日本最後の一覧(にほんさいごのいちらん)は、日本で最後となった物事、もしくは日本人として最後となった物事の一覧。
なお、現在も可能であるが数十年あるいはそれ以上の長期間にわたって実例がなく、今後も実際に発生する可能性が著しく低いような物事は法改正や環境の変化に起因するものに限定し、単に「日本最後」と呼ばれるだけのものは除外している。
目次
1 生物
2 政治や軍事
2.1 天皇・朝廷および律令制に由来する地位・官職
2.2 幕府および武士
2.3 近代以後の政治制度
2.4 近代以後の軍事
3 社会
4 学問・教育施設
5 暦
6 貨幣
7 製品
8 日本最後の各種施設・建築物
9 交通
9.1 鉄道
9.1.1 路線
9.1.2 列車
9.1.3 人物
9.2 道路
9.3 二輪・四輪車
9.4 船舶
10 電気通信
11 エンターテインメント
11.1 テレビ
11.1.1 放送局
11.1.2 テレビ番組
11.2 ラジオ
11.3 音楽
11.4 スポーツ
11.4.1 ラグビー
11.4.2 サッカー
11.4.3 野球
11.4.4 相撲
11.4.5 ボクシング
11.4.6 競馬
11.5 和歌
11.6 囲碁・将棋
12 脚注
12.1 注釈
12.2 出典
13 関連項目
生物[編集]
野生のトキ - キン。2003年10月10日に死亡。
野生のコウノトリ - 1971年5月25日に兵庫県豊岡市で保護された個体。
ニホンオオカミ - 1905年1月23日に奈良県東吉野村鷲家口で捕獲された若いオス。これ以降、公式的に確認された生存情報がない。
マミジロクイナ - 日本では小笠原諸島の硫黄島に生息していたが、1924年頃に絶滅[1]。
ニホンアシカ - 1975年に竹島で2頭の目撃例があったのを最後に確実な目撃例はなく、1991年の環境庁レッドデータブックでは「絶滅種」と記載された。
ニホンカワウソ - 1979年以降確実な目撃例がなく、2012年に絶滅種に指定された。
政治や軍事[編集]
天皇・朝廷および律令制に由来する地位・官職[編集]
最後の法皇 - 霊元天皇。正徳3年(1713年)8月に落飾。
最後の女性天皇 - 後桜町天皇(在位1762年-1770年) 後桃園天皇に譲位
最後の太政大臣 - 三条実美(1871年-1885年在任)
最後の斎院 - 礼子内親王(1204年-1212年)
最後の斎宮 - 祥子内親王(1333年-1334年)
最後の陰陽師 - 土御門晴雄(1842年-1869年在任)
幕府および武士[編集]
幕府 - 江戸幕府(慶応3年10月14日(1867年11月9日))
征夷大将軍 - 徳川慶喜(1866年-1867年在任)
大老 - 酒井忠績(1865年在任)
西国筋郡代 - 窪田鎮勝
幕藩体制下で最後に発足した藩 - 高徳藩(1866年成立)
大名で最後まで生存していた者 - 林忠崇(1941年1月22日没)
※考え方によっては分部光謙(1944年11月29日没)
最後まで生存していた戦国大名 - 伊達政宗。1636年6月27日没。
最後まで生存していた新選組隊士 - 池田七三郎(1938年1月16日没)
最後まで生存していた松下村塾塾生(吉田松陰時代)[注釈 1] - 渡辺蒿蔵(1939年9月7日没)
近代以後の政治制度[編集]
最後の元老 - 西園寺公望(1940年11月23日没)
最後の枢密院議長 - 清水澄(1946年6月13日 - 1947年5月2日在任 枢密院自体が日本国憲法施行で廃止されたため)
最後の勅令 - 外国人登録令(昭和22年勅令第207号)1947年5月2日公布。※公布日が最後となる勅令。日本国憲法施行後、勅令を新規に公布することはできないが、過去に公布され現在も有効な勅令は複数存在する。
内閣総理大臣
最後の大政奉還以前生まれの総理大臣 - 平沼騏一郎。1867年10月25日生まれ。1939年8月30日退任。平沼は大政奉還以前生まれの首相経験者で最後の生き残りであった(1952年8月22日没)
最後の明治改元以前生まれの総理大臣 - 鈴木貫太郎。1867年12月24日生まれ。1945年8月17日退任。貫太郎は最後の非国会議員の内閣総理大臣でもあった。なお、明治改元以前生まれの首相経験者で最後の生き残りは平沼や貫太郎ではなく岡田啓介であった(1952年10月17日没)。
最後の19世紀生まれの総理大臣 - 池田勇人。1899年12月3日生まれ。1964年11月9日退任。なお、19世紀生まれの首相経験者で最後の生き残りは東久邇宮稔彦王である(1990年1月20日没)。
最後の明治生まれの総理大臣 - 鈴木善幸。1911年1月11日生まれ。1982年11月27日退任。善幸は明治生まれの首相経験者で最後の生き残りでもあった(2004年7月19日没)。
最後の大正生まれの総理大臣 - 村山富市。1924年3月3日生まれ。1996年1月11日退任。村山は大正生まれの首相経験者で最後の生き残りでもある。
最後の昭和戦前生まれの総理大臣 - 麻生太郎。1940年9月20日生まれ。2009年9月16日退任。
中央省庁再編により消滅した省庁の最後の大臣・長官・委員長(任期終了は防衛庁長官を除き2001年1月6日、防衛庁長官のみ2007年1月8日)
郵政大臣・自治大臣・総務庁長官 - 片山虎之助(2000年12月5日就任)
大蔵大臣 - 宮澤喜一(1998年7月30日就任)
厚生大臣・労働大臣 - 坂口力(2000年12月5日就任)
建設大臣・運輸大臣・北海道開発庁長官・国土庁長官 - 林寛子(扇千景)(2000年7月4日就任)
通商産業大臣 - 平沼赳夫(2000年7月4日就任)
文部大臣・科学技術庁長官 - 町村信孝(2000年12月5日就任)
環境庁長官 - 川口順子(2000年7月4日)
金融再生委員会委員長 - 柳澤伯夫(2000年12月5日)
沖縄開発庁長官 - 橋本龍太郎(2000年12月5日)
経済企画庁長官 - 額賀福志郎(2000年12月5日)
防衛庁長官 - 久間章生(2006年9月26日就任)
国会議員
最後の江戸時代生まれの国会議員 - 宇垣一成。参議院議員。
衆議院議員では尾崎行雄。
最後まで在任した明治生まれの国会議員 - 原健三郎と櫻内義雄。2000年6月2日退任。
彼らのうち原は帝国議会時代から議席を維持し続けた最後の現職議員でもあった。
最後まで在任した大正生まれの国会議員 - 中山太郎。1924年8月27日生まれ。2009年7月21日退任。
国政選挙立候補者
最後の大正生まれの国政選挙立候補者 - 川島良吉。1918年8月1日生まれ。2012年衆議院議員選挙に出馬。
地方議員
最後まで在任した大正生まれの市議会議員ならびに女性議員および地方議会選挙立候補者 - 橋本きくい(元潮来市議 1925年4月1日生まれ。2016年1月31日の市議選で落選、2020年の選挙でも立候補したが、落選。)[2][3][4]
最後まで在任していた大正生まれの地方議会議員 - 赤屋敷信一(一戸町議会議員。1926年1月29日生まれ。2017年7月25日辞職)[注釈 2]
国葬 - 吉田茂(1967年)
特例市に指定された市 - 佐賀市(2014年4月1日指定)
近代以後の軍事[編集]
第一次世界大戦で戦った軍人で最後まで生存していた者 - 高木惣吉。1979年7月27日没。
ただし場合によっては和田秀穂(1972年4月3日没)
内戦 - 西南戦争(1877年)
最後に就任した陸軍大将 - 牛島満。1945年6月20日就任、1945年6月23日没。
最後に就任した海軍大将 - 井上成美。1945年5月15日就任、1975年12月15日没。
連合艦隊司令長官 - 小沢治三郎(1945年5月29日就任、1966年11月9日没)
編成が発令された大日本帝国陸軍の師団 - 第158師団(1945年8月10日編成発令)
建造された戦艦 - 武蔵。1942年8月5日竣工。
就役した正規空母 - 信濃 (空母)(1944年11月19日就役)[注釈 3]
最後に就役した艦艇 - 伊王(1945年3月24日就役)
空襲 - 土崎空襲(秋田県秋田市)(1945年8月14日午後10:30頃-8月15日午前2:20頃)
空中戦 - 伊豆諸島上空でのB-32に対する迎撃戦(1945年8月18日)
地上戦 - 南樺太での日本軍とソ連軍との戦い。(1945年8月23日に終了)
戦争への参戦 - 朝鮮戦争。(1950年)海上保安庁の掃海部隊からなる特別掃海隊が派遣された[注釈 4]。
日本が参戦した戦争による日本人最後の戦死者 - 朝鮮戦争における中谷坂太郎(1950年10月17日没、当時21歳)。元山沖で、海上保安庁所属の掃海艇が触雷したことによる[注釈 5]。
戦争の終結 - モンテネグロ公国との間の戦争終結(2006年6月16日)。[注釈 6](日本とモンテネグロの関係)
社会[編集]
江戸時代生まれの日本人
明治改元前生まれ - 中山イサ(1977年5月25日没。1868年6月15日(慶応4年6月3日)生まれ)。
大政奉還前生まれ - 河本にわ(1976年11月16日没。1863年9月17日(文久3年8月5日)生まれ)。
男性では吉川与三太郎(1976年1月2日没。1867年12月9日(慶応3年11月14日)生まれ)。
19世紀生まれ - 田島ナビ(2018年4月21日没。1900年8月4日生まれ。生年月日に確かな記録のある人としては世界最後でもある)
男性では木村次郎右衛門(2013年6月12日没。1897年4月19日生まれ)
越後瞽女 - 小林ハル(2005年4月25日没)
不敬罪が適用された事件 - プラカード事件(1946年5月19日)
学問・教育施設[編集]
男子大学 - 東洋食品工業短期大学(2008年度より男女共学化)かつての日本では男子のみが大学に入学する資格があったが、女子教育の必要性や時代の流れによって次第に共学化されていった。当校は力作業を伴う実習授業が多いことから開学以来、永らく女子の募集・入学は認めていなかったが2008年度より男女共学となった。これにより、日本の男子大学は消滅した。
「東洋食品工業短期大学」を参照
薬学部以外の薬剤師養成課程 - 広島大学(2006年の薬剤師養成課程の6年制移行に伴い、医学部から独立。医学部総合薬学科から薬学部薬学科となった。これにより、薬学部以外の管轄による薬剤師養成課程は消滅した。)
「広島大学」を参照
暦[編集]
公式な太陰太陽暦 - 天保暦
公式な太陰太陽暦の閏月 - 明治3年閏10月(グレゴリオ暦1870年11月23日-12月21日)
公式な太陰太陽暦の日付 - 明治5年12月2日(グレゴリオ暦1872年12月31日)
貨幣[編集]
皇朝銭 - 乾元大宝(958年(天徳2年)鋳造)
穴銭(銭銘の種類として) - 文久永宝(文久3年 - 慶応3年鋳造)(地方貨幣等は除く)
大判 - 万延大判(万延元年発行)
小判 - 万延小判(万延元年発行)
秤量貨幣 - 安政丁銀・安政豆板銀(安政6年発行)(地方貨幣等は除く)
地方貨幣では、安政銀より後に発行された秋田波銭や秋田鍔銭などは秤量貨幣の可能性がある。
本位金貨の年銘 - 新20円金貨昭和7年銘
新円切替前(旧円)の紙幣 - 日本銀行券甲千圓券・ろ百圓券・ろ拾圓券(1945年8月17日発行)
銭単位の硬貨 - 小型50銭黄銅貨(1947 - 1948年発行)
銭単位の紙幣 - 日本銀行券A五銭券(1948年5月25日発行)
政府紙幣 - 板垣退助50銭紙幣(1948年3月10日発行)
最後まで法的に有効だった江戸時代発行の貨幣 - 寛永通宝銅一文銭(1厘)・寛永通宝真鍮四文銭(2厘)・文久永宝(1厘5毛)(1953年、小額通貨整理法により通用停止)
一般流通用の銀貨 - 稲100円銀貨(1959 - 1966年発行)
最後まで法的に有効だった戦前発行の硬貨 - 新貨条例・貨幣法による本位金貨全種類(日本の金貨参照。1988年、通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律により通用停止)
製品[編集]
赤チンを製造・販売している最後の企業 - 三栄製薬(2019年5月31日を最後にマーキュロクロムが日本薬局方から除外されるため、小堺製薬が製造を廃止。これにより三栄製薬が最後の製造・販売企業となる)
日本最後の各種施設・建築物[編集]
(坑内掘りの)炭鉱 - 北海道釧路市の太平洋炭礦(2002年1月30日閉山[注釈 7])
銅山 - 温川鉱山・花岡鉱山(1994年3月閉山)
城郭(日本の城)
最後に完成した、完全な(天守が現存する)城郭建築 - 松山城(天守本壇が1854年2月落成[注釈 8])[5]
最後に完成した[注釈 9]、天守を有する[注釈 10]日本式城郭 - 松前城(1849年幕府が築城許可。1854年9月完成)[6]
最後に完成した、幕藩体制下の藩による日本式城郭 - 石田城(1849年幕府が築城許可、1863年6月完成)[7]
最後に完成した日本式城郭[注釈 11] - 園部城(1868年に明治政府が築城許可、1869年8月に完成)[8][9]
最後に完成した、藩が建築した城(稜堡式城郭) - 松尾城(1869年9月着工、1870年藩庁などが完成[10][注釈 12])[注釈 13]
個人所有であった最後の城 - 犬山城(現存天守:旧城主の成瀬家所有であったが2004年より財団法人所有となる)
最後に完成したバットレスダム - 三滝ダム(中国電力所有、1937年完成)
灯台守駐在の灯台 - 女島灯台(2006年11月12日に無人化)
交通[編集]
鉄道[編集]
路線[編集]
最後の日本鉄道建設公団建設線AB線開業 - 2002年7月1日、土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線(後免 - 奈半利間、42.7km)
列車[編集]
最後の蒸気機関車牽引の定期旅客列車 - 1975年12月14日、日本国有鉄道(国鉄)室蘭本線225列車室蘭駅 - 岩見沢駅
最後の蒸気機関車牽引の定期貨物列車 - 1975年12月24日、日本国有鉄道夕張線6788列車
最後の混合列車 - 1987年7月22日、最後まで運行していた三菱石炭鉱業大夕張鉄道線の路線廃止に伴い
最後の日本海縦貫線全線走破の昼行定期電車特急 - 白鳥(2001年3月2日で運行終了)
最後のお召し列車専用牽引機関車 - JR東日本EF58形61号機(2008年退役[注釈 14])
JRにおける最後の昼行定期気動車急行 - つやま(2009年3月運行終了)
最後の日本海縦貫線全線走破の機関車牽引の客車列車および寝台特急列車 - トワイライトエクスプレス(2015年3月12日出発分をもって運行終了)
最後のブルートレイン - 北斗星(2015年3月13日出発分を以って定期運行が終了。下りは2015年8月21日出発分、上りは2015年8月22日出発分をもって臨時便も終了し、完全引退となった)
JRにおける最後の定期急行列車、および、機関車牽引の定期客車列車 - はまなす(運行終了はダイヤ上は2016年3月26日だが、実質的には3月20日が上り・翌21日が下りの最終運行日となり、22日以降は運休扱いとなった。運行中止となっている『能登』を除くと、定期・臨時を含め、最後の定期夜行急行列車である。)
最後のエル特急 - しらさぎ、しなの、ひだ(2018年3月17日のダイヤ改正で指定解除、特急に)
最後の国有鉄道車両 - 国土交通省立山砂防工事専用軌道で使用されている車両(2019年現在も使用中。)。
最後のトロリーバス - 立山トンネルトロリーバス
人物[編集]
鉄道大臣 - 八田嘉明(1941年12月2日-1943年11月1日在任)逓信大臣との兼任。逓信省と合併後も引き続き運輸通信大臣に就任。
南満州鉄道総裁 - 山崎元幹(1945年5月5日 - 1945年9月30日在任)ポツダム宣言受諾による解散により廃止
日本国有鉄道総裁 - 杉浦喬也(1985年6月25日-1987年3月31日在任)旅客鉄道株式会社グループへの改組に伴い職位廃止
帝都高速度交通営団総裁 - 土坂泰敏(2000年6月30日 - 2004年4月1日在任)東京地下鉄株式会社の発足により廃止
道路[編集]
自動車の通行が可能だった最後の未舗装国道 - 国道458号十部一峠
日本道路公団総裁 - 近藤剛(2003年11月20日-2005年9月30日在任)高速道路株式会社グループへの改組に伴い職位廃止、なお近藤は改組後のNEXCO中日本の初代会長を2006年まで務めた。
二輪・四輪車[編集]
最後の2ストロークエンジン搭載モデル - ヤマハ・RZ50(2007年生産終了)
四輪車 - スズキ・ジムニー SJ30(1987年販売終了)
最後のキャブレターエンジン搭載車
乗用車 - ダイハツ・ムーヴ(初代)
商用車 - 三菱・リベロカーゴ(2002年販売終了)軽商用車ではスズキ・アルト(5代目、2000年12月のマイナーチェンジまで)
最後のリトラクタブル・ヘッドライト車 - マツダ・RX-7(2002年販売終了)
最後の手動式チョーク車 - マツダ・ボンゴ -(3代目)
最後の4気筒エンジン搭載軽自動車 - ダイハツ・コペン (初代、2012年8月生産終了)
最後の販売チャンネルごとに取り扱い車種が異なった自動車メーカー - トヨタ自動車(2020年5月より全店併売開始)
船舶[編集]
最後のホバークラフトによる民間定期航路 - 大分ホーバーフェリー・大分-大分空港間(2009年10月廃止)
電気通信[編集]
手動交換式電話 - 小笠原諸島(1983年自動化)本土では北海道増毛町雄冬(1978年)
ワープロ専用機 - 書院(シャープ)(2001年末に生産終了)
最後の非電化集落 - タイマグラ(岩手県宮古市江繋字向神楽)集落(1988年に電気開通)
最後のオフライン郵便局 - 東の川簡易郵便局(2005年廃止)
日本郵政公社総裁 - 西川善文(2006年4月 - 2007年9月まで在任)2007年の日本郵政グループへの移管・分割により廃止。西川は引き続き後身の日本郵政初代社長に就任。
日本電信電話公社総裁 - 真藤恒(1981年1月 - 1985年3月まで在任)1985年の日本電信電話株式会社設立により廃止。真藤は引き続き後身のNTTの初代社長に就任。
民生用DAT製品生産メーカー - ソニー(2005年12月に生産出荷終了、2006年9月に販売終了)
フロッピーディスク生産メーカー - ソニー(2011年3月に生産終了)
録音・再生対応ポータブルMD - MZ-RH1(ソニー)(2011年8月に生産終了)
国産VHSデッキ - DXR170V(船井電機)(2016年7月に生産終了)
エンターテインメント[編集]
テレビ[編集]
放送局[編集]
アナログ放送 - 2012年3月31日12時30分00秒(岩手・宮城・福島)
全国的には2011年7月24日12時30分00秒に終了したが、上記3県は東日本大震災のため延期されていた。
親局がVHF波として開局した民放テレビ局 -「財団法人日本科学技術振興財団テレビ事業本部東京12チャンネル(科学テレビ)」(現在のテレビ東京)1964年4月12日(関東・関西を除く地方局では福島テレビで、1963年4月1日開局)
親局がアナログで開局した民放テレビ局 - 「とちぎテレビ」1999年4月1日。(独立局以外では高知さんさんテレビ、さくらんぼテレビジョン。いずれも1997年4月1日開局)
アナログハイビジョン放送 - 2007年10月1日1時00分00秒
ラジオ・テレビ兼営局 -「近畿放送」(現:京都放送)- ラジオは1951年12月25日、テレビは1969年4月1日にそれぞれ開局
ラジオ・テレビ兼営局で社名に「ラジオ」が付いた局 -「ラジオ中国」(現:中国放送)- 1967年3月31日まで。翌日現社名に変更[注釈 15]。
テレビ番組[編集]
セルアニメ -『サザエさん』(1969年10月5日から2013年9月29日放映分まで、フジテレビ系)
完結までセルアニメだった最後の作品 - 『アストロボーイ・鉄腕アトム』(2003年4月6日から2004年3月28日まで、フジテレビ系)
モノラル放送のテレビドラマ - 『SALE!』(1995年4月18日から6月27日まで、朝日放送制作・テレビ朝日系『火曜ドラマ』)
ラジオ[編集]
常設AMラジオ局 - 茨城放送、栃木放送(1963年4月1日開局)
CS-PCM音声放送 - ミュージックバード(2011年7月31日PCM音声放送を停止)
音楽[編集]
レーザーディスク - 川中美幸『金沢の雨』(2007年3月末に生産終了)[11]
ミニディスク - 倉木麻衣『ALL MY BEST』(品番:VNYM-9001-2)(2009年発売。現在は販売終了)
録音用は現在もソニーから80分用の製品(品番:MDW80T)が継続して発売されている。
スポーツ[編集]
ラグビー[編集]
最後の日本ラグビーフットボール選手権大会優勝大学 - 早稲田大学1988年1月15日(1987年度大会)
サッカー[編集]
JリーグレギュラーシーズンのPK戦 - 1998年11月3日に日本平スタジアムで行われた清水対V川崎戦。※このシーズンを最後にレギュラーシーズンのPK戦廃止。
Jリーグレギュラーシーズンの延長戦 - 2002年11月30日に札幌ドームで行われた札幌対広島戦。※このシーズンを最後にレギュラーシーズンの延長戦廃止。Vゴールで決着した最後の試合でもある。
天皇杯のVゴール - 2004年12月19日に香川県立丸亀競技場で行われた準々決勝の札幌対磐田戦。※この大会を最後にVゴール廃止。
野球[編集]
以下特に断りない限り「プロ野球」は日本野球機構を示す。また、選手・監督については、特に断りない限り、最後まで選手・監督であった人物を示す。
明治生まれのプロ野球選手 - 岩本義行 1957年引退。1912年(明治45年)3月11日生まれ
大正生まれのプロ野球選手 - 関根潤三 1965年引退。戸籍上は1927年(昭和2年)3月15日生まれだが実際の生年月日は1926年(大正15年)12月25日生まれ(参照))
戸籍上における大正生まれで最後まで現役だったのは、1962年引退の関口清治(1925年(大正14年)10月9日生まれ)と飯田徳治(1924年(大正13年)4月6日生まれ)となる。
昭和の戦前生まれのプロ野球選手 - 張本勲 1981年引退。1940年(昭和15年)6月19日生まれ。
昭和の戦中生まれのプロ野球選手 - 高橋直樹 1986年引退。1945年(昭和20年)2月15日 生まれ。
昭和20年代生まれのプロ野球選手 - 落合博満1998年引退。1953年(昭和28年)12月9日生まれ。
昭和30年代生まれのプロ野球選手 - 工藤公康2011年引退。1963年(昭和38年)5月5日生まれ。
昭和40年代生まれのプロ野球選手 - 新庄剛志[注釈 16] 1972年(昭和47年)1月28日生まれ。
ドラフト制度発足前(1965年まで)に入団したプロ野球選手 - 衣笠祥雄 1987年引退。1965年入団。
ドラフト制度発足後にドラフト外入団したプロ野球選手
最後にドラフト外入団した選手 - 古河有一 1992年入団。1991年のドラフト外入団禁止後、特例による唯一のドラフト外入団。
最後まで現役だった選手 - 石井琢朗 2012年引退。1988年入団。
昭和時代入団のプロ野球選手 - 山本昌[注釈 17]・中嶋聡[注釈 18] ともに2015年引退。
昭和時代にドラフト指名された選手としては谷繁元信(1988年指名、1989年入団)も含む。山本・中嶋と同じく2015年引退。
プロ野球シーズン30勝投手 - 皆川睦雄 1968年達成、31勝
プロ野球通算300勝投手 - 鈴木啓示 1985年引退、通算317勝
明治生まれのプロ野球監督 - レオ・ドローチャー 1905年(明治38年)7月27日生まれ ※1976年太平洋クラブと契約直後病気で倒れ、来日できなかったため指揮は執っていない。
実際に試合で指揮を執った監督では三原脩 1974年、ヤクルトを退任。1911年(明治44年)11月21日生まれ
大正生まれのプロ野球監督 - 根本陸夫 1994年、ダイエーを退任。1926年(大正15年)11月20日生まれ
昭和の戦前・戦中生まれのプロ野球監督 - 高木守道 2013年、中日を退任。1941年(昭和16年)7月17日生まれ
オリンピック野球日本代表監督[注釈 19] - 星野仙一 2008年北京大会
プロ野球の没収試合(一軍)- 1971年7月13日に西宮球場で行われた阪急対ロッテ戦 ※規定は現在もあるが、これ以降実際に適用された例はない。
プロ野球のサスペンデッドゲーム - 1987年5月23日に行われた南海対ロッテ戦。7月8日再開試合。※パシフィック・リーグのみ規定されていたが、これ以後実施例がなく、2012年限りで規定自体が廃止された。
プロ野球のダブルヘッダー - 1998年10月10日に横浜スタジアムで行われた横浜対中日戦[12] ※規定は現在もあるが、これ以降実施された例はない[注釈 20]。
相撲[編集]
看板大関 - 鉄石城五郎(文化10年(1813年)初土俵)
江戸相撲における最後の無勝負が記録された場所 - 元治2年(1865年)2月場所
大関から直接平幕へ陥落した力士 - 鳳凰馬五郎(1900年(明治33年)5月場所)
大関から直接小結へ陥落した力士 - 能代潟錦作(1933年(昭和8年)1月場所)
旧両国国技館における最後の大相撲本場所幕内優勝力士 - 羽黒山政司 1946年(昭和21年)11月場所
蔵前国技館における最後の大相撲本場所幕内優勝力士 - 多賀竜昇司 1984年(昭和59年)9月場所
蔵前国技館での本場所を経験した最後の力士 - 栃天晃正嵩 2011年5月場所限りで引退 (出場場所としては同年1月場所)
昭和時代に幕内を経験した最後の力士 - 安芸乃島勝巳 2003年5月場所限りで引退
横綱免許を与えられた最後の大相撲横綱力士 - 千代の山雅信(第41代)
昭和時代に本場所で白星を挙げた最後の力士 - 大乃国康 1988年九州場所結びの一番で千代の富士貢に勝利。
平成時代に本場所で白星を挙げた最後の力士 - 白鵬翔 2019年春場所結びの一番で鶴竜力三郎に勝利。
昭和時代に初土俵を踏んだ最後の力士 - 華吹大作(1986年3月場所初土俵、2020年3月現在現役)
張出前頭の最後の適用例 - 太寿山忠明(1983年7月場所、東張出前頭9枚目)
番付に張出が設けられた最後の場所 - 1994年(平成6年)5月場所
旧基準の幕下付出(幕下60枚目格付出)で初土俵を踏んだ最後の力士 - 雅山哲士(2013年3月場所引退)
預りの取組 - 東富士-吉葉山戦(1951年9月場所12日目)
関取での引分の取組 - 三重ノ海-二子岳戦(1974年9月場所11日目、幕内)
幕下以下も含めた引分の取組 - 市ノ渡-梅の里戦(1986年7月場所5日目、幕下)
関取での痛み分けの取組 - 宮柱-清乃森戦(1964年11月場所7日目、十両)
幕下以下も含めた痛み分けの取組 - 総ノ浪-秀錦戦(1999年1月場所14日目、序二段)
戦前・戦中生まれの最後の力士 - 高見山大五郎(1944年6月16日生まれ、1984年5月場所引退)
戦前・戦中生まれの最後の日本人力士 - 牧本英輔(1941年8月13日生まれ、1982年11月場所引退)
戦前・戦中生まれの最後の三役経験力士 - 高見山大五郎(最高位・東関脇)
公傷制度が適用された最後の力士 - 琴ノ若晴將(2003年11月場所)
関取の1場所15日制定着以降で幕内皆勤全敗を経験した最後の力士 - 板井圭介(1991年7月場所、東前頭14枚目の地位で15戦全敗)
ボクシング[編集]
15ラウンド制のプロボクシング公式戦 - WBA世界バンタム級タイトルマッチ 六車卓也VS朴讃栄 1987年5月24日。朴の11回TKO勝利。
13ラウンド以上で決着になった試合 - WBA世界フライ級タイトルマッチ イラリオ・サパタVS穂積秀一 1986年4月7日。サパタの15回判定勝利。
WBA・WBC分立前最後の世界チャンピオン[注釈 21] - 小林弘 1971年7月29日王座陥落
昭和デビューのプロボクシング世界チャンピオン[注釈 22] - 星野敬太郎 2002年7月29日王座陥落。1988年(昭和63年)11月3日デビュー
競馬[編集]
グレード制導入前の最後の八大競走優勝馬 - リードホーユー 1983年有馬記念
グレード制導入前の最後の八大競走優勝騎手 - 田原成貴 1983年有馬記念 上記のリードホーユーに騎乗。田原は翌1984年に桜花賞を優勝しており、最初のGI優勝騎手にもなっている。
アラブ系限定競走 - 開設60周年記念アラブ特別レジェンド賞 2009年9月27日 福山競馬場
和歌[編集]
最後の百人一首 - 順徳天皇 「ももしきや古き軒端のしのぶにもなほ余りある昔なりけり」
囲碁・将棋[編集]
最後の世襲制将棋名人 - 関根金次郎13世名人(1935年3月26日付で世襲を廃止、実力制名人戦制に移行)
最後の世襲制囲碁本因坊 - 本因坊秀哉21世(1936年に選手権戦制に移行)
明治生まれ最後の現役将棋棋士 - 小堀清一九段(1912年・明治45年2月10日生まれ、1987年4月引退)
大正生まれ最後の現役将棋棋士 - 丸田祐三九段(1919年・大正8年3月30日生まれ、1996年3月引退)
戦前生まれ最後の現役将棋棋士 - 加藤一二三九段(1940年・昭和15年1月1日生まれ、2017年6月20日引退)
脚注[編集]
[脚注の使い方]
注釈[編集]
^ 生没年が判明している者のみ。また松下村塾自体は1892年まで存続したが、記録が散佚しているため、松下村塾塾生で最後まで生き残りだった者は現在も不明である。
^ 同じく90歳の神奈川県寒川町の藤沢喜代治議員の不出馬による。
^ 当初から航空母艦として設計された艦では葛城(雲龍型)(1944年10月15日竣工)。
^ 法律上の手続きを踏まないまま参戦したため国会で問題になった。
^ 解釈によっては小塚金七(1972年10月19日没、当時51歳)。太平洋戦争に参戦しフィリピンのルバング島に派遣され、終戦後も小野田寛郎らとともに戦闘を継続。フィリピン警察軍と銃撃戦になり胸を撃たれ死亡。
^ モンテネグロ公国は日露戦争に於いて大日本帝国に宣戦布告したが実際には戦闘は行われず、講和会議にモンテネグロ王国が出席しなかったことから、国際法上モンテネグロ公国との戦争が継続していた。2006年6月3日にセルビア・モンテネグロからモンテネグロ共和国が独立する際に、外務大臣と首相特使によりモンテネグロ共和国政府へ独立の承認と戦争の終結を伝える文書が届けられた。
^ ただし後継の釧路コールマインの坑内採炭はまだ続いている。また、露天掘りの炭鉱が数か所存在する。
^ 天守本壇(重要文化財)が焼失したものを再建したもの
^ 同じ場所にあった居館(福山館)を取り壊し、全面改築したもの。
^ 築城時の天守は焼失。現在は外観復元した建築物が建つ。
^ 陣屋からの改修。
^ 城郭の全体は未完成とされる
^ このほか、明治初年に房総に移封された旧城主格の藩のいくつか(鶴舞藩・長尾藩・花房藩など)が築城に着手しているが、未完成に終わった。
^ 車籍は残したままである。最後にお召し列車牽引機として使用されたのは2001年3月23日
^ 中国放送より後の1968年に社名変更したラジオ岐阜→岐阜放送は、テレビ開局前の変更である。
^ 2006年に任意引退したのち、2019年11月27日付で自由契約選手公示された。2018年に岩瀬仁紀(1974年(昭和49年)11月10日生まれ)が、2019年3月21日にMLBでイチロー(1973年(昭和48年)10月22日生まれ)がそれぞれ引退して以降、新庄の復帰まで昭和40年代生まれの選手は全て引退・退団した状態になっていた。また、1973年(昭和48年)7月24日生まれの中村紀洋は引退を表明していないが、2015年以降いずれのプロ球団にも所属していない。
^ 山本昌は後楽園球場でプレー経験のある最後の現役選手でもあった。また2019年現在最後の日本球界200勝投手でもある。
^ オリックス・バファローズの前身である阪急ブレーブスおよびオリックス・ブレーブスへの在籍経験がある最後の現役選手でもあった。
^ オリンピック野球競技は2008年北京大会を最後に除外。なお2020年東京大会では追加種目として行われる予定。
^ 2007年9月30日に横浜スタジアムで横浜対ヤクルト戦のダブルヘッダーが予定されていたが雨天中止となった。実際に予定されたダブルヘッダーは同試合が最後で、それ以降は日程の消化が遅れダブルヘッダーが実施される可能性が出たことは何度かあるものの、実施に至った例はない。
^ 1967年12月14日王座獲得後、在位中にWBC分立。
^ JBC非公認を含めると、西澤ヨシノリ(2013年8月5日王座返上、1986年(昭和61年)10月21日デビュー)となる。
出典[編集]
^ 戦え絶滅動物
^ http://www.47news.jp/photo/1059019.php
^ 潮来市議会議員選挙(2016年1月31日投票)結果|政治山
^ 潮来市議会議員選挙開票結果
^ “見どころ”. 松山城. 2018年6月15日閲覧。
^ “松前城・松前城資料館”. 北海道松前藩観光奉行. 松前町ツーリズム推進協議会. 2018年6月15日閲覧。
^ 濱口和久. “日本の名城 福江城 幕末に建築された国内唯一の海城”. zakzak. 2018年6月15日閲覧。
^ 濱口和久. “日本の名城 園部城 明治新政府が築かせた最後の城”. zakzak. 2018年6月15日閲覧。
^ “「最後の城」若人見守る 維新期に築かれた園部城(時の回廊)”. 日本経済新聞. 2018年6月15日閲覧。
^ “さんむのふるさと散歩 No.7 ”. 広報さんむ. 山武市 (2007年1月). 2017年5月11日閲覧。
^ LDの生産が全世界で終了。最終プレスは川中美幸、ORICON NEWS、2007年5月20日。
^ “虎超過密日程 ダブルヘッダーに14連戦も”. 日刊スポーツ. (2014年8月21日)
関連項目[編集]
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表話編歴
地域代表リスト
○○一の一覧
世界一の一覧 日本一の一覧
○○三大の一覧
世界三大一覧 日本三大一覧
○○四大の一覧
世界四大一覧 日本四大一覧 中国四大一覧
○○五大(以降)の一覧
世界五大の一覧 日本五大一覧
○○最初の一覧
世界初の一覧 日本初の一覧 日本初の女性一覧
○○最古の一覧
世界最古の一覧 日本最古の一覧
○○最後の一覧
日本最後の一覧
なお、現在も可能であるが数十年あるいはそれ以上の長期間にわたって実例がなく、今後も実際に発生する可能性が著しく低いような物事は法改正や環境の変化に起因するものに限定し、単に「日本最後」と呼ばれるだけのものは除外している。
目次
1 生物
2 政治や軍事
2.1 天皇・朝廷および律令制に由来する地位・官職
2.2 幕府および武士
2.3 近代以後の政治制度
2.4 近代以後の軍事
3 社会
4 学問・教育施設
5 暦
6 貨幣
7 製品
8 日本最後の各種施設・建築物
9 交通
9.1 鉄道
9.1.1 路線
9.1.2 列車
9.1.3 人物
9.2 道路
9.3 二輪・四輪車
9.4 船舶
10 電気通信
11 エンターテインメント
11.1 テレビ
11.1.1 放送局
11.1.2 テレビ番組
11.2 ラジオ
11.3 音楽
11.4 スポーツ
11.4.1 ラグビー
11.4.2 サッカー
11.4.3 野球
11.4.4 相撲
11.4.5 ボクシング
11.4.6 競馬
11.5 和歌
11.6 囲碁・将棋
12 脚注
12.1 注釈
12.2 出典
13 関連項目
生物[編集]
野生のトキ - キン。2003年10月10日に死亡。
野生のコウノトリ - 1971年5月25日に兵庫県豊岡市で保護された個体。
ニホンオオカミ - 1905年1月23日に奈良県東吉野村鷲家口で捕獲された若いオス。これ以降、公式的に確認された生存情報がない。
マミジロクイナ - 日本では小笠原諸島の硫黄島に生息していたが、1924年頃に絶滅[1]。
ニホンアシカ - 1975年に竹島で2頭の目撃例があったのを最後に確実な目撃例はなく、1991年の環境庁レッドデータブックでは「絶滅種」と記載された。
ニホンカワウソ - 1979年以降確実な目撃例がなく、2012年に絶滅種に指定された。
政治や軍事[編集]
天皇・朝廷および律令制に由来する地位・官職[編集]
最後の法皇 - 霊元天皇。正徳3年(1713年)8月に落飾。
最後の女性天皇 - 後桜町天皇(在位1762年-1770年) 後桃園天皇に譲位
最後の太政大臣 - 三条実美(1871年-1885年在任)
最後の斎院 - 礼子内親王(1204年-1212年)
最後の斎宮 - 祥子内親王(1333年-1334年)
最後の陰陽師 - 土御門晴雄(1842年-1869年在任)
幕府および武士[編集]
幕府 - 江戸幕府(慶応3年10月14日(1867年11月9日))
征夷大将軍 - 徳川慶喜(1866年-1867年在任)
大老 - 酒井忠績(1865年在任)
西国筋郡代 - 窪田鎮勝
幕藩体制下で最後に発足した藩 - 高徳藩(1866年成立)
大名で最後まで生存していた者 - 林忠崇(1941年1月22日没)
※考え方によっては分部光謙(1944年11月29日没)
最後まで生存していた戦国大名 - 伊達政宗。1636年6月27日没。
最後まで生存していた新選組隊士 - 池田七三郎(1938年1月16日没)
最後まで生存していた松下村塾塾生(吉田松陰時代)[注釈 1] - 渡辺蒿蔵(1939年9月7日没)
近代以後の政治制度[編集]
最後の元老 - 西園寺公望(1940年11月23日没)
最後の枢密院議長 - 清水澄(1946年6月13日 - 1947年5月2日在任 枢密院自体が日本国憲法施行で廃止されたため)
最後の勅令 - 外国人登録令(昭和22年勅令第207号)1947年5月2日公布。※公布日が最後となる勅令。日本国憲法施行後、勅令を新規に公布することはできないが、過去に公布され現在も有効な勅令は複数存在する。
内閣総理大臣
最後の大政奉還以前生まれの総理大臣 - 平沼騏一郎。1867年10月25日生まれ。1939年8月30日退任。平沼は大政奉還以前生まれの首相経験者で最後の生き残りであった(1952年8月22日没)
最後の明治改元以前生まれの総理大臣 - 鈴木貫太郎。1867年12月24日生まれ。1945年8月17日退任。貫太郎は最後の非国会議員の内閣総理大臣でもあった。なお、明治改元以前生まれの首相経験者で最後の生き残りは平沼や貫太郎ではなく岡田啓介であった(1952年10月17日没)。
最後の19世紀生まれの総理大臣 - 池田勇人。1899年12月3日生まれ。1964年11月9日退任。なお、19世紀生まれの首相経験者で最後の生き残りは東久邇宮稔彦王である(1990年1月20日没)。
最後の明治生まれの総理大臣 - 鈴木善幸。1911年1月11日生まれ。1982年11月27日退任。善幸は明治生まれの首相経験者で最後の生き残りでもあった(2004年7月19日没)。
最後の大正生まれの総理大臣 - 村山富市。1924年3月3日生まれ。1996年1月11日退任。村山は大正生まれの首相経験者で最後の生き残りでもある。
最後の昭和戦前生まれの総理大臣 - 麻生太郎。1940年9月20日生まれ。2009年9月16日退任。
中央省庁再編により消滅した省庁の最後の大臣・長官・委員長(任期終了は防衛庁長官を除き2001年1月6日、防衛庁長官のみ2007年1月8日)
郵政大臣・自治大臣・総務庁長官 - 片山虎之助(2000年12月5日就任)
大蔵大臣 - 宮澤喜一(1998年7月30日就任)
厚生大臣・労働大臣 - 坂口力(2000年12月5日就任)
建設大臣・運輸大臣・北海道開発庁長官・国土庁長官 - 林寛子(扇千景)(2000年7月4日就任)
通商産業大臣 - 平沼赳夫(2000年7月4日就任)
文部大臣・科学技術庁長官 - 町村信孝(2000年12月5日就任)
環境庁長官 - 川口順子(2000年7月4日)
金融再生委員会委員長 - 柳澤伯夫(2000年12月5日)
沖縄開発庁長官 - 橋本龍太郎(2000年12月5日)
経済企画庁長官 - 額賀福志郎(2000年12月5日)
防衛庁長官 - 久間章生(2006年9月26日就任)
国会議員
最後の江戸時代生まれの国会議員 - 宇垣一成。参議院議員。
衆議院議員では尾崎行雄。
最後まで在任した明治生まれの国会議員 - 原健三郎と櫻内義雄。2000年6月2日退任。
彼らのうち原は帝国議会時代から議席を維持し続けた最後の現職議員でもあった。
最後まで在任した大正生まれの国会議員 - 中山太郎。1924年8月27日生まれ。2009年7月21日退任。
国政選挙立候補者
最後の大正生まれの国政選挙立候補者 - 川島良吉。1918年8月1日生まれ。2012年衆議院議員選挙に出馬。
地方議員
最後まで在任した大正生まれの市議会議員ならびに女性議員および地方議会選挙立候補者 - 橋本きくい(元潮来市議 1925年4月1日生まれ。2016年1月31日の市議選で落選、2020年の選挙でも立候補したが、落選。)[2][3][4]
最後まで在任していた大正生まれの地方議会議員 - 赤屋敷信一(一戸町議会議員。1926年1月29日生まれ。2017年7月25日辞職)[注釈 2]
国葬 - 吉田茂(1967年)
特例市に指定された市 - 佐賀市(2014年4月1日指定)
近代以後の軍事[編集]
第一次世界大戦で戦った軍人で最後まで生存していた者 - 高木惣吉。1979年7月27日没。
ただし場合によっては和田秀穂(1972年4月3日没)
内戦 - 西南戦争(1877年)
最後に就任した陸軍大将 - 牛島満。1945年6月20日就任、1945年6月23日没。
最後に就任した海軍大将 - 井上成美。1945年5月15日就任、1975年12月15日没。
連合艦隊司令長官 - 小沢治三郎(1945年5月29日就任、1966年11月9日没)
編成が発令された大日本帝国陸軍の師団 - 第158師団(1945年8月10日編成発令)
建造された戦艦 - 武蔵。1942年8月5日竣工。
就役した正規空母 - 信濃 (空母)(1944年11月19日就役)[注釈 3]
最後に就役した艦艇 - 伊王(1945年3月24日就役)
空襲 - 土崎空襲(秋田県秋田市)(1945年8月14日午後10:30頃-8月15日午前2:20頃)
空中戦 - 伊豆諸島上空でのB-32に対する迎撃戦(1945年8月18日)
地上戦 - 南樺太での日本軍とソ連軍との戦い。(1945年8月23日に終了)
戦争への参戦 - 朝鮮戦争。(1950年)海上保安庁の掃海部隊からなる特別掃海隊が派遣された[注釈 4]。
日本が参戦した戦争による日本人最後の戦死者 - 朝鮮戦争における中谷坂太郎(1950年10月17日没、当時21歳)。元山沖で、海上保安庁所属の掃海艇が触雷したことによる[注釈 5]。
戦争の終結 - モンテネグロ公国との間の戦争終結(2006年6月16日)。[注釈 6](日本とモンテネグロの関係)
社会[編集]
江戸時代生まれの日本人
明治改元前生まれ - 中山イサ(1977年5月25日没。1868年6月15日(慶応4年6月3日)生まれ)。
大政奉還前生まれ - 河本にわ(1976年11月16日没。1863年9月17日(文久3年8月5日)生まれ)。
男性では吉川与三太郎(1976年1月2日没。1867年12月9日(慶応3年11月14日)生まれ)。
19世紀生まれ - 田島ナビ(2018年4月21日没。1900年8月4日生まれ。生年月日に確かな記録のある人としては世界最後でもある)
男性では木村次郎右衛門(2013年6月12日没。1897年4月19日生まれ)
越後瞽女 - 小林ハル(2005年4月25日没)
不敬罪が適用された事件 - プラカード事件(1946年5月19日)
学問・教育施設[編集]
男子大学 - 東洋食品工業短期大学(2008年度より男女共学化)かつての日本では男子のみが大学に入学する資格があったが、女子教育の必要性や時代の流れによって次第に共学化されていった。当校は力作業を伴う実習授業が多いことから開学以来、永らく女子の募集・入学は認めていなかったが2008年度より男女共学となった。これにより、日本の男子大学は消滅した。
「東洋食品工業短期大学」を参照
薬学部以外の薬剤師養成課程 - 広島大学(2006年の薬剤師養成課程の6年制移行に伴い、医学部から独立。医学部総合薬学科から薬学部薬学科となった。これにより、薬学部以外の管轄による薬剤師養成課程は消滅した。)
「広島大学」を参照
暦[編集]
公式な太陰太陽暦 - 天保暦
公式な太陰太陽暦の閏月 - 明治3年閏10月(グレゴリオ暦1870年11月23日-12月21日)
公式な太陰太陽暦の日付 - 明治5年12月2日(グレゴリオ暦1872年12月31日)
貨幣[編集]
皇朝銭 - 乾元大宝(958年(天徳2年)鋳造)
穴銭(銭銘の種類として) - 文久永宝(文久3年 - 慶応3年鋳造)(地方貨幣等は除く)
大判 - 万延大判(万延元年発行)
小判 - 万延小判(万延元年発行)
秤量貨幣 - 安政丁銀・安政豆板銀(安政6年発行)(地方貨幣等は除く)
地方貨幣では、安政銀より後に発行された秋田波銭や秋田鍔銭などは秤量貨幣の可能性がある。
本位金貨の年銘 - 新20円金貨昭和7年銘
新円切替前(旧円)の紙幣 - 日本銀行券甲千圓券・ろ百圓券・ろ拾圓券(1945年8月17日発行)
銭単位の硬貨 - 小型50銭黄銅貨(1947 - 1948年発行)
銭単位の紙幣 - 日本銀行券A五銭券(1948年5月25日発行)
政府紙幣 - 板垣退助50銭紙幣(1948年3月10日発行)
最後まで法的に有効だった江戸時代発行の貨幣 - 寛永通宝銅一文銭(1厘)・寛永通宝真鍮四文銭(2厘)・文久永宝(1厘5毛)(1953年、小額通貨整理法により通用停止)
一般流通用の銀貨 - 稲100円銀貨(1959 - 1966年発行)
最後まで法的に有効だった戦前発行の硬貨 - 新貨条例・貨幣法による本位金貨全種類(日本の金貨参照。1988年、通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律により通用停止)
製品[編集]
赤チンを製造・販売している最後の企業 - 三栄製薬(2019年5月31日を最後にマーキュロクロムが日本薬局方から除外されるため、小堺製薬が製造を廃止。これにより三栄製薬が最後の製造・販売企業となる)
日本最後の各種施設・建築物[編集]
(坑内掘りの)炭鉱 - 北海道釧路市の太平洋炭礦(2002年1月30日閉山[注釈 7])
銅山 - 温川鉱山・花岡鉱山(1994年3月閉山)
城郭(日本の城)
最後に完成した、完全な(天守が現存する)城郭建築 - 松山城(天守本壇が1854年2月落成[注釈 8])[5]
最後に完成した[注釈 9]、天守を有する[注釈 10]日本式城郭 - 松前城(1849年幕府が築城許可。1854年9月完成)[6]
最後に完成した、幕藩体制下の藩による日本式城郭 - 石田城(1849年幕府が築城許可、1863年6月完成)[7]
最後に完成した日本式城郭[注釈 11] - 園部城(1868年に明治政府が築城許可、1869年8月に完成)[8][9]
最後に完成した、藩が建築した城(稜堡式城郭) - 松尾城(1869年9月着工、1870年藩庁などが完成[10][注釈 12])[注釈 13]
個人所有であった最後の城 - 犬山城(現存天守:旧城主の成瀬家所有であったが2004年より財団法人所有となる)
最後に完成したバットレスダム - 三滝ダム(中国電力所有、1937年完成)
灯台守駐在の灯台 - 女島灯台(2006年11月12日に無人化)
交通[編集]
鉄道[編集]
路線[編集]
最後の日本鉄道建設公団建設線AB線開業 - 2002年7月1日、土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線(後免 - 奈半利間、42.7km)
列車[編集]
最後の蒸気機関車牽引の定期旅客列車 - 1975年12月14日、日本国有鉄道(国鉄)室蘭本線225列車室蘭駅 - 岩見沢駅
最後の蒸気機関車牽引の定期貨物列車 - 1975年12月24日、日本国有鉄道夕張線6788列車
最後の混合列車 - 1987年7月22日、最後まで運行していた三菱石炭鉱業大夕張鉄道線の路線廃止に伴い
最後の日本海縦貫線全線走破の昼行定期電車特急 - 白鳥(2001年3月2日で運行終了)
最後のお召し列車専用牽引機関車 - JR東日本EF58形61号機(2008年退役[注釈 14])
JRにおける最後の昼行定期気動車急行 - つやま(2009年3月運行終了)
最後の日本海縦貫線全線走破の機関車牽引の客車列車および寝台特急列車 - トワイライトエクスプレス(2015年3月12日出発分をもって運行終了)
最後のブルートレイン - 北斗星(2015年3月13日出発分を以って定期運行が終了。下りは2015年8月21日出発分、上りは2015年8月22日出発分をもって臨時便も終了し、完全引退となった)
JRにおける最後の定期急行列車、および、機関車牽引の定期客車列車 - はまなす(運行終了はダイヤ上は2016年3月26日だが、実質的には3月20日が上り・翌21日が下りの最終運行日となり、22日以降は運休扱いとなった。運行中止となっている『能登』を除くと、定期・臨時を含め、最後の定期夜行急行列車である。)
最後のエル特急 - しらさぎ、しなの、ひだ(2018年3月17日のダイヤ改正で指定解除、特急に)
最後の国有鉄道車両 - 国土交通省立山砂防工事専用軌道で使用されている車両(2019年現在も使用中。)。
最後のトロリーバス - 立山トンネルトロリーバス
人物[編集]
鉄道大臣 - 八田嘉明(1941年12月2日-1943年11月1日在任)逓信大臣との兼任。逓信省と合併後も引き続き運輸通信大臣に就任。
南満州鉄道総裁 - 山崎元幹(1945年5月5日 - 1945年9月30日在任)ポツダム宣言受諾による解散により廃止
日本国有鉄道総裁 - 杉浦喬也(1985年6月25日-1987年3月31日在任)旅客鉄道株式会社グループへの改組に伴い職位廃止
帝都高速度交通営団総裁 - 土坂泰敏(2000年6月30日 - 2004年4月1日在任)東京地下鉄株式会社の発足により廃止
道路[編集]
自動車の通行が可能だった最後の未舗装国道 - 国道458号十部一峠
日本道路公団総裁 - 近藤剛(2003年11月20日-2005年9月30日在任)高速道路株式会社グループへの改組に伴い職位廃止、なお近藤は改組後のNEXCO中日本の初代会長を2006年まで務めた。
二輪・四輪車[編集]
最後の2ストロークエンジン搭載モデル - ヤマハ・RZ50(2007年生産終了)
四輪車 - スズキ・ジムニー SJ30(1987年販売終了)
最後のキャブレターエンジン搭載車
乗用車 - ダイハツ・ムーヴ(初代)
商用車 - 三菱・リベロカーゴ(2002年販売終了)軽商用車ではスズキ・アルト(5代目、2000年12月のマイナーチェンジまで)
最後のリトラクタブル・ヘッドライト車 - マツダ・RX-7(2002年販売終了)
最後の手動式チョーク車 - マツダ・ボンゴ -(3代目)
最後の4気筒エンジン搭載軽自動車 - ダイハツ・コペン (初代、2012年8月生産終了)
最後の販売チャンネルごとに取り扱い車種が異なった自動車メーカー - トヨタ自動車(2020年5月より全店併売開始)
船舶[編集]
最後のホバークラフトによる民間定期航路 - 大分ホーバーフェリー・大分-大分空港間(2009年10月廃止)
電気通信[編集]
手動交換式電話 - 小笠原諸島(1983年自動化)本土では北海道増毛町雄冬(1978年)
ワープロ専用機 - 書院(シャープ)(2001年末に生産終了)
最後の非電化集落 - タイマグラ(岩手県宮古市江繋字向神楽)集落(1988年に電気開通)
最後のオフライン郵便局 - 東の川簡易郵便局(2005年廃止)
日本郵政公社総裁 - 西川善文(2006年4月 - 2007年9月まで在任)2007年の日本郵政グループへの移管・分割により廃止。西川は引き続き後身の日本郵政初代社長に就任。
日本電信電話公社総裁 - 真藤恒(1981年1月 - 1985年3月まで在任)1985年の日本電信電話株式会社設立により廃止。真藤は引き続き後身のNTTの初代社長に就任。
民生用DAT製品生産メーカー - ソニー(2005年12月に生産出荷終了、2006年9月に販売終了)
フロッピーディスク生産メーカー - ソニー(2011年3月に生産終了)
録音・再生対応ポータブルMD - MZ-RH1(ソニー)(2011年8月に生産終了)
国産VHSデッキ - DXR170V(船井電機)(2016年7月に生産終了)
エンターテインメント[編集]
テレビ[編集]
放送局[編集]
アナログ放送 - 2012年3月31日12時30分00秒(岩手・宮城・福島)
全国的には2011年7月24日12時30分00秒に終了したが、上記3県は東日本大震災のため延期されていた。
親局がVHF波として開局した民放テレビ局 -「財団法人日本科学技術振興財団テレビ事業本部東京12チャンネル(科学テレビ)」(現在のテレビ東京)1964年4月12日(関東・関西を除く地方局では福島テレビで、1963年4月1日開局)
親局がアナログで開局した民放テレビ局 - 「とちぎテレビ」1999年4月1日。(独立局以外では高知さんさんテレビ、さくらんぼテレビジョン。いずれも1997年4月1日開局)
アナログハイビジョン放送 - 2007年10月1日1時00分00秒
ラジオ・テレビ兼営局 -「近畿放送」(現:京都放送)- ラジオは1951年12月25日、テレビは1969年4月1日にそれぞれ開局
ラジオ・テレビ兼営局で社名に「ラジオ」が付いた局 -「ラジオ中国」(現:中国放送)- 1967年3月31日まで。翌日現社名に変更[注釈 15]。
テレビ番組[編集]
セルアニメ -『サザエさん』(1969年10月5日から2013年9月29日放映分まで、フジテレビ系)
完結までセルアニメだった最後の作品 - 『アストロボーイ・鉄腕アトム』(2003年4月6日から2004年3月28日まで、フジテレビ系)
モノラル放送のテレビドラマ - 『SALE!』(1995年4月18日から6月27日まで、朝日放送制作・テレビ朝日系『火曜ドラマ』)
ラジオ[編集]
常設AMラジオ局 - 茨城放送、栃木放送(1963年4月1日開局)
CS-PCM音声放送 - ミュージックバード(2011年7月31日PCM音声放送を停止)
音楽[編集]
レーザーディスク - 川中美幸『金沢の雨』(2007年3月末に生産終了)[11]
ミニディスク - 倉木麻衣『ALL MY BEST』(品番:VNYM-9001-2)(2009年発売。現在は販売終了)
録音用は現在もソニーから80分用の製品(品番:MDW80T)が継続して発売されている。
スポーツ[編集]
ラグビー[編集]
最後の日本ラグビーフットボール選手権大会優勝大学 - 早稲田大学1988年1月15日(1987年度大会)
サッカー[編集]
JリーグレギュラーシーズンのPK戦 - 1998年11月3日に日本平スタジアムで行われた清水対V川崎戦。※このシーズンを最後にレギュラーシーズンのPK戦廃止。
Jリーグレギュラーシーズンの延長戦 - 2002年11月30日に札幌ドームで行われた札幌対広島戦。※このシーズンを最後にレギュラーシーズンの延長戦廃止。Vゴールで決着した最後の試合でもある。
天皇杯のVゴール - 2004年12月19日に香川県立丸亀競技場で行われた準々決勝の札幌対磐田戦。※この大会を最後にVゴール廃止。
野球[編集]
以下特に断りない限り「プロ野球」は日本野球機構を示す。また、選手・監督については、特に断りない限り、最後まで選手・監督であった人物を示す。
明治生まれのプロ野球選手 - 岩本義行 1957年引退。1912年(明治45年)3月11日生まれ
大正生まれのプロ野球選手 - 関根潤三 1965年引退。戸籍上は1927年(昭和2年)3月15日生まれだが実際の生年月日は1926年(大正15年)12月25日生まれ(参照))
戸籍上における大正生まれで最後まで現役だったのは、1962年引退の関口清治(1925年(大正14年)10月9日生まれ)と飯田徳治(1924年(大正13年)4月6日生まれ)となる。
昭和の戦前生まれのプロ野球選手 - 張本勲 1981年引退。1940年(昭和15年)6月19日生まれ。
昭和の戦中生まれのプロ野球選手 - 高橋直樹 1986年引退。1945年(昭和20年)2月15日 生まれ。
昭和20年代生まれのプロ野球選手 - 落合博満1998年引退。1953年(昭和28年)12月9日生まれ。
昭和30年代生まれのプロ野球選手 - 工藤公康2011年引退。1963年(昭和38年)5月5日生まれ。
昭和40年代生まれのプロ野球選手 - 新庄剛志[注釈 16] 1972年(昭和47年)1月28日生まれ。
ドラフト制度発足前(1965年まで)に入団したプロ野球選手 - 衣笠祥雄 1987年引退。1965年入団。
ドラフト制度発足後にドラフト外入団したプロ野球選手
最後にドラフト外入団した選手 - 古河有一 1992年入団。1991年のドラフト外入団禁止後、特例による唯一のドラフト外入団。
最後まで現役だった選手 - 石井琢朗 2012年引退。1988年入団。
昭和時代入団のプロ野球選手 - 山本昌[注釈 17]・中嶋聡[注釈 18] ともに2015年引退。
昭和時代にドラフト指名された選手としては谷繁元信(1988年指名、1989年入団)も含む。山本・中嶋と同じく2015年引退。
プロ野球シーズン30勝投手 - 皆川睦雄 1968年達成、31勝
プロ野球通算300勝投手 - 鈴木啓示 1985年引退、通算317勝
明治生まれのプロ野球監督 - レオ・ドローチャー 1905年(明治38年)7月27日生まれ ※1976年太平洋クラブと契約直後病気で倒れ、来日できなかったため指揮は執っていない。
実際に試合で指揮を執った監督では三原脩 1974年、ヤクルトを退任。1911年(明治44年)11月21日生まれ
大正生まれのプロ野球監督 - 根本陸夫 1994年、ダイエーを退任。1926年(大正15年)11月20日生まれ
昭和の戦前・戦中生まれのプロ野球監督 - 高木守道 2013年、中日を退任。1941年(昭和16年)7月17日生まれ
オリンピック野球日本代表監督[注釈 19] - 星野仙一 2008年北京大会
プロ野球の没収試合(一軍)- 1971年7月13日に西宮球場で行われた阪急対ロッテ戦 ※規定は現在もあるが、これ以降実際に適用された例はない。
プロ野球のサスペンデッドゲーム - 1987年5月23日に行われた南海対ロッテ戦。7月8日再開試合。※パシフィック・リーグのみ規定されていたが、これ以後実施例がなく、2012年限りで規定自体が廃止された。
プロ野球のダブルヘッダー - 1998年10月10日に横浜スタジアムで行われた横浜対中日戦[12] ※規定は現在もあるが、これ以降実施された例はない[注釈 20]。
相撲[編集]
看板大関 - 鉄石城五郎(文化10年(1813年)初土俵)
江戸相撲における最後の無勝負が記録された場所 - 元治2年(1865年)2月場所
大関から直接平幕へ陥落した力士 - 鳳凰馬五郎(1900年(明治33年)5月場所)
大関から直接小結へ陥落した力士 - 能代潟錦作(1933年(昭和8年)1月場所)
旧両国国技館における最後の大相撲本場所幕内優勝力士 - 羽黒山政司 1946年(昭和21年)11月場所
蔵前国技館における最後の大相撲本場所幕内優勝力士 - 多賀竜昇司 1984年(昭和59年)9月場所
蔵前国技館での本場所を経験した最後の力士 - 栃天晃正嵩 2011年5月場所限りで引退 (出場場所としては同年1月場所)
昭和時代に幕内を経験した最後の力士 - 安芸乃島勝巳 2003年5月場所限りで引退
横綱免許を与えられた最後の大相撲横綱力士 - 千代の山雅信(第41代)
昭和時代に本場所で白星を挙げた最後の力士 - 大乃国康 1988年九州場所結びの一番で千代の富士貢に勝利。
平成時代に本場所で白星を挙げた最後の力士 - 白鵬翔 2019年春場所結びの一番で鶴竜力三郎に勝利。
昭和時代に初土俵を踏んだ最後の力士 - 華吹大作(1986年3月場所初土俵、2020年3月現在現役)
張出前頭の最後の適用例 - 太寿山忠明(1983年7月場所、東張出前頭9枚目)
番付に張出が設けられた最後の場所 - 1994年(平成6年)5月場所
旧基準の幕下付出(幕下60枚目格付出)で初土俵を踏んだ最後の力士 - 雅山哲士(2013年3月場所引退)
預りの取組 - 東富士-吉葉山戦(1951年9月場所12日目)
関取での引分の取組 - 三重ノ海-二子岳戦(1974年9月場所11日目、幕内)
幕下以下も含めた引分の取組 - 市ノ渡-梅の里戦(1986年7月場所5日目、幕下)
関取での痛み分けの取組 - 宮柱-清乃森戦(1964年11月場所7日目、十両)
幕下以下も含めた痛み分けの取組 - 総ノ浪-秀錦戦(1999年1月場所14日目、序二段)
戦前・戦中生まれの最後の力士 - 高見山大五郎(1944年6月16日生まれ、1984年5月場所引退)
戦前・戦中生まれの最後の日本人力士 - 牧本英輔(1941年8月13日生まれ、1982年11月場所引退)
戦前・戦中生まれの最後の三役経験力士 - 高見山大五郎(最高位・東関脇)
公傷制度が適用された最後の力士 - 琴ノ若晴將(2003年11月場所)
関取の1場所15日制定着以降で幕内皆勤全敗を経験した最後の力士 - 板井圭介(1991年7月場所、東前頭14枚目の地位で15戦全敗)
ボクシング[編集]
15ラウンド制のプロボクシング公式戦 - WBA世界バンタム級タイトルマッチ 六車卓也VS朴讃栄 1987年5月24日。朴の11回TKO勝利。
13ラウンド以上で決着になった試合 - WBA世界フライ級タイトルマッチ イラリオ・サパタVS穂積秀一 1986年4月7日。サパタの15回判定勝利。
WBA・WBC分立前最後の世界チャンピオン[注釈 21] - 小林弘 1971年7月29日王座陥落
昭和デビューのプロボクシング世界チャンピオン[注釈 22] - 星野敬太郎 2002年7月29日王座陥落。1988年(昭和63年)11月3日デビュー
競馬[編集]
グレード制導入前の最後の八大競走優勝馬 - リードホーユー 1983年有馬記念
グレード制導入前の最後の八大競走優勝騎手 - 田原成貴 1983年有馬記念 上記のリードホーユーに騎乗。田原は翌1984年に桜花賞を優勝しており、最初のGI優勝騎手にもなっている。
アラブ系限定競走 - 開設60周年記念アラブ特別レジェンド賞 2009年9月27日 福山競馬場
和歌[編集]
最後の百人一首 - 順徳天皇 「ももしきや古き軒端のしのぶにもなほ余りある昔なりけり」
囲碁・将棋[編集]
最後の世襲制将棋名人 - 関根金次郎13世名人(1935年3月26日付で世襲を廃止、実力制名人戦制に移行)
最後の世襲制囲碁本因坊 - 本因坊秀哉21世(1936年に選手権戦制に移行)
明治生まれ最後の現役将棋棋士 - 小堀清一九段(1912年・明治45年2月10日生まれ、1987年4月引退)
大正生まれ最後の現役将棋棋士 - 丸田祐三九段(1919年・大正8年3月30日生まれ、1996年3月引退)
戦前生まれ最後の現役将棋棋士 - 加藤一二三九段(1940年・昭和15年1月1日生まれ、2017年6月20日引退)
脚注[編集]
[脚注の使い方]
注釈[編集]
^ 生没年が判明している者のみ。また松下村塾自体は1892年まで存続したが、記録が散佚しているため、松下村塾塾生で最後まで生き残りだった者は現在も不明である。
^ 同じく90歳の神奈川県寒川町の藤沢喜代治議員の不出馬による。
^ 当初から航空母艦として設計された艦では葛城(雲龍型)(1944年10月15日竣工)。
^ 法律上の手続きを踏まないまま参戦したため国会で問題になった。
^ 解釈によっては小塚金七(1972年10月19日没、当時51歳)。太平洋戦争に参戦しフィリピンのルバング島に派遣され、終戦後も小野田寛郎らとともに戦闘を継続。フィリピン警察軍と銃撃戦になり胸を撃たれ死亡。
^ モンテネグロ公国は日露戦争に於いて大日本帝国に宣戦布告したが実際には戦闘は行われず、講和会議にモンテネグロ王国が出席しなかったことから、国際法上モンテネグロ公国との戦争が継続していた。2006年6月3日にセルビア・モンテネグロからモンテネグロ共和国が独立する際に、外務大臣と首相特使によりモンテネグロ共和国政府へ独立の承認と戦争の終結を伝える文書が届けられた。
^ ただし後継の釧路コールマインの坑内採炭はまだ続いている。また、露天掘りの炭鉱が数か所存在する。
^ 天守本壇(重要文化財)が焼失したものを再建したもの
^ 同じ場所にあった居館(福山館)を取り壊し、全面改築したもの。
^ 築城時の天守は焼失。現在は外観復元した建築物が建つ。
^ 陣屋からの改修。
^ 城郭の全体は未完成とされる
^ このほか、明治初年に房総に移封された旧城主格の藩のいくつか(鶴舞藩・長尾藩・花房藩など)が築城に着手しているが、未完成に終わった。
^ 車籍は残したままである。最後にお召し列車牽引機として使用されたのは2001年3月23日
^ 中国放送より後の1968年に社名変更したラジオ岐阜→岐阜放送は、テレビ開局前の変更である。
^ 2006年に任意引退したのち、2019年11月27日付で自由契約選手公示された。2018年に岩瀬仁紀(1974年(昭和49年)11月10日生まれ)が、2019年3月21日にMLBでイチロー(1973年(昭和48年)10月22日生まれ)がそれぞれ引退して以降、新庄の復帰まで昭和40年代生まれの選手は全て引退・退団した状態になっていた。また、1973年(昭和48年)7月24日生まれの中村紀洋は引退を表明していないが、2015年以降いずれのプロ球団にも所属していない。
^ 山本昌は後楽園球場でプレー経験のある最後の現役選手でもあった。また2019年現在最後の日本球界200勝投手でもある。
^ オリックス・バファローズの前身である阪急ブレーブスおよびオリックス・ブレーブスへの在籍経験がある最後の現役選手でもあった。
^ オリンピック野球競技は2008年北京大会を最後に除外。なお2020年東京大会では追加種目として行われる予定。
^ 2007年9月30日に横浜スタジアムで横浜対ヤクルト戦のダブルヘッダーが予定されていたが雨天中止となった。実際に予定されたダブルヘッダーは同試合が最後で、それ以降は日程の消化が遅れダブルヘッダーが実施される可能性が出たことは何度かあるものの、実施に至った例はない。
^ 1967年12月14日王座獲得後、在位中にWBC分立。
^ JBC非公認を含めると、西澤ヨシノリ(2013年8月5日王座返上、1986年(昭和61年)10月21日デビュー)となる。
出典[編集]
^ 戦え絶滅動物
^ http://www.47news.jp/photo/1059019.php
^ 潮来市議会議員選挙(2016年1月31日投票)結果|政治山
^ 潮来市議会議員選挙開票結果
^ “見どころ”. 松山城. 2018年6月15日閲覧。
^ “松前城・松前城資料館”. 北海道松前藩観光奉行. 松前町ツーリズム推進協議会. 2018年6月15日閲覧。
^ 濱口和久. “日本の名城 福江城 幕末に建築された国内唯一の海城”. zakzak. 2018年6月15日閲覧。
^ 濱口和久. “日本の名城 園部城 明治新政府が築かせた最後の城”. zakzak. 2018年6月15日閲覧。
^ “「最後の城」若人見守る 維新期に築かれた園部城(時の回廊)”. 日本経済新聞. 2018年6月15日閲覧。
^ “さんむのふるさと散歩 No.7 ”. 広報さんむ. 山武市 (2007年1月). 2017年5月11日閲覧。
^ LDの生産が全世界で終了。最終プレスは川中美幸、ORICON NEWS、2007年5月20日。
^ “虎超過密日程 ダブルヘッダーに14連戦も”. 日刊スポーツ. (2014年8月21日)
関連項目[編集]
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