クラスの生徒がうるさくて授業がすすめにくい、と産休の代理で来ている先生がポツリ。
それは大変ですね、と言いつつ詳細を訪ねると、前の先生とやり方が違うと事ある度に言われるそうです。
うるさいことを指摘すれば改善は可能ですが、視点を変えて、生徒がメッセージを送っていると思えばまた変わるかもしれません。
つまり前任者をあまり意識しなくてもいいですよ、ととらえてみては?
どんなのがいいのかな、なんてニッコリ質問を返すと自然なコミュニケーションが続くと思うのです。
「うるさい」、「ありがとう」は対話の流れを帰る魔法の言葉。いい流れが良いですね。
それは大変ですね、と言いつつ詳細を訪ねると、前の先生とやり方が違うと事ある度に言われるそうです。
うるさいことを指摘すれば改善は可能ですが、視点を変えて、生徒がメッセージを送っていると思えばまた変わるかもしれません。
つまり前任者をあまり意識しなくてもいいですよ、ととらえてみては?
どんなのがいいのかな、なんてニッコリ質問を返すと自然なコミュニケーションが続くと思うのです。
「うるさい」、「ありがとう」は対話の流れを帰る魔法の言葉。いい流れが良いですね。
人により違う、人それぞれ違う、これが自然なのかも知れません
経験を積んでいくと、ついつい「こだわりが」出てしまいます
これが案外、スランプの原因になっているのでは!?
自分自身が級拳士のころ同じ技でも、指導者によって「やり方」が違って戸惑っていました。
経験を積めばいくつもの方法を知っていることは、逆に考えればいろんな人に技を掛けられることに繋がることに気付けるのですが・・・
勉強においてや少林寺拳法においても「目的」は同じですが、その「手段」や「アプローチ」方法が異なることで生徒さんは混乱しているのだと思います。
しかし、前任者のやり方で理解できていなかった生徒さんが、後任者のやり方で理解出来たという生徒さんもいると思います。
難しいことですが、物事を教える指導者は、一つだけ解法しか理解していないことは、それは押し付けになってしまうのではないかと思います。この方法が駄目ならあの方法などといったように、いくつもの解法を理解していなければならないと思います。
学校などの場合、様々な生徒がいるのでどの手法を選択するのかを見極めるのが非常に難しいと思います。しかし、そこはN先生の仰るように生徒とのコミュニケーションを深めることで自ずと答えが見えてくるのではないかと思います。
現場経験もないペーパー教員の自分が生意気言って申し訳ありませんでした。