若葉のころ 作者大隅 充
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すぐに私は一階事務所のレストラン部のデスクへ
行く。そして食品管理部の机の上にネットにつなぎ
放しのパソコンでグーグルニュースのポータルサイ
トの東北地域版を探す。トップニュースの三番手に
陸中海岸の被害という見出しがあり、弁天崎の打ち
上げられたポルシェのニュース記事が出ていた。
オマツが言ったことが本当でまだ盛岡市内のその車
の所有者である女性の消息の確認ができていないと
いうところまでわかった。
私はあのバレーボール選手のような背の高い派手
なトミーの快活な笑顔がどうしても頭から離れない
のでトミーが遭難したとはとても思えない。だって
まだポルシェが海岸の岩場で見つかったというだけ
でトミー自身の遺体が見つかったわけではない。
風雨があまりに激しいので車を置いてどこかに避難
しているのではないだろうか。湾岸道路にポルシェ
を乗り捨てて、どこかの旅館か農家へ身を寄せてい
る可能性だってある。あるいは、車を置いて逃げる
途中でなぎ倒された黒松の下敷きになって動けない
のかもしれない。私の中でどう考えてもあのいつも
前向きで生を謳歌しているトミーがそんな易々と大
嵐の中、海へ飛ばされるようなドライブをするだろ
うかと思う。トミーの癖で、口を少し尖らせる微笑
が私の脳裏に焼きついてぐるぐるといつまでも強い
磁場に吸い付けられたように離れない。
そしてさらに四日経って函館と津軽半島、陸中海
岸を襲った暴風雨よりメキシコ地震でもたらされた
津波の被害の方が甚大だったということが判明し、
新聞の陸中海岸での行方不明者は30人を超えてそ
の中にトミーの名前がはっきりと書かれていた。
私は、マリエントの定休日を利用して二日の有給
を貰って三日間自分のために使うことにして、弘前
の成清先生の見舞いに行くことにした。
さっそく計画の第一日目。朝早くからオマツと連
絡して弘前へは夜入ることにして代車のアコードで
初日は盛岡のトミーのマンションを訪ねる。
私が盛岡市内の手前まで来たときトミーのお母さ
んからケイタイに連絡がある。申し訳ないけど急に
体調が悪くなって病院に行くという。当然自分の娘
が一週間も行方不明のままで心労が祟ったのだろう
と想像がつく。私はわかりましたと返事すると白井
海岸のドライブインのあの髭のバンダナ店員の顔が
なぜか浮かんで行ってみようと思い立ち、お母さん
にその店の名前「テキサス」を言ってちょっと何か
知らないか見てきますと途切れ途切れのアンテナ2
本のケイタイの電波で伝えると、ついに電波が途切
れたかと勘違いするほど無音になりお母さんは黙り
込む。
もしもし・・・お母さん・・トミーのおばちゃん・
・・もしもし・・・
長い沈黙があって、もう一度電話を掛けなおそう
と通話ボタンに親指を伸ばしたときトミーのおばち
ゃんは低い声で風船が割れるように吐き捨てた。
あの子の預金が一千万円下ろされてるのよ。あい
つめ。
エエ?何?おばちゃん・・・それどういう・・こ
と・・もしもし・・もしもし・・
電話は切れた。そして掛け直しても二度とおばち
ゃんは出ない。病院へタクシーで行ってしまったの
か。
私は、アコードを久慈経由で野田玉川へ出て白井
海岸の先の黒崎のドライブインまで休まず走らせる。
着いたのはちょうどお昼を少し回っていた。ログ
ハウスの前の駐車場はランチ時なのに車が一台も停
まってない。どうしたのだろうと正面の入り口まで
車を進めて、車を降りてお店のフロントステップを
登る。ドアの前に立って定休日かなと思う。カーテ
ンも閉められて鍵がかかっている。ドアの取っ手の
すぐ上に誰かに激しく破られた張り紙があった。
私は、破れて垂れ下がった紙を右手で押し上げて
張り紙の文字を合わせて読む。
「二三日臨時休業」
まるで小学生が書いたような殴り書きで何時から何
時までとか、理由とか一切なく慌ててとりあえず店
を閉めて立ち去ったという野蛮な匂いがする。
私は仕方なく店のぐるりを回ってログハウスの高
床の下まで覗いてみたが店は完全に死んでいる。何
日店を閉めているのかさえさっぱりわからない。
黒崎のキャンプ場へ行く松林の道にあるこのログ
ハウスが蝉の抜け殻のように映る。これから夏にな
ろうというのにひんやりと冷たい風が吹いてくる。
私は白井海岸へ戻ってコンビニと並んだガソリンス
タンドへ車を入れる。そんなに減ってはいないがガ
ソリンを茶髪の係員に満タンと注文して「テキサス」
のことを聞いてみる。
「ああ。あそこ。嵐の後とり立てが何人も来て、い
くらか払ってみたいだけど次の日から休業。」
「どうしたんですか。」
私が聞き返すと店員はへっと笑って答える。
「逃げた。夜逃げっさ。ウン千万って借金あったつ
うから・・・」