大昔。山と山の間で
ぼくたちの通信手段は、遠吠えだった。
仲間を呼ぶ合図。
危険を知らせる合図。
縄張りを主張する合図。
救急車のサイレンには、そんな昔を思いを
おこさせてしまうんだ。
ついつい、反応してしまうぼくでした。
ぼくたちの通信手段は、遠吠えだった。
仲間を呼ぶ合図。
危険を知らせる合図。
縄張りを主張する合図。
救急車のサイレンには、そんな昔を思いを
おこさせてしまうんだ。
ついつい、反応してしまうぼくでした。
リサとガスパール&ペネロペの絵本原画展が
、現在松屋で開催中。
その会場内で販売されているのがリサとガス
パールの顔型パンで、リサはカスタードクリ
ーム、ガスパールはチョコレートクリームが
それぞれ中に入っていて美味しい☆
ちょっとお値段高めですが、大ぶりで食べ応
えのあるパンになっています。
原画展は3月29日まで松屋銀座で開催されて
います。

、現在松屋で開催中。
その会場内で販売されているのがリサとガス
パールの顔型パンで、リサはカスタードクリ
ーム、ガスパールはチョコレートクリームが
それぞれ中に入っていて美味しい☆
ちょっとお値段高めですが、大ぶりで食べ応
えのあるパンになっています。
原画展は3月29日まで松屋銀座で開催されて
います。


若葉のころ 作者大隅 充
9
若葉のころ。私がトモミやオマツと親しくなった
のは、吹奏楽部でやっとクラリネットでちゃんとし
た音が出せるようになった16才の五月。正に校庭
の桜の木に若葉の鮮やかなグリーンの葉が咲き出る
頃だった。私たちは高校二年生だった。
私たちの学校は、元女子高で男女共学になって十
年と経っていなかった。だから一学年に三クラスあ
っても女子の数の方が多く男子は三分の一ほどだっ
た。
だから押並べて同級生の男子は、どちらかと言う
と頼りなく、サッカー部もバスケット部も県大会じ
ゃビリに等しくクラスでも女子の発言権の方がいつ
も勝っていて、生徒会の運営でも、女子の多い吹奏
楽部や合唱部が持て囃されて開会や閉会のプログラ
ムにミニコンサートが組み込まれていた。
そのいつも先頭にいたのが成清先生だった。
成清先生は担当の英語の授業では、ノーネクタイ
の長い喉から発する声がソプラノのように高く、ど
ことなく身のこなしが女性っぽく優しい先生だった
のに、いざ吹奏楽部の練習になると五分刈りの頭で
指揮しながら楽団の誰かが音を外すとチョークを投
げつけて鬼のように怒った。女子には手を上げなか
ったが男子のトランペットやドラムには三度音を外
すとビンタが飛んだ。その度に20名の演奏者はピ
ーンと緊張の糸でマリオネットのように吊るされた。
私たちは、陰でナリキヨ先生のことをジキルとハイ
ド氏と囁き合っていた。
しかし先生は、練習以外ではどこまでも私たちの
くだらない話に乗ってくれて、時として岩木山を望
む図書館のある丘陵の芝生で夏休みなど真昼から日
が落ちるまで先生を囲んで生徒の進路や恋愛や自身
の外国放浪の話などで盛り上がり帰宅が遅くなって
親に心配されたこともあった。
トミーもオマツも、私たちの誰もがあのとき感じ
た、みんなで見上げたあの青空の死ぬほど高く透明
な途方のなさを同じように心の奥の宝箱にしっかり
と仕舞っている。
今考えるとあの当時先生は三十代前半。現在の私
たちより若かった。私たちにとって先生は大人では
なく、お兄さんだった。それも年の近い親戚の音楽
の才能に秀でた頼れるお兄ちゃんだった。そしてそ
の感覚はずっと卒業しても変わらなかった。
特に私にとっては、高校一年の秋からこの吹奏楽
部に入るまで陸奥鶴田から中学三年のときに弘前の
中学に転校して、西高に入ったので友達も少なく、
岩木山ばかり眺めて通学していた。それがあの、退
屈でひとりぽっちの長い夏休みが終わって二学期登
校した日。始業式の会で吹奏楽部が県大会に優勝し
たということで全生徒の前で演奏したのを見た時、
指揮をしている成清先生の細長い指に魅せられてそ
の日のうちに入部してしまった。
先生は、何か楽器を演奏したことがあるのかと、
いつも中学生と間違えられるくらい背が低かった童
顔の私に聞いた。
私は、咄嗟にありませんと答えて、か細い声で小学
校のときに鼓笛隊で縦笛を吹いたことがありますと
付け加えた。
すると成清先生は、怖い顔で私の赤い頬ッペタを
摘んで「立派です」と一つ一つはっきりと発音して
明日から練習に来るようにと承諾してくれた。
入部して後でわかったのだけれどオマツにしろト
ミーにしろ、部員のほとんどが幼稚園からピアノだ
バイオリンだと習事の修練をやってきた人たちばか
りだった。だからトミーとクラリネットで並んで演
奏しても必ず音を外すのは、私だった。
女子の中ではよく怒られたけど、音を出せること
に必死だった幼い高一の私は、ただただ懸命に一人
でテラスで練習をさせられて少しも辛いとかやめた
いとか思う気持ちは起きなかった。みんなと外れて
一人で練習しているところへ、珠に先生がやって来
てさっきあんなにみんなの前で怒っていたのにニコ
ニコして指の当て方ブレスの吐き方を丁寧に教えて
くれた。
むしろ和気藹々と夜の音楽準備室で何回も繰り返
して正確な音が出るまで指導してくれた。それは、
弘前の町に母と二人きりで生活して初めて味わう幸
せな時間だった。
きっと私は、ナリキヨ先生に兄と同時に父親も重ね
合わせていたんだと今にして思う。
誰でも一度は青春という時代を通る。しかし青春
が明るく美しく見えるのは、後になってからで当事
者は、結構厄介で面倒くさいものであることの方が
多い。でもその痛さや億劫さは、虫歯を抜くように
痛みを過ぎてしまうと忘れてしまうものだ。
9
若葉のころ。私がトモミやオマツと親しくなった
のは、吹奏楽部でやっとクラリネットでちゃんとし
た音が出せるようになった16才の五月。正に校庭
の桜の木に若葉の鮮やかなグリーンの葉が咲き出る
頃だった。私たちは高校二年生だった。
私たちの学校は、元女子高で男女共学になって十
年と経っていなかった。だから一学年に三クラスあ
っても女子の数の方が多く男子は三分の一ほどだっ
た。
だから押並べて同級生の男子は、どちらかと言う
と頼りなく、サッカー部もバスケット部も県大会じ
ゃビリに等しくクラスでも女子の発言権の方がいつ
も勝っていて、生徒会の運営でも、女子の多い吹奏
楽部や合唱部が持て囃されて開会や閉会のプログラ
ムにミニコンサートが組み込まれていた。
そのいつも先頭にいたのが成清先生だった。
成清先生は担当の英語の授業では、ノーネクタイ
の長い喉から発する声がソプラノのように高く、ど
ことなく身のこなしが女性っぽく優しい先生だった
のに、いざ吹奏楽部の練習になると五分刈りの頭で
指揮しながら楽団の誰かが音を外すとチョークを投
げつけて鬼のように怒った。女子には手を上げなか
ったが男子のトランペットやドラムには三度音を外
すとビンタが飛んだ。その度に20名の演奏者はピ
ーンと緊張の糸でマリオネットのように吊るされた。
私たちは、陰でナリキヨ先生のことをジキルとハイ
ド氏と囁き合っていた。
しかし先生は、練習以外ではどこまでも私たちの
くだらない話に乗ってくれて、時として岩木山を望
む図書館のある丘陵の芝生で夏休みなど真昼から日
が落ちるまで先生を囲んで生徒の進路や恋愛や自身
の外国放浪の話などで盛り上がり帰宅が遅くなって
親に心配されたこともあった。
トミーもオマツも、私たちの誰もがあのとき感じ
た、みんなで見上げたあの青空の死ぬほど高く透明
な途方のなさを同じように心の奥の宝箱にしっかり
と仕舞っている。
今考えるとあの当時先生は三十代前半。現在の私
たちより若かった。私たちにとって先生は大人では
なく、お兄さんだった。それも年の近い親戚の音楽
の才能に秀でた頼れるお兄ちゃんだった。そしてそ
の感覚はずっと卒業しても変わらなかった。
特に私にとっては、高校一年の秋からこの吹奏楽
部に入るまで陸奥鶴田から中学三年のときに弘前の
中学に転校して、西高に入ったので友達も少なく、
岩木山ばかり眺めて通学していた。それがあの、退
屈でひとりぽっちの長い夏休みが終わって二学期登
校した日。始業式の会で吹奏楽部が県大会に優勝し
たということで全生徒の前で演奏したのを見た時、
指揮をしている成清先生の細長い指に魅せられてそ
の日のうちに入部してしまった。
先生は、何か楽器を演奏したことがあるのかと、
いつも中学生と間違えられるくらい背が低かった童
顔の私に聞いた。
私は、咄嗟にありませんと答えて、か細い声で小学
校のときに鼓笛隊で縦笛を吹いたことがありますと
付け加えた。
すると成清先生は、怖い顔で私の赤い頬ッペタを
摘んで「立派です」と一つ一つはっきりと発音して
明日から練習に来るようにと承諾してくれた。
入部して後でわかったのだけれどオマツにしろト
ミーにしろ、部員のほとんどが幼稚園からピアノだ
バイオリンだと習事の修練をやってきた人たちばか
りだった。だからトミーとクラリネットで並んで演
奏しても必ず音を外すのは、私だった。
女子の中ではよく怒られたけど、音を出せること
に必死だった幼い高一の私は、ただただ懸命に一人
でテラスで練習をさせられて少しも辛いとかやめた
いとか思う気持ちは起きなかった。みんなと外れて
一人で練習しているところへ、珠に先生がやって来
てさっきあんなにみんなの前で怒っていたのにニコ
ニコして指の当て方ブレスの吐き方を丁寧に教えて
くれた。
むしろ和気藹々と夜の音楽準備室で何回も繰り返
して正確な音が出るまで指導してくれた。それは、
弘前の町に母と二人きりで生活して初めて味わう幸
せな時間だった。
きっと私は、ナリキヨ先生に兄と同時に父親も重ね
合わせていたんだと今にして思う。
誰でも一度は青春という時代を通る。しかし青春
が明るく美しく見えるのは、後になってからで当事
者は、結構厄介で面倒くさいものであることの方が
多い。でもその痛さや億劫さは、虫歯を抜くように
痛みを過ぎてしまうと忘れてしまうものだ。
晴れたと思ったら雨。
雨で花冷えか思ったら春雨。
本当は広い森の中を走り回りたい。
でも雨嫌いとしては、
ソボソボと歩くしかないよ。
でも昨日は暖かい春雨でよかった。

春雨は、咲いた桜を冷めさせて
しっかりと開花するために
身を引き締めて、
四月の春へ醒めさせるよ。
水ってえらいなあー。
雨で花冷えか思ったら春雨。
本当は広い森の中を走り回りたい。
でも雨嫌いとしては、
ソボソボと歩くしかないよ。
でも昨日は暖かい春雨でよかった。

春雨は、咲いた桜を冷めさせて
しっかりと開花するために
身を引き締めて、
四月の春へ醒めさせるよ。
水ってえらいなあー。
桜の開花宣言もあり
もうすっかり春らしくなったよ。
昨日の緑道の小川もキラキラ。

さてさて、もう春。
みんなキラキラ、活動する季節。
ぼくも、ポップ・ステップ・ジャンプ!
ポクポクと歩くよ。
あそこも行きたい、いろんな出会いもしたい・・・
だってやりたいこといっぱいあるんだもの。
元旦の日に決めたことが・・・
もうすっかり春らしくなったよ。
昨日の緑道の小川もキラキラ。

さてさて、もう春。
みんなキラキラ、活動する季節。
ぼくも、ポップ・ステップ・ジャンプ!
ポクポクと歩くよ。
あそこも行きたい、いろんな出会いもしたい・・・
だってやりたいこといっぱいあるんだもの。
元旦の日に決めたことが・・・

多摩川沿いの高級な病院にて。
いや、本当に二度と行きたくないよ。
朝から夕方まで麻酔かけられてMRI検査。
もう死ぬかと思ったよ。

とある疑いをぼく、かけられて
あらゆる検査をさせられたんだ。
一般検診でただ一つひっかかったのが
中性脂肪がLだったこと。
若い先生、低い声でここだけが基準値より低いです。
つまり筋肉質すぎて油分がちょっと少ないということです。
他はすべて理想的に健康そのもの。
(カメラおじさんは中性脂肪過多で困ってるというのに)

で次に脳のMRIは異常なしで疑いが晴れたよ。
(チワワに多い水頭症じゃなくて、軽いてんかんだって~)
ふうっ。よかった。
やっぱり外がいい。
世界って美しい。
生きててよかった。
いや、本当に二度と行きたくないよ。
朝から夕方まで麻酔かけられてMRI検査。
もう死ぬかと思ったよ。

とある疑いをぼく、かけられて
あらゆる検査をさせられたんだ。
一般検診でただ一つひっかかったのが
中性脂肪がLだったこと。
若い先生、低い声でここだけが基準値より低いです。
つまり筋肉質すぎて油分がちょっと少ないということです。
他はすべて理想的に健康そのもの。
(カメラおじさんは中性脂肪過多で困ってるというのに)

で次に脳のMRIは異常なしで疑いが晴れたよ。
(チワワに多い水頭症じゃなくて、軽いてんかんだって~)
ふうっ。よかった。
やっぱり外がいい。
世界って美しい。
生きててよかった。
行くひと、行くひとみんな
桜を見上げてニコニコ。
ケイタイでパシャパシャ写真撮ってるよ。
日本中のケイタイで花写真だけとりあげたら
桜が一番多いと思うよ。

実は、
ぼくも、にんげんじゃないんだけど
桜が好きだな。
あの、アデヤカで単純なとこ、
いいよね。
桜を見上げてニコニコ。
ケイタイでパシャパシャ写真撮ってるよ。
日本中のケイタイで花写真だけとりあげたら
桜が一番多いと思うよ。

実は、
ぼくも、にんげんじゃないんだけど
桜が好きだな。
あの、アデヤカで単純なとこ、
いいよね。
若葉のころ 作者大隅 充
8
「トミーよりアドレス聞いたぞ。恋多き乙女だって?
マジメがセーラー服着ていたすみれがねえ・・ところ
で成清先生、かなり悪いみたい。この週末、弘前へ行
ってみない?」
またまたトミーの奴、すぐにデマ飛ばすんだから・
・・慌ててオマツにメールを返す。
「とんでもない離婚して有閑マダムやってるトミーと
一緒にしないで。こちらは地道にパートで働いていま
す。オマツこそ弘前で何してるの。」
「子供二人に振り回されている主婦に決まってるでし
ょ。近所の設計事務所で私もパート。それよりどうす
るの?成清先生のお見舞い。お城の西堀沿いにある弘
前がんセンター。知ってるでしょ。今なら会えるらし
いの。来週から頭の放射線治療に入るとその先はどう
なるかわからないって先生の奥さんから言われたの。
行こうよ。」
「わかった。土曜代理を頼んでみるわ。できたら金曜
の夜弘前に帰りたいな。」
「金曜いいね。島津君のスナック予約しとくわ。トミ
ーは私から連絡しとく。」
ここでメールは終わったが最後のオマツからのメー
ルには小学生の息子の頬にキスしているふっくらした
中年の女の写真が添付されていた。あの高校生の時宝
塚に憧れてバレーを習っていたスレンダーな松本早苗
の面影は粗い画素の写真では想像すらできない。
まだマリエントでのレジの〆作業でメールでしか会
話できなかったけど、帰り八戸港によってフィットを
埠頭に停めて夕日に映えた春の海を見ながら、今度は
声を聞きたいくてオマツのケイタイの番号を聞こうと
メールを送ってみる。
しかし仕事か家庭の用事か返事はいつまで待っても
返って来ない。仕方ないのでとりあえずトモミへ電話
したら、金曜日の夕方弘前でもう合流することになっ
ていた。
「知ってる? 島津君ってまだ結婚してないんだって。
あのバスケ部のキャプテンで下級生のアイドルだった
スターが・・」
トモミは、含みのある笑いを噛み殺してつづける。
「それがねえ、もうすっかりハゲてるの。」
「ハゲてるって頭が・・・」
「そう。オデコからずるりと・・。私、ちょっと期待
してたんだけどがっかりよ。」
「何を期待するの・・・」
「まあ、いいじゃない。私は立派な独身者なんだから」
「はい。はい。トミーこそ恋多き女よね。間違いなくー」
トモミはオマツに私のことを勝手なウワサをしたこ
とがもうバレたか、まあまあ、冗談だから。堅ブツの
すみれがそんなわけないだろ、とケラケラいつまでも
笑う。
トモミの背後で音楽がかかっていて、笑い声が止む
とその音楽がウィリー・ネルソンのカントリー曲だと
わかる。どこかで聞いた覚えがあるなあとぼんやり思
っていたら、ふと海岸に面して建っていたログハウス
の「テキサス」の映像が浮かんでくる。
昨日「テキサス」でかかっていたBGMだと気づい
た。トミーは今日もあの店に行ってバンダナの店員に
抱かれているのだろうか。
「すみれ。すみれー。どうしたの?黙って。怒ったの。
オマツに言った冗談ぐらいで。」
「・・・う、ううん。」
「金曜日は他に吹奏楽部の男子も集まるらしいから。
プチ同窓会ね。」
「うーん。それよりわたし、ナリキヨ先生のこと心配
だわ。」
「肺がんで頭に転移するって末期も末期でしょ。私た
ちのこと、わかるかしら。」
トモミの後ろで舌打ちの音が微かに聞こえる。
「・・・ナリキヨ。いい先生だったね。」
トモミは、背後の相手に何か信号を送ってから急にし
んみりとした声で私の電話に戻ってくる。
「本当にいい先生だった。」
「厳しかったけど、よく世界無賃旅行の話なんかして
夢のある先生だった。」
「よく怒られた。すみれは、特にね。」
「私はトロかったから・・・」
私は、成清先生の若い五分刈りのハンカチでいつも汗
を拭く顔を思い出していた。
また電話の向こうで舌打ちの音がする。今度は少し
遠くから発せられたようだ。そしてそれは明らかに男
の口から出たものだった。
「あの、もうそろそろスーパーで夕食の材料買わない
といけないんで・・・」
と私が言うとああ、ごめんごめんとトモミは素直に謝
って早口に用件を言う。
「じゃ、金曜日の六時。西高の門の前で。」
「正門ね。わかった。じゃー」
電話はウィリー・ネルソンの裏声と共に切れた。
8
「トミーよりアドレス聞いたぞ。恋多き乙女だって?
マジメがセーラー服着ていたすみれがねえ・・ところ
で成清先生、かなり悪いみたい。この週末、弘前へ行
ってみない?」
またまたトミーの奴、すぐにデマ飛ばすんだから・
・・慌ててオマツにメールを返す。
「とんでもない離婚して有閑マダムやってるトミーと
一緒にしないで。こちらは地道にパートで働いていま
す。オマツこそ弘前で何してるの。」
「子供二人に振り回されている主婦に決まってるでし
ょ。近所の設計事務所で私もパート。それよりどうす
るの?成清先生のお見舞い。お城の西堀沿いにある弘
前がんセンター。知ってるでしょ。今なら会えるらし
いの。来週から頭の放射線治療に入るとその先はどう
なるかわからないって先生の奥さんから言われたの。
行こうよ。」
「わかった。土曜代理を頼んでみるわ。できたら金曜
の夜弘前に帰りたいな。」
「金曜いいね。島津君のスナック予約しとくわ。トミ
ーは私から連絡しとく。」
ここでメールは終わったが最後のオマツからのメー
ルには小学生の息子の頬にキスしているふっくらした
中年の女の写真が添付されていた。あの高校生の時宝
塚に憧れてバレーを習っていたスレンダーな松本早苗
の面影は粗い画素の写真では想像すらできない。
まだマリエントでのレジの〆作業でメールでしか会
話できなかったけど、帰り八戸港によってフィットを
埠頭に停めて夕日に映えた春の海を見ながら、今度は
声を聞きたいくてオマツのケイタイの番号を聞こうと
メールを送ってみる。
しかし仕事か家庭の用事か返事はいつまで待っても
返って来ない。仕方ないのでとりあえずトモミへ電話
したら、金曜日の夕方弘前でもう合流することになっ
ていた。
「知ってる? 島津君ってまだ結婚してないんだって。
あのバスケ部のキャプテンで下級生のアイドルだった
スターが・・」
トモミは、含みのある笑いを噛み殺してつづける。
「それがねえ、もうすっかりハゲてるの。」
「ハゲてるって頭が・・・」
「そう。オデコからずるりと・・。私、ちょっと期待
してたんだけどがっかりよ。」
「何を期待するの・・・」
「まあ、いいじゃない。私は立派な独身者なんだから」
「はい。はい。トミーこそ恋多き女よね。間違いなくー」
トモミはオマツに私のことを勝手なウワサをしたこ
とがもうバレたか、まあまあ、冗談だから。堅ブツの
すみれがそんなわけないだろ、とケラケラいつまでも
笑う。
トモミの背後で音楽がかかっていて、笑い声が止む
とその音楽がウィリー・ネルソンのカントリー曲だと
わかる。どこかで聞いた覚えがあるなあとぼんやり思
っていたら、ふと海岸に面して建っていたログハウス
の「テキサス」の映像が浮かんでくる。
昨日「テキサス」でかかっていたBGMだと気づい
た。トミーは今日もあの店に行ってバンダナの店員に
抱かれているのだろうか。
「すみれ。すみれー。どうしたの?黙って。怒ったの。
オマツに言った冗談ぐらいで。」
「・・・う、ううん。」
「金曜日は他に吹奏楽部の男子も集まるらしいから。
プチ同窓会ね。」
「うーん。それよりわたし、ナリキヨ先生のこと心配
だわ。」
「肺がんで頭に転移するって末期も末期でしょ。私た
ちのこと、わかるかしら。」
トモミの後ろで舌打ちの音が微かに聞こえる。
「・・・ナリキヨ。いい先生だったね。」
トモミは、背後の相手に何か信号を送ってから急にし
んみりとした声で私の電話に戻ってくる。
「本当にいい先生だった。」
「厳しかったけど、よく世界無賃旅行の話なんかして
夢のある先生だった。」
「よく怒られた。すみれは、特にね。」
「私はトロかったから・・・」
私は、成清先生の若い五分刈りのハンカチでいつも汗
を拭く顔を思い出していた。
また電話の向こうで舌打ちの音がする。今度は少し
遠くから発せられたようだ。そしてそれは明らかに男
の口から出たものだった。
「あの、もうそろそろスーパーで夕食の材料買わない
といけないんで・・・」
と私が言うとああ、ごめんごめんとトモミは素直に謝
って早口に用件を言う。
「じゃ、金曜日の六時。西高の門の前で。」
「正門ね。わかった。じゃー」
電話はウィリー・ネルソンの裏声と共に切れた。