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東京目黒から山梨へ育児のためにお引越し。40代高齢出産ママの雑記帳です。

東京を江戸の古地図で歩く本

2009年11月20日 | 本のこと


昨日は記録的に寒い一日となったようだ。11月中に最高気温が10℃を下回るのはなんと17年振りらしい。




写真は一昨日のもの。


***


二日ほど降り続いた冷たい雨。

その雨が上がるのを待っていたかのように目黒区図書館からメールが入った。


   ご予約の資料がご用意できました


待ってました~!楽しみにしていた本なのだ~!スキップして図書館へ♪

東京を江戸の古地図で歩く本東京を江戸の古地図で歩く本
ロム・インターナショナル

河出書房新社 2004-06-15
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本書では古地図と現代の地図を並べて東京を語る。
トリビア満載である。

  もと大名屋敷だった明治神宮の森の造営は現在もまだ完成途上らしい
  広尾は広大なススキ野原、将軍が鷹狩りに訪れるウズラ場だった
  日比谷は海苔やカキの養殖を行っていたひなびた漁村だった
  渋谷駅の下には今も幻の川が流れているのだ
  品川は遊里として知られた宿場だった
  八重洲はオランダ人の人名がなまってついた地名だった
  紀州、尾張家、井伊家の三つを使った贅沢な紀尾井坂

などなどなどなど。


住んでいるところが目黒なので、自然と目黒に関する情報には興味津々。


   目黒駅から雅叙園に続く急な坂道は「行人坂」というのだけれど、
   その名前は修験道の行者が多く往来したことからつけられたとか。

   目黒駅から大鳥神社に続く緩やかな「権之助坂」は
   年貢緩和を訴えて死罪となった名主の家が側にあったことから
   その名主の名前をとったとか。

   「行人坂」にある大円寺は江戸で二番目に大きい火事の火元で
   寺の再建が許可されるのに76年もかかったとか。

   目黒はもともと江戸が消費する野菜の生産地であったとか。


江戸からしてみれば、郊外、田舎でしかなった目黒。

よって、あまり多くの情報は無いのだけど、がんばって拾ってみた(ふ~)。