、ついでに英語で植物学の本を読んでいたら、いま日本語の植物学書で難渋しないでもすんだのに…、とちょっぴり後悔している。
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