死者の奢り
作者 大江健三郎
国 日本の旗 日本
言語 日本語
ジャンル 短編小説
発表形態 雑誌掲載
初出 『文學界』1957年8月号
刊行 文藝春秋新社 1958年3月
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『死者の奢り』(ししゃのおごり)は、大江健三郎の短編小説。大江のデビュー作である。1957年(昭和32年)、東大新聞の懸賞小説で一等を取った作品で、その翌月、文芸雑誌『文學界』の8月号に発表、第38回芥川賞候補となった。大学病院の解剖用の死体を運ぶアルバイトをする主人公の仕事が、結局は無益な徒労でしかなかったと分かる。サルトル流の実存主義の思想、時代の暗い閉塞感をよく表現し得る文体として評価が高かった。
Contents
1 あらすじ
2 評価・研究
3 脚注
4 参考文献
5 関連項目
あらすじ[edit source]
<僕>は昨日の午後、大学の医学部の事務室に行って、アルコール水槽に保存されている解剖用の死体を処理するアルバイトに応募した。係の事務員によると、仕事は一日で終える予定で、死体の内、解剖の実習の教材になるものを向こうの水槽に移すということだった。
休み時間の間、<僕>は外へ出て、水洗場で足を洗っている女学生に出会った。女学生の話によると彼女は妊娠しており、堕胎させる為の手術の費用を稼ぐ為にこのアルバイトに応募したということだった。女学生は、もしこのまま曖昧な気持ちで新しい命を産んだら酷い責任を負うことになり、だからといってその命を抹殺したという責任も免れないという、暗くやり切れない気持ちでいることを話した。
午後五時に、全ての死体を新しい水槽に移し終え、附属病院の雑役夫がアルコール溶液を流し出しに来るまで、ひとまず管理人室に上って休むことにした。女学生が急に立ち上がって部屋の隅に行って吐いた。長椅子に寝させて看護婦を呼んだ。女学生は、水槽の中の死体を眺めていて、自分は赤ん坊を生んでしまおうと思い、赤ん坊は死ぬにしても、一度生まれてからでないと収拾がつかないと考えていたところだと告白した。
管理人室に戻ると、大学の医学部の助教授が、事務室の手違いで、本当は古い死体は全部、死体焼却場で火葬する事に、医学部の教授会で決まっていると管理人に話し込んでいた。管理人は狼狽したが、渋々、新しい水槽に移した死体を焼却場のトラックに引き渡す事を承諾した。助教授の話では、明日の午前中に文部省の視察があり、それまでに両方の水槽を清掃して、溶液を入れ替えなければならないということだった。管理人は<僕>に、アルバイトの説明をしたのが自分ではなく事務の人間だったことを覚えていてくれと言った。
<僕>は今夜ずっと働かなければならず、しかも事務室に報酬を支払わせるためには、自分が出かけていって直接交渉しなければならないだろうと考えながら、勢いよく階段を駆け降りたが、喉へ込み上げて来る膨れ切った厚ぼったい感情は、飲み込む度に執拗に押し戻してくるのだった。
評価・研究[edit source]
題材やモチーフが、横光利一の『眼に見えた虱』(文藝春秋、1928年1月号掲載)と共通する部分が多いことはしばしば指摘されている[1]。神谷忠孝は、そうした閉塞感や希望喪失的な大江文学の初期モチーフや、『万延元年のフットボール』以後の作品や『同時代ゲーム』に見られる村の再生という主題変遷も、横光文学の軌跡と対応する点があると考察している[1]。
デビュー時よりサルトルの実存主義からの影響を強く受けた作家とされたが、この「死者の奢り」について江藤淳は、「実存主義を体よく表現した小説」というよりも安岡章太郎や川端康成などの叙情家の系譜につらなる作品ではないかと分析している。[2]
脚注[edit source]
[脚注の使い方]
^ a b 神谷忠孝 「横光文學の今日性」(全集1 1981月報)
^ 「解説」『死者の奢り・飼育』新潮文庫、1959年
参考文献[edit source]
大江健三郎 『死者の奢り・飼育』(改版) 新潮文庫、2013年4月。ISBN 978-4101126012。 初版は1959年9月
横光利一 『定本横光利一全集第1巻』 河出書房新社、1981年6月。ISBN 978-4309607016。
関連項目[edit source]
死体洗いのアルバイト - 著名な都市伝説。この作品を初出とする説がある。
Categories: 大江健三郎の短編小説1957年の小説文學界掲載の小説医療機関を舞台とした小説死を題材とした小説
『個人的な体験』(こじんてきなたいけん)は、大江健三郎の小説。1964年(昭和39年)に新潮社より発行された。本書は第11回新潮社文学賞を受賞している。
大江健三郎の長男大江光が脳瘤(脳ヘルニア)のある障害者であり、その実体験をもとに、長男の誕生後間もなく書いた作品である。主人公は、脳瘤とおそらくそれによる脳障害を持つと思われる長男が産まれることにより、出生後数週の間に激しい葛藤をし、逃避、医師を介しての間接的殺害の決意、そして受容という経過を経る姿を描く。
本作は、新潮社の「純文学書き下ろし特別作品」として函入りで出版されているが、その函には以下の著者のメッセージが記されている。
「ぼくはすでに自分の言葉の世界にすみこんでいる様ざまな主題に、あらためて最も基本的なヤスリをかけようとした。すなわち、個人的な日常生活に癌のように芽ばえた異常を核にして、そのまわりに、欺瞞と正統、逃亡することと残りつづけること、みずからの死と他者の死、人間的な性と反・人間的な性というような命題を結晶させ、再検討することをねがったのである。大江健三郎」
Contents
1 ストーリー
2 作品評価
2.1 ハッピーエンディングについて
3 関連項目
4 脚注
ストーリー[edit source]
子供の出生前夜
主人公の27歳の青年、鳥(バード)は、高校時代には地方都市でけんかを繰り返したが、のちに東京のある官立大学の英文学部を卒業し、大学院に入った。学部の教授の娘と結婚し、彼の人生は順風だったが、もともと酒に耽溺する逃避癖があり、精神的に未熟であった。そして、アルコール依存症により大学院を中途退学、そのまま将来の展望もない予備校の教員をしていた。少年期よりアフリカに行くという夢を持ち続けていたが、実社会で落伍し、現実逃避の妄想は続いていた。初めての子供が産まれたが、自分が子供を持つことに対する実感に乏しく、むしろ自由を失うという強迫観念を持つようになり、アフリカへの逃避の願望がさらに強まっていた。彼は夜の盛り場に一人で行き、ゲーム機でパンチ力を試したが、機械が示した体力は40歳相当であった。そのゲーム機の周りにいた不良少年のグループに絡まれ喧嘩をする。
出生と障害児であることの認知
出産の後に産院に呼び出された鳥であったが、院長たちから、子供の後頭部に大きな瘤がありその中に脳が頭蓋内から飛び出ている脳瘤という病気であること、手術で頭蓋内に脳を収めても生涯植物状態であろうことを告げられる。健常であっても子どもを持つことを憂鬱に感じていた鳥は、障害者である子供から受ける自分の人生への影響を想像しきれず、強い混迷と絶望に陥る。しかし、医師たちは、非常に権威的で、自らの威厳を保つことに神経を払い、病名、予後、解剖などの話を無神経に残酷に行い、整理のつかない鳥の神経を一層混乱させる。この時の医師たち、義母は、まるで子供がみっともなく恥ずかしい存在であるかのように振舞う。医師たちは、大学病院に子供を搬送することを決め、妻は一度も子供を見ることなく転院した。義母は、妻には絶対に脳の病気であることは告げないようにと念を押す。恩師である義父にも病気のことを告げに行ったが、義父も顔を赤らめ子供の存在を認めない態度を示す。義父、義母、医師の誰も鳥を理解してくれる者はおらず、唯一の妻も義母により不幸を共有することを阻止された。味方のいない鳥はふと大学時代の友人であり赤いスポーツカーに乗る、一人暮らしの火見子の所へ訪れる。
障害児の親となることからの逃避
火見子は、鳥の友人だったのだが、かつて鳥は一緒に酒を飲んだ帰りに、犯すようにして屋外で火見子の処女を奪ったことがあった。火見子は、その後結婚したのだが、夫は火見子の「分からない何か」を理由に自殺し、彼女は多くの男性と寝ることで孤独を紛らわしていた。性技の達人となった火見子は、恐怖と不安の虜になった鳥の心を性技で解きほぐし、唯一鳥を理解できる存在となった。そして、鳥は、妻にも会わず子供との面会もほとんどせず、火見子とのセックスに逃避していった。
鳥は、この時期には、子供を胎内で戦傷した兵士のように可哀想な存在と見ていたが、医師に言われた早い死を信じ、また願っていた。しかし、大学病院で担当医に子供の手術と生存の可能性を言われて、子供が急激に自分の将来を破壊する存在に変貌する。担当医は、それを素早く察して、栄養を制限して穏やかに死を迎えさせてはどうかという秘密の提案をする。鳥は、激しく自分を恥じつつもそれを受け入れ、火見子に逃避していった。そんなある日、火見子の家にレズビアンである大学時代の友人が訪れ、鳥の事情を知り説教をする。彼女も高学歴を持ちながら落伍した人生を送る人間であり、落伍者の他人への当てつけのような説教であったが、「自分で引き取って殺すほうが、他人にゆだねて死を待つより自己欺瞞がない」と言われてしまう。
逃避しつつも仕事に行っていた鳥だが、二日酔いの挙句、授業中に嘔吐し、生徒に責められ職を追われることになる。仕事がなくなったと同時に、旧知の外交官のスラブ人が日本人の愛人を作り愛人宅に潜伏したのを連れ出すよう依頼される。自分の立場よりも愛を選んだスラブ人は、鳥を歓迎しつつも帰ることを拒絶し、最後の対面であろう鳥にスラブ語辞書をプレゼントする。鳥が辞書に何かを書いてくれと頼んだところ、書かれた文字は「希望」と言う意味の現地語であった。
逃避から障害児の親となる事への決意
鳥は、脳外科の教授に呼ばれ手術を促されるも、激しい拒絶をし、火見子と一緒に子供を大学病院から受け取った。受け取る時に、妻が名付けるつもりだった「菊比古」という名前を子供に与える。その後、鳥は、火見子に彼女の知り合いの堕胎医に医療の形での死を迎えさせるよう依頼する。堕胎医のところに子供を捨てた鳥は、自分の不良時代の後輩でアメリカ兵によりホモセクシャルに目覚めさせられたゲイバーの店主、菊比古に出会う(鳥は妻にかつて彼との不良時代をの思い出を語っていたために妻が子供にこの名前を名付けた)。火見子は、子供を捨てた鳥が妻に絶縁され、自分と一緒にアフリカへ行くことを思い描いていたが、鳥は、急激に子供に手術を受けさせようと思い直す。「正面から立ち向かう欺瞞なしの方法は、自分の手で直接に縊り殺すか、あるいは彼をひきうけて育ててゆくかの、ふたつしかない。初めからわかっていたことだ」と言い、怒る火見子を置いて、大学病院に子供を連れ戻す。
(二つのアスタリスク(*)の後(エピローグ))
子供を手術したところ、大きく脳がはみ出ていたのではなかったことが分かった。ただし、脳外科教授は、それでも重度の障害者となる可能性は残ることを示唆した。しかし、鳥は、脳外科教授とも家族とも和解することができ、自分の将来にも意欲を持つ決心をする。鳥は、教授に対して、「現実生活を生きるということは結局、正統的に生きるべく強制されることのようです。欺瞞の罠におちこむつもりでいても、いつの間にか、それを拒むほかなくなってしまう」と言う。病院の廊下に数日前ゲームセンターで鳥と出会いけんかした若者たちが、仲間の誰かの見舞いに来ていたが、彼らは鳥に気付くことなくその場を通り過ぎる。教授は「君がすっかり変わってしまった感じだから」「もう鳥(バード)という子供っぽい渾名は似合わない」と鳥に言った。
作品評価[edit source]
ハッピーエンディングについて[edit source]
三島由紀夫は、本作について、「技術的には、『性的人間』や『日常生活の冒険』より格段の上出来であるが、芸術作品としては『性的人間』のあの真実なラストに比べて見劣りがする。もちろん私は、この『個人的体験』のラストでがつかりした読者なのであるが、それではこの作品はラストだけがわるくて、二百四十八頁までは完璧かといふと、小説はとまれかくまれ有機体であつて、ラストの落胆を予期させるものは、各所にひそんでゐるのである」[1]と述べている。そして三島は、作中の人物像(デルチェフ、火見子、鳥)に触れ、「このやうな人物像は、大江氏の方法論に背馳してはゐないだらうか? 一般人の側から絶対に理解不可能な人間、しかも鋭い局部から人間性を代表してゐるやうなものを、言語の苦闘によつて掘り出して来ることが、氏の仕事ではなかつたか? かくしてこの小説の末尾には、ニヒリストたることをあまりに性急に拒否しようとする大江氏が顔を出し、却つて人間の腐敗に対する恐怖があからさまにひろがつて、逆効果を呈してゐる。暗いシナリオに『明るい結末を与へなくちやいかんよ』と命令する映画会社の重役みたいなものが氏の心に住んでゐるのではあるまいか? これはもつとも強烈な自由を求めながら、実は主人持ちの文学ではないだらうか?」[1]と述べている。さらに、「世界史的に見て、わが日本民族は、熱帯の後進国の野蛮な活力に憧れるほど衰弱してゐない筈なので、おそらくアフリカへの憧れは、衰弱したパリ経由なのにちがひない」[2]と述べている。
この三島の批判を端緒として、ハッピーエンディングへの批判は大きかったようである。小谷野敦による評伝によると次のとおりである。「この作品は、年末に新潮社文学賞の受賞が決定したが、選評は散々なもので、これでよく受賞したものだと思える。選考委員のうち。川端康成は病欠である。亀井勝一郎は全否定で、「最後の第十三章の、主人公の心の転換ぶりは実に安易である。(略)結末の描写には、大江氏の宗教的あるひは道徳的怠慢ぶりが露出してゐる。まことに遺憾なことである 」と終わっている。ほかの委員のうち、全面的に称賛しているのは河上徹太郎くらいで、あとは留保つきである。河盛好蔵は 「結末には飛躍もしくは腰くだけがあつて、破綻を示しているが 」、中島健蔵「悪くいえば、この作品は道徳小説なのだが 」、中村光夫 「世評のように結末に難があるにしても 」 、山本健吉「結末の安易さが惜しまれる。(略 )この作品も、うまく大江氏の持穴に落すことで、辻つまが合ひすぎている 」といった具合だ。」[3]
この批判については作者も相当気にしていたようで、後年、自伝的な長編『懐かしい年の手紙』でラストの書き直し案を作中で提示している。
また次のような見解を述べたこともある。「もちろん小説のでき(できには原文、傍点がふられている)としていまも最後の部分に問題点があるなって感じは持つんですよ。しかしね、もしあの時生きていくこと自体困難な状況に子供を置いて、横に絶望してる青年を置いて小説を終わっていたとしますね、そしていま現在、その小説を私が読み返すとすると、どんなに自分を、子供との実際の共同生活への内面の希望──なんとか子供と家内と私で生き延びようとする 、憐れなような希求──を裏切っている作家と感じただろうか 、と思うんです 。現実に生きている子供に対して 、まともに向き合うことをしない人間として、いま自分を発見してるんじゃないか。亀井勝一郎という戦中はナショナリスト 、戦後は仏教に深く入った批評家に、この作家の倫理性の不徹底がある、ともいわれたけれど 、おれの倫理はこの子供と生きてゆくことだと思ってね。」[4]
関連項目[edit source]
アポリネール - 彼の負傷兵時代の包帯を巻いた姿に、脳ヘルニアの乳児の姿が喩えられた
脚注[edit source]
[脚注の使い方]
^ a b 三島由紀夫『すばらしい技倆、しかし…―大江健三郎氏の書下し「個人的な体験」』(週刊読書人 1964年9月14日号に掲載)
^ 三島由紀夫『現代小説の三方向』(展望 1965年1月号に掲載)
^ 『江藤淳と大江健三郎』小谷野敦
^ 『大江健三郎作家自身を語る』
Categories: 大江健三郎の小説1964年の小説東京を舞台とした小説障害を扱った小説
A Personal Matter (Japanese: 個人的な体験; Kojinteki na Taiken) is a novel by Japanese writer Kenzaburō Ōe. Written in 1964, the novel is semi-autobiographical and dark in tone. It tells the story of Bird, a man who must come to terms with the birth of his mentally disabled son.
The novel was translated into English by John Nathan in 1968, and published by Grove Press.[1]
Plot[edit]
The plot follows the story of Bird, a 27 year old Japanese man. The book starts with him wondering about a hypothetical trip to Africa, which is a recurrent theme in his mind throughout the story. Soon after day-dreaming about his trip and a brawl with a few local delinquents from the region, Bird receives a call from the doctor of the hospital regarding his newborn child, urging him to talk in person. After meeting with the doctor, he discovers that his son has been born with a brain hernia, although the fact is still obscure to his wife.
Bird is troubled by the revelation, and regrets having to inform the relatives of his wife about the facts concerning the state of the child, who is not expected to survive for long. Not long after, Bird meets an ex-girlfriend of his, called Himiko, who has, after her husband's suicide, become a sexual deviant and eccentric. After a short philosophical discussion, both become drunk and Bird sleeps at Himiko's, only to wake up on the morning after in a deep state of hangover from all the whisky he had drunk the day before. He vomits violently. After refreshing up and readying himself for work, Bird goes to his teaching job at Cram school to teach English Literature. Whilst teaching, Bird suddenly becomes wildly nauseated and vomits in his classroom. The classmates disapprove of Bird's behaviour, claiming that he's a drunk and should be fired from his job. Bird worries that he might lose his job.
After the ordeal, he returns to the hospital, sure that his child should have died by now. When he asks the nurse concerning the baby, he is surprised to know that his child is still alive, and if survived after a few days, is expected to go through Brain Surgery, even though the prospects of him turning into a healthy normal child is non-existent. Bird struggles with this fact, and desires the child to die as soon as possible so as to not have the responsibility for the so-called "monster baby" to ruin his life and his prospects for travelling by himself to the African Continent. The internal psychological struggle that he has to go through makes him feel fear, anger and shame, towards the baby and himself.
A little while after, Bird goes to Himiko's house and begins to make love to her. However, haunted by the ordeal of his dying child, Bird is unable to achieve an erection at the mention of the word "pregnancy" and "womb" uttered by Himiko, and ends up resorting to the practice of BDSM. He feels reluctant at first, but then concedes and is able to achieve orgasm with Himiko. When he goes back to the hospital, Bird has to lie to his wife concerning the state of the baby and its cranial condition, claiming that it is an unknown organ failure that is causing the baby to suffer. He does not admit that he expects the baby's death.
Back at his cram school job, he meets one of his friendly students who wishes to claim that the vomit incident the earlier day was caused by food poisoning, and not hangover, in order for Bird have better chances of not being fired. Bird appreciates this offer, but decides to go clean to his superiors regarding the incident. After the meeting with his supervisor, he is let go of his job. Bird realizes that now he has no prospects for ever travelling to the African Continent, and worries about his Hospital Bills and financial situation.
Bird tries to escape his responsibility for the child and his crumbling relationship with his wife, turning to alcohol and Himiko. Eventually, he is fired from his job teaching at a cram school in the process. He half attempts to kill the child, albeit indirectly, and is forced to decide whether he wants to keep the child.
懐かしい年への手紙
『懐かしい年への手紙』(なつかしいとしへのてがみ)は、大江健三郎の長編小説である。1987年(昭和62年)に講談社から出版され、1992年(平成4年)には講談社文芸文庫より文庫版が出版されている。
概要
『同時代ゲーム』以来8年ぶりの原稿用紙1,000枚の書き下ろし大長編であり、大江文学の集大成と受け止められた[1]。また、1994年(平成6年)のノーベル文学賞受賞時の受賞理由の文書で挙げられた四作のうちの一作である[2]。
単行本の帯には、表裏にそれぞれ以下のコピーと著者のメッセージの記載がある。
「純文学書下ろし長編 ダンテ「神曲」の示す<地獄>と<煉獄>のはざまで、循環する時を彷徨する現代人の魂の行末─その死と再生の物語1,000枚。」
「自分のなかに「祈り」と呼ぶほかにないものが動くのを感じてきた。生涯ただ一度書きえる、それを語りかける手紙。その下書きのように、この小説を書いた。故郷の森に住んで、都会の「僕」の師匠(注:ルビ パトロン)でありつづける友。かれは事故のようにおそう生の悲惨を引き受けて、荒あらしい死をとげる。かれの新生のために、また自分のもうひとつの生のために、大きい懐かしさの場所をつくらねばならない…… 大江健三郎」
物語においてその一生が語られる、架空の人物であるギー兄さんの人物造形は、大江自身の言によると、「僕自身がそのように生きるべきであった(注:そのように生きるべきであったに傍点)理想像が投影されている 」と同時に、「弟的性格(注:弟的性格に傍点)」の大江が「人生の様ざまな局面でみちびかれた」「これまで出会ってきた多くのギー兄さん的人格(注:ギー兄さん的人格に傍点)が合成されている」ということである[3]。
あらすじ
本書は、故郷の「谷間の村」に世界の様々な民俗信仰にみられる世界観、宇宙観である「永遠の夢の時(ジ・エターナル・ドリーム・タイム)」を見出す二人の人物の交感の物語である。「永遠の夢の時」とは「はるかな昔の 「永遠の夢の時 」に、大切ななにもかもが起った。いま現在の 「時 」のなかに生き死にする者らは、それを繰りかえしているにすぎない」という考え方である。「永遠の夢の時」は作中で物語の語り手で主人公である作家Kによって柳田國男の用語から「懐かしい年」とも言い換えられている。
物語を通して一生が語られるギー兄さんは、物語の語り手の作家Kより5歳年長で、Kの終生の精神的な「師匠」(原文ではパトロンとルビがふられている)である。ギー兄さんは「谷間の村」の高みの「在」の屋敷に住み、彼の家は「テン窪」を含め広大な山林を保有する富裕な家である。
作家Kとギー兄さんの出会いは、10歳のKが当時15歳のギー兄さんの勉強のお供をする役割を与えられたことによる。戦時中の「谷間の村」で女装をして千里眼を行い戦地の兵士の安否をうらなうというような土俗的に特殊な役割を与えられていた少年であるギー兄さんは「谷間の村」の口頭伝承に通じており、伝承による魂についての考え方をKに教育する。
中学生であるギー兄さんは、敗戦により「谷間の村」にやってきた進駐軍の通訳を立派に務め、褒美に英詩のアンソロジーを受け取った。そこからギー兄さんのイェーツへの熱中が始まる。Kが大学受験に失敗して浪人をすることになると、東京の大学を出た後、谷間の村に戻り、高等遊民のような生活をしていたギー兄さんが受験指導にあたることになった。そこで英語の勉強にイェーツ全集を読むことにする。ギー兄さんは、詩集には、自分が生まれてくる前のことから、これからの生のすべてと、またその後のことまで、全部ふくまれて表現されているという。ギー兄さんは指導の傍、ダンテも原著で読み始めた。
Kは、ギー兄さんから、将来、歴史家になることをすすめられる。既存の日本の歴史学界ではなく、外国の歴史学の動向に直にアクセスして方法論を学び「谷間の村」の神話と歴史を研究するとよい、という。そのために外国語に習熟する必要がある。
大学に入ると、Kは大学の懸賞小説に当選したことを契機に、学生作家としてデビューすることになった。商業デビュー作『死者の奢り』が発表されるとKは文壇のスターとなり、ひっきりなしに執筆依頼が舞い込むようになった。それに応える形で多忙なスケジュールをこなしていたがそういう状況に忸怩たるところもあった。ものにしようとしていたフランス語の学習は中途半端になってしまったし、濫造している小説の出来にも納得していなかったからである。しかし、そうした作家生活を送ることには理由もあった。経済的に自立して、高校時代の友人の秋山くんの妹のオユーサンと結婚するためであった。
Kの結婚当時は、60年安保闘争の時代であり、Kは若き作家として政治参加をして積極的に発言、行動していくことになる。国会前の大規模なデモが行われた際は、Kは招待された作家・評論家の団体の一員として中国を旅行していた。ギー兄さんは、そのKの留守に、オユーサンがKの代理でデモに参加して危険な目に合うのでは、との杞憂に懊悩し、止むに止まれず上京してデモの群れのなかに飛び込んでいった。そして乱闘に巻き込まれて頭に大怪我を負う。そこでギー兄さんを介抱してくれた新劇女優の繁さんとギー兄さんはパートナーとなった。
繁さんが中野重治を引いて言った「受け身はよくない」という言葉に励まされ、ギー兄さんはそれまでの高等遊民の生活をやめ、郷里の「谷間の村」に「根拠地」(原文では傍点が振られている)を築くことにする。若い衆(し)を組織し、所有する土地を提供して、林業や農業の事業を協働して発展させていくと同時に、柳田國男の著作に想をえた「美しい村」を「テン窪」に建設する。また繁さんを中心に演劇などの文化活動もおこなう。そういう構想である。
折しもKは右翼のテロリストによる社会党の浅沼委員長の刺殺事件をもとにした「政治少年死す」を発表し、右翼の強力な抗議を受け、身辺に危険が及ぶ状況であった。ギー兄さんはKに「根拠地」に移住して安全を図り、そこで「谷間の村」の歴史を書いてはどうかと言ってきた。Kはオユーサンとともに「根拠地」の見学に出向くが、繁さんの、外部から文化人を招いて養うための「根拠地」造りではない、との反対から、移住は実現しない。
Kに頭部を大きく損傷した子供ヒカリが産まれた。Kは知的に障害を負うことになる子供を覚悟をもって引き受けて生活していく、その決意を固める過程を『個人的な体験』という小説に書いた。その小説のラストが無理矢理で唐突なハッピーエンドだとの批判を作家や批評家から受ける。ギー兄さんはこういう書き方だと批判をかわせると添削の手紙を送ってきた。Kはその手紙を読みながら妻と子の様子を見ているうちに、この東京の家庭で妻子を守っていくのが自分の「根拠地」だとの思いを強くする。
ギー兄さんと繁さんの間で諍いがあり、繁さんが死ぬという事件が起きる。事故の可能性もあったのだがギー兄さんは殺人の容疑を認め、刑に服することになる。「根拠地」の事業は頓挫することになった。ギー兄さんは懲役の間、ダンテとその研究書を読み込んで過ごす。Kはその事件と、ギー兄さんが既に集めてくれていた「谷間の村」の歴史資料をもとに『万延元年のフットボール』を書き上げる。
獄中のギー兄さんと疎遠になり、Kの生活の中心は息子ヒカリになっていき、Kはそれを題材にした小説を次々と発表していく。服役期間を経て出獄したギー兄さんは日本の各地を放浪する旅をしたのち、自分の父親の「お手掛け」で屋敷を切り盛りしていたセイさんの娘のオセッチャンと結婚した。ある時ギー兄さんがKの東京・成城の家を訪ねてきた。ギー兄さんとの会話の中で考えがうまれ、Kは「谷間の村」の伝承を基にした作品を執筆することになった。(『同時代ゲーム』)
そこからまたギー兄さんとは疎遠になるが、ある日「谷間の村」のKの妹アサから、ギー兄さんが危ぶまれる事業を始めてオセッチャンが心配している。実地に見に来てギー兄さんと話し合ってほしいと電話がくる。その要請を受けてKは帰郷してギー兄さんと話をする。ギー兄さんは「テン窪」の「美しい村」の跡地を、谷川に堰堤を築いて水に沈め、人造湖を作ろうとしている。これについて安全を懸念する下流の住民と対立が生じている。下流の住民は「谷間の村」の伝承で、堰きとめた水を鉄砲水にして村を全滅させた「オシコメの復古運動」が再現されるのではないかとの懸念を持っている。だがKはギー兄さんと直接話し、超越的な世界を観照する煉獄のモデルを作っているのだと説明され、憂えることはないと納得させられる。
しかし、それではもちろんギー兄さんと下流住民の対立は収まらない。人造湖では鉱泉が湧き出し、水は黒く濁り臭い匂いを発し始めた。ギー兄さんが癌を発症し入院している最中、反対派による堰堤の爆破事件がおこりセイさんが怪我を負う。癌の切除の術後見舞いに訪ねたKに、ギー兄さんは手術中にみた夢について話す。「自分が鉄砲水になって突き出す。その黒ぐろとしてまっすぐな線が、つまり自分の生涯の実体でね、世界じゅうのあらゆる人びとへの批評なんだよ。愛とはまさに逆の …」
退院後ギー兄さんと住民の対立は更に激しさを増し、対話の集会の開催された夜、ギー兄さんは襲撃され、遺体が人造湖に浮いて発見される。オセッチャンとアサはボートを漕ぎ出してギー兄さんの遺体を人造湖中央の煉獄の島に引き上げ、体を拭いて清め、青草の上に横たえた。Kが顛末を聞いて想起するその情景は、ダンテの詩にかさねて清く朗らかで、懐かしいイメージである。その循環する時、「懐かしい年」に向けて手紙を書き続ける、そのことが今後の自分の死ぬまでの仕事となるだろうとKは決意する。
主要登場人物
K
四国の森の中の「谷間の村」出身の小説家。
ギー兄さん
「谷間の村」の「在」の富裕な家に生まれ、故郷にとどまって独学でダンテの研究している人物。Kの「師匠」である。
オユーサン
Kの松山での高校時代の、年長の友人、秋山君の妹。Kの妻となる。
ヒカリ
Kの長男。頭に欠損を抱えて生まれた。知的な障害がある。
セイさん
ギー兄さんの父親の元「お手掛け」で一時神戸で結婚生活をしていたが、「谷間の村」に戻ってきてギー兄さんの屋敷の全般の面倒をみている。
オセッチャン
セイさんが「お手掛け」をやめて神戸で結婚していたときにできた娘。セイさんが「谷間の村」に連れて戻ってきた。ギー兄さんの妻となる。
繁さん
ギー兄さんが60年安保のデモ行進に巻き込まれて負傷した際に知り合った新劇女優。ギー兄さんとパートナーとなる。ギー兄さんとの諍いが生じた結果、事故死する。
アサ
Kの妹で「谷間の村」のKの実家で暮らしている。折々「谷間の村」やギー兄さんの状況を電話で伝えてくる。
時評
作品発表時の時評として主なものに以下のものがある[4]。
津島佑子「『懐かしい年への手紙』に重ねて思うこと」『群像』1987年12月
島田雅彦「トランスパーソナルな小説空間『懐かしい年への手紙』」『新潮』1987年12月号
池内紀「耐えざる問いの試みー大江健三郎『懐かしい年への手紙』」『文學界』1987年12月号
筒井康隆「新しい手法への意志ー大江健三郎『懐かしい年への手紙』」『波』1987年12月
久間十義「大江健三郎『懐かしい年への手紙』」『文藝』1988年2月号
笠井潔「『思わせぶり』のレトリックーデュアル・クリティック大江健三郎『懐かしい年への手紙』」『早稲田文学』第8次 1988年3月号
柄谷行人「同一性への回帰ー大江健三郎」『海燕』1988年4月号
菅野昭正「根拠地の思想ー大江健三郎『懐かしい年への手紙』をめぐって」群像1988年12月号
書誌情報
『懐かしい年への手紙』(1987年、講談社)
『懐かしい年への手紙』〈講談社文芸文庫〉(1987年、講談社)
『大江健三郎小説9』(1997年、新潮社)
『大江健三郎全小説11』(2019年、講談社)
翻訳
フランス語
René de Ceccatty、Ryôji Nakamura訳『Lettres aux années de nostalgie』〈Du monde entier〉(1993年、 Gallimard)
朝鮮語
서은혜訳『그리운 시절로 띄우는 편지』〈大江健三郎小説文学全集16〉(1996年、고려원)
イタリア語
Emanuele Ciccarella訳『Gli anni della nostalgia』〈Garzanti elefanti〉(2001年、Garzanti)
スペイン語
Miguel Wandenbergh訳『Cartas a los años de nostalgia』〈Compactos Anagrama341〉(2004年、Editorial Anagrama)
作者 大江健三郎
国 日本の旗 日本
言語 日本語
ジャンル 短編小説
発表形態 雑誌掲載
初出 『文學界』1957年8月号
刊行 文藝春秋新社 1958年3月
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『死者の奢り』(ししゃのおごり)は、大江健三郎の短編小説。大江のデビュー作である。1957年(昭和32年)、東大新聞の懸賞小説で一等を取った作品で、その翌月、文芸雑誌『文學界』の8月号に発表、第38回芥川賞候補となった。大学病院の解剖用の死体を運ぶアルバイトをする主人公の仕事が、結局は無益な徒労でしかなかったと分かる。サルトル流の実存主義の思想、時代の暗い閉塞感をよく表現し得る文体として評価が高かった。
Contents
1 あらすじ
2 評価・研究
3 脚注
4 参考文献
5 関連項目
あらすじ[edit source]
<僕>は昨日の午後、大学の医学部の事務室に行って、アルコール水槽に保存されている解剖用の死体を処理するアルバイトに応募した。係の事務員によると、仕事は一日で終える予定で、死体の内、解剖の実習の教材になるものを向こうの水槽に移すということだった。
休み時間の間、<僕>は外へ出て、水洗場で足を洗っている女学生に出会った。女学生の話によると彼女は妊娠しており、堕胎させる為の手術の費用を稼ぐ為にこのアルバイトに応募したということだった。女学生は、もしこのまま曖昧な気持ちで新しい命を産んだら酷い責任を負うことになり、だからといってその命を抹殺したという責任も免れないという、暗くやり切れない気持ちでいることを話した。
午後五時に、全ての死体を新しい水槽に移し終え、附属病院の雑役夫がアルコール溶液を流し出しに来るまで、ひとまず管理人室に上って休むことにした。女学生が急に立ち上がって部屋の隅に行って吐いた。長椅子に寝させて看護婦を呼んだ。女学生は、水槽の中の死体を眺めていて、自分は赤ん坊を生んでしまおうと思い、赤ん坊は死ぬにしても、一度生まれてからでないと収拾がつかないと考えていたところだと告白した。
管理人室に戻ると、大学の医学部の助教授が、事務室の手違いで、本当は古い死体は全部、死体焼却場で火葬する事に、医学部の教授会で決まっていると管理人に話し込んでいた。管理人は狼狽したが、渋々、新しい水槽に移した死体を焼却場のトラックに引き渡す事を承諾した。助教授の話では、明日の午前中に文部省の視察があり、それまでに両方の水槽を清掃して、溶液を入れ替えなければならないということだった。管理人は<僕>に、アルバイトの説明をしたのが自分ではなく事務の人間だったことを覚えていてくれと言った。
<僕>は今夜ずっと働かなければならず、しかも事務室に報酬を支払わせるためには、自分が出かけていって直接交渉しなければならないだろうと考えながら、勢いよく階段を駆け降りたが、喉へ込み上げて来る膨れ切った厚ぼったい感情は、飲み込む度に執拗に押し戻してくるのだった。
評価・研究[edit source]
題材やモチーフが、横光利一の『眼に見えた虱』(文藝春秋、1928年1月号掲載)と共通する部分が多いことはしばしば指摘されている[1]。神谷忠孝は、そうした閉塞感や希望喪失的な大江文学の初期モチーフや、『万延元年のフットボール』以後の作品や『同時代ゲーム』に見られる村の再生という主題変遷も、横光文学の軌跡と対応する点があると考察している[1]。
デビュー時よりサルトルの実存主義からの影響を強く受けた作家とされたが、この「死者の奢り」について江藤淳は、「実存主義を体よく表現した小説」というよりも安岡章太郎や川端康成などの叙情家の系譜につらなる作品ではないかと分析している。[2]
脚注[edit source]
[脚注の使い方]
^ a b 神谷忠孝 「横光文學の今日性」(全集1 1981月報)
^ 「解説」『死者の奢り・飼育』新潮文庫、1959年
参考文献[edit source]
大江健三郎 『死者の奢り・飼育』(改版) 新潮文庫、2013年4月。ISBN 978-4101126012。 初版は1959年9月
横光利一 『定本横光利一全集第1巻』 河出書房新社、1981年6月。ISBN 978-4309607016。
関連項目[edit source]
死体洗いのアルバイト - 著名な都市伝説。この作品を初出とする説がある。
Categories: 大江健三郎の短編小説1957年の小説文學界掲載の小説医療機関を舞台とした小説死を題材とした小説
『個人的な体験』(こじんてきなたいけん)は、大江健三郎の小説。1964年(昭和39年)に新潮社より発行された。本書は第11回新潮社文学賞を受賞している。
大江健三郎の長男大江光が脳瘤(脳ヘルニア)のある障害者であり、その実体験をもとに、長男の誕生後間もなく書いた作品である。主人公は、脳瘤とおそらくそれによる脳障害を持つと思われる長男が産まれることにより、出生後数週の間に激しい葛藤をし、逃避、医師を介しての間接的殺害の決意、そして受容という経過を経る姿を描く。
本作は、新潮社の「純文学書き下ろし特別作品」として函入りで出版されているが、その函には以下の著者のメッセージが記されている。
「ぼくはすでに自分の言葉の世界にすみこんでいる様ざまな主題に、あらためて最も基本的なヤスリをかけようとした。すなわち、個人的な日常生活に癌のように芽ばえた異常を核にして、そのまわりに、欺瞞と正統、逃亡することと残りつづけること、みずからの死と他者の死、人間的な性と反・人間的な性というような命題を結晶させ、再検討することをねがったのである。大江健三郎」
Contents
1 ストーリー
2 作品評価
2.1 ハッピーエンディングについて
3 関連項目
4 脚注
ストーリー[edit source]
子供の出生前夜
主人公の27歳の青年、鳥(バード)は、高校時代には地方都市でけんかを繰り返したが、のちに東京のある官立大学の英文学部を卒業し、大学院に入った。学部の教授の娘と結婚し、彼の人生は順風だったが、もともと酒に耽溺する逃避癖があり、精神的に未熟であった。そして、アルコール依存症により大学院を中途退学、そのまま将来の展望もない予備校の教員をしていた。少年期よりアフリカに行くという夢を持ち続けていたが、実社会で落伍し、現実逃避の妄想は続いていた。初めての子供が産まれたが、自分が子供を持つことに対する実感に乏しく、むしろ自由を失うという強迫観念を持つようになり、アフリカへの逃避の願望がさらに強まっていた。彼は夜の盛り場に一人で行き、ゲーム機でパンチ力を試したが、機械が示した体力は40歳相当であった。そのゲーム機の周りにいた不良少年のグループに絡まれ喧嘩をする。
出生と障害児であることの認知
出産の後に産院に呼び出された鳥であったが、院長たちから、子供の後頭部に大きな瘤がありその中に脳が頭蓋内から飛び出ている脳瘤という病気であること、手術で頭蓋内に脳を収めても生涯植物状態であろうことを告げられる。健常であっても子どもを持つことを憂鬱に感じていた鳥は、障害者である子供から受ける自分の人生への影響を想像しきれず、強い混迷と絶望に陥る。しかし、医師たちは、非常に権威的で、自らの威厳を保つことに神経を払い、病名、予後、解剖などの話を無神経に残酷に行い、整理のつかない鳥の神経を一層混乱させる。この時の医師たち、義母は、まるで子供がみっともなく恥ずかしい存在であるかのように振舞う。医師たちは、大学病院に子供を搬送することを決め、妻は一度も子供を見ることなく転院した。義母は、妻には絶対に脳の病気であることは告げないようにと念を押す。恩師である義父にも病気のことを告げに行ったが、義父も顔を赤らめ子供の存在を認めない態度を示す。義父、義母、医師の誰も鳥を理解してくれる者はおらず、唯一の妻も義母により不幸を共有することを阻止された。味方のいない鳥はふと大学時代の友人であり赤いスポーツカーに乗る、一人暮らしの火見子の所へ訪れる。
障害児の親となることからの逃避
火見子は、鳥の友人だったのだが、かつて鳥は一緒に酒を飲んだ帰りに、犯すようにして屋外で火見子の処女を奪ったことがあった。火見子は、その後結婚したのだが、夫は火見子の「分からない何か」を理由に自殺し、彼女は多くの男性と寝ることで孤独を紛らわしていた。性技の達人となった火見子は、恐怖と不安の虜になった鳥の心を性技で解きほぐし、唯一鳥を理解できる存在となった。そして、鳥は、妻にも会わず子供との面会もほとんどせず、火見子とのセックスに逃避していった。
鳥は、この時期には、子供を胎内で戦傷した兵士のように可哀想な存在と見ていたが、医師に言われた早い死を信じ、また願っていた。しかし、大学病院で担当医に子供の手術と生存の可能性を言われて、子供が急激に自分の将来を破壊する存在に変貌する。担当医は、それを素早く察して、栄養を制限して穏やかに死を迎えさせてはどうかという秘密の提案をする。鳥は、激しく自分を恥じつつもそれを受け入れ、火見子に逃避していった。そんなある日、火見子の家にレズビアンである大学時代の友人が訪れ、鳥の事情を知り説教をする。彼女も高学歴を持ちながら落伍した人生を送る人間であり、落伍者の他人への当てつけのような説教であったが、「自分で引き取って殺すほうが、他人にゆだねて死を待つより自己欺瞞がない」と言われてしまう。
逃避しつつも仕事に行っていた鳥だが、二日酔いの挙句、授業中に嘔吐し、生徒に責められ職を追われることになる。仕事がなくなったと同時に、旧知の外交官のスラブ人が日本人の愛人を作り愛人宅に潜伏したのを連れ出すよう依頼される。自分の立場よりも愛を選んだスラブ人は、鳥を歓迎しつつも帰ることを拒絶し、最後の対面であろう鳥にスラブ語辞書をプレゼントする。鳥が辞書に何かを書いてくれと頼んだところ、書かれた文字は「希望」と言う意味の現地語であった。
逃避から障害児の親となる事への決意
鳥は、脳外科の教授に呼ばれ手術を促されるも、激しい拒絶をし、火見子と一緒に子供を大学病院から受け取った。受け取る時に、妻が名付けるつもりだった「菊比古」という名前を子供に与える。その後、鳥は、火見子に彼女の知り合いの堕胎医に医療の形での死を迎えさせるよう依頼する。堕胎医のところに子供を捨てた鳥は、自分の不良時代の後輩でアメリカ兵によりホモセクシャルに目覚めさせられたゲイバーの店主、菊比古に出会う(鳥は妻にかつて彼との不良時代をの思い出を語っていたために妻が子供にこの名前を名付けた)。火見子は、子供を捨てた鳥が妻に絶縁され、自分と一緒にアフリカへ行くことを思い描いていたが、鳥は、急激に子供に手術を受けさせようと思い直す。「正面から立ち向かう欺瞞なしの方法は、自分の手で直接に縊り殺すか、あるいは彼をひきうけて育ててゆくかの、ふたつしかない。初めからわかっていたことだ」と言い、怒る火見子を置いて、大学病院に子供を連れ戻す。
(二つのアスタリスク(*)の後(エピローグ))
子供を手術したところ、大きく脳がはみ出ていたのではなかったことが分かった。ただし、脳外科教授は、それでも重度の障害者となる可能性は残ることを示唆した。しかし、鳥は、脳外科教授とも家族とも和解することができ、自分の将来にも意欲を持つ決心をする。鳥は、教授に対して、「現実生活を生きるということは結局、正統的に生きるべく強制されることのようです。欺瞞の罠におちこむつもりでいても、いつの間にか、それを拒むほかなくなってしまう」と言う。病院の廊下に数日前ゲームセンターで鳥と出会いけんかした若者たちが、仲間の誰かの見舞いに来ていたが、彼らは鳥に気付くことなくその場を通り過ぎる。教授は「君がすっかり変わってしまった感じだから」「もう鳥(バード)という子供っぽい渾名は似合わない」と鳥に言った。
作品評価[edit source]
ハッピーエンディングについて[edit source]
三島由紀夫は、本作について、「技術的には、『性的人間』や『日常生活の冒険』より格段の上出来であるが、芸術作品としては『性的人間』のあの真実なラストに比べて見劣りがする。もちろん私は、この『個人的体験』のラストでがつかりした読者なのであるが、それではこの作品はラストだけがわるくて、二百四十八頁までは完璧かといふと、小説はとまれかくまれ有機体であつて、ラストの落胆を予期させるものは、各所にひそんでゐるのである」[1]と述べている。そして三島は、作中の人物像(デルチェフ、火見子、鳥)に触れ、「このやうな人物像は、大江氏の方法論に背馳してはゐないだらうか? 一般人の側から絶対に理解不可能な人間、しかも鋭い局部から人間性を代表してゐるやうなものを、言語の苦闘によつて掘り出して来ることが、氏の仕事ではなかつたか? かくしてこの小説の末尾には、ニヒリストたることをあまりに性急に拒否しようとする大江氏が顔を出し、却つて人間の腐敗に対する恐怖があからさまにひろがつて、逆効果を呈してゐる。暗いシナリオに『明るい結末を与へなくちやいかんよ』と命令する映画会社の重役みたいなものが氏の心に住んでゐるのではあるまいか? これはもつとも強烈な自由を求めながら、実は主人持ちの文学ではないだらうか?」[1]と述べている。さらに、「世界史的に見て、わが日本民族は、熱帯の後進国の野蛮な活力に憧れるほど衰弱してゐない筈なので、おそらくアフリカへの憧れは、衰弱したパリ経由なのにちがひない」[2]と述べている。
この三島の批判を端緒として、ハッピーエンディングへの批判は大きかったようである。小谷野敦による評伝によると次のとおりである。「この作品は、年末に新潮社文学賞の受賞が決定したが、選評は散々なもので、これでよく受賞したものだと思える。選考委員のうち。川端康成は病欠である。亀井勝一郎は全否定で、「最後の第十三章の、主人公の心の転換ぶりは実に安易である。(略)結末の描写には、大江氏の宗教的あるひは道徳的怠慢ぶりが露出してゐる。まことに遺憾なことである 」と終わっている。ほかの委員のうち、全面的に称賛しているのは河上徹太郎くらいで、あとは留保つきである。河盛好蔵は 「結末には飛躍もしくは腰くだけがあつて、破綻を示しているが 」、中島健蔵「悪くいえば、この作品は道徳小説なのだが 」、中村光夫 「世評のように結末に難があるにしても 」 、山本健吉「結末の安易さが惜しまれる。(略 )この作品も、うまく大江氏の持穴に落すことで、辻つまが合ひすぎている 」といった具合だ。」[3]
この批判については作者も相当気にしていたようで、後年、自伝的な長編『懐かしい年の手紙』でラストの書き直し案を作中で提示している。
また次のような見解を述べたこともある。「もちろん小説のでき(できには原文、傍点がふられている)としていまも最後の部分に問題点があるなって感じは持つんですよ。しかしね、もしあの時生きていくこと自体困難な状況に子供を置いて、横に絶望してる青年を置いて小説を終わっていたとしますね、そしていま現在、その小説を私が読み返すとすると、どんなに自分を、子供との実際の共同生活への内面の希望──なんとか子供と家内と私で生き延びようとする 、憐れなような希求──を裏切っている作家と感じただろうか 、と思うんです 。現実に生きている子供に対して 、まともに向き合うことをしない人間として、いま自分を発見してるんじゃないか。亀井勝一郎という戦中はナショナリスト 、戦後は仏教に深く入った批評家に、この作家の倫理性の不徹底がある、ともいわれたけれど 、おれの倫理はこの子供と生きてゆくことだと思ってね。」[4]
関連項目[edit source]
アポリネール - 彼の負傷兵時代の包帯を巻いた姿に、脳ヘルニアの乳児の姿が喩えられた
脚注[edit source]
[脚注の使い方]
^ a b 三島由紀夫『すばらしい技倆、しかし…―大江健三郎氏の書下し「個人的な体験」』(週刊読書人 1964年9月14日号に掲載)
^ 三島由紀夫『現代小説の三方向』(展望 1965年1月号に掲載)
^ 『江藤淳と大江健三郎』小谷野敦
^ 『大江健三郎作家自身を語る』
Categories: 大江健三郎の小説1964年の小説東京を舞台とした小説障害を扱った小説
A Personal Matter (Japanese: 個人的な体験; Kojinteki na Taiken) is a novel by Japanese writer Kenzaburō Ōe. Written in 1964, the novel is semi-autobiographical and dark in tone. It tells the story of Bird, a man who must come to terms with the birth of his mentally disabled son.
The novel was translated into English by John Nathan in 1968, and published by Grove Press.[1]
Plot[edit]
The plot follows the story of Bird, a 27 year old Japanese man. The book starts with him wondering about a hypothetical trip to Africa, which is a recurrent theme in his mind throughout the story. Soon after day-dreaming about his trip and a brawl with a few local delinquents from the region, Bird receives a call from the doctor of the hospital regarding his newborn child, urging him to talk in person. After meeting with the doctor, he discovers that his son has been born with a brain hernia, although the fact is still obscure to his wife.
Bird is troubled by the revelation, and regrets having to inform the relatives of his wife about the facts concerning the state of the child, who is not expected to survive for long. Not long after, Bird meets an ex-girlfriend of his, called Himiko, who has, after her husband's suicide, become a sexual deviant and eccentric. After a short philosophical discussion, both become drunk and Bird sleeps at Himiko's, only to wake up on the morning after in a deep state of hangover from all the whisky he had drunk the day before. He vomits violently. After refreshing up and readying himself for work, Bird goes to his teaching job at Cram school to teach English Literature. Whilst teaching, Bird suddenly becomes wildly nauseated and vomits in his classroom. The classmates disapprove of Bird's behaviour, claiming that he's a drunk and should be fired from his job. Bird worries that he might lose his job.
After the ordeal, he returns to the hospital, sure that his child should have died by now. When he asks the nurse concerning the baby, he is surprised to know that his child is still alive, and if survived after a few days, is expected to go through Brain Surgery, even though the prospects of him turning into a healthy normal child is non-existent. Bird struggles with this fact, and desires the child to die as soon as possible so as to not have the responsibility for the so-called "monster baby" to ruin his life and his prospects for travelling by himself to the African Continent. The internal psychological struggle that he has to go through makes him feel fear, anger and shame, towards the baby and himself.
A little while after, Bird goes to Himiko's house and begins to make love to her. However, haunted by the ordeal of his dying child, Bird is unable to achieve an erection at the mention of the word "pregnancy" and "womb" uttered by Himiko, and ends up resorting to the practice of BDSM. He feels reluctant at first, but then concedes and is able to achieve orgasm with Himiko. When he goes back to the hospital, Bird has to lie to his wife concerning the state of the baby and its cranial condition, claiming that it is an unknown organ failure that is causing the baby to suffer. He does not admit that he expects the baby's death.
Back at his cram school job, he meets one of his friendly students who wishes to claim that the vomit incident the earlier day was caused by food poisoning, and not hangover, in order for Bird have better chances of not being fired. Bird appreciates this offer, but decides to go clean to his superiors regarding the incident. After the meeting with his supervisor, he is let go of his job. Bird realizes that now he has no prospects for ever travelling to the African Continent, and worries about his Hospital Bills and financial situation.
Bird tries to escape his responsibility for the child and his crumbling relationship with his wife, turning to alcohol and Himiko. Eventually, he is fired from his job teaching at a cram school in the process. He half attempts to kill the child, albeit indirectly, and is forced to decide whether he wants to keep the child.
懐かしい年への手紙
『懐かしい年への手紙』(なつかしいとしへのてがみ)は、大江健三郎の長編小説である。1987年(昭和62年)に講談社から出版され、1992年(平成4年)には講談社文芸文庫より文庫版が出版されている。
概要
『同時代ゲーム』以来8年ぶりの原稿用紙1,000枚の書き下ろし大長編であり、大江文学の集大成と受け止められた[1]。また、1994年(平成6年)のノーベル文学賞受賞時の受賞理由の文書で挙げられた四作のうちの一作である[2]。
単行本の帯には、表裏にそれぞれ以下のコピーと著者のメッセージの記載がある。
「純文学書下ろし長編 ダンテ「神曲」の示す<地獄>と<煉獄>のはざまで、循環する時を彷徨する現代人の魂の行末─その死と再生の物語1,000枚。」
「自分のなかに「祈り」と呼ぶほかにないものが動くのを感じてきた。生涯ただ一度書きえる、それを語りかける手紙。その下書きのように、この小説を書いた。故郷の森に住んで、都会の「僕」の師匠(注:ルビ パトロン)でありつづける友。かれは事故のようにおそう生の悲惨を引き受けて、荒あらしい死をとげる。かれの新生のために、また自分のもうひとつの生のために、大きい懐かしさの場所をつくらねばならない…… 大江健三郎」
物語においてその一生が語られる、架空の人物であるギー兄さんの人物造形は、大江自身の言によると、「僕自身がそのように生きるべきであった(注:そのように生きるべきであったに傍点)理想像が投影されている 」と同時に、「弟的性格(注:弟的性格に傍点)」の大江が「人生の様ざまな局面でみちびかれた」「これまで出会ってきた多くのギー兄さん的人格(注:ギー兄さん的人格に傍点)が合成されている」ということである[3]。
あらすじ
本書は、故郷の「谷間の村」に世界の様々な民俗信仰にみられる世界観、宇宙観である「永遠の夢の時(ジ・エターナル・ドリーム・タイム)」を見出す二人の人物の交感の物語である。「永遠の夢の時」とは「はるかな昔の 「永遠の夢の時 」に、大切ななにもかもが起った。いま現在の 「時 」のなかに生き死にする者らは、それを繰りかえしているにすぎない」という考え方である。「永遠の夢の時」は作中で物語の語り手で主人公である作家Kによって柳田國男の用語から「懐かしい年」とも言い換えられている。
物語を通して一生が語られるギー兄さんは、物語の語り手の作家Kより5歳年長で、Kの終生の精神的な「師匠」(原文ではパトロンとルビがふられている)である。ギー兄さんは「谷間の村」の高みの「在」の屋敷に住み、彼の家は「テン窪」を含め広大な山林を保有する富裕な家である。
作家Kとギー兄さんの出会いは、10歳のKが当時15歳のギー兄さんの勉強のお供をする役割を与えられたことによる。戦時中の「谷間の村」で女装をして千里眼を行い戦地の兵士の安否をうらなうというような土俗的に特殊な役割を与えられていた少年であるギー兄さんは「谷間の村」の口頭伝承に通じており、伝承による魂についての考え方をKに教育する。
中学生であるギー兄さんは、敗戦により「谷間の村」にやってきた進駐軍の通訳を立派に務め、褒美に英詩のアンソロジーを受け取った。そこからギー兄さんのイェーツへの熱中が始まる。Kが大学受験に失敗して浪人をすることになると、東京の大学を出た後、谷間の村に戻り、高等遊民のような生活をしていたギー兄さんが受験指導にあたることになった。そこで英語の勉強にイェーツ全集を読むことにする。ギー兄さんは、詩集には、自分が生まれてくる前のことから、これからの生のすべてと、またその後のことまで、全部ふくまれて表現されているという。ギー兄さんは指導の傍、ダンテも原著で読み始めた。
Kは、ギー兄さんから、将来、歴史家になることをすすめられる。既存の日本の歴史学界ではなく、外国の歴史学の動向に直にアクセスして方法論を学び「谷間の村」の神話と歴史を研究するとよい、という。そのために外国語に習熟する必要がある。
大学に入ると、Kは大学の懸賞小説に当選したことを契機に、学生作家としてデビューすることになった。商業デビュー作『死者の奢り』が発表されるとKは文壇のスターとなり、ひっきりなしに執筆依頼が舞い込むようになった。それに応える形で多忙なスケジュールをこなしていたがそういう状況に忸怩たるところもあった。ものにしようとしていたフランス語の学習は中途半端になってしまったし、濫造している小説の出来にも納得していなかったからである。しかし、そうした作家生活を送ることには理由もあった。経済的に自立して、高校時代の友人の秋山くんの妹のオユーサンと結婚するためであった。
Kの結婚当時は、60年安保闘争の時代であり、Kは若き作家として政治参加をして積極的に発言、行動していくことになる。国会前の大規模なデモが行われた際は、Kは招待された作家・評論家の団体の一員として中国を旅行していた。ギー兄さんは、そのKの留守に、オユーサンがKの代理でデモに参加して危険な目に合うのでは、との杞憂に懊悩し、止むに止まれず上京してデモの群れのなかに飛び込んでいった。そして乱闘に巻き込まれて頭に大怪我を負う。そこでギー兄さんを介抱してくれた新劇女優の繁さんとギー兄さんはパートナーとなった。
繁さんが中野重治を引いて言った「受け身はよくない」という言葉に励まされ、ギー兄さんはそれまでの高等遊民の生活をやめ、郷里の「谷間の村」に「根拠地」(原文では傍点が振られている)を築くことにする。若い衆(し)を組織し、所有する土地を提供して、林業や農業の事業を協働して発展させていくと同時に、柳田國男の著作に想をえた「美しい村」を「テン窪」に建設する。また繁さんを中心に演劇などの文化活動もおこなう。そういう構想である。
折しもKは右翼のテロリストによる社会党の浅沼委員長の刺殺事件をもとにした「政治少年死す」を発表し、右翼の強力な抗議を受け、身辺に危険が及ぶ状況であった。ギー兄さんはKに「根拠地」に移住して安全を図り、そこで「谷間の村」の歴史を書いてはどうかと言ってきた。Kはオユーサンとともに「根拠地」の見学に出向くが、繁さんの、外部から文化人を招いて養うための「根拠地」造りではない、との反対から、移住は実現しない。
Kに頭部を大きく損傷した子供ヒカリが産まれた。Kは知的に障害を負うことになる子供を覚悟をもって引き受けて生活していく、その決意を固める過程を『個人的な体験』という小説に書いた。その小説のラストが無理矢理で唐突なハッピーエンドだとの批判を作家や批評家から受ける。ギー兄さんはこういう書き方だと批判をかわせると添削の手紙を送ってきた。Kはその手紙を読みながら妻と子の様子を見ているうちに、この東京の家庭で妻子を守っていくのが自分の「根拠地」だとの思いを強くする。
ギー兄さんと繁さんの間で諍いがあり、繁さんが死ぬという事件が起きる。事故の可能性もあったのだがギー兄さんは殺人の容疑を認め、刑に服することになる。「根拠地」の事業は頓挫することになった。ギー兄さんは懲役の間、ダンテとその研究書を読み込んで過ごす。Kはその事件と、ギー兄さんが既に集めてくれていた「谷間の村」の歴史資料をもとに『万延元年のフットボール』を書き上げる。
獄中のギー兄さんと疎遠になり、Kの生活の中心は息子ヒカリになっていき、Kはそれを題材にした小説を次々と発表していく。服役期間を経て出獄したギー兄さんは日本の各地を放浪する旅をしたのち、自分の父親の「お手掛け」で屋敷を切り盛りしていたセイさんの娘のオセッチャンと結婚した。ある時ギー兄さんがKの東京・成城の家を訪ねてきた。ギー兄さんとの会話の中で考えがうまれ、Kは「谷間の村」の伝承を基にした作品を執筆することになった。(『同時代ゲーム』)
そこからまたギー兄さんとは疎遠になるが、ある日「谷間の村」のKの妹アサから、ギー兄さんが危ぶまれる事業を始めてオセッチャンが心配している。実地に見に来てギー兄さんと話し合ってほしいと電話がくる。その要請を受けてKは帰郷してギー兄さんと話をする。ギー兄さんは「テン窪」の「美しい村」の跡地を、谷川に堰堤を築いて水に沈め、人造湖を作ろうとしている。これについて安全を懸念する下流の住民と対立が生じている。下流の住民は「谷間の村」の伝承で、堰きとめた水を鉄砲水にして村を全滅させた「オシコメの復古運動」が再現されるのではないかとの懸念を持っている。だがKはギー兄さんと直接話し、超越的な世界を観照する煉獄のモデルを作っているのだと説明され、憂えることはないと納得させられる。
しかし、それではもちろんギー兄さんと下流住民の対立は収まらない。人造湖では鉱泉が湧き出し、水は黒く濁り臭い匂いを発し始めた。ギー兄さんが癌を発症し入院している最中、反対派による堰堤の爆破事件がおこりセイさんが怪我を負う。癌の切除の術後見舞いに訪ねたKに、ギー兄さんは手術中にみた夢について話す。「自分が鉄砲水になって突き出す。その黒ぐろとしてまっすぐな線が、つまり自分の生涯の実体でね、世界じゅうのあらゆる人びとへの批評なんだよ。愛とはまさに逆の …」
退院後ギー兄さんと住民の対立は更に激しさを増し、対話の集会の開催された夜、ギー兄さんは襲撃され、遺体が人造湖に浮いて発見される。オセッチャンとアサはボートを漕ぎ出してギー兄さんの遺体を人造湖中央の煉獄の島に引き上げ、体を拭いて清め、青草の上に横たえた。Kが顛末を聞いて想起するその情景は、ダンテの詩にかさねて清く朗らかで、懐かしいイメージである。その循環する時、「懐かしい年」に向けて手紙を書き続ける、そのことが今後の自分の死ぬまでの仕事となるだろうとKは決意する。
主要登場人物
K
四国の森の中の「谷間の村」出身の小説家。
ギー兄さん
「谷間の村」の「在」の富裕な家に生まれ、故郷にとどまって独学でダンテの研究している人物。Kの「師匠」である。
オユーサン
Kの松山での高校時代の、年長の友人、秋山君の妹。Kの妻となる。
ヒカリ
Kの長男。頭に欠損を抱えて生まれた。知的な障害がある。
セイさん
ギー兄さんの父親の元「お手掛け」で一時神戸で結婚生活をしていたが、「谷間の村」に戻ってきてギー兄さんの屋敷の全般の面倒をみている。
オセッチャン
セイさんが「お手掛け」をやめて神戸で結婚していたときにできた娘。セイさんが「谷間の村」に連れて戻ってきた。ギー兄さんの妻となる。
繁さん
ギー兄さんが60年安保のデモ行進に巻き込まれて負傷した際に知り合った新劇女優。ギー兄さんとパートナーとなる。ギー兄さんとの諍いが生じた結果、事故死する。
アサ
Kの妹で「谷間の村」のKの実家で暮らしている。折々「谷間の村」やギー兄さんの状況を電話で伝えてくる。
時評
作品発表時の時評として主なものに以下のものがある[4]。
津島佑子「『懐かしい年への手紙』に重ねて思うこと」『群像』1987年12月
島田雅彦「トランスパーソナルな小説空間『懐かしい年への手紙』」『新潮』1987年12月号
池内紀「耐えざる問いの試みー大江健三郎『懐かしい年への手紙』」『文學界』1987年12月号
筒井康隆「新しい手法への意志ー大江健三郎『懐かしい年への手紙』」『波』1987年12月
久間十義「大江健三郎『懐かしい年への手紙』」『文藝』1988年2月号
笠井潔「『思わせぶり』のレトリックーデュアル・クリティック大江健三郎『懐かしい年への手紙』」『早稲田文学』第8次 1988年3月号
柄谷行人「同一性への回帰ー大江健三郎」『海燕』1988年4月号
菅野昭正「根拠地の思想ー大江健三郎『懐かしい年への手紙』をめぐって」群像1988年12月号
書誌情報
『懐かしい年への手紙』(1987年、講談社)
『懐かしい年への手紙』〈講談社文芸文庫〉(1987年、講談社)
『大江健三郎小説9』(1997年、新潮社)
『大江健三郎全小説11』(2019年、講談社)
翻訳
フランス語
René de Ceccatty、Ryôji Nakamura訳『Lettres aux années de nostalgie』〈Du monde entier〉(1993年、 Gallimard)
朝鮮語
서은혜訳『그리운 시절로 띄우는 편지』〈大江健三郎小説文学全集16〉(1996年、고려원)
イタリア語
Emanuele Ciccarella訳『Gli anni della nostalgia』〈Garzanti elefanti〉(2001年、Garzanti)
スペイン語
Miguel Wandenbergh訳『Cartas a los años de nostalgia』〈Compactos Anagrama341〉(2004年、Editorial Anagrama)