幽霊屋敷 作者大隅 充
15
ミイラのソウイチロウ君は、町はずれの火葬場で
助役の佐藤さんの元で葬式が行われた。
警察の取調べでは、十五年前のこの火葬場での惣
一郎君の遺骨の有無が問題になった。深い悲しみ
に包まれて密葬にしていわゆる人を集めての葬儀
を行わなかったのはいいが、火葬場は惣一郎君の
遺体をどうしたのかという疑問に対して夕張道央
葬儀社は、北海道日々新聞の取材に答えた。
それは、引退して今は老人ホームで寝たきりの温
田留蔵会長の口からその真相を語ったのが夕刊の
地方版に鉱山王のミイラ事件という大きな記事に
なって載った。
当時葬儀社の社長をしていた温田爺さんは山元
惣介翁と懇意にしていて惣介翁の強い頼みで書類
上火葬したことにしたと語り、さらに元々北大の
生物学科を卒業していた惣介翁が自分の手で自分
の息子をミイラ処理するのを当時手伝ったという
ことがその記事に書かれていた。
あの時山元惣介翁は息子の葬儀といっても偏屈
で小学校の関係者や町の人の誰も受け付けずにか
つての山元鉱産の関係者の数人で簡単に行われた
という古い記事のコピーも同時に新聞に載っていた。
当然誰もが札幌郊外の山元家の墓地に惣一郎君は
埋葬されているものと思っていた。
それが十五年もシューパロの洋館にミイラになっ
ていたんだ。そして女房も子供も早死にされて孤
独にひっそりミイラの惣一郎君と暮らしていた主
の惣介翁も五年後林道で心筋梗塞で倒れてあの世
に逝ってしまった。
誰にも隠し部屋のことを言わずに。
やがてシューパロの洋館は廃屋になって十年。
借金の形で国有地として解体されることなく幽霊
屋敷と呼ばれるようになってしまった。新聞社の
取材に立ち会った熊谷の親父さんの話だとこの山
元惣一郎君に関わる真実の物語をホームのベッド
で葬儀屋の温田留蔵爺さんは、泣きながら語った
そうだ。
惣介翁がどれだけ一人息子の惣一郎君を愛してい
たか、あんな悲しい顔のオヤジさんを見たことが
ない。どうしても息子を手放したくなかった。
確かに悪いことだとわかっていたが手伝ってしま
った。そういうと温田爺さんは黙りこんだそうだ。
だからミイラの惣一郎君の火葬は、夕張道央葬儀
社がただで行い、助役の佐藤さんの呼びかけで町
の郵便局長や清水沢病院長、熊谷の親父さん、教
頭の数人で葬儀をすませた。
山元惣介翁の親戚縁者は、元々少なかったのに借
金で離散して行方が知れず結局かつて山元鉱業の
課長をやっていた助役の佐藤さんが自費で出して
やったのだった。
ぼくは、タツヤ兄ちゃんと惣一郎君の葬儀をや
っている間もあれから毎日ラリーに餌やりに行った。
市役所の土木課の人が幽霊屋敷に新たに鉄の柵を
つくったので洋館に入れなくなった。
しかしタツヤ兄ちゃんは、裏の崖道から温室のあ
る庭へ廻るけもの道を発見して、ギリシャ彫刻の
ペガサスやビーナスが四隅に飾られた大理石のテ
ラスの軒下でラリーに餌をやった。
そして僕は、とっても重要なことを知った。
それは、このラリーがニ匹の白と茶の子犬を産ん
で育てていたことだった。
兄ちゃんは、ちょうど一ヶ月になるといい、実は
深田画伯のお嬢さんのあかりさんが東京に引っ越
す直前に生まれてこの子たちのこともあってラリ
ーの面倒を看るように頼まれたんだと男同士の秘
密だと硬く口止めされながらも話してくれた。
僕は、丸っこくて人懐こい子犬にチャータとコ
ロと名づけられているのを知った。
特に茶色のチャータは、やんちゃでミルクをやる
ときでも僕の指をカリカリ噛んでなかなかじっと
抱かれてくれなかった。
白毛のコロは、メスで器量がよく大人しかった。
タツヤ兄ちゃんは、コロはたぶんメロン館の館長
の奥さんがすぐにでも引き取ってくれるだろうが、
チャータは俺らで面倒みるしかないなと優しい目
で言った。
母親ラリーからくっ付いて離れず僕らが手を出す
とチャータは、血が出るぐらいガリガリ噛んでち
っとも懐こうとしない。
大人しく尻尾を振るのは、餌のミルクをやる時だ
けだった。
でも僕は放課後秀人に内緒でラリーとチャータと
コロに会いに行くのがあかりさんとつながってい
るようで楽しくてならなかった。
そのうちタツヤ兄ちゃんは、僕のことをすっかり
信用してくれて三日に一回は、僕ひとりで餌をや
りにいくようになった。

15
ミイラのソウイチロウ君は、町はずれの火葬場で
助役の佐藤さんの元で葬式が行われた。
警察の取調べでは、十五年前のこの火葬場での惣
一郎君の遺骨の有無が問題になった。深い悲しみ
に包まれて密葬にしていわゆる人を集めての葬儀
を行わなかったのはいいが、火葬場は惣一郎君の
遺体をどうしたのかという疑問に対して夕張道央
葬儀社は、北海道日々新聞の取材に答えた。
それは、引退して今は老人ホームで寝たきりの温
田留蔵会長の口からその真相を語ったのが夕刊の
地方版に鉱山王のミイラ事件という大きな記事に
なって載った。
当時葬儀社の社長をしていた温田爺さんは山元
惣介翁と懇意にしていて惣介翁の強い頼みで書類
上火葬したことにしたと語り、さらに元々北大の
生物学科を卒業していた惣介翁が自分の手で自分
の息子をミイラ処理するのを当時手伝ったという
ことがその記事に書かれていた。
あの時山元惣介翁は息子の葬儀といっても偏屈
で小学校の関係者や町の人の誰も受け付けずにか
つての山元鉱産の関係者の数人で簡単に行われた
という古い記事のコピーも同時に新聞に載っていた。
当然誰もが札幌郊外の山元家の墓地に惣一郎君は
埋葬されているものと思っていた。
それが十五年もシューパロの洋館にミイラになっ
ていたんだ。そして女房も子供も早死にされて孤
独にひっそりミイラの惣一郎君と暮らしていた主
の惣介翁も五年後林道で心筋梗塞で倒れてあの世
に逝ってしまった。
誰にも隠し部屋のことを言わずに。
やがてシューパロの洋館は廃屋になって十年。
借金の形で国有地として解体されることなく幽霊
屋敷と呼ばれるようになってしまった。新聞社の
取材に立ち会った熊谷の親父さんの話だとこの山
元惣一郎君に関わる真実の物語をホームのベッド
で葬儀屋の温田留蔵爺さんは、泣きながら語った
そうだ。
惣介翁がどれだけ一人息子の惣一郎君を愛してい
たか、あんな悲しい顔のオヤジさんを見たことが
ない。どうしても息子を手放したくなかった。
確かに悪いことだとわかっていたが手伝ってしま
った。そういうと温田爺さんは黙りこんだそうだ。
だからミイラの惣一郎君の火葬は、夕張道央葬儀
社がただで行い、助役の佐藤さんの呼びかけで町
の郵便局長や清水沢病院長、熊谷の親父さん、教
頭の数人で葬儀をすませた。
山元惣介翁の親戚縁者は、元々少なかったのに借
金で離散して行方が知れず結局かつて山元鉱業の
課長をやっていた助役の佐藤さんが自費で出して
やったのだった。
ぼくは、タツヤ兄ちゃんと惣一郎君の葬儀をや
っている間もあれから毎日ラリーに餌やりに行った。
市役所の土木課の人が幽霊屋敷に新たに鉄の柵を
つくったので洋館に入れなくなった。
しかしタツヤ兄ちゃんは、裏の崖道から温室のあ
る庭へ廻るけもの道を発見して、ギリシャ彫刻の
ペガサスやビーナスが四隅に飾られた大理石のテ
ラスの軒下でラリーに餌をやった。
そして僕は、とっても重要なことを知った。
それは、このラリーがニ匹の白と茶の子犬を産ん
で育てていたことだった。
兄ちゃんは、ちょうど一ヶ月になるといい、実は
深田画伯のお嬢さんのあかりさんが東京に引っ越
す直前に生まれてこの子たちのこともあってラリ
ーの面倒を看るように頼まれたんだと男同士の秘
密だと硬く口止めされながらも話してくれた。
僕は、丸っこくて人懐こい子犬にチャータとコ
ロと名づけられているのを知った。
特に茶色のチャータは、やんちゃでミルクをやる
ときでも僕の指をカリカリ噛んでなかなかじっと
抱かれてくれなかった。
白毛のコロは、メスで器量がよく大人しかった。
タツヤ兄ちゃんは、コロはたぶんメロン館の館長
の奥さんがすぐにでも引き取ってくれるだろうが、
チャータは俺らで面倒みるしかないなと優しい目
で言った。
母親ラリーからくっ付いて離れず僕らが手を出す
とチャータは、血が出るぐらいガリガリ噛んでち
っとも懐こうとしない。
大人しく尻尾を振るのは、餌のミルクをやる時だ
けだった。
でも僕は放課後秀人に内緒でラリーとチャータと
コロに会いに行くのがあかりさんとつながってい
るようで楽しくてならなかった。
そのうちタツヤ兄ちゃんは、僕のことをすっかり
信用してくれて三日に一回は、僕ひとりで餌をや
りにいくようになった。

6月1日からペットフード安全法が施行されるんだって。
なんでも過去4年間でペットフードに関する相談が947件も
国民生活センターにあったんだって。
知らないで買って食べて
気分が悪くなったり、死んだりしたんだって。
愛がん動物用飼料の安全性確保に関する法律
ぼくは、食いしん坊だけどまだ変なものに当たってない。
でもよーく考えたら、フード業者の事業届け出もなく、
成分表示などが義務じゃなかったなんて今までが変だったよ。
ましてや、
ペットフードの安全かどうかを決めるのに
「人間が食べていいか」だったのを
「犬、猫が食べていいか」に変わったなんて、
やっとというか、どうして?
なんでそんなことになっていたんだって言いたいよ。
とにかくぼくは、犬生の春を見るまで
まだまだ死にたくないよ。
なんでも過去4年間でペットフードに関する相談が947件も
国民生活センターにあったんだって。
知らないで買って食べて
気分が悪くなったり、死んだりしたんだって。
愛がん動物用飼料の安全性確保に関する法律
ぼくは、食いしん坊だけどまだ変なものに当たってない。
でもよーく考えたら、フード業者の事業届け出もなく、
成分表示などが義務じゃなかったなんて今までが変だったよ。
ましてや、
ペットフードの安全かどうかを決めるのに
「人間が食べていいか」だったのを
「犬、猫が食べていいか」に変わったなんて、
やっとというか、どうして?
なんでそんなことになっていたんだって言いたいよ。
とにかくぼくは、犬生の春を見るまで
まだまだ死にたくないよ。
三軒茶屋にあるスタンドのたこ焼き屋。
夕方になると散歩で立ち寄るラブラドール
君がいる。
いつもたこ焼き屋のおじさんにたこを
貰ってうれしそうにお客さんを差し置いて
ちょうだい、ちょうだいの立ち姿。
可愛いやら、たくましいやら
買い物の通行人も頬を緩ませて
通っていく。
因みにこのたこ焼き屋は、死んだ飯島愛
ちゃんの行きつけでもありました。
夕方になると散歩で立ち寄るラブラドール
君がいる。
いつもたこ焼き屋のおじさんにたこを
貰ってうれしそうにお客さんを差し置いて
ちょうだい、ちょうだいの立ち姿。
可愛いやら、たくましいやら
買い物の通行人も頬を緩ませて
通っていく。
因みにこのたこ焼き屋は、死んだ飯島愛
ちゃんの行きつけでもありました。
幽霊屋敷 作者大隅 充
14
サーチライトの中でその幽霊の目が二つピカッ
と光った。
僕は、一階の床下から見たあの、白い幽霊が戻
ってきたとすぐにわかったけれど、真正面から
今度ははっきりと見た。
それは、幽霊ではなく一匹の大きな犬だった。
ヴヴヴヴっっっ
オオカミの牙を剥いて僕と秀人に唸った。
焦げ茶色のビロードの毛に包まれた巨大な犬は
白いカーテンを首に巻きつけて、裾の方が切れ
切れに破れて引きずっていた。ちょうど白夜の
マントを着た筋肉質のドラキュラのようにその
犬は見えた。
赤い口から泡だった涎を垂らして、ゆっくりと
艶々の長い脚で近づいて来て来た。
ぼくはと秀人は兄ちゃんの後ろに隠れた。
ラリー!
タツヤ兄ちゃんは、その犬を呼んだ。
するとクウンと鼻で鳴くと尻尾を振りながら頭
を低くして兄ちゃんの股の中に入ってきた。
「ラリー。又野犬と戦ったのか。」
とラリーの頭と顎を撫でて、首を抱きしめた。
ラリーと呼ばれた大型犬は、甘えるような声を
出してクンクンと鳴いた。
「どうしたんだ。これを引っ掛けたのか。」
と首に巻きついている白いカーテンをライトを
当てて外しにかかると、一番最後の巻きの先が
金属のフックになっていて、それがラリーの首
の皮に突き刺さっていたのだった。
「これじゃ、痛くてたまらんべ。」
兄ちゃんは、恐る恐るフックを抜いた。
わぁぁーん。とラリーは大げさに鳴くとカーテ
ンが外れたうれしさに兄ちゃんの口をペロペロ
といつまでも舐めた。
わかった。わかったーよーし、わかったー
僕は、すっかりここが幽霊屋敷でソウイチロウ
のミイラと一緒にいることなんか忘れて今日は
じめて暖かい気持ちになった。
そしてふっと振り返ったら、ラリーと兄ちゃん
と僕らの魔法の氷が解けた生温い心の通う様子
をデスクのソウイチロウくんがじっと微笑んで
見ていた。
x x x
次の日。町はヤマモト洋館のミイラのことで
大騒動になったが、僕は山元惣介翁が自分の一
人息子を火葬せず内緒で屋敷の隠し部屋でミイ
ラにしてずっと死ぬまで一緒に住んでいたとい
う北海道中を騒がすスキャンダルなんかより、
タツヤ兄ちゃんが夜道にぽつりと言ったラリー
についての言葉がずっと引っかかって給食もほ
とんど食べずに残した。
それは、ラリーはあかりちゃんに頼まれてこの
シューパロの森で飼っているんだ、という告白
だった。
絶対誰にも言うなよ、と秀人と僕は念をされた
がどうして深田あかりさんは、あの巨大な犬を
内緒で森の幽霊屋敷で飼っていたのか、それも
タツヤ兄ちゃんに頼んでまで。
僕は、職員室で秀人と二人教頭先生にこっ酷く
叱られて正座させられても、夕方CATVの取
材チームが僕の家まで来て根掘り葉掘りインタ
ビューされて少し英雄気分になっても、頭の中
はずっとラリーとあかりさんのことだけがぐる
ぐると?マークのまま回っていた。
シューパロ湖から先の国道はまる一日通行制限
になって、警察と消防隊員と検死官とがヤマモ
ト洋館でソウイチロウくんを運び出す間誰も近
づけなかった。
夜父ちゃんがタクシーで東京のテレビ局の若
いレポーターの女の子を逆方向から国道を回っ
てヤマモト洋館の建物が見える位置まで連れて
ってやったことを酒を飲みながらうれしそうに
身振り手振りでしゃべっていたが、その内カメ
ラマンの態度が悪かったが、レポーターの女の
子が可愛くて東京の娘っこは、いい匂いがした
と鼻の下をダラーリと伸ばして酔っ払いだすと
母ちゃんがフライパンでポカンと父ちゃんの頭
を殴った。
父ちゃんは、例によって夫婦喧嘩をすると駅前
の居酒屋に逃げて行った。
午前二時を過ぎて母ちゃんに言われて駅前まで
父ちゃんを迎えに行ったら、バッタリタツヤ兄
ちゃんにあったのでラリーのことをもっと詳し
く教えてもらった。
それは、こうだった。
去年の春。タツヤ兄ちゃんが保健所に連れて行
かれる捨て犬のラリーを預かった。しかし熊谷
のおじさんも犬嫌い、車で送り迎えをしていた
深田画伯も犬アレルギー。どうしようか困って
いたときに深田あかりさんがシューパロのヤマ
モト洋館でこっそり飼いましょうと提案したと
いうのだった。
しかしそのあかりさんも秋には東京へ引っ越す
ことになって、お年玉を貯めていた郵便貯金か
らあかりさんが十万円を兄ちゃんに預けてタツ
ヤ兄ちゃんが密かにシューパロの森で死にかけ
たラリーを飼っていたのだった。
14
サーチライトの中でその幽霊の目が二つピカッ
と光った。
僕は、一階の床下から見たあの、白い幽霊が戻
ってきたとすぐにわかったけれど、真正面から
今度ははっきりと見た。
それは、幽霊ではなく一匹の大きな犬だった。
ヴヴヴヴっっっ
オオカミの牙を剥いて僕と秀人に唸った。
焦げ茶色のビロードの毛に包まれた巨大な犬は
白いカーテンを首に巻きつけて、裾の方が切れ
切れに破れて引きずっていた。ちょうど白夜の
マントを着た筋肉質のドラキュラのようにその
犬は見えた。
赤い口から泡だった涎を垂らして、ゆっくりと
艶々の長い脚で近づいて来て来た。
ぼくはと秀人は兄ちゃんの後ろに隠れた。
ラリー!
タツヤ兄ちゃんは、その犬を呼んだ。
するとクウンと鼻で鳴くと尻尾を振りながら頭
を低くして兄ちゃんの股の中に入ってきた。
「ラリー。又野犬と戦ったのか。」
とラリーの頭と顎を撫でて、首を抱きしめた。
ラリーと呼ばれた大型犬は、甘えるような声を
出してクンクンと鳴いた。
「どうしたんだ。これを引っ掛けたのか。」
と首に巻きついている白いカーテンをライトを
当てて外しにかかると、一番最後の巻きの先が
金属のフックになっていて、それがラリーの首
の皮に突き刺さっていたのだった。
「これじゃ、痛くてたまらんべ。」
兄ちゃんは、恐る恐るフックを抜いた。
わぁぁーん。とラリーは大げさに鳴くとカーテ
ンが外れたうれしさに兄ちゃんの口をペロペロ
といつまでも舐めた。
わかった。わかったーよーし、わかったー
僕は、すっかりここが幽霊屋敷でソウイチロウ
のミイラと一緒にいることなんか忘れて今日は
じめて暖かい気持ちになった。
そしてふっと振り返ったら、ラリーと兄ちゃん
と僕らの魔法の氷が解けた生温い心の通う様子
をデスクのソウイチロウくんがじっと微笑んで
見ていた。
x x x
次の日。町はヤマモト洋館のミイラのことで
大騒動になったが、僕は山元惣介翁が自分の一
人息子を火葬せず内緒で屋敷の隠し部屋でミイ
ラにしてずっと死ぬまで一緒に住んでいたとい
う北海道中を騒がすスキャンダルなんかより、
タツヤ兄ちゃんが夜道にぽつりと言ったラリー
についての言葉がずっと引っかかって給食もほ
とんど食べずに残した。
それは、ラリーはあかりちゃんに頼まれてこの
シューパロの森で飼っているんだ、という告白
だった。
絶対誰にも言うなよ、と秀人と僕は念をされた
がどうして深田あかりさんは、あの巨大な犬を
内緒で森の幽霊屋敷で飼っていたのか、それも
タツヤ兄ちゃんに頼んでまで。
僕は、職員室で秀人と二人教頭先生にこっ酷く
叱られて正座させられても、夕方CATVの取
材チームが僕の家まで来て根掘り葉掘りインタ
ビューされて少し英雄気分になっても、頭の中
はずっとラリーとあかりさんのことだけがぐる
ぐると?マークのまま回っていた。
シューパロ湖から先の国道はまる一日通行制限
になって、警察と消防隊員と検死官とがヤマモ
ト洋館でソウイチロウくんを運び出す間誰も近
づけなかった。
夜父ちゃんがタクシーで東京のテレビ局の若
いレポーターの女の子を逆方向から国道を回っ
てヤマモト洋館の建物が見える位置まで連れて
ってやったことを酒を飲みながらうれしそうに
身振り手振りでしゃべっていたが、その内カメ
ラマンの態度が悪かったが、レポーターの女の
子が可愛くて東京の娘っこは、いい匂いがした
と鼻の下をダラーリと伸ばして酔っ払いだすと
母ちゃんがフライパンでポカンと父ちゃんの頭
を殴った。
父ちゃんは、例によって夫婦喧嘩をすると駅前
の居酒屋に逃げて行った。
午前二時を過ぎて母ちゃんに言われて駅前まで
父ちゃんを迎えに行ったら、バッタリタツヤ兄
ちゃんにあったのでラリーのことをもっと詳し
く教えてもらった。
それは、こうだった。
去年の春。タツヤ兄ちゃんが保健所に連れて行
かれる捨て犬のラリーを預かった。しかし熊谷
のおじさんも犬嫌い、車で送り迎えをしていた
深田画伯も犬アレルギー。どうしようか困って
いたときに深田あかりさんがシューパロのヤマ
モト洋館でこっそり飼いましょうと提案したと
いうのだった。
しかしそのあかりさんも秋には東京へ引っ越す
ことになって、お年玉を貯めていた郵便貯金か
らあかりさんが十万円を兄ちゃんに預けてタツ
ヤ兄ちゃんが密かにシューパロの森で死にかけ
たラリーを飼っていたのだった。
ぼくが小さかった頃、
クリスマス・ツリーは大きかった。
そして大人になって、
クリスマス・ツリーは小さくなった。
ぼくが小さかった頃、
木の葉は大きくぼくの顔はすっぽり隠れた。
そして大人になって、
木の葉では隠れきれなくなった。
とてもじゃないけど・・・
さあ。新緑の季節です。森へ行こう。
クリスマス・ツリーは大きかった。
そして大人になって、
クリスマス・ツリーは小さくなった。
ぼくが小さかった頃、
木の葉は大きくぼくの顔はすっぽり隠れた。
そして大人になって、
木の葉では隠れきれなくなった。
とてもじゃないけど・・・
さあ。新緑の季節です。森へ行こう。
19世紀後半、帝政ロシア終盤の時代の絵画に焦点を当てた展覧会
が渋谷文化村で開催されています。
この時代、ロシア絵画は厳格な写実主義から新しい印象主義的表
現への転換期でした。

白樺の並木やライ麦畑など、牧歌的な美しい農村風景を描いた中
には、ゴッホやモネの筆致と酷似したものが多く有り、確かに印
象派の影響が感じられます。

一方、華やかな貴族たちの肖像画にはロシア絵画本来の重厚な写
実主義が見て取れます。
展覧会全体としては、誰もが知っている著名な画家の作品が無い
せいか、ややインパクトに欠けると言うか、地味で物足りなく
感じるかもしれません。
ミュージアム・ショップではロシア絵画にちなみ、マトリョーシ
カやロシア紅茶、ロシアチョコ、琥珀などが販売されており、
小さなロシア物産展のようで楽しめました。

6月7日まで渋谷文化村、ザ・ミュージアムで開催中です。
が渋谷文化村で開催されています。
この時代、ロシア絵画は厳格な写実主義から新しい印象主義的表
現への転換期でした。

白樺の並木やライ麦畑など、牧歌的な美しい農村風景を描いた中
には、ゴッホやモネの筆致と酷似したものが多く有り、確かに印
象派の影響が感じられます。

一方、華やかな貴族たちの肖像画にはロシア絵画本来の重厚な写
実主義が見て取れます。
展覧会全体としては、誰もが知っている著名な画家の作品が無い
せいか、ややインパクトに欠けると言うか、地味で物足りなく
感じるかもしれません。
ミュージアム・ショップではロシア絵画にちなみ、マトリョーシ
カやロシア紅茶、ロシアチョコ、琥珀などが販売されており、
小さなロシア物産展のようで楽しめました。

6月7日まで渋谷文化村、ザ・ミュージアムで開催中です。
タイガ&ココア
今日のぽっぽ通信。

釧路市動物園で去年生まれたアムールトラの二匹の子供・
タイガとココアは、後ろ足に障害があって生まれたんじゃ。
あまりひどい場合、この時点で殺されることもあったのを
小さい二匹が一生懸命に生きようとしていたので
飼育係の人は、困難でも生かすことにしたんじゃ。

(産経新聞写真より)
それが、この連休に1歳になってお披露目できて
本当にうれしいよ。
極東シベリアに住むアムールトラは、全滅の危機に
あるんじゃ。
あの素晴らしい姿は、やがて見られなくなるかも知れない。
めんちゃん、釧路まで行くか?
北斗星に乗って。

行きたいっ! ラッコのくうちゃんにも会いたいよ。
ー(今日も欲張りなめんちゃんでした。)
今日のぽっぽ通信。

釧路市動物園で去年生まれたアムールトラの二匹の子供・
タイガとココアは、後ろ足に障害があって生まれたんじゃ。
あまりひどい場合、この時点で殺されることもあったのを
小さい二匹が一生懸命に生きようとしていたので
飼育係の人は、困難でも生かすことにしたんじゃ。

(産経新聞写真より)
それが、この連休に1歳になってお披露目できて
本当にうれしいよ。
極東シベリアに住むアムールトラは、全滅の危機に
あるんじゃ。
あの素晴らしい姿は、やがて見られなくなるかも知れない。
めんちゃん、釧路まで行くか?
北斗星に乗って。

行きたいっ! ラッコのくうちゃんにも会いたいよ。
ー(今日も欲張りなめんちゃんでした。)