カジュアル・アミーガ         本ブログの動画、写真及び文章の無断転載と使用を禁じます。

ある日カッパ姉ちゃんとカメラおじさんの家に一匹の子犬がやってきた。
日々のうつろいの発見と冒険を胸に生きていこう!

さすらいー森の王者23

2011年02月26日 | 投稿連載
森の王者  作者大隅 充
      23
 その夜名寄の飲み屋で純平は、客で来ていた営林
署の村上さんからも大きなオオカミと小さなオオカ
ミの話を聞いた。
 隣り町のポロヌプリの原生林に去年自衛隊のヘリ
コプターが事故で不時着した時捜索に入った消防隊
員と営林署の職員とが燃えるヘリコプターの周りに
集まっていた大きな野犬を見たとUFOに遭遇した
みたいな興奮した顔で話していた。そしてそれがエ
ゾオオカミではないかとみんなが言っているという。
エゾオオカミー。
 そういえばそんな話は、大昔子供のころに聞いた
ことがある。エゾオオカミの話をサロベツ原野の番
屋に住んでいた時、にしん漁でやって来た漁師から
聞いた。
 大昔開拓が入る前からこの北海道の大地に本州の
ニホンオオカミより一回り大きなオオカミがいた。
系統的にはシベリアのシンリンオオカミに近い。た
だそれこそ明治期に全滅したとされている。以来大
正、昭和、平成とその姿を見た者はいない。伝説の
エゾオオカミがこの北の大地で生きていた。それも
集団で家族を形成して。まったくの驚きだ。
 そうそのときの漁師は、まるで今見て来たような
口ぶりで言った。まだ小学生だった純平は、二日お
きしか帰って来ない父とのふたり暮らしだったので
その皺の深い漁師の話には夢中になった。
 もし絶滅しそこなってたった一匹だけ生き残った
痩せたオオカミがこのサロベツにいたら、それは自
分と同じくらい孤独な奴だと子供ながらに思ったも
のだった。
 北見農場の社長の言う通り三日後。純平はあのト
ウモロコシ畑の奥でついにそのエゾオオカミを見た。
 もう一日の積み込み作業が終わって畑の丘を国道
へ越えようとしたとき、丘の上のポプラ並木を三匹
のオオカミが歩いていた。
一瞬きつねかと思ったがその腰のくびれといい、大
きさといい明らかにオオカミだった。ただ違ってい
たのは、びっくりするぐらい大きなオオカミの間に
小さなオオカミがいたことだった。しかもそいつは
子供ではなく、飛びぬけて精悍で堂々としていた。
 純平は、トラックを停め、運転台から飛び出ると
ポプラ並木へそっと足を進めた。
大きなニ匹がじゃれて遊んでいるとその小さな黒毛
のオオカミがそのニ匹の鼻を噛んでたしなめた。す
るとニ匹は、シッポを丸めて大人しくなった。チビ
の黒毛は、夕日に胸毛を輝かせて林の方へ歩き出し
た。
 純平は、思わず惹きつけられるようにその三匹の
後を走って追いかけていた。それこそ自分もそのオ
オカミの一員に加えてほしいという思いで。そして
気が付いたら純平は大きな声で叫んでいた。
おーい。わおおおおおー。
 三匹のエゾオオカミは、丘の畝道を猛スピードで
駆けて行った。
おーい。うぉぉぉぉぉぉー。
 林の中へ三匹が駆けこむ時、最後のチビの黒毛の
王様がこちら振り向いた。そして純平の声に応えて、
美しい叫び声を轟かせた。それからじっと純平の目
を見つめてから林の中へ消えた。
きっとあれは王者だ。エゾオオカミのリーダーだ。
小さいけど立派で威厳と矜持をもち、何人にも頼ら
ず媚びず、きれいな佇まいで立っている新しい王者。
仲間を家族を守り正しい道へ導くリーダー。それが
あの黒毛だ。純平は、なぜか警察に捕まる前室蘭へ
行く途中で遇った仔犬のチャータを思い出していた。
似てないのにどこか似てる。
犬とオオカミの差こそあるが何か同じ匂いがした気
がした。純平は、訳もなく涙があふれて来た。それ
もきれいな涙が。
 白樺林が傾いた夕日に黒々と映えている。赤い夕
陽は木々の梢の中でキラリと輝いて無口になった。
そのときもう一度チビの、黒毛の、エゾオオカミの、
かつてコロと呼ばれた王者が林の向こうで叫び声を
あげた。
美しい旋律が大地に鳴り響いた。
     
               おわり
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さすらいー森の王者22

2011年02月19日 | 投稿連載
森の王者 作者大隅 充
    22
 太陽が燦々と照り返している。
北見農場は、トウモロコシの収穫に追われていた。まじ
めなカブトムシのようなトラクターが広い畑の丘陵を点
々と這いずり廻ってトウモロコシの茎を刈り取り、積み
込んでいた。刈り取り機の真上は、黄色いトウモロコシ
の茎や葉のカスが舞って煙のように立ちあがっていた。
そしてそのさらに上をカラスやヤマドリが荒海の餌場に
群れるトンビのようにひらひらと刈り取り機について空
中遊泳をしていた。
 その広大な畑の丘の上に国道が一本貫いていてその路
肩に十トントラックが収穫されたトウモロコシをどんど
ん積み込んでいた。トラックの腹には、岩見沢陸運と書
かれていた。小さなトラクターが畑の畔道から這い出て
来てそのトラックの後ろに着くと積荷を小から大へ移し
替えていた。トラクターを操作をしている農場の男はみ
んな年老いていて身体は、ガッチリしているが顔は皺く
ちゃの真っ黒な顔色の爺さんばかりだ。
 それに比べて岩見沢運送の運ちゃんは、色が白くひょ
ろりと背が高く若かった。しかも一見ひ弱そうに見える
がそのひょろり運ちゃんは次から次から老農夫が運んで
くるトウモロコシの束を十トンの荷台の上で奥から順序
よく並べてゆくのを黙々とこなしていた。
「純平ちゃん。おんな、いんべ。」
「・・・・・」
「日焼けもしないで夜な夜な遊んでんだべ。」
 白い顎ひげの小太りな渡辺進治郎がにやけた顔で純平
の働く荷台へひょいと飛び乗り聞いた。
「純平ちゃん。まじめそうな顔して、旭川のラーメン街
で色っぽい女と手をつないでいたの、見たって奴いるけ
ど・・」
「人違いっしょ。」
純平は、きっぱりと言い、汗を拭いてドカンと荷台に置
かれた結束用の縄の輪っかをソファ代わりにしてコロン
と寝ころんだ。
「このー、色男。」
と進治郎は、純平のはだけた胸に手を突っ込んで乳首を
摘んだ。
痛ていよ・・・順平は怒ってはみせたがすぐにくすぐっ
たくてケラケラ笑ってしまう。
「オンナなんていないっス。」
「またまた・・・」
 今度は進治郎爺さん、純平の尻を摘もうと手を伸ばし
た。当然純平、くるんと転がって避けた。
「おーい。鹿内君。その爺さん、オカマだぞ。アブねえ
ぞ。」
 トラクターを運転して来た北見実が大型の荷台の進治
郎にトウモロコシのむき身を投げつけた。
「社長。当たったら怪我するべ。」
「トウモロコシで怪我するタマか。早く収穫作業に戻れ」
「・・本当。人使い荒いんだもんよ。」
と渋々荷台を降りて進治郎は、自分のトラクターに飛び
乗り、畑の丘を登り出した。
「どうだ。もう一年だ。馴れたか。」
社長が純平にそう言いながらトウモロコシの実を投げて
渡す。
「ええ。この農場気に入りました。」
 純平はそういうとトウモロコシに齧りついた。
「甘めーい。」
「そうだろ。茹でなくても内のは美味いんだ。」
 純平は、荷台からひょいと飛び降りた。
「面白いの、見つけたんだ。見てみるか。」
 北見社長の言う面白いものは、トウモロコシ畑と牧羊
小屋の間にあった。
 畑の柵と羊の小屋の囲いの間の農道に頭と肢の先しかな
いシカの死骸があった。ハエが群がっているのを見るとま
だやられて数時間しか経っていないことが純平にもわかっ
た。そして一緒に乗って来た北見社長のトラクターから純
平は降りて倒れた雄ジカの立派な角を触った。
「これ、畑荒らしのシカっしょ。」
「ああ。いつも頭悩ましていたシカの親分だ。その立派な
角が証拠だべ。」
 社長もトラクターの運転台から降りて畑の柵に手をかけた。
「誰がこんなに、うまく料理したんですか。」
 その純平の言葉に答えず社長は、道を大股に歩いて隣り
の羊の小屋を柵越しに覗いた。牧羊犬が激しく吠えるのに
驚いてゴソゴソ小屋の中を動き回る羊たち。社長の北見が
人差し指を立てると番犬はピタと吠えるのをやめた。純平
は、それに感心しながら牧羊舎に目をやり聞いた。
「羊もやられたんですか。」
「いや。みんなピンピンしとる。一匹も欠けずにな。」
「じゃ、誰がシカの死骸をここに運んで来たんですか。ま
さか嫌がらせ?」
「とんでもない・・・逆だ。畑を救ってくれたんだ。畑を
荒らしに来たシカの親玉を見せしめにして。この場で倒し、
息の根をとめ苦しまないようにして心臓から食べた。その
後はその襲った奴の仲間たちの夕食になった。」
「熊・・・」
「熊なら、牧羊犬の白が吠える。まったくうんともすんと
も鳴かなかったらしい。たぶん尻尾を巻いてぶるぶる震え
てたんだろよ。この白は。」
「では・・・」
「オオカミだ。」
「オオカミ?」
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さすらいー森の王者21

2011年02月11日 | 投稿連載
森の王者 作者大隅 充
    21
 母から聞いたチャータの物語。オサの伝説。そして
カイの逸話。コロには、カイが一人で百年生きていた
ことの驚きよりもカイがコロに向かって笑ったくれた
ことが心の奥に重いこととして残った。
 人間は、勝手に欲望に身を任せても不慮の事故に遇
わない限り六十、七十、八十と生きる。コロたち犬族
カニスは、その五分の一生きたらいい方だ。ただただ
代が変わり、気のいい奴。臆病なやつ。神経質な奴。
呑気な奴・・・ いろいろいてある者は、病気になり
又ある者は、勝負に負け命を落とす。どれだけ有能で
みんなから慕われていてもその生は限られている。オ
サのような偉大な指導者は、何百年に一匹出るかどう
かだ。それがたとえ死肉を食べていようとも百年生き
ている。どんな大きなイノシシを仕留めようが熊と互
角に戦う力があろうが無傷で生きることの難しさ。何
より生き抜くことがどれだけ大事か、カイの笑みの中
にその意味の重要さがあったようにコロは思った。
 沼に消えたカイは、又明日あそこに現れて手負いの
シカなどを沼に引き込んで食べる。まるでこのイオウ
の谷に充満している空気と沼の水がカイの長寿を作り
出しているように想像する。ここは、特殊な場所だっ
た。
 生まれた土地を離れ、旅に出る。しかしその旅も途
中で行動を別にして住み着いてしまう一匹オオカミ。
それは、すべての生の楽を捨てて世捨て人となるかに
誰も思い憐れみ、悲しんだりした。しかしカイは苦と
いう地獄の沼で百年にわたり虫ケラのような生活をし
て只命をつないでいた。今でもカイになりたいかと言
われればだれもが嫌な気持ちが先にたつだろう。でも
カイはこの世のものとは思えない美しい声を手に入れ
た。あの声に引き寄せられて沼にはまる者もきっとい
るだろう。
 カイとの遭遇の数日後。コロはイオウ谷を抜けて火
山の峰を越え、北の原野に出た。
そしてその原野についた時、地平に陽の沈むのを見な
がらそのカイの歌声はコロの耳の中でずっとエンドレ
スに鳴り続けていた。美しい歌声の力は、コロに只生
きることの大切さを教えてくれた。どんな事態になっ
ても生きてることは貴重なことだ。生きていることが
何よりも勝っている。そのことをあのイオウの沼でコ
ロは体で実感した。
 一週間が過ぎて原野の果てに黄色い花の乱れ咲く平
原にコロはやって来た。そしてそこに自分よりも大き
なオオカミの群れが野の花の間から見え隠れしている
のを発見した。長い旅の終わりにコロは、ついに本物
のオオカミと出会ったのだった。
 その花園の入り口に小さな岩山があった。コロは恐
る恐る尻尾を巻いてその岩山の裏から群れている数十
頭のエゾオオカミを盗み見た。五匹の子供を連れた体
の大きなオオカミたち。とても楽しそうに遊んでいる。
 コロは、自分の心臓がドキドキしているのを抑える
のが大変だった。そのうち何か甘い肉の匂いがした。
コロは、岩に爪を立てて周りを見回した。するとコロ
のすぐ後ろにコロの倍はある巨大なオスオオカミがシ
カの肉のついた骨を咥えたまま立っていた。コロが背
中の毛を逆立て飛び退こうとした時には、そのオスオ
オカミの咥えた骨で突き出されて岩の下へ落ちいてい
た。
 きゃーん。コロは、その細い叫びひとつしか発する
ことができなかった。
 オスオオカミが舞い降りてくると同時に周りいたエ
ゾオオカミがみんな集まって来た。頭の天辺に白毛の
あるメスオオカミが子供のオオカミを蹴散らしてコロ
の真上に顔を載せて来た。コロの三倍はある。他のオ
オカミもみんな大きく。よく見ると子供たちですらコ
ロより大きかった。
 白毛のメスオオカミはコロを睨みつけて急に空に向
かって叫び声をあげた。その口から覗く牙は、鋭利な
刀のようにキラリと光って巨大だった。あの牙で噛ま
れたらヒトタマリもない。しかも同じ牙をもった奴ら
がウヨウヨといる。取り囲まれて逃げることは不可能
だった。たぶん一撃で首が飛び、肢が千切れる。コロ
は、背筋が冷たくなるといっしょに首をできるだけ引
っ込めた。
 後ろからあのオスオオカミが骨を投げ捨ててウオオ
オと吠えて跳びかかって来た。
コロは、咄嗟に右へ飛びのいたが見事な運動能力でオ
スオオカミは、右へ避けたコロの腰を両手で押さえこ
んだ。コロは、いとも簡単に腹を見せた。オスオオカ
ミの牙は容赦なくそのコロの柔らかい腹に刺さって来
た。
 陽は完全に沈み切った訳じゃなく地平線の彼方から
の残り日でオオカミたちの姿と動きがかろうじて分か
った。腹這いになったコロの前で巨大なオスオオカミ
が転がっていた。
うううぉぉぉーー
鳴いたのは、メスオオカミだった。そしてその長い鼻
先でオスオオカミを起こし、コロを起こした。メスオ
オカミがオスオオカミを突き飛ばしてコロを救ったの
だった。
ぶるぶる震えながら立ちあがったコロの鼻をメスオオ
カミがペロりと舐めた。
 そのときコロは、ハッとして見上げた。そのメスオ
オカミの舌の匂いは、女神と言われたコロの母と同じ
匂いがしたのだった。
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さすらいー森の王者20

2011年02月04日 | 投稿連載
森の王者  作者大隅 充
      20
 その気高く掠れているが優美な調べが聞こえてく
る沼の方にコロは、目を凝らした。
 白い霧の漂う間に間に痩せた一匹のオオカミが沼
の水面に浮かんだ葦の浮島の上に立っているのが見
えた。あの、美しい音楽はこの老オオカミの喉から
発していたのだった。褐色の体毛に白い毛が斑にな
って混じっている。目は右目がほとんど見えないの
か垂れ下がった瞼に押しつぶされてうっすらと力な
く開いた左目だけが霧とコロとを認知しようとして
いる。そして落ちくぼんだ頬の周りは白髪が捻じれ
て蔓延っていた。歯のない口が天を仰いで得体のし
れない遠吠えとも風の囁きともとれる透明な声を発
していた。
 コロは、ゆっくりと前へ前へ進んで沼の水際まで
やって来た。何かその音楽の旋律に聞き入り、その
奏でる音階の意味が太古の言葉のように聞こえてく
るのを無意識に感じてしまう。
そしてその調べの語る物語を理解しようと沼まで来
るのに何の不安も恐怖もいらなかった。はっきりと
その老オオカミの呼び声は、大きな物語を語ってい
るのだとわかった。
 沼と霧を切り裂く息つぎのない、高い音階の声は、
直接コロの脳に侵入し、まるで古い埃だらけの本の
ページをめくってゆくようにチャータというオオカ
ミ犬、そして偉大なオサの一族の生死をかけた物語
をひとつひとつ寝物語に語るように訥々と語ってく
るのだった。
 コロは、背中の毛が逆立ち、今まで自分が母と姉
にはぐれて一人ぽっちだと泣いていたことを恥じた。
そして急に自分の生に勇気をもち、闇の森を独り彷
徨っていた時の心の悲しみが渇いてゆくのを感じた。
 老オオカミは、掠れる声を途切れ途切れになりな
がらも発しつづけて、じっと岸にいるコロを見つめ
て視線を離さない。緑色の水面が風もないのにその
声のせいかさざ波が浮島から岸のコロの方へと繰り
返し波立っていた。
 深い沈黙が深呼吸した。
 そしてオオカミの歌は、ぷつんと止んだ。
遠い高い旋律の音楽の演奏が低い礼儀正しい終止符
を飾ってイオウの蒸気の中に静かにフェードアウト
した。
 やがてその老オオカミは後ろ脚を引きずって水際
まで近寄って来た。二十メートル離れた岸にいるコ
ロは、激しい動揺をもってある確信を悟った。
 カイ!カイおじさん。
 その昔この大地を離れて新天地を求めたオサの兄。
カイ。オサたちがこのイオウの死の地を離れるのに
ひとり拒絶して残ったびっこのカイ。この腐臭漂う
イオウ谷で沼に嵌って死んでいく動物の肉だけを食
べて生きていたカイおじさん。100年以上も前に
オサと別れたあのカイおじさん。
 そのカイおじさんが生きていた。誰からも除者に
されて死んだと思われていた脚の不自由なカイ。な
ぜかこの死んだ谷で延々と生き続けていたのだ。
カイ。おじさーん!
 コロは狂ったように吠え叫んだ。
ぼくをここで待っていてくれたのかい。おじさん。
ぼくの父、チャータも死んだし母の栗毛とは生き別
れになったんだよ。おじさん。ぼくは、これからど
うして生きて行けばいいの。ねえ。答えてー。カイ
おじさん。
 カイは、少し笑って水の中へ入って行った。カイ
が完全に沼の中へ四肢を浸けると浮島が幾分水面か
ら高くなった、
カイおじさん。
 カイは、沼を進んで首まで浸かり、さらに水の中
にズボンと潜った。
おじさんー。
 イオウの匂いが一際強くなった。カイはそれきり
コロの前には姿を現さなかった。
  
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さすらいー森の王者19

2011年01月21日 | 投稿連載
森の王者  作者大隅 充
     19
秋の陽がみるみる短くなって谷を抜けるとき午後
二時を過ぎるともう暗くなった。 コロは、そん
な暗い道を昼も夜も歩き続けて、北の火山地帯に
足を踏み入れた。
 いままでコロは谷を沢沿いに下って行っていた
と思っていたが針葉樹の林を出るといきなりイオ
ウの匂いがして低い黄色の禿げ山がドカッと目の
前に現れた。下って下って平地に出る筈が、林に
囲まれた小さな火山に出た。どうしたことかいま
まで谷を渡っていたときには1000メートル級
の山が頭の上に連なっていたのに今まわりにそん
な山はなく、白樺林と禿げ山しか見えない。明ら
かに高地へ登っていた筈だ。それがちょうど外輪
山の中の平原を進んで中央の火山にぶつかったよ
うな形だ。ただその規模はそんなに大きくなく小
ぢんまりとした箱庭のように見えた。目の前の黄
色火山は手が届きそうなくらい低くかったし、白
い煙を噴き出している火口も人間の街で見た工場
の煙突のようだった。
 コロが一歩近づこうとするとその火口から赤い
炎がチラチラ見えて縄張りを主張するヒグマの鳴
き声のような咆哮が轟いた。今にも溶岩が噴出し
て火の玉が降りかかって来そうだった。
 仕方なくコロは、ぐるりと廻り道をしてこの火
山地帯から脱出する抜け道を探そうと横に横に歩
き出した。
 やがて白樺林にけもの道を見つけた。コロは、
心細くて心臓がドキドキするのをやっと思い直
して、そのけもの道へ速足になった。ここが出口
だ。多くの動物がここからこの場違いな火山の劇
場を抜け出して豊かな森にきっと帰って行った
に違いない。キツネもテンもエゾジカもここを抜
けたのだろう。踏み倒された下草の茎の折れた口
は、まだ新しくついさっきここを通ったものがい
る。火山のイオウの匂いにかき消されているがよ
く嗅ぐとシカのようだ。それもオスジカが数頭。
ここを通って下って行っている。
 コロは、勇気が湧いてきてしっぽを振り鼻をク
ンクン地面に擦りつけて大股に急いだ。やっと奇
妙な箱庭火山から抜け出せる。そして又谷を戻っ
て母やタオのもとへ帰って行ける。早く母のお腹
に頭を擦りよせてタオといっしょに落ち葉の敷き
詰めた安全な穴倉でぐっすりと眠りたい。そして
あの甘い母の舌で頬を舐めてもらいたい。この望
みが叶ったらぼくは、決して二度と母の群れから
離れずいい子で冬支度の狩りを手伝うよと母に
言おうとコロは、自分に言い聞かせた。
 それからどのくらい歩いただろうか。確かに山
は下って遠くの山々も見えだした。しかし気にな
ったのは、イオウの匂いがいつまでも消えないこ
とだった。林を出て湿原に出た時、固いものがコ
ロの足に当たった。
白い角のようなものだった。よく見るとそれは、
骨だった。シカの骨。しかも一つではなく、そこ
ら中に転がっていた。コロは、背中の毛を針のよ
うに突き立たせてゆっくりとゆっくりと避けなが
ら歩いた。
 平原の熊笹の至る所にシカだけでなくリスやキ
ツネや鳥の骨もあった。そしてその原っぱの中央
に赤い沼が見えた。イオウの匂いはそこから風に
のって漂って来ていたのだった。
 イオウ沼。湿原は、その沼に向かってゆくほど
草が枯れて黒い土に所どころ黄色の岩が転がって
いた。コロは、足の震えを止められずしっぽをお
尻の下に巻いて一歩づつ後ずさって行った。そし
て後ろに向きを変えて一気に走ろうとしたその時
沼の方から美しい音楽が聞こえて来た。
 それは甘美なささやきであり、天国のたおやか
な霞のように優しくコロを包んだ。こんな美しい
歌声を聞いたことがない。うっとりと聞き入るコ
ロの足の動きが麻酔をかけられたみたいにパタと
止まった。
   
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さすらいー森の王者18

2011年01月15日 | 投稿連載
森の王者  作者大隅 充
    18
北海道の山の夏は、長袖でないと肌寒い。石狩山地
から北見山地へつながる山脈にたなびく低い雲が朝
陽に飛ぶ鳥たちの影を忙しく映して天塩岳の山頂で
渦を巻いたり名寄川へ向かって急降下したりして、
チリチリと音を立てて山肌を漂って自在に姿を変え
ていった。
 そしてその名寄川はふたつの山を横切りながら流
れていた。ビヤシリ岳からウツツ岳へ。紋別を真下
に望むウツツ岳からは巨大なオホーツク海が青々と
広がっているのが見えた。オホーツクの風に吹かれ
てウツツ岳の見晴らし岩に現れたのは、駿や秀人や
ユカリたちが見かけたチャータそっくりの仔オオカ
ミだった。子供ながら伸びやかな体格は、もう一人
で狩りの練習をしていますと宣言しているようなや
る気に満ちた筋肉の張りがあった。あの下北半島で
息絶えたチャータが求めつづけた美しい栗毛のメス
オオカミが春に生んだ子。その三匹のうちの一匹が
この仔オオカミだった。栗毛はこの子をコロと呼ん
だ。コロは、一人で狩りをはじめるまでに成長した。
 栗毛の子は、メスのジン、タオとオスのコロの三
匹だった。ウツツ岳からさらに北へ向かって興部川
を渡って行く間にジンが病で死にタオとコロだけに
なった。タオは大人しくあくまで栗毛に従順でどこ
までも母親のしっぽについて離れなかった。しかし
コロはやんちゃで自分でエゾリスなどを追いかけて
は、栗毛から三日もはぐれることがあった。栗毛も
最初は必至で探し廻ったがそのうち諦めてコロが自
分から帰ってくるのを北への歩みをゆるめて待つよ
うになった。森の王者に成長していったチャータと
比べてコロはその息子として少し落ち着きがない子
だと心配したが、それもコロが人懐っこい笑顔でお
土産のウサギを咥えて走って帰ってくるとそんな危
惧もすぐにすっ飛んでしまった。コロの甘え方は、
又尋常でなく激しかった。飛びついて、噛んで離れ
て又飛びつく。とてもじゃないが若い母親でないと
そのエネルギーにヘトヘトとなってしまう。親とし
て日々の喜びや驚きの感情表現に自分の十倍も労力
を使う息子にたじろぎは、隠せないし、この先この
子はどれだけ無鉄砲に育っていくのか空恐ろしくも
なったりするが、それでも日の出前の薄暗がりの巣
穴でぐっすり寝ているコロの寝顔を見たりするとペ
ロリと頬を舐めてやって可愛くてついつい微笑んで
しまう。
 そんなときコロは、眠い目をうっすらと開いて三
日月の残った東雲を見上げて母親にぽつりと聞いた
りした。
「ねえ。どうして北へ旅をするの。」
「毎日の歩きのことかい。」
と栗毛が透明な声で聞き返した。
「ウウツ岳でも獲物はいっぱいいたよ。あそこにい
れば毎日食べ物を捜して歩くこともないじゃないか」
「それはね。わたしにもわからないの。北へ行くこ
とはただ体の奥の方にあるものがそうさせているだ
けなのよ。」
「北へ行くと何かあるの。」
「さあ。どうかしら。何かがあるということじゃな
いのよ。ただ何かが待っている気がするの。」
「何が・・?」
「わからないけど何かがね。」
「・・・・・・」
「行けばわかるよ。可愛い坊や。」
 そういうと栗毛は、コロの鼻をペロリと舐めた。
三日月はいつの間にか明るくなった東の空に消えか
かっていた。
 この年の夏は暑さが異常なほど冷たくて9月にな
ってすぐにも平地で雹が降った。しかし栗毛は子連
れでせっせと山を谷を湿地を北へ向かって歩いた。
コロの成長はますます進んで母を体長で抜き野を走
破する脚力も群を抜いていた。そしてコロは、一日
として同じ顔であったことがなかった。毎日クマに
出会ったり、シカの群れを追い回したりと森のドラ
マを体験した。どんどん精悍な男の顔つきになった
コロは、栗毛たちと離れ離れになるケースが多くな
った。
数日からどうかしたら一週間も別れて行動して谷や
林の出口でまた出会った。母子は、天からの見えな
い操り糸で離れたり引き付けられたりした。しかし
それがカムイ湿原を過ぎた森林地帯に入った途端、
林の中を狩りをして栗毛たちからコロは完全に離れ
て戻ることができなくなった。
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さすらいー森の王者17

2011年01月07日 | 投稿連載
森の王者 作者大隅 充 
      17
 夕張の幌馬車カフェで駿と秀人は、無口にひたすら
氷の溶けたアイスコーヒーを飲んだ。街がすっかり変
ってしまったのもあるが顔見知りも少なくまるでお通
夜の帰りのようなふたりで知り合いがいても誰も声を
かけにくかっただろう。そして長い黙祷のあとにやっ
と駿がぽつりと言った。
「シューパロっていつも不思議なことがあるよな。」
「オレ、だから好きなのかも。」
「やっぱりあれ、チャータだろ。」
「うん。ああ。」
 それから次の日も次の日もこの不思議なチャータを
見たということを他言せずにシューパロの森に入って、
仔犬のチャータを捜したがチャータどころか野犬の一
匹も見つけることができなかった。
 とうとう何もしないで4日間夕張にいた駿は、東京
へ又バイクで帰ることになった。懐かしい生まれ故郷
が古いまま錆び付いて街のどこもかしこもとり残され
ているようで少し寂しい気持ちになった。もうこの街
で住むことは自分にとって決してないな、と駿は思っ
た。ただ秀人とあの不思議なチャータのことだけは、
心の中で大切な今回のふるさとの土産物のように思え
た。
 苫小牧のフェリーのりばでバイクをフェリーに乗せ
てデッキへ上がって港を船が離れるのを眺めなから風
見駿は、エンジン音に掻き消されながら呟いた。
「さよなら。不思議なチャータ」
   X     X      X
 ちょうど駿が帰って十日して夕張から北東へ石狩山
地のオプタテシケ山の山麓に栗毛のオオカミが現れた。
それは、北大山岳部の夏の合宿のパーティーが山頂を
目指しているときだった。OBで顧問をしていた吉田
岳一郎は、くしゃくしゃの皺だらけの額を掻きながら、
震える声で若い新入生にぽつりと言った。
「今、あの尾根を行ったオオカミを見たか。栗毛の美
しい・・」
「ええ、オオカミ?」
合宿に参加していた12人の学生が一斉にオオカミと
聞き返した。
「うそ。犬じゃねえの。」
などと誰もが信じられない様子だった。
「あれは、100年前にこの北海道から姿を消したエ
ゾオオカミの生き残りだ。私が子供の時にトムラウシ
で見た栗毛と同じ奴だ。まるでデジャブーみたいに同
じ格好で同じ身のこなし方で岩場を越えて行った。あ
れは、間違いなくエゾオオカミの女神だぞ。」
吉田老人が蒼白の顔で座り込んでしまったので学生も
担当教官もどう声をかけていいのかわからず黙り込ん
だ。
 すると一番小柄な新入生の男子学生が北の岩場を指
さして叫んだ。
「ああ。また出て来た。オオカミが。あそこ。」
 みんな顔を向けると岩場の天辺で風に吹かれて栗毛
がすうっと立ちあがって遠吠えをした。それは、青空
を切り裂く野生の雄たけびだった。山岳部の全員がヤ
ッケの中の背中に鳥肌がたった。
「ほら。子供がいる。」
今度は上級生の髭面が前へ乗り出して言った。岩場の
下に三匹の仔オオカミがいた。
栗毛は、ぴょんと飛んで北の尾根道へ登り出した。仔
オオカミもそのあとを付いて姿が見えなくなった。そ
の一番最後にいたのがチャータそっくりのオオカミだ
った。
「チャータ!」
 髭面の上級生の横で赤いヤッケを着た新入生の松本
ユカリが大きな声で叫んだ。ユカリは、夕張清水小学
校のとき、同級生の風見駿や横山秀人がシューパロ湖
の幽霊屋敷で飼っていた仔犬のチャータのことをはっ
きりと覚えていた。それもクラスの男子みんなが憧れ
ていた転校生深田あかりちゃんが元々密かに飼ってい
た犬だということが生まれて初めて味わったジェラシ
ーという感情の根源として脳裏に焼き付いていた。自
分の好きだった駿君も誰もがあかりちゃんのために仔
犬の世話していたことがショックだった。まさか北大
生になった自分がそのチャータに初めての夏休み合宿
で出会うなんてびっくりだった。ユカリは、もう一度
チャータと呼びとめようとしたがオオカミたちの姿は
尾根向こうに見えなくなっていた。風だけが吹いてい
た。
 山岳部の全員がユカリを見ていたがチャータという
言葉がまるでオオカミ除けの呪文のようにオプタテシ
ケの山麓に木魂して行ったので、ユカリにそれ以上意
味を確かめる人はいなかった。
 やがて山岳部のパーティーはオプタテシケの山頂目
指して再び歩き出した。一時間後山頂でテントを張っ
たパーティーの北大生たちは、食事をつくることに一
生懸命で栗毛の母子オオカミのことなどすっかり忘れ
ていたが、吉田OBと松本ユカリだけは不思議な想い
出の渦が胸の中で逆巻いているのを消すことはできな
かった。
 あれは、本当にチャータだったのか。
 そしてあれは、本当にオオカミだったのだろうか。
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さすらいー森の王者16

2010年12月17日 | 投稿連載
森の王者 作者大隅 充
     16
 イーグルバンドルの銀色のオートバイがシューパロ
湖の湖面沿いの林道を走る。営林署の軽トラがカーブ
を曲がって来たのもお構いなくスピードを落とさず、
軽トラの面を間一髪のタイミングで避けて周遊道をけ
たたましく走っていく。軽トラを運転していた営林署
の嘱託の禿げ頭の老人は、思わずブレーキを踏んで急
停車すると跡形もないオートバイの残り風を睨んでバ
カヤロウと叫んだ。
 オートバイを運転していたのは、精悍な顔付になっ
た風見駿だった。その後ろの席に乗っているのは作業
服を着て茶髪の横山秀人だった。高校を今年の春に卒
業したばかりの二人で駿は、東京の大学へ進学して夏
休みでオートバイで関東平野から津軽海峡を渡って帰
郷して、久々に土建会社に就職した秀人と再会したと
ころだった。
「なあ。駿ちゃん。あの噂聞いた?」
「あの噂って、チャータのことか。秀人。」
「なんだ。もう聞いたン。」
「おまえン家に行く前にガソリンスタンドのタツヤ兄
ちゃんとこ寄ったら、シューパロ湖でチャータそっく
りの仔犬を見たって懐かしそうに言ってた。」
「夕張市役所の建設課に行った坂田君も見たって言っ
てた。仔犬にしちゃ身体が立派で野犬みたいのがチャ
ータの小さい時に似てるし、背中の黒い模様もそっく
りだって見た奴みんな言ってる。」
「でももう7年だぜ。チャータが子供のままでいるわ
けねえよ。」
「そりゃそうだけど・・・」
「だってあの幽霊屋敷って、もうないんだろ。」
「とっくに。宮田土建に就職が決まった去年の暮に一
人で行ってみたけどもう草ぼうぼうの、白樺がにょき
にょきで密林。どこだったかもわからなかったさ。」
「幽霊屋敷・・・チャータか・・・懐かしいな」
「ヨッチンも春にぶらっと遊びに来てチャータと幽霊
屋敷のこと言ってた・・・」
「7年か。もう立派な成犬だぞ。生きてたら・・可愛
かったのによ・・・」
「よくなついたなあ・・」
運転していた駿が慌ててブレーキ踏んだ。ちょうど湖
面から林に入った林道だったので道の側溝にバイクの
タイヤが嵌って駿も秀人も一回転して白樺の林の中へ
飛び込んだ。エゾジカの親子が道を横切ったのだった。
 熊笹の中から無傷で身を起こした駿と秀人は、林道
を振り返った。びっくりして動けなくなったシカの子
が道の真ん中で立ちつくしていたのを親シカが飛び出
て来て仔鹿の首を噛んで林の中へ連れて行った。
「危なく仔鹿轢くとこだった。」
「やべいよ。駿ちゃん。スピード出し過ぎ。」
 ふたりは、体についた夏笹の葉を振り払って白樺の
根っこにひっくり返っているシルバーのバイクをセイ
ノウで起こした。
「バイク大丈夫か?せっかく東京からツーリングで里
帰りしていきなり事故ったなんてシャレになんねえか
ら・・」
秀人が訊くと、駿はエンジンをかけてみて丁寧に確認
して
「いや。大丈夫みたい・・・」
そう言いかけて駿が黙った。
「・・・・」
「駿ちゃん。どうしたん。」
駿が見つめている林の方へ秀人も顔をむけた。白樺林
の奥にちょうど少し木のない草地があってそこに夏の
木漏れ日が射していた。駿が声を震わせて「あれ」と
言った。
秀人は、汗で曇った眼鏡をハンカチで拭いてもう一度
その木漏れ日の方を見た。
「何?ウッソ!」
秀人は、腰を抜かしてズシンと熊笹に尻もちをついた。
「あれ。チャータだろ。どう見ても・・」
駿が指差した木漏れ日の林に少し手足が長い仔犬のチ
ャータがいた。そして駿たちを見るとワンワンと吠え
て白樺の中へ消えて行った。
「チャーターーー!」
ふたりは同時に呼びかけて身を乗り出した。
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さすらいー森の王者15

2010年12月10日 | 投稿連載
森の王者 作者大隅 充
     15
 山々は、厳しく切立ってその岩肌が捨てられた鎧を
幾重にも重ねたように積み重なっていた。谷は渓谷と
していつまでもつづいた。チャータは、狭く急な崖の
カモシカ道を注意深く肉球の爪を立てながら渡って歩
いた。行く手にそびえる一番高い山が白い峰の連なっ
たノコギリ山。そのギザギザの頂がなぜかチャータを
呼んでいる気がしてただひたすらバラバラと崩れ落ち
る岩をチャータは踏み外さないようにしっかりと進ん
で行った。
 山を越え谷を渡り、冬になり又夏になりチャータは
ひとり旅をつづけた。それもあの栗毛の女神を求めて
憑かれたように歩きつづけた。山を登り峰をめぐり最
小限のエネルギーで日々を過ごすため一週間に一度大
シカを捕えて骨ごと食べて後は石清水を飲んですませ
た。
 長い長い旅の果て海峡を望む雪山に出た。鉛色の海
は、天から舞い降りてくる大粒のボタン雪をパクパク
と呑み込んで灰色の牙を剥いて荒れ狂っていた。そこ
は下北半島の突端だった。チャータは疲れきっていた。
この海峡への山越えではシカを一頭も射止めることが
できなかった。ほぼ二週間水しか口にしていない。明
らかに背中とお腹がくっ付いてアバラ骨が痛々しく突
き出していた。とうとう地の果てまで来てしまった。
チャータは低く暗い雪降る海峡の空に向かって遠吠え
をした。それは天界の淵から底の見えない暗黒へ流れ
落ちていくかなしい滝の音のように長く細い木魂とな
って響いた。ついにあの栗毛の女神に逢えなかった。
そのメスオオカミの匂いを辿ってひたすら歩いた末に
辿りついたのは、雪深い海峡の山だった。嗅覚と闘争
心と胆力との研ぎ澄まされ方から言ったらこの野生の
世界ではチャータほどの能力を身に付けた者はいない
だろう。その素晴らしい最高のオオカミとしての力を
持ってしても栗毛の足跡はこの海峡の山で止まってい
た。栗毛はどこへ消えたのか。この荒海を泳いで渡っ
て行ってしまったのか。それともあの栗毛自体が本当
は幻だったのか。とにかくここで、この雪山でぷっつ
りと栗毛の存在がなくなってしまった。
 チャータは、しばらく海を見つめて雪の中立ってい
た。雪は、横殴りの吹雪から風向きが変わって真上か
ら舞い落ちてくるぼたん雪になった。シューパロの森
で母と兄弟たちと廃墟の屋敷で遊んだ懐かしい光景が
ふわっと甦って来た。つい昨日のようでもあるし遠い
遠い太古の記憶のようでもあると不思議な感情に心が
波打った。するとチャータの目の色がみるみる変わっ
て深い深いエメラルド色になったと思うと、みるみる
胸を肩を両腕を腿を、そして反り返った喉をぶるぶる
と震わして今度は低く怒号のような叫び声を天に向か
って吠え立たせた。一瞬ぼたん雪が止まって見えた。
そして海もが沈黙した。 
 このときチャータはシューパロ湖で生まれた野良の
ヤマイヌではなく一匹のゆるぎないオスオオカミにな
った。
 それから三日三晩雪は降りつづきチャータの形その
ままに雪帽子が海峡の山にできた。そして冷たくなっ
たその姿が発見されるのは、雪解けの四月になってか
らだった。

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幽霊屋敷アルバム

2010年11月26日 | 投稿連載
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さすらいー森の王者14

2010年11月26日 | 投稿連載
森の王者 作者大隅 充
   14
チャータは、何度も目を瞬いた。
しかし今目にしている光景は、決して幻ではなか
った。艶々と濡れた背中の栗毛といい、澄んだ湖の
ように深い緑色をした瞳といい、そしてすらりと伸
びた美しい四肢といいそれは母にして神聖な処女の
泉のような光を放っているまさしく神の使いだった。
黄色い花の丘をポツポツと麓まで降りて、その栗毛
のオオカミはチャータの目の前まで来た。長い時間
見つめ合った。濡れたその緑色の瞳は同じ生き物の
ものではないようにチャータは感じた。メスオオカ
ミは栗毛の胸毛を揺らして首をかしげさらに近づい
て来た。鼻と鼻を交差しくるりと身を翻して丘に退
けては、クンクンと又近づいて来た。チャータは一
歩も動けず金縛りに遭ったみたいに立ちすくんでい
ると、栗毛のメスオオカミはピョンと飛んでチャー
タの後ろに回ったと思ったらチャータのお尻の匂い
をクンクン嗅いだ。そしていきなりチャータの背中
に栗毛の背中をこすりつけて来た。瞬間チャータの
身体に電流が走って花の丘も栗毛のオオカミもみん
な、世界が虹の力に包まれ空中にシャボン玉のよう
に浮いた。チャータは生まれて初めて官能というも
ののどうしようもなく甘いとろける快感を味わった。
蜜の匂いと遠い日の大地の底から響いてくる魂の叫
ぶ唸りとがチャータの中で渦巻いた。
 そこにはオスとメスとがいた。丘の花々が風にな
びき囁いた。オスは激しくメスの首を噛んだ。メス
が陶酔の叫びを天空へ響かせた。メスとオスがひと
つになった。それは花咲く丘の一対の黒いシルエッ
トとして止まった世界をつくった。陽はいよいよ真
上にかかって番の影を短くした。
 やがてチャータの腰はへなへなと崩れ落ちた。栗
毛のオオカミはチャータの股からお尻を引くと真っ
直ぐに花の丘を駆け上がった。チャータは肩で息を
してただじっと見送った。いつの間にか虹は消えて
いた。
  ×       ×       ×   
 白神の谷の生活は、仮住まいにしては居心地がよ
かった。こんな平和な山はもしかしたら後にも先に
もないのではないかと思えるくらい日々長閑で初夏
に向かって気候もよく、肉食のヤマイヌやキツネの
数も限られていてここでの生態系はまるで理想の教
科書に出てくるごとく単純で秩序だっていた。
 あの虹の丘での女神との遭遇から一ヶ月が過ぎた
が虹と一緒に消えたあの、栗毛のメスオオカミは二
度と姿を見せなかった。それなのにチャータは、毎
日狩りの帰りには虹の丘を必ず通って行った。それ
はほとんど巡礼だった。ときには明け方陽の昇るま
で何時間も独りでその丘の上で過ごすこともあった。
引きこもったままのシロのことも確かに心配だった
がチャータにとって独りでこの丘へ行くことは、あ
らかじめ組み込まれた理由のない使命のようなもの
だった。その丘からは、美しい谷とその向うに白い
雪の頂を連ねた神々しい山脈が見えた。親兄弟と別
れ、生まれた北の大地を後にして今自分は青年期に
なり、この平和な谷で群れのリーダーとして他のど
んな生き物たちからも畏れられ、グレーの弟をはじ
め群れのヤマイヌたちからは揺るぎない尊敬を集め
ている。だからひたすら山を駆け巡りエサを獲り、
山猿やイノシシらの争いごとには仲裁に入り、必要
最低限の営みを旨として生きてきた。だけど何かも
っと大きな満たされぬものがはっきりとあることに
チャータは悩んだ。それが何なのか。あの栗毛のメ
スオオカミともう一度逢い交わるという単純なこと
ではなく、何かもっと大きな使命というより宿命の
ようなものがあるように思えて仕方ない。しかしそ
れがどんなものなのかわからない。もう一度あの女
神に会えばその答えが見つけ出せそうになんとなく
思うがではどうすればいいのか又わからない。
 そんな雑念が消えないままチャータは、長い夏の
狩りの旅に出た。緑のむせ返るような山や崖を辿り
新しい餌場を探して歩いた。朝早く倒木の巣をチャ
ータが出て行くのを見送ったシロはチャータが二度
と再び帰って来ないんだなとぼんやり思った。
 
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さすらいー森の王者13

2010年11月19日 | 投稿連載
森の王者 作者大隅 充
     13
 まだレオンの病の初期症状が出る前の山桜の咲く
春の月のきれいな夜。そういえばチャータは、あれ
は何だったのかと今にしてみれば思い出す。すっか
り一人前気取りで親の言うことなんか聞かなくなっ
たレオンが珍しく夜中に寝ぐらのブナの木の洞に何
度も入って来て寝ているチャータとシロの間に潜り
込むと赤ん坊のようにペロペロとシロの足を舐めた
り、チャータの首に噛みつき、うるさいと怒ると素
直に腹を出してコロンとひっくり返ってみせたりし
た。
 それが朝まで何度でも繰り返すものだからチャー
タは寝不足で陽の出とともに洞の巣を出た。どうし
た?わが息子よ。と嗜めてもレオンは、怯えたとい
うよりはこの上なく幸せだよという澄んだ眼をして
駄々っ子のように舐めたり噛んだりを繰り返した。
 今考えても後にも先にもあんなことは、あれ一回
きりだった。そしてその後何日もしないでレオンは
歯が抜けて辛そうに泣き叫んだ。そして息をしなく
なったのは山桜が散るのと同じころだった。
 わが息子レオンが死んで季節は、葉桜から新緑に
山が萌え出した当たりから母シロの様子がおかしく
なった。一日ブナの洞から出なくなった。チャータ
が何か言っても頷いて溜息ばかりをつく。ときどき
涙を浮かべている。仕方ないのでチャータは食事の
エサを咥えて来ては食べさせてやらなければならな
くなった。母親が幼子になってしまった。
 それは、一年たっても治らなかった。むしろシロ
の引きこもりは、タルカの狂い病よりも性質の悪い
心の病だった。そして終いにはモノも食べなくなっ
てしまった。どんなに新鮮な肉を運んで行っても鼻
先を近づけるだけでどうしても口に持っていこうと
しなくなった。日に日に痩せていった。そして生命
のぎりぎりのところでシロはチャータから水と食物
を口移しで補給した。
 このシロの引きこもりの一年の間にグレーの弟は
山を逃げるように降りた。山自体が悪い病に侵され
ていた。ブナも樺も春になっても葉をつけず森は枯
れ木が目立つようになった。チャータもいよいよこ
の生きものの気配のなくなった山を去る決意をして
嫌がる痩せこけたシロを咥えて引きづりながら山を
降りて白神の谷へ入った。
 白神の谷には野イチゴが赤々と絨毯のように咲き
乱れて山から逃げて来た生き物でいっぱいだった。
チャータはその谷の斜面に凭れるように折れたダテ
カンバの倒木の下に穴を掘り、シロのための巣をつ
くった。野イチゴを目当てにリスやムクドリがやっ
て来て、又そのリスを目掛けてキツネが出入りする。
当分エサには困らない。あの死んだようになった山
の生活からしたら天国のようだとチャータは思った。
先に山を降りたグレーの弟とも再会した。痩せこけ
て骨だらけだったグレーの弟がここではすっかり元
のふくよかな体格に戻ってチャータと一緒にになっ
てシロの回復のためにエサをせっせと運んだり、シ
ロの前で満月の夜など奇妙なステップのオオカミダ
ンスをして見せたりした。谷の生活が半年も続いた
頃にはシロも少しは癒されたのか、引きこもりは同
じだけど取りあえず自分でチャータの運んで来たエ
サを食べるまでになった。
 白神の谷は、ツキノワグマの一家とチャータを中
心としたヤマイヌのグループと住み分けができてい
て争い事もなく実に平和な楽園に見えた。
 そんな秋の長雨がやんだ日。チャータはウサギを
追って白神の谷を抜けだして、ニレやハギの花が咲
くなだらかな丘に出た。朝方までつづいた雨が止み
、遠い山脈の向こうから射す陽にその丘は金色に染
まっていた。そしてちょうど丘の真上に虹が救いの
女神のかざす色鮮やかな手のように花の丘に差し延
ばしていた。
 チャータは、その丘の麓で足を止め、虹に見とれ
ていたが、やがてその虹の中に一匹のメスオオカミ
がいることに気付いた。余りに夢のような光景なの
で目を何度もこすって見直したがやはりその美しい
オオカミの姿は現実にその丘の花を食んで立ってい
た。それはあの、いつか霧の湿原で見た栗毛のメス
オオカミだった。
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さすらいー森の王者12

2010年11月12日 | 投稿連載
森の王者 作者大隅 充
     12
見事にチャータは滝の外へ落下した。滝は大半が凍っ
ていて、巨大なクリスマス・ツリーのようにこれまた
凍った川から生えていた。チャータは運よくタルカか
ら弾き飛ばされてツリーの途中の枝にあたる雪だまり
に引っ掛かった。大きな滝の内側の真ん中の一部だけ
に水が流れていて外側の表面はタコの足のように凍て
ついて広がり、降ったばかりの雪が綿帽子のように積
もっていた。だからチャータの引っ掛かった枝から横
に横に斜面を滑り下りて行けば下の氷と雪に包まれた
滝壺まで降りることが容易にできた。
白い氷の川の雪の上に赤い血がポトポトと垂れてチ
ャータが動いた軌跡が五十メートル上の滝の裏道から
でもすぐにわかった。滝のツララを突き破って十メー
トル下の雪だまりに落ちたチャータは背中に複数の裂
傷とタルカの牙に突かれた時できた胸の深い傷がその
赤い血の道の出元だった。
 チャータは、しばらく雪原を歩いてバタンと倒れた。
 この様子を一部始終見ていたのは、チャータの子、
黒毛のレオンだった。父親は森の悪魔タルカに殺され
たと覚悟した。この世は死臭に満ちている。そして平
和などなく休息があるだけだ。それもとても短い小休
止。すぐに試練はやってくる。それが嫌だったらさっ
さとこの世におさらばするだけだ。泣くのはその試練
を和らげてくれるが長くは効き目がない。とにかく他
人を頼ることはできない。すべては一人で決めて一人
で生きて行くしかない。小さなレオンは滝の裏道の入
口の雪の斜面に突っ立って真下の雪の川の上に血だら
けで倒れている父親をみつめながらそう思った。
 レオンはこの味もなく色もない山に向かってかなし
い声をあげた。それは谷を木霊して雪の尾根尾根へ反
射して行った。きっと森の奥で母親のシロはこの声を
聞きつけてここまでやってくるだろう。エサのない冬
の山で冬眠しないヤマイヌたちは、エサの奪い合いと
魔王タルカの怒りにあって消滅していく。
 でもこの目で山を見る。この耳で山に降る雪の音を
聞く。この小さな頭でそれらを感じている間は、どん
なに試練がきびしいだろうが生きて行かなければなら
ないとレオンは思う。その死の手前までも生きて行か
なければならない。ふたりの姉が死んだときにそう肝
に銘じた覚悟がこの場に及んでも変らないことにレオ
ンは気づいた。世界は単純で清潔な球でできている。
それは一周すれば必ず元の場所に戻ってくる。見事な
くらい確実に死から生まれて死へと辿り付く。だから
死を恐れてはならない。死は永遠の生なのだから。
 そんなことを思い巡らしていると、鼻が曲がりそう
な嫌な臭いが漂って来たのをレオンは感じた。ハッと
気づいて目を上げると滝の裏道をタルカが歩いて来た
のだった。ゆっくりとした足取りで荒い息を吐き、レ
オンのいる崖道までやって来た。
 小さなレオンは、逃げるどころか瞬き一つすること
ができなかった。
 タルカは、巨大な影となってレオンの上にのしかか
って来た。そしてその影は赤い色に染まっていてレオ
ンの鼻先で落下した。激しく地が揺れて向かいの山で
雪崩が起きた。倒れたタルカの喉から血が溢れ出して
洪水となってレオンの足元に流れ来た。タルカは少し
頭をもたげたがすぐに動かなくなった。レオンは赤い
血で濡れた自分の足をおそるおそる後退しながらタル
カを見た。タルカの喉が深く噛み切られていた。チャ
ータがタルカの牙に弾かれる前にその喉を日本刀で切
り取ったように噛み千切っていたのだと悟った。
 やがて母シロがやって来た。立ちすくんでいるレオ
ンにシロは言った。
「チャータは生きている。あの人は死ぬことはない。
それだけ父親チャータの生は死よりも重いのよ。」
 その通りになった。氷の川で倒れたチャータの傷は
深かったが致命傷ではなく、森に帰って数日もしたら
しっかりとした足取りで歩くまでに日頃の生を取り戻
して行った。
 そして山に春がめぐって来た頃に嫌な噂が流れた。
滝の裏道で死んだタルカの肉を食ったキツネヤマイヌ
たちが原因不明の病で次々に死んで行った。はじめに
口の中が爛れ歯が落ち、次に体の毛が抜ける。それか
ら高熱が出て狂ったように叫び苦しんで血を吐いて死
ぬ。タルカの体から出た悪い病が山を蔓延した。せっ
かく傷が癒えて回復したチャータはこの流行病からど
う逃れるかが大きな課題になった。この山のほとんど
のものがこの狂い病で倒れた。チャータの群れも全滅
に近かった。チャータとシロとグレー弟だけになった。
 そう。悲しいことにこのタルカの狂い病でレオンが
あっという間に息を引き取ってしまった。幼いきれい
な顔のままシロに抱かれて亡くなった。


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さすらいー森の王者11

2010年11月05日 | 投稿連載
森の王者 作者大隅 充
11
不作の山は、縄張り争いになる。
夏がめぐり、秋になっても前年と同じ天候不順で
木の実は、痩せていた。ヤマイヌたちは、いつも
の範囲より足を延ばして隣りの山まで獲物を求め
て森に入った。月の丘から数キロ離れた「白神の
入り口」の森にはドングリや椎の実が比較的実っ
ていてリスやウサギが多くいた。チャータは、月
の丘を捨ててこの森へみんなを移住させた。
しかし秋が深くなって事態は、急変した。チャ
ータたちが縄張りにした実りの森にタルカがやっ
てきた。初めイノシシの大きなフンを発見したシ
ロが、もしかしたらタルカではないかとみんなに
告げたが誰も信用しなかった。チャータの群れの
痩せた灰色ヤマイヌが最初に犠牲になった。朝方、
灰色は沢で喉を抉られてカチカチになって発見さ
れた。その抉られ方は、タルカしかいないとチャ
ータは確信した。すぐにタルカが昼となく夜とな
く姿を現すようになってチャータたちヤマイヌの
群れは、出会わないようにできるだけ行動を別に
して森を彷徨った。
それでも一匹また一匹とタルカの攻撃に命を落
として行った。雪が降る前に場所を移るか、タル
カを倒すかしないと群れの春までの存続にかかわ
ってくる。シロとチャータは、月の丘から逃げて
きたシカたちから元いた平原ももはや枯れ野に変
貌していることを聞きつけてこの「白神の入り口」
の豊かな森に踏ん張るか、その先の未知の「白神の
山」へ行くしかないと選択を迫られた。
それならばタルカと戦ってこの森に残るしかない
と腹を決めたチャータは、狩りの要領でタルカを崖
に追いこむことを考えた。独り者のタルカは、大振
りのヤマイモの群生している尾根へ毎日出かけてい
たが、その途中に大滝があり、そこの中を抜けて往
復していた。チャータは、その滝に目をつけた。滝
の裏側を抜けて芋の尾根へ行くところを集団で襲う
計画を立てた。
第一回目は、初雪の午後だった。滝を抜ける出口
の坂の上から奇襲をかけ、足場の悪い滝裏へ戻すこ
とに成功はしたものの、タルカの背中に飛び乗った
チャータを含め三匹のヤマイヌがあっという間に滝
壺へ振り落とされた。チャータだけはかろうじて滝
裏の壁へ逃げて助かった。
「オレはこの大滝の岩肌もラクラク登れるし、貴様
らの牙なんか蚊に刺されたようなもんだ。」
「少し我々にエサを探す山を与えてもいいだろう。
もともとここは我々が見つけた場所なんだ。」
とタルカとチャータの押し問答は、平行線のままだ
った。
「この森から貴様らを一匹も残らず叩き出してやる」
鼻息荒くタルカは捲し立てた。
「どうして独り占めをするんだ。」
チャータは滝裏の入り口へ下がりながら喰い下がった。
「毎年毎年山は枯れていっている。この実りの森も
日に日にヤマイモすら細くなっている。ウサギもネ
ズミも数を減らしてすぐにいなくなる。貴様らにエ
サを与えたら次の年はオレも飢え死にする。わかる
か。貴様らヤマイヌは集団で喰い漁る。だからこの
エサ場から叩きた出す。」
そういうとタルカは、突進して刀のような牙でチャ
ータの肩を突き刺した。
チャータは、肩の肉をかすり取られたが滝の外へ逃
れた。
そして二回目の挑戦は、沢に水を飲みに来るのを
崖の上から岩を落としてタルカを襲う計画を立てた。
もう雪が降り出して視界が見えにくい朝だった。確
かにタルカの頭上に
大きな岩を命中させたがタルカは、ビクともせず雪
の崖を這い上って逆襲に出てきた。この戦いでチャ
ータのヤマイヌの数は四匹になってしまった。ほと
んど全滅に近かった。何よりもチャータの心を痛め
たのは三匹の自分の子供のうち、ニ匹を失って黒の
男の子だけになったことだった。シロは一番賢く器
量のよかった長女の死が悲しくてそれ以降声を失っ
てしまった。チャータが何を言って励ましても感情
をなくしたシロは、無表情に俯いてチャータのしっ
ぽの後についてゆくだけだった。
山も森も雪に覆われて年が明けた。腹を空かして
ヤマイヌたちは、雪の中を彷徨った。チャータは滝
の向こうに木の根やイモをエサにネズミが土の中に
いることはわかっているので再び滝の裏でタルカを
一人で待ち伏せた。果たしてタルカはのこのことや
って来た。そしてチャータを見るなり刀牙に照準を
合わせて突進して滝の外まで駈け出した。
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さすらいー森の王者10

2010年10月29日 | 投稿連載
森の王者 作者大隅 充
            10
一瞬世界が真っ暗になった。
そして怖ろしく静かな白い闇の海に投げ出された。
チャータは、シロの首の肉を咥えていた。少なく
ともまだ温かいシロとチャータだけは生きている。
後は、まったくわからない。ただ冷たい感覚と視
界がふさがれた闇があるだけだった。片耳も黒ヤ
マイヌもクンとも鳴声がせずどこにどうなったか
さっぱり分からない。数時間後身体がやっと動く
ようになってシロを連れて雪の中から這い出たと
き、巨大な雪崩が起きたのかと理解できた。
雪山は風景を変えて木々がなぎ倒されて雪原に
なっていた。黒ヤマイヌたちは、どうやら谷底ま
で流されたようだった。チャータは、足の甲を擦
りむいて骨が見えていた。しかし傷は小さく引き
づりながらでも歩けた。そして若いシロは、チャ
ータに覆いかぶされたお陰で無傷で雪原に息を取
り戻した。
数日後山の縄張りでは黒ヤマイヌの集団は、半
数に減っていた。ミカヅキの集団はシロとチャー
タとグレー弟だけで後は壊滅した。この残った集
団たちで新しいテリトリーを探して白神の山を目
指した。
  数か月の山越えの強行軍で春から初夏へ季節は
めぐっていた。そしてオクヤマと風の谷を越えた
高原へみんなは出た。そこは、なだらかな丘にな
っていて一面赤いチングルマや黄色いゼンテイカ
の花が咲き乱れていた。二十匹たらずの野犬の集
団だったがいつの間にかリーダーはチャータにな
っていた。チャータとシロを先頭にエサに乏しく
皆痩せこけていたけど歯向かったり勝手な行動を
とるものもなく極めて当卒のとれた集団になって
いた。長い遠征の結果やっと平和な場所に辿りつ
いたとき、ちょうど宵のはじまる頃で花園の高原
の上にまん丸いキレイな月が出ていた。
チャータは、みんなに振り返って「ここは『月
の丘』と呼ぼう。これからわれらが住む縄張りに
なるのだから」と告げると魂の底から突き上げる
ような遠吠えをした。
月の丘。なんとロマンティックな響きだろう。
腹を減らしたヤマイヌたちは、もう険しい山に登
ったり、激流の沢を渡ったりしなくていいと思う
とほっとしてお互い痩せた肩を寄せ合って眠りに
ついた。
チャータは月明かりの中若いシロの首を噛み、
身体が宙に浮きそうな苦しいまでのシロの甘い匂
いを嗅いではげしく腰と肢とをこすり合わせた。
お尻を突き出したシロの弱い溜息にマスキングす
るみたいに大きな声を張りあげてシロの上に乗っ
かった。シロは頭を上下に振り、平原のチングル
マの花弁が千切れて鼻にはり付いて悶えた。チャ
ータの星空を切り裂き飛翔する雷竜の如き逞しい
男の竿が伸びあがり、シロの身体を真っ二つにし
た。今度はチャータより高い声をシロが満月に向
かってあげた。
草原の花に命が宿るようにチャータとシロの背
中の毛はかたく立ちあがった。丘の上で休んでい
たグレーの弟は、そんなチャータとシロを薄目に
見て微笑むと再び眠りについた。
その年の秋。ヤマイヌたちが新しいテリトリー
にやっと慣れた頃。シロは三匹の子を産んだ。チ
ャータの二世たちだ。メスがニ匹に一番下が男の
子だった。チャータは父親になったが自分が父に
育てられたこともなく母もほんの数カ月で別れ別
れになったので小さなミルク臭い口がピイピイ寄
って来るのに戸惑った。しかし子供たちは、食欲
旺盛でシロの乳をむさぼって食らいついていた。
一番大きな女の子がシロの最もミルクの出る乳に
喰いついて、次の女の子がその後につづき小柄な
男の子は乳の出の悪い腹の下のオッパイに吸いつ
いた。この子らの生存競争があまりにも激しいの
でシロは時々、姉になる白毛の子を怒り、黒毛の
弟に一番いいオッパイを付け替えてやった。そん
な時牙を剥いて子をたしなめるシロの怖い顔をチ
ャータは、はじめて見た。何日もそんな子育てが
つづいて、三匹の子らはやっと同じ大きさの仔犬
に育った。
高原をウサギを追い、小鹿を追い白毛の女の子
らと黒毛の男の子にチャータは狩りのやり方を教
えた。真ん中の女の子以外はみるみるその技を覚
えてまだ半年も経たないのに一人前にねずみを捕
ってシロやチャータの前に誇らしげに咥えてくる
のだった。
チャータは、この平和な高原で子育てできるこ
とに感謝して群れを引き連れて白神の谷から高原
の口までの「月の丘」の林を駆け巡った。雨がつ
づき酷暑が幅を利かして木の実が採れなくてもチ
ャータの群れは確実に獲物のシカを射止め群れの
誰もが飢えることはなかった。チャータの無口な
がら危険なことには自ら臨み、野犬同士の争いに
は容赦なく攻撃して悩むものにはやさしく鼻面を
舐めてやる。そんなリーダーの資質が深い信頼を
みんなから勝ち取っていた。
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