栄久山妙善寺おしょうのつぶやきブログ

山梨県富士川町の栄久山妙善寺は身延山久遠寺を総本山とし永代供養・水子供養・祈祷・相談占い等を行う寺院の住職です。

からす

2011年05月26日 | おしょうのつぶやき

夏が近づき 暑い日も多くなって来ました。

裏庭の草も 伸び始め草むしりが大変な時期になってまいりました。

まぁ~そんな事で 草むしりをしていると

“ドサ!!” 突然木の上から 何かが落ちて来ました。

びっくりして近づいて見ると

巣から落ちたカラスの子供でした。

いや~これはかわいそうに 困ったなぁ~ と私が近付くと

「ギャ~ カ~ カ~」と大声で親カラスが木の上で 鳴き始めました。

ヨタヨタ歩く子供を 必死に守ろうと 親カラスがとても興奮しています。

しかし 子カラスはまだ飛べないので 木の上の巣に戻る事が出来ません。

子カラスが 猫などに 襲われたらかわいそうなので 裏庭の出入り口を 大きな網で囲って見守る事にしました。

毎日必死に見守って 子カラスの傍に寄り添っている親カラスの姿を見ていると とても切なくてなりません。

カラスも 人間も 子供を思う親心は 一緒ですね。

1日でも早く子カラスが 大空へ飛び立つ日を 祈らずにはいられません。

がんばれ!!

      合掌    栄久山 妙善寺

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金魚

2011年05月25日 | 妙善寺の蓮・めだか他

お寺の金魚鉢の中に お腹かが丸々とした 金魚が泳いでいます。

この金魚は息子がお祭りの金魚すくいで すくって来た金魚で 最初はとても小さい金魚でした。

毎日の餌やりは 息子の担当です。

先日 「大変だぁ~ 金魚のお尻から何か出てる!!」 と息子が騒いでいるので よく見ると それは卵でした。

水草に 卵が付いているかも知れないので 別に移しました。

すると 次の日 小さな小さな 金魚の赤ちゃんが 沢山生まれていました。

金魚の赤ちゃんを見るのは 初めてなので とても感動しました。

この小さな 小さな 稚魚達が無事に育つように 大切に育てたいと思います。

また 金魚の成長も ブログで紹介しますね!!

      合掌     栄久山 妙善寺

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一個人×歴史人 戦国武将の城

2011年05月25日 | おしょうのつぶやき

雑誌 一個人×歴史人 “戦国武将の城” に

栄久山妙善寺が掲載されました。

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    合掌     栄久山 妙善寺


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願い

2011年05月24日 | おしょうのつぶやき

3月11日 東日本大震災 停電・交通まひなどにより 東京も大パニックとなりました。

各電車は止まり バス・タクシーなど普段当たり前に利用していた交通手段が 完全に閉ざされ 自宅に5時間~6時間かけて歩いて帰る人の姿であふれかえった 大都市。

暗闇を歩く不安の中 商店街の方がお味噌汁を無料で配って下さり 

3月、まだ冷える体を温めてくれる思いやりや 心の暖かさもありました。

ある人はお年寄りをいたわり 突然停止となった電車の中で 代わる代わるに席を譲る人の いたわりもありました。

また 帰宅困難の方へ 施設やお寺などが 解放し助け合ってくれました。

あの 未曾有大震災の不安の中  人と人が支えあったのも現実でした。

改めて 人の優しさ 暖かさを 肌で感じた人達も少なくなかった事でしょう。

今私達は 皆 必死で助け合い 未来の日本を 本当に心配し 考えています。

私達の この思いに 早く気付いて下さい 政府の皆さん・・・

      合掌     栄久山 妙善寺

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人の寿命は無情なり

2011年05月23日 | 教え

人の寿命はまことに 無情なものであります。

父母や 友人 近しい人の別れは とても悲しい事です。

私達は その悲しみを どう受け止め どのような人生を送ったらいいのでしょうか

それはとても難しい事です。

日蓮聖人は まず自らの死の意味を考えようと 私達にこの様なお言葉を 教えてくれています。

人の寿命は 常なきもので いつまでも命があるという事はありません。

出る息は 次の息を待ちません。

風の前の露も例えでは無く 賢い人も 愚かな人も 老人も 若者も みんな定めが無いのが 世の常です。

だからこそ 臨終の意味をよく考えて その後どの様な人生を歩んで行くか 習い学びましょう・・・と

人はいつか必ず 死と向き合わなければなりません。

誰もがわかっているもの 

その事を 日常生活の中であまり意識して 深く考えないのも また現実です。

しかし 人の寿命は無情なりと 深く感じられれば 今の人生に 心から感謝し 素晴らしい尊い人生を 送る事が出来ると思います。

     合掌    栄久山 妙善寺

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