nakazumi's blog

文化・歴史・城郭をメインに、時々『気になる事』を記す婆娑羅ブログ!

日本社宅サービス株式会社の株主総会

2014年09月29日 | 株主総会

2014/09/25(木曜日)日本社宅サービス株式会社の第16期定期株主総会」が開催されました。

当期の業績は、売上高は前年同期比3.9%増、営業利益は同24.5%増、経常利益は同29.6%増、純利益は同44.5% 増。、配当金は、前期より1円増配の20円。来期も増収増益で、来期の配当金は23円か?。会社の配当の方針は、純利益に対する配当性向は、25%以上として安定的かつ継続的な株主還元を計る。

2014/09/25の株価終値は870円。 株式の平均買値は305円で株価アップ率=185%  

1株純資産=561.5円              PBR=1.55           PER=9.50

投資利回り23円/305円=7.54%

 全株式売却済み  譲渡差益32万円余


中家住宅(平城式居館)

2014年09月29日 | 奈良県の城郭・環濠

 中家住宅は、大和川北岸に残る大和地方の典型的な大和棟の環濠屋敷で知られ、総面積3,500坪。屋敷は、二重の濠に囲まれ、内濠と外濠の間は、竹藪となり、外観は一見、古墳あるいは、神社の森を思わせる。南側の濠は消滅したが、中世土豪の平城式居館の姿をよく伝えている。中氏は、もとを足立氏と称し、伊勢の国鈴鹿の土豪から鎌倉末期に足利尊氏に従って大和に入り、窪田の姓を名乗ってこの地に居館を定めた。その後、明徳2年(1391年)には窪田中氏と改め、岡崎、笠目、窪田の地を拝領し、筒井に本拠を構えていた筒井一族より養子を迎えることで筒井氏一族の武士として活躍したが、筒井氏の伊賀国替えには同行せず、大和に残り大和郡山城に入った豊臣秀長に仕えた。秀長死後、文禄4年(1595年)、武士から帰農して、窪田村庄屋のみならず、幕府領年預(大庄屋)を長く勤め、275石にのぼる大和の地では例を見ない程の大地主となった。このため、武家造りと農家造りを合わせ持つ造りとなっている。主屋は万治二年(1659年)頃の創建と推定され、新座敷には安永二年(1773年)の棟札がある。その他、表門、米蔵、新蔵、乾蔵、米蔵及び牛小屋、持仏堂、庫裏、そして宅地、濠、竹藪が、昭和43年~53年に国の重要文化財に指定された。

[所在地:奈良県生駒郡安堵町窪田133番地]

アクセス>JR大和路線・法隆寺駅からかしの木台方面行バス乗車かしの木台下車徒歩約10分(ただしバスの本数が少ないのでタクシーが便利)

                 近鉄線の場合、最寄り駅は橿原線の平端駅

                 開館時間  午前10時~午後5時

        休館日     8/1~8/31     12/20 ~1/10        見学は電話にて事前に予約   

                 維持管理協力金…500

外濠(東側)              ▼外濠(北側)

 

                                                                  ▼内濠沿いの併の向うに新座敷が見える

 

                   ▼表門・・・内濠に万一の時には外せる板橋が架かる

 

主屋の正面  茅葺きの大和棟  ▼両脇が土蔵になった米蔵

 

米蔵(左)と乾蔵(右)       ▼持仏堂・・・中家が個人で持つ菩提寺(真言宗)

 

2014/09/28 訪問


『やわたのはちまんさん』周辺の散策

2014年09月23日 | 文化・歴史散策

2014/09/21 京阪沿線のやわたのはちまんさん周辺の散策に行ってきました。

ハイキングコース>京阪線・八幡駅・・・岩清水八幡宮・本殿・・・男山散策路・・・八幡木津自転車道線・・・流れ橋・・・四季彩館・・・松花堂庭園・美術館・・・交野天神社・・・市民の森(鏡伝池録地)・・・京阪線・樟葉駅

石清水八幡宮境内図

裏参道より登る

 

石清水八幡宮

 貞観元年(859年)に南都の大安寺の僧行教(紀氏一族)の進言により、翌年の貞観2年(860年)清和天皇が創建した。幕末まで、神仏習合の官寺として、「石清水八幡宮護国寺」と称していた。寛永の三筆の一人である松花堂昭乗も当社に仕える社僧である。明治元年(1868年)の明治政府の神仏分離・廃仏毀釈により、仏式は排除され、神号を「八幡大菩薩」から「八幡大神」と改めた。

石清水八幡宮・本殿

 

トーマス・アルバ・エジソン

 白熱電球の改良に際し、石清水八幡宮境内の竹を使用したため、境内に記念碑があり、2月11日にはエジソン生誕祭が行われています

エジソン記念碑

八幡木津自転車道    ▼流れ橋(流失中)

 

石田神社           ▼四季彩館

 

史跡 松花堂     ▼松花堂庭園・美術館

                  『松花堂弁当の発祥地

 

        ▼さくら近隣公園

 

継体天皇樟葉宮跡伝承地

 

交野天神社

 

市民の森(鏡伝池緑地)

 


樟葉宮(507年~512年)

2014年09月22日 | 王宮・宮殿・行宮・御所

 武烈天皇の死後,継体天皇元年(507年)、継体天皇は、北河内の樟葉で即位されました。「日本書紀」によると、「天皇行至樟葉宮」とあり、その宮が樟葉宮です。継体天皇は、5年後に山背国筒城に移られましたが、5年間、樟葉宮が存在しました。樟葉宮跡と伝えられるのは、枚方市の交野天神社境内の東北方に当る小高い丘にある貴船神社の付近と伝えられています。現在、大阪府指定史跡になっています。

[所在地:大阪府枚方市楠葉丘の交野天神社境内]

クセス>京阪線・樟葉駅下車徒歩約20分

 

階段の下にある石碑比付近継体天皇樟葉宮跡とある。

  

石碑には史跡 継体天皇樟葉宮跡伝承地とある。

 

宮跡と推定される場所には、枚方市指定文化財の船神社が祀られています。

2014/09/21 訪問


岸和田だんじり祭

2014年09月15日 | 文化・歴史散策

2014/09/13 大阪府岸和田市の岸和田だんじり祭に行ってきました。

アクセス>南海本線・岸和田駅下車付近一帯

  だんじり曳行時間

  9/13(土) 

   午前6時~7時半・・・・・・・・曳き出し

   午前9時半~11時半・・・・・・午前曳行

   午後1時~5時・・・・・・・・・パレード、午後曳行

   午後7時~10時・・・・・・・・灯入れ曳行

  9/14(日)

   午前9時~午後0時半・・・・・・宮入り

   午後1時~5時・・・・・・・・・午後曳行

   午後7時~10時・・・・・・・・灯入れ曳行

 南海・岸和田駅前   ▼曳車の準備中

 

 だんじり1台の価格は、約1.5億円です。

 

駅前商店街

 

9/13(土)のパレード順番

パレード・曳行スタート

 

 

 

 

 

 

 

 9/13と9/14の人出は約60万人でした。


新撰組・池田屋騒動と龍馬を訪ねての散策

2014年09月08日 | 文化・歴史散策

2014/9/7  京都の新撰組・池田騒動と龍馬を訪ねての散策に行ってきました。

[ハイキングコース] JR京都駅・・・新撰組不動堂石碑・近藤勇歌碑・・・本光寺(木津屋橋事件)・・・西本願寺屯所跡・・・樽崎邸跡碑(お龍さん実家)・・・近江屋跡(坂本龍馬・中岡慎太郎遭難の地)・・・お龍さん独身時代の寓居跡石碑・・・坂本龍馬寓居跡石碑・・・池田屋騒動石碑・・・坂本龍馬・中岡慎太郎銅像・・・鴨川・・・JR京都駅

不動堂村屯所跡

 不動堂村は不動堂明王院にちなむ地名。西本願寺が、近藤勇・土方歳三らの圧迫に堪耐えかねて、不動堂村に一町四方の土地を買収し、新撰組の要望を聞いて、表門、高塀、玄関、使者の間、客舎、長廊下、近藤、土方の座敷、諸士の部屋、仲間、小物部屋、浴場、獄舎、馬屋、物見櫓のある御殿の大邸宅を与えた。ことごとく西本願寺の負担。新撰組が不動堂村へ屯所を移したのは、慶応3年(1867年)6月である。現在のリーガロイヤルホテル京都あたり一帯である。

 

本光寺(木津屋橋事件)

 伊東甲子太郎が油小路木津屋橋あたりで新撰組の刺客4,5人に襲われて、めった斬りされた。重傷の伊東は、油小路の法華宗本光寺に運び込まれて絶命した。昭和46年京都市が「伊東甲子太郎外数名殉難の地」の石碑を建てた

 

興正寺                                

 新撰組は西本願寺屯所から不動堂村屯所に移る時に隣の興正寺から強引に200両を借り上げた。

            ▼西本願寺の唐門

 

西本願寺屯所跡

 土方歳三が、田舎っぽい壬生から南東約1.5Kmの西本願寺に目をつけて、強引に屯所にした。西本願寺は屈伏して、本堂北の集会所を新屯所に提供せざるを得なかった。

太鼓楼(右側)         ▼お龍の実家(樽崎家跡)

 

近江屋跡(坂本龍馬・中岡慎太郎遭難の地)

 慶応3年(1867年)11月15日夜、坂本龍馬と同志の中岡慎太郎は、近江屋の二階の奥の間で二人が話あっている最中に、佐々木只三郎指揮の身廻組の刺客に暗殺されてしまう。

 

坂本龍馬、お龍の独身時代の寓居跡

 

坂本龍馬が滞在した材木商・酢屋

 

池田屋騒動之址碑               

 元治元年(1864年)6月5日夜、新撰組は、京都市中の探索を続け、ついに旅籠・池田屋で肥後藩士・宮部や土佐、長州の倒幕派浪士の集会を探し当てる。近藤勇、沖田総司、永倉新八、藤堂平助などが踏み込み、斬りあいの末に志士7名死亡、23名捕縛という戦果を挙げた。                                              

             池田屋(池田屋騒動の地)

 

坂本龍馬・中岡慎太郎の像(円山公園)