前回の記事で予告(?)をしましたが、2001年3月の発足時から「新極真会 神奈川東横浜支部 泉中田分支部道場」として
約16年半もの長い時間使用をさせていただいた「中田住民の家」が老朽化と諸般の事情により取り壊され「新たにできる建物は残念ながら使用ができない」
ということで、この地を去らねばいけないことになりました。
この話が「決定した」と建物(公民館「中田住民の家」)の運営委員会会長さんから聞かされた時は本当に驚天動地・お先真っ暗「これからどうしよう・・いよいよ空手家としての俺ももう潮時か・・・」というのが、恥ずかしながら正直率直な思いでした。
この道場(建物)はそれくらい私にとっては「分身」とも言える可愛いかわいい建物であり最高の「道場」だったのです。
(以前に書いた「道場風景」という記事を参照してください)
それからは道場のあちこちを見るにつけ、16年前にこの場所を見つけられた嬉しさから始まり、たくさんの様々な思い出と「想い」がよぎり、恥ずかしながら涙が滲むことも少なくありませんでした。
旧泉中田道場で最後の稽古の様子・写真です。最後の稽古では少年部・一般部とも保護者様に集まってもらい見学をしてもらいました。
さよなら・・・今まで本当にありがとう!初代泉中田道場「中田住民の家」
しかし、悲しんで感傷にひたってばかりで立ち止まってはいられません。
長い年月にわたり私並びに極真空手・泉中田道場についてきてくれた生徒・関係者皆さんのため、私自身も「生涯の生き甲斐」であり、極めたい武道空手を続けて修行できる場所を様々な角度から最も良い形で続行できる場所をさがした結果、たどり着いたのが新泉中田道場と選んだ場所
横浜市泉区和泉中央北1丁目40番地にある旧「渥美畳商店作業場」跡地でした。
(公民館や学校をはじめ色々な場所を当たりましたが、公民館や学校などの公的な場所は家賃は安いのですが遅くとも20:45には撤収ということで一般生徒の稽古時間が組めないこと、民間テナントは家賃その他の経費が高くて経営的にとても手が出せませんでした)。
場所は旧泉中田道場から北西方面に約1・6㎞。通っている生徒にはけっして近い距離ではありませんが、内装工事を加えれば、「一戸建てで周りの民家が少ない」という利点があり「建物の大家さんが、かつては仕事上で、さらに商店会・自治会などでも昔からの知り合いなので家賃も比較的に安くしてくれる・・」ということ、私の生業である内装工事店営業作業所をこちらに移築し道場と兼用できる間取りに作成すれば、今まで通り二足の草鞋を履き続けた上で従来の時間割りを組める・・ということになる最適に近い条件の場所でした。
様々な懸案を総合的に判断し、木元師範とも話し合った結果、新泉中田道場は「旧渥美畳店作業所跡地」に決定しました。
それからの作業場→道場開設工事は空手家としての茂木ではなく、室内装工事店の「茂木経師内装店」の茂木としての私が請け負いましたが、次のような点で様々な意味で想像を超えるかなりの難工事でした。
・本格的な大工さんや専門職に依頼するとたいへんなコストが掛かるので、できるだけ私やその応援の範囲内で工事を行なうこと。
・大家さんの都合により。8月7日が引き渡し。工事はそれ以降で、8月の稽古や仕事を続けながら9月には移転し新道場で稽古を行えるようにしなければならない。
・防音などは近隣住宅への配慮と実効性のある工事を行なわなければらない。
・茂木経師内装店作業場と両立できる間取り・・・そのうえで最大限に道場のスペースを取れるよう考え、作成しなければならない。
その他、とにかく数え切れないほどの難題が満載になってしまいましたが、他の物件と比較すると「やはりここだ!」との決意のもと9月移転・稽古開始を目標に工事に入りました。
以下は工事の様子です。
防音性・断熱性の全く無い壁や天井に下地を組み、防音に効果あると思われるプチプチを二重に張り石膏ボードを張ります。さらに下地を組んだ上で防音・断熱に効果あると思われるフエルト材を張ったうえで2枚目の石膏ボードを張ります(つまり二重張り)。
上の写真下段左と中央の写真は私と同業者で2歳下の従弟です。彼は私よりも腕が良く見識もひろいので最高の助っ人・相棒です。今回は7日も応援工事に来てくれました(しかも残業代は無しでたくさんの時間の残業をしてくれました)。さらに我が娘・奥さん・息子にも手伝いを頼み、電気工事は商店会の先輩で兄貴分の鈴木時計店店主の鈴木淳一氏(本業が時計店店主、副業が電気工事士)が格安で行ってくれました。
たくさんの協力を得ての工事でしたが、いかんせんやることが多すぎて工事は難航し、毎日9時過ぎまで行っても「ダメだ・・こりゃ9月までには間に合わねーな~。参ったな~~」というのが8月20日過ぎからの実感になってしまいました・・。
しかし諦めるわけにはいきません。体は本当にボロボロでしたが「今こそ極真精神(諦めない心)の発揮すべき時!」と自分に言い聞かせ、残りの力を日々振りしぼり・・・
なんとか内装部分は8月いっぱいに9割方終えることができたので9月2日に一般部生徒を呼び、大掃除を手伝ってもらうところまでこぎつけることが出来ました!
自分の人生でもこんなに働き詰め、動き詰め、考え詰めの日々はかつてなかったと思います。「中田住民の家」との別れやこれから皆さんに与えてしまう不具合や「この移転を成功させねば」ということなどから感じるストレス、新道場作成の難しさと労力・・・正直、最高にキツイ日々でしたが・・しかし頑張れば良いゴールは必ず来るものです!
おかげさまで念願の新道場での稽古開始は間近に迫ってきました!
、
約16年半もの長い時間使用をさせていただいた「中田住民の家」が老朽化と諸般の事情により取り壊され「新たにできる建物は残念ながら使用ができない」
ということで、この地を去らねばいけないことになりました。
この話が「決定した」と建物(公民館「中田住民の家」)の運営委員会会長さんから聞かされた時は本当に驚天動地・お先真っ暗「これからどうしよう・・いよいよ空手家としての俺ももう潮時か・・・」というのが、恥ずかしながら正直率直な思いでした。
この道場(建物)はそれくらい私にとっては「分身」とも言える可愛いかわいい建物であり最高の「道場」だったのです。
(以前に書いた「道場風景」という記事を参照してください)
それからは道場のあちこちを見るにつけ、16年前にこの場所を見つけられた嬉しさから始まり、たくさんの様々な思い出と「想い」がよぎり、恥ずかしながら涙が滲むことも少なくありませんでした。
旧泉中田道場で最後の稽古の様子・写真です。最後の稽古では少年部・一般部とも保護者様に集まってもらい見学をしてもらいました。
さよなら・・・今まで本当にありがとう!初代泉中田道場「中田住民の家」
しかし、悲しんで感傷にひたってばかりで立ち止まってはいられません。
長い年月にわたり私並びに極真空手・泉中田道場についてきてくれた生徒・関係者皆さんのため、私自身も「生涯の生き甲斐」であり、極めたい武道空手を続けて修行できる場所を様々な角度から最も良い形で続行できる場所をさがした結果、たどり着いたのが新泉中田道場と選んだ場所
横浜市泉区和泉中央北1丁目40番地にある旧「渥美畳商店作業場」跡地でした。
(公民館や学校をはじめ色々な場所を当たりましたが、公民館や学校などの公的な場所は家賃は安いのですが遅くとも20:45には撤収ということで一般生徒の稽古時間が組めないこと、民間テナントは家賃その他の経費が高くて経営的にとても手が出せませんでした)。
場所は旧泉中田道場から北西方面に約1・6㎞。通っている生徒にはけっして近い距離ではありませんが、内装工事を加えれば、「一戸建てで周りの民家が少ない」という利点があり「建物の大家さんが、かつては仕事上で、さらに商店会・自治会などでも昔からの知り合いなので家賃も比較的に安くしてくれる・・」ということ、私の生業である内装工事店営業作業所をこちらに移築し道場と兼用できる間取りに作成すれば、今まで通り二足の草鞋を履き続けた上で従来の時間割りを組める・・ということになる最適に近い条件の場所でした。
様々な懸案を総合的に判断し、木元師範とも話し合った結果、新泉中田道場は「旧渥美畳店作業所跡地」に決定しました。
それからの作業場→道場開設工事は空手家としての茂木ではなく、室内装工事店の「茂木経師内装店」の茂木としての私が請け負いましたが、次のような点で様々な意味で想像を超えるかなりの難工事でした。
・本格的な大工さんや専門職に依頼するとたいへんなコストが掛かるので、できるだけ私やその応援の範囲内で工事を行なうこと。
・大家さんの都合により。8月7日が引き渡し。工事はそれ以降で、8月の稽古や仕事を続けながら9月には移転し新道場で稽古を行えるようにしなければならない。
・防音などは近隣住宅への配慮と実効性のある工事を行なわなければらない。
・茂木経師内装店作業場と両立できる間取り・・・そのうえで最大限に道場のスペースを取れるよう考え、作成しなければならない。
その他、とにかく数え切れないほどの難題が満載になってしまいましたが、他の物件と比較すると「やはりここだ!」との決意のもと9月移転・稽古開始を目標に工事に入りました。
以下は工事の様子です。
防音性・断熱性の全く無い壁や天井に下地を組み、防音に効果あると思われるプチプチを二重に張り石膏ボードを張ります。さらに下地を組んだ上で防音・断熱に効果あると思われるフエルト材を張ったうえで2枚目の石膏ボードを張ります(つまり二重張り)。
上の写真下段左と中央の写真は私と同業者で2歳下の従弟です。彼は私よりも腕が良く見識もひろいので最高の助っ人・相棒です。今回は7日も応援工事に来てくれました(しかも残業代は無しでたくさんの時間の残業をしてくれました)。さらに我が娘・奥さん・息子にも手伝いを頼み、電気工事は商店会の先輩で兄貴分の鈴木時計店店主の鈴木淳一氏(本業が時計店店主、副業が電気工事士)が格安で行ってくれました。
たくさんの協力を得ての工事でしたが、いかんせんやることが多すぎて工事は難航し、毎日9時過ぎまで行っても「ダメだ・・こりゃ9月までには間に合わねーな~。参ったな~~」というのが8月20日過ぎからの実感になってしまいました・・。
しかし諦めるわけにはいきません。体は本当にボロボロでしたが「今こそ極真精神(諦めない心)の発揮すべき時!」と自分に言い聞かせ、残りの力を日々振りしぼり・・・
なんとか内装部分は8月いっぱいに9割方終えることができたので9月2日に一般部生徒を呼び、大掃除を手伝ってもらうところまでこぎつけることが出来ました!
自分の人生でもこんなに働き詰め、動き詰め、考え詰めの日々はかつてなかったと思います。「中田住民の家」との別れやこれから皆さんに与えてしまう不具合や「この移転を成功させねば」ということなどから感じるストレス、新道場作成の難しさと労力・・・正直、最高にキツイ日々でしたが・・しかし頑張れば良いゴールは必ず来るものです!
おかげさまで念願の新道場での稽古開始は間近に迫ってきました!
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