油彩 26x36㎝ 2014
どなたかが日本ブロッグ村のボタンをおしてくださり、絵画部門で第三位に登ったのがとても嬉しいです。今後も何とぞ変わらぬご支援の程お礼い申し上げます。
さてバブルの頃に結婚式の費用が5百万とか何百万とか言われるようになってびっくりしたことがあるが、僕などは二度目の結婚式では教会への払いが5万、三宮の中華の店で出席者20名にふるまった食事が一人頭5千円、しめて十万円、そのままタクシーで六甲山ホテルまで運んでもらったのがハネムーンと称するものだったから、いま思っても何と慎ましやかであったことかと感心する。今高峰秀子さんの『私の渡世日記下巻』を読んでいたら、1955年3月26日には彼女もたった30人の招待客というひそやかな結婚式を総額45万円(うち40万円は借金)で挙行し、帝国ホテルに一泊したのが彼女と松山善三氏とのハネムーンだったと知って妙に親近感を増した次第だ。本当に彼女のこの自叙伝ともいえる大エッセイは戦前戦中戦後の風景をよく映していて想像を絶する面白さだ。今どきの書き物や映画の一切が全然面白くないのは、その書き手や製作者がめぼしい体験もなくただ頭で考えたような話ばかり展開しているからだろう。その頭というのはTVゲームと漫画だけで鍛えたという感じが払拭できない。広辞苑を世に出した新村出博士が晩年高峰秀子の大フアンになり、彼女のプロマイドを家中に貼っていたという話も面白い。博士はすでに80を超えていたからゲーテの晩年よりも美しい恋だとのたまったらしい。ゲーテの最後の恋の対象は20歳くらいの若い婦人であって、見事に肘鉄を喰ったらしいけど、実際この世には定年後、一人ですることもなくさりとて女に関心を持つでもなく無為に過ごしている人の何と多いことだろう。ことに日本ではその傾向が他国に比べて顕著であり、いまだに外国から若い女性が訪ねてきてくれる自分などは本当に稀有な存在だろうと思う。それもただただ絵を描いているというだけで、それをもぎ取ったら何も残らない醜く貧しい老骨に他ならないのだ。昔まだテレビを見ていたころ都はるみさんの演歌を聞くたびに、一芸に秀でることがどんなにその人の人生を豊かにしてくれるものかとよくおもったものだった。本当に好きで続けられる芸があるというのはどんな金銭財宝にもまさる一生の大事にちがいないと思っている。
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