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懐かしい年への手紙

2021-03-17 00:21:26 | 小説
死者の奢り
作者 大江健三郎
国 日本の旗 日本
言語 日本語
ジャンル 短編小説
発表形態 雑誌掲載
初出 『文學界』1957年8月号
刊行 文藝春秋新社 1958年3月
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『死者の奢り』(ししゃのおごり)は、大江健三郎の短編小説。大江のデビュー作である。1957年(昭和32年)、東大新聞の懸賞小説で一等を取った作品で、その翌月、文芸雑誌『文學界』の8月号に発表、第38回芥川賞候補となった。大学病院の解剖用の死体を運ぶアルバイトをする主人公の仕事が、結局は無益な徒労でしかなかったと分かる。サルトル流の実存主義の思想、時代の暗い閉塞感をよく表現し得る文体として評価が高かった。

Contents
1 あらすじ
2 評価・研究
3 脚注
4 参考文献
5 関連項目
あらすじ[edit source]
<僕>は昨日の午後、大学の医学部の事務室に行って、アルコール水槽に保存されている解剖用の死体を処理するアルバイトに応募した。係の事務員によると、仕事は一日で終える予定で、死体の内、解剖の実習の教材になるものを向こうの水槽に移すということだった。
休み時間の間、<僕>は外へ出て、水洗場で足を洗っている女学生に出会った。女学生の話によると彼女は妊娠しており、堕胎させる為の手術の費用を稼ぐ為にこのアルバイトに応募したということだった。女学生は、もしこのまま曖昧な気持ちで新しい命を産んだら酷い責任を負うことになり、だからといってその命を抹殺したという責任も免れないという、暗くやり切れない気持ちでいることを話した。
午後五時に、全ての死体を新しい水槽に移し終え、附属病院の雑役夫がアルコール溶液を流し出しに来るまで、ひとまず管理人室に上って休むことにした。女学生が急に立ち上がって部屋の隅に行って吐いた。長椅子に寝させて看護婦を呼んだ。女学生は、水槽の中の死体を眺めていて、自分は赤ん坊を生んでしまおうと思い、赤ん坊は死ぬにしても、一度生まれてからでないと収拾がつかないと考えていたところだと告白した。
管理人室に戻ると、大学の医学部の助教授が、事務室の手違いで、本当は古い死体は全部、死体焼却場で火葬する事に、医学部の教授会で決まっていると管理人に話し込んでいた。管理人は狼狽したが、渋々、新しい水槽に移した死体を焼却場のトラックに引き渡す事を承諾した。助教授の話では、明日の午前中に文部省の視察があり、それまでに両方の水槽を清掃して、溶液を入れ替えなければならないということだった。管理人は<僕>に、アルバイトの説明をしたのが自分ではなく事務の人間だったことを覚えていてくれと言った。
<僕>は今夜ずっと働かなければならず、しかも事務室に報酬を支払わせるためには、自分が出かけていって直接交渉しなければならないだろうと考えながら、勢いよく階段を駆け降りたが、喉へ込み上げて来る膨れ切った厚ぼったい感情は、飲み込む度に執拗に押し戻してくるのだった。
評価・研究[edit source]
題材やモチーフが、横光利一の『眼に見えた虱』(文藝春秋、1928年1月号掲載)と共通する部分が多いことはしばしば指摘されている[1]。神谷忠孝は、そうした閉塞感や希望喪失的な大江文学の初期モチーフや、『万延元年のフットボール』以後の作品や『同時代ゲーム』に見られる村の再生という主題変遷も、横光文学の軌跡と対応する点があると考察している[1]。
デビュー時よりサルトルの実存主義からの影響を強く受けた作家とされたが、この「死者の奢り」について江藤淳は、「実存主義を体よく表現した小説」というよりも安岡章太郎や川端康成などの叙情家の系譜につらなる作品ではないかと分析している。[2]
脚注[edit source]
[脚注の使い方]
^ a b 神谷忠孝 「横光文學の今日性」(全集1 1981月報)
^ 「解説」『死者の奢り・飼育』新潮文庫、1959年
参考文献[edit source]
大江健三郎 『死者の奢り・飼育』(改版) 新潮文庫、2013年4月。ISBN 978-4101126012。 初版は1959年9月
横光利一 『定本横光利一全集第1巻』 河出書房新社、1981年6月。ISBN 978-4309607016。
関連項目[edit source]
死体洗いのアルバイト - 著名な都市伝説。この作品を初出とする説がある。
Categories: 大江健三郎の短編小説1957年の小説文學界掲載の小説医療機関を舞台とした小説死を題材とした小説

『個人的な体験』(こじんてきなたいけん)は、大江健三郎の小説。1964年(昭和39年)に新潮社より発行された。本書は第11回新潮社文学賞を受賞している。
大江健三郎の長男大江光が脳瘤(脳ヘルニア)のある障害者であり、その実体験をもとに、長男の誕生後間もなく書いた作品である。主人公は、脳瘤とおそらくそれによる脳障害を持つと思われる長男が産まれることにより、出生後数週の間に激しい葛藤をし、逃避、医師を介しての間接的殺害の決意、そして受容という経過を経る姿を描く。
本作は、新潮社の「純文学書き下ろし特別作品」として函入りで出版されているが、その函には以下の著者のメッセージが記されている。
「ぼくはすでに自分の言葉の世界にすみこんでいる様ざまな主題に、あらためて最も基本的なヤスリをかけようとした。すなわち、個人的な日常生活に癌のように芽ばえた異常を核にして、そのまわりに、欺瞞と正統、逃亡することと残りつづけること、みずからの死と他者の死、人間的な性と反・人間的な性というような命題を結晶させ、再検討することをねがったのである。大江健三郎」

Contents
1 ストーリー
2 作品評価
2.1 ハッピーエンディングについて
3 関連項目
4 脚注
ストーリー[edit source]
子供の出生前夜
主人公の27歳の青年、鳥(バード)は、高校時代には地方都市でけんかを繰り返したが、のちに東京のある官立大学の英文学部を卒業し、大学院に入った。学部の教授の娘と結婚し、彼の人生は順風だったが、もともと酒に耽溺する逃避癖があり、精神的に未熟であった。そして、アルコール依存症により大学院を中途退学、そのまま将来の展望もない予備校の教員をしていた。少年期よりアフリカに行くという夢を持ち続けていたが、実社会で落伍し、現実逃避の妄想は続いていた。初めての子供が産まれたが、自分が子供を持つことに対する実感に乏しく、むしろ自由を失うという強迫観念を持つようになり、アフリカへの逃避の願望がさらに強まっていた。彼は夜の盛り場に一人で行き、ゲーム機でパンチ力を試したが、機械が示した体力は40歳相当であった。そのゲーム機の周りにいた不良少年のグループに絡まれ喧嘩をする。
出生と障害児であることの認知
出産の後に産院に呼び出された鳥であったが、院長たちから、子供の後頭部に大きな瘤がありその中に脳が頭蓋内から飛び出ている脳瘤という病気であること、手術で頭蓋内に脳を収めても生涯植物状態であろうことを告げられる。健常であっても子どもを持つことを憂鬱に感じていた鳥は、障害者である子供から受ける自分の人生への影響を想像しきれず、強い混迷と絶望に陥る。しかし、医師たちは、非常に権威的で、自らの威厳を保つことに神経を払い、病名、予後、解剖などの話を無神経に残酷に行い、整理のつかない鳥の神経を一層混乱させる。この時の医師たち、義母は、まるで子供がみっともなく恥ずかしい存在であるかのように振舞う。医師たちは、大学病院に子供を搬送することを決め、妻は一度も子供を見ることなく転院した。義母は、妻には絶対に脳の病気であることは告げないようにと念を押す。恩師である義父にも病気のことを告げに行ったが、義父も顔を赤らめ子供の存在を認めない態度を示す。義父、義母、医師の誰も鳥を理解してくれる者はおらず、唯一の妻も義母により不幸を共有することを阻止された。味方のいない鳥はふと大学時代の友人であり赤いスポーツカーに乗る、一人暮らしの火見子の所へ訪れる。
障害児の親となることからの逃避
火見子は、鳥の友人だったのだが、かつて鳥は一緒に酒を飲んだ帰りに、犯すようにして屋外で火見子の処女を奪ったことがあった。火見子は、その後結婚したのだが、夫は火見子の「分からない何か」を理由に自殺し、彼女は多くの男性と寝ることで孤独を紛らわしていた。性技の達人となった火見子は、恐怖と不安の虜になった鳥の心を性技で解きほぐし、唯一鳥を理解できる存在となった。そして、鳥は、妻にも会わず子供との面会もほとんどせず、火見子とのセックスに逃避していった。
鳥は、この時期には、子供を胎内で戦傷した兵士のように可哀想な存在と見ていたが、医師に言われた早い死を信じ、また願っていた。しかし、大学病院で担当医に子供の手術と生存の可能性を言われて、子供が急激に自分の将来を破壊する存在に変貌する。担当医は、それを素早く察して、栄養を制限して穏やかに死を迎えさせてはどうかという秘密の提案をする。鳥は、激しく自分を恥じつつもそれを受け入れ、火見子に逃避していった。そんなある日、火見子の家にレズビアンである大学時代の友人が訪れ、鳥の事情を知り説教をする。彼女も高学歴を持ちながら落伍した人生を送る人間であり、落伍者の他人への当てつけのような説教であったが、「自分で引き取って殺すほうが、他人にゆだねて死を待つより自己欺瞞がない」と言われてしまう。
逃避しつつも仕事に行っていた鳥だが、二日酔いの挙句、授業中に嘔吐し、生徒に責められ職を追われることになる。仕事がなくなったと同時に、旧知の外交官のスラブ人が日本人の愛人を作り愛人宅に潜伏したのを連れ出すよう依頼される。自分の立場よりも愛を選んだスラブ人は、鳥を歓迎しつつも帰ることを拒絶し、最後の対面であろう鳥にスラブ語辞書をプレゼントする。鳥が辞書に何かを書いてくれと頼んだところ、書かれた文字は「希望」と言う意味の現地語であった。
逃避から障害児の親となる事への決意
鳥は、脳外科の教授に呼ばれ手術を促されるも、激しい拒絶をし、火見子と一緒に子供を大学病院から受け取った。受け取る時に、妻が名付けるつもりだった「菊比古」という名前を子供に与える。その後、鳥は、火見子に彼女の知り合いの堕胎医に医療の形での死を迎えさせるよう依頼する。堕胎医のところに子供を捨てた鳥は、自分の不良時代の後輩でアメリカ兵によりホモセクシャルに目覚めさせられたゲイバーの店主、菊比古に出会う(鳥は妻にかつて彼との不良時代をの思い出を語っていたために妻が子供にこの名前を名付けた)。火見子は、子供を捨てた鳥が妻に絶縁され、自分と一緒にアフリカへ行くことを思い描いていたが、鳥は、急激に子供に手術を受けさせようと思い直す。「正面から立ち向かう欺瞞なしの方法は、自分の手で直接に縊り殺すか、あるいは彼をひきうけて育ててゆくかの、ふたつしかない。初めからわかっていたことだ」と言い、怒る火見子を置いて、大学病院に子供を連れ戻す。
(二つのアスタリスク(*)の後(エピローグ))
子供を手術したところ、大きく脳がはみ出ていたのではなかったことが分かった。ただし、脳外科教授は、それでも重度の障害者となる可能性は残ることを示唆した。しかし、鳥は、脳外科教授とも家族とも和解することができ、自分の将来にも意欲を持つ決心をする。鳥は、教授に対して、「現実生活を生きるということは結局、正統的に生きるべく強制されることのようです。欺瞞の罠におちこむつもりでいても、いつの間にか、それを拒むほかなくなってしまう」と言う。病院の廊下に数日前ゲームセンターで鳥と出会いけんかした若者たちが、仲間の誰かの見舞いに来ていたが、彼らは鳥に気付くことなくその場を通り過ぎる。教授は「君がすっかり変わってしまった感じだから」「もう鳥(バード)という子供っぽい渾名は似合わない」と鳥に言った。
作品評価[edit source]
ハッピーエンディングについて[edit source]
三島由紀夫は、本作について、「技術的には、『性的人間』や『日常生活の冒険』より格段の上出来であるが、芸術作品としては『性的人間』のあの真実なラストに比べて見劣りがする。もちろん私は、この『個人的体験』のラストでがつかりした読者なのであるが、それではこの作品はラストだけがわるくて、二百四十八頁までは完璧かといふと、小説はとまれかくまれ有機体であつて、ラストの落胆を予期させるものは、各所にひそんでゐるのである」[1]と述べている。そして三島は、作中の人物像(デルチェフ、火見子、鳥)に触れ、「このやうな人物像は、大江氏の方法論に背馳してはゐないだらうか? 一般人の側から絶対に理解不可能な人間、しかも鋭い局部から人間性を代表してゐるやうなものを、言語の苦闘によつて掘り出して来ることが、氏の仕事ではなかつたか? かくしてこの小説の末尾には、ニヒリストたることをあまりに性急に拒否しようとする大江氏が顔を出し、却つて人間の腐敗に対する恐怖があからさまにひろがつて、逆効果を呈してゐる。暗いシナリオに『明るい結末を与へなくちやいかんよ』と命令する映画会社の重役みたいなものが氏の心に住んでゐるのではあるまいか? これはもつとも強烈な自由を求めながら、実は主人持ちの文学ではないだらうか?」[1]と述べている。さらに、「世界史的に見て、わが日本民族は、熱帯の後進国の野蛮な活力に憧れるほど衰弱してゐない筈なので、おそらくアフリカへの憧れは、衰弱したパリ経由なのにちがひない」[2]と述べている。
この三島の批判を端緒として、ハッピーエンディングへの批判は大きかったようである。小谷野敦による評伝によると次のとおりである。「この作品は、年末に新潮社文学賞の受賞が決定したが、選評は散々なもので、これでよく受賞したものだと思える。選考委員のうち。川端康成は病欠である。亀井勝一郎は全否定で、「最後の第十三章の、主人公の心の転換ぶりは実に安易である。(略)結末の描写には、大江氏の宗教的あるひは道徳的怠慢ぶりが露出してゐる。まことに遺憾なことである 」と終わっている。ほかの委員のうち、全面的に称賛しているのは河上徹太郎くらいで、あとは留保つきである。河盛好蔵は 「結末には飛躍もしくは腰くだけがあつて、破綻を示しているが 」、中島健蔵「悪くいえば、この作品は道徳小説なのだが 」、中村光夫 「世評のように結末に難があるにしても 」 、山本健吉「結末の安易さが惜しまれる。(略 )この作品も、うまく大江氏の持穴に落すことで、辻つまが合ひすぎている 」といった具合だ。」[3]
この批判については作者も相当気にしていたようで、後年、自伝的な長編『懐かしい年の手紙』でラストの書き直し案を作中で提示している。
また次のような見解を述べたこともある。「もちろん小説のでき(できには原文、傍点がふられている)としていまも最後の部分に問題点があるなって感じは持つんですよ。しかしね、もしあの時生きていくこと自体困難な状況に子供を置いて、横に絶望してる青年を置いて小説を終わっていたとしますね、そしていま現在、その小説を私が読み返すとすると、どんなに自分を、子供との実際の共同生活への内面の希望──なんとか子供と家内と私で生き延びようとする 、憐れなような希求──を裏切っている作家と感じただろうか 、と思うんです 。現実に生きている子供に対して 、まともに向き合うことをしない人間として、いま自分を発見してるんじゃないか。亀井勝一郎という戦中はナショナリスト 、戦後は仏教に深く入った批評家に、この作家の倫理性の不徹底がある、ともいわれたけれど 、おれの倫理はこの子供と生きてゆくことだと思ってね。」[4]
関連項目[edit source]
アポリネール - 彼の負傷兵時代の包帯を巻いた姿に、脳ヘルニアの乳児の姿が喩えられた
脚注[edit source]
[脚注の使い方]
^ a b 三島由紀夫『すばらしい技倆、しかし…―大江健三郎氏の書下し「個人的な体験」』(週刊読書人 1964年9月14日号に掲載)
^ 三島由紀夫『現代小説の三方向』(展望 1965年1月号に掲載)
^ 『江藤淳と大江健三郎』小谷野敦
^ 『大江健三郎作家自身を語る』
Categories: 大江健三郎の小説1964年の小説東京を舞台とした小説障害を扱った小説

A Personal Matter (Japanese: 個人的な体験; Kojinteki na Taiken) is a novel by Japanese writer Kenzaburō Ōe. Written in 1964, the novel is semi-autobiographical and dark in tone. It tells the story of Bird, a man who must come to terms with the birth of his mentally disabled son.

The novel was translated into English by John Nathan in 1968, and published by Grove Press.[1]

Plot[edit]
The plot follows the story of Bird, a 27 year old Japanese man. The book starts with him wondering about a hypothetical trip to Africa, which is a recurrent theme in his mind throughout the story. Soon after day-dreaming about his trip and a brawl with a few local delinquents from the region, Bird receives a call from the doctor of the hospital regarding his newborn child, urging him to talk in person. After meeting with the doctor, he discovers that his son has been born with a brain hernia, although the fact is still obscure to his wife.

Bird is troubled by the revelation, and regrets having to inform the relatives of his wife about the facts concerning the state of the child, who is not expected to survive for long. Not long after, Bird meets an ex-girlfriend of his, called Himiko, who has, after her husband's suicide, become a sexual deviant and eccentric. After a short philosophical discussion, both become drunk and Bird sleeps at Himiko's, only to wake up on the morning after in a deep state of hangover from all the whisky he had drunk the day before. He vomits violently. After refreshing up and readying himself for work, Bird goes to his teaching job at Cram school to teach English Literature. Whilst teaching, Bird suddenly becomes wildly nauseated and vomits in his classroom. The classmates disapprove of Bird's behaviour, claiming that he's a drunk and should be fired from his job. Bird worries that he might lose his job.

After the ordeal, he returns to the hospital, sure that his child should have died by now. When he asks the nurse concerning the baby, he is surprised to know that his child is still alive, and if survived after a few days, is expected to go through Brain Surgery, even though the prospects of him turning into a healthy normal child is non-existent. Bird struggles with this fact, and desires the child to die as soon as possible so as to not have the responsibility for the so-called "monster baby" to ruin his life and his prospects for travelling by himself to the African Continent. The internal psychological struggle that he has to go through makes him feel fear, anger and shame, towards the baby and himself.

A little while after, Bird goes to Himiko's house and begins to make love to her. However, haunted by the ordeal of his dying child, Bird is unable to achieve an erection at the mention of the word "pregnancy" and "womb" uttered by Himiko, and ends up resorting to the practice of BDSM. He feels reluctant at first, but then concedes and is able to achieve orgasm with Himiko. When he goes back to the hospital, Bird has to lie to his wife concerning the state of the baby and its cranial condition, claiming that it is an unknown organ failure that is causing the baby to suffer. He does not admit that he expects the baby's death.

Back at his cram school job, he meets one of his friendly students who wishes to claim that the vomit incident the earlier day was caused by food poisoning, and not hangover, in order for Bird have better chances of not being fired. Bird appreciates this offer, but decides to go clean to his superiors regarding the incident. After the meeting with his supervisor, he is let go of his job. Bird realizes that now he has no prospects for ever travelling to the African Continent, and worries about his Hospital Bills and financial situation.

Bird tries to escape his responsibility for the child and his crumbling relationship with his wife, turning to alcohol and Himiko. Eventually, he is fired from his job teaching at a cram school in the process. He half attempts to kill the child, albeit indirectly, and is forced to decide whether he wants to keep the child.

懐かしい年への手紙

『懐かしい年への手紙』(なつかしいとしへのてがみ)は、大江健三郎の長編小説である。1987年(昭和62年)に講談社から出版され、1992年(平成4年)には講談社文芸文庫より文庫版が出版されている。

概要

『同時代ゲーム』以来8年ぶりの原稿用紙1,000枚の書き下ろし大長編であり、大江文学の集大成と受け止められた[1]。また、1994年(平成6年)のノーベル文学賞受賞時の受賞理由の文書で挙げられた四作のうちの一作である[2]。

単行本の帯には、表裏にそれぞれ以下のコピーと著者のメッセージの記載がある。

「純文学書下ろし長編 ダンテ「神曲」の示す<地獄>と<煉獄>のはざまで、循環する時を彷徨する現代人の魂の行末─その死と再生の物語1,000枚。」
「自分のなかに「祈り」と呼ぶほかにないものが動くのを感じてきた。生涯ただ一度書きえる、それを語りかける手紙。その下書きのように、この小説を書いた。故郷の森に住んで、都会の「僕」の師匠(注:ルビ パトロン)でありつづける友。かれは事故のようにおそう生の悲惨を引き受けて、荒あらしい死をとげる。かれの新生のために、また自分のもうひとつの生のために、大きい懐かしさの場所をつくらねばならない……  大江健三郎」
物語においてその一生が語られる、架空の人物であるギー兄さんの人物造形は、大江自身の言によると、「僕自身がそのように生きるべきであった(注:そのように生きるべきであったに傍点)理想像が投影されている 」と同時に、「弟的性格(注:弟的性格に傍点)」の大江が「人生の様ざまな局面でみちびかれた」「これまで出会ってきた多くのギー兄さん的人格(注:ギー兄さん的人格に傍点)が合成されている」ということである[3]。

あらすじ

本書は、故郷の「谷間の村」に世界の様々な民俗信仰にみられる世界観、宇宙観である「永遠の夢の時(ジ・エターナル・ドリーム・タイム)」を見出す二人の人物の交感の物語である。「永遠の夢の時」とは「はるかな昔の 「永遠の夢の時 」に、大切ななにもかもが起った。いま現在の 「時 」のなかに生き死にする者らは、それを繰りかえしているにすぎない」という考え方である。「永遠の夢の時」は作中で物語の語り手で主人公である作家Kによって柳田國男の用語から「懐かしい年」とも言い換えられている。

物語を通して一生が語られるギー兄さんは、物語の語り手の作家Kより5歳年長で、Kの終生の精神的な「師匠」(原文ではパトロンとルビがふられている)である。ギー兄さんは「谷間の村」の高みの「在」の屋敷に住み、彼の家は「テン窪」を含め広大な山林を保有する富裕な家である。

作家Kとギー兄さんの出会いは、10歳のKが当時15歳のギー兄さんの勉強のお供をする役割を与えられたことによる。戦時中の「谷間の村」で女装をして千里眼を行い戦地の兵士の安否をうらなうというような土俗的に特殊な役割を与えられていた少年であるギー兄さんは「谷間の村」の口頭伝承に通じており、伝承による魂についての考え方をKに教育する。

中学生であるギー兄さんは、敗戦により「谷間の村」にやってきた進駐軍の通訳を立派に務め、褒美に英詩のアンソロジーを受け取った。そこからギー兄さんのイェーツへの熱中が始まる。Kが大学受験に失敗して浪人をすることになると、東京の大学を出た後、谷間の村に戻り、高等遊民のような生活をしていたギー兄さんが受験指導にあたることになった。そこで英語の勉強にイェーツ全集を読むことにする。ギー兄さんは、詩集には、自分が生まれてくる前のことから、これからの生のすべてと、またその後のことまで、全部ふくまれて表現されているという。ギー兄さんは指導の傍、ダンテも原著で読み始めた。

Kは、ギー兄さんから、将来、歴史家になることをすすめられる。既存の日本の歴史学界ではなく、外国の歴史学の動向に直にアクセスして方法論を学び「谷間の村」の神話と歴史を研究するとよい、という。そのために外国語に習熟する必要がある。

大学に入ると、Kは大学の懸賞小説に当選したことを契機に、学生作家としてデビューすることになった。商業デビュー作『死者の奢り』が発表されるとKは文壇のスターとなり、ひっきりなしに執筆依頼が舞い込むようになった。それに応える形で多忙なスケジュールをこなしていたがそういう状況に忸怩たるところもあった。ものにしようとしていたフランス語の学習は中途半端になってしまったし、濫造している小説の出来にも納得していなかったからである。しかし、そうした作家生活を送ることには理由もあった。経済的に自立して、高校時代の友人の秋山くんの妹のオユーサンと結婚するためであった。

Kの結婚当時は、60年安保闘争の時代であり、Kは若き作家として政治参加をして積極的に発言、行動していくことになる。国会前の大規模なデモが行われた際は、Kは招待された作家・評論家の団体の一員として中国を旅行していた。ギー兄さんは、そのKの留守に、オユーサンがKの代理でデモに参加して危険な目に合うのでは、との杞憂に懊悩し、止むに止まれず上京してデモの群れのなかに飛び込んでいった。そして乱闘に巻き込まれて頭に大怪我を負う。そこでギー兄さんを介抱してくれた新劇女優の繁さんとギー兄さんはパートナーとなった。

繁さんが中野重治を引いて言った「受け身はよくない」という言葉に励まされ、ギー兄さんはそれまでの高等遊民の生活をやめ、郷里の「谷間の村」に「根拠地」(原文では傍点が振られている)を築くことにする。若い衆(し)を組織し、所有する土地を提供して、林業や農業の事業を協働して発展させていくと同時に、柳田國男の著作に想をえた「美しい村」を「テン窪」に建設する。また繁さんを中心に演劇などの文化活動もおこなう。そういう構想である。

折しもKは右翼のテロリストによる社会党の浅沼委員長の刺殺事件をもとにした「政治少年死す」を発表し、右翼の強力な抗議を受け、身辺に危険が及ぶ状況であった。ギー兄さんはKに「根拠地」に移住して安全を図り、そこで「谷間の村」の歴史を書いてはどうかと言ってきた。Kはオユーサンとともに「根拠地」の見学に出向くが、繁さんの、外部から文化人を招いて養うための「根拠地」造りではない、との反対から、移住は実現しない。

Kに頭部を大きく損傷した子供ヒカリが産まれた。Kは知的に障害を負うことになる子供を覚悟をもって引き受けて生活していく、その決意を固める過程を『個人的な体験』という小説に書いた。その小説のラストが無理矢理で唐突なハッピーエンドだとの批判を作家や批評家から受ける。ギー兄さんはこういう書き方だと批判をかわせると添削の手紙を送ってきた。Kはその手紙を読みながら妻と子の様子を見ているうちに、この東京の家庭で妻子を守っていくのが自分の「根拠地」だとの思いを強くする。

ギー兄さんと繁さんの間で諍いがあり、繁さんが死ぬという事件が起きる。事故の可能性もあったのだがギー兄さんは殺人の容疑を認め、刑に服することになる。「根拠地」の事業は頓挫することになった。ギー兄さんは懲役の間、ダンテとその研究書を読み込んで過ごす。Kはその事件と、ギー兄さんが既に集めてくれていた「谷間の村」の歴史資料をもとに『万延元年のフットボール』を書き上げる。

獄中のギー兄さんと疎遠になり、Kの生活の中心は息子ヒカリになっていき、Kはそれを題材にした小説を次々と発表していく。服役期間を経て出獄したギー兄さんは日本の各地を放浪する旅をしたのち、自分の父親の「お手掛け」で屋敷を切り盛りしていたセイさんの娘のオセッチャンと結婚した。ある時ギー兄さんがKの東京・成城の家を訪ねてきた。ギー兄さんとの会話の中で考えがうまれ、Kは「谷間の村」の伝承を基にした作品を執筆することになった。(『同時代ゲーム』)

そこからまたギー兄さんとは疎遠になるが、ある日「谷間の村」のKの妹アサから、ギー兄さんが危ぶまれる事業を始めてオセッチャンが心配している。実地に見に来てギー兄さんと話し合ってほしいと電話がくる。その要請を受けてKは帰郷してギー兄さんと話をする。ギー兄さんは「テン窪」の「美しい村」の跡地を、谷川に堰堤を築いて水に沈め、人造湖を作ろうとしている。これについて安全を懸念する下流の住民と対立が生じている。下流の住民は「谷間の村」の伝承で、堰きとめた水を鉄砲水にして村を全滅させた「オシコメの復古運動」が再現されるのではないかとの懸念を持っている。だがKはギー兄さんと直接話し、超越的な世界を観照する煉獄のモデルを作っているのだと説明され、憂えることはないと納得させられる。

しかし、それではもちろんギー兄さんと下流住民の対立は収まらない。人造湖では鉱泉が湧き出し、水は黒く濁り臭い匂いを発し始めた。ギー兄さんが癌を発症し入院している最中、反対派による堰堤の爆破事件がおこりセイさんが怪我を負う。癌の切除の術後見舞いに訪ねたKに、ギー兄さんは手術中にみた夢について話す。「自分が鉄砲水になって突き出す。その黒ぐろとしてまっすぐな線が、つまり自分の生涯の実体でね、世界じゅうのあらゆる人びとへの批評なんだよ。愛とはまさに逆の …」

退院後ギー兄さんと住民の対立は更に激しさを増し、対話の集会の開催された夜、ギー兄さんは襲撃され、遺体が人造湖に浮いて発見される。オセッチャンとアサはボートを漕ぎ出してギー兄さんの遺体を人造湖中央の煉獄の島に引き上げ、体を拭いて清め、青草の上に横たえた。Kが顛末を聞いて想起するその情景は、ダンテの詩にかさねて清く朗らかで、懐かしいイメージである。その循環する時、「懐かしい年」に向けて手紙を書き続ける、そのことが今後の自分の死ぬまでの仕事となるだろうとKは決意する。

主要登場人物

K
四国の森の中の「谷間の村」出身の小説家。 
ギー兄さん
「谷間の村」の「在」の富裕な家に生まれ、故郷にとどまって独学でダンテの研究している人物。Kの「師匠」である。
オユーサン
Kの松山での高校時代の、年長の友人、秋山君の妹。Kの妻となる。
ヒカリ
Kの長男。頭に欠損を抱えて生まれた。知的な障害がある。
セイさん
ギー兄さんの父親の元「お手掛け」で一時神戸で結婚生活をしていたが、「谷間の村」に戻ってきてギー兄さんの屋敷の全般の面倒をみている。
オセッチャン
セイさんが「お手掛け」をやめて神戸で結婚していたときにできた娘。セイさんが「谷間の村」に連れて戻ってきた。ギー兄さんの妻となる。
繁さん
ギー兄さんが60年安保のデモ行進に巻き込まれて負傷した際に知り合った新劇女優。ギー兄さんとパートナーとなる。ギー兄さんとの諍いが生じた結果、事故死する。
アサ
Kの妹で「谷間の村」のKの実家で暮らしている。折々「谷間の村」やギー兄さんの状況を電話で伝えてくる。
時評

作品発表時の時評として主なものに以下のものがある[4]。

津島佑子「『懐かしい年への手紙』に重ねて思うこと」『群像』1987年12月
島田雅彦「トランスパーソナルな小説空間『懐かしい年への手紙』」『新潮』1987年12月号
池内紀「耐えざる問いの試みー大江健三郎『懐かしい年への手紙』」『文學界』1987年12月号
筒井康隆「新しい手法への意志ー大江健三郎『懐かしい年への手紙』」『波』1987年12月
久間十義「大江健三郎『懐かしい年への手紙』」『文藝』1988年2月号
笠井潔「『思わせぶり』のレトリックーデュアル・クリティック大江健三郎『懐かしい年への手紙』」『早稲田文学』第8次 1988年3月号
柄谷行人「同一性への回帰ー大江健三郎」『海燕』1988年4月号
菅野昭正「根拠地の思想ー大江健三郎『懐かしい年への手紙』をめぐって」群像1988年12月号
書誌情報

『懐かしい年への手紙』(1987年、講談社)
『懐かしい年への手紙』〈講談社文芸文庫〉(1987年、講談社)
『大江健三郎小説9』(1997年、新潮社)
『大江健三郎全小説11』(2019年、講談社)
翻訳

フランス語
René de Ceccatty、Ryôji Nakamura訳『Lettres aux années de nostalgie』〈Du monde entier〉(1993年、 Gallimard)
朝鮮語
서은혜訳『그리운 시절로 띄우는 편지』〈大江健三郎小説文学全集16〉(1996年、고려원)
イタリア語
Emanuele Ciccarella訳『Gli anni della nostalgia』〈Garzanti elefanti〉(2001年、Garzanti)
スペイン語
Miguel Wandenbergh訳『Cartas a los años de nostalgia』〈Compactos Anagrama341〉(2004年、Editorial Anagrama)

代表作 大江健三郎

2021-03-16 23:30:52 | 小説
『万延元年のフットボール』(まんえんがんねんのフットボール)は、大江健三郎の長編小説。『群像』1967年1月号から7月号にかけて連載され、同年9月に講談社から刊行された。現在は講談社文芸文庫から刊行されている。第3回谷崎潤一郎賞受賞作品。

Contents
1 あらすじ
2 登場人物
3 作品について
4 評価
5 翻訳
6 関連する作品
7 注
8 関連項目
あらすじ[edit source]
英語の専任講師の根所蜜三郎と妻、菜採子の間に生まれた子供には頭蓋に重篤な障害があり養育施設に預けられている。蜜三郎のたった一人の親しかった友人は異常な姿で縊死した。蜜三郎と菜採子の関係は冷めきり、菜採子はウイスキーに溺れている。
蜜三郎の弟鷹四は60年安保闘争の学生運動に参加していたが転向し渡米、放浪して帰国する。アメリカで故郷の倉屋敷を買い取りたいというスーパーマーケット経営者の朝鮮人(スーパー・マーケットの天皇)に出会い、その取引を先に進めるためである。蜜三郎夫婦は、鷹四に、生活を新しくする切っ掛けにしてはどうか、と提案され、鷹四と鷹四を信奉する年少の星男、桃子とともに郷里の森の谷間の村に帰郷する。
倉屋敷は庄屋であった曽祖父が建造したものである。曽祖父の弟は百年前の万延元年の一揆の指導者であった。曽祖父の弟の一揆後の身の上については兄弟で見解が違う。鷹四の考えでは騒動を収束させるために保身を図る曽祖父によって殺されたとされ、蜜三郎の考えでは曽祖父の手を借りて逃亡したことになっている。鷹四は曽祖父の弟を英雄視している。
故郷の実家には父母はすでになく、戦後予科練から帰ってきたS兄は戦後の混乱で生じた朝鮮人の襲撃で命を落としている。兄弟の妹は知的障害があり、父母の死後に伯父の家に貰われていったが、そこで自殺した。倉屋敷は小作人の大食病の女ジン夫婦が管理している。
S兄の最後についての見方も兄弟で食い違う。当時幼児だった鷹四は、朝鮮人襲撃時のS兄の英雄的な姿を記憶しているが、蜜三郎は、S兄は、騒動の調停の死者数の帳尻合わせのため、日本人の側から引き渡されて殺された哀れな犠牲の山羊であったと指摘する。
谷間の村はスーパー・マーケットの強力な影響下にあった。個人商店は行き詰まり、スーパー・マーケットに借金を負っている。スーパー・マーケットの資本で村の青年たちは養鶏場を経営していたが、冬の寒さで鶏が全滅する。その事後策を相談されたことから鷹四は青年たちに信頼され始め、鷹四は青年たちを訓練指導するためのフットボール・チームを結成する。
妻の菜採子は退嬰的になって一人閉じこもる蜜三郎から離れ、快活に活動する鷹四らフットボール・チームと活動を共にするようになる。鷹四はチームに万延元年の一揆の様子などを伝え、チームに暴力的なムードが高まっていく。
正月前後に大雪が降り、谷間の村の通信や交通が途絶されると、チームを中心にして村全体によるスーパー・マーケットの略奪が起きる。この暴動は伝承の御霊信仰の念仏踊りに鼓舞された祝祭的なものであった。
鷹四は、菜採子と公然と姦淫するようになったが、村の娘を強姦殺人したことから青年たちの信奉を完全に失い、猟銃で頭を撃ち抜いて自殺する。自殺の直前、鷹四は蜜三郎に「本当の事をいおうか」と過去に自殺した知的障害のあった妹を言いくるめて近親相姦していたことを告白する。鷹四の破滅的な暴力の傾向は自己処罰の感情からきていた。
雪が止み、交通が復活した村にスーパー・マーケットの天皇が倉屋敷の移設解体のために現れる。スーパー・マーケットの略奪は不問に付される。倉屋敷の下に地下倉が発見され、曽祖父の弟は逃亡したのではなく、地下で自己幽閉して明治初頭の第二の一揆を指揮、成功させ、その後も自由民権の流れを見守ったことが判明する。
夫婦は和解する。養護施設から子供を引き取り、菜採子が受胎している鷹四の子供を産み育てることを決意する。蜜三郎はオファーのあったアフリカでの通訳の仕事を引き受けることにする。
登場人物[edit source]
根所蜜三郎
本作の語り手。友人の自殺と障害を持った自らの子の誕生を受けて深く絶望している。内向的な傾向をもつ。
根所鷹四
蜜三郎の弟。安保闘争の後に転向。暴力におびえる一方で、暴力的な傾向をもつ。
菜採子
蜜三郎の妻。障害を持った子の出産によりウイスキーに溺れるようになる。
星男
10代後半の鷹四の信奉者。
桃子
同上。
S兄さん(根所S次)
蜜三郎、鷹四の兄。戦後すぐの混乱期に生じた村はずれの朝鮮人集落襲撃事件の手打ちのため犠牲の山羊として殺害される。
ジン
村の大女。六年程前から謎の疾患により大食するようになり、肥満している。村の災いを引き受けていると言われている。
隠遁者ギー (義一郎)
俗世間との接触を断ち森の中に棲む隠遁者。
スーパー・マーケットの天皇(ペク・スン・ギ)
村を経済的に支配するスーパーマーケットチェーンの経営者。
作品について[edit source]
難航した執筆
前作『個人的な体験』から本作の連載開始までに三年弱のブランクがある。学生作家として華々しくデビューして以来、多忙を極めた作者にとって初の、長すぎるといっていい執筆準備ないしは執筆中断期間である。長編執筆の構想をたててから、幾種もの草稿を書きだしては書きあぐねていた。編集者との話し合いで、文芸誌(講談社「群像」)に連載することで、渋滞、遅滞していた執筆の勢いをつけることにした[1]。
時間の処理
作者は、これまでの作品の編年体の語り(物事の生起する順番と語られる順番が一致して時系列順に真っ直ぐに進む)に限界を感じていた。そこで本作品では、小説のタテの展開としては短い範囲をきざみ、そこに幾種もの時間の系列を導入する書き方(具体的には 「根所兄弟が森のなかの集落に帰省して悲劇が終るまでの短い期間」と、それに重ねられる「百年という長い期間」etc.)をした 。本先以後の作者の長篇の書き方の基本形をなすことになった 。この小説の書き方はフォークナーなどから学んでいる[2]。
二人の人物
作者の言によると本作の人物造形は次のように構想された。「行動するやつと、それを見まもっているやつ(やがてはそれを書くこともするやつ)、そのように、自分を二つに分けた。実際にデモに行くという行動に出る、そこで傷つく人物と、もう一人、いつも考えているだけで行動しない人物、かれは鬱屈して家で本を読んでいるのだけれども、しかしやはり傷を負っている。そのような片割れということを考えて 、二人組、根所蜜三郎と鷹四という兄弟を作り出した 」これは本作にとどまらず、その後の作品の原型になっている(『同時代ゲーム』の兄妹、『懐かしい年への手紙』のKとギー兄さん、『おかしな二人組 三部作』etc.)[3]。
誰が主人公か?
本作の主人公は、一番単純に考えれば語り手である蜜三郎、あるいは彼のピカレスク・ロマンが語られるという意味では鷹四と考えられるが、作品発表時の秋山駿のインタビューでは、それを問われた作者は、曽祖父の弟こそが主人公であると述べている。「主人公は、曽祖父の弟でしょう。結局鷹四が自殺したところで大したことではないのです。彼らがなんとか努力して一瞬なりと曽祖父弟の面影を現代読者の目にふれさせれば、小説の目的は果たされるのであって、そういうことなのですよ。曽祖父の弟が恥をしのんで生き残って地下室にいたということが出てくることで小説は完成されるわけです。」[4]
強力なアレゴリー
本作品には様々な複雑なメタファー、シンボルが含まれているが、作者は単純な、そしてそれ故に力強い意味作用を持つアレゴリーをひとつ導入している。主役に兄弟の姓は「根所」であるが、それは沖縄のそれぞれの集落における祭祀的・政治的な中心をなす場所ネンドクルーに漢字をあてたものであった。作中の「屋敷」が、その森のなかの土地のネンドクルーであることがアレゴリカルに示されている[5]。
評価[edit source]
大岡昇平の評価
小説家大岡昇平は連載していた朝日新聞の文芸時評で「安保体験は現代青年の一部にとって切実でありながら、文学的形象に結晶しにくい不毛な主題なのであるが、大江氏はそれを土俗的雰囲気と歴史的展望の下におくことによって、新しい伝奇小説、現代神話を創造することに成功したのである。氏の作家生活の一つのピークを形づくる作品と思われる」と述べた[6][7]。
江藤淳の評価
批評家江藤淳は大江との対談で「蜜三郎」などの名前が不自然だと激しく論難し、これが大江と江藤の決裂と、江藤の死にまで至る対立をもたらした[8]。
この対談について『江藤淳と大江健三郎』という評伝を書いた比較文学者小谷野敦は、同書でこの議論に触れて、江藤は「主人公の根所蜜三郎、鷹四の兄弟の名前が変だ」ということばかり言っているが『日常生活の冒険』の主人公が斎木犀吉であるように、もともと大江が作中人物につける名前は変であり、また名前が変だからとして作品の全否定に至るのもおかしいとして、江藤が『万延元年のフットボール』を否定した理由は対談を読んでもよく分からないとしている。小谷野は「すでにこの頃江藤は「スーパーマーケットの天皇」と、天皇を揶揄されるだけで拒絶反応を起こすようになっていたのではないか。」と推測している。[9]
柄谷行人の評価
批評家・哲学者柄谷行人は「大江健三郎のアレゴリー」という批評を書いた[10]。その内容は以下の通りである。第I節において、『万延元年のフットボール』が固有名を欠いている(柄谷によれば「蜜三郎」「鷹四」は主人公の性格をあらわすタイプ名である)のは、それは大江が、特殊性が普遍性を象徴するという近代文学の思考の装置を退けて「単独性」を重視し、超歴史的な構造に還元し得ない固有の時空間を描こうとするからである、という逆説的な指摘がなされる。第II節において、『万延元年のフットボール』は、第I節で指摘したアレゴリー的な枠組みによって、1960年の安保闘争に集約されて表れた幕末以来の政治的、思想的ダイナミクスの総体(柄谷は幕末以来の日本の思想を国権/民権の軸、西洋/アジアの軸の四象限で整理している)、分裂し暴力も孕む「根所」を捉えた唯一の作品であるとした。
柄谷はまた、大江との直接対話の際、上記とからむ発言をしている。柄谷は『万延元年のフットボール』は、万延以来の日本の近代のある種の総決算であるとして、小説家がそれ以降にやっていくことは非常に難しいものだったとする。そして大江以降の代表的な作家として中上健次(『枯木灘』)と村上春樹(1973年のピンボール』)の二人の名前を挙げて、彼らが『万延元年のフットボール』の影響圏で、そこから何か別の形でやろうと模索したことを指摘し、また大江自身も『懐かしい年への手紙 』で『万延元年のフットボール』に改めて触れたことも指摘して、本作は日本の文学上の一つの分水嶺をなすことは明らかだとした。[11]
浅田彰の評価
批評家浅田彰は、浅田彰、柄谷行人、蓮實重彦、三浦雅士による討議「昭和批評の諸問題 一九六五 − 一九八九」[12]において、日本の(1980年代当時の)現代思想についての討議の事前のサマリーで、吉本隆明が1968年に主著『共同幻想論』において行った共同体の深層のパターンを探り出そうとする試みは、1970年代に人類学の知見で周縁的な文化の深層にあるパターンを再発見し、中心を再活性化しようとする山口昌男の「中心と周縁」理論の発想と遠いものではないと整理した。そのうえで、小説にまで視野を広げれば、そうしたテーマのほとんどは『万延元年のフットボール』によって先取りされており、批評や理論はそれを後から追いかけていたともいえる、とした。そして討議の場において、『万延元年のフットボール』は共同体を活性化させるカーニヴァルとしての革命が歴史的反復の中で変形されるという論理まで先取りしており、山口にたいして意地の悪い見方をすると、『万延元年のフットボール』は山口以前に、山口の「中心と周縁」の理論の「可能性の中心」を出すとともに、ディコンストラクトすらしており、それを単純化して理論化すると山口の理論となると発言している。(注:これは、大江自身が山口の理論を学習して『小説の方法』や『同時代ゲーム』を執筆したと公言し、ある時期の大江は山口の理論の大きな影響を受けていると一般的には理解されている[13][14]ということを前提にした議論である)
マサオ・ミヨシの評価
カルフォルニア大学バークレー校の英文学・日本文学研究者、マサオ・ミヨシは『万延元年のフットボール』は二十世紀後半の世界に数少ない、複雑さを恐れない、大規模な小説であると述べる。ミヨシは『万延元年のフットボール』は、強烈な言葉と映像によって、読者を興奮と抒情と諧謔の只中に誘導すると述べる。また『万延元年のフットボール』では、登場人物の個人性が、家族・村・国家などの外部と常に関連づけられて、内向的な超歴史的な神話化が避けられているとし、『万延元年のフットボール』は個人と社会、思考と行動、過去と現在の歴史的吟味、1960年の安保条約で揺れに揺れた日本と超大国米国との政治の吟味を行なっていると述べる。そして「「万延元年」は日本で書かれた最初の──世界の読者にとっての── 鼓舞であり警告であり祝福である作品だ。」と本作を称賛している。[15]
翻訳[edit source]
英語 Silent Cry(John Bester)ー 1974年
フランス語 Le jeu du siècle(René de Ceccatty et Ryôji Nakamura)ー1985年
ドイツ語 Die Brüder Nedokoro : Roman 1980年、Der stumme Schrei : Roman (Rainer und Ingrid Rönsch)
イタリア語 Il grido silenzioso (Nicoletta Spadavecchia)
スペイン語 El grito silencioso (Miguel Wandenbergh)
ロシア語 Футбол 1860 года (Владимир Гривнин)
関連する作品[edit source]
筒井康隆『万延元年のラグビー』 - 本作のパロディ小説。桜田門外の変の後、井伊直弼の首が奪い合われる。
村上春樹『1973年のピンボール』 - タイトルが本作のパロディであると指摘される。
注[edit source]
^ 三章 ナラティヴ 、つまりいかに語るかの問題『私という小説家の作り方』新潮社
^ 九章 甦えるローマン主義者『私という小説家の作り方』新潮社
^ 『大江健三郎 作家自身を語る』新潮社
^ 対談・私の文学『大江健三郎 群像日本の作家23』小学館
^ 九章 甦えるロ ーマン主義者『私という小説家の作り方』新潮社
^ 「ノーベル賞はいかにしてもたらされたか」尾崎真理子 『大江健三郎全小説7』所収
^ 「文芸時評の評価 文芸時評 昭和四十二年七月」大岡昇平『大江健三郎 群像日本の作家23』小学館
^ 『江藤淳全対話2』小澤書店、小谷野敦『現代文学論争』筑摩選書
^ 『江藤淳と大江健三郎』筑摩書房kindle3064/6524
^ 『終焉をめぐって』(福武書店)または『歴史と反復』(岩波書店)所収。
^ 「世界と日本と日本人」『大江健三郎柄谷行人全体話』所収
^ 柄谷行人編『近代日本の批評II』講談社文芸文庫
^ 『大江健三郎作家自身を語る』kindle1783〜1801/5037
^ 山本昭宏『大江健三郎とその時代 「戦後」に選ばれた小説家』人文書院p225-228
^ 「小説を今書くこと」『大江健三郎 群像日本の作家23』小学館
関連項目[edit source]
戦後民主主義
万延元年
純文学
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Le Jeu du siècle
Le Jeu du siècle
Auteur Kenzaburō Ōe
Pays Japon
Genre Roman
Version originale
Langue Japonais
Titre 万延元年のフットボール
Man'en gannen no futtobôru
Éditeur Kōdansha
Date de parution 1967
Version française
Traducteur René de Ceccatty et Ryôji Nakamura
Éditeur Gallimard
Collection Du monde entier
Date de parution 1985 / rééd. 2000, 2017
Nombre de pages 352
ISBN 2070262510
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Le Jeu du siècle (万延元年のフットボール, Man'en gannen no futtobôru?, littéralement "Football en l'an un de l'ère Man'En"1) est un roman de Kenzaburō Ōe, publié en 1967. L'histoire se déroule dans les années 1960 et raconte le retour de deux frères dans leur village natal sur l'île de Shikoku. Des retours dans le temps évoquent également des événements qui ont eu lieu dans le village en 1945 et en 1860, année correspondant à l'ère Man'en mentionnée dans le titre original. Le Jeu du siècle reçut le Prix Tanizaki l'année de sa publication. Sa version française parut en 19852.


Sommaire
1 Résumé
2 Thèmes abordés
3 Citations
4 Notes et références
Résumé[modifier | modifier le code]
L'histoire se déroule dans les années 1960. Mitsusaburô (la plupart du temps abrégé en Mitsu), le narrateur, vit à Tokyo, a vingt-sept ans et est borgne. Au début du roman, il médite sur deux événements récents qui l'ont plongé dans la dépression et la passivité : le suicide de son meilleur ami, et l'abandon de son bébé, qui s'est révélé être anormal, à un institut spécialisé. Abandon qui a fait sombrer sa femme, Natsuko, dans l'alcoolisme.

C'est alors que lui parvient la nouvelle du retour de son frère cadet au Japon, Takashi (souvent abrégé en Taka), qui a voyagé quelque temps aux États-Unis. Ancien militant violent d'extrême-gauche opposé à la signature du traité de coopération entre les États-Unis et le Japon, Taka a tenté, sans succès, de se repentir par le biais de ce voyage. De retour au pays, il est décidé à commencer une nouvelle vie, en retournant pour cela dans leur village natal, situé dans un ravin isolé, dans les montagnes de Shikoku. Il propose à Mitsu et à Natsuko de l'accompagner, afin de les faire se ressaisir eux aussi.

Le retour de Taka dans le village de leurs ancêtres est aussi motivé par le souhait de découvrir la vérité à propos d'événements qui se sont déroulés un siècle plus tôt. En effet, en 1860, une révolte paysanne avait secoué la région, dirigée par un groupe de jeunes originaires du village. Ces jeunes avaient à leur tête l'arrière-grand-oncle de Mitsu et Taka, qui s'opposait à son frère, leur arrière-grand-père. Une fois au village, Mitsu et Taka se disputent pour savoir lequel de leur ancêtre avait raison : le rebelle ou le défenseur de l'ordre. Aux yeux de Mitsu, Taka idéalise le destin et la personnalité de son ancêtre rebelle ; Mitsu, lui, ne voit dans son arrière-grand-oncle qu'un lâche qui se serait enfui en sacrifiant ses compagnons d'armes, après l'échec de sa révolte ; il se sent intellectuellement plus proche de son arrière-grand-père, plus mesuré.

Les deux frères s'opposent aussi sur l'interprétation de la mort de leur frère aîné, tué à l'été 1945 dans un raid effectué par les jeunes du village dans le ghetto coréen accolé au village, où étaient regroupés les travailleurs forcés coréens. Là aussi, Taka idéalise la vie de ce frère, il l'imagine en héros se sacrifiant volontairement afin de protéger les autres, tandis que Mitsu ne le perçoit que comme un bouc émissaire, désigné comme tel par les jeunes du village en raison de sa faiblesse. Systématiquement, à la vision romantique des événements de Taka, Mitsu oppose son esprit critique.

Très vite, par identification à cet arrière-grand-oncle qu'il idolâtre, Taka ne se contente plus de discuter et décide de passer à l'action. À son tour, grâce à sa personnalité charismatique, il fédère autour de lui les jeunes du village et la femme de Mitsu, qu'il entraîne d'abord comme une équipe de football, avant de les pousser à se révolter contre le propriétaire du supermarché du village, un Coréen enrichi, ancien travailleur forcé qui habitait le ghetto à l'époque de la guerre. Le village entier se retrouve touché par cette épidémie de violence collective et le supermarché est pillé. Mitsu, fidèle à sa lucidité, refuse d'adhérer à ce qu'il estime être une folie collective et assiste impuissant aux événements. Dans le même temps, Taka révèle également à Mitsu le secret qui le hante depuis son adolescence : le suicide de leur sœur cadette est la conséquence de la relation incestueuse qu'il a entretenu avec elle pendant plusieurs mois.

Après le pillage, un événement précipite le destin de Takashi : celui-ci se retrouve accusé du viol et du meurtre d'une jeune fille du village. Persuadé d'être acculé et de finir sous peu lynché par les villageois, Taka se suicide. Quelques semaines plus tard, alors que le calme est revenu au village, la maison familiale est vendue au propriétaire du supermarché. Les travaux de démolition de celle-ci mettent au jour une cave secrète, située sous la maison. Mitsu découvre alors que, contrairement à ce qu'il pensait, l'arrière-grand-oncle, après l'échec de sa révolte, ne s'est pas enfui, mais a vécu caché dans cette cave, se condamnant de la sorte lui-même à méditer sur son échec jusqu'à la fin de ses jours. À la lumière de cette découverte, Mitsu revoit son jugement sur son arrière-grand-oncle et son frère, prenant conscience de la similitude réelle existant entre les destins de ces deux êtres. Mitsu et Natsuko quittent alors définitivement le village, espérant commencer ailleurs une nouvelle vie.

Thèmes abordés[modifier | modifier le code]
Dans un essai intitulé L'Âge d'or du roman, l'essayiste et critique d'art Guy Scarpetta consacre un chapitre à l'analyse du Jeu du siècle, intitulé Une saison en enfer3. Dans celui-ci, il évoque notamment la façon dont le roman aborde les thèmes du racisme ou du fascisme, à travers le personnage de Takashi, qui dirige des violences contre un Coréen et suscite un culte du chef autour de sa personne. Guy Scarpetta souligne le fait qu'aux yeux de Takashi, les effets concrets de la révolte qu'il organise comptent moins que le lien communautaire qu'elle permet de recréer. Il souhaite retrouver par celle-ci l'esprit des violences passées (la révolte de l'arrière-grand-oncle), perçues comme un mythe unificateur, et se méfie des intellectuels comme son frère qui n'adhèrent pas au groupe. Le roman peut donc se percevoir en partie comme l'analyse de la naissance d'un fascisme, "sans que jamais les personnages soient réduits à leurs idées, sans que jamais les situations perdent leur complexité ou leur ambiguïté, sans que jamais ce qui est figuré obéisse à une représentation préétablie, — c'est-à-dire sans jamais tomber dans le piège du "roman à thèse"..."4.

Guy Scarpetta évoque aussi l'effet d'"éternel retour" que provoquent chez le lecteur les multiples retours dans le temps présent dans le roman (correspondant aux souvenirs personnels de Mitsu ou à l'évocation de l'histoire du village). Les événements se déroulant dans le présent du roman trouvent en effet toutes sortes de résonances dans le passé : la révolte de Takashi semble reproduire la révolte de 1860 ; les deux frères donnent l'impression de réincarner l'arrière-grand-père et l'arrière-grand-oncle et de se trouver dans une situation identique à la leur ; le sacrifice du frère aîné lors de l'attaque du ghetto coréen en 1945 annonce le suicide expiatoire de Takashi à la fin du roman. Guy Scarpetta propose trois interprétations de ce phénomène de répétition, perçu par Mitsu lui-même dans le roman : d'abord, cette histoire qui se répète peut se percevoir comme l'effet de la fatalité, comme si une malédiction s'attachait à cette famille (à la façon des tragédies grecques). Il souligne également que ces répétitions sont en partie imaginées par les personnages, qui réinterprètent le passé à la lumière du présent pour justifier leur comportement. Enfin, il explique que l'on peut y voir la conséquence d'une "identification à distance", qui pousse Taka et Mitsu à rejouer plus ou moins consciemment l'histoire familiale du siècle dernier. Trois interprétations qui selon lui se complètent, "comme si Kenzaburō Ōe voulait suggérer que c'est dans l'inconscient même des personnages (cet inconscient qui, selon la célèbre formule freudienne, "ignore le temps") que s'originait une compulsion de répétition assez forte pour susciter les événements, — et reproduire ainsi les tragédies passées au lieu même où l'on s'imaginait les conjurer."5.

L'écrivain Yvon Rivard, dans un court article6, évoque lui l'affrontement entre la vision de Mitsu, "classique, critique et raisonnable" et celle de Taka, "romantique, irrationnelle et suicidaire" et la façon dont le roman dépasse finalement cette opposition. Yvon Rivard explique en effet que le lecteur peut être tenté de donner raison au comportement critique, raisonnable de Mitsu pendant la plus grande partie du roman. Mais le suicide de Taka et la révélation sur la révolte de 1860 à la fin permettent de dépasser le clivage raison/déraison. Selon lui, le lecteur prend alors conscience que "la folie de Taka n'a pas raison contre la sagesse de Mitsu, mais elle oblige ce dernier à reconnaître que certains êtres ne peuvent trouver leur unité que dans la mort, qu'ils ne peuvent venir à bout de leur enfer qu'en s'y enfonçant. Quant à ceux "qui n'ont pas voulu laisser naître en eux-mêmes ce quelque chose qui exigerait un saut discontinu", il ne leur reste plus qu'à espérer que le sacrifice de leur double leur permette de "survivre en paix dans une vie réelle, opaque, incertaine, ambigüe". Autrement dit, ceux qui n'ont pu ou voulu faire le saut devront vivre et mourir plus longtemps. Et cela, survivre à sa propre folie, exige aussi une certaine forme de courage. [...] Dès lors s'estompent les frontières artificielles entre raison et déraison et s'inversent les rôles habituellement attribués à l'une et à l'autre. L'aveugle n'est pas toujours celui qu'on pense.".

Citations[modifier | modifier le code]
"Tout en imitant un homme qui dort, je me lève et marche, d'un pas traînant, dans l'obscurité. Les yeux fermés, je heurte différentes parties de mon corps aux portes, aux murs, aux meubles et chaque fois, je pousse des grognements plaintifs. Pourtant, mon œil droit est privé de vue même en plein jour. Quand comprendrai-je ce que recèlent les circonstances qui en ont voulu ainsi ? C'était un accident dégoûtant, absurde. Un matin, alors que je marchais dans la rue, une bande d'écoliers excités m'a lancé des pierres. Frappé à l’œil, je suis tombé sur le pavé, sans rien comprendre à ce qui m'arrivait. Mon œil droit était crevé dans le sens de la longueur, cornée et iris, et avait perdu la vue. Jusqu'à aujourd'hui, le vrai sens de cet accident ne m'a jamais été donné. Et j'ai, en outre, peur de le comprendre. Si vous avancez, en vous recouvrant l’œil droit de la main, vous constaterez que vous attend un grand nombre d'obstacles aux aguets, à votre droite. Et vous vous cognerez soudain. Vous vous heurterez à plusieurs reprises la tête, le visage. Ainsi, la moitié droite de ma tête n'est jamais indemne de cicatrices et je suis laid. Je me rappelais souvent, même avant l'accident, que ma mère avait parlé, une fois, de l'allure que je prendrais, adulte, en comparaison de mon frère, qui serait beau garçon, et peu à peu, la laideur me devenait une évidence. Cet œil infirme accentuait chaque jour davantage cette criante laideur. La laideur a une tendance naturelle à se tapir dans l'ombre. Mais l’œil perdu l'entraîne de force vers le jour. Cependant, j'ai attribué un autre rôle à cet œil sans lumière. J'ai comparé cet œil privé de fonction à un œil qui s'ouvre sur les ténèbres intérieures au cerveau. Il voit toujours ces ténèbres emplies de sang, plus chaudes que ma température ordinaire. J'ai ainsi engagé un garde forestier dans ma nuit intérieure pour m'imposer l'exercice de m'observer moi-même."7

"Tu veux que je te dise la vérité ? demanda-t-il d'une voix probablement pareille à celle qu'il avait prise pour s'adresser à mon ami à New York. C'est un vers écrit par un jeune poète. À cette époque, je l'avais toujours sur le bord des lèvres. Je pensais alors à une vérité absolue qui, une fois dite, ne laisserait à celui qui l'aurait prononcée d'autre issue que d'être tué, de se tuer, de sombrer dans la folie ou de devenir un monstre inhumain. La vérité dont je parle aurait les mêmes conséquences que de porter en poche une bombe dont la fusée-détonateur serait irrévocablement enclenchée. Crois-tu qu'un homme ait le courage d'énoncer aux autres une telle vérité ?"8

"La constance de la vie de cet homme, telle qu'elle m'a été révélée, a un tel pouvoir de rayonnement que le suicide de mon frère qui vivait dans l'espoir d'imiter cet homme me paraît maintenant posséder une autre tonalité, comme l'issue dramatique d'une aventure, où il m'avait exposé la totalité de sa vérité à moi qui devais lui survivre. C'est ainsi que je dois reconnaître l'effondrement du jugement fragile que j'avais porté sur Takashi. Dans la mesure où l'image du frère de notre arrière-grand-père que je ne manquais pas de tourner en dérision quand Takashi s'y référait n'était plus un fantasme, Takashi a maintenant un net avantage sur moi. Je vois au fond de l'obscurité où siffle le vent les yeux d'un chat mourant que nous avions depuis notre mariage jusqu'au jour où nous avons su que Natsuko était enceinte : ce jour-là, il avait été écrasé et l'on entrevoyait entre ses pattes quelque chose comme une main à la peau rouge. Ses yeux aux iris jaunes et étincelants comme des chrysanthèmes étaient ceux d'un vieux et sage matou. Alors même que la douleur pénétrait son petit cerveau, ils étaient calmes et indifférents. Ses yeux de chat faisaient un bien propre de sa douleur et lui refusaient toute existence devant les autres. Non seulement je me refusais à comprendre cet homme qui avec de tels yeux supportait son enfer intérieur, mais j'étais tout le temps hostile à l'effort que Takashi avait fait pour trouver une nouvelle issue, sans cesser d'être un tel homme. J'ai refusé mon aide à mon frère qui, avant même de mourir, la quémandait dans la détresse. Et c'est seul que Takashi a dû surmonter son enfer. Les yeux de chat que je contemple dans l'obscurité se sont confondus avec ceux de Takashi, avec les yeux, rouges comme des prunes, de ma femme, et tout cela se disposait dans un cercle distinct s'inscrivant avec certitude dans le champ de mon expérience. Ce cercle ne cessera de s'accroître dans le temps qui sera alloué à ma vie et bientôt cent yeux formeront en cercle une constellation qui brillera dans ma nuit intérieure. À leur lumière, éprouvant douleur et honte, je survivrai, tâtonnant dans ce monde extérieur et ténébreux et équivoque, avec mon seul œil, timoré comme un rat... [...] Par comparaison avec la certitude que ceux qui ont surmonté leur enfer ont acquise d'eux-mêmes, je devrais survivre, sans volonté positive, dans des jours de désolation, d'ambiguïté, d'incertitude."9

Notes et références[modifier | modifier le code]
↑ Traduction basée sur celle proposée par la version anglaise du présent article
↑ « Le jeu du siècle » [archive], sur Gallimard (consulté le 10 novembre 2019)
↑ Guy Scarpetta, L'âge d'or du roman, Grasset, 1996, 350 p., p. 205-221
↑ Guy Scarpetta, L'âge d'or du roman, Grasset, 1996, 350 p., p. 221
↑ Guy Scarpetta, L'âge d'or du roman, Grasset, 1996, 350 p., p. 211
↑ Yvon Rivard, « Oé : le privilège de la folie », Liberté, vol. 28, no 5,‎ 1986, p. 4-7 (lire en ligne [archive])
↑ Kenzaburō Ōe, Le jeu du siècle, Gallimard, 2017, 462 p., p. 10-11
↑ Kenzaburō Ōe, Le jeu du siècle, Gallimard, 2017, 462 p., p. 258-259
↑ Kenzaburō Ōe, Le jeu du siècle, Gallimard, 2017, 462 p., p. 439-441
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Catégories : Roman japonais paru en 1967Roman se déroulant au JaponRoman se déroulant dans les années 1960Œuvre de Kenzaburō Ōe[+]

The Silent Cry (Japanese 万延元年のフットボール; Man'en Gannen no Futtoboru, literally 'Football in the First Year of Man'en') is a novel by Japanese author Kenzaburō Ōe, first published in Japanese in 1967 and awarded the Tanizaki Prize that year.


Contents
1 Plot
2 Literary significance & criticism
3 Footnotes
4 External links
Plot[edit]
The novel tells the story of two brothers in the early 1960s: Mitsusaburo, the narrator, a one-eyed, married an English professor in Tokyo; and his younger brother Takashi, who has just returned from the US. Mitsusaburo and his wife Natsumi have been through a series of crises. They left their physically and mentally handicapped baby in an institution, while Mitsusaburo's friend committed suicide (he painted his head crimson, inserted a cucumber in his anus and hanged himself). Natsumi has become an alcoholic. Mitsusaburo leaves his job and they all travel to the brothers' home village, set in a hollow in the forest on Shikoku.

The brothers' family had been one of the leading families in the village. Takashi is obsessed with the memory of their great-grandfather's younger brother, who led a peasant revolt in 1860. Mitsusaburo remembers the affair differently, believing that the leader of the rebellion betrayed his followers. They similarly disagree over the death of their older brother, S, who was killed in a raid on the Korean settlement near the village. Takashi revels in his warrior's death, while Mitsusaburo recalls him as volunteering to be killed in retaliation for the death of a Korean in an earlier raid. Their sister, also mentally retarded, had committed suicide while living with Takashi.

Takashi has agreed to sell the family's kura-yashiki — a traditional residence-storehouse — to 'the Emperor', a Korean originally brought to the village as a slave-worker but who has now gained a position of economic dominance, turning the village's other kura-yashiki into a supermarket which has put the smaller shops out of business. Secretly, he has also agreed to sell the Emperor all the family's land.

Takashi begins to organise the youths of the village into a group, beginning with football training. When Mitsusaburo discovers Takashi's deception, he isolates himself from the others, but his wife sides with Takashi. Mitsusaburo goes to live in the kura-yashiki, while Takashi moves his group into the family's main building.

Takashi uses his group to begin an uprising against the Emperor, looting the supermarket and distributing the goods among the people. Takashi also begins a sexual relationship with Natsumi and sends one of his followers to tell Mitsusaburo. The people eventually become disenchanted, however; eventually a girl is killed. Takashi claims that he tried to rape her and then murdered her. He is abandoned by his group and waits for the villagers to come and lynch or arrest him. Mitsusaburo, however, does not believe his story and says that Takashi is using the girl's accidental death as a way to engineer his own violent death. Takashi admits to Mitsusaburo that their sister killed herself after he ended an incestuous relationship with her. After Mitsusaburo scorns Takashi's belief that he will be killed, Takashi shoots himself, writing as a final statement, 'I told the truth'.

The Emperor comes and begins demolishing the kura-yashiki. A secret basement is discovered in which the brother of the great-grandfather had spent the rest of his life hiding after the failure of his rebellion. Mitsusaburo and Natsumi decide to try to live together again, along with their handicapped baby and Takashi's unborn child, which Natsumi is carrying. Mitsusaburo decides against a return to his old job, instead taking up an offer to work as a translator with a wildlife expedition to Africa.

Literary significance & criticism[edit]
The Japanese title connects the date of the rebellion (1860, the first year of the Man'en era, and also the year of Japan's first embassy to the US) with the American influence on Japan represented by the Japan-US Mutual Security Treaty of 1960 and by the (American) football with which Takashi begins his own uprising. Ōe in a later essay compared the imagination of the writer to a clamp connecting the horizontal narrative with the vertical relationship between the two eras.[1] Ōe also drew a parallel between the back and forth motion of the football being passed and the reciprocal relationship between the stories of the two eras.[2] Michiko Wilson extends the comparison to the thesis-antithesis relationships between the violent and penitential sides of Takashi's character and between the passive, intellectual Mitsusaburo and the active Takashi who is in touch with nature.[3]

Susan Napier emphasises the mythical aspect of the story in her study of the novel. Like many of his earlier works, The Silent Cry has an unreal Arcadian setting, cut off from the rest of Japan and populated with grotesque characters. She argues that the climax of the book, Takashi's suicide, cannot be explained merely as prompted by his guilt over his relations with his sister. Rather, his death is a sacrifice necessary, in terms of the myth, for the redemption of Mitsusaburo and of the village; his incestuous relationship is merely a pretext for the sacrifice.[4]

The Silent Cry is widely seen as a key work in Ōe's oeuvre. It is the only novel (other than The Game of Contemporaneity) to which Wilson devotes a whole chapter in her survey of Ōe's works, while Napier sees it as a turning point in his output between his smaller-scale early works and the broader canvases of the later novels. As such it is, "perhaps his most successful effort to encapsulate Japanese history, society, and politics within a single tight narrative".[5] The novel also marks an end to Ōe's series of works depicting pairs of brothers in pastoral settings, a hiatus which lasted until 1980's The Trial of 'Nip the Buds, Shoot the Kids'.

大江健三郎

2021-03-16 22:37:21 | 小説
大江健三郎
From Wikipedia
Paris - Salon du livre 2012 - Kenzaburō Ōe - 003.jpg
大江健三郎(2012年、パリにて)
主題 性・政治・核時代・障害者との共生・故郷の伝承・祈り
代表作 『飼育』(1958年)
『芽むしり仔撃ち』(1958年)
『個人的な体験』(1964年)
『万延元年のフットボール』(1967年)
『洪水はわが魂に及び』(1973年)
『同時代ゲーム』(1979年)
『新しい人よ眼ざめよ』(1983年)
『懐かしい年への手紙』(1987年)
『燃えあがる緑の木』(1993年 - 1995年)
『取り替え子(チェンジリング)』(2000年)
主な受賞歴 芥川龍之介賞(1958年)
新潮社文学賞(1964年)
谷崎潤一郎賞(1967年)
野間文芸賞(1973年)
読売文学賞(1983年)
大佛次郎賞(1983年)
川端康成文学賞(1984年)
伊藤整文学賞(1990年)
ノーベル文学賞(1994年)
朝日賞(1994年)
レジオンドヌール勲章(コマンドゥール)(2002年)
影響を受けたもの[表示]
受賞部門:ノーベル文学賞
受賞理由:詩趣に富む表現力を持ち、現実と虚構が一体となった世界を創作して、読者の心に揺さぶりをかけるように現代人の苦境を浮き彫りにしている [1][14]

Contents
1 来歴
1.1 生い立ち
1.2 芥川賞作家として ─ 飼育、芽むしり仔撃ち、個人的な体験
1.3 国際的な作家へ ─ 万延元年のフットボール、洪水はわが魂に及び、同時代ゲーム
1.4 円熟へ 連作短編の時代 ─ 「雨の木」を聴く女たち、新しい人よ眼ざめよ
1.5 ノーベル賞受賞まで ─ 懐かしい年への手紙、燃えあがる緑の木
1.6 後期の仕事(レイト・ワーク)─ 取り替え子、水死
2 人物
2.1 創作方法など
2.2 日本文学
2.3 趣味など
2.4 その他
3 関わりの深い人物
4 文学的評価
4.1 評価
4.2 国内受賞歴
5 政治的思想・見解
6 作品
6.1 長編小説
6.2 連作短編集
6.3 中・短編集
6.4 評論・随筆等
6.5 共著
6.6 全集
6.7 文学全集
6.8 共編
6.9 台本
6.10 講演映像
6.11 テレビ番組
6.12 その他
7 作品の映画化
8 研究・評伝
8.1 研究・評伝
8.2 雑誌の特集
9 脚注
10 外部リンク
来歴[edit source]
生い立ち[edit source]
1935年1月31日、愛媛県喜多郡大瀬村(現内子町)に生まれる。両親、兄二人、姉二人、弟一人、妹一人の9人家族であった。大瀬村は森に囲まれた谷間の村で、のちに大江の作品の舞台となる。1941年、大瀬小学校に入学する。この年に太平洋戦争が始まり、5年生の夏まで続いた。1944年、父親が50歳で心臓麻痺で急死している[6]。1947年、大瀬中学校に入学。1950年、愛媛県立内子高等学校に入学するも、いじめを原因に翌年愛媛県立松山東高等学校へ転校する。高校時代は石川淳、小林秀雄、渡辺一夫、花田清輝などを読む[7]。松山東高校では文芸部に所属し部誌『掌上』を編集、自身の詩や評論を掲載した。同校において同級生だった伊丹十三と親交を結ぶ。
1953年に上京し、浪人生として予備校に通ったのち、1954年東京大学教養学部文科二類(現在の文科III類)に入学する。演劇脚本や短編の執筆を始める。1955年、小説「優しい人たち」が『文藝』第三回全国学生小説コンクールで入選佳作となる。同年、小説「火山」が銀杏並木賞第二席となり、教養学部の学内誌に掲載されて作品が初めて活字となる[8]。 このころ、ブレーズ・パスカル、アルベール・カミュ、ジャン=ポール・サルトル、ノーマン・メイラー、ウィリアム・フォークナー、安部公房などを読む[9]。1956年、文学部フランス文学科に進み、高校時代より著作を愛読し私淑してきた[10]渡辺一夫に直接師事する。小説「火葬のあと」が「文藝」第五回全国学生小説コンクール選外佳作となる。東大学生演劇脚本の戯曲「獣たちの声」(「奇妙な仕事」の原案)で創作戯曲コンクールに入選する[11]。
芥川賞作家として ─ 飼育、芽むしり仔撃ち、個人的な体験[edit source]
1957年、五月祭賞受賞作として小説「奇妙な仕事」が『東京大学新聞』に掲載され、文芸評論家平野謙の激賞を受ける。これを契機として、短編「死者の奢り」により学生作家としてデビューし、続々と短編を各文芸誌に発表するようになる。「死者の奢り」は第38回芥川賞候補となる。1958年、自身初の長編小説である『芽むしり仔撃ち』を発表する。大江の故郷の村をモデルにした[12]閉ざされた山村を舞台にして、社会から疎外された感化院の少年たちの束の間の自由とその蹉跌を描いた。同年に短編「飼育」で第39回芥川賞を23歳で受賞する。
1959年、東京大学を卒業する。卒業論文は「サルトルの小説におけるイメージについて」であった[13]。同年書き下ろし長編『われらの時代』を刊行する。政治などの現実社会から内向的な性の世界へと退却する、停滞状況にある現代青年を描く[14]。この時期の大江の、性を露骨に描いて日常的規範を攪拌させる方法はノーマン・メイラーの影響を受けている[15]。この年成城に転居し、近所に住むに武満徹と親交がはじまる。1960年、伊丹十三の妹のゆかりと結婚する。同年、石原慎太郎、江藤淳、浅利慶太らと「若い日本の会」で活動を共にし、日米安保条約(新安保条約)締結に反対する[16]。「日本文学代表団」の一員として、野間宏、亀井勝一郎、開高健らと共に中国を訪問して中国の文学者と交流し、毛沢東と対面している[17]。
1961年、中編「セヴンティーン」と続編「政治少年死す(セヴンティーン第二部)」を発表する。浅沼稲次郎暗殺事件に触発されて、オナニストの青年が天皇との合一の夢想に陶酔して右翼テロリストとなる様を描いたが、同じ頃に発表された深沢七郎の『風流夢譚』と同様に右翼団体からの脅迫に晒された(このため「政治少年死す(セヴンティーン第二部)」はその後の単行本に収められていなかったが、2018年『大江健三郎全小説3』で遂に「セヴンティーン」と併せて収録された)[18]。同年、ブルガリアとポーランドの招きに応じて、両国やソ連、ヨーロッパ各地を訪問して、パリでサルトルにインタビューを行なっている[19][20]。
1963年、長男の光が頭蓋骨異常のため知的障害を持って誕生する。1964年、光の誕生をうけての作品『個人的な体験』で第11回新潮社文学賞を受賞する。知的障害をもって生まれた子供の死を願う父親が、様々な精神遍歴の末、現実を受容して子供と共に生きる決意をするまでの過程を描いた作品である。同年、広島に何度も訪れた体験や、原水爆禁止世界大会に参加した体験を元にルポルタージュ『ヒロシマ・ノート』の連載を開始する。障害を持つ子との共生、核時代の問題という終生の大きなテーマを同時に二つ手にしたこの年は、大江にとって重大な転機の年であった[21]。1965年、広島について報告するためにキッシンジャーのセミナーに研究員として参加して、ハーヴァード大学に滞在している[22][23]。
国際的な作家へ ─ 万延元年のフットボール、洪水はわが魂に及び、同時代ゲーム[edit source]
1967年、30代最初の長編として『万延元年のフットボール』を発表し、最年少(2019年現在破られていない)で第3回谷崎潤一郎賞を受賞する。遣米使節が渡航した万延元年(1860年)から安保闘争(1960年)までの百年を歴史的・思想史的に展望して[24][25]四国の森の谷間の村におこる「想像力の暴動」とさまざまに傷を抱えた家族の恢復の物語を描いた。 1968年、新宿の紀伊國屋ホールにて月例の連続講演を一年間行う。これは『核時代の想像力』(1970年)としてまとめられた。1968年『個人的な体験』の英訳 ”A Personal Matter” が出版されている。
この頃から海外の作家との交流が盛んになる。1968年にオーストリアのアデレード芸術祭に参加し、エンツェンスベルガー、ビュトールと面会する。1970年、73年にはアジア・アフリカ作家会議に参加する。1977年ハワイ大学のセミナー「文学における東西文化の出会い」に参加しアレン・ギンズバーグ、ウォーレ・ショインカと対話する[26]。また70年代には文芸誌『新潮』『海』においてアップダイク、ギュンター・グラス、バルガス・リョサと対談している[27]。
1971年に発表した二つの中篇「みずから我が涙をぬぐいたまう日」「月の男(ムーン・マン)」では、前年の三島由紀夫のクーデター未遂と自決を受けて天皇制を批判的に問い直すことを主題とした[28]。1973年には『洪水はわが魂に及び』を発表し、第26回野間文芸賞を受賞している。本作は終末観的な世界把握のもとに構想されており[29]、破滅へむかう先進文明に対抗するものとしてのスピリチュアルな祈りを主題としている[30]。1974年には『万延元年のフットボール』の英訳 “The Silent Cry “が出版されている。
1975年、大学時代の恩師の渡辺一夫が肺癌で死去し、大きなショックを受けている。立ち直りのきっかけを求めて[31] 1976年メキシコに渡り、コレヒオ・デ・メヒコの客員教授として日本の戦後思想史の講座を受け持つ。現地でオクタビオ・パスやフアン・ルルフォ、メキシコに居を構えていたガブリエル・ガルシア=マルケスらラテン・アメリカの文学者と知り合う[32][33]。1976年に発表された『ピンチランナー調書』は天皇制や核の問題を主題としている。
1978年には、「遅れてきた構造主義者」として[34]ちょうど日本に紹介され始めたバフチン、ロシア・フォルマリズムなどの思想潮流や山口昌男の理論などから学び、『小説の方法』を出版している[35][36]。これに並行して、大江の「想像力」への関心もサルトルからガストン・バシュラールへと移行する[37]。1979年に発表された原稿用紙1,000枚の大作[38]『同時代ゲーム』において、故郷の森の谷間の「村=国家=小宇宙」の神話や歴史を描いた。 大江はこれをみずからの文学的な人生の大きい柱の作品と位置付けており[39]実際、本作にはこれ以前の大江作品のさまざまなモチーフが回収され、以降の作品に現れる要素もさまざまに胚胎している[40]。
円熟へ 連作短編の時代 ─ 「雨の木」を聴く女たち、新しい人よ眼ざめよ[edit source]
1982年、荒涼とした世界における男女の生き死にを見つめた[41]連作短編集『「雨の木(レイン・ツリー)」を聴く女たち』を発表して、翌1983年に第34回読売文学賞受賞する(本作と武満徹との関係は、後述「関わりの深い人物」項目を参照のこと)。本作以降の大江は多くの作品において、作家自身を思わせる小説家を語り手として、自分の経験や思索を虚構化していく[42]。また自作の引用、自己批評、書き直しや西洋の古典(本作においてはマルカム・ラウリーである)[43]との対話によって、読むこと書くことの試行錯誤そのものを小説に書き込むようになる[44]。
1983年の連作短編集『新しい人よ眼ざめよ』では、ウィリアム・ブレイクの預言詩や、それに関連する研究を読むことで導かれた思索を織り交ぜながら、知的障害をもつ長男・光を中心とした家族の日常を私小説的に描き、第10回大佛次郎賞を受賞する。ここで女性詩人でブレイク研究者キャスリーン・レインを大きな導き手としてネオ・プラトニズムに触れ、大江文学中期のテーマである「魂の問題」「再生」「祈り」といった神秘的ないしは宗教的な問題を掘り下げ始めるようになった[45][46][47]。同年、カリフォルニア大学バークレー校に共同研究員として滞在している[48]。
1984年、磯崎新、大岡信、武満徹、中村雄二郎、山口昌男とともに編集同人となり、季刊誌『へるめす』を創刊する(『M/Tと森のフシギの物語』『キルプの軍団』『治療塔』『治療塔惑星』は同誌に連載された)。当時の出版界が「知」のブームが沸くなかで創刊された本誌は1980年代を代表する知識人の拠点となる[49]。同年、国際ペンクラブ東京大会に参加して、講演「核状況下における文学─なぜわれわれは書くか」を行い、カート・ヴォネガット、アラン・ロブ=グリエ、ウィリアム・スタイロンと対話する[50][51]。1985年、連合赤軍事件を文学の仕事として受け止め直す[52]連作短編集『河馬に嚙まれる』を発表する。表題作で第11回川端康成文学賞を受賞している。同年『万延元年のフットボール』のフランス語訳 ”Le jeu du siècle“ がガリマール出版社より刊行されている[53]。
ノーベル賞受賞まで ─ 懐かしい年への手紙、燃えあがる緑の木[edit source]
1986年には『同時代ゲーム』の世界をリライトした『M/Tと森のフシギの物語』を発表する。このリライトは難渋であるとして読者に十分に受け入れられなかった『同時代ゲーム』を平易にすると同時に[54]『同時代ゲーム』において十分に展開しきれなかった「魂の再生」のテーマを追求する意味合いがあった[55]。 1987年にはダンテの『神曲』を下敷きにした虚実綯い交ぜのメタ・フィクショナルな自伝[56]『懐かしい年への手紙』を発表する。『同時代ゲーム』以来の原稿用紙1,000枚の大作で、『芽むしり仔撃ち』以来描き続けてきた森の谷間の小宇宙を統合する試みであった[57]。前者は1989年に “M/T et l'histoire des merveilles de la forêt” のタイトルで、後者は1993年に “Lettres aux années de nostalgie” のタイトルで、フランス語訳がガリマール社より刊行された[58]。
1989年の『人生の親戚』では長編で初めて女性を主人公とし[59]、子供を自殺で失った女性の悲嘆とその乗り越えを描いて第1回伊藤整文学賞を受賞している。1990年に発表されたSF『治療塔』とその続編の『治療塔惑星』(1991年)では、イェーツの詩を引きながら核時代の危機と人類救済の主題を描いている。1990年、連作短編集『静かな生活』を発表する。『新しい人よ眼ざめよ』において主題となった知的障害を持つ長男との共生の体験を、彼の妹の視点を通して改めて描いている。 この時期の大江は女性を語り手に選び、それに見あった語り口を模索している[60]。また超越的な存在と自分自身の関係を問い直そうとしている[61]。
1993年9月より原稿用紙2,000枚に及ぶ三部からなる長編『燃えあがる緑の木』の連載を開始する。『懐かしい年への手紙』の後日譚として、四国の森の中の谷間の村を舞台とした「教会」の勃興から瓦解に至るまでの過程を、両性具有の若い女性の視点を通して描き、「魂の救済」の問題を描き尽くした[62]。連載当時はこれを「最後の小説」としていた[63]。
『燃えあがる緑の木』連載中の1994年「詩的な想像力によって、現実と神話が密接に凝縮された想像の世界を作り出し、読者の心に揺さぶりをかけるように現代人の苦境を浮き彫りにしている [64]( who with poetic force creates an imagined world, where life and myth condense to form a disconcerting picture of the human predicament today )」という理由でノーベル文学賞を受賞する。川端康成以来26年ぶり、日本人では2人目の受賞者であった。ストックホルムで行われた受賞講演は川端の「美しい日本の私」をもじった「あいまいな日本の私」というものであった。ここで大江は、川端の講演は、きわめてvague(あいまい、ぼんやりした)であり、閉じた神秘主義であるとし、自分は日本をambiguous(あいまい、両義的)な国として捉えると述べた。日本は、開国以来、伝統的日本と西欧化の両極に引き裂かれた国であるとの見方を示し、小説家としての自分の仕事は、ユマニスムの精神にたって「言葉によって表現する者と、その受容者とを、個人の、また時代の痛苦からともに恢復させ、それぞれの魂の傷を癒す」ことであると述べた[65]。
小説執筆の一旦の終了をうけて1996年より新潮社より『大江健三郎小説』(10巻)が刊行開始された。これは全集ではなく、作者が吟味し基準にかなうもののみが収録された。長編でいうと初期作品の『われらの時代』『夜よゆるやかに歩め』『青年の汚名』『遅れてきた青年』『日常生活の冒険』は収録されなかった。
後期の仕事(レイト・ワーク)─ 取り替え子、水死[edit source]
1995年に「最後の小説」としていた『燃えあがる緑の木』が完結し、小説執筆をやめてスピノザの研究に取り組むと述べていたが[66][67]1996年の友人の武満徹の病死を契機に考えを変え、告別式の弔辞において新作を捧げるとし[68] 1999年に『宙返り』を発表する。信徒が計画するテロを防ぐために一度「棄教」した新興宗教の教祖らによる、殺人などの波乱の中での教団の再建を描いている。これ以降の創作活動は作家自身が「後期の仕事(レイト・ワーク)」と称している。
2000年、義兄の伊丹十三の自殺をうけて、文学的な追悼として伊丹の死を新生の希望へと繋ぐ[69]『取り替え子(チェンジリング)』を発表する。続けて『憂い顔の童子』(2002年)、『さようなら、私の本よ!』(2005年)を発表した。これらは「スウード・カップル(おかしな二人組)」が登場する三部作となっている。『さようなら、私の本よ!』では2001年のアメリカ同時多発テロ事件をうけてテロリズムの問題が主題とされた。
2007年には、30年前にお蔵入りとなった映画制作の顛末と、再び企画を立ち上げる老人たちの友情を描いた『臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ』(文庫刊行時に『美しいアナベル・リイ』に改題)を発表する。2009年には、終戦の夏におきた父親の水死の真相を描こうとする老作家の巻きこまれる騒動を描く『水死』を発表する。本作は70年代に中編「みずから我が涙をぬぐいたまう日」で取り組まれた「父と天皇制」のテーマに再度挑むものであった[70]。2013年には、東日本大震災とそれにともなう原発事故を題材とした『晩年様式集(イン・レイト・スタイル)』を刊行した。
『取り替え子(チェンジリング)』以降のレイト・ワークは『美しいアナベル・リイ』を除き、大江をモデル人物とした老作家・長江古義人を主人公とする[71][72] [73](美しいアナベル・リイ』の語り手の老作家「私」は、作中で他の登場人物からケンサンロウ、Kenzaburoと呼ばれる)[74]。
創作以外の活動としては、1996年にプリンストン大学で客員講師を、1999年にベルリン自由大学で客員教授を務めている。2006年に純文学を志す有望な若手作家を世界に紹介する目的で[75]大江健三郎賞が創設された。本賞は2014年に終了した。
2014年、岩波文庫から『大江健三郎自選短篇』を出版した。作家自身が作品を厳選し、全収録作品に加筆・修訂をほどこしている。2016年、仏ガリマール社より1,300ページを超える選集が刊行された(「政治少年死す(「セヴンティーン 」第二部)」が収録された)[76]。2018年より『大江健三郎全小説』(15巻)が講談社から刊行開始された。「政治少年死す(セヴンティーン第二部)」が収録されることで話題になった。全小説と銘打っているが作者が不出来ゆえに封印している『夜よゆるやかに歩め』『青年の汚名』の二点が収録されておらず完全な全集ではない[77]。
2021年2月、「死者の奢り」『同時代ゲーム』『晩年様式集(イン・レイト・スタイル)』などの作品の自筆原稿1万枚超を含む資料約50点が東京大学に寄託されると発表された。資料を保管・管理し、国内外の研究者に公開する研究拠点「大江健三郎文庫」が文学部内に設立される。同一作家の自筆原稿コレクションとしては屈指の規模になるという[78]。
人物[edit source]
創作方法など[edit source]
徹底した書き直し
一旦書き上げた草稿を徹底的に推敲して書き直す[79]。本人はこの作業を友人の批評家エドワード・サイードの用語からとって「エラボレーション」と読んでいる[80][81]。例えば『取り替え子(チェンジリング)』の場合、1000枚ほど書いてそれを500枚まで縮め、さらに加筆して現在の長さになったという[82]。最初に書かれた文章が原型を留めないほどに、徹底的に書き直された原稿用紙の写真は『大江健三郎全小説』などで見ることができる。
小説の方法
小説の方法に自覚的な作家である。『小説の方法』を始めとした小説の方法論を考察した著作がある。小説創造のベースに置いている考え方で、特に重要なものは、ガストン・バシュラールの想像力論の「想像力とは、知覚によって提供されたイメージを歪形する能力であり、基本的イメージからわれわれを解放してイメージを変える能力である 」という考え方、ミハイル・バフチンの「グロテスク・リアリズム」の概念(精神的・理想的なものを肉体的・物質的な次元に引き下げ、民衆的・祝祭的な生きた総体として捉えること)、ロシア・フォルマリズムの理論家ヴィクトル・シクロフスキーの芸術における「異化」の概念などである[83][84][85][86]。
引用
自作に先行文学作品からの引用を織り込んで作品世界を作り上げることに特徴がある[87]。これは1980年代以降に顕著となる。その効果として作品中に地の文と別のテクスチュアの文を織り込むことで文体の多様化をはかる。地の文章を一つの柱としたら、それと構造的に支え合い、力を及ぼし合うもう一つの柱として引用を建てて作品の奥行きを増す。という効果を狙っている。これらのやり方が立脚する根本の思想としては「本来、言葉とは他人のものだ」というポストモダン的と言い得る言語観がある[88]。
三年毎の読書
大学時代の恩師である渡辺一夫から作家生活をやっていく上で、三年ごとに主題を決めて一人の作家なり思想家なりをその作品のみならず、研究まで読み込むと良い、という勧めを受けており、それを実践している[89][90]。その実践が上述の引用に結びついている。『「雨の木」を聴く女たち』のころはマルカム・ラウリー、『新しい人よ眼ざめよ』のころブレイク、その後ダンテ、イェーツに関心を移し、『懐かしい年への手紙』『燃えあがる緑の木』を書いている[91]。
詩の重視
大江自身は散文を書く人間であるが、詩を重要視している[92][93]。デビュー前に深瀬基寛訳のT・S・エリオット、オーデンに出会い、その文体、ナラティヴで新しい小説が書けるのでは、と発想したという。詩については文体、ナラティヴに止まらず、ブレイクやダンテの神秘主義的な内容からも影響を受けている[94]。「後期の仕事(レイト・ワーク)」においてもR・S・トーマス(『宙返り』)、アルチュール・ランボー(『取り替え子(チェンジリング)』)T・ S・エリオット(『さようなら、私の本よ!』)、エドガー・アラン・ポー(『美しいアナベル・リイ』)と詩が果たす役割は大きい。詩人マイ・ベストスリーを問われてT・ S・エリオット、イェーツ、ブレイクと答えている[95]。
おかしな二人組
批評家フレドリック・ジェイムソンが『宙返り』についてロンドン・レビュー・オブ・ブックス誌で「スウード・カップル(Pseudo-Couples)」というタイトルの評論を書いている。ジェイムソンは、大江の作品には、ベケットの戯曲や小説につながる「おかしな二人組(スウード・カップル)」が出てきて、二人の人物の組み合わせが物語を動かす構造になっていると指摘している[96]。この指摘は作家自身気に入っており、『取り替え子』からの三部作を「「おかしな二人組(スゥード・カップル)」三部作」と名付けている[97]。『芽むしり仔撃ち』の兄弟、『万延元年のフットボール』の蜜三郎と鷹四、『懐かしい年への手紙』の「僕」とギー兄さんなどにこの二人組の系譜を確認できる [98]。
小説内部の時間の扱い
『万延元年のフットボール』以降の長編小説における、小説のタテの展開としては短い範囲をきざみ、そこに幾種もの時間の系列を導入する、という仕方をフォークナーやドストエフスキーに学んでいる[99]。
サーガの形成
1980年代以降の大江の作品は、フォークナーのヨクナパトーファ・サーガのように一つの作品に登場した人物(とその子孫)が別の作品に登場し、全体として緩くつながっていることに特徴がある。例えば、『「雨の木(レイン・ツリー)」を聴く女たち』に登場するアルコール依存症の英文学者くずれの高安カッチャンの息子、ザッカリー・K・高安が『燃えあがる緑の木』に登場[100]、『懐かしい年への手紙』の主要人物ギー兄さんの息子のギー・ジュニアが『晩年様式集(イン・レイト・スタイル)』に登場[101]などの例が挙げられる。
日本文学[edit source]
日本の古典
影響を受けた古典として長編『源氏物語』、中編『好色五人女』、短編『枕草子』と答えている。「新潮日本古典集成」をベッドや電車で愛読したという[102]。
私小説への偏愛
大江自身が(擬似的な)私小説の書き手であることもあり、近代文学のなかでは、日本独自の文学のスタイルである、読者との共犯関係のもとで告白をおこなう私小説に特別な関心を寄せている。葛西善蔵、嘉村礒多、牧野信一といった破滅型私小説の作家を評価している[103][104]。
敬愛する先行文学者
ノーベル賞の受賞の第一報を受けて自宅前で記者に囲まれて「日本文学の水準は高い。安部公房、大岡昇平、井伏鱒二が生きていれば、その人たちがもらって当然でした。日本の現代作家たちが積み上げてきた仕事のお陰で、生きている私が受賞したのです」とコメントした[105]。熱心に読んでいた日本の作家は石川淳、中野重治であるという[106]。安部、大岡とはプライベートな交際もあった[107]。
三島由紀夫
三島由紀夫の自決を受けて直ぐに、天皇制を批判的に問い直す「みずから我が涙をぬぐいたまう日」を書いている。その後も三島事件は『新しい人よ眼ざめよ』(1983年)連作の「落ちる、落ちる、叫びながら…」「蚤の幽霊」、『さようなら、私の本よ!』(2005年)と繰り返し取り上げられる。大江がかつて天皇崇拝のテロリストの少年を描いた「セヴンティーン」を発表した際、それを読んだ三島は、大江は国家主義に情念的に引きつけられるところがある人間なのではないか、と考えて『新潮』の編集者を介して大江に手紙をよこしたという。2007年のインタビューで大江は、三島の読み取りは正しく、自分の中にアンビバレントなものがあることを認めている[108]。
村上春樹
村上春樹の口語体の小説の翻訳が、「英語の小説」として世界に広く受け入れられていることについて、それは日本文学史上初の達成であると肯定的に評価している[109]。かつて芥川賞の選者として村上の『風の歌を聴け』を評価できなかったのは、表層のカート・ヴォネガット的な口語体の言葉のくせに引っかかって、実力を見抜けなかったと述べている[110]。
趣味など[edit source]
音楽
若い頃はジャズを聴いており、デューク・エリントン、ジャンゴ・ラインハルトには相当詳しいという(外国の大学に行ってエリントンの30年代から50年代の時期のビッグバンドの演奏家・歌手についての話題になって、ヒケをとったことはないという)。MJQのジョン・ルイスのピアノの入ったLPはすべて集めていた、という時期もあったという[111]。ただ長男光がジャズをかけていると嫌がるためクラシックに転向した[112]。クラシックの好みは武満徹、バッハ、晩期ベートーヴェン、ヴェルディである[113]。
大酒家
大酒家である。中年期にそれで痛風になって断酒したりもした[114]。2007年に出版されたインタビューでは、毎夜シングルモルト、タンブラー1杯を350mlのビール4缶をチェイサーにして飲むと答えている[115]。
水泳
80年代から、週6日プールに通い、1日1000m泳ぐことを習慣としている[116]。『「雨の木」を聴く女たち』や『新しい人よ眼ざめよ』では題材として小説に取り入れられている。
丸い眼鏡
大江のアイコンとなっている丸い眼鏡は、辞書を引きながら読書をするのに向くものを探して、本をよく読んだ人たち、柳田國男、折口信夫、サルトル、ジェイムズ・ジョイスが丸い眼鏡をかけているのを参考に探したもので、同じものを10個まとめて購入したという[117]。
その他[edit source]
身長は172センチである[118]。
2002年アメリカ芸術科学アカデミー外国人会員に選出されている[119]。
2002年レジオンドヌール勲章を受章している。
関わりの深い人物[edit source]
大江光
作曲家(1963年6月13日 - )。大江の長男で、知的な障害を持って産まれた。光という名前は、シモーヌ・ヴェイユが著作でひいた、カラスが辺りが真っ暗なのでなかなか餌が見つけられずにいるときに「この世に光があったら、どんなに餌を拾うのが易しいだろう」と思った瞬間に世界に光が満ちたというイヌイットの寓話から採られたという[120]。光は作曲家であり、日本コロンビアより「大江光の音楽」(1992)「大江光ふたたび」(1994)のCDを出しており、後者は日本ゴールドディスク大賞を受賞している[121]。光の存在は、大江の創作のインスピレーションの源となり、共生の経験は大江の文業を貫く大きな主題となっている。『個人的な体験』『新しい人よ眼ざめよ』『静かな生活』は光の誕生や成長がテーマ・題材である(なお、光は他の大江の作品にもヒカリ、アカリの名前で登場する)[122]。 NHKは1994年、大江と息子・光との共生を題材にして「響きあう父と子 大江健三郎と息子光の三〇年」という番組を放映した[123]。1995年に伊丹十三が大江の原作を映画化した『静かな生活』の劇伴音楽は光の曲が採用されている[124]。
伊丹十三
映画監督・俳優・エッセイスト(1933年5月15日 - 1997年12月20日)。大江の妻・ゆかりの兄である。大江とは松山東高等学校でに知り合い、大江にアルチュール・ランボーの原語の詩集を与えるような文化的な手ほどきをした[125]。伊丹の俳優時代のヨーロッパ滞在の見聞を綴ったエッセイ『ヨーロッパ退屈日記』は『日常生活の冒険』の元ネタとされ、主人公の斎木犀吉も伊丹がモデルであるとされる[126]。伊丹は、大江のノーベル賞受賞後の1995年『静かな生活』を原作とした同名映画を監督しており、文庫版の『静かな生活』の解説として、エッセイを寄せて映画撮影の裏話を披露している[127]。大江の小説『取り替え子(チェンジリング)』は1997年の伊丹の投身自殺の衝撃を受けて書かれており、伊丹をモデル人物とする登場人物は「塙吾良」と名付けられている。大江の擬似自伝小説『懐かしい年への手紙』においては伊丹は「秋山君」として登場する[128]。
渡辺一夫
フランス文学者・東京大学教授(1901年9月25日 - 1975年5月10日)。大江は高校時代に渡辺の著作『フランス・ルネサンス断章』を読んで感銘を受け、渡辺の指導を受けたいと考えて東京大学へ進学して師事する[129][130]。大江の最初期の作品の文体は渡辺が翻訳したピエール・ガスカールの短編集『けものたち・死者の時』の文体から大きな影響を受けている[131]。渡辺は、大学卒業後も大江の精神的な庇護者であり、大江の仲人もつとめている[132]。渡辺は、作家生活を続けるうえで三年毎に一つの主題を決めて書物を読み進めていくといいと助言を与え、大江はそれを実践し創作に結びつけている(「人物」項目の「創作方法など」参照のこと)[133]。1975年の渡辺の死去は大江に大きなショックを与えて、大江のメキシコ渡航を促した[134]。大江にとってメキシコ体験は重要で『同時代ゲーム』の大きなインスピレーションの源となった(大江のメキシコでの体験は『「雨の木(レイン・ツリー)」を聴く女たち』や『人生の親戚』などの題材ともなった) [135]。1984年に大江は渡辺の全体像を語った連続講義『日本現代のユマニスト渡辺一夫を読む』を出版している。また『狂気について―渡辺一夫評論選』(岩波文庫)の編纂を清水徹とともに行い、同書と『フランス・ルネサンスの人々』(岩波文庫)の解説を執筆している。大江のレイト・ワークにおいては渡辺は「六隅先生」として登場する[136]。
武満徹
作曲家(1930年10月8日 - 1996年2月20日)。「若い日本の会」に大江とともに参加して1960年安保改定に反対する。1963年に武満が大江の住む成城の家の100mくらいの近所に引っ越してきて親交が始まる[137][138]。武満は大江文学のよき理解者で、大江の著作の解説を担当したこともある[139]。1980年に大江が『文學界』に発表した短編「頭のいい「雨の木」」にインスピレーションを受けて武満は「(3人の打楽器奏者のための)雨の樹」を作曲する。更にそれを受けて大江は『「雨の木(レイン・ツリー)」を聴く女たち』連作を書き継ぐことになった。連作第二作の表題作冒頭には、その初演のコンサートの場面が出てくる[140][141]。1985年、雑誌『へるめす』創刊時に、ともに編集同人となった。1980年代に武満は大江とともにオペラを作る構想を立てており、お互いの芸術観,世界観を語りあった対談を行い、共著『オペラをつくる』(岩波新書)を出版している[142]。ここから派生して大江は『治療塔』を執筆している(『治療塔』にはリブレットもあり、これは短編集『僕が本当に若かった頃』に収録されている)[143]。1990年代、大江は「最後の小説」とした『燃えあがる緑の木』を1995年に書き終えて小説執筆をやめていたが、1996年の武満の死に促されて『宙返り』で小説執筆を再開した。同書巻頭には「──永遠の武満徹に」という献辞が記された[144]。2001年に東京オペラシティのコンサートホール・タケミツメモリアルで没後5年特別企画として行われた「講演と室内楽演奏会「音と言葉」」の講演録は「武満徹のエラボレーション」としてエッセイ集『言い難き嘆きもて』に収録されている[145]。大江ののレイト・ワークにおいては武満は「篁さん」として登場する[146]。
山口昌男
文化人類学者・東京外国語大学教授(1931年8月20日 - 2013年3月10日)。山口は1970年代に「中心と周縁」理論を提唱し[147]、大江はその大きな影響を受けた(ただし、山口が「中心と周縁」理論として提示したことは大江はすでに『万延元年のフットボール』に書き込んでいるのではないかという説をニューアカデミズムの論者浅田彰、柄谷行人らは主張している。『万延元年のフットボール』参照のこと)[148][149][150]。大江はまた、山口が『文化と両義性』などの著作において日本に紹介した文化理論からも大きな影響を受けた[151]。岩波書店の『叢書文化の現在』の編者をともにつとめて、親交が始まった[152]。1979年、山口や、やはり編者の中村雄二郎らと連れ立ってバリ島の習俗を取材する旅行にでており、そのエピソードは連作『新しい人よ眼ざめよ』の同名短編に描かれている[153]。1985年に、ともに『へるめす』編集同人となる。大江は関心のある書物を、蔵書家の山口から借りたり、山口を通じてよその大学の研究室から借りたりして読むことも多かったという。その代表的なものが大江文学の中期において重要な役割を果たしたキャスリーン・レイン著『ブレイクと伝統』(Blake and Tradition)である[154][155][156]。大江は、山口らと酒場で落ち合って、書物を借り受けて内容の説明を聴いているうちに、その書物を早く読みたくてたまらなくなって酒席を切り上げて一人先に帰宅するということもあったという[157][158]。
文学的評価[edit source]
評価[edit source]
谷崎潤一郎賞の最年少受賞を始めとして、国内の主要な文学賞を他の作家より二十年以上早いペースで次々に受賞して[159]、1994年には日本人で二人目のノーベル文学賞を受賞している。
比較文学者小谷野敦は「大江は戦後日本最大の作家である」としたうえで、三島由紀夫が、谷崎潤一郎が没したときに、明治末年に谷崎が現れてから没するまでの半世紀を「谷崎朝時代」と呼んだのになぞらえて、大江がデビューした1958年以降を「大江朝時代」であるとした[160]。
「同時代の大江健三郎」(群像2018年8月号)と題された大江と同世代の筒井康隆x蓮實重彦による対談において、筒井は「1950年代から2010年代まで、ずっと大江健三郎の時代だった」と評している。蓮實は「大江さんが作家として一番偉いと思っている」と述べた[161]。
読売新聞文化部記者尾崎真理子は大江の最新作をいち早く的確に評することは、同時代の批評家にとっての必須要件であったため、大江を軸にして、平野謙、江藤淳、篠田一士、蓮實重彦、柄谷行人、加藤典洋、井口時男、小森陽一ら時代を代表する批評家を勢ぞろいさせて1950年代か2020年まで至る日本現代文学史を描けるとした[162]。
国内受賞歴[edit source]
1958年 短編「飼育」で芥川龍之介賞
1964年『個人的な体験』で新潮社文学賞
1967年『万延元年のフットボール』で谷崎潤一郎賞
1973年『洪水はわが魂に及び』で野間文芸賞
1983年『「雨の木(レイン・ツリー)」を聴く女たち』で読売文学賞
1983年『新しい人よ眼ざめよ』で大佛次郎賞
1984年 短編「河馬に嚙まれる」で川端康成文学賞
1990年『人生の親戚』で伊藤整文学賞
政治的思想・見解[edit source]
同1994年、ノーベル賞の受賞を受けて天皇からの親授式を伴う文化勲章の授与が内定し、文化庁から電話で打診されたときにはそれを断っている。米紙ニューヨークタイムズのインタビューで「私が文化勲章の受章を辞退したのは、民主主義に勝る権威と価値観(注:天皇制)を認めないからだ。これは単純なことだが非常に重要なことだ」と話した[165]。
1995年、フランスの南太平洋における核実験再開に抗議して、南仏で開催される予定だったシンポジウムへの出席を取りやめた[166]。このことでフランスのノーベル賞作家クロード・シモンとの間で論争が生じた[167]。
1999年、朝日新聞に掲載されたアメリカの批評家スーザン・ソンタグとの公開書簡において、NATOによるユーゴ空爆を批判し、意見が対立した[168]。

『芽むしり仔撃ち』講談社、1958年(のち新潮文庫)
『われらの時代』中央公論社、1959年(のち中公文庫、新潮文庫)
『夜よゆるやかに歩め』中央公論社、1959年
『青年の汚名』文藝春秋、1960年(のち文春文庫)
『遅れてきた青年』新潮社、1962年(のち新潮文庫)
『叫び声』講談社、1963年(のち講談社文庫、講談社文芸文庫)
『日常生活の冒険』文藝春秋、1964年(のち新潮文庫)
『個人的な体験』新潮社、1964年(のち新潮文庫) - 新潮社文学賞(英訳 A personal matter ノーベル賞対象作)
『万延元年のフットボール』講談社、1967年(のち講談社文庫、講談社文芸文庫) - 谷崎潤一郎賞(英訳 The silent cry 仏訳 Le Jeu du siècle ノーベル賞対象作)
『洪水はわが魂に及び』上・下 新潮社、1973年(のち新潮文庫) - 野間文芸賞
『ピンチランナー調書』新潮社、1976年(のち新潮文庫)
『同時代ゲーム』新潮社、1979年(のち新潮文庫))
『懐かしい年への手紙』講談社、1987年(のち講談社文芸文庫)(仏訳 Lettres aux années de nostalgie ノーベル賞対象作)
『キルプの軍団』岩波書店、1988年(のち同時代ライブラリー、講談社文庫、岩波文庫)
『人生の親戚』新潮社、1989年(のち新潮文庫) - 伊藤整文学賞
『治療塔』岩波書店、1990年(のち同時代ライブラリー、講談社文庫)
『治療塔惑星』岩波書店、1991年(のち同時代ライブラリー、講談社文庫)
『燃えあがる緑の木』三部作 新潮社、1993〜1995年(のち新潮文庫)
『「救い主」が殴られるまで』1993年/『揺れ動く(ヴァシレーション)』1994年/『大いなる日に』1995年
『宙返り』上・下 講談社、1999年(のち講談社文庫)
『取り替え子(チェンジリング)』講談社、2000年(のち講談社文庫)
『憂い顔の童子』講談社、2002年(のち講談社文庫)
『二百年の子供』中央公論新社、2003年(のち中公文庫)
『さようなら、私の本よ!』講談社、2005年(のち講談社文庫)
『臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ』新潮社、2007年(のち新潮文庫『美しいアナベル・リイ』へ改題)
『水死』講談社、2009年(のち講談社文庫)
『晩年様式集(イン・レイト・スタイル)』講談社、2013年(のち講談社文庫)
連作短編集[edit source]
『「雨の木(レイン・ツリー)」を聴く女たち』新潮社、1982年(のち新潮文庫)- 読売文学賞
頭のいい「雨の木」/「雨の木」を聴く女たち/「雨の木」の首吊り男/さかさまに立つ「雨の木」/泳ぐ男—水のなかの「雨の木」
『新しい人よ眼ざめよ』講談社、1983年(のち講談社文庫、講談社文芸文庫)- 大佛次郎賞
無垢の歌、経験の歌/怒りの大気に冷たい嬰児が立ちあがって/落ちる、落ちる、叫びながら … …/蚤の幽霊/魂が星のように降って、跗骨のところへ/鎖につながれたる魂をして/新しい人よ眼ざめよ
『河馬に嚙まれる』文藝春秋、1985年(のち文春文庫、講談社文庫) - 短編「河馬に嚙まれる」で川端康成文学賞
河馬に嚙まれる/「河馬の勇士」と愛らしいラベオ/「浅間山荘」のトリックスター/河馬の昇天/四万年前のタチアオイ/死に先だつ苦痛について/サンタクルスの「広島週間」/生の連鎖に働く河馬 (講談社文庫版には「「浅間山荘」のトリックスター」と「サンタクルスの「広島週間」」の二作品は収録されていない)
『静かな生活』講談社、1990年(のち講談社文芸文庫)
静かな生活/この惑星の棄て子/案内人(ストーカー)/自動人形の悪夢/小説の悲しみ/家としての日記
中・短編集[edit source]
『死者の奢り』文藝春秋、1958年 - 短編「飼育」で芥川龍之介賞
死者の奢り/偽証の時/飼育/鳩/奇妙な仕事/人間の羊/他人の足
『見るまえに跳べ』新潮社、1958年
見るまえに跳べ/暗い川おもい櫂/不意の唖/喝采/戦いの今日
『死者の奢り・飼育』新潮社、1959年(新潮文庫)【新潮文庫オリジナル再編集】
死者の奢り/他人の足/飼育/人間の羊/不意の唖/戦いの今日
『孤独な青年の休暇』新潮社、1960年
孤独な青年の休暇/後退青年研究所/上機嫌/共同生活/ここより他の場所
『性的人間』新潮社、1963年
性的人間/セヴンティーン/不満足
『性的人間』新潮社、1968年(新潮文庫)【新潮文庫オリジナル再編集】
性的人間/セヴンティーン/共同生活
『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』新潮社、1969年(のち新潮文庫)
第1部 なぜ詩でなく小説を書くか、というプロローグと四つの詩のごときもの
第2部 ぼく自身の詩のごときものを核とする三つの短篇 走れ、走りつづけよ/核時代の森の隠遁者/生け贄男は必要か
第3部 オーデンとブレイクの詩を核とする二つの中篇 狩猟で暮したわれらの先祖/父よ、あなたはどこへ行くのか?
『空の怪物アグイー』新潮社、1972年(新潮文庫)【新潮文庫オリジナル再編集】
不満足/スパルタ教育/敬老週間/アトミック・エイジの守護神/空の怪物アグイー/ブラジル風のポルトガル語/犬の世界
『みずから我が涙をぬぐいたまう日』講談社、1972年(のち講談社文庫、講談社文芸文庫)
*二つの中篇をむすぶ作家のノート/みずから我が涙をぬぐいたまう日/月の男(ムーン・マン)
『見るまえに跳べ』新潮社、1974年(新潮文庫)【新潮文庫オリジナル再編集】
奇妙な仕事/動物倉庫/運搬/鳩/見るまえに跳べ/鳥/ここより他の場所/上機嫌/後退青年研究所/下降生活者
『現代伝奇集』岩波書店、1980年
頭のいい「雨の木」/身がわり山羊の反撃/『芽むしり仔撃ち』裁判
『いかに木を殺すか』文藝春秋、1984年(のち文春文庫)
揚げソーセージの食べ方/グルート島のレントゲン画法/見せるだけの拷問/メヒコの大抜け穴/もうひとり和泉式部が生まれた日/その山羊を野に/「罪のゆるし」のあお草/いかに木を殺すか
『僕が本当に若かった頃』講談社、1992年(のち講談社文芸文庫)
火をめぐらす鳥/「涙を流す人」の楡/宇宙大の「雨の木(レイン・ツリー)」/夢の師匠/治療塔/ベラックヮの十年/マルゴ公妃のかくしつきスカート/僕が本当に若かった頃/茱萸(ぐみ)の木の教え・序
『大江健三郎自選短篇』、岩波書店、2014年(岩波文庫)
奇妙な仕事/死者の奢り/他人の足/飼育/人間の羊/不意の啞/セヴンティーン/空の怪物アグイー/頭のいい「雨の木 (レイン・ツリー) 」/「雨の木 (レイン・ツリー) 」を聴く女たち/さかさまに立つ「雨の木 (レイン・ツリー) 」/無垢の歌、経験の歌/怒りの大気に冷たい嬰児が立ちあがって/落ちる、落ちる、叫びながら……/新しい人よ眼ざめよ/静かな生活/案内人 (ストーカー)/河馬に嚙まれる/「河馬の勇士」と愛らしいラベオ/「涙を流す人」の楡/ベラックワの十年/マルゴ公妃のかくしつきスカート/火をめぐらす鳥
評論・随筆等[edit source]
『世界の若者たち』新潮社、1962年
『ヨーロッパの声、僕自身の声』毎日新聞社、1962年
『厳粛な綱渡り』文藝春秋、1965年(のち文春文庫、講談社文芸文庫)
『ヒロシマ・ノート』岩波書店 <岩波新書>、1965年
『持続する志』文藝春秋、1968年(のち講談社文芸文庫)
『壊れものとしての人間』講談社、1970年(のち講談社文庫、講談社文芸文庫)
『核時代の想像力』新潮社 <新潮選書>、1970年
『沖縄ノート』岩波書店 <岩波新書>、1970年
『鯨の死滅する日』文藝春秋、1972年(のち講談社文芸文庫)
『同時代としての戦後』講談社、1973年(のち講談社文庫、講談社文芸文庫)
『状況へ』岩波書店、1974年
『文学ノート 付15篇』新潮社、1974年
『言葉によって-状況・文学*』新潮社、1976年
『小説の方法』岩波書店 <岩波現代選書>、1978年(のち岩波同時代ライブラリー)
『表現する者-状況・文学**』新潮社、1978年
『方法を読む=大江健三郎文芸時評』講談社、1980年
『核の大火と「人間」の声』岩波書店、1982年
『広島からオイロシマへ―'82ヨーロッパの反核・平和運動を見る』岩波書店 <岩波ブックレットNo.4>、1982年
『日本現代のユマニスト渡辺一夫を読む』岩波書店、1984年
『生き方の定義-再び状況へ』岩波書店、1985年
『小説のたくらみ、知の楽しみ』新潮社、1985年(のち新潮文庫)
『新しい文学のために』岩波書店 <岩波新書>、1988年
『最後の小説』講談社、1988年(のち講談社文芸文庫) - 劇シナリオ「革命女性(レヴォリュショナリ・ウーマン)」を含む
『ヒロシマの「生命の木」』NHK出版、1991年
『人生の習慣(ハビット)』岩波書店、1992年
『文学再入門』NHK出版 、 1992年
『新年の挨拶』岩波書店、1993年(のち岩波同時代ライブラリー、岩波現代文庫)
『小説の経験』朝日新聞社、1994年(のち朝日文芸文庫)
『あいまいな日本の私』岩波書店 <岩波新書>、1995年 ISBN 4004303753
『恢復する家族』(大江ゆかり画)講談社、1995年(のち講談社文庫)
『日本の「私」からの手紙』岩波書店 <岩波新書>、1996年
『ゆるやかな絆』(大江ゆかり画)講談社、1996年(のち講談社文庫)
『私という小説家の作り方』新潮社、1998年(のち新潮文庫)
『「自分の木」の下で』(大江ゆかり画)朝日新聞社、2001年(のち朝日文庫)
『鎖国してはならない』講談社、2001年(のち講談社文庫)
『言い難き嘆きもて』講談社、2001年(のち講談社文庫)
『「新しい人」の方へ』(大江ゆかり画)朝日新聞社、2003年(のち朝日文庫)
『「話して考える」(シンク・トーク)と「書いて考える」(シンク・ライト)』集英社、2004年(のち集英社文庫)
『「伝える言葉」プラス』朝日新聞社、2006年(のち朝日文庫)
『大江健三郎作家自身を語る』(尾崎真理子 聞き手・構成)新潮社、2007年(のち新潮文庫、増補されている)
『読む人間-読書講義』集英社、2007年(のち集英社文庫)
『定義集』朝日新聞出版、2012年(のち朝日文庫)
共著[edit source]
『対話・原爆後の人間』(重藤文夫)新潮社、1971年
『『世界』の40年—戦後を見直す、そして、いま』(安江良介)岩波書店 <岩波ブックレット No.39>、1984年
『私たちはいまどこにいるか ——主体性の再建——』(隅谷三喜男)岩波書店 <岩波ブックレット No.113>、1988年
『ユートピア探し 物語探し—文学の未来に向けて』(井上ひさし、筒井康隆)岩波書店、1988年
『自立と共生を語る—障害者・高齢者と家族・社会』(上田敏ほか)三輪書店、1990年
『オペラをつくる』(武満徹)岩波書店 <岩波新書>、1990年
『日本語と日本人の心』(河合隼雄、谷川俊太郎)岩波書店、1996年(のち岩波現代文庫)
『シンポジウム 共生への志——心のいやし、魂の鎮めの時代に向けて——』(ロナルド・ドーア、プラティープ・ウンソンタム・秦)岩波書店 <岩波ブックレット No.528>、2001年
『君たちに伝えたい言葉—ノーベル賞受賞者と中学生の対話』(ハロルド・クロート)読売新聞社 <読売ぶっくれっと no.25>、2001年
『大江健三郎・再発見』集英社 2001年
井上ひさし、小森陽一、アンドレ・シガノス、フィリップ・フォレスト
『同じ年に生まれて 音楽、文学が僕らをつくった』(小澤征爾)中央公論新社、2001年(のち中公文庫)
『暴力に逆らって書く 大江健三郎往復書簡』朝日新聞社、2003年(のち朝日文庫)
ギュンター・グラス、ナディン・ゴーディマー、アモス・オズ、マリオ・バルガス=リョサ、スーザン・ソンタグ、鄭義、アマルティア・セン、ノーム・チョムスキー、エドワード・サイードほか2名と
『何を学ぶか 作家の信条、科学者の思い ノーベル賞受賞者を囲むフォーラム「21世紀の創造」』(白川英樹)読売新聞社 <読売ぶっくれっと no.34>、2004年
『なぜ変える?教育基本法』(辻井喬他共編)岩波書店、2006年10月、ISBN 978-4-00-024158-8)
暉峻淑子,姜尚中,尾木直樹,西原博史,苅谷剛彦ほか
『憲法九条、あしたを変える——小田実の志を受けついで——』(井上ひさし、梅原猛他)岩波書店 <岩波ブックレット No.731>、2008年
『冥誕 加藤周一追悼』(鶴見俊輔他)かもがわ出版、2009年
『文学の淵を渡る』(古井由吉)新潮社、2015年(のち新潮文庫)
『大江健三郎賞8年の軌跡 「文学の言葉」を恢復させる』講談社、2018年
長嶋有、岡田利規、安藤礼二、中村文則、星野智幸、綿矢りさ、本谷有希子、岩城けい
『大江健三郎柄谷行人全対話 世界と日本と日本人』(柄谷行人)講談社、2018年
全集[edit source]
大江健三郎全作品、新潮社、第1期全6巻、1966-1967、第2期全6巻、1977-1978年
大江健三郎同時代論集、岩波書店、全10巻、1980-1981年
大江健三郎小説、新潮社、全10巻、1996-1997年
大江健三郎全小説、講談社、全15巻、2018-2019年
池澤夏樹=個人編集 日本文学全集22 『大江健三郎』河出書房新社、2015年
共編[edit source]
『岩波講座文学』岩波書店、全12巻、1975-1976年
『叢書文化の現在』岩波書店、全13巻、1980-1982年(1巻 言葉と世界「小説の言葉」/4巻 中心と周縁「小説の周縁」/12巻 仕掛けとしての政治「政治死の生首と「生命の樹」」/13巻 文化の活性化「示唆する者としてのかりそめの役割」を執筆)
研究・評伝[edit source]
松原新一『大江健三郎の世界』講談社 1967年
野口武彦『吠え声・叫び声・沈黙 大江健三郎の世界』新潮社 1971年
篠原茂『大江健三郎論』東邦出版社 1973年
片岡啓治『大江健三郎論−精神の地獄をゆく者』立風書房 1973年
渡辺広士『大江健三郎』審美社 1973年
川西政明『大江健三郎論 未成の夢』講談社 1979年
蓮實重彦『大江健三郎論』青土社 1980年
松崎晴夫『デモクラットの文学 広津和郎と大江健三郎』新日本出版社 1981年
篠原茂『大江健三郎文学事典』スタジオVIC 1984年
一条孝夫『大江健三郎の世界』和泉書院 1985年
サミュエル横地淑子『大江健三郎文学 海外の評価』創林社 1985年
榎本正樹『大江健三郎 八〇年代のテーマとモチーフ』審美社 1989年
黒古一夫『大江健三郎論 森の思想と生き方の原理』彩流社 1989年
マサオ・ミヨシほか『大江健三郎 群像日本の作家23』小学館 1992年
柴田勝二『大江健三郎論 地上と彼岸』有精堂出版 1992年
蓮實重彦『大江健三郎論新装版』青土社 1992年
文芸研究プロジェ編著『よくわかる大江健三郎』ジャパン・ミックス 1994年
渡辺広士『大江健三郎 増補版』審美社 1994年
オーケンで遊ぶ青年の会編『大江健三郎がカバにもわかる本 コレ一冊!あといらないッ!』洋泉社 1995年
榎本正樹『大江健三郎の八〇年代』彩流社 1995年
中村泰行『大江健三郎文学の軌跡』新日本出版社 1995年
平野栄久『大江健三郎わたしの同時代ゲーム』オリジン出版センター 1995年
鷲田小弥太ほか『大江健三郎とは誰か 鼎談 人・作品・イメージ』三一書房 1995年
本多勝一『大江健三郎の人生-貧困なる精神X集』毎日新聞社 1995年 ISBN 4620310565
谷沢永一『こんな日本に誰がした-戦後民主主義の代表者大江健三郎への告発状』KKベストセラーズ ISBN 4877120297
一条孝夫『大江健三郎 その文学世界と背景』和泉書院 1997年
桑原丈和『大江健三郎論』三一書房 1997年
黒古一夫『大江健三郎とこの時代の文学』勉誠社 1997年
篠原茂『大江健三郎文学事典―全著作・年譜・文献完全ガイド〔改訂版〕』森田出版 1998年 ISBN 494418901X
ジャン・ルイ・シェフェル『大江健三郎―その肉体と魂の苦悩と再生』2001年 ISBN 4896340779
小森陽一『歴史認識と小説―大江健三郎論』2002年 ISBN 406211304X
張文穎『トポスの呪力―大江健三郎と中上健次』2002年 ISBN 4881251244
黒古一夫『作家はこのようにして生まれ、大きくなった―大江健三郎伝説』2003年ISBN 4309015751
井口時男『危機と闘争 大江健三郎と中上健次』作品社 2004年
蘇明仙『大江健三郎論 <神話形成>の文学世界と歴史認識』花書院 2006年
クラウプロトック・ウォララック『大江健三郎論 「狂気」と「救済」を軸にして』専修大学出版局 2007年
王新新『再啓蒙から文化批評へ 大江健三郎の1957〜1967』東北大学出版会 2007年
黒古一夫『戦争・辺境・文学・人間 大江健三郎から村上春樹まで』勉誠出版 2010年
小谷野敦『江藤淳と大江健三郎 戦後日本の政治と文学』筑摩書房 2015年
山本昭宏『大江健三郎とその時代 「戦後」に選ばれた小説家』人文書院 2019年
尾崎真理子『大江健三郎全小説全解説』講談社 2020年
雑誌の特集[edit source]
『国文学 解釈と教材の研究』「特集 七〇年代の政治と性 大江健三郎」学燈社 (1971年7月号)
『ユリイカ』「特集 大江健三郎ーその神話的世界」青土社 (1974年3月号)
『国文学 解釈と教材の研究』「特集 大江健三郎ー方法化した想像力」学燈社 (1979年2月号)
『国文学 解釈と教材の研究』「特集 大江健三郎ー神話的宇宙を読む」学燈社 (1982年6月号)
『Switch 』Vol.8 No.1「緑したたる森 萌え出ずる樹 大江健三郎」扶桑社 (1990年3月号)
『国文学 解釈と教材の研究』「特集 大江健三郎ー八〇年代から九〇年代へ」学燈社 (1990年7月号)
『文學界』「特集・大江健三郎の文学」文藝春秋(1994年12月号)
『新潮』「特集・ノーベル賞受賞 大江健三郎」新潮社(1994年12月号)
『群像 特別編集 大江健三郎』講談社 (1995年4月)
『国文学 解釈と教材の研究 2月臨時増刊号』「21世紀に向けていま大江健三郎の小説を読む」学燈社(1997年2月号)
『IN★POCKET』2004年4月号「大江健三郎の50年」講談社(2004年4月号)
『群像』「特集 大江健三郎「文学の言葉」を伝えるために」講談社(2005年11月号)
『早稲田文学』6号「大江健三郎(ほぼ)全小説解題」早稲田文学会 (2013年9月号)

^ 山本昭宏『大江健三郎とその時代 「戦後」に選ばれた小説家』人文書院 pp.225-229
^ 浅田彰・柄谷行人・蓮實重彦・三浦雅士「討議昭和批評の諸問題1965-1989」柄谷行人編『近代日本の書評II』講談社文芸文庫
^ 小谷野敦『江藤淳と大江健三郎 戦後日本の政治と文学』筑摩書房 p.258
^ 山本昭宏『大江健三郎とその時代 「戦後」に選ばれた小説家』人文書院 pp.225-229
^ 山本昭宏『大江健三郎とその時代 「戦後」に選ばれた小説家』人文書院 p.229
^ 小谷野敦『江藤淳と大江健三郎 戦後日本の政治と文学』筑摩書房 p.257
^ 大江健三郎 (聞き手・構成 尾崎真理子)『大江健三郎作家自身を語る』新潮文庫 pp.247-252
^ 大江健三郎『私という小説家の作り方』新潮文庫p.70-72
^ 大江健三郎「本の読み方の、自分の流儀について、レインを介して次の段階へ」『小説のたくらみ知のたのしみ』新潮文庫
^ 大江健三郎「「カシアート」を追いかけて、活性化の話の後、ふたたび「カシアート」を追いかける」『小説のたくらみ知の楽しみ』新潮文庫
^ 山本昭宏『大江健三郎とその時代 「戦後」に選ばれた小説家』人文書院 p.228
^ 大江健三郎 (聞き手・構成 尾崎真理子)『大江健三郎作家自身を語る』新潮文庫 p.154
^ 小谷野敦『江藤淳と大江健三郎 戦後日本の政治と文学』筑摩書房 pp.14-16
^ 「同時代の大江健三郎」『群像』2018年8月号
^ 尾崎真理子『大江健三郎全小説全解説』講談社 p.8
^ 大江健三郎「人には何冊の本が必要か」『定義集』朝日新聞社
^ 大江健三郎「これからも沖縄で続くこと」『定義集』朝日新聞社
^ 「勲章」を受け取ることを拒んだ人たちの意外な理由 ニュースサイト『現代ビジネス』[9]
^ 「大江健三郎年譜」『大江健三郎全小説全解説』講談社
^ ノーベル賞作家・シモン氏、仏核実験批判の大江健三郎氏に反論 1995年9月22日 朝日新聞朝刊
^ 『暴力に逆らって書く―大江健三郎往復書簡』
^ “自衛隊派遣に「怒っている」大江健三郎氏が仏紙で論陣 2003年12月1日朝日新聞”. 2012年9月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年2月28日閲覧。
^ 大江健三郎「これからも沖縄で続くこと」『定義集』朝日新聞社
^ 大江健三郎「宗教的な想像力と文学的想像力」『鎖国してはならない』講談社
^ 大江健三郎「ヨーロッパの日本研究へ」『鎖国してはならない』講談社
^ 大江健三郎「ベルリン・レクチュア」『鎖国してはならない』講談社
^ 徳永信一「沖縄集団自決冤罪訴訟が光りを当てた日本人の真実」『正論』2006年9月号
^ 「沖縄集団自決、軍関与認めた判決確定 大江さん側勝訴」日本経済新聞2011/4/22付 [10]
^ 大江健三郎「文学とは何か(2)」『核時代の想像力』新潮社
^ 大江健三郎「方法としての小説」『小説の方法』岩波書店
^ [11]
^ [12]
^ 声明原文[13]
外部リンク[edit source]
Japan, The Ambiguous, and Myself - ノーベル財団の公式ホームページ (英語)
Kenzaburo Oe - Biographical - ノーベル財団の公式ホームページ (英語)
Kenzaburo Oe: Laughing Prophet and Soulful Healer - NobelPrize.org- ノーベル財団の公式ホームページ (英語)
NHKアーカイブス 大江健三郎さんノーベル文学賞(1994年) - 日本放送協会(NHK)
ウィキメディア・コモンズには、大江健三郎に関連するカテゴリがあります。
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表話編歴
ノーベル賞 ノーベル文学賞受賞者
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表話編歴
ノーベル賞 日本人のノーベル賞受賞者
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表話編歴
 第39回芥川龍之介賞
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表話編歴
 第3回谷崎潤一郎賞
典拠管理 ウィキデータを編集
BIBSYS: 90585344 BNC: 000072793 BNE: XX965890 BNF: cb11918035n (データ) CANTIC: a10266549 CiNii: DA00309723 GND: 118735969 ISNI: 0000 0001 2031 278X LCCN: n81033861 LNB: 000027023 NDL: 00057559 NKC: jn20000604307 NLA: 35395540 NLG: 71274 NLI: 000100999 NLK: KAC199631288 NLP: A11817616 NSK: 000079352 NTA: 069094608 RERO: 02-A000195621, 02-A010014812 SELIBR: 105115 SUDOC: 027051641 Trove: 937739 VIAF: 97169275 WorldCat Identities: lccn-n81033861
Categories: 大江健三郎日本の小説家日本のノーベル賞受賞者ノーベル文学賞受賞者芥川賞受賞者谷崎潤一郎賞受賞者朝日賞受賞者日本ペンクラブ会員レジオンドヌール勲章コマンドゥール受章者アメリカ芸術科学アカデミー会員九条の会の人物日本の反原発活動家東京大学出身の人物愛媛県出身の人物1935年生存命人物

銀河英雄伝説 最期

2021-02-20 21:22:20 | 小説
グリルパルツァーの論文タイトル
「アルメントフーベル星系第二惑星における造山活動および大陸移動の相互関係を証明する極地性植物分布に関しての一考察」

4 名前:ラインハル蔵 投稿日:2002/04/13(土) 00:23
■塩沢 兼人氏  塩沢 兼人氏(しおざわ・かねと=声優、本名・敏一=としかず)10日午前0時54分、
脳挫傷のため東京都新宿区の東京医大病院で死去、46歳。東京都出身。自宅は東
京都中野区鷺宮6の16の12。通夜は14日午後7時から、葬儀・告別式は15日午前10
時から中野区中央2の33の3、宝仙寺で。喪主は妻、はるみさん。
 アニメ「名探偵コナン」の白鳥刑事役、アニメ「クレヨンしんちゃん」のぶりぶりざえも
ん役などで知られる。9日午後、自宅の階段から転落し、病院に運ばれた。
■富山 敬氏「ヤマト」主役の声富山敬氏(とみやま・けい=声優、本名富山邦親=とみやま・くにちか)
25日午後9時7分、すい臓がんのため東京都新宿区の東京医大病院
で死去。56歳。
中国東北部(旧満州)出身。自宅は中野区東中野1の38の14の206。
葬儀・告別式は30日午前11時から同区上高田1の31の4の天徳院会館で。
喪主は父富山義邦(とみやま・よしくに)氏。「宇宙戦艦ヤマト」の主役・古代進や「ちびまる子ちゃん」の友蔵じいさん役
などアニメのほか映画「ビバリーヒルズ・コップ」のエディ・マーフィの声の吹
き替えなどで知られた。

5 名前:ラインハル蔵 投稿日:2002/04/13(土) 00:24
 四月三〇日二三時一五分、ファーレンハイト上級大
将の旗艦アースグリムは、ついにヤン艦隊の火力の網
にとらえられた。潰走する味方の最後衛にあって、そ
の全面潰走をくいとめ、退却を援護しつづけていたの
だが、味方の減少と敵火力の密度の増大とは、比例せ
ざるをえなかったのである。
 エネルギー中和システムの能力が限界をこえた瞬間、
灼熱した光の矛がアースグリムの船腹をつらぬきとお
した。誘爆が生じ、炎の蛇が艦内をのたうった。ファ
ーレンハイトは指揮シートから放り出され、壁面に、
ついで床にたたきつけられた。激痛が螺旋状につきあ
げ、傷ついた肺の奥から、血と空気が口をとおって逆
流し、床に散らばった。
 床に半身をおこしたとき、ファーレンハイトは急激
に接近する死の足音を耳道の奥に聴いた。血に汚れた
顔でファーレンハイトは一笑した。水色の瞳が照明を
受けて金属的な反射光を放った。
「おれは皇帝ラインハルト陛下にもおとらぬ貧乏貴族
の家に生まれて、食うために軍人になったのだ。何度
も無能な上官や盟主にめぐりあったが、最後にこの上
なく偉大な皇帝につかえることができた。けっこう幸
運な人生と言うべきだろう。順番が逆だったら目もあ
てられぬ……」
 あらたな激痛が血の形をとって口の端からこぼれた。
暗度をます視界のなかで、従卒としてしたがっていた
幼年学校の生徒が、まだ彼の傍にひかえているのを彼
は見た。涙と埃に汚れた顔を直視して、ファーレンハ
イトは叱りつけた。
「何をしている、さっさと脱出しないか」
「閣下……」
「さっさと行くのだ。アーダルベルト・フォン・ファ
ーレンハイトが戦死するときに子供を道づれにしたと
言われては、天上に行ってから、おれの席が狭くな
る」
 火と煙と屍臭にむせかえりながら、幼年学校の生徒
は、けんめいに、学校の精神を遵守しようとしてい
た。
「では何か、形見をください。生命に代えても皇帝陛
下のもとへおとどけいたしますから」
 死に瀕した帝国軍の勇将は、あきれたように少年を
見やった。苦笑を浮かべようとしたが、もはやその力
すら失われていた。
「わかった、形見をやる……」
 声帯の自由も急速に失われつつあった。
「お前の生命だ。生きて皇帝にお目にかかれ。死ぬな
よ、いいか……」
 自分で発した声を、ファーレンハイトはおそらく自
身で聴きおえることはなかったであろう。司令官の死
に、旗艦の死がつづいたのは二三時二五分であり、ご
く少数の生存者はシャトルに身を託して流血の道を逃
がれでていった。

6 名前:ラインハル蔵 投稿日:2002/04/13(土) 00:24
 二時四〇分。ヤンは立ちどまった。彼を呼ぶ声が至
近に聴こえたのだ。
「ヤン・ウェンリー提督!?」
 その声は質問ではなく、確認ですらなく、発砲の意
図を表明する音響でしかなかった。そして、発声者は、
自分自身の声で鞭うたれたかのように、発作じみた動
きで発砲したのである。
 異様な感触が、ヤンの左腿を一本の棒となって貫通
した。ヤンはよろめいて壁に背をつけた。感触はまず
重さに具体化し、ついで熱さに変わり、最後に痛みと
なって全身に拡大した。真空ポンプに吸い出されるよ
うに、血が噴き出している。
 動脈叢を撃ちぬかれたな、と、ヤンは奇妙に冷静な
判断を下した。意識野に対する痛覚の侵蝕がなければ、
立体TVの画像を眺めているような気すらする。むし
ろ、彼を撃った相手のほうが恐怖と逆上の叫びをあげ、
ブラスターをとりおとし、踊り狂うシャーマンのよう
な動作で、ヤンの視界から消え失せてしまった。「殺
した、殺した!」という調子はずれの声が遠ざかるの
を聴きながら、ヤンはスカーフをはずして傷口に巻き
つけた。そこはすでに血の湧出池と化して、ヤンの両
手は赤く染めあげられた。彼がこれまで流してきた血
の量にくらべれば、ささやかなものであったが。
 いま、痛覚はヤンの意識野と現実とをつなぐ、ほと
んど唯一の細い通路となっていた。もしかしたら死ぬ
な、と、ヤンは思い、妻や被保護者や部下たちの顔を
思い浮かべた。すると自分自身の現状に腹が立った。
彼らの手のとどかないところでこんな目にあっている
自分の不甲斐なさがいまいましく感じられた。彼は片
手を壁につけて、通路を歩きはじめた。まるで、それ
によって、彼と彼の親しい人々との間に横たわる距離
の壁を打破できるかのように。
 奇妙だな、と、ヤンは意識野のごく一部で苦笑した。
血が大量に流出すれば、体重は軽減するはずであるの
に、なぜこうも身体が重いのだろう。ひどく重い。腿
だけでなく下半身全体に、悪意に満ちた透明な腕がま
つわりついて、彼を引きずり倒そうとしている。
 アイボリーホワイトのスラックスは、見えざる染色
技術者の手で、一瞬ごとに赤黒く染まりつつあった。
傷口に巻きつけたスカーフは、いまや出血をとめる力
を失い、単に血が伝わり落ちる布製の通路と化してい
た。
 あれ、と、ヤンは思った。視線の位置が流れ落ちる
ように低くなったのだ。いつのまにか、床にひざをつ
いていた。立ちあがろうとして失敗したヤンは、壁に
軽く背中をぶつけ、そのまま壁ぎわにすわりこんでし
まった。どうも恰好がよくないな、と思ったが、姿勢
を変えるだけの余力もすでになくなっていた。彼の周
囲に、なお血だまりが拡がりつつあった。やれやれ、
奇蹟のヤンが血まみれヤンになってしまった、とヤン
は考えた。考えることさえ、はなはだしい疲労をとも
なってきた。
 指が動かない。声帯の機能も失われつつあった。だ
から、「ごめん、フレデリカ。ごめん、ユリアン。ご
めん、みんな……」という声を聴いたのは彼以外にい
なかった。否、自分でそう思っただけかもしれなかっ
た。
 ヤンは両目を閉じた。彼がこの世でおこなった最後
の動作。薄明から漆黒ヘ、無彩色の井戸を落下してい
く意識の隅で、なつかしい声が彼の名を呼んでいた。
 宇宙暦八〇〇年六月一日二時五五分。ヤン・ウェン
リーの時は三三歳で停止した。

7 名前:ラインハル蔵 投稿日:2002/04/13(土) 00:25
「ルッツ、銃が撃てなくなったら降伏せよ。ロイエン
夕-ルは勇者を遇する道を知っているはずだ」
 ルッツは一礼したが、諾とも否とも口には出さなか
った。皇帝たちの後姿を見送り、最後に振りむいたラ
インハルトの白い顔に敬礼をほどこすと、歩調を速め
るでもなく、道脇の大樹に半身を隠した。
 ルッツの忍耐心は限界をためされることがなかった。
一〇秒を経過したころ、一個小隊ほどの追跡者たちが
姿をあらわしたのだ。ルッツは、ひとりその前進をは
ばんで、銃撃戦を開始した。
 追跡者たちは目に見えてひるんだ。ルッツが名将の
誉高い男だとは知っていても、これほどの名射手であ
るとは想像していなかったのだ。
 わずか二分のうちに、ルッツひとりの銃で八人が倒
され、半数は即死している。せまりくる敵と猛火を前
にして、ルッツの沈着さには刃こぼれひとつ生じなか
った。大樹の幹に半身を隠して、ときおり舞いかかる
火の粉をはらう余裕さえ見せながら、ただひとりの防
衛線を難攻不落にしたてているのだ。投降を呼びかけ
る声を聴いたとき、彼の返答はこうであった。
「せっかくの機会だぞ。ローエングラム王朝の上級大
将が、どのような死にかたをするか、卿らが死ぬにせ
よ、生き残るにせよ、見とどけていったらどうだ?」
 どこまでも平静な声でルッツは言い放つと、彼自身
の精神がそうであるように、まっすぐ腕をのばし、引
金をしぼる。
 ルッツの意思がエネルギー体となって銃口からほと
ばしるようだった。襲撃者たちは、自分たちの人数を
忘れ、一対一で対するように、必死で応射した。正確
無比の射撃をかわそうとして森に飛びこみ、炎に追わ
れて飛びだしてくる醜態を見せる。
 みっつめの、そして最後のエネルギー・カプセルを
銃に装填しながら、ルッツは、ブリュンヒルトがまだ
離水しないのか、と、彼以外の人々のためにいらだっ
た。
 炎が大きく揺れた。赤と黒、炎と闇が争う上方を、
白銀のきらめきが圧したように思えた。ルッツは顔を
あげた。彼が放った視線の箭の先に、銀河帝国の軍人
なら見誤りようのない宇宙戦艦の姿が映った。数十条
のビームが地上から追いすがるなかを、誇り高くはば
たきわたる純白の巨鳥。讃歎の思いをこめて、地上か
らその姿をひとりの男が仰いでいる。
 忘我の一瞬がすぎ、コルネリアス・ルッツは、自分
の左鎖骨の下に白い細い光が突きささるのを見、それ
が左肩甲骨の横から背中へ抜けるのを実感した。痛覚
が一点にはじけ、それが拡散して内部から全身を満た
す。ルッツは、半歩だけよろめき、わずかに眉をひそ
めただけで、さらに二度、引金をひき、ふたりの敵を
炎のなかに撃ち倒した。軍服の胸に左手をあてたとき、
不快な粘着感をおぼえた。指の間から、黒く濡れた色
の小さな蛇が、数匹這いだしてくる。
 そのままの姿勢で、急速に重くなった引金をもう一
度引く。炎を背景として、敵のひとりが死の短い舞踊
をおどったが、斜めから応射された一閃が、ルッツの
右側頭部をつらぬきとおし、耳から血をほとばしらせ
た。皇帝の忠臣の視界から炎が消え、闇だけが残った。
「わが皇帝、あなたの御手から元帥杖をいただくお約
束でしたが、かなわぬことのようです。お叱りは天上
でいただきますが、どうかそれが遠い未来のことであ
るように……」
 不屈の勇将が、ついに立ちえず、燃えはじめた大樹
の根もとに倒れこむ姿を、襲撃者たちは見た。彼が致
命傷を負ったことを知ってはいたが、襲撃者たちは近
づくことができなかった。ルッツの頭上に、枝の形を
した炎の塊が落ちかかったとき、ようやく彼らは恐る
べき射撃手の死を確認したのだった。

8 名前:ラインハル蔵 投稿日:2002/04/13(土) 00:25
「そのためには、あえて地球教に利用されることも辞
さないというのだな」
「ちがいます。地球教を、私が利用したのです。私は
何でも利用します。宗教でも、制度でも、皇帝でも。
そう、あなたが叛旗をひるがえした、あの皇帝、才能
はあっても、人間として完成にほど遠い、未熟なあの
坊やもね。金髪の坊やの尊大な天才ぶりには、ロイエ
ンタール閣下もさぞ、笑止な思いをなさったことでし
ょうな」
 流れわたる能弁のうちに、ヨブ・トリューニヒトは、
自分自身の死刑宣告文に舌で署名したのだった。奇妙
にも思えることだが、彼は、自分がロイエンタールに
殺されるとは考えていなかったようである。彼を殺す
理由はロイエンタールにはなく、何よりも、彼を殺す
ことでどんな利益もロイエンタールにはもたらされな
いはずであった。
 ロイエンタールが、優雅なほどの手つきで、だがじ
つは全身のカをこめて、レール・ガンをトリューニヒ
トの胸に擬したとき、自由惑星同盟の前元首はにこや
かな笑顔をたもっていた。胸の中央を撃ちぬかれた瞬
間にも笑っていた。激痛が全神経を支配し、噴きだす
血がオーダーメイドの高級スーツを変色させたとき、
はじめて表情が変わった。恐怖や苦痛の表情ではない。
彼の判断と計算にしたがわなかった加害者の、非理性
的な行動を批判し、とがめるように見えた。口を開い
たとき、一万の美辞麗句にかわって、肺から逆流した
一〇〇CCの血がこぼれだした。
「きさまが民主共和政治を愚弄しようと、国家を喰い
つぶそうと、市民をたぶらかそうと、そんなことは、
おれの関知するところではない。だが……」
 ロイエンタールの色の異なる両眼が、苛烈な光でト
リューニヒトの面を打ち、自由惑星同盟前元首の長身
をよろめかせた。
「だが、その穢らわしい舌で、皇帝の尊厳に汚物をな
すりつけることは赦さん。おれは、きさまごときに侮
辱されるような方におつかえしていたのではないし、
背いたのでもない」
 ロイエンタールが口を閉ざしたとき、ヨブ・トリュ
ーニヒトはすでに立つ力を失って、床に崩れ落ちてい
た。両眼は、失望と失意をたたえて、宙に放たれたま
まだった。ふたつのことなる体制を、ひとつの資質に
よって操縦しようとした稀有な男が、巨大な可能性を
内宇宙にかかえこんだまま、死に瀕した金銀妖瞳の
男によって未来を奪われた。大義名分にも法律にも拘
泥する必要のなくなった人物が、私的憾感情の奔出にし
たがって、彼を撃ち倒したのである。皇帝ラインハル
トに対しても、故ヤン・ウェンリーに対しても、身命
と地位の安全を完璧に守りぬいた保身の天才が、失敗
した叛逆者の「暴挙」によって、時空からの退場を余
儀なくされたのであった。トリューニヒトの、一種の
不死性を破壊するには、そのような行動だけが有効で
あったのだ。
 床に倒れたものは、もはやヨブ・トリューニヒトで
はなかった。死んだからではない。口がきけなくなっ
たからだった。舌と唇と声帯を活動させえなくなった
トリューニヒトは、すでにトリューニヒトではなくな
っていた。人格を喪失した、単なる細胞の集積物でし
かなかった。ロイエンタールは、レール・ガンを離し
た。否、レール・ガンが彼の手を離れ、床に乱暴に接
吻して転がった。
「どこまでも不愉快な奴だったな。おれが生涯の最後
に殺した人間が武器を持っていなかったとは……不名
誉な所業を、おれにさせてくれたものだ」

9 名前:ラインハル蔵 投稿日:2002/04/13(土) 00:25
「すまんが、ミッターマイヤーが来るまで、抱いてい
てやってくれ。ああ、それと、そこの棚にウイスキー
がはいっている。グラスを二個だしてくれないか」
 声は弱く、可聴域の最低レベルからさえ、はみ出し
かけていた。少年が気づきうるはずもなかったが、こ
のときロイエンタールは、生涯で最後の冷笑癖を自分
自身にむけていた。死に臨んで、自らの圭角が失われ
つつあるのを、生涯の最後に残された認識力によって
自覚したからであった。オスカー・フォン・ロイエン
タールともあろう男が、「あの人も、死ぬときは善人に
なって死にました」などと、道徳屋どもにさえずられ
るような死にかたをするのか。ばかばかしいが、それ
もよいかもしれない。人それぞれの生、人それぞれの
死だ。だがせめて、おれが敬愛したごく少数の人々に
は、より美しい死がおとずれんことを。
 少年は片腕に乳児をだいたまま、もう一方の手で、
総督のデスクに二個のグラスをおき、落日のかけらを
溶かした色の液体をそそいだ。肺と心臓が胸郭のなか
で跳びはねていたが、どうにか命令を遂行して、壁ぎ
わのソファーにしりぞく。
 ロイエンタールは、デスクに両腕をつき、グラスに
むかって、否、グラスの向う側に座るべき友人にむけ
て、声をたてずに話しかけていた。
「遅いじゃないか、ミッターマイヤー……」
 美酒の香気が、明度と彩りを失いつつある視覚をゆ
るやかに浸しはじめた。
「卿が来るまで生きているつもりだったのに、まにあ
わないじゃないか。疾風ウォルフなどという、たいそ
うなあだ名に恥ずかしいだろう……」
 元帥号を剥奪された男の、黒に近いダークブラウン
の頭部が、前方にかたむくのを見て、ソファーにすわ
っていた少年は、声と息をのんで立ちあがった。一瞬、
腕のなかで眠っている乳児をどうするか迷ったが、小
さな身体をソファーに置くと、デスクに駆けよって、
わずかに動く口もとに耳をよせた。
 少年は、あわただしく、必死になって、鼓膜を弱々
しくくすぐる数語を、メモに書きとめた。ペンを持っ
たまま、蒼ざめた、端整な顔を見つめた。死が音もな
く翼をひろげて、男の上におおいかぶさった。
「……元帥、ロイエンタール閣下……」
 少年はささやいたが、返答はない。
 一二月一六日一六時五一分。オスカー・フォン・ロ
イエンタールは三三歳、つねに彼と反対側の陣営にい
たヤン・ウェンリーとおなじ年に生まれ、おなじ年に
死んだ。

10 名前:ラインハル蔵 投稿日:2002/04/13(土) 00:26
 かくしてビッテンフェルトは、復讐戦に関して掣肘
を解かれた。黒色槍騎兵はイゼルローン軍にむか
って突進し、メルカッツとアッテンボローの一点集中
砲火に甚大な損害をこうむりながらも、その防御線を
力ずくで突破した。このとき、すでに、イゼルローン
軍は、ビッテンフェルトの猛撃をささえるだけの数を
残していなかったのである。メルカッツは危険を看取
して後退を指示した。メルカッツ提督の旗艦であるヒ
ューベリオンの艦腹に、閃光の塊が炸裂したのは、そ
の瞬間である。
 膨大なエネルギーの矛は、エネルギー中和磁場をつ
らぬき、艦体に亀裂を生じさせた。その亀裂が四方へ
拡大したと見る間に、内と外へむかって、熱と光の柱
を噴きあげた。
 爆風が艦内に渦まいた。Ⅲ 火と風と煙が、ヒューベリオンの通路を高速で吹き
ぬけ、その途中で壁面をはがし、将兵やドアや機械類
を巻きこんで荒れ狂う。配電路にそって二次、三次、
四次の小爆発と火災が生じ、ヒューベリオンは致死性
の熱病にとらわれて痙攣をくりかえした。
 ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツは、
くずれ落ちた機材の下に半身を埋められた。肋骨の三
本が折れ、一本が脾臓と横隔膜を傷つけた。致命傷で
あった。
「閣下! メルカッツ提督!」
 ベルンハルト・フォン・シュナイダーは、火と煙と
死体が充満するなかを、けんめいに泳ぎぬいた。この
とき彼も右の肋骨にひびがはいり、右足首の靭帯を傷
つけていたが、苦痛に対して自覚もなく、敬愛する上
官の身体を、機材の山の下から引きずりだした。
 メルカッツはまだ生きていた。不可避の死を目前に
した、わずかな時間上の踊り場でしかなかったにせよ、
意識はあった。血と埃と油脂によごれた床の上で、よ
うやく姿勢をただすと、忠実な副官の姿を瞳に映して、
百戦錬磨の名将は乱れのない声で問いかけた。
「ユリアンたちは、ブリュンヒルトに突入できただろ
うかな?」
「どうやら成功したようです。それより、閣下、脱出
のご用意を……」
「成功したか、では思い残すこともないな」
「閣下!」
 シュナイダーが声を高めると、メルカッツは青年の
激情を静めるように、かるく片手をあげた。血で半ば
をおおわれた老顔に、満足感に似た表情がたゆたって
いた。
「皇帝ラインハルトとの戦いで死ねるのだ。せっかく
満足して死にかけている人間を、いまさら呼びもどさ
んでくれんかね。またこの先、いつこういう機会が来
るかわからん」
 シュナイダーは絶句した。彼の敬愛する上官が、リ
ップシュタット戦役での敗北以来、いわゆる死場所を
求めていたことを、彼は知っていた。知りながら、生
をまっとうしてほしいと望んでいたのだ。
「お許しください、閣下。私は閣下にかえってご迷惑
を強いたかもしれません」
「なに、そうなげくような人生でもあるまい。何と言
ったかな、そう、伊達と酔狂で、皇帝ラインハルトと
戦えたのだからな。卿にも苦労をかけたが、これから
は自由に身を処してくれ……」
 ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツは六
三歳、その軍歴は、ラインハルトとヤンの両者を合し
て二倍した年数に匹敵する。それも過去のものとなり、
副官シュナイダーに看とられて、彼は息をひきとった。
ゴールデンバウム王朝最後の宿将が、革命軍の一員と
して、生涯を完結させたのである。

11 名前:ラインハル蔵 投稿日:2002/04/13(土) 00:26
 負傷者をあなどったのであろう。帝国軍兵士のひと
りが、シェーンコップの背後にまわり、荷電粒子ライ
フルの先につけた銃剣を突きこんだ。
 シェーンコップの戦斧が一閃して、落雷が直撃した
ように兵士の頭部を吹きとばした。降りそそぐ人血を
あびて、シェーンコップは、魔王のように敵兵を圧倒
した。帝国軍はあえぎ、後退した。これほどの負傷、
これほどの出血にもかかわらず、装甲服をまとったこ
の男に、敗北の影はなかった。クルト・ジングフーベ
ル軍曹は、声もなく、床にはりついたまま動けない。
功名心のかけらもなく、畏怖の念にとらわれて、心の
なかで母の名を呼ぶだけだった。
「さて、誰が名誉を背負うのだ? ワルター・フォン・
シェーンコップが生涯で最後に殺した相手、という名
誉をな」
 シェーンコップは笑った。この男以外に誰もなしえ
ない笑い、苦痛の一分子すら含まないように見える不
敵な笑いだった。装甲服は、真紅の巨大な蛇に巻きつ
かれたように見えた。なおも出血はつづいていたのだ。
 彼は呼気を吐き出し、同時にわずかな量の血も吐き
出した。不当な境遇に置かれているとは感じなかった。
ヤン・ウェンリーがそうであったように、シェーンコ
ップも、自分ひとりの血では負債をまかないきれぬほ
ど、大量の血で自己の人生を染めあげてきたのだ。い
ま負債を返すべき時期が来たようであった。
 シェーンコップは、悠然たる足どりで歩きだした。
常人ならとうてい立っていられないであろう出血と苦
痛を、平然と無視したような姿に、帝国軍は声と息を
のみ、狙撃すらなしえず、ただ見守るだけであった。
 眼前に出現した階段を、シェーンコップは、それが
義務であるように上った。一段一段に血の小さな池を
残しながら最上段に達し、身体の方向を変えて、そこ
にすわりこんだ。
 シェーンコップは、両ひざの上に戦斧を横たえ、階
段下の帝国軍兵士たちを見おろした。いい眺めだ、と
思った。何かを見あげて死ぬのは、この男の好みでは
なかった。
「ワルター・フォン・シェーンコップ、三七歳、死に
臨んで言い残せり--わが墓碑に銘は要らじ、ただ美
女の涙のみ、わが魂を安らげん、と」
 わずかに表情をゆがめたのは、苦痛ではなく不満足
感のためであった。
「ふん、どうもいまひとつ、修辞が決まらんな。アッ
テンボローの青二才に、代筆させたほうがまだましか」
 階段下に、帝国軍の兵士たちがにじり寄ってくる。
シェーンコップは、興味なさそうにその光景を見つめ
た。だが、彼の視覚をつかさどる脳神経の中枢は、記
憶の暗い河をさかのぼって、ベつのものを探し求めて
いた。求めていたものが得られたとき、シェーンコッ
プは目をとじて独語した。
「……そうだ、あの娘だ、ローザライン・フォン・ク
ロイツェルといった。ローザと呼んでほしいと言って
いたな……」
 ワルター・フォン・シェーンコップが絶命した正確
な時刻は不明である。二時五〇分に、帝国軍兵士がお
そるおそる近づいて、この危険きわまる男の生死を確
認したとき、シェーンコップは、階段にすわったまま
の姿勢を微動だにさせず、すでに、死者だけが通過を
許される門を、ほとんど傲然と胸をそらしてくぐりぬ
けていた。

12 名前:ラインハル蔵 投稿日:2002/04/13(土) 00:26
「ヤン提督の讐だ!」
 閃光はユリアンの声を乗せて飛び、ド・ヴィリエの
胸の中央部に炸裂した。地球教の若い主教は、目に見
えぬ巨人に突きとばされたように後方へ一転した。噴
きあがった血液が、紅い雨滴となって床に散ったとき、
ド・ヴィリエは、恐怖よりも怒気と失望をこめてユリ
アンをにらんだ。彼の弁舌が中断されたことに対して、
真剣な怒気と失望を感じたようであった。ユリアンは
知りようもなかったが、その表情は、ヨブ・トリュー
ニヒトが死の直前に見せた表情を、いくらか兇暴化し
たものであった。大主教は血と呪詛をひとかたまりに
して吐きだした。
「私を射殺してもむだだ。いつか必ずローエングラム
王朝を倒そうとする者があらわれるぞ。これですべて
が終わったと思うな……」
 大主教の捨て台詞は、ユリアンに、一ミリグラムの
感銘も与えなかった。大主教は、自分が地球教団につ
いて有していた知識を、帝国治安機構に提供すること
で、生命を確保できるものと信じていたのであろう。
だが、ユリアンには、大主教の狡猾な方程式を成立さ
せてやる義務などなかった。
「勘ちがいしないでほしいな。ぼくは、ローエングラ
ム王朝の将来に何の責任もない。ぼくがきさまを殺す
のは、ヤン・ウェンリーの讐だからだ。そう言ったの
が、聴こえなかったのか」
「…………」
「それに……パトリチェフ少将の讐。ブルームハルト
中佐の讐。他のたくさんの人たちの讐だ。きさまひと
りの生命でつぐなえるものか」
ド・ヴィリエの身体は、たてつづけに閃光につらぬ
かれ、二度、地上で瀕死の魚のようにはねた。三度め
には、もはや動かなかった。
「主演俳優ひとりで、あまりはりきらんでくれ。おれ
たちの出番がなかったじゃないか」
 アッテンボローが苦笑まじりにつぶやいたとき、帝
国公用語の雑然たる会話が近づいてきた。三人は銃を
投げだし、ド・ヴィリエ大主教の、祝福されざる遺体
から一歩しりぞいて、憲兵たちの処置を待った。
 一方、ド・ヴィリエ大主教よりはるかに公然たる、
そして巨大な名声と非難を受けている人物も、死への
至近距離にあった。
 軍務尚書は、不合理さを咎めるような視線で、自分
の腹にあいた赤黒いクレーターをながめていた。階下
の一室でソファーに重傷の身を横たえ、軍医の治療を
受けていたが、緊急に軍病院での手術が必要であると
言われて、オーベルシュタインはそれを拒否した。
「助からぬものを助けるふりをするのは、偽善である
だけでなく、技術と労力の浪費だ」
 そう冷然と言って、周囲の人々を鼻白ませた後、彼
はつけ加えた。
「ラーベナルトに伝えてもらいたい。私の遺言状はデ
スクの三番めの抽斗にはいっているから、遺漏なく執
行すること。それと、犬にはちゃんと鳥肉をやってく
れ。もう先が長くないから好きなようにさせてやるよ
うに。それだけだ」
 ラーベナルトという固有名詞が人々の不審をひきお
こしたことに気づくと、軍務尚書は、それが忠実な執
事の名であることを説明し、説明を終えると、そっけ
なく両眼を閉ざして、人々の視線を遮断した。三〇秒
後、その死が確認された。軍務尚書オーベルシュタイ
ン元帥は、三九歳であった。

13 名前:ラインハル蔵 投稿日:2002/04/13(土) 00:26
「皇妃、あなたなら、予より賢明に、宇宙を統治して
いけるだろう。立憲体制に移行するなら、それもよし。
いずれにしても、生ある者のなかで、もっとも強大で
賢明な者が宇宙を支配すればよいのだ。もしアレクサ
ンデル・ジークフリードがその力量を持たぬなら、ロ
ーエングラム王朝など、あえて存続させる要はない。
すべて、あなたの思うとおりにやってくれれば、それ
以上、望むことはない……」
 高熱と呼吸困難に妨害されながら、時間をかけてよ
うやくそう言い終えると、ラインハルトは疲労しきっ
たように手をおろし、瞼をとざして、そのまま昏睡に
落ちた。二三時一〇分、水を求めるように唇が動き、
ヒルダが、水と白ワインを含ませたスポンジを、皇帝
の唇にあてた。唇が動いて水を吸った。やがてライン
ハルトはわずかに目をあけ、ヒルダにささやきかけた。
あるいは、誰かとまちがえたのかもしれない。
「宇宙を手に入れたら……みんなで……」
 声がとぎれ、瞼が落ちた。ヒルダは待った。だが二
度と瞼は開かず、唇は動かなかった。
 新帝国暦〇〇三年、宇宙暦八〇一年七月二六日二三
時二九分である。
 ラインハルト・フォン・ローエングラムは二五歳。
その治世は、満二年余という短期間のものであった。
 ……空気が音を伝える機能を放棄したかと思われる
ような沈黙は、ローエングラム王朝第二代皇帝アレク
サンデル・ジークフリードの小さな泣声によって破ら
れた。死者の枕もとにいたふたりの女性のうち、ひと
りが立ちあがった。いまや銀河帝国の摂政皇太后とし
て、宇宙の頂点に立ったヒルデガルド・フォン・ロー
エングラムである。マリーンドルフ伯、ミッターマイ
ヤー元帥らが粛然としてたたずむなか、彼女の低い声
が室内を回流していった。
「皇帝は病死なさったのではありません。皇帝は命数
を費いはたして亡くなったのです。病に斃れたのでは
ありません。どうかそのことを、皆さん、忘れないで
いただきとう存じます」
 ヒルダは深く頭をさげた。そのとき、彼女の白い頬
に、はじめて涙が流れた。死者の枕もとにいる女性が
低く嗚咽をもらした。
「……かくて、ヴェルゼーデは聖なる墓となった」(エ
ルネスト・メックリンガー)

14 名前:ラインハル蔵 投稿日:2002/04/13(土) 00:27
「見えるか、フェリックス、あの星々が……」
 あれらの星々は、いずれも数億年、数十億年の生命
を閲している。人類が誕生するはるか昔から輝きつづ
け、人類が死滅しきった後も輝きつづけるだろう。人
の生命は、星の一瞬のきらめきにもおよばない。そん
なことは古来からわかりきったことである。だが、星
の永遠と、人の世の一瞬とを認識するのは、人であっ
て星ではない。
 お前もいつか感じるようになるだろうか。凍てつい
た永劫と、一瞬の燃焼と、人はどちらを、貴重なものと
見なすのか、ということを。一瞬だけかがやいた流星
の軌跡が、宇宙の深淵と人の記憶とに刻印されること
があるということを。
 いつか、お前も星々をながめて、その彼方に思いを
はせ、それを征服し、そのかがやきのなかに身を投げ
たいとの望みに身を灼くことがあるだろう。そのよう
な日が来たとき、お前は、自分ひとりで旅立つのか。
父親をともなって行くのか。それとも、一歳にして忠
誠を警約したアレクサンデル・ジークフリードと行を
ともにするのだろうか……。
「あなた、ウォルフ」
 彼を呼ぶ声がして、エヴァンゼリンが星の光を頭髪
に受けながら近づいてきた。彼女の夫は、妻のほうへ
半ば身体を向けなおした。
「フェリックスがしゃべった。おれのことを父さんと
呼んでくれたよ」
「あら、まあ、まあ……」
 エヴァンゼリンは、やや混乱したように、夫に近づ
き、自分の腕に幼児の小さな温かい身体をだきとった。
彼女の肩に、夫が手をまわした。彼らは、おそろしい
ほど繚乱たる星空に視線をむけ、数秒の間、無言のま
まその場に立ちつくした。
 フェリックスが星空にむかって手をあげ、星をつか
みとる動作をした。幼児は自覚してそれをおこなった
のではない。それは人類全体の歴史を貫流する、手の
とどきえぬものへの憧憬を、一身にあらわしたのでは
ないだろうか。
「屋内へはいりましょう、あなた」
 エヴァンゼリンがやさしくすすめ、ミッターマイヤ
ーはうなずいて、妻の肩に手をまわしたまま、星空の
下を歩きだした。仮皇宮の建物の内部は、皇帝の死に
対する悲哀と、皇帝の死を儀式化するための奇妙な活
力とにあふれている。そこへ向かって、ウォルフガン
グ・ミッターマイヤーは、歩いていくのだった。 ……伝説が終わり、歴史がはじまる。           銀河英雄伝説    完結

銀河英雄伝説 未編集

2021-02-19 11:52:37 | 小説
Reich / Galactic Empire[edit]
Lohengramm faction[edit]
Reinhard von Lohengramm (von Müsel) - Ryō Horikawa, Miki Narahashi (in childhood, ep. 85)
Generaladmiral (after death: Flottenadmiral, Grossherzog) Siegfried Kircheis - Masashi Hironaka
Flottenadmiral Paul von Oberstein - Kaneto Shiozawa
Leading admirals[edit]
Flottenadmiral Oskar von Reuenthal (767 - December 16, 800 UC, Heinessenpolis) - Norio Wakamoto
Flottenadmiral Wolfgang Mittermeyer - Katsuji Mori
Flottenadmiral Ernest Mecklinger - Takaya Hashi, Mahito Ohba (2018 anime) (Japanese), Aaron Roberts (2018 anime) (English)
Flottenadmiral Fritz Josef Bittenfeld - Keiichi Noda
Generaladmiral (after death: Flottenadmiral) Karl Gustav Kempf (762 - May 798 UC, Geiersburg Fortress †) - Tesshō Genda, Hiroki Yasumoto (2018 anime) (Japanese), Robert McCollum (2018 anime) (English)
Generaladmiral (after death: Flottenadmiral) Cornelius Lutz ( - October 8, 800 UC, Uruvasi †) - Katsunosuke Hori, Hirofumi Nojima (2018 anime) (Japanese), Brandon McInnis (2018 anime) (English)
Flottenadmiral August Samuel Wahlen - Masaaki Okabe, Hisao Egawa (2018 anime) (Japanese), Brandon Potter (2018 anime) (English)
Flottenadmiral Ulrich Kesler (German: Ulrich Keßler) - Shūichi Ikeda
Flottenadmiral Neidhardt Müller or Neithard Müller - Yū Mizushima
Generaladmiral (after death: Flottenadmiral) Karl Robert Steinmetz ( - 6 May, 800 UC, Iserlohn Corridor †) - Hiroya Ishimaru
Generaladmiral (after death: Flottenadmiral) Adalbert von Fahrenheit ( - 30 April, 800 UC, Iserlohn Corridor †) - Shō Hayami
Flottenadmiral Ernst von Eisenach - Masane Tsukayama
Generaladmiral Helmut Lennenkampf or Helmut Lennenkanpt (German: Helmut Rennenkampf, - July 23, 799 UC, Heinessenpolis, suicide) - Takeshi Watabe
Staff[edit]
Hildegard von Mariendorf - Masako Katsuki
Konteradmiral Arthur von Streit - Kōji Totani, Kenji Yamauchi (2019 film trilogy) (Japanese), David Wald (2019 film trilogy) (English)
Leutnant Theodor von Lücke - Yasunori Matsumoto
Konteradmiral Anton Ferner - Kenyū Horiuchi, Isshin Chiba (2019 film trilogy) (Japanese), Brandon Winckler (2019 film trilogy) (English)
Emil von Seclä - Ryōtarō Okiayu
Cabinet ministers[edit]
Graf Franz von Mariendorf - Tadashi Nakamura, (Japanese), Jerry Jewell (2018 anime) (English)
Karl Bracke - Yūji Fujishiro
Eugen Richter - Mahito Tsujimura
Bruno von Silverberche (German: Bruno von Schilverberch) - Kōichi Yamadera
Gluck - Atsushi Gotō
Julius Elsheimer - Kiyonobu Suzuki
Heydrich Lang - Hitoshi Takagi (2nd season), Tarō Ishida (3rd & 4th seasons)
Civilians[edit]
Grafin (later Grossherzogin) Annerose von Grünewald - Keiko Han, Maaya Sakamoto (2018 anime) (Japanese), Amber Lee Connors (2018 anime) (English)
Evangeline Mittermeyer - Yuriko Yamamoto
Felix Mittermeyer - Tomoe Hanba
Freiherrin Magdalena von Westpfahle- Mari Yokoo
Konrad von Moder - Masami Kikuchi
Heinrich Lambertz - Kappei Yamaguchi
Marika von Feuerbach - Aya Hisakawa
Elfriede von Kohlrausch - Michie Tomizawa
Freiherr Heinrich von Kümmel - Yūji Mitsuya
Lohengramm Fleet[edit]
Vizeadmiral Isak Fernand von Turneisen - Shinya Ōtaki
Freiherr Kalnap - Ryoji Yamamoto
Admiral Rolf Otto Brauhitsch - Jūji Matsuda
Flottillenadmiral Siegbert Seidritz
Mittermeyer Fleet[edit]
Karl Eduard Bayerlein - Hisao Ōyama (1st season), Nobutoshi Canna (2nd season - 4th season)
Volker Axel von Büro - Akira Murayama, Yōichi Nishijima (2018 anime) (Japanese), Alejandro Saab (2018 anime) (English)
Droisen - Shigeru Saitō
Horst Sinzer - Kazuo Hayashi
Armsdorf - Motomu Kiyokawa (1st season), Kiyomitsu Mizuuchi (2nd season -)
Dickel - Kazuhiro Nakata
Reuenthal Fleet[edit]
Hans Eduard Bergengrün - Ryōichi Tanaka, Kōji Hiwatari (2018 anime) (Japanese), Newton Pittman (2018 anime) (English)
Emil von Reckendorf - Makoto Ataka
Bruno von Knapfstein - Nobuyuki Hiyama
Alfred Grillparzer - Nobuo Shimazaki (2nd season), Shunsuke Sakuya (3rd & 4th seasons)
Fritz Joseph Bittenfeld - Schwarz Lanzenreiter (Black Lancers)[edit]
Admiral Halberstadt
Admiral Grebner
Konteradmiral Eugen
High nobles[edit]
Herzog Otho von Braunschweig - Osamu Kobayashi, Jiro Saito (2019 film trilogy) (Japanese), Patrick Seitz (2019 film trilogy) (English)
Fürst Wilhelm von Littenheim III - Mikio Terashima, Eiji Hanawa (2019 film trilogy) (Japanese)
Fürst Klaus von Lichtenlade
Freiherr Flegel - Issei Futamata, Tōru Furuya (2019 film trilogy) (Japanese), Jason Liebrecht (2019 film trilogy) (English)
Graf Alfred von Lansberg - Yoku Shioya, Masayoshi Sugawara (2019 film trilogy) (Japanese), Chris Cason (2019 film trilogy) (English)
Herzog Maximilian von Kastrop - Hideyuki Hori, Takahiro Yoshino (2018 anime) (Japanese), Kyle Phillips (2018 anime) (English)
Fürst Wilhelm von Klopstock - Kinpei Azusa
Graf Jochen von Lemscheid Kyoji Kobayashi, Mitsuaki Madono (2018 anime) (Japanese), Doug Jackson (2018 anime) (English)
Other admirals[edit]
Flottenadmiral Gregor von Mückenberger - Hidekatsu Shibata, Ikuya Sawaki (2018 anime) (Japanese), Bruce DuBose (2018 anime) (English)
Generaladmiral Ovlesser - Daisuke Gōri, Tsuyoshi Koyama (2018 anime) (Japanese), Bryan Massey (2018 anime) (English)
Admiral Staaden - Ichirō Murakoshi, Kiyomitsu Mizuuchi (2018 anime) (Japanese), Charles C. Campbell (2018 anime) (English)
Vicomte Admiral Richard von Grinmelshausen - Ryūji Saikachi
Admiral Thomas von Stockhausen - Ichirō Nagai, Eizō Tsuda (2018 anime) (Japanese), Jim White (2018 anime) (English)
Admiral Hans Dietrich von Seeckt - Shōzō Iizuka, Yō Kitazawa (2018 anime) (Japanese), Mike Pollock (2018 anime) (English)
Konteradmiral Erlache - Masaharu Satō (1st season), Yūsaku Yara (Movie), Naomi Kusumi (2018 anime) (Japanese), Bill Jenkins (2018 anime) (English)
Technical admiral Anton Hilmer von Schaft
Konteradmiral (after death: Admiral) Hermann von Lüneburg - Nachi Nozawa, 11th Commander of the Rosenritter Regiment
Flottillenadmiral Ansbach - Makio Inoue, Hiroki Tōchi (2018 anime) (Japanese), David Matranga (2018 anime) (English)
Other soldiers[edit]
Christopf von Köfenhiller
Fügenberg - Toshihiko Seki
Erich von Hardenberg - Isao Sasaki
Tonio - Michitaka Kobayashi
Civilians[edit]
Therese Wagner - Noriko Hidaka
Susanna von Benemünde - Toshiko Fujita
Cabinet ministers[edit]
Klaus von Lichtenlade - Kohei Miyauchi (OVA series) Hiroshi Ito (Gaiden series), Kazuo Oka (2018 anime) Tomomichi Nishimura (2019 film trilogy) (Japanese), Barry Yandell (English)
Gerlach - Jōji Yanami, Takaya Hashi (2018 anime) (Japanese), Christopher Guerrero (2018 anime) (English)
Kaiser/Emperor[edit]
Rudolf I (Rudolf von Goldenbaum, reign 1 IC - 42 IC) - Chikao Ōtsuka
Sigismund I
Richard I
Otfried I (reign - 123 IC)
Kaspar I (reign 123 IC - 124 IC)
Julius I (reign 124 IC - 144 IC)
Sigismund II (reign 144 IC - 159 IC)
Otfried II (reign 159 IC - 165 IC)
August I (reign 165 IC - )
Erich I
Richard II
Otto Heinz I
Richard II (reign - 247 IC)
August II (reign 247 IC - 253 IC)
Erich II (reign 253 IC - )
Friedrich I
Leonhard I
Friedrich II
Leonhard II
Friedrich III (reign 330 IC - 336 IC)
Maximilian Joseph I (reign 336 IC - 336 IC)
Gustav I (reign 336 IC - 337 IC)
Maximilian Joseph II (reign 337 IC - 350s IC)
Cornelius I (reign 350s IC - )
Manfred I
Helmut I
Manfred II (reign 398 IC - 399 IC)
Wilhelm I
Wilhelm II
Cornelius II
Otfried III
Erwin Joseph I
Otfried IV
Otto Heinz II
Otfried V (reign - 456 IC)
Friedrich IV (reign 456 IC - 487 IC) - Osamu Saka, Minoru Inaba (2018 anime) (Japanese), Bill Flynn (2018 anime) (English)
Erwin Joseph II (reign 487 IC - 489 IC) - Hiroko Emori, Wakana Kingyo (2019 film trilogy) (Japanese), Luci Christian (2019 film trilogy) (English)
Kaiserin Kätchen I (reign 489 IC - 490 IC)
Free Planets Alliance[edit]
Yang Fleet[edit]
Yang Wen-li - Kei Tomiyama (series), Hozumi Gouda (Gaiden)
Julian Mintz - Nozomu Sasaki
Yang's adopted son, he later served as commander of the Iserlohn Republic Military at the age of eighteen.
Frederica Greenhill - Yoshiko Sakakibara, Aya Endo (2018 anime) (Japanese), Madeleine Morris (2018 anime) (English)
Frederica Greenhill first met Yang during the evacuation of El Facil. She joined the military to find him again and was assigned as his adjutant. Before the Battle of Vermilion, Yang proposed marriage to her and she accepted, and the two of them lived a married life for a few months before Yang was arrested by the Galactic Empire. During their time at the El Facil Revolutionary Government, she continued to serve as his adjutant. If not for a fever, she would have joined Admiral Yang aboard the Leda II when he was assassinated. After his death, she served as the leader of the Iserlohn Republic Supreme Council
Alex Cazellnu or Alex Cazerne - Keaton Yamada, Tokuyoshi Kawashima (2018 anime) (Japanese), Chuck Huber (2018 anime), Anthony Bowling (2019 film trilogy) (English)
Admiral in charge of logistics and supply as well as being the Administrator of Iserlohn Fortress. He often remains behind as fortress commander when the Yang Fleet is in the field.
Dusty Attenborough - Kazuhiko Inoue, Kaito Ishikawa (2018 anime) (Japanese), Jordan Dash Cruz (2018 anime) (English)
One of the commanding officers of the 13th fleet, and later, space fleet commander of the Iserlohn Republic. Achieved the rank of Vice Admiral at his late twenties, even faster than Yang.
Edwin Fischer - Taimei Suzuki, Osamu Sonoe (2018 anime) (Japanese), Kenny Green (2018 anime) (English)
Admiral in charge of fleet maneuvers.
Nguyen Van Huu - Masayuki Omoro, Kenta Miyake (2019 film trilogy) (Japanese), Jarrod Greene (2019 film trilogy) (English)
Murai - Takeshi Aono, Hochu Otsuka (2018 anime) (Japanese), Mike McFarland (2018 anime) (English)
Fyodor Patrichev - Kōzō Shioya, Masami Iwasaki (2018 anime), Jeremy Inman (2018 anime) (English)
Bagdash - Akira Kamiya, Shigeru Ushiyama (2019 film trilogy) (Japanese), Chris Hackney (2019 film trilogy) (English)
A staff officer who was originally sent as a spy, he was later recruited as Yang's head Intelligence Officer.
Olivier Poplan - Toshio Furukawa, Tatsuhisa Suzuki (2018 anime) (Japanese), Orion Pitts (2018 anime) (English)
Ivan Konev - Hirotaka Suzuoki, Kousuke Toriumi (2018 anime) (Japanese), Micah Solusod (2018 anime) (English)
Warren Hughes - Kazuki Yao, Takashi Ohara (2018 anime) (Japanese), Tyler Walker (2018 anime) (English)
Salé Aziz Cheikly - Yoshikazu Hirano, Hiroshi Kawaguchi (2018 anime) (Japanese), David Wald (2018 anime) (English)
Willibald Joachim von Merkatz - Gorō Naya, Unshō Ishizuka (2018 anime) Kazuhiro Yamaji (2019 film trilogy) (Japanese), Mark Stoddard (2018 anime) (English)
High Admiral under Kaiser Freidrich IV who takes refuge with Yang at Iserlohn after the Lippschadt war. Later forced into becoming the Space Fleet Commander-in-Chief of the Goldenbaum government in exile.
Bernhard von Schneider - Yūichi Meguro, Daisuke Hirakawa (2019 film trilogy) (Japanese), Bryson Baugus (2019 film trilogy) (English)
Louis Mashengo - Ryūsei Nakao
Nilsson - Ryūsuke Ōbayashi
Hazuki - Takeshi Kusao
Simon - Nobuo Tobita
Katerose von Kreutzer - Kotono Mitsuishi
Fighter pilot who is also the daughter of Walter von Schenkoppf.
Hortence Cazellnu - Keiko Matsuo
The wife of Alexander Cazellnu and mother of their two daughters.
Charlotte Phyllis Cazellnu - Yuri Amano
Jean Robert Lap - Hideyuki Tanaka, Yuuki Ono (2018 anime) (Japanese), Christopher Wehkamp (2018 anime) (English)
Jessica Edwards - Mami Koyama, Sayaka Kinoshita (2018 anime) (Japanese), Dawn M. Bennett (2018 anime) (English)
Rosenritter Regiment[edit]
Colonel Hermann von Lüneburg - Nachi Nozawa, 11th Commander of the Rosenritter Regiment
Colonel Otto Frank von Wahnschaffe, 12th Commander of the Rosenritter Regiment
Brigadier General Walter von Schenkopp or Walter von Schönkopf (July 28, 764 - June 1, 801, Shiva Starzone †) - Michio Hazama, Shinichiro Miki (2018 anime) (Japanese), Christopher R. Sabat (2018 anime) (English)
13th Commander of the Rosenritter Regiment, a feared ground assault unit within the Free Planets Alliance Infantry Forces. Originally, he came from the Galactic Reich, but defected to the Free Planets Alliance at a young age. He is one of the more outspoken members of the Yang Fleet, especially when it comes to Yang taking over the government.
Colonel Kasper Lintz - Jūrōta Kosugi, Kenji Hamada (2018 anime), Michael A. Zekas (2018 anime) (English)
14th Commander of the Rosenritter Regiment
Lieutenant Colonel Rainer Blumhardt - Keiichi Nanba, Tsuguo Nogami (2018 anime), Marcus D. Stimac (2018 anime) (English)
Lieutenant Karl von der Decken
Cabinet ministers[edit]
Job Trünicht - Unshō Ishizuka, Kazuhiro Anzai (2018 anime) (Japanese), Dave Trosko (2018 anime) (English)
Joan Lebello - Iemasa Kayumi, Daisuke Egawa (2018 anime) (Japanese), Michael Johnson (2018 anime) (English)
Huang Louis - Kaneta Kimotsuki, Hidenari Ugaki (2018 anime) (Japanese), Francis Henry (2018 anime) (English)
Negroponty - Takanobu Hozumi, Taketora (2019 film trilogy) (Japanese)
Walter Islands - Yasurō Tanaka, Tomoyuki Shimura (2019 film trilogy) (Japanese)
Cornelia Windsor - Minori Matsushima, Kumiko Takizawa (2018 anime) (Japanese), Casey Casper (2018 anime) (English)
Lisa Wamban - Nataka Meza[citation needed]
Other admirals/soldiers[edit]
Sidney Sithole - Kenji Utsumi, Masaki Aizawa (2018 anime) (Japanese), Ray Hurd (2018 anime) (English)
Lazar Lobos - Tamio Ōki, Eiji Hanawa (2018 anime) (Japanese), John Baker (2018 anime) (English)
Dwight Greenhill - Issei Masamune, Mitsuaki Hoshino (2018 anime) (Japanese), Sonny Strait (2018 anime) (English)
Alexander Bucock - Kōsei Tomita, Bon Ishihara (2018 anime) (Japanese), Kent Williams (2018 anime) (English)
Trung Yu-Chang - Akio Ōtsuka
Paeta - Kan Tokumaru, Shinya Fukumatsu (2018 anime) (Japanese), Chris Rager (2018 anime) (English)
Hawood - Shinji Ogawa, Hayato Fujii (2018 anime) (Japanese), Paul Slavens (2018 anime) (English)
Vice-Admiral and commander of the 7th Fleet of the Alliance.
Appleton - Takkō Ishimori, Katsuhisa Hōki (2018 anime) (Japanese), Jeremy Schwartz (2018 anime) (English)
Vice-Admiral and commander of the 8th Fleet of the Alliance.
al-Salem - Yonehiko Kitagawa, Keiko Sakai (2018 anime) (Japanese), Brad Hawkins (2018 anime) (English)
Vice-Admiral and commander of the 9th Fleet of the Alliance.
Uranff - Ryūsuke Ōbayashi, Toshiharu Sakurai (2018 anime) (Japanese), Philip Weber (2018 anime) (English)
Vice-Admiral and commander of the 10th Fleet of the Alliance.
Borodin - Masaru Ikeda, Masafumi Kimura (2018 anime) (Japanese), John Burgmeier (2018 anime) (English)
Vice-Admiral and commander of the 12th Fleet of the Alliance.
Evans - Michihiro Ikemizu
Andrew Fork- Tōru Furuya, Hiroshi Kamiya (2018 anime) (Japanese), Justin Briner (2018 anime) (English)
Arthur Lynch - Masashi Hirose, Issei Futamata (2019 film trilogy) (Japanese), Jay Hickman (2019 film trilogy) (English)
Valerie Lynn Fitzsimmons - Mika Doi
Franz Valleymont - Shigeru Nakahara
Mafia of 730 (Second Battle of Tiamat)[edit]
Bruce Ashbey (710 - December 11, 745, Tiamat Starzone †) - Morio Kazama
Frederick Jasper ("March" Jasper, 710 - 771)[1] - Keiji Fujiwara
Wallice Warwick ("Baron" Warwick, 710 - 766)[2] - Rikiya Koyama
John Drinker Cope (710 - 751, Palantia Starzone †)[3] - Masato Sako
Vittorio di Bertini (710 - December 11, 745, Tiamat Starzone †)[4] - Kenji Nomura
Fang Tchewling (710 - 773)[5] - Takayuki Sugō
Alfred Rosas (710 - 788)[6] - Tetsurō Sagawa (old), Toshihiro Inoue (young)
Battle of Dagon[edit]
Lin Pao
Yūsuf Topparol or Yusuf Tpalour (Turkish: Yusuf Topaloğlu)
Naismith Ward
Olewinsky
András
Mungai
Hugh Erstedt
Ortrich
Birolinen
Historians[edit]
E. J. Mackenzie - Shigeru Chiba
Phezzan[edit]
Adrian Rubinsky - Kiyoshi Kobayashi, Hideaki Tezuka (2018 anime) (Japanese), Jason Douglas (2018 anime) (English)
Dominique Saint-Pierre - Fumi Hirano, Mie Sonozaki (2018 anime) (Japanese), Janelle Lutz (2018 anime) (English)
Rupert Kesselring - Hirotaka Suzuoki
Nikolas Boltik – Tatsuyuki Jinnai, Masato Obara (2018 anime) (Japanese), Randy Pearlman (2018 anime) (English)
Boris Konev - Yoshito Yasuhara, Masami Kikuchi (2019 film trilogy) (Japanese), Sam Black (2019 film trilogy) (English)
Marinesk - Kenichi Ogata, Kenichi Mochizuki (2019 film trilogy), Kenny James (2019 film trilogy) (English)
Terraism[edit]
The Terraist Church is a secret society which emphasized that humans should all return to their home planet of Earth and re-establish its fame as the capital of the universe. While their capital and holiest temple is on Earth beneath the rubble of Mount Kangchenjunga, they have many churches around the galaxy from the Free Planets Alliance capital of Heinessen to the former Imperial capital of Odin, and a very strong presence in the new capital of Phezzan. In particular, they held great influence over the former Phezzani government before its overthrow and re-annexation by the Empire. The terms "terraism" and "terraist" are also a pun on "terrorism" and "terrorist".

Grand Bishop - Teiji Ōmiya (1st - 3rd season), Dai Sasahara (4th season), Ikkyuu Juku (2019 film trilogy) (Japanese), Brendan Blaber (2019 film trilogy) (English)
De Villiers - Banjō Ginga, Hideyuki Hori (2019 film trilogy) (Japanese)