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日本最後の一覧

2020-10-29 04:57:55 | 時事
日本最後の一覧(にほんさいごのいちらん)は、日本で最後となった物事、もしくは日本人として最後となった物事の一覧。
なお、現在も可能であるが数十年あるいはそれ以上の長期間にわたって実例がなく、今後も実際に発生する可能性が著しく低いような物事は法改正や環境の変化に起因するものに限定し、単に「日本最後」と呼ばれるだけのものは除外している。

目次
1 生物
2 政治や軍事
2.1 天皇・朝廷および律令制に由来する地位・官職
2.2 幕府および武士
2.3 近代以後の政治制度
2.4 近代以後の軍事
3 社会
4 学問・教育施設
5 暦
6 貨幣
7 製品
8 日本最後の各種施設・建築物
9 交通
9.1 鉄道
9.1.1 路線
9.1.2 列車
9.1.3 人物
9.2 道路
9.3 二輪・四輪車
9.4 船舶
10 電気通信
11 エンターテインメント
11.1 テレビ
11.1.1 放送局
11.1.2 テレビ番組
11.2 ラジオ
11.3 音楽
11.4 スポーツ
11.4.1 ラグビー
11.4.2 サッカー
11.4.3 野球
11.4.4 相撲
11.4.5 ボクシング
11.4.6 競馬
11.5 和歌
11.6 囲碁・将棋
12 脚注
12.1 注釈
12.2 出典
13 関連項目
生物[編集]
野生のトキ - キン。2003年10月10日に死亡。
野生のコウノトリ - 1971年5月25日に兵庫県豊岡市で保護された個体。
ニホンオオカミ - 1905年1月23日に奈良県東吉野村鷲家口で捕獲された若いオス。これ以降、公式的に確認された生存情報がない。
マミジロクイナ - 日本では小笠原諸島の硫黄島に生息していたが、1924年頃に絶滅[1]。
ニホンアシカ - 1975年に竹島で2頭の目撃例があったのを最後に確実な目撃例はなく、1991年の環境庁レッドデータブックでは「絶滅種」と記載された。
ニホンカワウソ - 1979年以降確実な目撃例がなく、2012年に絶滅種に指定された。
政治や軍事[編集]
天皇・朝廷および律令制に由来する地位・官職[編集]
最後の法皇 - 霊元天皇。正徳3年(1713年)8月に落飾。
最後の女性天皇 - 後桜町天皇(在位1762年-1770年) 後桃園天皇に譲位
最後の太政大臣 - 三条実美(1871年-1885年在任)
最後の斎院 - 礼子内親王(1204年-1212年)
最後の斎宮 - 祥子内親王(1333年-1334年)
最後の陰陽師 - 土御門晴雄(1842年-1869年在任)
幕府および武士[編集]
幕府 - 江戸幕府(慶応3年10月14日(1867年11月9日))
征夷大将軍 - 徳川慶喜(1866年-1867年在任)
大老 - 酒井忠績(1865年在任)
西国筋郡代 - 窪田鎮勝
幕藩体制下で最後に発足した藩 - 高徳藩(1866年成立)
大名で最後まで生存していた者 - 林忠崇(1941年1月22日没)
※考え方によっては分部光謙(1944年11月29日没)
最後まで生存していた戦国大名 - 伊達政宗。1636年6月27日没。
最後まで生存していた新選組隊士 - 池田七三郎(1938年1月16日没)
最後まで生存していた松下村塾塾生(吉田松陰時代)[注釈 1] - 渡辺蒿蔵(1939年9月7日没)
近代以後の政治制度[編集]
最後の元老 - 西園寺公望(1940年11月23日没)
最後の枢密院議長 - 清水澄(1946年6月13日 - 1947年5月2日在任 枢密院自体が日本国憲法施行で廃止されたため)
最後の勅令 - 外国人登録令(昭和22年勅令第207号)1947年5月2日公布。※公布日が最後となる勅令。日本国憲法施行後、勅令を新規に公布することはできないが、過去に公布され現在も有効な勅令は複数存在する。
内閣総理大臣
最後の大政奉還以前生まれの総理大臣 - 平沼騏一郎。1867年10月25日生まれ。1939年8月30日退任。平沼は大政奉還以前生まれの首相経験者で最後の生き残りであった(1952年8月22日没)
最後の明治改元以前生まれの総理大臣 - 鈴木貫太郎。1867年12月24日生まれ。1945年8月17日退任。貫太郎は最後の非国会議員の内閣総理大臣でもあった。なお、明治改元以前生まれの首相経験者で最後の生き残りは平沼や貫太郎ではなく岡田啓介であった(1952年10月17日没)。
最後の19世紀生まれの総理大臣 - 池田勇人。1899年12月3日生まれ。1964年11月9日退任。なお、19世紀生まれの首相経験者で最後の生き残りは東久邇宮稔彦王である(1990年1月20日没)。
最後の明治生まれの総理大臣 - 鈴木善幸。1911年1月11日生まれ。1982年11月27日退任。善幸は明治生まれの首相経験者で最後の生き残りでもあった(2004年7月19日没)。
最後の大正生まれの総理大臣 - 村山富市。1924年3月3日生まれ。1996年1月11日退任。村山は大正生まれの首相経験者で最後の生き残りでもある。
最後の昭和戦前生まれの総理大臣 - 麻生太郎。1940年9月20日生まれ。2009年9月16日退任。
中央省庁再編により消滅した省庁の最後の大臣・長官・委員長(任期終了は防衛庁長官を除き2001年1月6日、防衛庁長官のみ2007年1月8日)
郵政大臣・自治大臣・総務庁長官 - 片山虎之助(2000年12月5日就任)
大蔵大臣 - 宮澤喜一(1998年7月30日就任)
厚生大臣・労働大臣 - 坂口力(2000年12月5日就任)
建設大臣・運輸大臣・北海道開発庁長官・国土庁長官 - 林寛子(扇千景)(2000年7月4日就任)
通商産業大臣 - 平沼赳夫(2000年7月4日就任)
文部大臣・科学技術庁長官 - 町村信孝(2000年12月5日就任)
環境庁長官 - 川口順子(2000年7月4日)
金融再生委員会委員長 - 柳澤伯夫(2000年12月5日)
沖縄開発庁長官 - 橋本龍太郎(2000年12月5日)
経済企画庁長官 - 額賀福志郎(2000年12月5日)
防衛庁長官 - 久間章生(2006年9月26日就任)
国会議員
最後の江戸時代生まれの国会議員 - 宇垣一成。参議院議員。
衆議院議員では尾崎行雄。
最後まで在任した明治生まれの国会議員 - 原健三郎と櫻内義雄。2000年6月2日退任。
彼らのうち原は帝国議会時代から議席を維持し続けた最後の現職議員でもあった。
最後まで在任した大正生まれの国会議員 - 中山太郎。1924年8月27日生まれ。2009年7月21日退任。
国政選挙立候補者
最後の大正生まれの国政選挙立候補者 - 川島良吉。1918年8月1日生まれ。2012年衆議院議員選挙に出馬。
地方議員
最後まで在任した大正生まれの市議会議員ならびに女性議員および地方議会選挙立候補者 - 橋本きくい(元潮来市議 1925年4月1日生まれ。2016年1月31日の市議選で落選、2020年の選挙でも立候補したが、落選。)[2][3][4]
最後まで在任していた大正生まれの地方議会議員 - 赤屋敷信一(一戸町議会議員。1926年1月29日生まれ。2017年7月25日辞職)[注釈 2]
国葬 - 吉田茂(1967年)
特例市に指定された市 - 佐賀市(2014年4月1日指定)
近代以後の軍事[編集]
第一次世界大戦で戦った軍人で最後まで生存していた者 - 高木惣吉。1979年7月27日没。
ただし場合によっては和田秀穂(1972年4月3日没)
内戦 - 西南戦争(1877年)
最後に就任した陸軍大将 - 牛島満。1945年6月20日就任、1945年6月23日没。
最後に就任した海軍大将 - 井上成美。1945年5月15日就任、1975年12月15日没。
連合艦隊司令長官 - 小沢治三郎(1945年5月29日就任、1966年11月9日没)
編成が発令された大日本帝国陸軍の師団 - 第158師団(1945年8月10日編成発令)
建造された戦艦 - 武蔵。1942年8月5日竣工。
就役した正規空母 - 信濃 (空母)(1944年11月19日就役)[注釈 3]
最後に就役した艦艇 - 伊王(1945年3月24日就役)
空襲 - 土崎空襲(秋田県秋田市)(1945年8月14日午後10:30頃-8月15日午前2:20頃)
空中戦 - 伊豆諸島上空でのB-32に対する迎撃戦(1945年8月18日)
地上戦 - 南樺太での日本軍とソ連軍との戦い。(1945年8月23日に終了)
戦争への参戦 - 朝鮮戦争。(1950年)海上保安庁の掃海部隊からなる特別掃海隊が派遣された[注釈 4]。
日本が参戦した戦争による日本人最後の戦死者 - 朝鮮戦争における中谷坂太郎(1950年10月17日没、当時21歳)。元山沖で、海上保安庁所属の掃海艇が触雷したことによる[注釈 5]。
戦争の終結 - モンテネグロ公国との間の戦争終結(2006年6月16日)。[注釈 6](日本とモンテネグロの関係)
社会[編集]
江戸時代生まれの日本人
明治改元前生まれ - 中山イサ(1977年5月25日没。1868年6月15日(慶応4年6月3日)生まれ)。
大政奉還前生まれ - 河本にわ(1976年11月16日没。1863年9月17日(文久3年8月5日)生まれ)。
男性では吉川与三太郎(1976年1月2日没。1867年12月9日(慶応3年11月14日)生まれ)。
19世紀生まれ - 田島ナビ(2018年4月21日没。1900年8月4日生まれ。生年月日に確かな記録のある人としては世界最後でもある)
男性では木村次郎右衛門(2013年6月12日没。1897年4月19日生まれ)
越後瞽女 - 小林ハル(2005年4月25日没)
不敬罪が適用された事件 - プラカード事件(1946年5月19日)
学問・教育施設[編集]
男子大学 - 東洋食品工業短期大学(2008年度より男女共学化)かつての日本では男子のみが大学に入学する資格があったが、女子教育の必要性や時代の流れによって次第に共学化されていった。当校は力作業を伴う実習授業が多いことから開学以来、永らく女子の募集・入学は認めていなかったが2008年度より男女共学となった。これにより、日本の男子大学は消滅した。
「東洋食品工業短期大学」を参照
薬学部以外の薬剤師養成課程 - 広島大学(2006年の薬剤師養成課程の6年制移行に伴い、医学部から独立。医学部総合薬学科から薬学部薬学科となった。これにより、薬学部以外の管轄による薬剤師養成課程は消滅した。)
「広島大学」を参照
暦[編集]
公式な太陰太陽暦 - 天保暦
公式な太陰太陽暦の閏月 - 明治3年閏10月(グレゴリオ暦1870年11月23日-12月21日)
公式な太陰太陽暦の日付 - 明治5年12月2日(グレゴリオ暦1872年12月31日)
貨幣[編集]
皇朝銭 - 乾元大宝(958年(天徳2年)鋳造)
穴銭(銭銘の種類として) - 文久永宝(文久3年 - 慶応3年鋳造)(地方貨幣等は除く)
大判 - 万延大判(万延元年発行)
小判 - 万延小判(万延元年発行)
秤量貨幣 - 安政丁銀・安政豆板銀(安政6年発行)(地方貨幣等は除く)
地方貨幣では、安政銀より後に発行された秋田波銭や秋田鍔銭などは秤量貨幣の可能性がある。
本位金貨の年銘 - 新20円金貨昭和7年銘
新円切替前(旧円)の紙幣 - 日本銀行券甲千圓券・ろ百圓券・ろ拾圓券(1945年8月17日発行)
銭単位の硬貨 - 小型50銭黄銅貨(1947 - 1948年発行)
銭単位の紙幣 - 日本銀行券A五銭券(1948年5月25日発行)
政府紙幣 - 板垣退助50銭紙幣(1948年3月10日発行)
最後まで法的に有効だった江戸時代発行の貨幣 - 寛永通宝銅一文銭(1厘)・寛永通宝真鍮四文銭(2厘)・文久永宝(1厘5毛)(1953年、小額通貨整理法により通用停止)
一般流通用の銀貨 - 稲100円銀貨(1959 - 1966年発行)
最後まで法的に有効だった戦前発行の硬貨 - 新貨条例・貨幣法による本位金貨全種類(日本の金貨参照。1988年、通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律により通用停止)
製品[編集]
赤チンを製造・販売している最後の企業 - 三栄製薬(2019年5月31日を最後にマーキュロクロムが日本薬局方から除外されるため、小堺製薬が製造を廃止。これにより三栄製薬が最後の製造・販売企業となる)
日本最後の各種施設・建築物[編集]
(坑内掘りの)炭鉱 - 北海道釧路市の太平洋炭礦(2002年1月30日閉山[注釈 7])
銅山 - 温川鉱山・花岡鉱山(1994年3月閉山)
城郭(日本の城)
最後に完成した、完全な(天守が現存する)城郭建築 - 松山城(天守本壇が1854年2月落成[注釈 8])[5]
最後に完成した[注釈 9]、天守を有する[注釈 10]日本式城郭 - 松前城(1849年幕府が築城許可。1854年9月完成)[6]
最後に完成した、幕藩体制下の藩による日本式城郭 - 石田城(1849年幕府が築城許可、1863年6月完成)[7]
最後に完成した日本式城郭[注釈 11] - 園部城(1868年に明治政府が築城許可、1869年8月に完成)[8][9]
最後に完成した、藩が建築した城(稜堡式城郭) - 松尾城(1869年9月着工、1870年藩庁などが完成[10][注釈 12])[注釈 13]
個人所有であった最後の城 - 犬山城(現存天守:旧城主の成瀬家所有であったが2004年より財団法人所有となる)
最後に完成したバットレスダム - 三滝ダム(中国電力所有、1937年完成)
灯台守駐在の灯台 - 女島灯台(2006年11月12日に無人化)
交通[編集]
鉄道[編集]
路線[編集]
最後の日本鉄道建設公団建設線AB線開業 - 2002年7月1日、土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線(後免 - 奈半利間、42.7km)
列車[編集]
最後の蒸気機関車牽引の定期旅客列車 - 1975年12月14日、日本国有鉄道(国鉄)室蘭本線225列車室蘭駅 - 岩見沢駅
最後の蒸気機関車牽引の定期貨物列車 - 1975年12月24日、日本国有鉄道夕張線6788列車
最後の混合列車 - 1987年7月22日、最後まで運行していた三菱石炭鉱業大夕張鉄道線の路線廃止に伴い
最後の日本海縦貫線全線走破の昼行定期電車特急 - 白鳥(2001年3月2日で運行終了)
最後のお召し列車専用牽引機関車 - JR東日本EF58形61号機(2008年退役[注釈 14])
JRにおける最後の昼行定期気動車急行 - つやま(2009年3月運行終了)
最後の日本海縦貫線全線走破の機関車牽引の客車列車および寝台特急列車 - トワイライトエクスプレス(2015年3月12日出発分をもって運行終了)
最後のブルートレイン - 北斗星(2015年3月13日出発分を以って定期運行が終了。下りは2015年8月21日出発分、上りは2015年8月22日出発分をもって臨時便も終了し、完全引退となった)
JRにおける最後の定期急行列車、および、機関車牽引の定期客車列車 - はまなす(運行終了はダイヤ上は2016年3月26日だが、実質的には3月20日が上り・翌21日が下りの最終運行日となり、22日以降は運休扱いとなった。運行中止となっている『能登』を除くと、定期・臨時を含め、最後の定期夜行急行列車である。)
最後のエル特急 - しらさぎ、しなの、ひだ(2018年3月17日のダイヤ改正で指定解除、特急に)
最後の国有鉄道車両 - 国土交通省立山砂防工事専用軌道で使用されている車両(2019年現在も使用中。)。
最後のトロリーバス - 立山トンネルトロリーバス
人物[編集]
鉄道大臣 - 八田嘉明(1941年12月2日-1943年11月1日在任)逓信大臣との兼任。逓信省と合併後も引き続き運輸通信大臣に就任。
南満州鉄道総裁 - 山崎元幹(1945年5月5日 - 1945年9月30日在任)ポツダム宣言受諾による解散により廃止
日本国有鉄道総裁 - 杉浦喬也(1985年6月25日-1987年3月31日在任)旅客鉄道株式会社グループへの改組に伴い職位廃止
帝都高速度交通営団総裁 - 土坂泰敏(2000年6月30日 - 2004年4月1日在任)東京地下鉄株式会社の発足により廃止
道路[編集]
自動車の通行が可能だった最後の未舗装国道 - 国道458号十部一峠
日本道路公団総裁 - 近藤剛(2003年11月20日-2005年9月30日在任)高速道路株式会社グループへの改組に伴い職位廃止、なお近藤は改組後のNEXCO中日本の初代会長を2006年まで務めた。
二輪・四輪車[編集]
最後の2ストロークエンジン搭載モデル - ヤマハ・RZ50(2007年生産終了)
四輪車 - スズキ・ジムニー SJ30(1987年販売終了)
最後のキャブレターエンジン搭載車
乗用車 - ダイハツ・ムーヴ(初代)
商用車 - 三菱・リベロカーゴ(2002年販売終了)軽商用車ではスズキ・アルト(5代目、2000年12月のマイナーチェンジまで)
最後のリトラクタブル・ヘッドライト車 - マツダ・RX-7(2002年販売終了)
最後の手動式チョーク車 - マツダ・ボンゴ -(3代目)
最後の4気筒エンジン搭載軽自動車 - ダイハツ・コペン (初代、2012年8月生産終了)
最後の販売チャンネルごとに取り扱い車種が異なった自動車メーカー - トヨタ自動車(2020年5月より全店併売開始)
船舶[編集]
最後のホバークラフトによる民間定期航路 - 大分ホーバーフェリー・大分-大分空港間(2009年10月廃止)
電気通信[編集]
手動交換式電話 - 小笠原諸島(1983年自動化)本土では北海道増毛町雄冬(1978年)
ワープロ専用機 - 書院(シャープ)(2001年末に生産終了)
最後の非電化集落 - タイマグラ(岩手県宮古市江繋字向神楽)集落(1988年に電気開通)
最後のオフライン郵便局 - 東の川簡易郵便局(2005年廃止)
日本郵政公社総裁 - 西川善文(2006年4月 - 2007年9月まで在任)2007年の日本郵政グループへの移管・分割により廃止。西川は引き続き後身の日本郵政初代社長に就任。
日本電信電話公社総裁 - 真藤恒(1981年1月 - 1985年3月まで在任)1985年の日本電信電話株式会社設立により廃止。真藤は引き続き後身のNTTの初代社長に就任。
民生用DAT製品生産メーカー - ソニー(2005年12月に生産出荷終了、2006年9月に販売終了)
フロッピーディスク生産メーカー - ソニー(2011年3月に生産終了)
録音・再生対応ポータブルMD - MZ-RH1(ソニー)(2011年8月に生産終了)
国産VHSデッキ - DXR170V(船井電機)(2016年7月に生産終了)
エンターテインメント[編集]
テレビ[編集]
放送局[編集]
アナログ放送 - 2012年3月31日12時30分00秒(岩手・宮城・福島)
全国的には2011年7月24日12時30分00秒に終了したが、上記3県は東日本大震災のため延期されていた。
親局がVHF波として開局した民放テレビ局 -「財団法人日本科学技術振興財団テレビ事業本部東京12チャンネル(科学テレビ)」(現在のテレビ東京)1964年4月12日(関東・関西を除く地方局では福島テレビで、1963年4月1日開局)
親局がアナログで開局した民放テレビ局 - 「とちぎテレビ」1999年4月1日。(独立局以外では高知さんさんテレビ、さくらんぼテレビジョン。いずれも1997年4月1日開局)
アナログハイビジョン放送 - 2007年10月1日1時00分00秒
ラジオ・テレビ兼営局 -「近畿放送」(現:京都放送)- ラジオは1951年12月25日、テレビは1969年4月1日にそれぞれ開局
ラジオ・テレビ兼営局で社名に「ラジオ」が付いた局 -「ラジオ中国」(現:中国放送)- 1967年3月31日まで。翌日現社名に変更[注釈 15]。
テレビ番組[編集]
セルアニメ -『サザエさん』(1969年10月5日から2013年9月29日放映分まで、フジテレビ系)
完結までセルアニメだった最後の作品 - 『アストロボーイ・鉄腕アトム』(2003年4月6日から2004年3月28日まで、フジテレビ系)
モノラル放送のテレビドラマ - 『SALE!』(1995年4月18日から6月27日まで、朝日放送制作・テレビ朝日系『火曜ドラマ』)
ラジオ[編集]
常設AMラジオ局 - 茨城放送、栃木放送(1963年4月1日開局)
CS-PCM音声放送 - ミュージックバード(2011年7月31日PCM音声放送を停止)
音楽[編集]
レーザーディスク - 川中美幸『金沢の雨』(2007年3月末に生産終了)[11]
ミニディスク - 倉木麻衣『ALL MY BEST』(品番:VNYM-9001-2)(2009年発売。現在は販売終了)
録音用は現在もソニーから80分用の製品(品番:MDW80T)が継続して発売されている。
スポーツ[編集]
ラグビー[編集]
最後の日本ラグビーフットボール選手権大会優勝大学 - 早稲田大学1988年1月15日(1987年度大会)
サッカー[編集]
JリーグレギュラーシーズンのPK戦 - 1998年11月3日に日本平スタジアムで行われた清水対V川崎戦。※このシーズンを最後にレギュラーシーズンのPK戦廃止。
Jリーグレギュラーシーズンの延長戦 - 2002年11月30日に札幌ドームで行われた札幌対広島戦。※このシーズンを最後にレギュラーシーズンの延長戦廃止。Vゴールで決着した最後の試合でもある。
天皇杯のVゴール - 2004年12月19日に香川県立丸亀競技場で行われた準々決勝の札幌対磐田戦。※この大会を最後にVゴール廃止。
野球[編集]
以下特に断りない限り「プロ野球」は日本野球機構を示す。また、選手・監督については、特に断りない限り、最後まで選手・監督であった人物を示す。
明治生まれのプロ野球選手 - 岩本義行 1957年引退。1912年(明治45年)3月11日生まれ
大正生まれのプロ野球選手 - 関根潤三 1965年引退。戸籍上は1927年(昭和2年)3月15日生まれだが実際の生年月日は1926年(大正15年)12月25日生まれ(参照))
戸籍上における大正生まれで最後まで現役だったのは、1962年引退の関口清治(1925年(大正14年)10月9日生まれ)と飯田徳治(1924年(大正13年)4月6日生まれ)となる。
昭和の戦前生まれのプロ野球選手 - 張本勲 1981年引退。1940年(昭和15年)6月19日生まれ。
昭和の戦中生まれのプロ野球選手 - 高橋直樹 1986年引退。1945年(昭和20年)2月15日 生まれ。
昭和20年代生まれのプロ野球選手 - 落合博満1998年引退。1953年(昭和28年)12月9日生まれ。
昭和30年代生まれのプロ野球選手 - 工藤公康2011年引退。1963年(昭和38年)5月5日生まれ。
昭和40年代生まれのプロ野球選手 - 新庄剛志[注釈 16] 1972年(昭和47年)1月28日生まれ。
ドラフト制度発足前(1965年まで)に入団したプロ野球選手 - 衣笠祥雄 1987年引退。1965年入団。
ドラフト制度発足後にドラフト外入団したプロ野球選手
最後にドラフト外入団した選手 - 古河有一 1992年入団。1991年のドラフト外入団禁止後、特例による唯一のドラフト外入団。
最後まで現役だった選手 - 石井琢朗 2012年引退。1988年入団。
昭和時代入団のプロ野球選手 - 山本昌[注釈 17]・中嶋聡[注釈 18] ともに2015年引退。
昭和時代にドラフト指名された選手としては谷繁元信(1988年指名、1989年入団)も含む。山本・中嶋と同じく2015年引退。
プロ野球シーズン30勝投手 - 皆川睦雄 1968年達成、31勝
プロ野球通算300勝投手 - 鈴木啓示 1985年引退、通算317勝
明治生まれのプロ野球監督 - レオ・ドローチャー 1905年(明治38年)7月27日生まれ ※1976年太平洋クラブと契約直後病気で倒れ、来日できなかったため指揮は執っていない。
実際に試合で指揮を執った監督では三原脩 1974年、ヤクルトを退任。1911年(明治44年)11月21日生まれ
大正生まれのプロ野球監督 - 根本陸夫 1994年、ダイエーを退任。1926年(大正15年)11月20日生まれ
昭和の戦前・戦中生まれのプロ野球監督 - 高木守道 2013年、中日を退任。1941年(昭和16年)7月17日生まれ
オリンピック野球日本代表監督[注釈 19] - 星野仙一 2008年北京大会
プロ野球の没収試合(一軍)- 1971年7月13日に西宮球場で行われた阪急対ロッテ戦 ※規定は現在もあるが、これ以降実際に適用された例はない。
プロ野球のサスペンデッドゲーム - 1987年5月23日に行われた南海対ロッテ戦。7月8日再開試合。※パシフィック・リーグのみ規定されていたが、これ以後実施例がなく、2012年限りで規定自体が廃止された。
プロ野球のダブルヘッダー - 1998年10月10日に横浜スタジアムで行われた横浜対中日戦[12] ※規定は現在もあるが、これ以降実施された例はない[注釈 20]。
相撲[編集]
看板大関 - 鉄石城五郎(文化10年(1813年)初土俵)
江戸相撲における最後の無勝負が記録された場所 - 元治2年(1865年)2月場所
大関から直接平幕へ陥落した力士 - 鳳凰馬五郎(1900年(明治33年)5月場所)
大関から直接小結へ陥落した力士 - 能代潟錦作(1933年(昭和8年)1月場所)
旧両国国技館における最後の大相撲本場所幕内優勝力士 - 羽黒山政司 1946年(昭和21年)11月場所
蔵前国技館における最後の大相撲本場所幕内優勝力士 - 多賀竜昇司 1984年(昭和59年)9月場所
蔵前国技館での本場所を経験した最後の力士 - 栃天晃正嵩 2011年5月場所限りで引退 (出場場所としては同年1月場所)
昭和時代に幕内を経験した最後の力士 - 安芸乃島勝巳 2003年5月場所限りで引退
横綱免許を与えられた最後の大相撲横綱力士 - 千代の山雅信(第41代)
昭和時代に本場所で白星を挙げた最後の力士 - 大乃国康 1988年九州場所結びの一番で千代の富士貢に勝利。
平成時代に本場所で白星を挙げた最後の力士 - 白鵬翔 2019年春場所結びの一番で鶴竜力三郎に勝利。
昭和時代に初土俵を踏んだ最後の力士 - 華吹大作(1986年3月場所初土俵、2020年3月現在現役)
張出前頭の最後の適用例 - 太寿山忠明(1983年7月場所、東張出前頭9枚目)
番付に張出が設けられた最後の場所 - 1994年(平成6年)5月場所
旧基準の幕下付出(幕下60枚目格付出)で初土俵を踏んだ最後の力士 - 雅山哲士(2013年3月場所引退)
預りの取組 - 東富士-吉葉山戦(1951年9月場所12日目)
関取での引分の取組 - 三重ノ海-二子岳戦(1974年9月場所11日目、幕内)
幕下以下も含めた引分の取組 - 市ノ渡-梅の里戦(1986年7月場所5日目、幕下)
関取での痛み分けの取組 - 宮柱-清乃森戦(1964年11月場所7日目、十両)
幕下以下も含めた痛み分けの取組 - 総ノ浪-秀錦戦(1999年1月場所14日目、序二段)
戦前・戦中生まれの最後の力士 - 高見山大五郎(1944年6月16日生まれ、1984年5月場所引退)
戦前・戦中生まれの最後の日本人力士 - 牧本英輔(1941年8月13日生まれ、1982年11月場所引退)
戦前・戦中生まれの最後の三役経験力士 - 高見山大五郎(最高位・東関脇)
公傷制度が適用された最後の力士 - 琴ノ若晴將(2003年11月場所) 
関取の1場所15日制定着以降で幕内皆勤全敗を経験した最後の力士 - 板井圭介(1991年7月場所、東前頭14枚目の地位で15戦全敗)
ボクシング[編集]
15ラウンド制のプロボクシング公式戦 - WBA世界バンタム級タイトルマッチ 六車卓也VS朴讃栄 1987年5月24日。朴の11回TKO勝利。
13ラウンド以上で決着になった試合 - WBA世界フライ級タイトルマッチ イラリオ・サパタVS穂積秀一 1986年4月7日。サパタの15回判定勝利。
WBA・WBC分立前最後の世界チャンピオン[注釈 21] - 小林弘 1971年7月29日王座陥落
昭和デビューのプロボクシング世界チャンピオン[注釈 22] - 星野敬太郎 2002年7月29日王座陥落。1988年(昭和63年)11月3日デビュー
競馬[編集]
グレード制導入前の最後の八大競走優勝馬 - リードホーユー 1983年有馬記念
グレード制導入前の最後の八大競走優勝騎手 - 田原成貴 1983年有馬記念 上記のリードホーユーに騎乗。田原は翌1984年に桜花賞を優勝しており、最初のGI優勝騎手にもなっている。
アラブ系限定競走 - 開設60周年記念アラブ特別レジェンド賞 2009年9月27日 福山競馬場
和歌[編集]
最後の百人一首 - 順徳天皇 「ももしきや古き軒端のしのぶにもなほ余りある昔なりけり」
囲碁・将棋[編集]
最後の世襲制将棋名人 - 関根金次郎13世名人(1935年3月26日付で世襲を廃止、実力制名人戦制に移行)
最後の世襲制囲碁本因坊 - 本因坊秀哉21世(1936年に選手権戦制に移行)
明治生まれ最後の現役将棋棋士 - 小堀清一九段(1912年・明治45年2月10日生まれ、1987年4月引退)
大正生まれ最後の現役将棋棋士 - 丸田祐三九段(1919年・大正8年3月30日生まれ、1996年3月引退)
戦前生まれ最後の現役将棋棋士 - 加藤一二三九段(1940年・昭和15年1月1日生まれ、2017年6月20日引退)
脚注[編集]
[脚注の使い方]
注釈[編集]
^ 生没年が判明している者のみ。また松下村塾自体は1892年まで存続したが、記録が散佚しているため、松下村塾塾生で最後まで生き残りだった者は現在も不明である。
^ 同じく90歳の神奈川県寒川町の藤沢喜代治議員の不出馬による。
^ 当初から航空母艦として設計された艦では葛城(雲龍型)(1944年10月15日竣工)。
^ 法律上の手続きを踏まないまま参戦したため国会で問題になった。
^ 解釈によっては小塚金七(1972年10月19日没、当時51歳)。太平洋戦争に参戦しフィリピンのルバング島に派遣され、終戦後も小野田寛郎らとともに戦闘を継続。フィリピン警察軍と銃撃戦になり胸を撃たれ死亡。
^ モンテネグロ公国は日露戦争に於いて大日本帝国に宣戦布告したが実際には戦闘は行われず、講和会議にモンテネグロ王国が出席しなかったことから、国際法上モンテネグロ公国との戦争が継続していた。2006年6月3日にセルビア・モンテネグロからモンテネグロ共和国が独立する際に、外務大臣と首相特使によりモンテネグロ共和国政府へ独立の承認と戦争の終結を伝える文書が届けられた。
^ ただし後継の釧路コールマインの坑内採炭はまだ続いている。また、露天掘りの炭鉱が数か所存在する。
^ 天守本壇(重要文化財)が焼失したものを再建したもの
^ 同じ場所にあった居館(福山館)を取り壊し、全面改築したもの。
^ 築城時の天守は焼失。現在は外観復元した建築物が建つ。
^ 陣屋からの改修。
^ 城郭の全体は未完成とされる
^ このほか、明治初年に房総に移封された旧城主格の藩のいくつか(鶴舞藩・長尾藩・花房藩など)が築城に着手しているが、未完成に終わった。
^ 車籍は残したままである。最後にお召し列車牽引機として使用されたのは2001年3月23日
^ 中国放送より後の1968年に社名変更したラジオ岐阜→岐阜放送は、テレビ開局前の変更である。
^ 2006年に任意引退したのち、2019年11月27日付で自由契約選手公示された。2018年に岩瀬仁紀(1974年(昭和49年)11月10日生まれ)が、2019年3月21日にMLBでイチロー(1973年(昭和48年)10月22日生まれ)がそれぞれ引退して以降、新庄の復帰まで昭和40年代生まれの選手は全て引退・退団した状態になっていた。また、1973年(昭和48年)7月24日生まれの中村紀洋は引退を表明していないが、2015年以降いずれのプロ球団にも所属していない。
^ 山本昌は後楽園球場でプレー経験のある最後の現役選手でもあった。また2019年現在最後の日本球界200勝投手でもある。
^ オリックス・バファローズの前身である阪急ブレーブスおよびオリックス・ブレーブスへの在籍経験がある最後の現役選手でもあった。
^ オリンピック野球競技は2008年北京大会を最後に除外。なお2020年東京大会では追加種目として行われる予定。
^ 2007年9月30日に横浜スタジアムで横浜対ヤクルト戦のダブルヘッダーが予定されていたが雨天中止となった。実際に予定されたダブルヘッダーは同試合が最後で、それ以降は日程の消化が遅れダブルヘッダーが実施される可能性が出たことは何度かあるものの、実施に至った例はない。
^ 1967年12月14日王座獲得後、在位中にWBC分立。
^ JBC非公認を含めると、西澤ヨシノリ(2013年8月5日王座返上、1986年(昭和61年)10月21日デビュー)となる。
出典[編集]
^ 戦え絶滅動物
^ http://www.47news.jp/photo/1059019.php
^ 潮来市議会議員選挙(2016年1月31日投票)結果|政治山
^ 潮来市議会議員選挙開票結果
^ “見どころ”. 松山城. 2018年6月15日閲覧。
^ “松前城・松前城資料館”. 北海道松前藩観光奉行. 松前町ツーリズム推進協議会. 2018年6月15日閲覧。
^ 濱口和久. “日本の名城 福江城 幕末に建築された国内唯一の海城”. zakzak. 2018年6月15日閲覧。
^ 濱口和久. “日本の名城 園部城 明治新政府が築かせた最後の城”. zakzak. 2018年6月15日閲覧。
^ “「最後の城」若人見守る 維新期に築かれた園部城(時の回廊)”. 日本経済新聞. 2018年6月15日閲覧。
^ “さんむのふるさと散歩 No.7 ”. 広報さんむ. 山武市 (2007年1月). 2017年5月11日閲覧。
^ LDの生産が全世界で終了。最終プレスは川中美幸、ORICON NEWS、2007年5月20日。
^ “虎超過密日程 ダブルヘッダーに14連戦も”. 日刊スポーツ. (2014年8月21日)
関連項目[編集]
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日本最後の一覧

芸能政治家

2020-10-25 04:51:39 | 時事
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タレント政治家については、明確な定義があるわけではない。
タレント業を生業としている者(芸能人)だけについてそう呼ぶ場合もあれば、単にメディアを通じて高い知名度があるという理由でタレント政治家と呼ばれる場合もある。メディアを通じて高い知名度があった場合には学者・作家・芸術家といった文化人や、スポーツ選手、ジャーナリスト、特に放送局の社員であって厳密にはタレントには含まれないはずのアナウンサーや記者出身の政治家などについてもそのように表現されることもある。日本においてはテレビの普及以降高橋圭三・宮田輝・田英夫・秦豊・畑恵・黒岩祐治・丸川珠代・杉尾秀哉などアナウンサー・ニュースキャスター出身の政治家は増えている。彼らはメディアを通じて自身の諸活動が大衆に認知されている、というよりメディア自体が職場であった者であるが、いずれもメディアにおいて仕事をしてきた結果メディアを通じて高い知名度を得ている。またメディア側の変質もあり(高橋圭三や秦豊は放送局退社後もフリーアナウンサー・司会として長くメディアにおいて活動していた人物であり、芸能人や文化人的な一面も備えた存在であった)、選挙時にはアナウンサー出身者もタレント候補として扱われるようになっていった。
個人として高い知名度を持つタレントは、選挙のための広報活動を行わなくとも有権者に認知されるため、選挙活動においては有利に働くこともある。たとえば作家・タレントとして高い知名度を持っていた青島幸男は、選挙公報作成と政見放送録画を除いて当人や秘書や支援者は一切の選挙運動を行わなかったが、それでも毎回当選していた。
政党がタレントの擁立に走る背景としては、短期間の選挙運動で大量の得票ができるタレント候補は、選挙戦術上有効であるということや、選挙演説などで党の広告塔的役割を担ってもらうことができるということなどがある。一方で政治に関する経験や知識の少ないタレントが立候補するとの批判、および政党・政治団体がタレントを立候補させることを有権者から集票するための安易な客寄せに過ぎないとの批判がしばしば行われるが、職業差別に過ぎないとの反論もある。最終的には有権者の判断次第、というのが大方の見方である。
前述のようにタレント政治家と呼ばれる政治家(あるいは候補者)には文化人やアナウンサー、あるいはタレント業を職業とするものであっても政治に関し専門的に学んだ者も含まれている。
タレント政治家の中には自らをタレント政治家と扱われたり、知名度のみで当選したとされたりすることに不満を持つ場合も少なくない。そのため選挙の際にはマニフェストなど政策の具体性を強調したり、親族あるいは友人や師弟関係にある者その他の交友の深いタレント(あるいは著名人)が応援演説を申し出てきてもあえて断ったりして、自らがその他のタレント政治家とは一線を画するとする戦術を採ることも多い。
日本での歴史[編集]
作家やタレント等、他分野での高い知名度を持つ議員は帝国議会創設間もない時期からおり、小説「佳人之奇遇」で知られる東海散士は1892年の第2回総選挙から8回連続当選している。1908年の第10回衆議院議員総選挙に、日露戦争で対露強硬論を唱え「バイカル博士」として大衆的人気を集めた東京帝国大学教授の戸水寛人が出馬、当選している。ただし、当時の帝大教授のステータスを考えれば現在の学者出身タレント議員とは同列に出来ない面もある(当時の貴族院には帝大や帝国学士院会員の任命枠があった。また戸水は法学博士であり他の学問と比較すると政治と距離が近い)。政治講談で知られる伊藤痴遊は政治活動を開始した後に講談師となったが、東京市会や第16回衆議院議員総選挙、第18回衆議院議員総選挙で当選している。
1898年の第5回総選挙と第6回総選挙に芸術家の川上音二郎、1915年の第12回衆議院議員総選挙に歌人の与謝野鉄幹、1928年の第16回衆議院議員総選挙に作家の菊池寛らが立候補しているが、いずれも落選している。また貴族院議員の中には、画家の黒田清輝、「虎狩りの殿様」で著名となった徳川義親など、高い知名度を持ち、現在ならタレント議員と目されたような人物が幾人か存在した。前記の戸水寛人と並んで帝大七博士として有名になった小野塚喜平次も、帝国学士院枠で貴族院議員になっている。ただし徳川義親と黒田清輝は継承した爵位による就任であり、個人の声名のみで議員となったわけではない(徳川は侯爵議員なので本人の能力にかかわらず議員の地位は約束されていた。黒田は子爵議員)[1]。終戦後も貴族院では、ジャーナリストの長谷川如是閑、作家の山本有三や武者小路実篤といった有名人が勅選議員に任じられている。
1946年、戦後初の衆議院議員総選挙、第22回衆議院議員総選挙に大選挙区の東京1区から立候補して当選した吉本興業(東京吉本)所属の演歌師・石田一松が、一般的にはタレント議員第一号と言われている[2]。ただ石田当選時には芸能人等を指して「タレント」と表現する用法はまだ存在しておらず、石田は在職中「タレント議員」と呼ばれることはなく、専ら「芸能人代議士」と形容された。この年の選挙には作家の石川達三と元横綱男女ノ川登三(立候補時は本名の坂田供次郎)が立候補しているが、いずれも落選している。男女ノ川の伝記を書いた川端要壽は、「今の選挙なら、男女ノ川や石川ほどの知名度があればまず当選していただろう。時代が悪かったともいえるし、国民が真面目だったともいえる」と書いている[3]。
「タレント議員」という呼称がマスコミ等で使用されるようになった契機は、職業をまさに「タレント」と称していた藤原あきが、1962年7月の第6回参議院議員通常選挙全国区において116万票の大量得票でトップ当選した際の報道であった。政治家藤山愛一郎の親族であったとはいえ、選挙前までは全く政治活動に関わっておらず、政治的な発言も無かった藤原がそれまでに例のない大量得票をしたことは社会に大きな印象を与えた。また藤原は当選時前夫藤原義江とは既に離婚しており、「藤原あき」は芸名(通名)であった。従って参議院では当時の規則により本名の「中上川(なかみがわ)あき君」と呼ばれた。タレント候補は選挙時には芸名を使用できるが、ひとたび議員となれば参議院内では本名で活動しなければならないという規則が存在していることが広く知られるようになり、タレント議員の特徴の一つとして認識された。
こうしたことから藤原は「タレント議員のはしり」と言われるようになり、またこれ以後タレント議員というマスコミ用語が定着、現在のような意味合いで使用される表現となった。
日本国憲法下で参議院が誕生し、1980年まで参議院選挙には全国区制があったため、知名度のあるタレントが議員になりやすい傾向があり、1960年代から1970年代にかけてタレント議員が急増すると、「芸能院」と揶揄されることもあった。
1968年参議院選挙では、自民党から作家の石原慎太郎が300万票を超える大量得票でトップ当選したほか、社会党からNHK記者の上田哲、無所属で放送作家・テレビタレントの青島幸男、漫才師の横山ノックが初当選。
1971年参議院選挙でも、社会党からニュースキャスターの田英夫、女優の望月優子、自民党から歌手の安西愛子、無所属で落語家の立川談志、放送作家・テレビタレントの野末陳平(繰り上げ当選)らが当選する。
1974年参議院選挙では、自民党からNHKアナウンサーの宮田輝、女優・テレビタレントの山東昭子、経済評論家の斎藤栄三郎、女優の山口淑子、社会党からニュースキャスターの秦豊、無所属では漫才師のコロムビア・トップらが初当選を果たした。これらの中には、山東昭子が日立グループ、宮田輝がトヨタグループからの全面的な支援をうけていたように、組織型選挙のいわば広告塔的な役割を果たしていたものも多い。
1977年参議院選挙でも、自民党から女優の扇千景、無所属でテレビ司会者の八代英太、元NHKアナウンサーの高橋圭三らが当選している。
1983年に参議院選挙の全国区制が廃止・比例代表制厳正拘束名簿式が導入された。この制度では個人名での投票が認められないため、タレント候補の擁立は下火となる(1989年の参院選では、スポーツ平和党から出馬したプロレスラーのアントニオ猪木が「猪木」「猪木党」という票をすべて無効票とされ最下位当選となったことがある)。
2001年から個人名でも投票できる比例代表制非拘束名簿式に改定されたため、知名度による集票力を見込んで政党がタレント候補を擁立するケースが再度注目されるようになった。
非拘束名簿式になって初めての選挙となった2001年参議院選挙では、多くの政党がタレント候補の擁立に走り、舛添要一、大仁田厚(以上自民党)、田嶋陽子(社民党)、大橋巨泉(民主党)らが比例区で当選を果たした。 また、自由連合が政治経験が全くないタレント候補を大量に擁立したが、当選者を出すことができなかった。当選を果たした大橋・田嶋が短期間で辞職したこともあり、安易なタレント擁立に対する批判が強まった(ただし、田嶋の議員辞職は神奈川県知事選挙立候補という理由がある)。この選挙時の自由連合の代表であり、タレント擁立の当事者であった徳田虎雄は、「二世議員より苦労して一流になったタレントのほうがまし」という反論をしている(ただし、徳田が引退した際には子息の徳田毅が後継者になっている)。またスポーツ紙ではスポーツ選手を含めたタレント候補は選挙活動中の動向について、他の候補よりも記事として掲載されやすい傾向がある[4]。選手以外では1964年東京五輪で女子バレーが金メダルを獲得したときの監督である大松博文、「日本レスリングの父」八田一朗も議員経験がある。
その後も自由連合のような極端な事例こそないものの、参院選の比例区を中心としたタレントの擁立は続いた。
2004年参議院選挙では神取忍(自民党・繰り上げ当選)、竹中平蔵(自民党)、荻原健司(自民党)、山谷えり子(自民党)、喜納昌吉(民主党)、白眞勲(民主党)、浮島とも子(公明党)が当選。
2007年参議院選挙では丸山和也(自民党)、義家弘介(自民党)、青木愛(民主党)、横峯良郎(民主党)、田中康夫(新党日本)が当選。
2010年参議院選挙では阿達雅志(自民党・繰り上げ当選)、堀内恒夫(自民党・繰り上げ当選)、三原じゅん子(自民党)、谷亮子(民主党)、有田芳生(民主党)、真山勇一(みんなの党・繰り上げ当選)が当選。
2013年参議院選挙では渡邉美樹(自民党)、藤巻健史(日本維新の会)が当選。
2016年参議院選挙では青山繁晴(自民党)、今井絵理子(自民党)、石井苗子(日本維新の会)が当選。
2019年参議院選挙では、須藤元気(立憲民主党)が当選するも、以下に挙げる多くのタレント候補が全員落選した。自民党の山本左近、立憲民主党の市井紗耶香、おしどりマコ、奥村政佳、斉藤里恵、白沢みき、国民民主党の小山田経子、れいわ新選組の山本太郎。
浮動票の多い都市部ではタレント候補に票が集まりやすいとされ、タレント政治家を輩出しやすいと言われている。特に大阪府ではお笑いタレントの当選が注目されることが多いため、「お笑い票」「お笑い百万票」が存在するとマスコミで表現、揶揄されることがある[5]。ただし2004年の大阪府知事選挙では江本孟紀 [6]と2019年の埼玉県知事選挙では青島健太が立候補するも落選しており、必ずしも知名度だけが当選に影響を与える理由にはならないとされる。またタレント政治家は他の都市部でも輩出し他の地域では「タレント票」として注目されることもあるが、これらの票も有権者の投票行動を客観的に調査したものではなく、組織票のような明確な根拠はない。
都市部の国政選挙では1983年に横山ノックが全国区から大阪府選挙区に転進して当選、1986年に西川きよしが参院選で初当選し3期つとめ、参議院東京都選挙区でも1986年に小野清子、1992年に森田健作、1998年に中村敦夫、2004年に蓮舫、2007年に丸川珠代、2013年に山本太郎、2016年に朝日健太郎、2019年には塩村文夏が初当選するなど、タレント候補の当選が注目された。
地方の国政選挙でも、参議院では2010年に石井浩郎(秋田選挙区)、2016年に杉尾秀哉(長野選挙区)、2019年に芳賀道也(山形選挙区)、石垣のりこ(宮城選挙区)がそれぞれ当選したほか、同年には愛媛選挙区で元アナウンサーの永江孝子[7]とローカルタレントのらくさぶろうのタレント候補同士の一騎打ちとなったことがある(永江が当選)。また、衆議院でも、参議院議員から転身したプロレスラーの馳浩(石川1区)や2012年の第46回衆議院議員総選挙で五輪メダリスト初の衆議院議員となった堀井学(北海道9区)などわずかながら当選例がある。なお、地方選出の国政選挙の場合は定数が1議席のみということが多く、浮動票だけでなく地元経済界や労働組合などのバックアップを受けた組織型選挙を展開することも多い。
地方選挙においてもタレント政治家が当選を果たすことも少なくない。地方のタレント政治家の例としては、
首長では美濃部亮吉(東京都知事。元参議院議員)、青島幸男(東京都知事。元参議院議員)、石原慎太郎(東京都知事。元参議院議員・元衆議院議員。知事退任後再び衆議院議員)、猪瀬直樹(東京都知事)、舛添要一(東京都知事。元参議院議員)、小池百合子(東京都知事。元衆議院議員)、黒岩祐治(神奈川県知事)、横山ノック(大阪府知事。元参議院議員)、田中康夫(長野県知事。知事退任後参議院議員を経て衆議院議員)、東国原英夫(宮崎県知事。知事退任後衆議院議員)、橋本大二郎(高知県知事)、森田健作(千葉県知事。元参議院議員・元衆議院議員)、橋下徹(大阪府知事を経て大阪市長)、三反園訓(鹿児島県知事)、玉城デニー(沖縄県知事、元衆議院議員、元沖縄市議会議員)、平松邦夫(大阪市長)などが挙げられる。
地方議会議員では堀井学(北海道議。道議退任後衆議院議員)、追風海直飛人(青森県板柳町議、のち青森県議)、田宮謙次郎(茨城県下館市議)、田口禎則(埼玉県浦和市議・同さいたま市議を経て埼玉県議)、プリティ長嶋(千葉県市川市議を経て千葉県議)、林家とんでん平(北海道札幌市議)、三遊亭窓里(埼玉県川越市議)、土方隆司(埼玉県狭山市議)、真山勇一(東京都調布市議。市議退任後参議院議員)、青空好児(東京都世田谷区議)、須藤甚一郎(東京都目黒区議)、木村健悟(東京都品川区議)、阿部光利(東京都台東区議)、石井めぐみ(東京都国立市議)、三遊亭らん丈(東京都町田市議)、船場太郎(大阪府大阪市議)、スペル・デルフィン(大阪府和泉市議)、鳳城ひろき(兵庫県宝塚市議)、松野明美(熊本県熊本市議、のち熊本県議)などが挙げられる。
公的場面での芸名(通名)使用[編集]
日本では国会議員は国民の代表として立法に参画して行政にもの申す立場であり、行政機関の一員ではないため通名使用が認められている(ただし、参議院議員の芸名・通名使用が認められたのは1997年の事である[8])が、国務大臣等行政府の役職に任ぜられた場合は、議員としての立場とは別に行政機関の一員として公文書を発し、時に大臣等の肩書きで国民の権利・義務・許認可を左右することがあるため、責任明確化の観点から芸名の使用は認められていない。
このため、閣僚として入閣したタレント議員は、行政府の公文書に対しては本名で署名する事となっている。例えば、元参議院議員扇千景は国土交通大臣(国務大臣)としての公文書には本名の「林寛子」で署名をしていたが、このような規定のない参議院議長としての公文書には芸名(通名)の「扇千景」で署名をしていた。
東国原英夫前宮崎県知事の場合は、選挙の際には芸名(そのまんま東)としたものの、公的には使いづらいと判断し、知事就任後は本名を用いている(政界引退後も本名で活動)。一方、知事就任後も公文書を除いて芸名を使用している(いた)例としては、横山ノック元大阪府知事(本名・山田勇)と森田健作千葉県知事(本名・鈴木栄治)の例があるが、『全国市町村要覧』では、前者は本名を掲載していたのに対し、後者は芸名を掲載している。
タレント活動[編集]
日本の場合、有名人が選挙への立候補を表明した時点で、公職選挙法や放送法の規定から派生したメディア側の自主規制により、選挙終了まで各メディアでのタレント活動ができなくなるのが一般的である。ニュースや選挙関連の番組を除いて、テレビ、ラジオへの出演はできなくなり、雑誌や新聞での連載等も中断される。
横山ノックが司会を務めた「ノックは無用!」(関西テレビ)では、選挙期間中は本人が番組を降板するのみならず、番組のタイトルも「ロックは無用!」に改題されていた。義家弘介が担当していた「ヤンキー先生!義家弘介の夢は逃げていかない」(ニッポン放送)は公示期間中放送休止になっていた。
当選した場合、タレント活動を継続するかどうかはその者の判断による。議員の兼職自体が禁じられているわけではなく、他の職業の者であってもそれまでの仕事を継続する者も少なくないが、タレント政治家の場合はその仕事が世間に露出するものであることから、しばしば論議の的となる。
山東昭子が1987年に参議院環境特別委員長を務めていた時、テレビ東京のゴルフ番組「ゴルフだよ人生は」の収録で公害健康被害補償法の審議を欠席したため、政治職務よりタレント活動を優先したと非難され、委員長辞任に追い込まれた例がある。
橋本聖子は1996年に現職参議院議員としてアトランタオリンピックの自転車競技に出場している。2010年のバンクーバーオリンピックでは、国会会期中ながら日本選手団団長として現地入りした。2010年の参院選で当選した柔道選手の谷亮子は、立候補表明時に議員活動と現役選手を両立させ、次回オリンピック出場を目指すと明言し、賛否両論が巻き起こった(当選後に政治職務に専念し、次回のオリンピックに出場しないことを表明した)。一方で、同じ選挙に自民党から出馬した女優の三原じゅん子は、当選した場合は女優を引退すると表明し、これを受けて、当選後は各メディアでは「元女優」などと表記されている(ただし例外として2011年3月に放送されたテレビドラマシリーズ「3年B組金八先生」の最終回で過去の出演者達が卒業生として勢揃いで集合する場面では卒業生の一人として特別出演した)。
プロレスラーではアントニオ猪木がスポーツ平和党を結成し第15回参議院議員通常選挙に比例区から初当選し、馳浩は第17回参議院議員通常選挙で参議院議員となったが、のち本格的に政治家に転身することとなり衆議院に転出、プロレスラーも引退した(後に2006年8月27日に両国国技館で引退試合を行っている。ただし2017年7月26日に1試合限定で復帰)、第19回参院選では大仁田厚が比例区で出馬し当選、第20回参院選では神取忍が繰上げ当選、木村健悟(引退後)・西村修・土方隆司が第17回統一地方選挙でそれぞれの議会に立候補し初当選した。
覆面レスラーが地方議員になった場合、覆面姿のまま議会に入場しようとすると「病気などの理由を除き、帽子やコートの着用」を禁じた議会会議規則に抵触すると判断される可能性がある。過去に覆面レスラーが地方議員になった例として、ザ・グレート・サスケ(岩手県議)、スペル・デルフィン(和泉市議)、スカルリーパー・エイジ(大分市議)があるが、サスケとデルフィンは議会の別室で素顔の本人確認をすること等を条件に覆面姿の議場入場は認められたが、エイジは覆面姿での議場入場は認められなかった。
公営競技の現役選手で政界に進出した例としては、競輪選手で徳島県小松島市議である米崎賢治の例がある[9]。
世界におけるタレント政治家[編集]
国家元首となった芸能分野の出身者は、アメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガン、フィリピン大統領ジョセフ・エストラーダが知られる。レーガンは任期満了後政界を引退したが、エストラーダは大統領辞任後も政治活動を続け、2013年にはマニラ市長に当選している。また2015年10月、グアテマラの大統領選挙において元コメディアンのジミー・モラレスが当選した。2003年から2011年までカリフォルニア州知事を務めたアーノルド・シュワルツェネッガーは在職中も映画にカメオ出演するなど一定の芸能活動を続けていたが、退任後は俳優業を再開し、就任前同様に映画主演も行っている。また、クリント・イーストウッド元カリフォルニア州カーメル市長は俳優や監督を続けている。イギリスでは下院議員を務めた作家のジェフリー・アーチャーが、一旦政界を引退して文筆活動に戻った後、再び政界に復帰している。2019年ウクライナ大統領選挙では、コメディアンのウォロディミル・ゼレンスキーが出馬し当選した。スロベニアでは、コメディアン出身のマリヤン・シャレツが首相に就任、アイスランドのスタンダップコメディアンのヨン・ナールは首都レイキャビクの市長になり、アルメニアでは人気コメディアンのハイク・マルチアンが首都エレバンの市長になった[10]。
自由選挙制度が行われない体制である国家においても、政治任用によってタレントが政治的役職に就くこともある。中華人民共和国の中国人民政治協商会議には、スポーツ関係者枠や文化芸術枠が存在し、映画監督のチャン・イーモウや女優のコン・リーなどが委員になっている。また、元タレントである権力者の配偶者が、政治的な役割を果たすことも多い。フアン・ペロン夫人であったエバ・ペロン、毛沢東夫人であった江青が特に知られている。
スポーツ選手ではリベリア出身のサッカー選手であるジョージ・ウェアが2017年に同国の大統領に当選し、ブラジルのサッカー選手であるペレが1995年から3年間スポーツ大臣をつとめていた。アメリカ合衆国の元プロレスラージェシー・ベンチュラは1990年にミネソタ州ブルックリンパーク市長に当選し、1998年から2002年までミネソタ州知事を務めた。阪神タイガースで三冠王など活躍したランディ・バースはロートン市議員を経て、オクラホマ州の上院議員に当選している。元力士の旭鷲山(小結)は母国モンゴルの国民大会議議員に当選している。元力士で引退後日本でタレント活動をしていた把瑠都(大関)は、母国エストニアの国会(リーギコグ)の総選挙に出馬し、一旦は落選したものの繰り上げ当選している。
また現役のスポーツ選手が政治家となった例では、ロシアのレスリング選手であるアレクサンドル・カレリンが2000年に現職国会議員としてシドニーオリンピックのレスリング競技に出場し銀メダルを獲得したことがある。同じくロシアのフィギュアスケート選手エフゲニー・プルシェンコは2007年3月、サンクトペテルブルク立法議会議員に当選し、2011年バンクーバーオリンピックのフィギュアスケート男子シングルに出場し銀メダルを獲得している。しかしプルシェンコは当選後も競技続行の妨げになるとしてサンクトペテルブルク立法議会へは殆ど出席していなかったため批判の声も上がった。2014年ソチオリンピックの招致活動に地方議員として参加するなどしたものの、議会内活動はほとんどできないまま2011年12月、ソチオリンピックへの出場を目指して競技に専念し政治活動を断念する意向を表明。所属政党を離党した。翌年の任期満了をもって政界を引退している。クロアチアの格闘家のミルコ・クロコップは現職国会議員時代に試合を組んでおり、来日もしている。
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その他[編集]
浜田幸一(元衆議院議員)や小沢遼子(元埼玉県議会議員・元浦和市議会議員)、杉村太蔵(元衆議院議員)、上西小百合(元衆議院議員)、宮崎謙介(元衆議院議員)、金子恵美(元衆議院議員)、豊田真由子(元衆議院議員)、太田房江(元大阪府知事)、横粂勝仁(元衆議院議員)のように政治家からタレント・文化人の活動を行う「元議員タレント」もいる。知名度やクリーンなイメージにより政党に起用されるタレント議員に対し、話術に長け時事問題をこなせる元議員タレントはテレビ局等より重宝される[11]。他にはタレントから政治家となり引退後大学教授となった人物に野末陳平(元参議院議員)がいる。太田房江はタレント活動を行った後に参議院議員となっている。またタレント出身でない現職の政治家でも、ゲスト出演等でタレント的な活動を行うこともある。
タレント政治家はタレント業が本来の生業であるため、政界を離れた後、芸能界やスポーツ界に復帰し活動を再開するケースも少なくなく、俳優から政界に転じた中村敦夫(元参議院議員)は政界引退後は俳優業に戻っている。前出の江本孟紀(元参議院議員)は野球解説者に復帰、東国原英夫(元宮崎県知事・元衆議院議員)はタレント業を再開、荻原健司(元参議院議員)もスキー選手・指導者となっている。横光克彦(衆議院議員)は政界進出後一旦は芸能活動を自粛、落選後再び俳優業を再開、2017年には再度政界復帰し再び芸能活動を停止するという経緯を辿っている。
落語家の立川談志が1971年参院選全国区で50人中50位の最下位当選した際、インタビューで「寄席でも選挙でも、真打は最後に上がるもんだ」と答えた。
大相撲力士の旭道山和泰は1996年10月に第41回衆議院議員総選挙に新進党から比例区で立候補し、当選した。出馬当初は廃業届を日本相撲協会に渡したが、落選した際の配慮のために当初は保留扱いとなり、当選後に正式に廃業届が受理された。断髪式までは丁髷を結ったまま登院した

政治家

2020-10-25 02:56:08 | 時事

12 タイ王国
13 インドネシア
14 フィリピン
15 インド
16 パキスタン
17 シンガポール
18 アゼルバイジャン
19 シリア
20 コンゴ民主共和国
21 トーゴ
22 ハイチ
23 イタリア
24 ギリシャ
25 キューバ
26 関連項目
日本[編集]
自由民主党[編集]
あ行[編集]
逢沢寛─逢沢英雄─逢沢一郎
愛知揆一─愛知和男(娘婿・養子)─愛知治郎
青木正─青木正久
青木幹雄―青木一彦
赤城宗徳─赤城徳彦(孫息子)
赤沢正道─赤沢亮正(孫息子)
秋田清─秋田大助
芦田鹿之助―芦田均
大久保利通・三島通庸―麻生太吉・牧野伸顕―吉田茂―麻生太賀吉─麻生太郎
佐藤栄作・岸信介(実兄)─佐藤信二─阿達雅志(娘婿)
安倍寛・岸信介・佐藤栄作(岸の実弟)─安倍晋太郎─安倍晋三・岸信夫(三男で晋三の弟)
天野頼義─天野公義
甘利正―甘利明
鮎川義介―鮎川金次郎
池田勇人─(池田行彦:娘婿)─寺田稔(甥)
岩井國臣─岩井茂樹
石原慎太郎(辞職後に東京都知事を経て日本維新の会)─石原伸晃・石原宏高
石破二朗─石破茂
井出一太郎─井出正一─井出庸生(正一の甥)
伊藤宗一郎─伊藤信太郎
稲葉圭亮・稲葉修(圭亮の弟)―稲葉大和(修の長男)
井上孝哉―石原幹市郎(孝哉三女の三起子夫)・石原三起子―石原健太郎(後に自由党)―石原洋三郎
井原岸高─井原巧(孫)
高橋龍太郎―伊吹文明(孫娘婿)
岩上二郎─岩上妙子(妻)
岩屋啓─岩屋毅
植竹三右衛門─植竹春彦―植竹繁雄
臼井荘一―臼井日出男
内海安吉─内海英男
宇野宗佑─宇野治(娘婿)
浦野幸男─浦野烋興
江崎真澄─江崎鉄磨・江崎洋一郎
江島淳―江島潔
江渡誠一・江渡龍博─江渡聡徳
江藤隆美─江藤拓
遠藤清海─遠藤武彦
大石八治―大石千八―大石秀政
大島勇太郎・夏堀源三郎─大島理森(甥)
亀井光―太田誠一(娘婿)
太田豊秋―太田光秋
大塚雄司─大塚隆朗
大坪保雄─大坪健一郎
大野伴睦─大野明・大野つや子(大野明夫人)─大野泰正
大野功統─大野敬太郎
大村清一─大村襄治
岡下信子─岡下昌平
岡部英男─岡部英明
小川平吉─小川一平・小川平二─小川元
奥野誠亮─奥野信亮
小此木歌治─小此木彦三郎─小此木八郎
小里貞利─小里泰弘
越智通雄─越智隆雄
小野寺信雄─小野寺五典(娘婿)
小渕光平─小渕光平 (2代目)・小渕恵三─小渕優子
尾身幸次─尾身朝子
か行[編集]
鍵田忠三郎─鍵田忠兵衛
梶山静六─梶山弘志
加藤精三─加藤紘一─加藤鮎子
加藤高蔵─狩野明男(娘婿)・狩野安─狩野岳也
加藤六月─加藤勝信(娘婿)
金子岩三─金子原二郎
金子一平─金子一義─金子俊平
亀井善彰・加藤貞吉―亀井善之―亀井善太郎
亀岡高夫─亀岡偉民(甥・養子)
唐沢俊樹―唐沢俊二郎
川崎克─川崎秀二─川崎二郎
河本嘉久蔵─河本英典
岸田正記─岸田文武─岸田文雄
北川石松―北川知克
北村義和―北村直人
木村文男─木村守男─木村太郎・木村次郎
木村勉-木村弥生
木村武千代─木村義雄
高田富與―鯨岡兵輔(従兄の子)
久野忠治―久野統一郎
倉成庄八郎―倉成正―倉成正和
栗原祐幸─栗原裕康
小泉又次郎─小泉純也(娘婿)─小泉純一郎―小泉進次郎
河野一郎・河野謙三─河野洋平─河野太郎
高村坂彦─高村正彦─高村正大
河本敏夫─河本三郎
國場幸昌―國場幸之助(大甥)
小坂善之助─小坂順造─小坂善太郎・小坂徳三郎─小坂憲次
後藤文夫─後藤正夫
後藤田正晴─後藤田正純(大甥)
小西哲―小西理(弟)
小林絹治─小林正巳
小林多門─小林弘幸
近藤元次─近藤基彦
さ行[編集]
桜内幸雄─桜内義雄
左藤義詮─左藤恵─左藤章(娘婿)
佐藤鶴七─佐藤昌次─佐藤勉
斉藤滋与史・増岡博之─斉藤斗志二
斎藤昇―斎藤十朗
坂田道男―坂田道太
坂本朝次郎─坂本剛二
笹川良一─笹川堯─笹川博義
笹山茂太郎─笹山登生
佐田一郎─佐田玄一郎(孫息子)
椎名隆─椎名一保(孫)
塩川正三─塩川正十郎
塩崎潤─塩崎恭久
塩谷一夫─塩谷立
志賀健次郎─志賀節
七条武夫─七条広文─七条明
小沢潔─清水清一朗(娘婿)
島村一郎─島村宜伸
自見庄三郎─自見英子
助川啓四郎─助川良平
鈴木善幸─鈴木俊一
鈴木宗男─鈴木貴子
砂田重政─砂田重民―砂田圭佑(重民の甥)
住栄作―住博司
関口恵造―関口昌一
関谷勝利―関谷勝嗣
世耕弘一―世耕政隆─世耕弘成(政隆の甥)
園田直─園田博之
た行[編集]
高鳥修―高鳥修一
竹内俊吉―竹内黎一
田中六助―武田良太(甥)
竹下勇造―竹下登・竹下亘(弟)
武部勤―武部新
竹山祐太郎─竹山裕
伊達忠一─伊達忠応
橘清治郎─橘林太郎─橘直治─橘康太郎─橘慶一郎
田中義一―田中龍夫
田中啓一―田中良生
田邊七六─田邊圀男
谷洋一―谷公一
谷川昇―谷川和穂
谷垣専一─谷垣禎一
田野瀬良太郎─田野瀬太道
松野幸泰─松野幸昭・棚橋泰文(甥)
田村實─田村良平─田村公平
田村元─田村憲久(甥)
中馬馨─中馬弘毅
塚田十一郎─塚田徹・塚田一郎
塚原俊郎―塚原俊平
津島文治─津島雄二(姪婿)─津島淳
土屋義彦─土屋品子
戸井田三郎―戸井田徹
渡海元三郎─渡海紀三朗
徳田虎雄─徳田毅
床次竹二郎─床次徳二・佐藤重遠(娘婿)
な行[編集]
永岡洋治―永岡桂子(妻)
中川一郎─中川昭一―中川郁子(妻)
中川俊思─中川秀直(娘婿)─中川俊直
原文兵衛―中川雅治(娘婿)
中島知久平―中島源太郎―中島洋次郎
中曽根康弘─中曽根弘文―中曽根康隆
永田秀次郎─永田亮一
中谷貞頼─中谷元(孫息子)
長峯基―長峯誠
中村庸一郎─中村正三郎
中村梅吉─中村靖
中山榮一─中山利生─中山一生
中山福蔵・中山マサ─中山太郎・中山正暉─中山泰秀(正暉の息子)
楢橋渡─楢橋進
二階俊太郎―二階俊博
西田吉宏─西田昌司
西野陽─西野茂(弟)
吹田愰─西村康稔(娘婿)
西銘順治─西銘順志郎・西銘恒三郎
二之湯智─二之湯武史・二之湯真士
丹羽喬四郎─丹羽雄哉
丹羽兵助・丹羽久章─丹羽秀樹(兵助の孫息子)
橋本万寿夫―額賀福志郎
野上徹─野上浩太郎
野田武夫―野田毅(娘婿)
野田卯一─野田聖子(孫娘)
野中英二─野中厚(孫息子)
野呂恭一─野呂昭彦
は行[編集]
橋本龍伍─橋本龍太郎・橋本大二郎─橋本岳(龍太郎の息子)
服部安司─服部三男雄
鳩山和夫─鳩山一郎・鳩山秀夫─鳩山威一郎─鳩山邦夫─鳩山二郎
葉梨新五郎─葉梨信行─葉梨康弘
羽生田進─羽生田俊
浜田幸一─浜田靖一
浜野清吾─浜野剛
林有造―林譲治―林迶
林大幹─林幹雄
林平四郎─林佳介─林義郎─林芳正
原田憲─原田憲治
原田昇左右─原田令嗣
肥田辰之助-肥田琢司・肥田広司(弟)
平井太郎─平井卓志─平井卓也
平沼騏一郎─平沼赳夫(兄の曽孫→養子)
広川弘禅─広川シズエ(妻)
福岡日出麿―福岡資麿(孫息子)
福田赳夫─福田宏一(弟)・福田康夫-福田達夫
福永健司-福永信彦
藤井丙午─藤井孝男
藤田正明─藤田雄山
元田肇─船田中・船田享二・藤枝泉介(船田家から養子)─船田譲(中の息子)─船田元
藤本捨助―藤本孝雄
二田是儀 (初代)―二田是儀―二田孝治
古屋善造─古屋慶隆─古屋亨─古屋圭司
細田吉蔵─細田博之
保利茂─保利耕輔
堀内良平─堀内一雄─堀内光雄─堀内詔子(光雄の息子の嫁)
本間俊一―本間俊太郎
ま・や・わ行[編集]
前田佳都男─前田勲男
松平恒雄―松平勇雄(甥)
松永東―松山千恵子・松永光(東の養子)
松本十郎─松本剛明
町村金弥─町村敬貴・町村金五─町村信孝─和田義明(信孝の次女の夫)
三浦八水─三浦一水
三ッ林幸三─三ッ林弥太郎─三ッ林隆志・三ッ林裕巳
三原朝雄─三原征彦・三原朝彦
御法川英文―御法川信英
宮崎謙介─金子恵美(妻)
宮澤裕─宮澤喜一・宮澤弘─宮澤洋一
宮路和明ー宮路拓馬
宮下創平─宮下一郎
三善信房―三善信二
武藤嘉門─武藤嘉一─武藤嘉文―武藤容治
村上紋四郎─村上信二郎・村上孝太郎─村上誠一郎
藤井勝志-村田吉隆(娘婿)
最上政三・最上英子─最上進(政三の養子)
粟山博─粟山秀・粟山明
森矗昶・岩瀬亮─森曉・森清・森美秀─森英介(美秀の息子)
森山欽司─森山眞弓(妻)
森喜平─森茂喜─森喜朗 ─森祐喜
大平正芳─森田一(娘婿)
保岡武久─保岡興治
山崎岩男─山崎竜男─山崎力
山下元利─山下英利
山村新治郎 (10代目)─山村新治郎 (11代目)
山本富雄─山本一太
山本友一─山本公一
山本治─山本拓
横内要─横内正明・横内公明
竹内綱─吉田茂(吉田健三の養子へ)
若林正俊―若林健太
渡邊良夫─渡辺肇─渡辺紘三(弟)
国民民主党・民進党・民主党[編集]
石井廣治─石井一―石井健一郎(一の甥)・石井登志郎(一の長男)・石井秀武(親類)
石田又七─石田勝之(孫息子)
一川保正─一川保夫
大石倫治─大石武一─大石正光
大出俊─大出彰
大野元美─大野元裕(孫)
岡田哲児─柏熊光代
奥田敬和─奥田建
鹿野彦吉─鹿野道彦
神田大作─神田厚
加藤高明・木内重四郎・幣原喜重郎(以上3人は互いに義兄弟)・関屋貞三郎─岡部長景(高明の娘婿)─木内孝胤(重四郎・貞三郎の曾孫)
岸本光造─岸本健
佐藤栄佐久─玄葉光一郎(娘婿)
小平忠─小平忠正
青木一男─小宮山洋子(孫娘)
佐々木秀世─佐々木秀典
佐藤観次郎─佐藤観樹(辞職・民主党除籍)
金光庸夫─金光義邦・佐藤一郎(娘婿)─佐藤謙一郎(一郎の息子)
永井柳太郎─永井道雄─鮫島宗明(道雄の甥)
田中角栄─田中眞紀子(娘)・田中直紀(娘婿)
鈴木直人─田中直紀
玉置一徳─玉置一弥
津島源右衛門─津島英治─津島恭一(英治の孫息子)
高橋英吉―高橋英吾―高橋英行
中井徳次郎─中井洽
楢崎弥之助─楢崎欣弥
西岡竹次郎・西岡ハル─西岡武夫─西岡秀子
鳩山和夫─鳩山一郎・鳩山秀夫─鳩山威一郎─鳩山由紀夫
世耕弘成─林久美子(妻)
日野吉夫─日野市朗
堀込義雄─堀込征雄
前田正男─前田武志(甥)
松崎良太郎─松崎公昭
松本治一郎─松本英一(養子)─松本龍
水島裕─水島広子
水野清―水野賢一(養子)
室井邦彦―室井秀子(妻)
横路節雄─横路孝弘
村山達雄―和田隆志(孫娘の夫)
渡部又左エ門─渡部恒三─佐藤雄平(恒三の甥)
※肥田次郎─肥田美代子と記載されているものがあるが、こちらの美代子は同姓同名の別人(国会議員の肥田美代子ではない)。
日本維新の会[編集]
東武─東徹
岩永峯一─岩永裕貴
浦野靖彦─浦野靖人
片山虎之助─片山大介
下地米一─下地幹郎
松本清―松本和那―松本和巳
藤巻幸大─藤巻健史(異母兄弟)
松浪健四郎─松浪健太(甥)
次世代の党・日本のこころを大切にする党[編集]
石原慎太郎(議員辞職までは自民党、後に東京都知事を経て国政復帰)─石原伸晃・石原宏高(共に自民党)
上野公成―上野宏史(娘婿)
櫻内義雄―桜内文城(孫娘の婿)
西野陽─西野弘一・西野修平
みんなの党[編集]
浅尾長慶―浅尾慶一郎(曾孫)
中川義雄―中川賢一
渡辺喜美─渡辺美知太郎(甥)
公明党[編集]
浅井亨─浅井美幸
石田次男─石田幸四郎(弟)
梅渓通魯─梅溪通虎─池坊保子
風間昶─石川博崇(娘婿)
多田省吾─多田時子(妻)
北側義一─北側一雄
北条雋八─北条浩(甥)
渡部一郎─渡部通子(妻)
自由党・生活の党[編集]
石原幹市郎―石原健太郎─石原信市郎・石原洋三郎
菊池長右衛門 (先々代)─菊池長右衛門 (先代)─菊池長右エ門
菅川健二―菅川洋
三木武夫・田中覚─松崎哲久
石田博英―三宅雪子(孫)
社会民主党・日本社会党[編集]
浅沼稲次郎─浅沼享子(妻)
稲村順三・稲村隆一(弟)─稲村稔夫(順三の息子)
上野千重郎─上野雄文
河上丈太郎─河上民雄
川俣清音─川俣健二郎
須永好─須永徹(孫息子)
田健治郎─田英夫(孫息子)
戸叶武─戸叶里子(妻)
平野力三─平野成子(妻)
細谷治嘉─細谷治通
松前重義─松前達郎・松前仰
山口重彦─山口シヅエ(後に自民党)
山田耻目─山田健一(娘婿)
山中吾郎─山中邦紀
日本共産党[編集]
聴濤克巳─聴濤弘
上田耕一郎─不破哲三(弟)
米原章三─米原昶
吉良富彦─吉良よし子
日本未来の党・みどりの風[編集]
笠原潤一─笠原多見子
亀井静香─亀井郁夫(兄)
国民新党[編集]
久良知寅次郎─自見庄三郎(曽孫)
綿貫佐民─綿貫民輔
希望の党[編集]
柿澤弘治―柿沢未途
楠田幹人─楠田大蔵
小池政恩―小池政臣―小池政就
近藤鉄雄─近藤洋介
中山成彬―中山恭子(妻)
野田卯太郎─松野鶴平─松野頼三─松野頼久
平野貞夫─樋高剛(娘婿)
宮島滉―宮島大典
村岡兼造─村岡敏英
立憲民主党[編集]
赤松勇─赤松広隆
石川知裕─石川香織(妻)
石橋大吉―石橋通宏
伊藤丑太郎─伊藤左門─伊藤公介─伊藤俊輔
江田三郎─江田五月
岡島正之─岡島一正
美濃部貞亮─岡田克也(玄孫)
小沢佐重喜─小沢一郎
梶原清─梶原康弘
金子徳之介―金子恵美
有馬頼寧─亀井久興(孫息子)─亀井亜紀子
山田弥一─川内博史(義理の孫息子)
川田悦子─川田龍平
黒岩秩子─黒岩宇洋
小宮山常吉─小宮山重四郎─小宮山泰子
佐藤守良─佐藤公治
下条康麿─下条進一郎─下条光康
田名部政次郎─田名部匡省─田名部匡代
寺田典城―寺田学
中島真人─中島克仁
中村喜四郎 (1910年生の政治家)・中村登美─中村喜四郎
羽田武嗣郎─羽田孜─羽田雄一郎
山岡賢次―山岡達丸
山花秀雄─山花貞夫─山花郁夫
渡辺朗─渡辺周
政党以外[編集]
相川宗次郎─相川曹司─相川宗一
愛野時一郎─愛野興一郎
朝木明代─朝木直子
麻生久─麻生良方─麻生輝久
安倍源基―安倍基雄(源基は内務大臣。基雄は民社党→新進党→自由党→保守党)
天野久―天野建
鮎川義介―鮎川金次郎
石井廣治─石井一二(兄は民主党の石井一)
犬養毅─犬養健・芳澤謙吉(娘婿)
宇治田省三─宇治田栄蔵
宇田川芳雄─宇田川聡史
大橋正雄―大橋建一
大原博夫―藤田正明(娘婿)―藤田雄山
岡崎久次郎―岡崎勝男(弟)
岡田春夫(先代)―岡田春夫
尾崎行雄─尾崎行輝
川合喜一─川合善明
貴志八郎─貴志啓一(八郎は社会党、啓一は自民党)
北勝太郎─北二郎・北修二・北良治
北川信次─北川謙次(信次の従兄弟。信次は社会党、謙次は社会党→無所属→自民党)─北川イッセイ
木下郁・木下哲(弟)─木下敬之助
紅露昭-紅露みつ(妻)
後藤新平─鶴見祐輔(娘婿)
佐々友房─佐々弘雄─紀平悌子
高野長英─後藤新平─椎名悦三郎─椎名素夫(悦三郎は自民党、素夫は自民党→自由の会→無所属の会)
嶋崎均─嶋崎譲(弟。均は自民党、譲は社会党)
鈴木安孝─鈴木一(安孝は自由党、一は無所属→社会党→民社党)
鈴木麟三―穂積七郎―穂積亮次
關一─關淳一(孫息子)
高橋喜一郎─高橋栄一郎
田中義一─田中龍夫・小沢太郎(女婿)─小沢克介(太郎は自民党。克介は日本社会党→新党さきがけ)
三木武夫─高橋紀世子
高辻武邦─高橋はるみ
松本烝治─田中耕太郎(娘婿)
中川一郎―中川義雄(弟、一郎は自民党・義雄は自民党→たちあがれ日本)
中村時雄─中村時広(時雄は民社党代議士→松山市の首長。時広は日本新党代議士→松山市長→愛媛県知事)
西村栄一─西村章三(栄一の甥)・西村眞悟
野中広務―野中一二三(弟)
初村滝一郎―初村謙一郎(滝一郎は自民党。謙一郎は日本新党→新進党)
藤代七郎―藤代孝七
降旗元太郎―降旗徳弥
細川護立、近衛文麿―細川護熙(孫息子)
穂積惇─穂積志(惇は社会党。志は自民党→秋田市長)
穂積陳重・穂積八束―穂積重遠・穂積真六郎
堀切善兵衛―堀切善次郎(弟)
牧野英一─牧野良三(弟)
増田盛─増田寛也
松井良夫―松井一郎(良夫の会派は未詳 一郎も父と同じく大阪府議)
松本俊一―松本賢一(弟)
菊池大麓・箕作麟祥(大麓の従兄)─美濃部達吉・鳩山秀夫(ともに大麓の娘婿)・長岡半太郎(麟祥の娘婿)─美濃部亮吉(達吉の長男)
三浦寅之助─三浦隆(寅之助は社会民衆党→国民同盟→自由党。隆は民社党)
三村泰右─三村輝文─三村申吾
矢野政男─矢野登(弟)─矢野哲朗
山口六郎次─山口敏夫
吉田資治―吉田万三
吉原三郎─吉原英一
和田操─和田一仁
渡辺美智雄─渡辺喜美

一覧 政党

2020-10-25 01:35:24 | 時事
55年体制崩壊から民由合併まで(1993-2005)[編集]
日本共産党(1945-)
日本社会党(1955-1996)→社会民主党(1996-)
(日本社会党より分裂)→新党護憲リベラル(1994-1995)→(分裂)
平和・市民(1995)→(解散、田英夫、阿部知子は社民党へ)
憲法みどり農の連帯(1995-?)→(翫正敏は新社会党へ)
(日本社会党より分裂)→市民リーグ(1995-1996)→(民主党へ参加)
(日本社会党より分裂)→護憲新党あかつき(1994-2009)→(上田哲はスポーツ平和党や社会党 (2000年)に同時に参加)→ (解散)
自由民主党(1955-)
(自由民主党より分裂)→新党さきがけ(1993-1998)→さきがけ(1998-2002)→(民主党に大半が移籍)→みどりの会議(2002-2004)→(解散)
(みどりの会議より分裂)→みどりのテーブル(2004-2008)→みどりの未来(2008-2012)→緑の党グリーンズジャパン(2012-)
(自由民主党より分裂)→新生党(1993-1994)→(新進党へ参加)
(自由民主党より分裂)→自由党(1994)→(新進党へ参加)
(自由民主党より分裂)→新党みらい(1994)→(新進党へ参加)
(自由民主党より分裂)→高志会(1994)→(新進党へ参加)
民社党(1960-1994)→(新進党へ参加)
公明党(1964-1994)→(分裂)
公明新党(1994)→(新進党へ参加)
公明(1994-1998)→公明党(1998-)
社会民主連合(1978-1994)→(日本新党へ合流)
日本新党(1992-1994)→(新進党へ参加)
(連合の会(1989-1993))→民主改革連合(1994-1998)→(民主党へ参加)
新進党(1994-1997)→(解党)
太陽党(1996-1998)→(民政党へ参加)
フロム・ファイブ(1997-1998)→(民政党へ参加)
国民の声(1998)→(民政党へ参加)
新党友愛(1998)→(民主党へ参加)
自由党(1998-2003)→(民主党へ合流)
(自由党より分裂)→保守党(2000-2002)→保守新党(2002-2003)→(自由民主党へ合流)
(保守党より分裂)→保守クラブ(2002)→(自由民主党へ合流)
改革クラブ(1998-2002)→(解党)
新党平和(1998)→(公明党へ参加)
黎明クラブ(1998)→(公明へ合流)
民主党(1996-1998)→民主党(1998-2016)
民政党(1998)→(民主党へ参加)
2005年以降[編集]
日本共産党(1945-)
自由民主党(1955-)
(自由民主党より分裂)→国民新党(2005-2013)→(解党)
(自由民主党より分裂)→新党日本(2005-2015)→(政党要件喪失、解党)
(自由民主党より分裂)→たちあがれ日本(2010-2012)→太陽の党(2012)→(日本維新の会へ合流)→太陽の党(2014-2015)→(次世代の党へ合流)
社会民主党(1996-)
民主党(1998-2016)→民進党(2016-2018)→国民民主党 (2018-2020)→(解党)
(民主党より分裂)→改革クラブ(2008-2010)→新党改革(2010-2016)→(解党)
(民主党より分裂)→大地・真民主党(2011-2012)→新党大地・真民主(2012)→新党大地(2012)→(新党大地へ移管)
(民主党より分裂)→新党きづな(2011-2012)→(国民の生活が第一へ合流)
(民主党より分裂)→国民の生活が第一(2012)→(日本未来の党へ合流)
(民主党より分裂)→みどりの風(2012-2013)→(解党)
(民進党より分裂)→立憲民主党(2017-2020)→(解党し、国民民主党や無所属の議員も参加)→立憲民主党(2020-)
(国民民主党 (2018-2020)の解党)→民主党(2020)→(立憲民主党(2020-)へ参加)
(国民民主党 (2018-2020)の解党)→国民民主党(2020-)
公明党(1998-)
新党大地(2005-)
みんなの党(2009-2014)→(解党)→日本を元気にする会(2015-2018)→(解党)
(みんなの党より分裂)→結いの党(2013-2014)→(維新の党へ参加)
日本創新党(2010-2012)→(日本維新の会へ合流)
減税日本(2010-)→(国政部分が減税日本・反TPP・脱原発を実現する党へ参加)
日本維新の会 (2012-2014)→維新の党(2014-2016)→(民進党へ参加)
(日本維新の会より分裂)→次世代の党(2014-2015)→日本のこころを大切にする党(2015-2017)→日本のこころ(2017-2018)→(自由民主党へ合流)
(維新の党より分裂)→おおさか維新の会(2015-2016)→日本維新の会 (2016-)
(維新の党より分裂)→改革結集の会(2015-2016)→(民進党へ参加)
反TPP・脱原発・消費増税凍結を実現する党(2012)→減税日本・反TPP・脱原発を実現する党(2012)→(日本未来の党へ合流)
日本未来の党(2012)→(分裂)
生活の党(2012-2014)→生活の党と山本太郎となかまたち(2014-2016)→自由党 (2016-2019)→(国民民主党へ合流)
(自由党より分裂)→れいわ新選組(2019-)
日本未来の党(2012-2014)→(みどりの風へ合流)
希望の党(2017-2018)→(分裂)
国民党(2018)→(国民民主党へ参加)
希望の党 (2018-、現在は政治団体)
NHK受信料不払い党(2013)→NHKから国民を守る党(2013-)(※2019年に政党化)

反出生主義

2020-10-24 21:09:07 | 価値観
私たちは生まれてこないほうが良かったのか
人生において何か困難に直面したとき、
生まれてこなければこんな苦しみを味合わなくてすんだのに、という気分にとらわれるのも不思議ではない。
人間は生まれてこないほうが良いと考える立場の登場は古代ギリシャにまで遡ることができるが、
それを哲学者デイヴィッド・ベネターが「反出生主義」として議論の俎上に載せたことで、
近年急速に注目を集めている。
本特集は現代の反出生主義について、感情的な応酬のみが注目されがちな現状を問い直し、

国内外の議論をそのテーマの多様性も含めて紹介する。


目次*
【討議】
生きることの意味を問う哲学/ 森岡正博+戸谷洋志

【私たちの生に未来はあるか】
天気の大人――二一世紀初めにおける終末論的論調について/ 小泉義之
生に抗って生きること――断章と覚書/ 木澤佐登志

【To be, or not to be: that is the question】<.br> 考え得るすべての害悪――反出生主義への更なる擁護/ D・ベネター(訳=小島和男)
反-出生奨励主義と生の価値への不可知論/ 小島和男
生まれてこないほうが良いのか――?書評:デイヴィッド・ベネター『生まれてこないほうが良かった』/ T・メッツ(訳=山口尚)
非対称性をめぐる攻防/ 鈴木生郎
ベネターの反出生主義における「良さ」と「悪さ」について/ 佐藤岳詩
「非同一性問題」再考――「同一」な者とは誰のことか/ 加藤秀一
「痛み」を感じるロボットを作ることの倫理的問題と反出生主義/ 西條玲奈

【信仰との接続点】
釈迦の死生観/ 佐々木閑
生ま(れ)ない方がよいという思想と信仰――宗教との関連から捉える/ 島薗進

【生まれ出づる悩みの、その先へ】
ハンス・ヨナスと反出生主義/ 戸谷洋志
反出生主義における現実の難しさからの逸れ――反出生主義の三つの症候/ 小手川正二郎
反出生主義と女性/ 橋迫瑞穂
トランスジェンダーの未来=ユートピア――生殖規範そして「未来」の否定に抗して/ 古怒田望人
未来による搾取に抗し、今ここを育むあやとりを学ぶ――ダナ・ハラウェイと再生産概念の更新/ 逆卷しとね