築城の名手として名高い藤堂高虎は、関ヶ原の戦功で伊予(愛媛県)半国20万石を領し、慶長7年(1602年)に来島海狭を望む海辺に位置する地に築城を開始しました。約6年の歳月をかけて慶長13年(1608年)に三重の堀に囲まれた今治城は完成しました。藤堂高虎は、その後、伊勢・伊賀(三重県)に転封で、今治城には養子の藤堂高吉が在城します。寛永12年(1635年)に伊予・松山城主・松平(本性は久松)定行の弟の松平定房が3万石で今治城主となり、明治維新まで続きました。明治の廃城令で城の建物は全て解体されましたが、城の中心部の石垣と内堀がほぼ完全に残っており、昭和28年(1953年)に愛媛県史跡に指定され、地元の企業・市民の寄付等で天守閣・櫓・城門などが再建されました。
[所在地:愛媛県今治市通町]
<アクセス>JR予讃線・今治駅から徒歩約20分
▼復興された天守閣
▼今治城の概要
▼今治城の略図
▼内堀・・・内堀で50m以上の幅があり、防備の弱い平城を守る幅の広い堀。
▼多門櫓(左)・鉄御門(中央)・武具櫓(右)の全景
▼鉄御門・・・扉や門柱に鉄板を張り詰めた厳重な門である。
▼武具櫓 ▼土塀
▼本丸跡(吹揚神社) ▼藤堂高虎公像・・・平服姿の騎馬像です。
▼天守閣
▼天守閣
創建時の五層天守閣は、各階を順次小さくして積み上げる史上初の「層塔型」でした。従来の望楼型と比べて構造が単純で容易に建立できるため、その後の天守閣のモデルになりました。現在の天守閣は、本丸跡の北側に昭和55年(1980年)に五層六階の天守閣で再建されました。
▼天守閣からの眺め ▼武具櫓・鉄御門・多門櫓
▼天守閣からの眺め ▼山里門・山里櫓
2015/04/03 訪城