森の王者 作者大隅 充
1
奥羽山脈の南端の蔵王山は、会津の吾妻山から
山形の飯豊山へ峰がつながっている。
どれも深い山々の聖地だ。
ひとり旅に出た仔犬のチャータは、福島盆地に
も米沢盆地にも近づかず、ひたすら森の中を峰が
高ければ高いほど小さな脚でよじ登った。人里の
気配のしない方へしない方へ進んで行った。それ
は、まるで小僧の修行僧が山に入るようだった。
頼るのは自分の嗅覚と生まれもった勘だけだった。
蔵王から板谷峠へ下るまで四日かかった。丸二
日何も食べず岩山を歩きつづけるのは、夕張から
室蘭へ出たときにすでに経験済みだったし、体力
をできるだけ使わずに夜行動して日の照る昼間は、
できるだけ木陰や洞で寝るようにして野ネズミや
ウサギを見つけてそのハラワタを喰いちぎり、脂
ののった肉を残さず食べて腹の中で日持ちするよ
うに丸呑みするやり方を自分で習得した。自分で
も不思議だけれど誰に教わった訳でもないのに自
然とそういう作法が身についていった。
チャータは、濡れた黒い鼻で空気を読み、背中
や尻尾の毛先までの感知能力が山に入れば入るほ
ど研ぎ澄まされて、身に係る危険をいち早く察知
することができた。
おそらくシューパロ湖の洋館で暮らしていた数
カ月前と比べてもこの板谷峠から吾妻山へ登った
ころには、顔付きもすっかり変わってまん丸い子
供の顔からよく切れる登山ナイフのような細長い
顔になっていた。そのことから考えると、まだぼ
んやりと思い出すことができる夕張の小学生の駿
や列車で途中まで一緒になった殺人者の青年が今
チャータを見てもあの可愛い仔犬のチャータだと
は気づかないかもしれない。しかも体の四肢の盛
り上がった筋肉は、とても元飼い犬のペットだと
思えない。クマザサや小灌木をズンズンと進むチ
ャータを人間が見つけてもキツネかイノシシの仔
だと勘違いするだろう。
特に大嵐のあと船が衝突した時海に投げ出され
て深い海を木片に捉まりながら岸まで泳ぎ切った
あの、最大の試練を思い出すとこの筋肉はあの時
ついたものだろうと想う。
チャータは飯豊山からふたつの湖を下り新しい
盆地を抜けて、田島、舘岩と集落の脇を通って帝
釈山へ登る尾根ではげしい夕立にあった。あれだ
け明るかった空が夜のようにみるみる暗くなった。
二千メールの岩山では身を隠す場所もなくただ雨
が止むのを濡れながら待つしかなかった。
チャータはそのシャワーのような雨に全身打たれ
た時、自分は一匹のはぐれ狼になるのだと誓った。
それは、からだの底から湧いてくる魂の叫びだった。
独りで生きる。
人間のいる集落に近づき甘えてエサをねだり、
温かい部屋や犬小屋で暮らす生き方を自分はとら
ない。山。それも人の入らない奥山で獲物を自分
の力で捕って生きる。聖地である山や空の機嫌に
従い、太古の生き物のように素直に運命に身を委
ねる。もし熊やイノシシに襲われて体を引き裂か
れ逆にけものの餌食になってもそれは良しとする。
それが嫌なら必死で生き抜くことが自分に与えら
れた使命だと覚悟する。そんな険しい野生の生き
方をしなければならない。それが自分に一番合っ
ていると思う。そのことに何の迷いも悔いもない。
そうするように定められた通りにただ従う。それ
だけだった。それがチャータの魂の拠り所のすべ
てだ。
山は、二千メートル。やがて雨が止み帝釈山の
山頂へ出た。ヤマの天候はくるくる変わって霧に
包まれることの方が晴れ間に遭遇するより多い。
田代湿原は、この帝釈山の山頂にあった。チャー
タは腹を空かせてトボトボと歩いて湿原のチング
ルマの花の傍で休憩した。
霧は二メートル先も見通せない。体が真夏なの
に冷えて行く。チャータは顎を前脚の中へ包み、
丸い座布団のような格好で眠りについた。風の音
が遠くから聞こえてくる。もしかしたらこの霧が
晴れるのも間もなくかなと思う。しかしその風の
音は、甘い匂いとともにチャータの頭の中で巻き
起こっていたのだった。
風はダテカンバの梢の上を青い葉っぱを揺らし
ながら西へ吹いていた。青い空を白い千切れ雲が
飛んでゆく。小さな濡れた鼻でその高い梢を自分
は見上げている。そしてその見上げた丸い目を大
きな舌がペロりと舐めた。母だった。
ボーっとしないで元気におっぱいを飲むのよ。
母の目はそう言ってチャータの頭から首、お尻ま
で舐めた。チャータは我に返って急いで母のおっ
ぱいにムシャぶりついた。甘い匂いは母の乳の匂
いだった。