今朝は、尿意に急かされることなく目覚めることが出来た。
まだ粉のような結石が残っている感じなので治ってはいないのだろうが、この3日間はパッドは準備していたものの頼ることもなく過ごせた。
やっぱり少し疲れていたのか、何時もより小一時間ほど遅れた起床となっていた。
そして、窓のカーテンを開け、空を観るとお日様のが出ていなかった。
その時、たまたま放送していたTVの天氣予報では、丁度、活動時間に雨になりそうだと伝えてくれていた。
まだ連れ合いが帰ってこない。昨夜、洗濯をしていたので、その洗濯物を干さなければならないし、まだ何となく疲れが残っているようだし、日常が取り戻せていないようでもあったので、じっくり休もうと、今日も自然農園を休むことを決めていた。
そして、何時ものルーティンを終えてPCに向かっていると、何時の間にか雨音がしていた。
思っていたより早い雨の降り出しだったと感じていた。
- 菩提寺は由緒ある古いお寺だった!
で、今日は、自然農園の話題が無いので、くだらない長崎での記録を残しておくことにした。
先ず、長崎に着いた16日のことだ。
昼飯に「眼鏡橋」で有名な中島川沿いの歩道を歩いて食事に向かっていると、その川の魚道のように細くなったところの石の上で獲物を狙っている鳥を見かけたので、カメラに収めていた。
そして、食事の後に帰るまでの途中にあるという菩提寺にも寄っていた。
その寺は、「深崇寺(じんしょうじ)」で、長崎の寺町にその菩提樹があるのだが、その寺町のなかでも最も古い由緒ある寺でもあるという。
後で調べたところ、1615年(元和元年)に創建されたと云われており、元は東禅寺という禅寺であったらしく、江戸時代の初期にさまざまな妨害にあってやむなく廃寺となって、浄土真宗本願寺派のお寺になったようだ。
その寺の近くに坂本龍馬らの亀山社中があったらしく、彼らはこのお寺の山門を、毎日、見ながら通っていたらしい。
お寺から山手には墓地が段々畑のように広がっており、階段と通路で迷路のようにもなっている。氣をつけないと迷子になってしまいそうだった。
その深崇寺の山門は何となく見慣れないと思っていたが、善寺であったことから理解ができた感じでもあった。
そして、その傍には鐘鼓楼があり、これも重層造り珍しい感じだった。
が、翌日の告別式の後、その寺に法要に行った時、山門や鐘鼓楼をよく見ると、鐘鼓楼には鐘が無く、鐘は山門の2階部分にあり、その2階部分に通じる階段が無かった。
そうしたことが氣が付いたのが、初七日の法要を終えた後だったので、お坊さんにその理由は聞けなかった。
- 飛行機嫌いで、長崎を夜行バスで往復!
兎に角、15日の夕方、家を出て夜行バスで長崎に行き、帰りも18日の夜、長崎から夜行バスで帰ってきた。
何れのバスは空いていたので氣兼ねなく眠ることが出来た。
が、帰りのバスは、安かったのだが、乗り場はバスセンターではなく路肩の停留所停で、おまけに座席が横4席の普通の観光バスにトイレを付けただけのようで氣持ち的に疲れていたようだ。
飛行機が嫌いで、かといって新幹線では昼間の時間が勿体無いことから夜行バスになってしまう。
そんなことから、昨夜は、その疲れが取れなかったこともあり、肌寒さも感じていたので、昨年より早くストーブを出していた。