8月8日JR東海が10月末を以て東海道新幹線の車内販売を
終了すると発表された。
すでに終了している「こだま」に加えて「のぞみ」「ひかり」も
終了することになる。
JR東海広報部は「駅周辺店舗の品揃えの充実、飲食の車内への持ち込みの増加、
静粛な車内環境を求めるご意見、また将来にわたる労働力不足への対応等、
さまざまな背景を考慮しています」ということだが
労働力不足の問題は、さまざまな業種においても深刻な問題である。
私自身、大学生の頃に新幹線の車内販売のアルバイトをしたことがある。
当時の会社名は「ビュフェ東京」という会社で、
のちに日本食堂が分社化したジェイダイナー東海に吸収合併されて
今は亡き会社名となってしまいました。
私の配属先は毎日こだま号に乗車して新大阪~東京間を一往復するもので
通勤途中に友人に会うと、「今から東京まで日帰りして、明日もまた行く」
と話して驚かせるのが鉄板ネタになっていました。
新大阪駅から乗車すると京都駅までの区間に「うなぎ弁当」を
ビュッフェ車両で弁当箱に詰める作業から始まる。
ジャーのご飯を詰め、ウナギのたれを掛けて、電子レンジで温められたうなぎを
御飯の上に乗せるとはじかみショウガと漬物を入れてパックして売り歩く。
外紙には車内調製(日付)と書かれた判が押されていた。
当時は売れ残ったうなぎを翌日にも使いまわしをされていて、
おかげでしばらくの間、駅弁が食べられない時期がしばらく続いた。
冬の新幹線では高価なアイスクリームが飛ぶ様に売れる。
暖房がすごく効いているのはアイスクリームを売るために
車内温度が高く設定されているのではないかと思っていた。
終電に乗って東京で宿泊して朝一番の新幹線で帰る時には
水割りセットが飛ぶように売れるが、女性社員のお尻を触る乗客があったり
宿舎では社員の方から洋酒を頂きながら、賭け事を勧められて
バイト代をすべて取られてしまったり、
親戚の家に遊びに行くと言って出掛けたまま帰って来られなかった社員など
大人の社会を学ぶ機会となった。
また同じ鉄道ファンの社員の方に誘われて
時速200kmで走行中の乗務員室に入れてもらったりして
忘れられない思い出もたくさん残っている。
今から思えば考えられないくらいコンプライアンスに問題があったが
それだけ自由な時代でもあったと思う。
16両編成400mの車両を往復8時間以上も売り歩くのは
意外にハードで、休憩する場所も車内にはなかったし、
折り返し運転の車内清掃される15分間で
昼食のまかないを頂くとすぐの発車で、ゆっくりする時間などない。
ただ車掌が締めた扉を手動コックを使って開けるなど
鉄道ファンとしてはなかなか楽しいアルバイトだったが
決して社員になりたいとは思わなかった。
車内販売が無くなることは寂しいことではあるが、
時代の変遷においては仕方のないこととも思われる。
終了すると発表された。
すでに終了している「こだま」に加えて「のぞみ」「ひかり」も
終了することになる。
JR東海広報部は「駅周辺店舗の品揃えの充実、飲食の車内への持ち込みの増加、
静粛な車内環境を求めるご意見、また将来にわたる労働力不足への対応等、
さまざまな背景を考慮しています」ということだが
労働力不足の問題は、さまざまな業種においても深刻な問題である。
私自身、大学生の頃に新幹線の車内販売のアルバイトをしたことがある。
当時の会社名は「ビュフェ東京」という会社で、
のちに日本食堂が分社化したジェイダイナー東海に吸収合併されて
今は亡き会社名となってしまいました。
私の配属先は毎日こだま号に乗車して新大阪~東京間を一往復するもので
通勤途中に友人に会うと、「今から東京まで日帰りして、明日もまた行く」
と話して驚かせるのが鉄板ネタになっていました。
新大阪駅から乗車すると京都駅までの区間に「うなぎ弁当」を
ビュッフェ車両で弁当箱に詰める作業から始まる。
ジャーのご飯を詰め、ウナギのたれを掛けて、電子レンジで温められたうなぎを
御飯の上に乗せるとはじかみショウガと漬物を入れてパックして売り歩く。
外紙には車内調製(日付)と書かれた判が押されていた。
当時は売れ残ったうなぎを翌日にも使いまわしをされていて、
おかげでしばらくの間、駅弁が食べられない時期がしばらく続いた。
冬の新幹線では高価なアイスクリームが飛ぶ様に売れる。
暖房がすごく効いているのはアイスクリームを売るために
車内温度が高く設定されているのではないかと思っていた。
終電に乗って東京で宿泊して朝一番の新幹線で帰る時には
水割りセットが飛ぶように売れるが、女性社員のお尻を触る乗客があったり
宿舎では社員の方から洋酒を頂きながら、賭け事を勧められて
バイト代をすべて取られてしまったり、
親戚の家に遊びに行くと言って出掛けたまま帰って来られなかった社員など
大人の社会を学ぶ機会となった。
また同じ鉄道ファンの社員の方に誘われて
時速200kmで走行中の乗務員室に入れてもらったりして
忘れられない思い出もたくさん残っている。
今から思えば考えられないくらいコンプライアンスに問題があったが
それだけ自由な時代でもあったと思う。
16両編成400mの車両を往復8時間以上も売り歩くのは
意外にハードで、休憩する場所も車内にはなかったし、
折り返し運転の車内清掃される15分間で
昼食のまかないを頂くとすぐの発車で、ゆっくりする時間などない。
ただ車掌が締めた扉を手動コックを使って開けるなど
鉄道ファンとしてはなかなか楽しいアルバイトだったが
決して社員になりたいとは思わなかった。
車内販売が無くなることは寂しいことではあるが、
時代の変遷においては仕方のないこととも思われる。
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