少しだけアルバイトをしたことのある成福院の摩尼宝塔を参拝した。
お盆の時期にここにあるお位牌を拭かせてもらったことや
鶴田浩二さんと共に戦争に出兵された隊の方々が泊まりに来られていたのが
思い出される。
妻が筋向いの松栄堂でやきもちを買いに行くと、お店の方がお茶を入れて下さり
小休止することにした。
やきもちと言えば高野山に上がってくる途中にある花坂の上きしや有名で
今は高野店もあるけれど、薄っぺらい餡の入った柔らかいお餅は旨い。
あまりに美味しくて2個目も食べた。
訪れたのは、ろうそくまつりの日に合わせて訪れたのだが、以前来た時にはコロナ前
ということもあって大勢の参拝者が訪れ、帰りのバスや電車が満員だったため
少し早めに帰ろうとすることに決めて開始時間の1時間前に奥之院へと訪れた。
ろうそくまつりは始まっていなかったが、参拝者の方々は普段よりも多い。
高野山高校野球部と思われる学生たちがろうそくまつりのために
発泡スチロールに銀紙を巻いたローソク立てを道の両側に設置する作業をされていた。
「ごくろうさま」と声を掛けると「ありがとうございます」と行儀よく挨拶してくれた。
私たちの知らない所で彼らの御苦労の元で楽しませて頂いていることに感謝した。
同時に各所にあるテントでは、配られるろうそくに串を差す作業もされていた。
この奥之院には思い出がいっぱいある。
祖父が大阪市老人クラブに入っている時に「倶会一処」と書かれた塔が設立され
祖父の名前も刻まれており、よくお参りにも来たし、
酒を吞んで行くと霊が寄ってくると聞いて、わざと呑んだ勢いで夜間に訪れて
不思議な体験をしたこともある。
青森の恐山、滋賀の比叡山と並ぶ三大霊場に数えられ、それぞれ訪れたけれど
高野山だけは住んでいたこともあって愛着もあり、守られている感じがする。
御廟と呼ばれる高野山真言宗の開祖、弘法大師が今も生きたまま入定されている
お堂は参拝できたが、弘法大師と同じ深さで拝める地下へは入れず、
その後すぐにろうそくまつり準備のためにお堂も閉められた。
ギリギリ参拝できたことに感謝してバス停へと進む間も次々と参拝者は
すでに閉められた御廟に向かって歩いて来られていた。
ろうそくまつりが始まる頃にはバスに乗り、家路についた。
お盆の時期にここにあるお位牌を拭かせてもらったことや
鶴田浩二さんと共に戦争に出兵された隊の方々が泊まりに来られていたのが
思い出される。
妻が筋向いの松栄堂でやきもちを買いに行くと、お店の方がお茶を入れて下さり
小休止することにした。
やきもちと言えば高野山に上がってくる途中にある花坂の上きしや有名で
今は高野店もあるけれど、薄っぺらい餡の入った柔らかいお餅は旨い。
あまりに美味しくて2個目も食べた。
訪れたのは、ろうそくまつりの日に合わせて訪れたのだが、以前来た時にはコロナ前
ということもあって大勢の参拝者が訪れ、帰りのバスや電車が満員だったため
少し早めに帰ろうとすることに決めて開始時間の1時間前に奥之院へと訪れた。
ろうそくまつりは始まっていなかったが、参拝者の方々は普段よりも多い。
高野山高校野球部と思われる学生たちがろうそくまつりのために
発泡スチロールに銀紙を巻いたローソク立てを道の両側に設置する作業をされていた。
「ごくろうさま」と声を掛けると「ありがとうございます」と行儀よく挨拶してくれた。
私たちの知らない所で彼らの御苦労の元で楽しませて頂いていることに感謝した。
同時に各所にあるテントでは、配られるろうそくに串を差す作業もされていた。
この奥之院には思い出がいっぱいある。
祖父が大阪市老人クラブに入っている時に「倶会一処」と書かれた塔が設立され
祖父の名前も刻まれており、よくお参りにも来たし、
酒を吞んで行くと霊が寄ってくると聞いて、わざと呑んだ勢いで夜間に訪れて
不思議な体験をしたこともある。
青森の恐山、滋賀の比叡山と並ぶ三大霊場に数えられ、それぞれ訪れたけれど
高野山だけは住んでいたこともあって愛着もあり、守られている感じがする。
御廟と呼ばれる高野山真言宗の開祖、弘法大師が今も生きたまま入定されている
お堂は参拝できたが、弘法大師と同じ深さで拝める地下へは入れず、
その後すぐにろうそくまつり準備のためにお堂も閉められた。
ギリギリ参拝できたことに感謝してバス停へと進む間も次々と参拝者は
すでに閉められた御廟に向かって歩いて来られていた。
ろうそくまつりが始まる頃にはバスに乗り、家路についた。
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