【カリフォルニアの親戚】いま、村上智彦『医療にたかるな』(新潮新書)という本を読んでいる。著者は2006年6月に財政破綻した北海道夕張市の市立夕張総合病院の管理者として、同年12月から医療の立て直しにとり組んだ医師である。経歴も変わっていて、薬剤師として働いているときに、「医師の処方に薬剤師ふぜいが文句をいうな」と怒鳴られ、発奮して医師となっている。
彼は日本最初の女医荻野吟子が開業した北海道瀬棚町(人口2,800人)の町長に頼まれて、無医地区になっていた同町に16床の診療所を立ち上げ、新しいタイプの地域医療をやり、町の医療費支出(高齢者1人あたり年間140万円で、日本一)を減少させるのに大いに力を発揮したが、「平成の大合併」により町長が交代し、方針が理解されず辞職している。
その後、破綻した夕張市総合病院の建て直しを依頼され、夕張に単身赴任した。まだ若いから女性関係もあったようだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/村上智彦
本には書いてないが、自宅前で愛人同士の喧嘩・傷害事件が発生したことが、夕張を去る理由となったようだ。
そのせいもあってか、夕張市の医療にどういう問題があったのか、深く突っ込んだ記述がないのは残念だ。
しかし、この本に述べられている主張は間違っていないし、彼の方式が成果をあげていたことも事実のようだ。
たとえれば「医療における橋下徹」とでもいえようか。ともかく、「左翼が革新」で「右翼が保守」などというのは、ステレオタイプであって、本当の革新的なものは、ちょっと政治的に右よりの部分からしか出てこないというのは、経験的事実だと思う。
もうずいぶん前から、日本では「左翼が保守」で「右翼が革新」という図式になってしまったように思う。
この本は、一般向けであるが、内容は医療従事者ことに医師にぜひ読んでもらいたい内容だ。
で、この中に「カリフォルニアの親戚」という言葉が出て来る(p.149-)。「遠くの親戚」という意味だ。入院中の病人がいよいよ危ないとなると、これまで親の看病もせず、見舞いにも来なかった子供や突然やって来て、「聞いてない」、「説明しろ」、「しかるべき医療機関に移してできるだけの手当を」と騒ぎ立て、それを自称「親思い」と考えている人たちをさすのだそうだ。
著者によると、「自分の親不孝の負い目を医療者に向ける、あるいは親戚の前で体面を繕うために、医療者を攻撃する」のだそうだ。北海道は核家族率が高く、この手の家族が多くて、医療者は苦労するそうだ。「医療崩壊の一番の担い手がこの手の家族」だとも。
ここを読んでいて、病理解剖の承諾がとれないケースを思い出した。
私の恩師は名古屋大学医学部の卒業だが、弱冠39歳で広島大学医学部の病理学教授に選出された。当時の病理学は動物実験が研究の主体で、病理解剖には熱意がなかった。何しろ年に数体しかなく、解剖があった日はお祭りで、医者と技師が一緒になって昼から宴会をやっていたという。
首切り朝衛門の家では、処刑があった夜は「血の酔い」を飛ばすために、無礼講の酒宴を催したということが、最後の朝衛門の回想録に書いてある。まあ、それと似たような心境だったのであろう。
新任の教授は、「親の死に目には立ち会わずとも、解剖はやれ!」と教室員を督戦し、病院の出張解剖を引き受けた。で、後で病院に出向いて「CPC(臨床病理検討会)」を開いた。そこで吐いた言葉が「臨床医が三日患者を診て、死後解剖を承知してもらえなかったら、恥と思え」。これに各病院の院長が刺激されて、病理解剖の依頼が一挙に増えた。
病理解剖は、病院の診断と治療の質を向上させるのに役立つだけでなく、学会発表の機会を与え、医師の学問レベルのアップにも役立つし、死亡統計の正確度にも反映される。誤診とか治療ミスも解剖すればすぐわかる。いわば医療の質を担保する重要な業務なのだが、この経費は一切「健康保険」ではカバーされず、病院の持ち出しとなる。これもおかしい。
多くの患者家族は主治医が熱心に治療して、その甲斐なく死亡した場合、病理解剖の依頼を断らない。だから「解剖承諾率」の高さは、一般にその病院の治療における真剣度を反映している。大学病院の剖検率は、お察しのように、極めて低い。
ある内科の医師から、病理解剖を断られる患者遺族の種類について聞いたことがある。
第一は、生活保護の患者だった場合。多くの生保の人たちは、「感謝する」とか「恩返しする」という発想が全然ないという。「してもらうのが当然」、「出すものは舌でも嫌だ」という考え方で、医学の進歩に協力しようという考えがないそうだ。
第二が、当時の言葉で「遠くの親戚」。入院中には見舞いにも来なかった遠い親戚や遠くに住む親族が臨終か死後にやって来て、家族に負い目があるものだから、体面上、故人を思いやるように、「さんざん苦しんで死んだのに、死んでからも(解剖により)痛い目に合わせるとは…」というような理屈をこね始めると、これまで「あれだけ先生のお世話になったのだから」と主治医への恩返しのつもりで、解剖を承諾するつもりになっていた家族も、まるで自分たちが悪いことをしようとしているような気になって、結局、病理解剖を断るケースが多いという。
第三は、当時の時代性にもよるが、瀬戸内海の島に住んでいる場合で、遺族は朝一番の船で遺体を連れて帰りたい、という。(まだドライアイスを棺桶に詰めるという技法もなかった)。その日に通夜をして翌日火葬するわけだ。そうすると深夜に亡くなる(これは結構多い)場合は、夜のうちに解剖して遺体処置をすませ、棺桶に納めないといけない。そのためには、真夜中に、病理医や解剖技師を招集しなければいけない。所要時間は2時間くらいかかる。主治医が最後まで解剖に立ち会い、解剖が終わるまで必要があれば外表を再検査できるよう、遺体は返せない。遺体が病院を出るときは、主治医やナースがお見送りをする。
そうすると、朝一番に間に合わず、解剖ができないケースが出てくる。今は深夜の場合は、遺体を冷蔵室に安置し、朝から解剖するのが普通になったから、こういうケースは減ったと思う。
「カリフォルニアの親戚」という言葉は初めて目にしたが、「遠くの親戚」が体面上、過度の要求を医療者に迫ったり、「死人が痛がる」というような屁理屈をつけて、病理解剖を拒否したりするケースは昔からあった。どちらのケースも、突然の危篤状態や死に直面して家族の感情が昂ぶっているから、慣れていない医者では対応が難しい。無難にやり過ごそうとすれば、家族のいいなりになるしかない。
やはり賢明な人なら、リビングウィルを書いておくのが望ましいだろう。
彼は日本最初の女医荻野吟子が開業した北海道瀬棚町(人口2,800人)の町長に頼まれて、無医地区になっていた同町に16床の診療所を立ち上げ、新しいタイプの地域医療をやり、町の医療費支出(高齢者1人あたり年間140万円で、日本一)を減少させるのに大いに力を発揮したが、「平成の大合併」により町長が交代し、方針が理解されず辞職している。
その後、破綻した夕張市総合病院の建て直しを依頼され、夕張に単身赴任した。まだ若いから女性関係もあったようだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/村上智彦
本には書いてないが、自宅前で愛人同士の喧嘩・傷害事件が発生したことが、夕張を去る理由となったようだ。
そのせいもあってか、夕張市の医療にどういう問題があったのか、深く突っ込んだ記述がないのは残念だ。
しかし、この本に述べられている主張は間違っていないし、彼の方式が成果をあげていたことも事実のようだ。
たとえれば「医療における橋下徹」とでもいえようか。ともかく、「左翼が革新」で「右翼が保守」などというのは、ステレオタイプであって、本当の革新的なものは、ちょっと政治的に右よりの部分からしか出てこないというのは、経験的事実だと思う。
もうずいぶん前から、日本では「左翼が保守」で「右翼が革新」という図式になってしまったように思う。
この本は、一般向けであるが、内容は医療従事者ことに医師にぜひ読んでもらいたい内容だ。
で、この中に「カリフォルニアの親戚」という言葉が出て来る(p.149-)。「遠くの親戚」という意味だ。入院中の病人がいよいよ危ないとなると、これまで親の看病もせず、見舞いにも来なかった子供や突然やって来て、「聞いてない」、「説明しろ」、「しかるべき医療機関に移してできるだけの手当を」と騒ぎ立て、それを自称「親思い」と考えている人たちをさすのだそうだ。
著者によると、「自分の親不孝の負い目を医療者に向ける、あるいは親戚の前で体面を繕うために、医療者を攻撃する」のだそうだ。北海道は核家族率が高く、この手の家族が多くて、医療者は苦労するそうだ。「医療崩壊の一番の担い手がこの手の家族」だとも。
ここを読んでいて、病理解剖の承諾がとれないケースを思い出した。
私の恩師は名古屋大学医学部の卒業だが、弱冠39歳で広島大学医学部の病理学教授に選出された。当時の病理学は動物実験が研究の主体で、病理解剖には熱意がなかった。何しろ年に数体しかなく、解剖があった日はお祭りで、医者と技師が一緒になって昼から宴会をやっていたという。
首切り朝衛門の家では、処刑があった夜は「血の酔い」を飛ばすために、無礼講の酒宴を催したということが、最後の朝衛門の回想録に書いてある。まあ、それと似たような心境だったのであろう。
新任の教授は、「親の死に目には立ち会わずとも、解剖はやれ!」と教室員を督戦し、病院の出張解剖を引き受けた。で、後で病院に出向いて「CPC(臨床病理検討会)」を開いた。そこで吐いた言葉が「臨床医が三日患者を診て、死後解剖を承知してもらえなかったら、恥と思え」。これに各病院の院長が刺激されて、病理解剖の依頼が一挙に増えた。
病理解剖は、病院の診断と治療の質を向上させるのに役立つだけでなく、学会発表の機会を与え、医師の学問レベルのアップにも役立つし、死亡統計の正確度にも反映される。誤診とか治療ミスも解剖すればすぐわかる。いわば医療の質を担保する重要な業務なのだが、この経費は一切「健康保険」ではカバーされず、病院の持ち出しとなる。これもおかしい。
多くの患者家族は主治医が熱心に治療して、その甲斐なく死亡した場合、病理解剖の依頼を断らない。だから「解剖承諾率」の高さは、一般にその病院の治療における真剣度を反映している。大学病院の剖検率は、お察しのように、極めて低い。
ある内科の医師から、病理解剖を断られる患者遺族の種類について聞いたことがある。
第一は、生活保護の患者だった場合。多くの生保の人たちは、「感謝する」とか「恩返しする」という発想が全然ないという。「してもらうのが当然」、「出すものは舌でも嫌だ」という考え方で、医学の進歩に協力しようという考えがないそうだ。
第二が、当時の言葉で「遠くの親戚」。入院中には見舞いにも来なかった遠い親戚や遠くに住む親族が臨終か死後にやって来て、家族に負い目があるものだから、体面上、故人を思いやるように、「さんざん苦しんで死んだのに、死んでからも(解剖により)痛い目に合わせるとは…」というような理屈をこね始めると、これまで「あれだけ先生のお世話になったのだから」と主治医への恩返しのつもりで、解剖を承諾するつもりになっていた家族も、まるで自分たちが悪いことをしようとしているような気になって、結局、病理解剖を断るケースが多いという。
第三は、当時の時代性にもよるが、瀬戸内海の島に住んでいる場合で、遺族は朝一番の船で遺体を連れて帰りたい、という。(まだドライアイスを棺桶に詰めるという技法もなかった)。その日に通夜をして翌日火葬するわけだ。そうすると深夜に亡くなる(これは結構多い)場合は、夜のうちに解剖して遺体処置をすませ、棺桶に納めないといけない。そのためには、真夜中に、病理医や解剖技師を招集しなければいけない。所要時間は2時間くらいかかる。主治医が最後まで解剖に立ち会い、解剖が終わるまで必要があれば外表を再検査できるよう、遺体は返せない。遺体が病院を出るときは、主治医やナースがお見送りをする。
そうすると、朝一番に間に合わず、解剖ができないケースが出てくる。今は深夜の場合は、遺体を冷蔵室に安置し、朝から解剖するのが普通になったから、こういうケースは減ったと思う。
「カリフォルニアの親戚」という言葉は初めて目にしたが、「遠くの親戚」が体面上、過度の要求を医療者に迫ったり、「死人が痛がる」というような屁理屈をつけて、病理解剖を拒否したりするケースは昔からあった。どちらのケースも、突然の危篤状態や死に直面して家族の感情が昂ぶっているから、慣れていない医者では対応が難しい。無難にやり過ごそうとすれば、家族のいいなりになるしかない。
やはり賢明な人なら、リビングウィルを書いておくのが望ましいだろう。
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