幽霊屋敷 作者大隅 充
2
その幽霊屋敷とは、かつて僕の父ちゃんやヨッチンのパパ
がよく駅前の止り木食堂でお酒を飲んでオバケが出ると噂し
ていたシューパロ湖の452号線沿いの林の奥にあるヤマモ
ト洋館のことなんだ。
その森の中の朽ちかけた木造三階建ての洋館では昼間一階の
大広間の床を走り回る足音がしたり、夜三階の書斎の飾り窓
に明かりが見えたりしたという目撃談がこの夕張にかつて炭
鉱があり何十万という人が住んでいたという社会科サブノー
トに書かれるような街の歴史的な事実と同じように語られ、
それがいつの間にか町中でというより、特に清水沢小では幽
霊屋敷で女の死体が転がっていたなんてHBC放送の突撃シ
ョウ激★ニュースのドキドキ現場ルポみたいに本当のことと
して広まってしまった。
しかも夏休みの間に桜が丘中学の二年生やガソリンスタンド
の熊谷のタツヤ兄ちゃんたちがこのシューパロの森の超心霊
スポットとなったヤマモト洋館に挑戦したが誰も無口になっ
て帰ってきたり、大怪我して病院に担ぎ込まれたりした。
いつも鬼のように怒ると怖い熊谷のおじさんも、脳震盪を起
こして救急車で幽霊屋敷から運ばれたタツヤ兄ちゃんを清水
沢診療所にスタンドのトラックで迎えに行って、黙って缶コ
ーヒーを渡してただ一言、二度とあそこに行くな。と言った
きりやさしかったという。
それでも噂を聞きつけて隣町からも肝試しの遠征にくる子供
も四人五人とあとを断たず、そんな中でも八月の終わり学校
がもう始まっていたのに五年生のヨッチンが一人で行くと言
って洋館の二階のバルコニーから部屋の中から飛び出てきた
動くものに追われて階下の果樹園跡に落ちて大腿骨を折る事
故があってからは、学校ではシューパロ湖に近づくことすら
禁止になった。
だから二学期になってパタっとシューパロ湖のダムへ上がる
向こう見ずな連中は、ほとんどいなくなった。
そして十月ヨッチンは、夕張市の破綻のあおりでママが看護
婦として働いていた希望が丘病院の縮小とかで病院をやめざ
るを得なくなって広島の親戚を頼って、松葉杖のまま家族で
引っ越して行った。
僕と秀人とは、どうしてもそのヨッチンの仇を討ちたかった。
だから車通りの少ない夕方を狙ってシューパロのダムまで自
転車で行き、草むらにその自転車を隠して僕らは、できるだ
け目立たないように林道を通って湖を北へ進んだのだった。
「ああ。見えて来た。」
僕らは、湖の道から林道へ五分も歩いただろうか。秀人が興
奮して指差す先を振り向くと、森が開けて茶色の煙突のある
屋根がはっきりと夕靄の中に覗けた。
今度はゆっくり僕らは歩き出す。するとすぐにモチノキやミ
ズナラに埋もれた高い鉄柵が両側に延々と広がって、雑草の
生い茂る行き止まりになった。
その僕の身長の三倍はある高い鉄柵に囲まれた先にヤマモト
洋館はあり、正面の立ち入り禁止の札のかかった門の上から
微かに黒味がかった茶色の屋根が教頭先生の禿げ頭の所々疲
れた髪の毛が生えているように草が斑に生えて風に揺らいで
いるのが見えた。
その閉ざされた鉄門を右へ沿っていくと、ヨッチンが言って
いた通り過去に何人もの挑戦者がこじ開けた幽霊屋敷への入
口となる鉄柵の一箇所外れたところがあり、ぼくら子供が一
人やっと通れる程度の穴があった。
僕らは、そこから顔を突っ込んで敷地の中を覗いた。市民プ
ールぐらいの草だらけの広場が目の前に広がっていて、その
奥に森の魔術に絡み取られた幽霊屋敷はあった。
それは、全体を蔦に覆われて窓という窓、扉という扉を長板
でバッテン印に釘打ちされた三階建ての要塞のような建物だ
ったけれど所々アーチ型の窓のステンドグラスが割られてイ
タチやエゾリスが出入りした形跡があった。
秀人と僕は、肩を寄せ合って夕闇の幽霊屋敷の前に立った。
僕は、まず家から持ってきたコンパクトデジカメで写真を
撮った。
フラッシュを焚いてみたが全体は薄暗くしか写せなかった。
メールでヨッチンに知らせるにはどうしても証拠写真がほ
しかった。
もう一度玄関ポーチに近寄ってシャッターを切った。
うおおっと秀人がデジカメの液晶画面を覗き込んで感心し
た声をあげた。
立ち入り禁止の看板と山元源一郎の表札のかかったポーチ
の柱と茶色のレンガの煙突がひとつの画面にピタっと入っ
ていた。
ヨッシ!
思わずガッツポーズをとって大きな声を僕が出したら、
秀人が、もういいんじゃないの。ここまで来て写真も撮っ
たから。帰ろうって。真っ暗になる。もう。
と早口に言うと一歩二歩と後ずさった。
「ダメダメ。ここまでせっかく来たんしょ。」
僕は、秀人の手をとってポーチの靴摺り台へ上った。
玄関に打たれたバッテン板は、何人も出入りしたために
Vの字に開いて扉の両サイドに立てかけてあった。
僕は、神主が榊をふるみたいにサーチライトを二三度振
った。
すると接触がよくなったのか明かりの強さが復活した。
それから僕は、ドアノブを握り締めてゆっくりと扉を開
いた。真っ暗な中から冷たい風が吹いてきた。
2
その幽霊屋敷とは、かつて僕の父ちゃんやヨッチンのパパ
がよく駅前の止り木食堂でお酒を飲んでオバケが出ると噂し
ていたシューパロ湖の452号線沿いの林の奥にあるヤマモ
ト洋館のことなんだ。
その森の中の朽ちかけた木造三階建ての洋館では昼間一階の
大広間の床を走り回る足音がしたり、夜三階の書斎の飾り窓
に明かりが見えたりしたという目撃談がこの夕張にかつて炭
鉱があり何十万という人が住んでいたという社会科サブノー
トに書かれるような街の歴史的な事実と同じように語られ、
それがいつの間にか町中でというより、特に清水沢小では幽
霊屋敷で女の死体が転がっていたなんてHBC放送の突撃シ
ョウ激★ニュースのドキドキ現場ルポみたいに本当のことと
して広まってしまった。
しかも夏休みの間に桜が丘中学の二年生やガソリンスタンド
の熊谷のタツヤ兄ちゃんたちがこのシューパロの森の超心霊
スポットとなったヤマモト洋館に挑戦したが誰も無口になっ
て帰ってきたり、大怪我して病院に担ぎ込まれたりした。
いつも鬼のように怒ると怖い熊谷のおじさんも、脳震盪を起
こして救急車で幽霊屋敷から運ばれたタツヤ兄ちゃんを清水
沢診療所にスタンドのトラックで迎えに行って、黙って缶コ
ーヒーを渡してただ一言、二度とあそこに行くな。と言った
きりやさしかったという。
それでも噂を聞きつけて隣町からも肝試しの遠征にくる子供
も四人五人とあとを断たず、そんな中でも八月の終わり学校
がもう始まっていたのに五年生のヨッチンが一人で行くと言
って洋館の二階のバルコニーから部屋の中から飛び出てきた
動くものに追われて階下の果樹園跡に落ちて大腿骨を折る事
故があってからは、学校ではシューパロ湖に近づくことすら
禁止になった。
だから二学期になってパタっとシューパロ湖のダムへ上がる
向こう見ずな連中は、ほとんどいなくなった。
そして十月ヨッチンは、夕張市の破綻のあおりでママが看護
婦として働いていた希望が丘病院の縮小とかで病院をやめざ
るを得なくなって広島の親戚を頼って、松葉杖のまま家族で
引っ越して行った。
僕と秀人とは、どうしてもそのヨッチンの仇を討ちたかった。
だから車通りの少ない夕方を狙ってシューパロのダムまで自
転車で行き、草むらにその自転車を隠して僕らは、できるだ
け目立たないように林道を通って湖を北へ進んだのだった。
「ああ。見えて来た。」
僕らは、湖の道から林道へ五分も歩いただろうか。秀人が興
奮して指差す先を振り向くと、森が開けて茶色の煙突のある
屋根がはっきりと夕靄の中に覗けた。
今度はゆっくり僕らは歩き出す。するとすぐにモチノキやミ
ズナラに埋もれた高い鉄柵が両側に延々と広がって、雑草の
生い茂る行き止まりになった。
その僕の身長の三倍はある高い鉄柵に囲まれた先にヤマモト
洋館はあり、正面の立ち入り禁止の札のかかった門の上から
微かに黒味がかった茶色の屋根が教頭先生の禿げ頭の所々疲
れた髪の毛が生えているように草が斑に生えて風に揺らいで
いるのが見えた。
その閉ざされた鉄門を右へ沿っていくと、ヨッチンが言って
いた通り過去に何人もの挑戦者がこじ開けた幽霊屋敷への入
口となる鉄柵の一箇所外れたところがあり、ぼくら子供が一
人やっと通れる程度の穴があった。
僕らは、そこから顔を突っ込んで敷地の中を覗いた。市民プ
ールぐらいの草だらけの広場が目の前に広がっていて、その
奥に森の魔術に絡み取られた幽霊屋敷はあった。
それは、全体を蔦に覆われて窓という窓、扉という扉を長板
でバッテン印に釘打ちされた三階建ての要塞のような建物だ
ったけれど所々アーチ型の窓のステンドグラスが割られてイ
タチやエゾリスが出入りした形跡があった。
秀人と僕は、肩を寄せ合って夕闇の幽霊屋敷の前に立った。
僕は、まず家から持ってきたコンパクトデジカメで写真を
撮った。
フラッシュを焚いてみたが全体は薄暗くしか写せなかった。
メールでヨッチンに知らせるにはどうしても証拠写真がほ
しかった。
もう一度玄関ポーチに近寄ってシャッターを切った。
うおおっと秀人がデジカメの液晶画面を覗き込んで感心し
た声をあげた。
立ち入り禁止の看板と山元源一郎の表札のかかったポーチ
の柱と茶色のレンガの煙突がひとつの画面にピタっと入っ
ていた。
ヨッシ!
思わずガッツポーズをとって大きな声を僕が出したら、
秀人が、もういいんじゃないの。ここまで来て写真も撮っ
たから。帰ろうって。真っ暗になる。もう。
と早口に言うと一歩二歩と後ずさった。
「ダメダメ。ここまでせっかく来たんしょ。」
僕は、秀人の手をとってポーチの靴摺り台へ上った。
玄関に打たれたバッテン板は、何人も出入りしたために
Vの字に開いて扉の両サイドに立てかけてあった。
僕は、神主が榊をふるみたいにサーチライトを二三度振
った。
すると接触がよくなったのか明かりの強さが復活した。
それから僕は、ドアノブを握り締めてゆっくりと扉を開
いた。真っ暗な中から冷たい風が吹いてきた。
ぽっぽ通信のハト爺さんが雨をぬって
やって来たと思ったら、
嫌なニュースで申し訳ないと
雨なのか汗なのか涙なのか
ハンケチを顔に当ててしずくを拭いたよ。
処分される犬猫の統計じゃよと紙を見せたんだ。
保健所に持ち込む理由の32%が飼えなくなったから。
そして近所からの苦情と転居と病気とつづくんじゃ。
これは、どう見ればいいんだろ?
犬に関しては、繁殖施設の多いとこ?
それとも風土?
福岡は、確か悪質なブリーダーが倒産して
犬を数十頭餓死させたニュースが最近あったという
から一位なのかな。
明太子のめんちゃんとしては、つらいです。
地球生物会議レポート
やって来たと思ったら、
嫌なニュースで申し訳ないと
雨なのか汗なのか涙なのか
ハンケチを顔に当ててしずくを拭いたよ。
処分される犬猫の統計じゃよと紙を見せたんだ。
保健所に持ち込む理由の32%が飼えなくなったから。
そして近所からの苦情と転居と病気とつづくんじゃ。
これは、どう見ればいいんだろ?
犬に関しては、繁殖施設の多いとこ?
それとも風土?
福岡は、確か悪質なブリーダーが倒産して
犬を数十頭餓死させたニュースが最近あったという
から一位なのかな。
明太子のめんちゃんとしては、つらいです。
地球生物会議レポート
「色彩の旅人」と評されるイラストレーター・わたせせい
ぞう氏が、コミックを描き始めて今年で35周年を迎えます。
これを記念して、彼のコミックの原点とも言える「ハート
カクテル」の初出品を含む原画・原稿を中心に、独特の都
会的センスと色彩豊かなタッチから生まれたイラスト作品
を紹介しています。
わたせ氏と言えば、絵の舞台は都会の洒落たバーやカフェと
言った具合に洋風でバタ臭いイメージがありますが、最近
では鎌倉を舞台にした「菜」や京都を舞台にした「ハナドキ
ロード」など、和の世界も巧みに描いています。
桜や梅など季節の花々を配した奥行きのある画面構成が、
まるで広重の浮世絵のように緻密で美しく、和の情緒に溢
れているのです。
都会的で洗練された「洋」のわたせ氏と、伝統美の趣を感
じる「和」のわたせ氏・・・今回は両方のテイストを楽し
める展覧会になっています。
3月2日まで東京駅大丸ミュージアムにて開催されています。
そして、もうひとつ。
世田谷区成城の閑静な住宅街の一角に、APPLE FARMと名付け
られたわたせせいぞう氏のオフィス兼ギャラリーがあります。
外観は全く普通の二階建て一軒家で、来館者はお宅にお邪魔
するかのように玄関から靴を脱いで入ります。
一階部分がギャラリーになっていて、スペースは決して広く
ありませんが、その時々のテーマに沿って展示された原画を
無料で見ることが出来ます。また、わたせ氏の画集やDVD、
カレンダー、ポストカードなどグッズが豊富に揃っているので、
お買い物も楽しめます。
3月13日までは「Sweet&Bitter」と題して、ホワイトデーから
バレンタインまでの物語を描いた「TWO ON THE ROAD」
のポスターなどが展示されています。入館無料なので、
お気軽に訪ねてみては如何でしょうか。
ぞう氏が、コミックを描き始めて今年で35周年を迎えます。
これを記念して、彼のコミックの原点とも言える「ハート
カクテル」の初出品を含む原画・原稿を中心に、独特の都
会的センスと色彩豊かなタッチから生まれたイラスト作品
を紹介しています。
わたせ氏と言えば、絵の舞台は都会の洒落たバーやカフェと
言った具合に洋風でバタ臭いイメージがありますが、最近
では鎌倉を舞台にした「菜」や京都を舞台にした「ハナドキ
ロード」など、和の世界も巧みに描いています。
桜や梅など季節の花々を配した奥行きのある画面構成が、
まるで広重の浮世絵のように緻密で美しく、和の情緒に溢
れているのです。
都会的で洗練された「洋」のわたせ氏と、伝統美の趣を感
じる「和」のわたせ氏・・・今回は両方のテイストを楽し
める展覧会になっています。
3月2日まで東京駅大丸ミュージアムにて開催されています。
そして、もうひとつ。
世田谷区成城の閑静な住宅街の一角に、APPLE FARMと名付け
られたわたせせいぞう氏のオフィス兼ギャラリーがあります。
外観は全く普通の二階建て一軒家で、来館者はお宅にお邪魔
するかのように玄関から靴を脱いで入ります。
一階部分がギャラリーになっていて、スペースは決して広く
ありませんが、その時々のテーマに沿って展示された原画を
無料で見ることが出来ます。また、わたせ氏の画集やDVD、
カレンダー、ポストカードなどグッズが豊富に揃っているので、
お買い物も楽しめます。
3月13日までは「Sweet&Bitter」と題して、ホワイトデーから
バレンタインまでの物語を描いた「TWO ON THE ROAD」
のポスターなどが展示されています。入館無料なので、
お気軽に訪ねてみては如何でしょうか。
想像してごらん。
悲しい時寄り添ったり
嬉しい時いっしょに飛び跳ねてくれて
想像してごらん。
毛むくじゃらで
目が合うとしっぽをフリフリして
いつもキスしてくれる人を
(お笑い2人組・Peaceのネタ)
いえ。人じゃありません。
ペットです!
悲しい時寄り添ったり
嬉しい時いっしょに飛び跳ねてくれて
想像してごらん。
毛むくじゃらで
目が合うとしっぽをフリフリして
いつもキスしてくれる人を
(お笑い2人組・Peaceのネタ)
いえ。人じゃありません。
ペットです!
さすらい 作者大隅 充
今日から新しい金曜連載がはじまります。
誰でもこどもの頃に出会った出来事は、
その後の人生に何某らの影響を与えられ
るものです。
大隅さんの今度の短編連作は、出会いと
別れがテーマだそうです。
新しいこの旅の最後までどうぞお付合い
いただけたらと思います。
幽霊屋敷
1
夕暮れは、いつも静かだ。特にこの道央での、
夏が終わった後の短い紅葉の秋は、まるで深い
海底の沈没船のように無口で誰も寄せ付けない
みたいにしーんとしている。
夕張岳の山から風に飛ばされてきたヤツデやカ
エデの枯れた葉っぱが細長い湖の水面に一つぽ
とりと落ちただけでもエゾリスがパッと振り返
るほど、夕焼けのシューパロ湖のある森は、静
かなんだ。
そしてあの錆び付いてずっと昔に廃線になった
三弦橋の鉄橋も湖の真ん中でひっそりとつっ立
って風に唸ることもなく静かで、鹿島小学校跡
の石碑みたいに雨ざらしで苔むしてひとりっぽ
ちでやっぱり沈没船みたいなかなしい顔をして
いる。
そんな動かない絵本の挿絵のような静かな夕
方に小学五年生の僕らは、シューパロ湖の奥の
アカマツやダテカンバの森を急いでいた。
夕焼けは、この森の中では見る見るうちに夕闇
へ変わっていた。
「駿ちゃん。止まるなって。危ないっしょ。」
横山秀人が電池のパワーがなくて点きの悪いサ
ーチライトを振りながら歩いている僕の背中を
押して叫んだ。
「ヒデちゃん何、ビビッてんの。」
「何あんもビビってなんかないって・・・」
明らかに秀人の声は、上擦って空き缶の中のど
んぐりみたいにカランカランと響いてこの危険
なミッションから早く逃げて帰りたいみたいに
聞こえた。
もしここにヨっチンこと中山義春がいたら、大
声で笑って、「てめい、チビってんじゃねえよ
ぉ。」なんて意地悪にはやしたてていただろう。
いつも五年一組での昼休みのワールドカップ・
タイマンゴールキック遊びでも、キーパーにな
った秀人が順番にゴールキックするぼくらのボ
ールを怖がって逃げたりすると泣いてる泣いて
るとヨッチンはわざと六年生の教室に聞こえる
ように叫んで僕や秀人を冷や冷やさせる。
その6年生の二階の教室には、去年夕張収穫祭
でミス・メロンジュニアに選ばれた、眩しい眩
しい深田あかりさんがいるから、余計に秀人は
緊張してマッチ棒みたいに赤くなったんだ。
実は僕も秀人と同じくらい深田さんがクラクラ
するくらい密かに好きだったので、もし彼女が
窓からあの細い顔でグランドの僕らを覗いたら
と思うと耳の裏が熱くなって胸がドキドキして
なんだか股がムズムズする。
このことは、夏休みのサマーキャンプで深田あ
かりさんに愛の告白して生まれて初めてフラれ
た秀人には内緒だけれど、どうもいつも彼女の
ことをケナすヨッチンも本当のところは好きな
んじゃないかとぼくは疑っている。
だって冷水山のキャンプからの帰りのバスで泣
いている秀人を五年男子のみんなで慰めていた
んだけれど、なんとなくヨッチンもみんなも眼
が本気に秀人のことを思ってなかったのを僕は、
見逃さなかった。
たぶん清水沢小の誰もが深田あかりさんのこと
が好きだったと今でも僕は確信している。
「本当に行くの?」
今度は秀人が僕の半ズボンの腰に絞めている表
面の皮がボロボロと剥がれかけた革ベルトを掴
んで立ち止まった。
僕たちの頭上でアカマツの枝たちが空を隠して、
陽も落ちはじめたために秀人の顔が見えにくく
なっている。
「ヨッチンが怪我して脱落した以上僕らが確か
めるしかないっしょ。」
秀人は、口を三角に尖らしてムッと黙った。
僕らは、このシューパロ湖の森にある、僕らが
生まれる前から有刺鉄線で張りめぐらされ何年
も廃墟になった立ち入り禁止の洋館に本当にオ
バケがいるか探検に来たのだった。
ぼくらは、そこを幽霊屋敷と呼んだ。
今日から新しい金曜連載がはじまります。
誰でもこどもの頃に出会った出来事は、
その後の人生に何某らの影響を与えられ
るものです。
大隅さんの今度の短編連作は、出会いと
別れがテーマだそうです。
新しいこの旅の最後までどうぞお付合い
いただけたらと思います。
幽霊屋敷
1
夕暮れは、いつも静かだ。特にこの道央での、
夏が終わった後の短い紅葉の秋は、まるで深い
海底の沈没船のように無口で誰も寄せ付けない
みたいにしーんとしている。
夕張岳の山から風に飛ばされてきたヤツデやカ
エデの枯れた葉っぱが細長い湖の水面に一つぽ
とりと落ちただけでもエゾリスがパッと振り返
るほど、夕焼けのシューパロ湖のある森は、静
かなんだ。
そしてあの錆び付いてずっと昔に廃線になった
三弦橋の鉄橋も湖の真ん中でひっそりとつっ立
って風に唸ることもなく静かで、鹿島小学校跡
の石碑みたいに雨ざらしで苔むしてひとりっぽ
ちでやっぱり沈没船みたいなかなしい顔をして
いる。
そんな動かない絵本の挿絵のような静かな夕
方に小学五年生の僕らは、シューパロ湖の奥の
アカマツやダテカンバの森を急いでいた。
夕焼けは、この森の中では見る見るうちに夕闇
へ変わっていた。
「駿ちゃん。止まるなって。危ないっしょ。」
横山秀人が電池のパワーがなくて点きの悪いサ
ーチライトを振りながら歩いている僕の背中を
押して叫んだ。
「ヒデちゃん何、ビビッてんの。」
「何あんもビビってなんかないって・・・」
明らかに秀人の声は、上擦って空き缶の中のど
んぐりみたいにカランカランと響いてこの危険
なミッションから早く逃げて帰りたいみたいに
聞こえた。
もしここにヨっチンこと中山義春がいたら、大
声で笑って、「てめい、チビってんじゃねえよ
ぉ。」なんて意地悪にはやしたてていただろう。
いつも五年一組での昼休みのワールドカップ・
タイマンゴールキック遊びでも、キーパーにな
った秀人が順番にゴールキックするぼくらのボ
ールを怖がって逃げたりすると泣いてる泣いて
るとヨッチンはわざと六年生の教室に聞こえる
ように叫んで僕や秀人を冷や冷やさせる。
その6年生の二階の教室には、去年夕張収穫祭
でミス・メロンジュニアに選ばれた、眩しい眩
しい深田あかりさんがいるから、余計に秀人は
緊張してマッチ棒みたいに赤くなったんだ。
実は僕も秀人と同じくらい深田さんがクラクラ
するくらい密かに好きだったので、もし彼女が
窓からあの細い顔でグランドの僕らを覗いたら
と思うと耳の裏が熱くなって胸がドキドキして
なんだか股がムズムズする。
このことは、夏休みのサマーキャンプで深田あ
かりさんに愛の告白して生まれて初めてフラれ
た秀人には内緒だけれど、どうもいつも彼女の
ことをケナすヨッチンも本当のところは好きな
んじゃないかとぼくは疑っている。
だって冷水山のキャンプからの帰りのバスで泣
いている秀人を五年男子のみんなで慰めていた
んだけれど、なんとなくヨッチンもみんなも眼
が本気に秀人のことを思ってなかったのを僕は、
見逃さなかった。
たぶん清水沢小の誰もが深田あかりさんのこと
が好きだったと今でも僕は確信している。
「本当に行くの?」
今度は秀人が僕の半ズボンの腰に絞めている表
面の皮がボロボロと剥がれかけた革ベルトを掴
んで立ち止まった。
僕たちの頭上でアカマツの枝たちが空を隠して、
陽も落ちはじめたために秀人の顔が見えにくく
なっている。
「ヨッチンが怪我して脱落した以上僕らが確か
めるしかないっしょ。」
秀人は、口を三角に尖らしてムッと黙った。
僕らは、このシューパロ湖の森にある、僕らが
生まれる前から有刺鉄線で張りめぐらされ何年
も廃墟になった立ち入り禁止の洋館に本当にオ
バケがいるか探検に来たのだった。
ぼくらは、そこを幽霊屋敷と呼んだ。
川崎市の生田緑地の山一つに民家園が点在する一番奥の
登りつめた頂上に岡本太郎美術館は、ある。
常設展のスペースでは、岡本太郎の「傷ましき腕」から
はじまる死ぬまでの作品のエポックが展示されています。
この美術館のつくりの面白さは、いたずらが好きだった
氏だけあって、すき間のようなスペースにも作品があり、
照明さえあえて当てていないものがある。
常識のペースで閲覧していると、つい騙され見落として
しまいがちです。
また企画展では、
第12回岡本太郎現代芸術賞展が催されています。
若木くるみさん(23才)のお札をモチーフにした作品が
TARO賞に選ばれました。
福澤諭吉の後姿がお札を裏がしても見えないという
のに疑問に思い、くるみさんが後ろ姿でお札に入って
後頭に顔をお客さんに描いてもらうパフォーマンスを
していました。
他にもビデオアートの佐藤雅晴さん(35才)のアバター11
(特別賞)等が印象的でした。
最後にこの美術館のロケーションが民家園の公園の杜と
一緒になって散歩コースとしてもなかなかいいものでした。
登りつめた頂上に岡本太郎美術館は、ある。
常設展のスペースでは、岡本太郎の「傷ましき腕」から
はじまる死ぬまでの作品のエポックが展示されています。
この美術館のつくりの面白さは、いたずらが好きだった
氏だけあって、すき間のようなスペースにも作品があり、
照明さえあえて当てていないものがある。
常識のペースで閲覧していると、つい騙され見落として
しまいがちです。
また企画展では、
第12回岡本太郎現代芸術賞展が催されています。
若木くるみさん(23才)のお札をモチーフにした作品が
TARO賞に選ばれました。
福澤諭吉の後姿がお札を裏がしても見えないという
のに疑問に思い、くるみさんが後ろ姿でお札に入って
後頭に顔をお客さんに描いてもらうパフォーマンスを
していました。
他にもビデオアートの佐藤雅晴さん(35才)のアバター11
(特別賞)等が印象的でした。
最後にこの美術館のロケーションが民家園の公園の杜と
一緒になって散歩コースとしてもなかなかいいものでした。